第27話 ひとごろし

「#%>$+\ちゃんはかわいいなあ」


 と言って、さりげなく背中を触ってきたり、肩を抱いてくる年配の男性社員がいた。

 触れられるたびにゾッした。その人の精神性にも。そんな状況にいる自分の立場にも。

 

(この人、わたしのこと下に見てるんだろうな。ていうか『おれはまだイケる』とすら思ってそう)

 

 その年配の男性社員は、よく若い男性社員を怒鳴りつけていたっけ。小突かれたり、時には棒かなにかで頭を叩かれても、同期の彼はじっと耐えていた。

 一度、疑問に思って聞いたことがある。

 

「悔しくないの? あんなエロジジイにパワハラされて」


 するとこんな答えが返ってきた。

 

「べつに。当たり前だろ。向こうのほうが立場上なんだから」


 



(前世……!)


 そうだ。前世だ。今オシラのカノ領でさらされている状況は、前世に通じるものがある。

 恐れたように青ざめたラパは、おとなしくエヴァから手を放した。すると部族長の男はニタニタとして、再び脇腹のあたりをさすってくる。

 腹の底がムカムカとした。

 世の中の多くの人は、ここで踏みとどまって我慢するのだろう。自分も昔はそうだった。今は、変わろうと誓った。

 男のしわだらけの手を思いきり振り払い、突き飛ばした。

 

「さわんじゃないわよ!」


 ラパたちも、カノ公も、顔色が蒼白を通り越して土気色になっている。

 部族長はどこ吹く風で、やれやれとため息をついた。

 

「なんだよ。こっちはいい気分だったのに」

「使徒が場の雰囲気を壊して楽しいか?」


 ほかの男衆も敵だ。

 負けてたまるかと、エヴァは精一杯自分の知りうるカノ語で反撃した。

 

「ドウデモイイ! アンタ気分。不快ナノワタシ。想像シテ!」


 左胸を叩いた。

 男たちは不愉快そうだ。


「おれたちのほうが不快だ」

「こっちはおまえをもてなそうとしたのに」

 

(こういう人はいつもおれがおれがって、自己中心的なのよ。前世の兄さんも上司も、兄さまもそう)

「チガウ、モテナシ。イヤガラセ。イヤ感ジタ、ワタシ」

 

 男たちは心底不機嫌そうだが、エヴァはスッキリとした。胸が軽くなり、ふうっと息をはく。

 

(今のセリフ、前世の兄さんに言えればよかった)


 立場が上だろうと下だろうと、イヤなことはイヤだ。伝えなければ、永遠にわかってもらえない。

 すみにいる白い服の女や小さな少女たちが、そんなエヴァを静かに見上げている。ラパもだ。

 はるか遠くにある、手に届かないものを見るような目。こそばゆい視線だった。


「な、なに?」

 

 カイとシエルは戦々恐々としていた。


「ちょっとちょっと。状況悪くなっちゃったじゃん」

「うー。どうするんですか?」

 

 突如、カンカンカンと外からけたたましい鐘の音が鳴り響いた。

 男たちが即座に立ち上がり、武器を手にして外に出る。女たちは奥に隠れた。

 

「男どもは剣と槍とを取れ!」

「どうしたの?」

 ラパが、「隣の部族が攻めてきたらしい」

「ええ?」

「ヤバいんじゃない?」

「うー。逃げないと」

「エイベルさんのところに行きましょう」

 

 ラパはぼやく。

 

「クソ。だからもどりたくなかったんだ。カノの連中は命を大事にしねえ」

 

 入り口に向かっている途中、男たちがラパやカイやシエルを太い腕でつかみ、力任せに引きずった。

 

「男は来い!」

「わ」

「やめてよ」

「うー」

 

 気づくと、取り残されたエヴァは、年老いた男たちに囲まれていた。じろじろ見られる。

 

「えっと、あの。戦いに行かなくていいの?」


 老人だから免れているのだろうか。

 彼らは抜けた黄色い前歯を剥き出しにし、ニタニタしていた。エヴァにぬっと手を伸ばす。片言のオシラ語を口走りながら。

 

「カワイイ」

「キレイ」

「売レル」

「遊ボ」

 

 腕をつかまれ、ゾッと鳥肌がたった。

 

「いや!」

 

 老人たちを突き飛ばし、わき目もふらず外に逃げた。


 


 外は大勢の屈強な男たちが剣を合わせ、取っ組み合い、乱戦状態だ。その間をエヴァは駆け抜ける。

 男たちは、ありったけの力での殺し合い、奪い合っている。

 走りながら呆然とその光景をながめた。

 

(たしかに政情不安のイメージはあったけど、けどこんなに)

 

 どこかから、裂けるような甲高い女の悲鳴がした。

 いてもたってもいられず、身体の向きを変える。




 村の家に押し入り、男たちが金目のものを物色していた。

 家の前では、白い服の女が男にのしかかられている。手足をばたつかせ、もがいている。

 

「やめて!」

 

 上に乗っかる男に女は殴られ、ますます泣いた。

 男の頭頂めがけて、うしろから大きな石が勢いよく振り下ろされる。

 

「う」


 男はよろめいた。エヴァは石を持って見下ろす。

 

「最低」


 軽蔑でいっぱいだ。

 男はふりかえると、焦点の合わない目でエヴァをにらみつけて立ちあがった。

 エヴァは石を構える。戦ってやる。

 男がふところからギラリと光るナイフを取り出し、尖った刃先を突きつけてきたところで、闘志は恐怖に反転した。

 男はエヴァの肩を乱暴につかんだ。手の力は骨が折られそうなほど強い。怯んで石を落とした。

 武器がない。殺される。

 まわりの動乱も、男の動作も、異様にゆっくりに感じられた。

 手が自然と、持ち歩いていたふところのナイフに伸びる。

 ぼんやりと記憶が浮かんだ。ノアに稽古をつけてもらっていたときのこと。

 

『ナイフ術を教えよう。力が弱くてもナイフの不意打ちができれば強いぞ』

 

 まばたきをしたら、男の左胸にエヴァのナイフが突き刺っていた。どくどくと赤い液体を噴き出させながら、男は苦痛に顔を歪め、どさっと倒れた。

 

「あ……」


 人を殺した。殺してしまった。

 思考も感情も、ごっそり抜け落ちた。

 他の男たちが、血を流しながら倒れた男とエヴァに気づく。

 

「やったな」

 

 剣という剣が、エヴァに向かって襲いかかる。

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