第8話

 ■■■


 あの少年を商店街で見かけてからというもの、スタンパーこと連続踏み潰し魔の犯行は止まった。


 らしい。


 実際のところは情報が一切入ってこなくなったという方が正しい。


 捜査本部が解体されてからというもの、誰もあの事件についての話をしようともしない。


 まるで何事も無かったかのように平穏な日常とやらに放り出された。


 こんな薄気味悪いことはない。


「班長」


「どうした」


 残務に追われてパソコンを睨みつけていた班長が顔を上げる。


「あの、ちょっとお話が」


「話?」


「例の事件のことなんですけど」


 さっと顔色を変えた班長が渋い顔をした。


「その後、どうなったか知ってますか?」


「気になるか」


「はい」


 班長は困ったように唸り背もたれに体重を預けて腕を組む。


「私だって無関係じゃないんです。あの事件はどうなったんですか。知っているなら教えてください」


「そうだよなぁ」


 呟いた班長が少し考えた後、よし、と呟いた。


「大槻、今日この後時間あるか」


「この後、ですか?」


「ちょっと付き合え」


 そう言ってパソコンを閉じた班長が立ち上がって捜査車両の鍵を握る。


「田村、ちょっと出てくる。片付いたら先上がっていいぞ」


「了解です」


 同僚の田村がちらりと同情するような目で私を見て、すぐにパソコンに視線を戻す。


 もうとっくに定時は過ぎているのに捜査に駆り出されちゃって、とかそんなところだろう。


 何も知らないくせに。


 普段ならなんとも思わないそんな視線すら気に障るあたり、どうやら自分が思っているよりも気が立っているらしい。


 いや、焦っているのか。


 自分の知らないところで自分が関わった事件が動いていることに。


「大槻、行くぞー」


「あ、はい」


 さっさと前を歩いていく班長に慌ててついて行き助手席に乗り込む。


「あの、班長。一体どこへ」


「どこでもねぇよ。あそこでお前に延々問い詰められても困るからな。場所を変えようと思っただけだ」


 つまり。


「話を聞いてくださるんですね」


 班長は渋い顔のまま肩を竦めた。


「どうせ詮索せんさくするなって言ったって引かないだろうが」


「はい。まぁ」


「結論から言うと、あれからあの事件がどう転んでいるのか俺も知らない」


 班長は話を引き延ばすつもりはないのか、あっさりと核心を口にした。


「班長でもですか?」


「当たり前だ。考えても見ろ。俺は捜査本部に召集されてただけの人間だぞ。その捜査本部も解散しちまってる。その上キメラ相手の事件となればそれ以上のことは分からねぇよ」


「そう、なんですか」


 流れていく景色に目をやりながら呟く。


「お前あの人の連絡先聞いてないのか?」


「聞いては、います」


「じゃあ本人に直接聞きゃいいだろ」


「それはそうなんですけど」


「信用できねぇか」


「正直なところ、いまいち」


 柚須と名乗ったあの人が、猟奇殺人事件のプロフェッショナルだというのは本当なのだろう。


 ただ信用しきれていないというのも事実だ。


「実は一度連絡してるんです。犯人を商店街で見かけて」


「はぁ!?見かけたぁ?お前平気だったのか」


「あ、それは全然。柚須さんによればあの犯人、口封じとかそういうの全く考えてないらしくて。それが本当で、あの人の言っていたことは正しかったというのは分かってるんです」


 食料を奪うために人を殺す。


 そんな信じられないほど単純な動機を語った柚須さんの言うとおり、あの少年は目が合った私を気にすることもなかった。


 後を付けていたにも関わらず。


「でも結局どうなったのか分からずじまいで、班長なら何か知ってるんじゃないかと」


 本件より前、柚須さんと仕事をしたことのあるこの人ならと思っていたのに完全に当てが外れてしまった。


「成程なぁ。そういうことか」


 ハンドルを握って前を向いたまま班長は何度か頷く。


「お前の言い分は分かった。気持ちも分からんでもない。ただ、俺が何も知らないってのも事実だ」


「はい」


「だからお前の疑問を解決するために俺が出来ることはそう無い。大槻」


「はい?」


「スマホ出して柚須さんに繋げてくれ」


「え、でも」


「いいからいいから」


「……はい」


「スピーカーにしとけよ。俺が話す」


 スマートフォンを取り出して柚須さんの番号を呼び出す。


『私だ』


「監察官、矢崎やざきです」


 ワンコールもしないうちに繋がった電話口の声に、心なしか緊張したような声で班長が応える。


「今平気ですか」


『ああ。それよりこの番号はお前の部下のものだろう。彼女はどうした』


「大槻なら隣にいます」


『そうか。で、要件は』


「こいつが、例の事件のことで進展があれば聞きたいと。俺を当てにしてくれたんですが管轄がそちらに移ってるんで直接聞いた方が早いと思いまして」


『そうか。じゃあうちに来い』


「……はい?」


『話が聞きたいならうちに来ればいい。場所は知ってるだろう?守衛には通すように伝えておく』


 ■■■


「班長」


「ん?」


 天をくようにそびえる円柱を見上げ、班長の腕を突く。


「色々説明が欲しいんですけど、ここは一体何の施設なんでしょうか」


「あの人の自宅兼職場、らしい」


「らしい?」


「ああ。俺も一度来たきりだ。詳しい事情なんざ聞けるかよ」


「確かに」


 しかし、前から中央圏の端に随分背の高い煙突が立っているとは思っていたが、近付いてみるとこんなにも威圧感のある建物だったとは。


 周囲は塀で囲まれているし、入口の門扉には守衛室まで設置されてまるで刑務所のようだ。


 車から降りて舗装された道を円柱に向かって歩いていく。


 途中、駐車した数台の車に集まった十人ほどのスーツ姿の人達が忙しなく動き回っているのが目に付いた。


「なんか、物々しいですね」


「ああ。あれはあの人直属の部下だろうな」


「へぇ」


 無駄な動きがないといえばそうだが、それぞれが別の行動をしているにも関わらず、掛け声のたぐいすら一切聞こえないのがかえって不気味だ。


 まぁ、あの人の直属ともなればそんな不手際はできないのかも知れない。


「そういえば班長、柚須さんのこと監察官って呼んでましたね」


「ああ。そう名乗ってたからな。あくまでも自分は警察官じゃないってことなんだろ」


 確かに彼女は似たようなものだと言いこそすれ、警察官だとは名乗らなかった。


 だとしたら逆によく分からなくなってしまうんだけど。


 警察でもないのに警察官を従えて、猟奇的な事件を追って、キメラと呼ぶ犯人を捕まえて、こんな大層な施設までその管理下にある。


 まさか個人でこんな施設を所有してるわけでもないだろうに。


「おい。物思いにふけってないでそろそろ気ぃ引き締めろよ」


「え?」


「いるぞ」


 円柱のふもとに見えるエントランスに一人立っている人間が見えた。


 逆光で顔は見えないが、立ち姿から容易に想像できる。


 あの時病室で見た、不敵な笑みを浮かべる彼女の姿が。

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