第33話 トロモ

 黒い岩の穴が蟻の巣のように入り組み、複雑な迷路が作られている。

 昔マグマが鉄砲水のように放出されたことで、岩の中に空間ができたとか、そんなようなことをラパが言ってたっけ。

 

「まさにマグマでできた天然の迷路ね」


 シクシク……シクシク……。


 誰かのすすり泣き。

 耳を澄ませ、エヴァは進む。洞穴の闇の奥に向かって。あの闇に惹かれて。

 

 ひぃ……ひい……。


 はっきりとした泣き声。すぐに足を止めた。

 横の壁に丸い穴が空いていた。

 のぞき、進んでみる。

 すぐに熱気を帯びた広い空間に行き当たった。上部から真っ赤なマグマが、どろどろした滝のように流れている。地の底に落ちると、川のように流動していた。

 

「うわ。マグマ」


 熱い滝のわきの岩肌には、半透明な赤い板がいくつも埋めこまれている。

 さらに、周囲を火の塊がナメクジのように這いまわっていた。あれもマグマかと思っていたら、その塊は芋虫のように、半透明の赤い板にかじりついた。もしゃもしゃと、食べるように咀嚼しているではないか。


(あれがカノのウィルね)


 地方で施されたというウィルの駆除政策も、こんな穴の奥の奥までは届かなかったようだ。

 マグマの川の岸辺では、数人の子どもたちが、うずくまる子どもを取りかこみ、石を投げている。

 

「バケモノ!」

「火に落ちろ!」


 頭を両手で覆い、体を丸めてうずくまる子は、ひぃひぃと泣いている。助けを求めているような、つらそうな声だ。

 エヴァはとっさに腹の底から声を出した。

 

「ヤメナ! アンタタチ!」


 つたないカノ語で。

 駆け出して、うずくまる子どもをかばう。

 

「ばけもの仲間」

 

 石を投げられる。

 頭や背中にあたり、鈍く痛んだ。

 

「痛イヨ。ヤメテ!」


 手で石を払おうとするが、子どもたちはエヴァが抵抗する様子がおかしいのか、こっちを見て笑っている。

 

「死ね!」

「火に落ちろ!」

 

 投げつけられる石は止まりそうにない。うずくまる子どもの背中にもあたる。その子も痛がっていた。

 

(こうなったら)

 

 首にかけている紺青のペンダントを取り出した。

 表面に、アルファベットの『B』のような字を書く。丸みの部分は尖らせた。


「変身!」

 

 ペンダントの色は、深緑に変化する。メキメキと音を立てて膨張し、樹木のようなものに変質したかと思うと、エヴァの体を包んでいく。

 石を持った子どもたちは、目をテンにした。うずくまった子どもは、そのままじっとしている。

 2、3mほどの樹木の塊に、エヴァの体がすっぽり包まりきる。にわかにメリメリとそれが割れた。

 うしろにまとめられた深緑の髪に、薄緑のキトン姿で、エヴァは塊から這い出る。

 うずくまる子をかばうように立ち、両手を広げた。

 

「サ、ドウゾ。オ投ゲ」

「バケモノ!」

 

 パニックになった子どもたちが、デタラメに石を投げつけてくる。

 石が当たっても痛くもかゆくもない。皮膚に傷もつかなければ、あざもできない。

 余裕綽々でニコニコしていたら、子どもたちは戦々恐々とした。

 

「なんだあの『穴』」

 

 エヴァはふふんと笑って、オシラ語で解説してやった。

 

「ベオークのチップで変身すると木になれるの。痛覚もなくなるのよ。能力を使っちゃうとしんどいけど」

「エヴァ!」

 

 そこへ、ロロとノアが駆けこんできた。子どもたちを追い払う。

 

「ヤメテヤメテ!」

「やめないか」

「チッ。めんどくせ」

 

 子どもたちは舌打ちしつつ、空間の壁に空いている複数の穴に散り散り走り、消えてしまった。

 エヴァはうずくまる子どもの前にしゃがむ。

 

「大丈夫?」

 

 その子は顔をあげた。顔の皮膚が焼けただれ、まぶたも鼻も唇もない。それに耳と歯と爪が、異様なほど鋭く尖っていた。

 エヴァとノアは息をのむ。

 

「この子……」


 人間ではない。

 そういえば、エヴァにはこの子の姿に見覚えがあった。

 神殿で石を投げられていた子ではないか?

 ロロが少し困ったように、ノアの背後に隠れた。

 

「怖イ。トロモ」

「……この子、トロモと言うのね」

「スミカ、穴」


 トロモはまぶたのない剥き出しの目で、ギョロリとエヴァを見つめ、すがるように手をつかんできた。

 その途端、頭になかで記憶が渦巻いた。エヴァの知らない、エヴァのものではない記憶。



 

 白い服のお母さんに抱っこされ、このマグマの岸辺の前まで連れてこられた。黒い岩肌の壁にはめこまれた半透明の赤い板を、ナメクジのような火の塊が、カジカジと食べている。

 まだ赤子だったから、どこにいるのか、なにが起こっているのか、ちゃんとわかっていなかった。

 けれど、ここにいたくなかった。

 熱い。怖い。それに、生まれつき動かない足が痛む。

 それをお母さんに伝えたくて、精一杯泣いた。手をパタパタさせた。

 大好きなお母さん。どんなに泣いても見向きもしない。

 どうしてなのだろう。なにか悪いことをしたから?

 いい子にするから、お家に帰ろうよ。

 優しかった腕が、機械のように自分をマグマに放りこんだ。

 


 沈む。焼ける。熱い。痛い。

 叫ぶこともできなかった。

 塵になっていく。体も心も。

 ある水位まで沈むと、散り散りになった肉体と精神が、突如として集約を始めた。

 骨がもどり、血肉がまとわりつき、皮膚が再生する。

 痛みは消えさった。熱さも感じない。

 耳が伸び、歯が尖る感覚がした。手も足も伸び、自在に動く。

 腕を動かし、マグマの水面まで浮上しようと泳いだ。

 マグマのなかには、真紅の魚のような生物が、あちらこちらを泳いでいる。きっとこれもウィルだ。

 なぜ助かったのか、わからない。

 聖域の力が、気まぐれにウィルの力を与えてくれたのかもしれない。

 生き残れて、うれしいと思ったことはない。

 だって、自分はいつもひとりぼっち。

 



「エヴァ? 大丈夫か?」

「シッカリ」


 心配そうなノアとロロに肩を叩かれた。

 汗びっしょりのエヴァは、記憶の渦から徐々に抜け出す。

 今見た光景が痛ましすぎて、胸やけがした。


「なんてこと」

「?」

「……この子の親が、赤ちゃんのこの子をマグマに入れたのよ」

「ええ?」

「足の病気があったみたいで」


 ロロもノアも眉を寄せた。

 

「むごいことを」

「カワイソウ、トロモ」


 子ども、トロモは悲しそうに、しゅんとうつむいた。

 エヴァも悲しくなる。なんと声をかけてあげればよいのか。


(わたしが落ちこんでどうするのよ。この子にこれ以上悲しい思いをさせたいわけ?)


 さっき体感した。

 この子はずっとつらくさみしい思いをしてきたにちがいない。

 エヴァにできることは、この子と友だちになること。

 そこで、カノ語でたずねた。

 

「アナタ、トロモ?」

「トォ、ロ、モ」

 

 トロモはたどたどしく、小さな声で発音する。じっと、濁りない澄んだ剥き出しの目で、エヴァを見つめながら。

 

「ワタシ、エヴァ。エ、ヴァ」

 

 トロモはキーキー鳴き声をあげた。本人はなにかを伝えているようだが、言葉として聞き取れない。

 

「しゃべれないの? 名前以外」

 

 ピトッとトロモはエヴァによりそう。泣きそうにしている。見捨てられそうな子どものよう。

 

「あら、かわいい」

 

 なでてやった。

 ロロは恐れていた。

 

「ヤメナ、エヴァ。怖イヨ、トロモ」

「そんなことないわ。ねー」

 

 笑って言うと、トロモにキョトンとされた。

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