第20話 意思と決断(前編)
季節は冬。厚着をしているにも関わらず、肌を刺すような冷気に目が覚める。特に露出している箇所にはより鋭く、霜焼けのような痛みさえ感じるようになった。こんなに気温が落ちているのに、登校している女生徒の中には頑なに制服だけで耐え抜く猛者もいる。
「寒すぎだろ…」
早朝は氷点下、日中でも二桁には届かないくらいだ。今時、冬に半袖短パンの小学生を見ることも滅多にない。彼女たちは寒冷地帯出身なのだろうか、キャッキャと会話に花を咲かせながら前を歩く。俺にはそんな耐性は持ち合わせてないので、早く教室に行って暖を取ろう。
高校までさほど遠くはないが、この時間の寒さは流石に堪える。途中のコンビニでカイロ代わりに買った缶珈琲は、まだポケットの中で仄かに熱を帯びている。この温もりが消えぬ前に校舎に入りたいものだ。
「もう12月か」
学期の考査も終えて、冬休みまで残りの学校生活を消費するだけの日々。この頃になると、年明けに行われる学力テスト対策に向けて殆どが自学習になる。俺は自席に着くと、必要な物だけを持って教室を後にする。
この学校での生徒会は何においても優先され、その他複数の委員会も、来年に向けて色々と準備をしなくてはいけない。特にこの時期は授業が行われないこともあり、最近は毎日会議と書類整理を行っている。内容としては部活連の予算案作成、申請書手続き、通年行事の精査などだ。
「幸ちゃん、これよろしく」
「おー」
辰巳は公務委員だが、組織図でいうと生徒会直下の委員会になるため、招集がかかった場合には同様に学業よりも優先される。年末というのはそれだけ忙しいのだ。背高く積まれた書類は、いくら捌いても減ることはなく中々に骨の折れる作業である。
「もう手慣れたものだね」
「まあな」
「今まで色々あったよ。その度に死にそうな顔してたけど」
「うるせぇ」
クスクスと笑う彼に対して、淡々と言葉を交わす。作業自体は単調だが、ミスがあると良くない。話半分に書類の山を片付けていく。でも、確かに色々あった。入学してから今に至るまで、様々な経験をしてきた。鷹原と出会い、厄介ごとを持ち込まれては巻き込まれてを繰り返す。
「でもさ、まだ一つ幸ちゃんにはやらなきゃいけないことがあるよね」
辰巳の問いかけに首を傾げる。関連する業務については、一通り片付いているはずだし特に何もなかったと思うのだが。かの恋愛大作戦も失敗には終わったが二人の関係は継続中だ。むしろ少しずつ進展しているように思える。
あれ以来、然とも話すようになり時折様子を伺っているくらいだ。アフターケアも欠かさない。当然、友人だから。考査も終わったし、あとは冬休みに向けてどう怠けるかを模索するだけだろう。
「生徒会、いつまで仮でいるつもりなの?」
「…」
手が止まる。この期に及んでも目を瞑り、答えを出さずに逃げてきた。これだけ関与しておいてずっと濁したままにもしていられない。そんなことは自分が一番わかっているというのに、未だに結論を出せていない。途端に俺が口を紬ぐと、辰巳は呆れたようにため息を長く長く吐いた。
「いつまでも保留できるものでもないんだし、少なくとも年越しする前には決めておかないと駄目だよ」
昔から、先延ばしにする癖がある。中学までは自分の意志や意見は持たず、周りの空気の波に逆らわずに生きてきた。それが一番効率が良かったからだ。だから自身で何かを決めたり始めたりしたことは一度もない。
現状、会員(仮)であることが証明している。鷹原が誘ってくれたから、自分で入りたい部活や委員会が無かったから。元を辿ればこの高校を選んだ理由だって、親と中学時代の担任に「目指してみよう」と言われたから受けた。十数年間、そうやって適当に生きてきたツケが回ってきたのだ。
「…ちょっと自販機で飲み物買ってくるわ」
「あ、じゃあ僕ミルクティーね。あったかいやつ」
「しれっとパシるなよ。買ってくるけど」
一階の自販機に向かっている時、朝買った珈琲を思い出した。一度教室へ戻り、コートをまさぐる。苦味だけが強く残る、冷え切った珈琲。さっき飲んでしまえばよかったと後悔しながら、一気に飲み干した。
空になった缶を持って、渡り廊下を出る。二台のうち、ミルクティーのある方へ硬貨を投入した。特に購入するものを決めていなかったので、舌が欲している甘いココアのボタンを押す。取り出し口から手を伸ばしていると、聞き馴染みのある声でこちらに話しかけてきた。
「やあ、今日は一段と冷え込む。私も丁度買いに来たところだよ」
「おや。君が神田くんかい?」
鷹原と同行しているもう一人の男子生徒。柔らかい雰囲気を纏い、ゆったりとした声色。直接話したことはないが、見たことはある。彼の名前は
「話は聞いているよ。鷹原が一目置いている子がいるとね」
「彼は私の懐刀ですから」
彼女は冗談を言うように笑いながら言葉を返す。俺個人としては、過大評価もいいところだ。頼まれた仕事を言われた通りにこなしているに過ぎない。その言葉を聞いた筒治は、ふっと微笑んで目をゆったりと細める。否定するよりも早く、筒治は口を開いた。
「信頼されているね。冗談めかしく言っているのは、彼女なりの照れ隠しだから覚えておくといいよ。」
「あまりそういうことを言わないでください…」
指摘されたことに、気恥ずかしさがあるのか顔を少しだけ赤くする。彼女が赤面した姿を初めて見た。いつもはメンバーをまとめ上げる堂々たる人が、会長と一緒にいるときは印象が大きく変わるようだ。なんだか得した気分になる。
自分が思っているよりも、彼は親しみやすいのかもしれない。三年生ということもあり、もう殆ど学校には来ていないそうで、今日は推薦書を受け取りついでに顔を出していくんだとか。もっと人に興味を持っていれば、交流も出来たのだろう。こんな積極性のない奴が、生徒会を背負えるとは自分では思えない。
「それにね。君が思っている以上に、彼女は抜けているところがある。だから僕としても、君にいてくれるのはとても誇らしいことなんだ」
「…俺が生徒会の正式な会員になったとして、その責務を全うできるか俺には自信がありません。周りの人達や先輩の助けがあってようやく何とかなっているだけです」
「信頼されているというのは、それだけで大きな武器だと僕は思うよ」
「そう…ですね」
その言葉に胸の奥が疼く。答えを出さないのは、その信頼を裏切ってしまう行為であることも自覚している。ここまで来ても、決断一つできない。これは難病だ。一生を掛けて完治させなきゃいけない。
今もまた、俺は口を開けずにいる。吐いた白い息は、すうっと寒空の中に消えていった。
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蒼い春と書いて。 蕙蘭 @sakkasibou
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