第39話 エヴァ、死す

 大勢から剣呑な視線をぶつけられても、エヴァは臆さない。

 うしろで、ロロや女たちはビクビクと身を縮こませている。

 

「どうして女が言葉を覚えちゃダメなの? どうして勉強しちゃダメなの? どうしてできることが家事だけなの?」


 自分のなかの抑えようのない怒りをカノ語にして、矢継ぎ早にたずねた。

 相手は眉をひそめながらも、気圧されたように一歩下がる。


「女はすぐに結婚して子供を産むものだ。勉強なんか無意味だろう」

「じゃあすぐに子供を産まなければいいじゃない」

 

 中年の妻たちが、ここぞとばかりに口をはさむ。

 

「女は若いときにしか子供を産めない。子供がいなければ部族は途絶える。だから早く結婚しなきゃならない。どうだ。女は家にいなければならないだろう」


 もっともらしい言い分は、エヴァにとっては痛くもかゆくもない。こっちには知識がある。

 

「わたしのもといた国じゃね、四十歳の女の人も元気な子供を産んでたわ。若い頃に十分勉強をして、仕事も持ちながらね」

「ええ?」

 

 うしろにいる女たちが顔を見合わせ、声をあげておどろいた。

 男らも眉をあげる。

 

「ばかな。そんなことできるわけ……」

「安全な環境があればできるのよ。あんたたちが部族の存続のためにやるべきなのは、幼い女の子を買ったり閉じこめることじゃなくて、争いをやめて平和な世の中を作ることよ!」

 

 オシラ人の感情任せのカノ語に、周囲はしんとする。

 向けられる尊敬の目。戸惑いの目。敵意の目。

 暗い穴ぐらにさまざまな感情が渦巻いている。

 その渦中にいるエヴァは、激情がさめず荒く息をした。この上なくスッキリとした気分で。

 

(スルスルしゃべれた。あれほどわからなかったカノ語だったけど。……やった)

 

 あぜんとしている男たちであったが、すぐに正気を取りもどす者もいた。

 彼らは太い棍棒を構えたり、スラリと音を立て腰の剣を抜く。

 

「余計なことを吹き込まれた『穴』ども。正しく教育し直す必要がある」

 

 女たちは恐れ、隠れるようにうずくまる。

 エヴァは怖くなかった。こいつらとどこまでも戦おう。こっちは変身アイテムで木にだってなれるのだ。


「エヴァ……」


 背後から、ロロがエヴァの服の裾を引っ張った。

 やめよう、心配だよと、伝えるように。

 前を向いたまま、エヴァは手を後ろに回し、ロロの冷たく華奢な指をしっかりと握る。

 大丈夫と伝えたくて。

 するとエヴァの前に、すっとノアが立った。長い手を広げてかばってくれる。

 

「彼女に手出しをするなら、ぼくが相手をしよう」

「先生。べつにわたしは……」

「彼女を傷つけるなら容赦しない」


 こんなときだというのに、頼もしい彼にときめいてしまう。

 棍棒を持った男が構わずズンズン近づいてきた。ノアの広げた腕をすり抜け、棒の先端で力一杯エヴァを突こうとする。

 反射的に避けようとしたら、キーッと甲高い声があがり、トロモが目の前に飛び込んだ。エヴァの代わりに棒の攻撃を受ける。


「トロモ!」


 肝が潰れた。

 倒れた彼はしかし、すぐに立ち上がる。エヴァの前で。エヴァを守るように。

 自分より何倍も大きい男たち相手に、キーッキーッと威嚇するようにうなりながら。

 そんなトロモを、激情家の男たちは執拗に棒で打ったり蹴り飛ばしたりして、叩きのめそうとする。

 逆襲したいのか、はたまたその姿に怖がっているせいなのか。トロモは彼らよりずっと非力な、小さな子どもなのに。


「トロモ、もういいのよ……」


 何度手ひどく打たれても、いくつもズキズキと痛みそうなあざを作っても、骨が折れたような、聞くに耐えない音がしても、トロモは決して怯まなかった。必ず立ちあがり、エヴァを守るようにかばう。

 らんらんと光るまぶたのない目はギョロギョロ動き、激しい敵意が剥きだしだ。

 これには、さしもの男たちも怖気づかざるを得なかった。

 エヴァはトロモが心配になると同時に、目が熱くなる。

 か弱く守るべき者と思っていたこの子は、こんなにも強く、こんなにもエヴァを思ってくれる子だった。


「ぼくも負けてられないな」


 トロモの様子に、ノアも前に出、おののいている男の手首をつかんだ。すばやくうしろにひねりあげる。


「非力な子どもをこんなに痛めつけたんだ。一般人だからといってもう容赦しないぞ」


 その男は悔しげにうめいている。

 そんななか、端のほうにいる男らが顔を見合わせうなずきあった。すばやく動いてエヴァの背後に回る。

 

「……!」


 振り向いたときにはもう遅かった。

 震えるロロが、彼らの手により捕らわれている。

 連中はロロの前半身を無理やりこちらに向けさせた。細い首に、ゴツゴツした太い指が乱暴にかけられる。

 

「エヴァ! ノノ!……うぅ」


 指は彼女の首を力任せに絞めあげる。見せしめのように。


「ちょっと!」

 

 男らや、彼らに味方する女たちは、それ見たことかとせせら笑った。

 

「生意気を言うからだ」


 ノアと駆け寄ろうとするが、剣を構えた男たちに阻まれる。

 ロロは上向き、口の端から泡を吐き、目を白黒させている。

 すぐに服の下のペンダントを取り出した。表面に字を書けば即座に変身できる。

 どれがいい?

 木のチップは戦えない。黒のチップは使っちゃダメ。

 いつもの透明なので騎士に変身するか。

 あるいは……。


「……ケン……ケン……」


 聞いていられない、ロロの苦しげなつぶやき。

 ケン。

 爆風のなか、人や物を踏み潰していく異形の石像は、炎のような真紅のチップを落とした。表面に、ひらがなの『く』を尖らせたような文字が彫られていたっけ。

 あのときあの化け物には、敵意があるようには思えなかった。

 

(使えるかも。ケンそのものが強そうだったし)


 あの連中を早急にけちらし、ロロを早く助ける道を選ばなければ。

 汗ばむ指でペンダントの表面をなぞる。するとボウっと、ともしびのような赤い光がペンダントを包んだ。

 トロモがひたすらキーキー喚く。なにかを訴えるかのように。


『……! ……!』

 

 なんと言っているのだろう?

 突然ボンっと、赤いチップが発火した。

 

「きゃっ!」

「わ!」


 メラメラ燃え盛る赤い火。膨れあがり、エヴァの体をつたい、まとわりつき、その全身をジリジリと焼き焦がす。


「……!」

 

 取り巻く男たちや女たちは突然のことに恐怖し、火だるまになるエヴァから一歩飛び退いた。

 トロモがキーキー絶え間なく泣き喚く。

 白い衣を脱いだノアが、性急な手つきで布を振るい、急いで火を消そうとする。

 

「やめろ! 燃えるな!」

「大丈夫。熱くはないわ」


 反乱狂のノアに、余裕を持ってゆっくりそう伝えた。彼は目を点にして布を握りしめている。

 実際、全身に火が伝っても、痛みや熱さは感じない。むしろ元気というか、燃えるような生命力が腹の底から無限に湧きあがる感覚がある。

 これが変身なのだろうか?

 まあ、攻撃的な男たちへのいい脅しにはなりそうだ。

 

「ロロを放してちょうだい」

 

 火だるまの腕で、ロロの首を絞める男に手を伸ばす。

 燃えさかる火を恐れ、男はロロを捨てて飛び退いた。

 

「うわあ!」

「ケンの女だ!」


 騒然としながら、男も女もパニックで逃げ回った。

 腰を抜かし尻もちをつくロロは、エヴァを見て蒼白だ。顔を歪ませ涙を流す。

 

「エヴァ……。燃えちゃった。どうしよう。どうしよう。う、うわあ……」

「だから大丈夫なんだって」


 ロロを安心させたくて、ほほえんでみせた。

 炎は少しずつ収まっていく。反比例するように、姿が変わっていくのが自覚できた。

 栗色だった自分の髪は、地面まで届きそうなほど伸び、カラスのような黒色に。白い簡素な服は、火のように紅く、かつ透けた、ヒラヒラした踊り子のような衣装に。

 髪に、耳に、腕に、腰に、金の飾りがジャラジャラとまとわりつく。

 

「ロロ、わたしは大丈夫」


 ジャラッと腕飾りの音を立て、エヴァはロロに手を差しだした。

 ロロは目を瞬かせ、身を固くしながらも、ゆっくりとエヴァに手を伸ばす。

 ロロが助かったことに心を軽くしながら、エヴァはこれからのことを考える。

 ロロやトロモや先生たちとここから逃げて、カイたちと合流しよう。それから自分の考えていることをみんなに手伝ってもらって、そして……。

 胸膨らむ未来への希望。

 突如ズンっと背中に走った鈍い衝撃が、その一切をかき消した。

 背中の鋭い熱さと、次いでやってくる激痛。

 ゆっくりと、自分の腹部を見下ろす。

 腹から、鉄の突起が飛び出ていた。

 ねばねばした赤い液体が、突起からポタポタ滴っている。

 剣先。

 背中から刺されたようだ。

 グッ、グッと、剣はエヴァの背中から引き抜かれていく。


「どうだ魔女め。退治してやったぞ」


 うしろから聞こえる、うれしそうな野太い声。

 激しい痛みも、自分の腹から抜けていく血の洪水も、自分の夢はもはや叶えられないという絶望も、どうやっても止められない。

 力が抜けていく。これ以上、立ってはいられなさそうだ。

 

「あああぁぁ……」


 カタカタ震えながら細い声をあげ、口を覆うロロ。

 感情が爆発したように、キーッと絶叫するトロモ。

 化石のごとく立ち尽くしているノア。

 生まれ変わって出逢えた、今世の大切な人たち。大切な自分の希望。

 ぼやけるエヴァの目に映るそれが、二度目の人生最後の光景だった。

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