第3話
校門の前で、
歩夢の1年のときの担任で、朝が壊滅的に弱いことで知られてる先生。
今日も当番とは思えないゆるさで、ぼんやり登校してくる生徒たちを見送ってる。
髪はくしゃっとしてて、目もうまく開いてない。
一言でいうと――全体的に寝起き。
歩夢は軽く会釈して、明るめの声をかける。
「おはようー、先生。久しぶりですね。校門の当番、おつかれさまです」
「……おはようございます……はい……あ、おつかれさま……」
返ってきたのは、やっぱり寝言みたいな声だった。
(いやまあ、この人が朝からシャキッとしてたら、それはそれで事件)
歩き出しかけたところに、ぼそっと声が飛んできた。
「……昨日も会ってるけど?」
思わず足を止めて、視線だけそっちに向ける。
「あー、そうだったんですね……」
ちょっとごまかすように笑って、肩をすくめる。
「今日は、未来からログインしました」
諸星は一拍おいて、ぽそっと返す。
「……あ、うん。そうね、今日は……未来からね。そかそか」
「再ログインだから、お知らせ読むのが……たいへ……いや、もういいです」
にこっと天使モードで離脱。
そのまま足早に校門を通り抜けた。
(……先生こそ、過去にログインしたようなボケっぷりだよな)
朝日が差し込む廊下を歩いてると、ふと窓の外に目が向いた。
空はめちゃくちゃ晴れてて、遠くの山がうっすら白くなってる。
(リープしても冬は冬か……まあ、当たり前)
そんなことを思いながら、教室の前で足を止めた。
扉はすでに開いている。
中では、見覚えのある生徒たちが、やけに楽しそうにしてた。
(……懐かしいのは、まあ確かか)
胸の奥に沈んでた感覚が、ちょっとだけ浮かび上がる。
――けど、それと一緒に、なんか引っかかる感じも戻ってきた。
(高校生活って、なんだったんだろ……足りないもんばっかだった気がする)
笑い合ってる生徒たちの輪。
そこに、自分がいたことなんて一度もなかった。
(リープ前は、あの輪に入れなかった。てか、入ろうともしなかった)
広がりかけた感情を払うように、小さく首を振る。
それから、自分に向かって無理やり笑ってみせた。
「ま、それは置いといて。この年って……榎本と同じクラスじゃないか!」
いわゆる、人気者ってやつ。
昼休みになると、いつのまにか天外を中心に人が集まって、このクラスは毎日わりとにぎやかだった。
静かに過ごしたい歩夢からすると、その空気はちょっとしんどい。
関わるどころか、起きてること全部、華麗にスルーしてたくらいだ。
(それに、僕の席に座ってる人がいたし! ……あれってなんでだろ?)
天外の存在感は、夏の終わりごろにはさらに増していく。
クラスの人気者ってだけじゃ足りなくて、気付けば、学年の顔みたいなポジションに座ってた。
その変化は――
卒業後もしばらく天外を知らずにいた歩夢にも、なんとなく伝わるくらいだった。
さらに――歩夢が見てきた未来。
天外は高校を出てすぐ、お笑いの世界へ進んで、
『コントキングス』で3度優勝、殿堂入り。
まじで、誰が見ても本物の天才だった。
歩夢がお笑いにハマったきっかけは、バイト先の店長のひと言だった。
「如月、接客で大事なのはスマイルだ! とにかく、笑顔。な? これ見て、まず笑ってこい」
そう言って手渡されたのは、まさかのDVD。
(……お笑いって)
手に取った瞬間、ため息が出た。
うるさいし、ガチャガチャしてるし、何が面白いのかすらわからない。
少なくとも、あのときの歩夢には。
でも、店長はやけにガチだったし、無視できる空気じゃなかった。
仕方なく持ち帰って、その夜。とりあえず再生。
(……流しておくだけでいいや)
ほんと、それだけのつもりだった。
最初は「はいはい、こういうノリね」って斜に構えてたのに、
気づけば――
(……笑ってた。ふつうに)
画面の中で、榎本天外が動きや言葉で、ちゃんと笑わせてくる。
(……なんなのこれ、すご過ぎない?)
それからしばらくして、安物のスマホで動画を作り始めた。
誰にも言えなかったけど、
なんで人って笑うんだろうって、めちゃくちゃ知りたくなってた。
たぶん――あれが、ハマるってやつだったんだと思う。
毎日、ノートパソコンに向かってた。
編集ソフトは何回も失敗して、そのたびに頭抱えて、テンプレ通りの挫折を踏んだ。
でも、それでもやめなかった。
続けてるうちに、だんだん見えてくる。
面白いネタには、ぜんぶキレがある。
ふざけてるようで、めっちゃ考えられてる。
とくに、榎本天外のネタは別格だった。
言葉の選び方も、間の取り方も、完璧。
観客の笑い声まで含めて、すべてが計算されてる。
なのに、そんなふうに見えない自然さがある。
「これ、オシゴトだから」
誰に言うでもなく、言い訳っぽくつぶやいて、
DVDを擦り倒すくらいにはリピートしてた。
配信では『元取りすぎ神』とか呼ばれてたっけな。
気づけば――
「榎本天外? 高校のとき、クラス一緒だったよ」
って、誰かにサラッと話してた。
内心、めちゃくちゃ自慢だった。
――当時は、ろくに知らなかったくせに。
(人って、ほんと勝手だよな。でも……そうでもなきゃ、生きてけないし。知らんけど)
(……ところで、僕の席どこだっけ?)
教室をぐるっと見渡す。
でも、どの机もピンとこない。自分の場所って感じが、まるでしない。
(……てか、誰かに聞くしかないか)
ちょっとだけためらって、近くにいた女子に声をかけた。
「あの、えっと……僕の席、どこか教えてもらっていいかな?」
相手の子は一瞬だけ目を丸くして、それから歩夢の後ろを指さす。
「え? 窓側の一番後ろだけど……如月くん、変なこと聞くのね」
「はは、やばい。山田くんいたら――スゴい勢いで座布団、引っこ抜かれるやつ」
(たぶん、まったく覚えてない子。
でも、変に詰められなかったし……セフセフ)
ようやく教室の隅、自分のパーソナルスペースにたどり着く。
椅子に腰を下ろして、慣れた動きで手首を握る。
そのまま顔を伏せた。
誰にも話しかけられずに、ただ時間が過ぎるのを待つだけだった。
――そう、思ってたのに。
次の瞬間、背筋にゾクッときた。
だらけた姿勢のままでも、はっきりわかる。
隣の席に、とんでもない存在感の生徒がドカッと腰を下ろしてきた。
「……!」
息が止まりそうになる。
一度目の高校時代。
まぶしすぎて直視すらできなかった気配。
未来でたまたま出会った作品に心を奪われて、
動画制作を始めるきっかけになった、あの才能。
ゆっくり顔を上げる。
そこにいたのは――若き日の榎本天外。その人だった。
(マジで本物?
いや、そりゃそうなんだけどさ。ヤバいだろ)
天外は屈託のない笑顔で、廊下側の生徒たちとしゃべってる。
彼のまわりには、自然と人が集まっていた。
みんな天外の言葉に耳を傾けて、その空気を全力で楽しんでる。
手振りまじりに昨夜のテレビの話をすると、教室中が一気に笑い声に包まれた。
誰かが冗談を言えば、すかさずツッコんで、さらに笑いを広げていく。
気づけば、教室の空気そのものが天外のものになってた。
(ていうか隣の席だったのか!?)
歩夢は動揺して、目線が泳ぐ。
その様子に気づいた天外が、きょとんとした顔で歩夢を見た。
「ん? どうした、如月。変顔の練習か?」
「いや……うん、あ、えっと……」
焦りまくって口ごもっていると、それをかき消すように、委員長の張り上げた声が教室に響いた。
「昨日、担任から言われてる通り、朝のショートホームはやらないで、体育館に移動ね!
二学期の終業式はじめるから、みんな移動ー!」
その一言で、生徒たちが一斉に動き出す。
天外は歩夢の肩を軽く叩いて、椅子から立ち上がった。
「ほら、行くぞ」
頭がまっ白なまま、ワンテンポ遅れて立ち上がる。
そのとき、天外がハッとしたように振り返る。
「……あ、そうだ、如月」
親指を立てて、ニカッと笑った。
「さっきの山田くんのやつ、良かったぜ。お前、なかなかやるじゃん」
(……ッ!
なにこのイケメン!)
「ふぁぁぁ」
「ねぇ、榎本。またそれー? ちゃんと寝てる?」
体育館へ向かう列の中で、天外のあくびに委員長が呆れ声をあげる。
「な。昨日、深夜ラジオ聴いちゃってさ。終業式で寝てたら起こしてくれよ」
「えー、うち知らないよ? マジでちゃんと起きててよね」
体育館に入ると、天井の高い空間に生徒たちの足音が響いた。
床からの音が壁にぶつかって、ふわっと返ってくる。
一斉に頭を下げると、マイクを手に取った校長が、やさしめの声で言った。
「はい、それじゃあ皆さん、座りましょうか」
その瞬間、全員が「終わった……」みたいな顔して、肩も視線もダウン。
(椅子に座らせると、超長いんだったよな。
……ていうか、先生たちもダウンかい!)
やさしい声に油断して、気づけば長話のコンボに沈められた過去がよみがえる。
全校集会が始まった体育館。
まわりが真面目モードに切り替わる中、歩夢だけは内心そわそわしていた。
榎本天外の学校コントには、名作がいくつかある。
中でも特に好きなのが、集会ネタのやつだった。
いま、その素材になりそうなリアル集会が進行中で、
天才の創作にバチッと影響しそうな空気が漂ってる。
――これは、期待しかない。
何列か前に天外を見つけて、どんな反応をするか様子をうかがう。
(……って、榎本寝てるし!
集会、関係なさすぎ! 早すぎるだろ、それ)
真後ろの席で、委員長が焦った顔で肩を叩いてる。
けど、天外はピクリともしない。
――そして、事件は起きた。
「エー、では私校長から、冬休みを迎えるにあたり、生徒諸君が大事にすべきことを3つ――」
「きゃんたまぶくろっ! ……ムニャ」
寝ぼけた天外の声が体育館に響いた。
どうやら「3つ」に反応したらしい。
静寂。
次の瞬間、体育館中に「フゥ…」という笑いを堪える息と、くぐもった笑い声が広がっていく。
「コラァ! またお前か、榎本ー!」
怒声が響いた瞬間、天外がビクッと肩を揺らした。
まだ脳が寝ぼけたままなのか、焦点の合わない目で周囲を見回す。
「んあっ……わっ……オイ、如月っ!」
天外が、反射的に歩夢に振ってきた。
「えっ!? ……僕?!」
あまりにも乱暴なパスだった。
雑すぎる。
押し付けるにも程がある。
受け取るのは、視聴者から「秒で返せる」と評され、早さだけが取り柄とよくイジられていた元配信者、歩夢。
「――じゃあ、霊界の小話をしたいと思います。……あのよー。……ンいや、無理っ!」
「なにがしたいねん!
ほんで誰っ、君?」
校長が間髪入れずにツッコんだ瞬間、体育館が弾けた。
あちこちで肩が震え、笑いが連鎖していく。
それは、みんなが笑いの海に一斉に飛び込んだような光景だった。
寝ぼけながら指名したのは、天外自身だった。
それがまさかの返しになって、天外は思わず息を呑む。
でも次の瞬間、目を見開いて口角をぐいっと上げ――
そのまま勢いよく校長に叫んだ。
「校長! 堪忍袋ですよ、堪忍袋!」
「ほんでまたお前か、榎本!
なんやその口角! 上げたらウケる思うなよ!」
――こうして、説教で全員が立たされるという、この学校史上最大の事件に発展した。
長すぎる説教で、貧血者が続出。
数名が保健室送りに。
(……諸星先生が一番はじめに運ばれてったっぽい)
ダルそうな顔の生徒たちが教室に戻ると、少し遅れて担任が入ってきた。
軽く頭をかきながら、そのまま教壇に立つ。
「えー、校長先生の長話があったので、特に話すことはありません。
事故に気をつけて、年明けも元気に登校してください」
それだけ言うと、担任は天外の方に目をやった。
「ところで榎本。補習になるの、お前だけみたいだな。
最後の小テスト、合格しないと冬休みがなくなるぞ。頑張れよ」
――そのとき、天外が一瞬こっちを見て、口元をニヤッとゆがめた。
(……今の視線、なんだよ?)
天外は机に手をついて、ふざけたノリで担任に話しかける。
「じゃあ俺、先生んちに泊まり込みますんで、お寿司の予約、頼みます。
あっ! 俺、中トロ入りじゃないとダメな体質なんで。
あー! それとゲーステしないと、かなりヤバいアレなんすよ……」
「いや、どこのわがままゲーム合宿だよっ!」
(……アッ、アー!!
つい反応しちゃった)
間髪入れずに言葉を重ねたのは、もちろん歩夢だった。
天外のそのボケは、リープ前に飽きるほど見たDVDと完全一致。
配信中、視聴者と何度も再現してふざけてたネタが――
そのままリプレイみたいに、目の前で展開される。
反射的に口をついたツッコミは、もう必然だった。
一瞬の静寂。
次の瞬間、教室が爆発したみたいに沸く。
体育館のときより勢いのある笑いが、ぐわっと広がっていく。
笑いが起きるまで、わずかなタイムラグがあった。
でも、そのズレが逆にいい感じのタメになって、さらに笑いを加速させた。
クラス全員が顔をくしゃくしゃにして、涙を浮かべながら笑い転げてる。
ただ一人――天外を除いて。
「おーい、お前ら静かにしろー!
榎本は……まあ、そういうことだから頑張れ。はい、日直は挨拶ー」
担任のゆるい締めで、教室の空気が一気にゆるむ。
椅子を引く音と、誰かの笑い声。
いつもの放課後が、ふつうに戻ってきた。
ショートホームルームが終わって、歩夢が立ち上がると――
クラスメイトが次々と声をかけてきた。
正直、ちょっと焦る。
(……なにこの、急な人気感)
慣れない空気に戸惑いながら、ぎこちなく笑って、なんとか返事を返していく。
くすぐったい気分のまま、ヘラヘラしつつ教室を出た――その瞬間。
天外が、勢いよく詰め寄ってきた。
「な、なあ、如月……」
声をかけようとしたその言葉を、別の声がぶった切る。
「あゆちゃん、おっつー!」
美咲だった。
隣のクラスから駆け寄ってきて、歩夢の背中をバシンと叩く。
「ん? あっ、天外くん、久しぶりー。一年のとき同じクラスだったよね」
「おー、東雲。元気か? なになに、如月と約束でもしてんの?」
「私は、年明けてすぐ初詣行くことになったから、その話だよ」
「お……それ、めっちゃいいじゃん。じゃあさ、俺も行くよ。いいだろ?」
「うんうん、大丈夫そ! みんなでイコー!」
気づけば、話は勝手に進んでいた。
歩夢は最初から蚊帳の外だったのに、当然のようにメンバーに入ってるらしい。
(……ていうか、なんも聞いてないけど)
仕方なく、割って入ろうとした、その瞬間。
「とりあえずさ――」
「じゃあ、まず俺が如月んち迎えに行って、
――それから二人で東雲んち行くって感じでいいよな!」
(……あ、ちょ、待って。年明けたらまた連絡するよ、って言おうとしたのに!)
その声は、天外の勢いで吹き飛ばされた。
「あと、なんかあったとき連絡するから、電話番号教えてくれ」
「は? いや、僕スマホ持ってないけど……」
「じゃあ家電あるよな? 教えてくれよ」
「あ、あぁ……まぁ……」
歩夢はためらいながら番号を口にした。
天外はそれを聞き取るなり、ノートの切れ端にメモして、満足そうに頷く。
「よし、それで決まり!」
「あ、ちょっ……」
言い終わるより早く、天外はさっさと去っていく。
(はい決まりましたー! って違う違う、誰もOKしてない!)
頭が追いつかないまま、歩夢は呆然と立ち尽くしていた。
美咲はそんな様子を見て、おかしそうに笑いながら、歩夢の肩をぽんっと叩く。
「どんまい、あゆちゃん!」
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