第31話 家事奴隷

 それからというもの、一日家事をさせられた。

 台所のかまどに火を起こして大家族の食事を作り、家中ぴかぴかになるまで掃除をし、大量の洗濯物を水場で洗う。

 家事はすべて家の妻や女の子たちが担当していた。



 台所の鍋をふくエヴァは、額ににじむ汗を、ゆったりした白い袖でぬぐった。服はこの家の妻のひとり、ロロからもらった。

 

「この家広すぎ。何時間掃除すればいいのよ」

 

 女物の白い服を着、頭に巻いた布で顔を半分覆い隠したノアは、てきぱきと野菜類を刻む。かまどの上の鍋の蓋を少し開け、手早く中に落とした。

 トマトのような赤く甘酸っぱい野菜を砕き、肉をとろとろに煮こんだスープ。

 いい匂いがふわりと漂う。最近あまり栄養を摂取できていないエヴァの胃腸がむずむず動き、ぐぅっと鳴った。いそいそと鍋をのぞきこむ。


「どのくらいでできそう?」

「まだだ。カノの料理は煮こみや蒸し物が多くて時間がかかる」


 かまどの熱気に、ノアも額の汗をぬぐった。

 台所には、ほかにも火がたかれたかまどがいくつかあり、蓋をした鍋が上に並んでいる。

 蒸し野菜や、蒸しパン、穀物の調理をしている。

 となりでは、ロロも料理をしていた。彼女はノアの料理に、大きな焦茶の目を輝かせている。

 

「ノノ、ドウヤッタ作ル?」

「うーむ。ノノか……」


 片言のオシラ語に、ノアはなんとも言えない顔をした。

 エヴァが適当に作った偽名は、お気に召さないようだ。

 

「ま、まあともかく、とってもおいしそう」

「だろ」

 

 おだてておいたら、彼は上機嫌に笑った。

 不意にうしろから足を蹴飛ばされる。

 

「痛!」


 振り向けば、中年の女二人が、仁王立ちで立っている。

 一人がエヴァの知らない言葉でぎゃんぎゃんわめいた。カノ語ではない。地方の方言のようで、ロロも普段その言葉を用いている。こういう田舎では、カノ語の教育はされないようだ。

 

(言葉はよくわからないけど、多分『サボるな』とでも言ってるんでしょうね)

 

 もう一人は鍋の蓋を開け、ノアのスープをさじですくい、舌をちろっと出して味見をした。

 みるみる顔をゆがませ、匙に残る熱いスープをノアに浴びせかける。

 

「わ」

「ちょっと!」


 彼女たちはエヴァたち三人をがみがみ叱った。

 言葉がよくわからないので、わずらわしいとか、腹立たしいとかいう感情以外起こらない。

 ロロは違うようだ。彼女はなにかを押し殺した表情をし、申し訳なさそうにぺこぺこと頭をさげている。

 

(『すみません、すみません』と言ってるわね、多分。さしずめ嫁姑かしら)


 そういう自分も、前世では常にあんな感じだった。


 


 洗濯は、ある建物の裏手の水場でする。水の入った大きな壺がいくつか置かれている場所だ。

 くすんだ石造りのその建物は、換気のためなのかいつも少し空いていた。中では少年たちが整列して座り、オシラ語の教科書を読みあげている。前方の壁には黒板のような、黒く大きな板がかけられていた。

 エヴァとノアを買った男が、黒い板の前で、白い石を使って字を書き、オシラ語で解説をしている。

 

「死後、男の魂は家族と神のいる天国へ昇り救われ、女の魂は地に埋まり苦しむ。女が救われたいのなら、男の家族になり、死後男とともに天国へ行け」


 宗教の授業だろうか。

 窓の外の水場にエヴァとノアはしゃがみ、服を棒で叩いて洗濯しながら、少年たちのその声を聞いた。ロロや小さな女の子たちも一緒だ。よその村から来た女たちも、ぺちゃくちゃしゃべりながら洗濯をしている。


「あの男、教師だったのか」

「女狂いで教師って、カノは終わってるわ。カノ終了」

「きみは結構言うよな」

「そう?」

 

 へとへとで腕にうまく力が入らない。やけくそで湿った洗濯物をバシバシ叩く。

 大量の服は、水を吸うとバカにならないほど重い。

 

「力使うし時間取られるのよ。洗濯って」

「まったくだ。もっと効率的なやり方がありそうなものだが」

「昔の人は大変だったのねえ。あ、前世のね」

「出たな『前世』」

 

 ロロは洗濯物を棒で叩きながら、男の子たちの音読に合わせ、オシラ語を口ずさんでいる。


「ロロはこうやってオシラ語を覚えたのね」

 

 ロロはこくこくうなずく。つらいだろうに、ほほえみを浮かべていた。

 

「好キ。オシラ語。勉強」

「あの男に直接教わればいいじゃない。

「女、勉強ダメ。役立タズ」

 

 彼女の影を帯びた伏目に、エヴァは胸が痛んだ。

 やっぱりエヴァの前世と似ている。同じようにこきつかわれ、けなされ、いろんなものをあきらめてきた。

 ノアも顔を曇らせている。ロロに聞かれないよう、エヴァにこそこそとささやいた。

 

「ところでいつここから逃げる?」

「逃げる?」

「こんなところにいたら大変だ」


 少し考えてみる。

 そもそも、ここへはなにをしにきた?

 

「……先生、しばらくこうしてみない?」

「なに?」

「わたし、女の人の爆発事件のことを調べにきたわけじゃない。ケンとかいう得体のしれないものも」

「そうだ。だからなおのこと」

「こうやって女の人にまじって生活してたら、そのうちわかるんじゃない?」

「それは……」

 

 ふと、ロロが大きな壺をのぞきこむ。

 

「エヴァ、水ナイ。行クヨ井戸」

「え?」




 ロロに案内され、女子どもみんなで黒い禿山のふもとまで歩いた。村で一番近い井戸がそこらしい。

 それぞれが桶いっぱいに水を汲んでから村にもどる。

 太陽がかあっと熱い。

 乾いた大地を一歩踏みしめるたび、エヴァは今にも倒れそうになる。


「重い……」

「持とうか?」


 桶を二つ担いだノアに訊かれるが、小刻みに首を振った。

 彼だって大変なのだ。

 途中、禿山にあけられた穴の前を通った。黒焦げの上半身裸の男たちが出入りしている。みな足に鎖をかけられ、固い表情で黙々と黒色の石の採掘をしていた。太陽の光にてらりと赤くきらめく石は、宝石の原石だろうか。

 誰も彼も鞭打たれ、怒られている。

 エヴァはロロにたずねた。


「あの人たち、なんで鎖を?」

「トナリ部族。戦。ドレイ」

「戦で負かした部族を奴隷にして働かせてるってわけ?」

 

 コクコクうなずかれた。

 

「男多イナラ石採レル。コキノダイヤ。オシラ人好キ」


 エヴァとノアは顔を見合わせた。

 コキノダイヤといえば、エヴァの指にはまっている赤い指輪ではないか。ノアがプレゼントしてくれた。

 オシラ人がコキノダイヤを求めるせいで、どこかで争いが起き、誰かが酷使される。

 気が重くなった。

 異世界は甘くない。人権という概念がないから。

 男は死ぬまでこき使われ、体を壊したらあの神殿にいた者たちのように、即ホームレス。ひもじさのなかで死んでいくのだ。

 女は……。


「ねえ、ところでロロは何歳なの?」

「15」


 おどろいた。

 

(わたしより年下じゃない。それなりに大きい子もいるのに)

「どうしてあの男と結婚したの? ずっと年上の……」

「オ金、親、結納金」

(親が結納金目当てでロロを売ったってこと?)

「ひどくない?」

 

 彼女の目はさみしそうだった。

 

「男生レタカタ、ワタシ」

「どうして?」

「男オシラ語勉強デキタ。オシラデ商売デキル。親ヨロコブ」


 絶望的な気分で、へとへとに疲れた女の子たちを見回した。

 

(こんなことが続いてたんだ。何年も。何百年も。この世界で)

 

 突然、遠くでドンっと鈍い音が響いた。


「なに?」


 ロロがはっと顔をあげる。

 

「ケン」

「え?」

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