1-2

 背中がかゆい。


 そう思って、俺は寝返りをうとうとした。


 が、手足が何かに引っかかって動かせず、驚いて目を開けた。


「え?」


 俺は硬いベッドの上で仰向けに寝かされていた。


「なんだこれ?」


 ガチャンガチャン。


 鎖が擦れ合う金属質な音がして、やはり体は動かなかった。四肢や胴に図太いベルトが巻かれ、鎖でがっちりと拘束されていた。鎧を着ていたはずの俺の体は水色のガウンに包まれていて、ガウンは汗でじっとりと湿っていた。


 麻酔矢を射たれ、意識を失った記憶がよみがえる。


 あれからどうなった?


 辛うじて自由のきく首を動かし、俺はあたりの様子をうかがった。


 俺が拘束されているのは殺風景な小部屋だった。


 右側と足側は壁だ。頭側はベッドの板に隠れ、よく見えない。左側には大きな窓があって、風に揺れるカーテンを透かし、オレンジ色の光が差し込んでいる。それが朝日なのか夕日なのかもわからない。ただカーテンの向こうから潮の匂いがする。ざざーん、ざざーん、と一定間隔で繰り返されるのは波の音。ここは海のそばみたいだ。


 窓のそばにはコート掛けに似た棒が一本立っていて、ピンク色の液体を貯めたガラス瓶が吊り下げられていた。そこに接続される細くて透明なチューブ。垂れ下がるそのチューブの先端は針となって俺の左肘の内側へと突き刺さり、体内にピンクの液体を流し込んでいた。


「くそっ!」


 俺は叫んだ。


 ガチャガチャガチャ。ベッドをきしませ、暴れる。頭に『病院』という単語が浮かぶ。『治療』――騎士団長が言った単語がそれに続く。ガチャンガチャン。逃げなくては。だけど手足と胴の枷はきつく、自由がきかない。暑い。薄いガウンが吸いきれなかった汗が腿の内側に流れていく。


 そのとき、頭側から椅子を引くような音がした。


「起きたみたいね」


 続いて女の声。


「なっ?」


 コツ、コツ、という足音が、俺の警戒を嘲笑うかのように、こちらへ回り込んでくる。俺が左に首を向けると、黒くて長い影が俺に向かってすっと伸び、


「はじめまして、タンタルくん」


 白衣を着た女が現れた。


 それは、黒縁のメガネをかけた若い女だった。光にきらめく褐色の肌に、肩にかかる黒い髪。ボタンを閉じた白衣の裾からはサンダルを履いた素足が二本。ズボンやスカートは穿いていないようだった。


 女は吊り下げられたボトルの隣に立つと、メガネ越しに俺を見下ろしこう言った。


「覚えてないと思うけど、あなたは戦闘狂として入院させられたの」


「……戦闘狂?」


「そう。戦いにのめり込むあまり、破壊衝動を制御できなくなる病気のことよ。あなた、三度の飯より戦いが好きでしょう? 三日三晩戦った挙げ句、麻酔を打たれて運ばれるなんてよっぽどよ」


「だからなんだ?」


「ここはそれを治療するところ。で、私が医者のレイル・アマイ。まずはこれまでの過ちを認め、病気の自覚を持つことね。約束できるなら、その枷は外してあげます」


 女は白衣のポケットから鍵を取り出すと、キーリングにぶら下がったそれをひらひらと左右に振ってみせる。


「……どうする?」


 窓からの光にきらめくそれを睨みつけながら俺は答える。


「どうする、ってどうすればいいんだよ?」


「俺はだ、って言ってくれれば、外してあげる」


「嫌だと言ったら?」


「一生そのまま」


 マジかよ、と俺は思った。さすがに一生このままはないだろう、そう思いたかったが、この状況、この女の得体の知れなさからは、本当にこのままなのかもしれないという嫌な予感もした。


 だが、


 別にこんなの、嘘ついて枷が外れたら逃げればいい。


 そんな考えがすっと浮かんで、俺はホッとした。 体はやられてしまっているが、頭の方はまともに動いてくれるらしい。


 もしこの女がなんらかの魔法を使ってきたとしても、その前に飛びかかって首をへし折ればいい。足音からだけでも、体術面は明らかに素人だ。いける。


 なので、


「わかった。認めるよ。俺はだ」


 と、俺は言った。


「……そう」


 妙な間があって、女はヒラヒラときらめく鍵をポケットに戻した。


「え?」


 そして、女は無言でガラス瓶の根本をいじり始めた。すると、俺へと注ぎ込まれるピンクの液体の流れが止まる。


「……おい何してんだよ。外せよ」


「外してあげる。でもその前に……」


 女はそう言いながら、ベッド脇に膝立ちとなって俺の肘へとかがみ込み、液体が流れなくなった針を引き抜いた。


 その瞬間、ぶらん、と女の首からかかった聴診器が揺れ、白衣の胸元がはだけた。胸の谷間が強調されて、俺は思わず目をそらした。


「ちょっとごめんね」


 続けて、女は針の傷口に小さなテープを貼り付けると、立ち上がり、今度は俺のガウンの裾をめくりあげる。


「は?」


 と、その中を見た俺は声を出した。俺は膝丈のガウン以外何も身につけておらず、別のチューブがありえないところに深々と突き刺さっていたからだ。


「うぉっ!」


 女の手が突き刺さったチューブの根本へと伸びて、俺はわめいた。


「おい、何する? やめろっ!!」


「ダーメ。動くと危ないよ」


 女はなんの恥じらいもなく根本をつかむと、突き刺さったチューブを勢いよく引っこ抜いた。チューブの先から薄汚い飛沫が数滴跳ねて、白いシーツの上へと滴り落ちた。体の内側から外側へとぞわぞわ不快な痺れが走り、俺は苦悶の声を上げた。


「うふふ……」


 そんな俺を見て、女は笑った。メガネの奥で細められた瞳は華やかな金色で、怒りと恥ずかしさに俺はカッと熱くなった。忌々しい横っ面を殴りつけてやりたかったが、ガチャン。体はまったく動かなかった。


「だから動くと危ないって」


 再び女がポケットから鍵を取り出す。それが左足の枷に差し込まれたところで、俺は言う。


「枷が外れた瞬間、お前を蹴り殺してやる」


「あら怖い」 


 しかし、女は微笑みを崩さない。


「そんなこと言ったら外してあげないよ」


「知るか、絶対殺す!」


「ふふ。そう思うならほんの数秒黙っていればいいのに。あなたはそれくらい衝動をコントロールできないのね。でも……」


 女は俺の首元を指さしながら続ける。


「そんなときでも、首輪があるから」


「首輪?」


「そう首輪。人を殺したら自動で爆発する魔法の首輪」


 直後、左足から枷が外れた。だが、俺は蹴り上げるべき足を動かせなかった。女の言う通り、首に何かが巻かれていたからだ。


「首輪を外すにはこれとは別の鍵が必要」


 女はゆっくりと立ち上がりそう言うと、覆いかぶさるようにして反対側、右足の枷を外しながら付け加える。


「ここで三ヶ月きっちり治療を受けて、誰も殺さなかったら首輪も外してあげる」


「なんだと?」


「で、どうするタンタルくん」


 右足の枷も外れると、女の細い指の下、キーリングに引っかかった鍵がまたしてもカーテン越しの光にきらめいた。


「自分が病気だって認める? それともやっぱり嫌?」


「てめぇ……」


「嫌なら手と胴はそのままだけど? どうする?」

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