第36話 闇が呼ぶ
いつものように半透明の板を通り、ゴツゴツとした熱苦しい洞穴の迷路に入った。そこで女たちと身を寄せ合う。
外ではドォンという鈍い音や、騒がしい物騒な声が絶えない。
剣呑さを吹き飛ばすように、エヴァたちはオシラ語の物語をそらんじる。ノアも地面に文字を書き、少女や女たちにオシラ語を教えた。トロモはエヴァにべったりとよりかかっている。
その様子を、眉根を寄せながら遠巻きに見ている女たちがいた。
「あの人たちも呼んだ方がいいかしら」
エヴァはカノ語で、となりにいた少女にたずねる。
オシラ語と交換するように、カノ語もわかる者から教えてもらった。現地人相手に練習を重ね、以前よりスムーズに話せるようになった。
少女は首をふる。
「あの人たちダメ。頭固い」
「ああ、そう」
(まあそういう人もいるわよねえ)
このごろ、女のなかでもエヴァを目の敵にしている者が、あからさまに無視したり、意地悪をしてくることがあった。カノ語や、エヴァの知らない言葉で、耳を塞ぎたくなるような悪口も言われている気がする。今身をよせている家でも、ロロ以外の妻たちから、やけに怒られたり叩かれたりした。
だからといって、オシラ語を教えるのをやめることはないが。
ふと、ノアがきょろきょろとあたりを見渡した。
「ロロはどこだい? きみが字を書くと、いつも地面に鼻がつくほどのぞきこむのに」
「そういえば」
ドォンと、外からひときわ大きな爆発音が轟く。
洞穴が小刻みに揺れ、女や子どもたちが身を寄せ合った。
突如、トロモがキーっと叫んだかと思うと、迷路の奥にトテトテと走った。
「あ! トロモ、どこいくの?」
弱くて小さな彼に、またなにかあったら大変だ。
急いで追いかける。
「エヴァ」
ノアもエヴァを追いかける。
エヴァは迷路を一直線に進んだ。岩の壁にくり抜かれた穴に置かれた、揺れる紅い蝋燭を尻目に。
円筒形の壁にはときどき大穴が空いており、別の道が形作られていた。加えてあちこちに半透明の赤い板がはめこまれている。
あの板は、どこかよそにある別の板につながっている。もしトロモがあの中のどれかに入ったのだとしたら、居どころを見極めるのは難しい。
「どこに行ったのよ」
シクシク。シクシク。
わずかに聞こえる、押し殺した泣き声。
足を止めた。
「だれかいるの?」
周囲を見渡し大声で叫ぶ。気味が悪いのをごまかしたかったし、正体を明かして安心したいという気持ちもあった。
シクシク。シクシク。
返事がない代わりに、その泣き声はまた聞こえた。
暗い暗い、進めば飲まれてしまいそうな穴の奥から。
(あの奥になにかあるの?)
以前、ロロが言っていた。
ケンを探して迷路を歩けば、ケンに会い、力をもらえるというようなことを。
エヴァはフラフラと足を進めた。
飲まれれば、溶かされ消え去ってしまいそうな、闇の奥へ。
(ケン、見つけたらぶってやるんだから)
進むのは自分の意思。だから大丈夫。
そう言い聞かせているのは、自分の足がケンという存在に惹かれ、あの闇に惹かれ、吸いよせられるのをごまかすためだと、そんな自覚が少しはあるから。
背後から、二の腕が華奢な指につかまれた。その細く硬い感触によって、すっと正気に引きもどされる。
「奥ダメ」
ふりむくと、硬い表情のロロが、エヴァの腕をがっちりとつかんでいた。
「ロロ。いたの? どうしてこんなところに」
拍子抜けしていたら、ギュッと抱きつかれた。
「行かないで。ごめんララ。私が役立たずだったせいで……」
腕の力を強めるロロに、どうしていいかわからなかった。
彼女はボソボソと、エヴァではないだれかへ、もうしわけなさそうにつぶやいている。
トロモといい、さっきの変な感覚といい、突然現れたロロといい。
奇妙なことばかり。
「
またしても声がした。
あのシクシク声ではない。聞き覚えのある、低く懐かしい声。
「……!」
声の主の姿をとらえようと、あたりをキョロキョロ見渡す。
幻聴ではないか。
「姫騎士、そこにいるの?」
はっきり聞こえた声は、現実のものだ。
「……カイ?」
はぐれてしまったお供のカイの声。
「こっちこっち」
出どころは、壁の小さな穴の隙間。
戸惑っているロロをおいて、壁に近寄りのぞきこむ。同じようにこちらをのぞきこんでいるカイの顔が見えた。ただし、見慣れた顔より毛深く、丸く、サルのようだ。
「やっと見つけた。こんなところにいたんだね。ピリスロットを通りまくったかいがあった」
「探しにきてくれたの?」
「まあね。カノじゅう駆けずり回ったよ。ラパもシエルもエイベルさんも心配してるよ」
あてもないのにエヴァを探すのは、どんなに大変だったことだろうか。それでも心配して気にかけてくれたのだ。
つい泣きそうになる。
「ごめんね」
「今から三人を呼んでくる。ここで待ってて。なんとかしてこっちから岩をぶっ壊すから」
カイはきびすを返そうとした。
そこで、エヴァは自分以外にも助けが必要なオシラ人のことを思いだした。
「待ってカイ。じつは先生もいるの」
「騎士さまも?」
「それにすぐにここを立ち去るわけにもいかなくて。少し準備もしたいし」
みんなと合流したからと言って、ロロたちを放っておくわけにはいかない。
「そっか。じゃあ明日の同じ時間にここで待ってる」
「ええ。そうしてもらえると助かるわ」
カイはうなずくと、たちどころに闇の向こうへ消えた。
ロロが不可解そうに壁の穴を見た。
「だれ?」
「あの人はわたしの仲間で……」
説明しようとすると、キーっと甲高い叫びが。
トテトテと、小さなトロモが駆けてきた。ノアも一緒だ。
「エヴァ、さっき彼とばったり会ったんだが」
トロモはエヴァめがけて一直線に飛びつく。
「トロモ。もう、どこ行ってたの?」
あやしてやろうと背中に腕を回し、トントンと軽く叩く。
ノアは肩で息をしていた。よほど走ったのだろうか。
「いい加減もどろう。こんな迷路ではぐれたら厄介だ」
「先生聞いて。さっきカイが来たの」
「え? よかったじゃないか」
ほっと胸をなでおろしながら、みんなで帰り道をもどる。
エヴァは、寄りそってくるロロのことを気にしていた。
(ロロはどこにいこうとしていたのかしら?)
それにケンのこと。
思いちがいでなければ、少し秘密がつかめたかもしれない。
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