第26話 外伝 女装の麗人
エヴァが旅立った日の晩。
きらめくシャンデリアのホールで、楽団の心地いい音楽に合わせながら、ロンは着飾った女と腕を組みステップを踏む。
あちこちから黄色い声があがった。
「皇太子殿下、ステキ!」
媚びる女たちにロンは満足だった。
パーティの参加者は女ばかりだ。壁のほうでソワソワ歩き回るノアをのぞいて。
「ははは。どうだノア、いい女ばかりだろう」
ノアはうわの空だった。今、重大な案件がある。俗な呼びかけなんか耳にも入らない。壁際のピカピカの床をぐるぐる歩きまわった。
(エヴァたちは無事にカノ領に到着できるだろうか)
「ノア、気に入った者はいるか?」
(大体あの地は乱暴者ばかりと聞く。同行すべきだったか? だが十中八九ロン殿下が文句をつけてくるだろう)
「ノアー?」
(彼女にしばらく会えなくなるのはさみしいな)
ピタリと足を止めた。
(……ちょっと待て。なぜぼくはこんなに彼女のことが気になっている?)
横からロンに軽く蹴られた。
「ノア、聞いているのか?」
ハッと正気にもどった。ロンが話していたことにすら気づいていなかった。
「すみません。仕事で心配事がありまして」
「なんだ。せっかくおれがおまえの妻を見つけるために国中から美女を集めたというのに」
ロンは不機嫌そうに、ふかふかの椅子にドサっと座った。そばのテーブルのワイングラスを手にすると、一気にあおる。
そこへ漆黒の髪に漆黒の瞳のハンナが、陶器のようななめらかな腕をノアの腕に絡ませた。
「ノア、踊りましょうよ」
今日のハンナの冴えた青のドレスは、黄味のない白い肌とよく合っている。どんな男でもみいってしまうことだろう。あいにくそれどころではないノアをのぞいて。
「すまない。今は気分じゃないんだ」
ハンナはつらそうに細い眉を下げた。
「つまんない。昔は三人でよく遊んだじゃない。殿下とノアとわたしで」
確かに幼い頃は、城の庭でロンやハンナとかけっこをしたり、かくれんぼをした。二人はいとこどうしで歳も近かったから、誰よりも親かった。
そばではいつでも三人の母親がニコニコと見守っていて、昼食やお菓子をくれた。
「将来ロンとハンナはいい夫婦になるわねえ」
「ノア、ふたりによく仕えるのですよ」
そんなことをよく言われたっけ。
あの頃は楽しかった。もう遠い思い出だ。
大人の今はやはりもっと重大な案件がある。
「ぼくたちはもう子どもじゃない。きみも大人になったらどうだ?」
ハンナはみるみる顔をゆがめた。白い顔を覆い、わあっと泣き出す。ノアはわけがわからず呆然とした。
「ノアのわからずや!」
華やかな女たちが何事かと視線を送るなか、彼女は走ってホールを出て行った。
そばで一部始終を見ていたロンは、深いため息をついた。
本来なら、近頃いちいち自分に逆らうノアなんか牢獄に放りこんでやりたい。あの生意気な女とも親しくしているようだし。
(だがハンナのためだ)
「ノアよ。ハンナが毎年乗馬大会で最も多くの花をもらうのに結婚しない理由はわかるか?」
「? さあ?」
やれやれ。仕事はできるくせにこっちの方面はどうしようもない男だ。
「おまえは女心がまるでわからぬのだな」
尊大な言葉は、ノアの胸にぐさりと刃のように刺さった。しかもピンポイントに心臓めがけて。
エヴァのことを言われてるかのようだった。
突然泣き出したり、『前世』だとか『きゅあらいだー』だとか、意味不明なことを口走ったりする。
(確かによくわからない。……だがこの人にだけには絶対言われたくない)
ロンはグラスを軽く回し、ワインの揺れを楽しんでいる。
「ハンナは女のなかでもわかっている女だ。心をつかんでおくことを勧めるが」
なにを考えたのか、急にクスクス笑いだした。ワインが波打っている。
「いっそ女にでもなってみれば、おまえも女心がわかるようになるかもな」
「……! それだ!」
天啓のようなひらめきに、勢いよく手のひらをこぶしで叩いた。
ロンや女たちに目をぱちくりされた。
「あ?」
夜が明けると、ロンのパーティに招かれた女たちは城の長い廊下をぞろぞろ歩き、帰ろうとしていた。のぼりたての朝日が大きなアーチの窓から差しこむ。
「昨晩は楽しかったわね」
「ねえ。お城に泊めてもらえたし」
「でも男の方がもうちょっといてもよかったんじゃない?」
二日酔いでフラフラのロンも、廊下を歩き回っている。眠たげなパジャマのハンナにつきそわれながら。
「おーい。ノアはどこだ? 宿泊部屋にもおらんぞ」
「ふわあ。ノアどこー? せっかくだから三人で
ヨロヨロのふたりを、うしろからすっと背の高い貴婦人が追いこした。つばの広い帽子の下には、簡単におしろいをはたき、簡単に紅をひいただけの、作り物のようにきれいな顔が隠れている。
ノアとハンナもつい見惚れた。こんなに美しい人はいただろうか?
貴婦人は足早に、出口へ向かう女たちの間を歩き去った。
均整の取れたうしろ姿をながめながら、ハンナは小首をかしげる。
(あれ? あのお顔……)
新鮮な朝日を浴びるオシラの城下町の片隅。人通りの少ない建物のかげで、たくましい男たちが荷台や馬車に荷物を乗せていた。
彼らはカノ語でおしゃべりする。
「オシラからカノは長い。盗賊に襲われないように注意しろよ」
「へえい」
「……もし」
不自然な甲高い声で呼びかけられ、男たちは顔をあげた。
帽子をまぶかに被った、背の高い美しい女が立っている。作り物のような顔も、均整のとれた体も、あまりにきれいなので、男たちは見惚れた。
女はしきりに咳き込みながら、不自然なかん高い声を出した。
「きみたち、カノまで荷物を運搬しているとか。わたしも連れて行ってくれないか? 駄賃ははずむ」
『貴婦人』は決して顔には出さないが、心のなかではとても満足していた。
(婦人になることで婦人の心がわかる。殿下に見つからずカノまで様子も見に行ける。一石二鳥だ。我ながらいい考えじゃないか)
男たちは次第にニヤつきだした。なまったオシラ語で応答する。
「アア。イイゼ」
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