第29話 人身売買

「エヴァ、エヴァ。起きろ」


 聞きなれた低い声に、意識がはっきりしてくる。体格のいい、きれいな顔の女がのぞきこんでいる。

 その人は、目をあけたエヴァを見てほっとしたようだった。

 

「ここは……」

 

 固い床から起きあがろうとすると、腕が動かない。両手首を鎖で縛られていた。目の前の女もだ。

 まわりを見渡すと、体を丸めた少女や女性たちが、同じように捕まっている。

 ここは大きなおりの中。鉄格子の外では、集まった男たちがニタニタしながら、値踏みするような目で檻の中を見ている。

 きれいな女は、周囲を見ながらため息をついた。

 

「競売のようだ」

「……ん? ていうか、あれ?」


 まじまじとその横顔を見た。見たことのある顔。安心できる顔。

 叫び声をあげそうになる。

 

(先生?!)

 

 女に変装したノアが激しく首を振った。

 エヴァは口をぱくぱくさせる。

 

(なんで女装してるの?)


 エヴァの唇の動きから言わんとすることを察し、ノアも口をぱくぱく動かした。


(聞くな。いろいろあったんだ)

 

 おりの外のむちを持った男が、カノ語で叫んでいる。


(奴がなにを言っているかわかるか?)

(うーん。ところどころしか聞き取れないけど)


 エヴァは耳を澄ませる。


「入った……いい『穴』……、……買え……」

(うわ)


 吐き気をもよおした。

 

(最低)

(カノではよくあることなのだろう。それよりラパたちはどうした? きみを頼むと伝えたのに)

(はぐれちゃった。彼らのせいじゃないのよ。きっと助けに来てくれる)

(そうか。なら助けに来てくれるまで辛抱だ。売られないように目立たないようにしておけ)

(え、ええ)


 立てたひざに顔を埋めた。髪の毛で覆っておく。

 ノアも同じ体制になった。

 エヴァのまどなりでは、白い服の若い女が小さな女の子をかばうように抱きしめ、震えている。

 ひざに額をつけながら横目でその姿を見ると、胸が痛んだ。

 こんな小さな子まで。

 

 母親は女の子を抱きしめながら、しきりに呟いている。

 

「ケン……。ケン……。お助けを……」


 あんなものにまですがって。

 檻の外の男たちは、揚々ようようと数字を叫んでいる。

 となりの小さな女の子に、指がさされた。

 まさかと思い、心がざわつく。

 ところどころ聞き取れるカノ語が、エヴァをさらにゾッとさせた。

 

「子供産む……、『穴』……若い……いい……」

「よい、あなた……売る……」

 

 檻が開く。

 入った男によって、小さな女の子はひきずり出されそうになる。母親が泣いて取りすがるが、鞭で打たれた。

 

(待ってよ)

 

 小さな女の子は泣きわめいている。

 

「おかあさん!」

 

 エヴァはひざを抱えながら震え、迷う。

 今、服の下のペンダントに、4枚ほどチップが収納されている。

 何にでも変身できる透明のチップ。

 木になれる深緑のチップ。

 怪しい漆黒のチップ。

 謎の石像が落とした、謎の赤いチップ。

 

(ここで一番使えそうなのは、透明なの)

 

 ノアがエヴァの様子を見て、ボソボソ話しかける。

 

「きみの考えていることはわかる」

「……」

「だが耐えろ。目をつけられるに決まっている」


 そのとおり。動いてはいけない。

 わかっているが、心のなかで声がするのだ。

 

(あんな小さな子が売られたらなにをされるか)

 

 エヴァが今ここであの子ひとり助けたところで、結局は別のところに売られるだけ。助けても無意味じゃないか。

 

(そうだけど、どうしてこんなことが許されるの? 許していていいの?)

 

 仮にエヴァは飛び出したとしたら、きっとエヴァは真っ先に売られる。彼だっているのに。

 

(先生)


 ノアをチラリと見る。彼は折り曲げたひざに顔を埋め、できるだけ目立たないようにしていた。

 そうだ。ノアと無事にオシラに帰るのだ。

 最優先は、自分と自分のまわりの大切な人だ。そうだ。それでいい。それでいい、はず……。

 少女は顔を歪め、のどの奥から絶叫している。

 

「おかあさん!」

 

 檻に入った男が少女を殴りつける。

 彼女はぐったりとした。

 

「しつけ……毎日……。へへへ」

 

 母親は声をあげてわんわん泣いていた。

 

「ケン! 爆弾して……わたし! ……この子……助けて!」

 

 母親も蹴られた。

 

「言うな……その名……!」

 

 エヴァは引き裂かれそうだった。胸が圧迫されたようで苦しい。


(どうしたらいいの? 本当にこれでいいの?)


 ああ。こんなとき彼女だったら。

 前世のテレビの中の、強くてかわいくてカッコよかった彼女。

 そういえば、敵の攻撃をひとりで受け、身を挺して怪人の攻撃から一般人を守っていた話があったな。

 ボロボロで今にも死んでしまいそうな彼女を、お供の馬や犬たちが止めていたっけ。

 

『キュアライダー。もう逃げなよ』

『わたしはみんなを守るの。わたしの存在する意味はそのことにあるから』

『もう十分だよ。きみは生き残って』

『自分だけよければいいと思っていたら、わたしの夢は叶えられない!』


 夢。

 わたしの夢はなに?

 みんなに認められたい。

 自分だけよければいいと思うような者を、誰が認めてくれるのだろうか?

 

(先生。ごめんなさい)

 

 手が縛られて使えないので、口でペンダントを引っ張り出した。


「おいエヴァ」


 ノアが眉根を寄せるのに構わず、口を使い、ペンダントに収納された透明なチップを取り出す。

 チップを歯でくわえ、ペンダントに重ねる。

 エヴァに勇気をくれた、彼女のことを想像しながら。


(力を貸して)

 

 体に蜘蛛の糸の塊のようなものが巻きついた。腕の鎖が消え去り、服装がピンクの短い丈のドレスに変わる。

 うしろに払った髪もピンク色。

 檻の内外の男も女も、みんなエヴァに見とれる。

 エヴァはにっこりと笑い、くるりと回ってみせた。ドレスのすそもひらりと回る。

 カノ語で、 「キレイ、ワタシ。買ッテ」

 ノアは頭をかかえ、ハーッとため息をついた。

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