第38話 絶対やめない

 カイに連れられ、ラパ、シエル、エイベルは、暗い洞穴をずんずん進む。

 チラチラと赤く照らされる壁の、半透明の赤い板。マグマが近いのか、熱気が充満している。

 

「熱い……」

「もうちょっとだ。このまま行けばちょうど約束の時間に間に合うと思うよ」

 

 歩くたび、三人の姿は次第に動物の体へと近づいていく。毛はより多く、耳は音を拾いやすく、爪や牙は長く。


「うぅ。感覚がおかしいです。気分が悪くなってきました」


 白い羽毛を生やしたシエルはよろけている。

 黒い毛を生やし、口が段々と犬にように尖っていくラパも同じだった。鼻は利きすぎて鼻腔の奥が壊れそう。耳もよすぎて、ささいな音でも頭が割れそうなほど鼓膜に響く。

 以前国境地帯で動物の体になったときも、この嫌な感じはあった。あのときは弱音を吐いている場合ではなかったから、なんとか耐えつつ戦ったが。

 

「ウィルの体は人間に合わねえ」


 それにこの穴。奥まで続く暗い暗い穴。


 ……シクシク……。……シクシク……。


 よくなりすぎた耳が、いまいましいすすり泣きの声を拾った。

 あのしけた声に、あのうんざりするような闇に、無性に惹かれる。一人のときには足がずんずんと勝手に進んでしまう。

 子どものころから穴は嫌いだった。進めば進むたび、心のほうまで蝕まれていきそうになる。

 輪郭や目が丸くなり、尻尾を生やしたカイだけ、キョトンとしていた。

 

「そう? おれはなんともないけど」


 エイベルが解説する。

 

「サルのウィルはマナズ……つまり人と近い。ウィルになる負担が少ないのだろう」


 カイはふーんと、興味なさそうだった。

 

「それよりさあ。前から気になってたんだけど」

「ん?」

「エイベルさんってウィルなの?」

 

 研いだナイフのような鋭い問いに、ラパとシエルはエイベルに注目した。

 以前から同じことを考えていたが、聞きづらかった。

 エイベルはしかし、たじろぐでもあわてるでもなく、飄々ひょうひょうとしている。

 

「さあな。それより道は喰われたようだぞ」

 

 彼が鼻先でくいっと前を指したので、三人は立ち止まった。ついで、肝を潰した。

 正面は行き止まり。真正面の岩の壁に、大きな半透明の板がはめこまれていた。

 そのまわりを、火の塊がナメクジのようにモゾモゾと動き、端から喰っているではないか。

 大きな板は、虫に喰われた野菜の葉のようだ。

 カイが細長いサルの指で壁を指す。

 

「あ。あれだよ」

「やられた。これじゃあ姫さまのところまで行けねえぞ」

 シエルがおどおどと、「ほかのピリスラットで行くのはどうですか?」

「ピリスラット? ピリスロットのこと?」

「え、ええ。ぼくの故郷ではピリスラットと言うんです」

「ほかので行くっつってもなあ」

 

 周囲を見渡す。

 壁に埋めこまれた半透明の板は無数にある。カイの見つけた場所までたどりつけるだろうか。

 それにあの板には、マグマや危険な地帯に繋がっているものもあるはず。どこに繋がっているのか、よく知りもしないのに手当たり次第あたるのは非常に危険だ。

 途方に暮れていたら、不意にピリリと空気が痺れる感覚がした。

 細い雷の繊維が、いくつも肌に伝わるような感触。

 何事かと、三人は本能的に身をこわばらせる。

 対照的に、エイベルはかっと黒い目を開いた。ひずめを岩にうちつけ、洞穴を逆戻りで走りだす。

 

「エイベルさん? どうしました?」

「待てよ馬野郎」

 

 三人は、猛スピードで進む純白の尻尾を追いかけた。


「感じるのだ。ケンの力」

 

 言うと、ある半透明の板の前でエイベルは止まり、飛びこんだ。

 三人も仕方なく、板に飛びこむ。


 



 ナフの村に男たちや女たちが集まった。

 彼らは声を低めて話し合い、うなずきあい、武器を手にする。

 女たちが案内し向かう先は、村の近くの岩場。そこには、半透明の板がはめこまれていた。



 

 カイとの約束の時間が近づくなか、暗く熱い蝋燭に照らされた洞穴の迷路で、エヴァたちは身を寄せあい、オシラ語をブツブツ唱えていた。


「『男の子は強くたくましい戦士であれ』」

「『女の子は男の子を喜ばせる淑女であれ』」


 トロモはしゃべれないので、言葉の代わりにキーキー言う。

 耳をすませば鈍い音がする。外の戦いの音だろう。

 物語を唱えていたら、そのことで一生懸命になり、外の戦いの音も気にならない。

 

(あと少ししたらカイたちのところに行こう)

 

 ロロらここの女たちには事情を話した。お供たちにもあとで会ってもらおう。

 いざ彼らに再会するとなると、少しむずかゆい。

 そんなことを考えていたとき。周囲の少女や女たちが、キャッキャと笑いながら、たどたどしいオシラ語やカノ語で話しだした。


「おぼえてきたよ、オシラ語。カノ語も」


 声によろこびが含まれている。

 

「言葉覚えやすいね、物語なら」

「ねえ。この話のとおりなら戦いがなくなれば『女は淑女』じゃなくてもよくなるってこと?」

「男がえらいとか女はえらくないとか、こういうことだったんだ」

「天国では男の魂しか救われないって作り話なの?」

 

 ノアはほほえみを浮かべた。

 

「わかりやすくて、歴史を学ぶのにも視野を広げるにもいい教材だ。きみが教えた物語だが、作者は一体誰だい?」

「ふふふ。わたしよ」

「え……?」


 彼は目を見開いた。

 そんなに驚かれると、ちょっと気に食わない。


「なによ。わたしのこと見下してるの?」

「違うんだ。ただ、すごいと思って」


 口調に冗談は感じられなかった。

 気分がよかったので、調子に乗ってみる。


「ふふん。尊敬した?」

「……ああ。きみはすごいよ。心から思う」


 目をまっすぐ見られて言われた。てらてらと蝋燭に照らされる瞳に、吸い込まれそうになる。

 ロロたちがクスクス笑った。

 

「女と女が結婚できるようになればいいのに。そしたらエヴァとノノは夫婦になれるよ」

「ち、ちがうわよ。そんなんじゃ……」


 気恥ずかしさにそう言うと、ますます笑われた。

 エヴァに引っついていたトロモがそれを見、怒ったようにキーっと叫ぶ。離れろと言わんばかりに、小さな手でベシベシとノアを叩いた。

 

「やめないか」


 手で自分をかばうノアを見て、エヴァもつい笑ってしまう。


「トロモはやきもち焼きなのね」

「敵わないよ。降参だ」

 

 ノアは困ったように肩をすくめ、両手を上げた。

 エヴァは笑ってトロモを抱きよせ、ただれた頬にキスをする。

 

「妬かないでいいのよ。かわいい子」

 

 トロモはおとなしくなり、エヴァの胸にギュッと抱きついた。

 つかの間、場がなごやかな空気に包まれる。

 剣を持った男たちが突然ぞろぞろ入ってきたせいで、あっけなく壊されてしまったが。

 みな、何事かと顔をあげた。

 やってきた男らは、エヴァやロロが見知った、同じ村の者たちだった。ロロの夫もいる。

 なかには数人の女もいた。ロロの夫の、別の中年の妻たちだ。

 彼女らは、男たちのうしろで誇らしげな表情を作っている。

 ロロの夫は、ロロをかばうエヴァの前でしゃがみ、あごをつかんできた。トロモがキーっと威嚇してうなる。

 

「おい、近ごろ女たちにおかしなことを教えているらしいな」


 男の言葉は流暢なカノ語。今なら難なく聞き取れる。

 

「べつに。おかしいことは教えてないけど」


 カノ語で返すと、男たちはやれやれと大仰に、困ったとでも言いたげな仕草をした。

 

「うちの妻や娘にも変な言葉を教えているそうじゃないか」

「うちもだ。困るんだよ、そういうのは」

「家事をする者がいなけりゃ家が回らんだろ」


 腹が立ったので、スパッと返す。

 

「じゃ、あんたがやれば?」

「ちょっとエヴァ……」


 相手の剣呑な目を見て、ロロは止めようとしてくる。

 エヴァには、引く気は一切ない。


「男はコキノダイヤの採掘で忙しい」


 冷たく、当然のように言われた。

 エヴァはずっと指にはめていた、赤い指輪を握りしめる。

 

(こんなもののために)

 

 これをくれたノアは、いつでも飛び出せるように身構えつつ、チラチラと憂いを帯びた目で指輪を見てくる。彼もカノ語を少しかじったから、今言われたことの意味がわかったのだろう。

 

「大体、おまえカノ語下手くそじゃないか。おまえ程度の奴が勉強を教えたってなあ」


 ゲラゲラと嘲られ、笑われる。

 ロロは泣きそうにしているが、エヴァは負けじと連中を見すえた。

 そりゃあ現地人じゃないから、自分のカノ語は完璧じゃない。けれど、大海原のように途方もない学びの入り口くらいにはなれたはずだと信じてる。


「恥じることは一切してないわ」


 断言すると、たちまち笑いがおさまり、連中に剣呑さがもどる。


「ただでさえケンの女が増えている。女が知恵をつければろくなことが起きない」

「どうせ役にも立たない。変な言葉を教えるのは今日から禁止だ」

 

 中年の妻たちは、男らのうしろで鞭を見せびらかす。

 破ったら自分たちがおしおきするからね、とでも言いたいのか。

 身を寄せあっていた女たちは、目を合わせないようにうつむく。

 ロロがエヴァに寄り添った。


「もうやめよう。もう十分だから」

 

 彼女の抑えたような声、悲しみを忍ばせた瞳は、その言葉が本心ではないことを物語っている。ロロは言語の勉強が大好きなのだから。

 悔しくて悔しくて、血が顎に伝うほど唇を噛みしめた。

 無性に思い出す。

 前世のこと。

 親が死んだあと、兄に言われた。

 

『部活で遊んでる暇があったら家に金をいれろ!』

 

 結局、部員たちに涙ながらに別れを告げ、バイトを始めた。

 

『本当はやめたくなかったのに……。楽しかったのに……。続けたかったのに……』


 好きなことをバカにされて。

 誰からも見下されて。

 やりたいことを我慢して、夢を踏みにじられて。

 一生他人にこき使われ、望まない人生という小さな箱に閉じ込められ、泣くだけ。

 それで本当にいいの?


「帰るぞ」

 

 ロロを引っ張る男に、赤い指輪を力任せに投げつけた。

 小さな凶器は男の鼻にぶつかる。

 

「……っ」

 

 赤い指輪は地面に落ちると、パリンっと真っ二つに割れた。

 エヴァは立ち上がり、堂々と宣言する。

 

「わたしはやめない。絶対にやめない」

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