1-4
あっという間に日が暮れて、夜が来た。
急速に冷えこんできて、もやもやと白い霧が立ち込め始める。病院に明かりが灯るも霧にぼやけ、距離感がつかめなくなってしまう。
追っ手は一向に来なかった。
わざわざ追う必要もないと考えているのだろう。ひょっとすると、首輪には俺の位置を知らせたり、島から出ても爆発する機能があるのかもしれない。どちらにしろ、俺が自滅するのを待てばいいというわけだ。
胸の中まで、もやもやするかのようだった。
白い霧は俺の体のなかにまで忍び込み、腹の奥でとぐろを巻いていた。ジリジリとくすぶるその不快感は、
剣を振り回したい。
俺をそう思わせるのに十分だった。
俺は剣と剣とがぶつかる音が好きだった。敗者の血しぶきを浴びるのが好きだった。五感が極限まで研ぎ澄まされる一方で、対峙する敵以外何も見えなくなるあの一時だけが楽しく、憂さを晴らせてくれるのだった。俺にとって、一秒が永遠にも思われるあの瞬間、剣と一体化するかのようなあの感覚だけは、何事にも変えられぬものだった。
そしてなにより、俺はアスタチンと戦うのが大好きだった。
まぶたを閉じると、奴の赤い髪と赤い瞳がありありとよみがえる。
身の丈ほどの大剣。奴がそれを振り回すたび、ボロボロのマントがひるがえる。胸や腹に刻まれたたくさんの傷があらわになって、鍔迫り合いに火花が生まれる。両膝にかかる強烈な圧。俺が笑うと、奴も笑って、奴の右頬の大きな傷が醜く引きつっていて……そんな中断させられた最後の戦いを、俺は脳内で再現する。
あぁ、早く続きをやりたい。決着をつけたい。
なのに……
俺は目を見開いた。
なのになんでこんな首輪をつけられて、クソみたいな島に流されなきゃならねぇんだ!?
イラついた俺は、拳を地面に叩きつけた。近くにいた手のひら大のカニが一匹びくりと動きを止めて、俺はとっさにそれをつかみ捻り潰した。
潰してからハッとして、俺は首輪に手をやった。
カニは死んでいたが、首輪は爆発しなかった。あの女は「人を殺したら爆発する」と言ったが、カニなら殺しても大丈夫なようだった。
その瞬間、俺はひらめいた。
『人』を『殺す』のがダメなら、脅せばいいんじゃないか?
あいつを脅し、首輪を外させ、舟を奪えばいい。それなら島から安全に脱出できる。
そう思うと、胸が少し軽くなった。
左腕全体に飛び散ったカニの体液。そんな粘着質な斑点の中、肘の内側に貼られたテープが目についた。剥がすと、テープの裏には赤い血がこびりついていた。
その赤さに俺は笑って、近くの木立に飛び込んだ。
霧の向こう、木立の間からこちらを見ている奴に気づいたからだ。
俺が即座に飛び込むと、そいつ――醜悪なゴブリンだ――は背を向け逃げ出そうとする。が、遅い。俺はその首に掴みかかって押し倒し、勢い任せに頭を蹴り飛ばす。豪快な音とともに首が吹き飛び、血しぶきがあがって、俺は声をあげて笑った。
やっぱ、『人』じゃなけりゃいいんだな。
いよいよ俺は安堵する。やはりなんとかなりそうだ。そう思ってほっとすると、急に空腹を自覚して、俺はゴブリンの死体にむしゃぶりついた。
「……うぇ」
最高にマズかった。血は薄く、肉は繊維だらけで硬く、吐き気がした。
けど、まぁいい。女を脅す前の肩慣らしだ。
俺はそのまま森を下る。いまいち距離感がつかめないが、とりあえず明かりの方へと下れば、病院には着くだろう。
少し進むと、再び霧の向こうで何かが動いた。反射的に駆け出すと、岩の後ろに潜んだオークと目が合った。そいつが棍棒を振りかざす前に、一発。大した手応えもなく倒れたところをタコ殴りにし、ぶっ殺す。
あっけねぇな。
なぜこんな島にゴブリンやオークが居るのかはよくわからなかったが、こんな島にいるからなのか、弱かった。弱すぎた。こっちは素手なのに、あまりに張り合いがなさすぎる。これじゃ肩慣らしどころか、トレーニングにもなりやしない。
……どうでもいいか。
それはさておき、俺はオークの死体にも食らいついた。
「……ッチ。クソマズいな」
しかしこれまた味気がなくて、俺はがっかりした。
食っても食っても、俺の飢えは満たされなかった。
汗が止まらず、痛むように喉が渇いて、浴びてもすすっても血が足りなかった。森を下れば下るほど、冷たい霧が体にまとわりついて身震いが治まらず、胸のもやもやは高まる一方だった。
早く島から出なくては。
次いで頭上から飛びかかってきたブラックパンサーを殺す。ダメだ。島から出てアスタチンと戦うんだ。立ちはだかってくるグリズリーを殺す。弱い。もっと強い相手が欲しい。こいつの肉もまずい。もっと濃くて熱い血が欲しい。まともな奴と戦って、すっきりしたい。
そうやって、どれくらい戦い続けていただろう?
傾斜がなだらかになってきて、木立の隙間から漏れ出す光がはっきりしてくると、俺は走り出した。喉仏に食い込む首輪に手をかけながら、もう片手で枝をへし折り、息を切らし駆け抜けた。心臓が破裂しそうなほどに脈打っていた。泥だらけのガウンがはだけ肩が出るが、気にせず進んだ。
森を抜ける。
まだ熱の残った砂浜に、俺は足を踏み入れた。
病院の建物の前には一段と濃い霧が渦巻いていた。その光沢を帯びた霧の粒はキラキラと身体をまとわりつき、怒りを煽った。
あの女を脅す。いや殺す。
汗で蒸れた鬱陶しい首輪に手をかけたところで、強い風が吹き抜けた。強烈な海風に霧の塊がごそっとはぎ取られ、濃い影がなだれ落ちてきて、俺は立ちすくんだ。
「なにっ?」
病院の明かりを逆光に、一体の巨大なドラゴンが佇んでいた。
それは四本も首を持った禍々しいドラゴンだった。どっしりと重量感のある巨体、表面を覆う赤銅色の鱗が霧に濡れて輝いている。ヘビのようなそれぞれの頭には太いキバがのぞき、馬車くらいあるデカい前足と禍々しい爪。あれを一撃でも食らえば、ひとたまりもないだろう。
あの女が用心棒を雇ったんだ、そう俺は直感した。だけどドラゴンは人じゃないから殺しても大丈夫だ、そうも思って嬉しくなった。
「おもしれーじゃねーか」
さすがにドラゴンと戦ったことはなかった。弱っちいオークやゴブリンどもと違って面白くなりそうで、ぴゅう、と俺は口笛を吹いた。
ドラゴンも、ゴウン、ゴウンと四本の首を勇ましく回し、好戦的な雄叫びをあげる。
再び森側から白く深い霧がせり出し、俺の体を包み込んでくる。
「行くぞっ!!」
俺は両の拳を強く握ってそれを切り裂き、ドラゴンの懐へと突っ込んだ。
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