第4話

久しぶりの登校を終えた歩夢は、そのまま制服のままベッドにダイブした。


柔らかい布団に沈んだ瞬間、思考はほぼ終了。 これはもう、抵抗するだけ無駄なやつ。


そのまま意識がフェードアウトしていった。


一度だけ、結衣の声が聞こえて目を開けた気がする。

でも、まぶたはまじで重すぎて、気づいたらまた夢の中。


次に目を覚ましたときには、窓の外に浮かぶ月が、しっかり夜をアピールしてた。


「……夜中か」


静まり返った家の中で、壁掛け時計のチクタク音だけがやたら存在感出してる

遠くから、冷蔵庫の低い音もぼんやり聞こえてきた。




リビングに向かうと、テーブルの上にラップがかかった皿がひとつ。

その隣に、ちょこんとメモが置いてあった。


『おあがりよ』


――たぶん、歩夢に直接言いたかったセリフ。


(……おあがりよ? ……どっかで聞いたことあるやつだな)


ラップをぺらっとめくって、レンジにセットする。

温めスタートを押して、椅子に深く腰かけた。


電子レンジのブーンって音が、ほんのちょっとだけ眠気を吹き飛ばしてくれる。




温め終わったオムライスにスプーンを入れると、ふわっと立ち上る湯気が鼻をくすぐる。

ひと口食べた瞬間、想像とちょっと違う味が広がった。


「……あ、この感じ。そういや、かあさん、前にグルメ漫画ハマってたな」


リープ前の記憶がぼんやり浮かぶ。

たしか、その影響でいろいろレシピ試してたっけ。

たぶん、これもその流れ。


「まろやかさに、ほんのり酸味とコク……って、誰が美食家キャラだよ!」


ツッコみながらも、スプーンはノンストップ。

気づけば、皿はきれいに空っぽになってた。




腹が満たされて、ソファに体をあずける。

ちょっと横になったつもりが、気づけばまあまあな時間。


リープ初日の緊張感とか、いろいろ疲れが出たんだろうな。


(……ま、もう一回ちゃんと寝とこ)


軽く伸びをして部屋に戻る。


クローゼットから取り出したのは、昔お気に入りだったギンガムチェックのパジャマ。


(まさか、またこれにお世話になる日がくるとは)


袖を通した瞬間、ふわっと懐かしい空気がまとわりつく。


そのまま布団に潜り込んで、静かに目を閉じた。




――そして朝。


目覚ましよりちょい早く目が覚めた。

布団の中で軽く伸びして、そのままゆっくり起き上がる。


ベッドを抜けて、洗面所で顔を洗い、歯ブラシくわえたまま窓の外をぼんやり見る。


(リープ直後だし、予定ゼロ……

てか、前の高校時代もそんな感じだった気がする)


――そこでふと思い出す。


(そういや、とうさん。たまにノートでなんかやってたな)


寝ぐせを手ぐしでざっと直して、リビングへ。


「ねぇ、パソコンってリビングにないけど、とうさんの部屋?」


そう聞くと、こたつから雅が顔だけひょこっと出す。


「持ってないよ。年賀状くらいしか使わないし、買わなくていいって言ったの、お前だろ」


「あー……言ったかも。昔は使い道なかったしね、確かに」


じわっと広がる、驚きと軽めの絶望。


「……昔? このあいだの話だぞ。すぐ『昔』って言いたがるんだよな、最近の若者は。……まあ、俺もだったけど」


雅は苦笑しながら、肩をすくめて見せた。




「パソコンとカメラと照明……あと何がいる?」


冬休み、時間だけは無限にある。

でも、機材どころかパソコンすらない現実。


「詰んでるな……」


ぼそっと漏らして、もう一度考える。


いや、考えるまでもない。

まずは、ひとつでも揃えなきゃ始まらない。


「……バイトするしかないか」


ため息まじりに、ジャケットのファスナーを引き上げる。


機材集めには、まず資金。

つまり――バイト確定。


(悩んでも金は降ってこないし)


とりあえず家を出た。


冷たい空気が頬に刺さって、少しだけ頭がシャキッとする。

コンビニまで行けば、バイト情報誌くらいは置いてあるはず。




コンビニに向かう途中、歩夢と美咲が通ってた幼稚園が目に入った。


この時期になると、壁とか窓に手作りの飾りがずらっと並んでて、建物全体が大きな宝箱みたいに見える。


園庭の真ん中には、どっしりしたクリスマスツリー。

赤と緑と金色のオーナメントが光にきらめいてて、けっこう本格的だった。


園児たちの笑い声があちこちで弾けて、白い息が空に溶けていく。

寒いはずなのに、なんかぽかぽかしてる。


たぶん、クリスマス会が終わった直後。

サンタのプレゼント効果で、園児たちはニッコニコ。


「パパー! ツリーとしゃしんー!」


大きなプレゼントを抱えたまま、ひとりの園児がツリーに向かって駆けていく。

そのあとを、カメラ構えた父親と、ちょっと焦った感じの母親が追いかけていった。


(まあまあ危なっかしいな。子育てって大変そう)


歩夢は立ち止まって、しばらくその光景を眺めていた。


(……いや、違う違う。バイト探しに来たんだってば)


ハッとして視線を逸らし、足を踏み出す。




コンビニに急ごうとした、そのとき――

さっきの母親が、子どもの手を引いてこっちへ向かってきた。


歩夢の顔を見るなり、ぱっと表情が明るくなる。


「やっぱり! ねえ、君! あゆくんだよね!? 髪伸びたじゃん、うふふ」


「――杏奈さん!」


笑ってたのは、桐生きりゅう杏奈あんな

美咲の実の姉で、受験のときまで歩夢と美咲の勉強を見てくれていた。


年は10近く離れてるけど、ずっと気さくで話しやすい人だった。

その空気感は、今もまったく変わってなかった。




「おにいちゃん、これ見て!」


園服を着た幼児は、杏奈の娘の一花いちか

自分の体より大きなラッピングバッグを抱えてて、さっきからちょいちょいふらついてる。


(そりゃ転ぶよな、そのサイズ感)


「おおっ、それすごいな! サンタさんから何もらったの?」


「うーん、まだ見てないけどさ……きっと、ねいぐるみかな、ふふん」


一花は人差し指で鼻の頭をこすりながら、ちょっとドヤ顔を決めてくる。


「ちょちょ、一花ダメよ? それやめようねって、いつも言ってるじゃん、もう」


怒られた一花は、父親の一秀かずひでにプレゼントを預けて、杏奈にぎゅっとハグ。

それだけで、困ってた杏奈の顔がぱっと明るくなる。


もちろん、その2人をレンズ越しに見てる一秀も、ふつうに幸せそうだった。




「杏奈さん、一花ちゃんって年長さんくらい?」


「うんうん、来年はもう1年生よ。子どもの成長って、本当早いよね」


一花は無意識にまた鼻をこすって、ハッとしたように手を後ろに隠す。

ちらっと杏奈を見て、怒られるか様子をうかがう。


でも何も言われないとわかると、すっと視線を切って――歩夢にニヤリ。


「おにいちゃん、美咲しってる?」


「うん、一花ちゃんちに前、一緒に行ってたじゃん」


そう返すと、一花はまるい目をぱちくりさせた。


「えっ、そう? じゃあさ、つきあえばいいのにー」


「な……! ははは」


(美咲はそういうの、たぶん疎いのに。園児、わりと早いな)


歩夢はもみあげをポリポリかいた。


「なんだか、もう一花ちゃんにはかなわないみたいだな……。

てかさ、杏奈さん、幼稚園のクリスマス会って、みんな幸せそうでいいですね」


自分で言っといて、なんかむずがゆくなった。


「なにそれ。あゆくん、なんか大人っぽいこと言うようになったじゃん。感心感心」


「中身はふつうにおじさんかも。はは……ん?」


ふと気づくと、一花が笑顔で両手を歩夢に差し出していた。

……けど、何のポーズなのか、正直わからない。


とりあえず戸惑いながらも、自分の手をそっと重ねてみた。


「ええー! プレゼントなし? おにいちゃん、ダメダメくんすぎ! うけるー!」


一花はキャッキャと笑いながら、ツリーの方へ駆けていった。


「あ、ごめ……って、もう遅いか」


一秀も苦笑しながら、カメラを持った手を軽く上げて、そのあとを追っていく。


「じゃあね、あゆくん。次会ったときも、きっともっと大人になってるよね。頑張ってね」


「微妙だけど、やりたいことはあるし……うん、一歩ずつでいくかな」


杏奈が、あのときとまったく同じ動きで、こぶしを軽く握る。


それがなんか――今の自分にもしっくりきた。


(ちゃんと合うタイミングって、来るもんなんだな。知らんけど)




コンビニの自動ドアを抜けると、とりあえず店内をひと回りしてみる。


冷蔵棚の前で中腰になってる女子がいて、すぐに美咲だとわかった。


プリンのカップを両手に持って、真剣な顔で見比べてる。

ため息までついてて、けっこう本気で悩んでるっぽい。


「それ、どっち選んでもちょっと後悔するやつでしょ」


「えっ……あゆちゃん!?」


美咲がびっくりした声を上げて、口を開けたままフリーズする。

考えこんでるのか、ただ驚いてるだけなのか……空気が微妙に止まる。


「そんな顔されると、ナンパされて困ってる人っぽく見えちゃうんだけど」


って言った瞬間、美咲の表情がさらに困ったことになった。


「……? ナン……なに?」


美咲が首をかしげる。


(あ、やっぱ、疎いよな……)




「きみ、かわうぃーね! チョリース、A・Y・Uアユ、シクヨロ〜!」


ナンパって何?みたいな顔の美咲に、歩夢は未来で流行るチャラ語を全力でぶつけてみせた。


美咲は一瞬ぽかんとしたあと、みるみる頬を赤くして――そして吹き出す。


「ぷっ。あははは、意味わかんない!」


そのまま勢いよく歩夢の肩をバシバシ叩いてくる。


「うおーい! そんなに叩かなくても伝わるって!」


美咲の勢いに苦笑しながら、肩をさする。


「で、どうしたの、美咲?」


「……はー、おかしい」


しばらく笑い転げたあと、美咲は涙を拭って答える。


「杏奈たちがあとでウチに来るの。ゆるふわかア・ラ・モードかで迷っててさ」


美咲はプリンを両手で見比べながら、ちょっと口をとがらせた。


「ねえ、あゆちゃんはどっちのプリンが好き?」


このキャラ、意外といける気がして、もう一発かぶせてみる。

人差し指を美咲の顔のすぐ前でチッチッて振って、ちょっとドヤ顔。


「ノーノーノー。ザッツ・ロング」


「……は? それ、多分違うくない?

てか、ちょっと違うだけで、すごくカチンとくるんだけど」


美咲の急なテンションに、指が止まる。


でもお構いなしに、さらに言葉が飛んできた。


「どっちか聞いてるんだから、どっちかで答えればいいじゃん。なんでそこで変なこと言うの?」


追い打ちを食らって、思考がぐらつく。


「あー、その……ふわふわのやつと、えーっと……アレ?」


「そんなんだったらいい!

あーもう、いつも通りゆるふわ。特別感とか、気分的にいらなくなったから……」


美咲は睨みながら、息を吸い込む。


「あゆちゃん、そういうトコだから!」


(ひぃっ……なんて、ショートテンパーな奴だよ……あーちがう)


もう混乱。絶対に違うワードばっかり。


「デ、デスヨネー……あはあは、何それ、覇王色?」


「…………」


――スベりたおして白目案件。


棚からアルバイト情報誌を、ほぼ引き抜く勢いで手に取って、無理やり話を切り上げる。


「てことで、じゃあまたね、美咲」


「えっ!? ……あ、うん。じゃあまた明日」


(……明日?……美咲と約束してたか?)


モヤモヤは残ったけど、もう何も言わずに店を出た。




その日から、歩夢はDVDで繰り返し見たネタを、専用のノートに書き起こし始めた。


(もし、また動画を作る日がきたら――このノートが役に立つはず)


覚えてるネタを、とにかく書き出していくつもり。

もちろん、榎本天外のネタも、そのうちちゃんと入れてく予定。


「ちょっと違うだけで、反応は全然変わる。

……なんなら、怒ることもあるかもしれない。正確に書かないと、だな」


ペンを動かしてると、名作の工夫に何度もため息が出る。


(部屋から消えた解説本、読みたくなるな……)


ノートを書き込んでは、読み返す。

――思わずニヤリ。


「またこれに関係することやりたい。……ってか、やる!」


深く息を吸って、鉛筆を握り直す。


決意を固めながら、一つ一つのセリフをノートに刻み込んでいった。

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