第5話

日曜なのに、目覚ましより先に目が覚めた。


(……どんだけ健全!?)


リビングに降りたら、雅がテレビの前で体操してた。

ストレッチするたびに「うー、くそっ」とか言いながら顔しかめてるのは、たぶん思いつきで始めたせい。


「歩夢、今日は出かけるからな。ま、ダラダラしすぎんなよ?」


仕事じゃないのはすぐわかった。

仕事のときは「営業先がさー」って話すくせに、遊びの予定は絶対に言わない。


「ねぇ、とうさん。悪いけど、帰りにコーヒー買ってきて。あの粉のやつね」


「は? 出かけるっつってんのに、なんで俺が……コンビニで買えば? 俺、絶対忘れるし」


めんどくさそうな顔。でも、歩夢も譲る気はない。


(いや、こっちもめんどいし。それに……)


お金を貯めるって決めたばっかで、朝のコーヒーに小遣い使うのもアホらしい。


「じゃあメモ書いとくから、お願いね。はい、どーぞ」


「コーヒー」とだけ書いたメモを、胸ポケットにそのままねじ込む。


雅は避けようとしたけど、一歩遅れて――ポケットイン完了、って感じだった。


「マジかよ、おい……」


メモをチラッと見て、しかめっ面になる。

それでも、観念したみたいに小さくため息。


「じゃあさ、結衣ちゃんが起きたら、うまく言っといて。……頼んだぞ?」


言い終わるやいなや、足早に支度を始めた。

歩夢が何か思い出して、追加で何か言いそうな空気を察したんだろう。


(あっ……この逃がしてしまう感は……)


歩夢が口を開く前にリビングを抜けて、そのまま車へ。

数秒後にはエンジン音とともに、姿を消していた。


「いや、そこまで急がなくてもよくない……?」




雅の姿が見えなくなって、歩夢は外に目を向けた。


陽の光が庭を照らして、葉の隙間からこぼれた光がちらちら反射してる。

庭全体が、なんか無駄にキラキラして見えた。


(リープ前、徹夜したときにこういうの目にきたなー)


空気が吸いたくなって、ウッドデッキに出る窓を開ける。

でも、思ってた以上に冷たい風が顔に当たって――即、目が覚めた。


肌に刺さるってレベルじゃない。


「ひえっ、さむっ!」


声が漏れて、あわてて窓を閉める。


「やっぱり、榎本から連絡くるまで待とう。これ、無理だわ」


そこに合わせたみたいなタイミングで、家の電話が鳴った。


……一瞬、なんの音かわからなかった。


(この音、久しぶりすぎてエラー音かと思った)


いや、電話か。

自宅の電話なんて滅多に鳴らない。

まして日曜の朝とか、記憶にないレベルだ。


ちょっと躊躇してから、受話器を取る。


「……もしもし?」


受話器の向こうから、落ち着いた声。


「如月さんのお宅でしょうか?」


「あっ、はい、そ、そうです……」


誰だ?

声に聞き覚えはある。けど、妙にきちんとしてて違和感すごい。


「榎本ですけど、歩夢くん、いらっしゃいますか?」


「……榎本?」


口にした瞬間、ようやくつながった。

電話越しだと雰囲気違いすぎて、すぐに結びつかなかった。


「あ、榎本?! あはは……榎本だよね」


急に肩の力が抜けて、思わず笑いがこぼれる。


「電話って、慣れてないと緊張するよなー。ホント苦手でさ」


「あ? まあ、スマホ持ってなかったら、そうか」


「……まあ、いろいろあって、そんな感じだよ」


さすがの歩夢でも、リープ前はスマホを持ってた。

――けど、結局かかってきたことはなかっただけ。


「コンビニに着いたから、すぐに迎えに来てくれ。秒でな」


「わかった。このコーヒー飲んだらすぐに行くから、ちょっと立ち読みでもしてて」


「いや、秒でっていってん――」


ガチャ。


言葉を途中までしか聞かず、歩夢は電話を切った。


「フゥー、電話緊張するわー、セフセフ」




電話を切ると、歩夢はコーヒーを一口だけ飲み、急いでアウターを羽織った。


なにせ、あの榎本天外が家に来るって話だ。

それだけで、体がちょっと軽くなる。


玄関を出て、足取りも軽く歩き出す。

なんか、無意識にスキップしそうになってる自分がちょっと怖い。


クリスマス直前の日曜。

街にはファーとかポンポン付きの服を着た人たちがあふれてて、全体的に浮かれてる。


(華やかすぎるな……別世界かよ。ま、僕には関係ないけど)




コンビニの中、年末っぽいバタバタ感が漂ってた。

レジには客の列ができて、棚の間を人がすり抜けていく。


その一角、本棚の前で天外が雑誌を手に取り、ページをめくっていた。


歩夢は店内を見回し、すぐに天外を見つけた。

けど、声をかける前にその様子を見て足を止める。


天外は雑誌を片手で支え、ページだけをスッスと流し読み。

時折、目を細めたり、眉をひそめたり。

集中力高すぎて、近寄りづらいレベル。


(こういうときに声かけると、大体僕が悪い空気の元になるんだよ)


仕方なく、邪魔にならないよう隣に立ち、本棚を眺める。


手に取ったのは、テレビ情報誌。


表紙には『年末特番総まとめ!』の文字。

バラエティ、ドラマ、音楽、カウントダウン――


(年末のテレビ、やりすぎ感あるな……)


パラパラめくっていくと、思わず手が止まった。


『年末特番! 漫才キングス第1回大会、ついに開幕!』


(――来た……)


ド派手なロゴと、注目コンビの紹介がズラッと並んでる。

前評判もすでに相当盛り上がってるらしい。


ページを眺めてるだけで、胸が高鳴る。


(ここに並んでるメンツが、この先ずっとトップを走り続けるんだよな……)


この第1回が、後に伝説になるのを歩夢は知ってる。


(リアタイできるとか、まじでアツすぎ……)




しばらくして、読んでいた雑誌を棚に戻した天外が、ふと入り口に目を向けた。


その視線の先で、ちょうど振り向いた歩夢とバッチリ目が合う。

次の瞬間、天外は二度見して、盛大にツッコんできた。


「て、おぉーい!! なんでそこにいるんだよ!」


「いや、ちが……」


『ワロタらあかんで』の記事だけ読ませてって言おうとしたけど、

天外の呆れ顔を見た瞬間、口が止まる。


(……あー、そりゃ無理だわ)


「りょ、了解。はいはい、買います」


雑誌を抱えて、観念してレジへ向かう。




コンビニを出ると、ふたりはなんとなく並んで歩き出す。

天外の手にはコンビニスイーツがぎゅうぎゅうに詰まった袋。


「そ、そんなに一気に食べんの!?」


(いかにも、陽キャの高校生だな……)


「んなわけねえよ、残ったら弟たちの分な。持って帰るし」


天外は袋を軽く振って見せてから、その中から一つ取り出した。


「この、ちびケーキっぽいやつ。俺的には鬼推し。あとで一緒に食おうぜ」


歩夢は笑ってうなずき、少し間を置いてから口を開く。


「そういや、榎本。なんか話があって誘った感じ?

ただ初詣行こうってだけじゃないよね?」


軽いノリで聞いたつもりだったけど、天外は少し黙り込んで、言葉を探すように顔を伏せた。


「別に用があるわけじゃねえけどさ

……如月のことが、なんか不思議すぎてるっつーか」


「うん……ん? ちょっと待って、どういうこと?」


思わず聞き返すと、天外はそのまま歩夢をまっすぐ見た。


「……あー、そうだな。どんなやつなんだろうって思ってんだよ」


歩夢は軽く瞬きをする。


(なんで急に……下校するときから、様子変なんだよな)


「例えば、如月って誰と仲いいんだっけ?」


真剣な目で聞かれて、歩夢の頭に即浮かんだ答えはひとつ。


――友達なんて、いない!


さすがにストレートには言えなくて、苦し紛れに口を開く。


「友達? 学生生活でこの単語使った回数、たぶん片手で足りるんだけど」


さらっと返すと、天外は一瞬固まってから吹き出した。


「ウケる! いや、カウントするなよ! そんなやつ初めて聞いたわ!」


満足げに笑ったあと、指を鳴らして畳みかけてくる。


「じゃあ、もう一個笑える話! よーい、スタート!」


「は?」


天外の無茶ぶりに、歩夢は思わず目を泳がせた。


「……ええと。

友達って何かって真面目に考えてたら、定義に合わないやつがいて、気づいたら友達がまた一人減ってた。

――みたいな?」


「ははっ、ひねり効いてるな!」


天外は肩を揺らして笑いながら、やたら楽しそうな顔をしていた。


「なかなかやるじゃん」


歩夢は、まあウケたならいいかと思いつつ、心の中でちょっと謝る。


(……ごめん、それ配信中のコメントからパクったネタ)


天外は少し笑ったあと、ふと表情を緩めて、ぽつりとこぼす。


「ぶっちゃけ言って、俺、如月のことこの間まで気にもしてなかった。

……なあ、それっておかしすぎね?」


歩夢は軽く肩をすくめて返す。


「ちょっと、なに言ってるかわかんない」


(別に、おかしくないだろ……)




オモチャ屋の前を通りかかったとき、天外が思い出したように指を鳴らした。


「ちょっと買い物してくるから、ここで待っててくれ」


そう言って、迷いなく店に入っていった。


歩夢は外のベンチに腰を下ろし、なんとなく周りを見渡す。

街はクリスマスムード全開だった。


店の壁には松ぼっくりと赤いリボンのリース、ショーウィンドウにはベルやサンタのオーナメントがきらきらしてる。


「……リア充って、こういうの見るだけでテンション上がるんだろうな」


「ヘヘッ。また自虐ネタ考えてんのかよ」


つぶやいた瞬間、天外がすでに戻ってきてて、軽く返される。

買い物は即終わったらしい。


(……ま、こうやって誰かの買い物に付き合うのも、わりとリア充ってやつなのかもな)


ちょっとだけ前向きに考えた瞬間、ふと現実に気づく。


(――いや、外で待たされてるだけだったわ)


……リア充ポイント、ゼロ。




如月家に着き、玄関を開けるなり、結衣の明るい声が響いた。


「あら、歩夢、今日は美咲ちゃんじゃなくて……お友達を連れてきたのね?

うーん、なんだかすごく……オーラがあるわね、キミ」


「榎本ッス」


天外は軽く胸を張り、持っていた袋を差し出す。


「これ、鬼お……いや、美味しいんで、食べてください」


「あら、嬉しいわ! そっか、もうクリスマスだもんねえ」


「いや、クリスマス関係ないやつ!

で、ふつうに受け取ってるし!」


「だって、もらったら嬉しいじゃない?」


結衣は包装を眺めながらニコニコしている。

天外は「ま、喜んでくれたならいいっスよ」と満足げに頷いた。


「……喜んでるならな……ってもういいよ!」


歩夢が呆れる横で、結衣は包装を開けながら目を輝かせてる。


(……この人、ツッコむだけ無駄な人だったわ)


歩夢はため息をついて、天外に目線を向ける。


「……とりあえず、部屋行こう」


「あ、あーな」




部屋に入ると、天外は迷わず座って、さっそく切り出してきた。


「さっき決めたんだけどさ。実は、ちょっと如月に頼みたいことがあって――」


言い終わる前に、ドアがガチャっと開く。

顔を出したのは結衣だった。


「ねぇ歩夢、美咲ちゃん来てるわよ」


「あ、うん。了解」


天外は特に動じることもなく、軽く頷いて歩夢を見る。


「ま、続きはあとでだな。タイミング悪いし」


「うん、オッケー」


歩夢はドアを閉めると、そのまま美咲を迎えに向かった。

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