1-5

 俺はドラゴンの懐に飛び込み、その肩の中央、四本の首の根元まで駆け上がった。


 噛み付かんと近づいてきた頭の一つに蹴りを叩き入れると、ズゴオンッッ、と荒々しい音を立てて顎先から首元までが一気に砕け散る。


 気を良くした俺は別の首へと飛び移り、背後から強引にへし折ってやる。


 反動を利用し、さらにもう一本。


 あっという間に三本の首を失ったドラゴンは激しく体を震わせる。


 追撃から逃げようと霧を切り裂き上方へと伸びていく最後の一本。俺はその付け根めがけて、打撃を叩き込む。


 ついでにガラ空きの足や腹をも痛めつけてやると、いよいよ観念したのか、ドラゴンはしなしなと体ごと崩折れた。


「殺す。絶対殺す!!」


 俺が最後の首にしがみついたところで、ふいに何者かの声がした。


「おいお前、一体何と戦ってるんだ?」


 それは俺を嘲るような、低い男の声だった。


「ドラゴンか? それとも象か? やっぱり色はピンクなのか?」


「あ?」


 俺はキレた。


 またいいところで邪魔が入るのか、そう思って、声のほうへと目をやった。


 が、その刹那、またしても海から強風が吹き抜けた。


 霧が乱れ、最後の一首が唸り、鱗を逆立てる。噛みつかれそうになった俺はとっさに体をひねり、ず太い牙に手をかける。悪臭を放ち、唾液にまみれたそれを軸にして、とどめの一発を入れようとしたところで、森側から強烈な吹き返しがあった。

 

 ビュウウウッ――


 と耳をつんざく圧倒的なその轟音は、俺もドラゴンも一時停止させて、あたりを取り巻く霧すらも、ゆっくりと取り去っていく。


 そして、俺は言葉を失った。


 なんだこれ!?


 あまりの事にわけがわからず、稲妻に打たれたかのように動けなくなった。というのも、なぜだか俺は風車の羽根にぶら下がっていたからだ。


 なんで風車? ドラゴンはどこ行った?


 そう思った直後、ぶわん。


 羽根が高く持ち上がり、バランスが崩れる。霧と汗とに濡れた手が滑りそうになって、俺は木枠の間に脚を絡め体勢を立て直す。


「なんだこれっ!?」


 妙な寒気を感じると同時に、身体がこわばり痛み始めた。羽根がきしみ、見下ろすと風車の土台はボロボロで、レンガが歯抜けになっていた。四本の羽根のうち三つは折れ、俺がつかむ最後の一つも骨組みが傷だらけで、今にも壊れそうだった。


 まさか、俺はこれと戦っていたのか?


 そのことに気づいたとたん、ぐるりっ、と視界が回転する。月が嘘みたくデカく見えて、俺の体は宙に投げ出されていた。


「あっ」


 という自分の声が、豪快な音に飲み込まれる。

 

 風車が倒壊し始めていた。


 骨組みが根本のレンガごとごっそり崩れ、中空を落下していくのが見えた。時間の感覚が明らかに遅くなって、すべてがゆっくりと、しかし確実に俺は重力に絡み取られていく。


 そうして俺は、なすすべもなく病院の屋根に叩きつけられた。


 悲鳴を上げることすらできなかった。


 屋根に大きな穴を開け、俺は地面まで落下する。


 受け身も取れず、うつ伏せに激しく叩きつけられ、追い打ちをかけるかのように潰れた建物の瓦礫が降り注ぐ。下半身、腹から下に、バラバラになるかのような衝撃が走る。圧倒的な重量にこれでもかと圧縮されて、脳を揺さぶる凄まじいショックに意識を手放したくなってしまう。


「無茶苦茶じゃねーか。さすがにここまでの奴は初めてだ」


 だがさっきの男の声がして、俺は辛うじて踏みとどまった。


 目を開くと、真っ赤な視界に砂埃が漂っていた。半端ない痛みに耐え、必死に呼吸を整えると、俺はドスのきいたその声の正体を探ろうとした。


 誰だ? 俺は一体何をされたんだ?


 ざりっ、ざりっ、という足音がいまだ鳴り止まぬ崩壊音に混じって聞こえてくるが、その正確な位置はわからない。ただこの足の運び方、これは間違いなく戦い慣れしているやつのそれだ。しかもこの状況、ここからどうやって反撃する?


 ひどい痛みに体を動かせず、考えもまとまらず、俺は焦る。


 足音が迫る。砂と血にざらつく喉がこらえきれずえずいたところで、


 砂埃が唐突にかき分けられた。


 そこから、


 ぬうっ、と男が現れ、俺は目を丸くした。


 こいつはめちゃくちゃ強い、というのがその第一印象だった。


 白衣が恐ろしく似合わぬ男だった。筋骨隆々としたその大柄な肉体には、白衣のなよっとした白さが不釣り合いで、これならアスタチンみたく上半身裸にマントでもまとっていたほうが見栄えする。が、男は白衣の下にも白いシャツを着て、ズボンもまた白かった。


 そんな白から覗くのは、屈強な首と拳。その褐色の肌はあの女医より赤みが強く、岩のようにざらついていた。白髪交じりの髪を後ろでくくり、黒い瞳に松明の炎が鏡のように反射していた。


 サンダルを履いたそいつは何気なく立っていた。だがやはり、その体幹の安定性は見るからに素人のそれじゃない。こいつも医者だろうか?


 そんな疑問を抱いたところで、男が言った。


「よう。戦闘狂」


 そいつは丸く大きな目で俺を見下し、こう続けた。


「俺はここの院長だ」


 その言葉とともに放出された殺気を読み取って、俺は本能的に飛び退こうとする。けれど動くのは上半身だけで、瓦礫に埋もれた下半身はまるで動かず、不本意な姿勢になるだけだ。


「……なん、なんだ?」


 俺は男に尋ねた。


「なんで、俺は、風車と戦ってたんだ……?」


 男は答えた。


「それはな。戦闘断ちに伴う離脱症状、いわゆる禁断症状だ」


「え?」


 男はニヤリと口角を上げる。


「戦闘に依存しきったバカの脳味噌は、戦わないでいるとそいつに幻覚を見せるんだよ」


「は? そんなこと、あるか。さては、お前も、敵だな?」


 院長だなんて嘘だと思った。医者がこんなマッチョなわけないし、こいつもドラゴンと同じく、騎士団長が俺をハメるため雇った敵に違いない。あの女医もみんなグルになって、俺を殺そうとしてるのだ。


「クソがっ!」


 飛びかかりたい、そう思う。


 が、足は変わらず動かない。加えて、少しばかり忘れていた痛みの揺り戻しが一気に押し寄せてきて、俺はうめき悶えてしまう。


「戦闘狂の離脱症状は振戦、悪寒、動悸、結膜の充血に瞳孔の散大、強度の不安に幻覚、そして妄想だ。お前、教科書通りすぎてつまらんぞ」


「何だと!?」


 俺は両手で瓦礫を掻き分け体をよじって、無理やり体を引き抜こうとする。しかし痛みは強くなるばかりで、何一つ思い通りになってはくれない。


「合併症はまだあるぞ。うつにパニック、失見当識に作話、前向性および逆行性健忘、脳の萎縮。あ、脳萎縮ってのは脳がしぼんでスカスカになることな」


「うるせぇっ!」


 よりいっそう痛みが増した。手のひらに熱くぬめりのある液体が触れる。どうやら腹にデカい傷があるようで、俺の真下には無残な血溜まりが広がっていた。


「で、最後に……」


 そこで一段と声のトーンを落とし、男は言った。


「……死だ」


「黙れっ!」


「三年で中隊長まで上り詰めたにしては哀れな最後だな」


「黙れ黙れ黙れっ!」


「ははっ。無様な戦闘狂は、風車に負けてみじめに死ぬんだよ」


「黙っ……」


 そこで俺は血反吐を吐いた。口の中が熱い鉄の味でいっぱいになって、俺はむせた。寒い。なのに全身から汗が噴き出し止まらなかった。血溜まりに沈む指先の感覚がなくなっている。もはや顔をあげることすら厳しくなってきて、俺は狼狽える。


「おい……本当に、俺は死ぬのか?」


 俺は繰り返す。


「風車から落ちて、俺は死ぬのか?」


「そうなるな。ま、入院中にはよくあるだ。あきらめろ」


「そんな……」


 そんなのは嫌だ、と俺は恐怖した。


 せめて戦場で死にたかった。


 味方から裏切られ死ぬのならまだいい。だが、風車をドラゴンと勘違いして死ぬなんて、あまりにも惨め過ぎた。なにより、アスタチンとの決着がまだついていなかった。もう二度と戦えないなんて、そんなのひどすぎる、そう思った。


「嫌だ……」


 プライドも何もかもかなぐり捨てて、俺は叫んだ。叫んだつもりだったが、声はかすれ力がなくて、俺は泣きそうになりながら喉を震わせる。


「……なぁ、お前医者だろ。俺を治してくれっ」


「嫌だよ。面倒くさい」


「そんなこと言うな。お前、強いだろ? なぁ、俺を治せば、俺と戦えるぞ!」


「はぁっ? なんで医者が患者と戦うんだよ? お前バカか? って、いくさバカか。がははっ」


 何がそんなに面白いのか、笑い始める男に俺は訴える。


「頼む! まだっ、まだ戦い足りないんだっ!!」


 その声は悲しいくらいにか細く、惨めな俺を見て男はことさらに笑う。


「がははははっ」


 その不快な笑い声が全身の痛みを増幅させるが、俺は声をなんとか振り絞る。


「なら、せめて、殺せ! 俺を……」


 殺してくれ、と言い終える前に、医者相手にそんなこと言っても意味がない、と俺は崩折れた。この男は戦士でもなんでもなく、医者なんだった。


 だが、


 あーでも、こいつも『医者』なんだ、とも思い直した。


 その瞬間、急に光が差した気がした。


 いまだ頭の中でくすぶっていた霧がようやく晴れていくかのようだった。思考の歯車が噛み合い、舞い戻ってくる『医者』の記憶。クリアになった意識の底で、あの厭味ったらしい女医のメガネがきらめいた。


 そいつの顔まではさすがに思い出せない。


 だが、あの細い指がつかんだキーリング、ひらひらと揺れるあの鍵を手に入れるため、数時間前についた嘘のことは思い出せた。


 ――押してダメなら引いてみろ。


 それは戦術の初歩の初歩で、


「……いや」


 と、俺は再び男を見据え仕切り直す。


「俺はもう、戦わない」


「なんだと?」


 男がぴたりと笑いを止めて、俺は心のなかで雄叫びをあげる。


「俺は、惨めな戦闘狂だ」


 持てる力のすべてをもって、言葉を続ける。


「今、やっと気づいた。だから俺を助けてくれ。もう一度チャンスをくれっ!」

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