第9話

 ■■■


「よく来たな」


「突然すみません」


「構わんよ。彼女は本件の功労者だからな。無下むげにするわけにもいかん」


 随分質素なエントランスを抜け、通された部屋は会議室というより取調室のような部屋だった。


 事務机より一回り大きなデスクが中央に置かれ、左に一つ、右に二つ椅子が並べられている。


「本来なら自室でゆっくり話を聞きたいところだったんだが、今少し立て込んでいてな。この部屋で許してくれ」


「いえ。無理を言ったのはこちらですから」


「そう言ってくれると助かる。で」


 左側に腰掛けた柚須さんが私を見る。


 今日もきっちりスーツを着こなした彼女は一切の隙を感じない。


「あなたの話を聞こうか」


「ええと、柚須さんに聞きたいことがあるんです」


 椅子に腰掛けながら話を切り出す。


「例の踏み潰し事件、あれからどうなったんですか」


「うん?発生は止まっているはずだが?」


 何でも無いように答える柚須さんに思わず声が漏れる。


「それは、本当ですか」


「ああ。事実だよ。あれから奴は犯行を重ねていない。それは確かだ」


 こんなにもあっさり断言されるとは。


「その、根拠は」


「おい」


「いや、いい。彼女の気持ちも分からんでもないからな」


 柚須さんは病院で見たときよりも血色のいい顔をにんまりと歪める。


「そうだな。今あなたに提出できる根拠らしいものはあまりないが、現状を述べるならば私は奴に接触し、人を殺すなと言った。そして奴はそれを律儀に守っている」


「接触したんですか!?」


「ああ、実に面白い奴だった」


 連続殺人犯を相手にして面白い奴だなんて。


 どういう肝の据わり方をしているんだ、この人は。


「捕獲はもう済んだんですか?」


「いや、まだだ」


 班長の言葉に柚須さんが首を振る。


「そこに関してはなかなか頑固な奴でね、どうしてもあそこを動きたくないらしい。ただそのまま放置するわけにもいかないから折衷案として奴に対して食事をデリバリーしている」


「まさかこのまま放置するわけじゃないですよね?」


「当たり前だ。あれは今まで見てきたキメラとは明らかに違う逸材だ。逃すつもりは、ない」


 ギラついた目でそう言う柚須さんは、部屋のドアを顎で示した。


「外で騒がしくしていただろう。あれは奴の捕獲準備をしているんだ。少々規格外なんで時間が掛かってしまってね」


「監察官をもってしてもですか」


「ああ。あんなのは私も初めてだ」


 柚須さんは懐から拳銃を取り出すとデスクに置いた。


「……なんですか、これ」


 置かれた拳銃は銃身が大きくひしゃげ、もう二度と発砲することは出来ない鉄屑と化したその銃を柚須さんは指で小突く。


「奴に握り潰された。油断したつもりはなかったが、何をしても想像の上を行く奴でね。危うく私もこうなるところだった」


 つまり死ぬところだったということだ。


 それなのにこの人は意に介していないというのか。


「怖くはないんですか?」


 自分が路地裏で見た惨状さんじょうが脳裏をよぎる。


「死ぬかもしれないのに、なんでそんな風に笑っていられるんですか」


 次は無いかもしれないのだ。


 自分が死ぬかもしれないという恐怖はそう簡単に耐えられるものではない。


 それをこの人は笑みすら浮かべて、何でもないことのように言う。


 一体何が彼女を突き動かしているというのか。


「あなたは一体、なんの為にそこまで危険をおかすんです」


「なんの為、か」


 彼女は初めて考えるような素振りをして天を仰いだ。


「突き詰めて考えたことはないが、強いて言うなら自分の為だろうな。私はただ知りたいだけだ」


「知りたいだけ?」


「ああ。未知のものは未知故に恐ろしい。既知のものになってしまえばそんなもの、どうとでもなるだろう?もちろん私にだってただの人間だ。死の恐怖はある。だからといって逃げていてはいつまで経っても未知は未知のまま、恐怖は恐怖のままだ。だから私は逃げるつもりはないし、そんな自分は許容できない。それだけだよ」


 ああ。そうか。


 初めてこの人のことが分かった気がする。


 私はとんでもない勘違いをしていた。


 たとえ警察関係者ではなくても、市民の平穏のために動いているなら同じ志を持った人間なんだと思っていた。


 どんなバックボーンを抱えていても人は対話によって理解できるものだとおごっていた。


 こんな人、理解できるわけがない。


 この人の言い分は無茶苦茶だ。だって死が恐ろしいのは理解できないからだ。なら理解できるまで近付けばいい、なんてそんなのただ死に急いでいるようなものだ。


 その上で理解してしまえばどうとでもなる、なんて常人の考えることじゃない。


「他に聞きたいことは?」


「いえ、もう十分です」


「そうか。それは何よりだ」


 満足そうに頷いた柚須さんが拳銃だったものをホルスターに収める。


「では、私からもひとつ。あなたには妹がいるな」


「え?あ、はい」


「妹君がコンバートしたのはいつだ」


「……五年前、ですけど」


「そうか」


「あの、妹が何か───」


 ちょっと待て。


「柚須さん」


「なんだ」


「なんで茉央がコンバートしたことを知ってるんですか」


「悪いが少し調べさせてもらった。奴と話した時に妹君の話が出たんだ。自分と似ていると言うもんだから少し気になってね。そうしたらどうだ、妹君はコンバートをしているじゃないか。足首に二対の翼。いい趣味だな」


「……何が言いたいんですか」


 ざぁ、と頭に血が上っていく。


「最近、妹君の体に異常はないか?」


「っあなたって人は!」


 机を叩いて立ち上がる。


「何を言い出すかと思えば、殺人鬼のそんな戯言ざれごとを真に受けて!茉央が殺人鬼と似てる?そんなわけないでしょう!どれだけ人を馬鹿にすれば気が済むんですか!」


「大槻!」


 ずっと黙っていた班長が声を張り上げて睨みあげる。


「言い過ぎだぞ」


「っすみません」


 口をついた謝罪に唇を噛む。


 こういう時、体に馴染んでしまった慣習に流されてしまう自分が本当に嫌になる。


「柚須監察官、大槻の身内は―――」


「知っているよ。もういないんだろう?」


「ええ。こいつにとって妹は唯一の肉親です。それを殺人犯と同列に並べられたらたまらないでしょう。そこは分かってやってください」


「分かってないのはお前だ」


「え?」


 柚須さんが一枚の写真をデスクに滑らせ私の前に差し出す。


「この顔に見覚えは?」


 高校生だろうか、学生服を着てはにかむ少女の顔をじっと見る。


「いえ、見たことはありませんけど。あの、一体」


「彼女の名は大槻茉央。正真正銘、あなたの妹だよ」

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約束のカルマ 須和田 志温 @keyconi

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