第37話 催眠状態

 半透明の板がはめこまれた岩の洞穴。くり抜かれた壁に置かれた蝋燭。メラメラ揺れる赤い光を頼りに、ラパにシエル、それにエイベルは、地上からくだって穴の探索を始めた。

 進めば進むほど、ラパとシエルの全身に、動物のような濃い毛が生え、牙や爪や耳が伸びていく。

 

「この辺も聖域とやらか?」


 ラパのひとりごとに、エイベルが鼻をクンクンさせた。

 

「そのようだ」


 シエルが気弱にうなる。

 

「姫騎士らしき人がこの辺にいると聞きましたけど……。うー。見つかりません」

 

 ふと、壁の半透明の板から、女たちが飛び出た。避難してきたのだろうか。どこか別の板をとおり、ここに来たのだろう。

 視線がかち合い、一瞬の気まずさが場を支配した。

 

「なあ、聞きたいことがあるんだが」

 

 口火を切ったラパに女たちは震えあがり、たちまち近くの別の半透明の板のなかへ飛びこんだ。

 追いかけようと近づいた瞬間、ピシリと板に亀裂が走り、真っ二つに割れた。金槌かなずちでしこたま叩かれたかのよう。

 ラパは舌打ちした。

 

「向こうから壊したな」

「うー。男の人は警戒されますね」

 

 女たちに話を聞こうとしても、すぐに逃げられてしまう。


「おーい。みんな」


 横の道から、丸みを帯びた人間が走ってやってくる。

 焦茶の毛と尻尾を生やした、半分キツネザルで半分人間のカイ。

 

「姫騎士がいたよ」

 

 エイベルが讃えるようにいななく。

 

「よくやった」

「姫さまはどこにいやがった?」

「どっかの穴の中」

「どっかってどこだよ」

「ピリスロットで行けるよ。案内する。明日落ち合う約束をしてるから」


 



「あの穴、さっき言ったシクシク声を聞きながら奥に進むと催眠状態になるんじゃないかしら」

 

 エヴァ、ノア、ロロは、避難場所から身を寄せている家へもどった。いつものとおり家事に追われる。

 書斎の掃除をしながら、エヴァは一緒に掃除をするノアに、自分の考えを打ち明けた。


「催眠? 操られているということか?」

「そこまではわからないわ。ただあの声を聞きながら穴を進んだら、もっと進まなきゃいけないような気になったの。昔変な宗教に洗脳されそうになったときに、あの感覚と似たものを感じて……。あ、前世でね」

「?」


 誰のものかわからないシクシクとした声を追って穴を進むうちに、確かに感じたあの感覚。

 前世で母親に怪しい宗教の教会へ連れて行かれたとき、長々とお説教をされたり、UFOがどうだとか宇宙がどうだとか変なビデオを延々見せられ、よくわからない体操をさせられた。

 長時間そんなことが続いたら、頭がぼんやりして、従わなければならないような気がした。

 似ているかもしれない。

 

「ぼくはなにも感じなかったが」

「そうねえ。例えばだけど、感じやすい人とそうでない人がいるのかも。それか、悩み事や疲れやストレスが大きいときは感じやすくなるとか。カノはいつも争いばかりでそうなりやすいだろうし」


 エヴァもあの穴を進みシクシク声を聞いたとき、トロモの心配をしていた。

 

「確かに疲労が大きければ人は正常な判断をしにくくなるな」

「ケンはあの穴の力を利用して、奥まで迷いこんだ催眠状態の女の人たちに、なにかしらの手段で爆弾を仕込んでるんじゃないかしら」


 これも推測でしかないが、あの穴にいる女たちにはケンの信者が多い。もしかしたら、信仰心も催眠のかかりやすさに関係しているのやも。

 ロロは、なにを話しているんだろうという顔でこちらを見ている。早口で複雑なオシラ語は、まだ完全に理解できないようだ。

 エヴァも難しいカノ語はわからないときがあり、気持ちはわかる。

 対してノアはうなずいた。

 

「なるほど。いくら盲信しているとはいえ爆弾を体に仕込むなんて怖いだろうが、みながきみの言う催眠状態にかかっているなら恐怖心もなくなる」

「でしょ」

「きみが言うには、ケンというのはどこかの神殿に安置された巨大な石像だそうだな。催眠状態に陥った婦人たちがそこまで導かれていると?」

「多分あの移動できる板を通ってるんだと思うけど。女の人に聞いても、そろってそんな場所は知らないって言われるのよね。みんなと合流してからまたあの神殿へ……」

 

 話の途中で、カノ語の本が目に入った。

 開いてみたい衝動にかられ、チラリとのぞく。見えた文字を口の中で噛みしめるようにブツブツと暗誦あんしょうした。

 一語でも多く、カノ語を身に付けたい。

 ノアに笑われた。

 

「勉強熱心だね」

「ええ。わたしもロロを見習わなきゃって思うもの」

 

 そばにいたロロは、うれしそうに少しほほえんだ。

 

「ノミコミ、ハヤイ、エヴァ」


 彼女が発したのは、たどたどしいカノ語。

 エヴァは照れくささとうれしさがないまぜになり、ほほえみかえした。


「ロロもね。カノ語がずっとうまくなってるわ」

 

 言語に熱心な彼女を見込んで、穴で知り合ったカノ語がわかる女たちにも手伝ってもらいながら、最近ロロにカノ語も教え始めた。

 ロロはその勉強に熱心だった。

 オシラ語やカノ語は、彼女の可能性を必ずグンと広げてくれる。

 本を読んで知識を得たり。

 よそに行って商売をしたり。

 外の人と話して視野を広げたり。

 ロロ自身の行動力や運次第の面もあるとは思うが、これからは自立して生きられる可能性がある。なんの知識や能力もないまま誰かに売り買いされ、こきつかわれるだけでなくなるのだ。

 考えただけで自分のことのようにうれしい。

 ロロのような女の子を、もっとカノに増やせたら。

 ……考えていることがある。今後のこと。

 楽ではないだろうけど。

 

(合流したらそれをみんなにも手伝ってもらおう)

 

 ラパにも謝ろう。『最低』と言ってしまったこと。


「がんばれよ。二人とも」

 

 掃除をしながら、ノアがほほえみをたたえ、こちらを見ている。エヴァは彼のほうを見やった。

 まぶしい光をのぞきこむような、グリーンの瞳。

 あの暗い穴で、彼はいつでもこんな目でエヴァを見ていたのだろうか。

 くすぐったい気分になる。

 バタンと部屋の戸が急に開けられた。

 中年の妻二人が、威圧感をかもしだしながら、ズカズカと入る。


「……?」


 戸惑っていたら、二人はエヴァが本を開いているのをジロリと見、叩き潰すように閉じた。それから、知らない言語でわめく。

 ロロは言葉を聞いて理解したようだ。彼女の目に悲しみが浮かんだ。二人の言葉をオシラ語で小さく反復する。


「『怠けるな。穴に本は必要ない』。だって」


 頭に血がのぼった。

 ロロにこんなことを言わせるために、オシラ語を教えたのではない。


「なんで?」


 カノ語でくってかかる。

 妻二人の口から唾とともに飛び散らされた言葉を、ロロはふたたびオシラ語で反復した。

 

「『必要ないものはない。穴でもよけいなことをするな』って」

「どうして?」

「おいエヴァ」

 

 ノアがエヴァの肩をつかみ、なだめようとする。

 中年の妻二人は顔を真っ赤にさせて激怒し、エヴァにつかみかかった。頬をいくども、容赦なくぶつ。


「この!」


 ジンジンする痛みを気にせず、エヴァも負けじと二人の手に噛みついた。

 相手は逆上し、さらにエヴァをぶちのめす。


「やりすぎた」

 

 ノアが止めても耳に入らない。

 ロロは悲しそうだった。

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