六月十七日火曜日②
竹村くんは軽く手をあげた。
「じゃあ、鍵、返してくるから。ぼくはこれで」
「ぼくもいくよ。場所を見ておきたい」
職員室は第一校舎二階の中ほどにある。
ぼくは竹村くんのすこしうしろをついていく。
湿り気を帯びた風が回廊を吹き抜ける。
胸のうちに、苦しいような、切ないような感覚が去来する。懐かしさだ。たぶん、そう呼ばれるべきものだ、と直感的に思う。まだ中学も一年目なのに、おかしなことだけれど。梅雨どきの夕方の光の加減を覚えているのか、鼻孔が感じとるにおいや湿気が、いつかの記憶を思い起こさせるのか。
妙な感傷を紛らわすように、ぼくは口を開く。
「鍵も毎朝とりにいってるんだよね」
「そう」
「上野が発見された日も?」
「うん。でも鍵はなくて、誰かさきに持っていったのかなって思って、美術室までいったら芹澤さんたちと三枝先生がいた。そのときちょうど鍵が開いたんだ」
「竹村くんは、すぐに絵の準備を?」
「そう。途中にしてあったのを出してた。そのうち、芹澤さんが悲鳴をあげた」
中庭を横切る渡り廊下をすぎて、第一校舎に入る。電灯のともっていない、薄暗い階段をのぼる。
「とくに変わったことはなかったよね」
「変わったこと?」
「気になったこととか」
「なかったと、思うけど」
竹村くんはすこしうえを向いて、小声でいう。
やはり、推理小説みたいにすらすら事情聴取とはいかない。ぼくは探偵でもなければまして刑事でもないのだから、質問しても相手はまじめに答えてくれない。竹村くんだって覚えていないだろう。
また自分に滑稽さを感じる。もちろん、くまたろうの推理を信じてなどいない。けれど、じっさい行動に移してみると、そんなことはいいわけにしかならない気がする。
やはり、萩尾には諦めるよういうべきだ。
「上野くんのこと、気になるの?」
ふいに、竹村くんが尋ねた。
「え、まあ、そうだけど」
「昨日も嘉勢さんに訊いてたね」
「ごめん、うるさかったかな」
「そういうわけじゃないけど」
階段をのぼりきり、二階の廊下に出たところで、竹村くんは足をとめる。
竹村くんの背後には、暮れなずんだ空が広がっている。
「上野くんのこと話してる人、あんまり見ないから。教室では、なんかタブーみたいになってるじゃん。木皿儀くんは、上野くんと仲がよかったんだね」
「そんなでもないよ。上野は誰とでも仲がよかったんだ」
萩尾にも答えたセリフを返す。
竹村くんはぼくから廊下の隅のほうへ視線をそらした。
「ああいう、なんていうか、華のある人と話せるって、すごい」
「華のある――」
「嘉勢さんとも、仲よさそうに話してたし。芹澤さんにも話しかけてたけど、木皿儀くんは話し上手なんだね」
「なにいってるの。むしろ苦手で、上野たちのほうから一方的に話してくれてただけ。ぼくはたいてい受け身で、なにもしないんだ」
変に早口で答えてしまった。
竹村くんは眉根を寄せ、流し目でぼくを見る。唇がへの字に曲がっている。
「絵はぼくのほうがうまいけどね」
「……うん。そうだね」
ぎこちなくそう返す。なにか気に障ることでもいっただろうか。
ぼくの当惑をよそに、竹村くんは踵を返した。
職員室は蛍光灯がまぶしかった。北側の出入り口から入室してすぐ左手、ホワイトボードの脇に、黄緑色のキーボックスが設置されていた。盗むには、職員からよく見える位置だとは思った。
竹村くんとは校門で別れた。
ぼくの別れの挨拶に、彼はじゃあねと愛想よく答えてくれた。
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