第23話 火と水の地へ
太陽がかあっとまぶしく照りつける。
そびえたつ黒い山々を越えると、街にたどりついた。市場の露天に人が集まり、食糧や衣服、宝石などの売り買いをして、にぎわっている。雑然と石造りの白い住居も並んでいた。どれもくすみ、古びていて、今にも壊れそうな家もある。
エイベルの引く馬車でブツブツと本を読んでいたエヴァは、小窓から顔をのぞかせた。髪を後頭部でまとめ、パンツスタイルでいる。首からは紺青のペンダント。片手にはカノ語の本。
ここはカノ領の首都のコーカポリスだ。
(荒廃したオシラって感じ)
照りつける太陽に、右手をかざした。ノアからもらった、中指の指輪が光る。オシラの太陽より強烈な光だ。
エイベルは馬車を引きながら汗をダラダラかき、太い立派な首をさげている。足の動きはノロノロと緩慢だ。
「ふう。ふう……」
「ごめんねエイベルさん。もうちょっとがまんして」
山の間からは、エメラルドグリーンの海が見えた。そびえたつ黒く高い禿山の上には、パルテノン神殿のような古い石の遺跡が乗っかっている。
初めて見る景色に、ワクワクと心躍った。
「見て。遺跡があるわ」
景色を指差し、馬車の前の御者の席に話しかけた。席には長髪のラパが座り、エイベルの手綱を握っている。両わきには、ぼんやりしたカイと、華奢なシエルも。
「はしゃぐな。揺れる」
ノアの手配で、三人には護衛兼補助役、つまりお供として同行してもらうことになった。
「だってあんなに大きな遺跡、はじめて見たんだもの」
「古代はカノのコーカポリスが世界の中心だったから当然だろ」
「そうだったわね。ギリシャみたい」
「ああ。カノ公の名はグリシャだが?」
(噛み合ってるような噛み合ってないような)
時々、こんがり日焼けした上半身裸の男たちとすれ違う。かれらは汗をかきながら、大量の黒い石の入った荷台を重たげにひいている。石は片手で持てるくらいの大きさから、拳くらいの大きさまで、大小さまざま。太陽の光を反射し、表面がキラキラ光っていた。宝石の原石だろうか。
市場には、その場で石をひとつひとつ鑑定をしたり、研磨機で削り宝石として加工している店もあった。
「さすが資源の土地。ウィルとかいうのは?」
「ウィルだあ?」
「オシラにはいないけど、地方じゃ有名なんでしょ」
「ああ。ほぼ絶滅してる」
「え?」
カイが気の抜けた声で合いの手をいれる。
「百年前の統一戦争のとき、キング・ザカライアが駆逐政策をとったからねえ」
「なにそれ」
城の歴史の授業では聞いたことがない。
「ちなみにベオークだけかなり強いウィルがいたから、まだ森の奥で守られて残ってるよ」
「詳しいのね」
シエルが、「カイさんはベオーク出身でしたっけ」
「そうだったの? 教えてくれればよかったのに。そしたらこの前だってもっと……」
カイに小言を言うため、エヴァは身を乗り出した。馬車が揺れる。エイベルがうなった。
「むうう……」
「こら! おとなしくしてろ」
ふと、エヴァはすれ違う女たちが、みんな白い服に白い頭巾を身につけているのに気づいた。顔を出さず、小さな子供たちの手をひいて、男を避けるようにうつむいて道の端を歩いている。
そういえば、露天の売り子も男ばかりだ。
「女の人はお葬式でもしてるの?」
「カノじゃ当たり前だ」
ラパは力なくそう言い、嫌そうにため息をついた。
「もう二度と帰ってくるものかと思ったのによ」
シエルが、「そういえばラパさんはカノ領出身でしたよね」
「ええ? なんでみんな故郷のことをもっと早く教えてくれないのよ」
「……こんなところ、故郷じゃねえ」
いつになくつらそうだ。なにかあったのだろうか。
次第に、神殿のような高い石の城壁が現れる。ラパが見上げた。
「あれがコーカポリスの役場」
エヴァは身を引き締めた。
これから役場にいるカノ公と直接話し、正式に協力をあおぐ。事前に手紙は出していたが、現状なども聞いておきたい。
(いよいよわたしの出番だわ。クリス神父さまから二月ばかり、みっちりカノ語を教わったんだから)
クリス神父は博識で、なんでも知っていたし、なんでも教えてくれた。
(オシラからカノに到着するまでの一月も馬車で勉強づけだったし。なんとかなるでしょう)
城壁の門は、固く閉ざされていた。そばでは数人の門番たちがしゃがんでおしゃべりをしている。
エイベルが足を止めると、馬車の車輪も止まった。エヴァは降りると、まっすぐ門番たちのもとへ行き、話しかけた。
「カノ公、面談。ワタシタチ、オシラ来タ。王遣イ」
門番はけげんそうにぽかんとしている。エヴァは恥ずかしくなったし、焦った。
(あんなに勉強したのに、全然うまくしゃべれない)
横からラパが割ってはいった。
「カノ公だよ。事前に手紙を出したから伝わってんだろ」
クリアでゆっくりな流暢なカノ語。一人の門番がうなずき、門のなかへ入っていった。
「呼んできます。少しお待ちを」
ラパはあごをあげ、ちらっとエヴァを見た。得意げな表情で、こばかにしているようだ。
だから女は、とでも言いたげに。
エヴァは恥ずかしさと悔しさで、歯をくいしばった。ラパを張り倒してやりたいのをこらえる。
カイとシエルがエヴァをなだめる。
「まあまあ。ラパは現地人だし」
「しかたないですよ」
エイベルは前足で地面をかき、ふんっと鼻をならした。
「お調子者のイヌめ」
待てどくらせど、門は開かない。かあっとまぶしい太陽が照りつける。
「暑い……」
エヴァたちは汗をびっしょりかき、もうろうとしていた。喉も渇いた。
門のそばでは、まだ門番たちがぺちゃくちゃおしゃべりしている。エヴァはカノの言葉でかれらに話しかけてみた。
「カノ公、マダ?」
キョトンとされる。
「マダ? カノ公」
(目的語が前で、主語がうしろで……。もー。文法が難しい。発音も喉の奥から出すような声だし)
それを見たラパが、早口なカノ語でペラペラっとしゃべった。門番たちは合点が言ったようにうなずく。
ラパは得意げにエヴァのほうを向いた。
「カノ公はまだ来ねえのか? と言っておいたぜ」
どう見てもばかにしている。
エヴァは燃えるような気持ちでこぶしを握った。
(負けないんだから。絶対そのうちラパよりうまく話せるようになってやる)
門番が、ペラペラっとラパになにか答えた。
「……行ってる……視察…………公」
(うっ……。聞き取れない。クリス神父からあんなにトレーニングを受けたのに)
門番の話を聞き終わると、ラパは怒りだした。
「ああ? 先に言えや!」
「なんて?」
「『港に視察に行ってる』だってよ」
「ええ?」
「さっきは『呼んできます』って言ったじゃない」
「いないのを知らなかったのか? コラ」
「知らない、わたし」
門番は面倒そうに門に引っ込んだ。エヴァたちはどうしていいかもわからず、取り残される。
しかたなく、一行はあちこち歩きまわった。馬車だとなにかと目立つので、エヴァも歩いた。
さわがしい市場で、黒い山のふもとで、エメラルドグリーンの海が見える港町で、人々に聞いてまわる。
「ドコ、カノ公?」
無視されたり首をふったりされるなか、「あの山、教会」と、切り立った山の上の教会を指差された。
「ええ?」
歩きづめで足が棒のようなのに、あんなところまで登らなければならないのか。
木も草もはえていない、黒いゴツゴツした山道を、エヴァたちはヘロヘロになりながら登る。めざすは頂上の教会。
途中、教会から帰る下山者とすれ違った。話しかけてみる。
「ドウ、カノ公?」
「カノ公? 来てないよ」
「は?」
「街の博物館に行ってるって聞いたけど」
下山者は、眼下の石の建物が密集する街を指さした。エヴァたちは全身から力が抜けるようだった。
「はああ?」
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