第18話 花なし皇女対国一番の美女
ノアは腕をとき、エヴァを解放した。
「わたしはエヴァ姫に同意します」
「なっ」
ロンはのけぞりそうなほど驚いている。エヴァはノアをふりあおいだ。
「殿下が問題にあげることは、彼女が一人で敵の大軍に挑んだことや、殿下を守った功に比べ、
「なっ、なっ、なっ」
まわりの男たちも失笑した。
「同意以外、ほかになんらありません」
ロンは絶句した。エヴァは少し感動する。
(わかってくれる人もいるんだ)
女たちの視線は、ノアに釘付けだ。
「スチュアートさますてき」
「踊ってほしいわ」
ツカツカと、婦人の靴音が響く。
ノアのところへ、ひとりの黒髪の娘がやってきた。
「ノア、そんな人の味方なんてしないほうがいいわ」
「ハンナ。来ていたの?」
みんな、その娘の姿におおっと感嘆の声をあげた。
扇で口元を隠した、エヴァと同じ年頃の美少女、ハンナ・グレイ。つややかでゆたかな黒髪。輝く黒曜石のようなつぶらな黒い瞳。雪のような肌。銀糸で織られた上等なドレス。耳の上の、真紅の薔薇の髪飾り。顔はお人形のようにきれいだ。
「ハンナ嬢はいつ見てもお美しい」
「さすが、毎年乗馬大会でもっとも多くの花をもらう娘」
「花なし皇女とは雲泥の差」
ハンナのうしろから、貴婦人が現れた。
「ハンナはロンに会いにきたのですよ」
その人は、豪華な黒いドレスを着た、金髪に、黒い瞳の中年の婦人だ。胸をはり、背筋をピンと伸ばしている。たとえ千人の人間に紛れていても、目についてしまうような存在感があった。
「皇后さま!」
みなひざをついた。
「立って。今日は舞踏会ですから、礼は不要です」
貴族たちは立ち上がり、皇后の手の甲を取るとキスした。
エヴァは皇后の姿に圧倒された。
(お
皇后は、じろりと値踏みするようにエヴァを見た。
「賎女の子」
ぼそりと言われ、胸がしめつけられる。
(母さまが侮辱されてる……)
エヴァの母は、貴族出身ではない。本来、妃は決められた貴族の家から召されることが慣例になっている。
だが、皇帝がなぜか庶民の女である母を気に入り、慣例を破って宮中に召した。
(でも、負けないわ)
エヴァも意識して背筋をピンとはり、わざと堂々としてみせた。
ハンナはといえば、陶器のような白く細くやわらかい手を、なまめかしくノアの長い腕に回した。
「最近ちっともグレイ家に遊びにきてくれないじゃない」
エヴァは胸のおくがモヤモヤした。
(そんなきれいな腕で、先生に触らないで)
周囲がひそひそ話した。
「ハンナ嬢はサー・ノアとしたいしいの?」
「おふたりはいとこではなかった? それにロン殿下も」
「グレイ家といえば皇后さまの実家じゃない。それに代々……」
「……ああ。だからハンナ嬢は乗馬大会で花をもらっても結婚を断れるのね」
野次馬のなかのラパ、カイ、シエルも、ハラハラしながらエヴァを見守る。
「花なし姫様にゃ厳しい戦いだぜ」
「姫騎士、勝算は?」
「うー。がんばって」
組んだ腕とは反対の手で、ハンナは耳の上の黒髪をかきあげた。顔を斜めに向け、ノアに流し目をする。薔薇の形の真紅の髪飾りが、闇のような黒い髪に女らしさをそえている。
「見て。あなたのために新しい髪飾りも買ったの。カノ領産のコキノ・ダイヤ。似合う?」
真紅のダイヤモンド、コキノ・ダイヤ。南方で採集される貴重な宝石だ。炎を閉じ込めた石と言われている。
「……」
「わたしと踊ってよ。エヴァなんか相手にしてたら、あなたも変な目でみられるわ」
エヴァは落ちこんだ。
(そうよね。先生だって人目がある。それに国一番の美女のハンナが言うんじゃ……)
ノアはハンナを
「え?」
彼は片膝をついてエヴァを見上げると、手を取った。
「
「先生」
「あなたの勇気や、人を守ろうとする心に胸をうたれました。それともぼくでは役不足ですか?」
向けられる、春の湖面のような、グリーンのきらめく瞳。見つめあった。
周囲はまたしても、おおっと歓声をあげた。
飾りたてたハンナはつまらなさそうに、膝をつくノアを見ている。
物語の姫と騎士のような二人を見て、ラパはくるりと背を向けた。いらだちや、落胆や、あきらめが内混ぜになったような、少しばかり居心地の悪い気分だ。
「勝負あったな。帰る」
カイがニヤついた。
「ねえ、きみは姫騎士のこと……」
ラパは爪先でカイの
シエルが追いかけた。
「ぼくも帰ります。置いてかないで」
「おれも。十分食ったし」
三人は広間を出て行った。
エヴァはほほえみ、ノアの大きく、あたたかい手を軽く握った。
「もちろんです。よろこんで……」
横からバシッと、ロンの手がエヴァの手をつかんだ。
「おまえが踊るのはおれだ!」
ぞっとした。
「無理」
「音楽はどうした?」
「放して!」
ロンはエヴァの手を引っ張り、腕を組むと、無理やりダンスを始めた。
楽団はとまどいながら、演奏を始めた。皇太子の言うことには逆らえない。
エヴァは怒り狂った。
「放しなさいこの変態トンチキ!」
「トンチキと言うほうがトンチキなんだよ。つまり、おまえのほうがトンチキだ!」
ノアはいがみあう二人をながめながら、戦場で、倒れたエヴァに駆け寄るロンのことを思い出す。
(殿下は……)
ポツンと取り残され、しずんだハンナに、皇后が耳打ちする。
「ほら。ロンをとりもどしなさい。あんな賎女の子にとられて、悔しくはないの?」
皇后は、エヴァと言い争いながら踊るロンを、一心に見つめている。
「ん」
ハンナは黒い瞳で、呆然と立ち尽くすノアだけを食い入るように見ていた。
そのノアは、ロンに捕まり、強引に回転させられるエヴァだけを見守っている。
(どうしてあんな人なんか……)
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