千物語「噺」

千物語「噺」 


目次

【おしゃべりはここまで】

【妹ちゃん我がまま】

【第一人者に、私はなる】

【炒豆に花を】

【ぼく、恋愛わかんない】

【おっす、オイラ極酷】

【「小ネタ×10」(1)】

【海辺の本】

【一枚が二枚】

【朝の騒音】

【お縄放免】

【人工知能の文豪】

【図星に帰る】

【一聴惚れ】

【静謐な怒り】

【梁の筵】

【子猫、荒ぶる】

【マンドレイクのうふふ】

【被害甚大】

【似非ソシスト】

【鬼視眈々】

【マムーン】

【静寂の狭間に】

【では仕事です】

【ワイノコ=トバ】

【何もかも】

【そうでしょうか?】

【下りてきなさいよ】

【腐れ落ちエンド】

【小石】

【小なる説】

【作家先生】

【「小ネタ×10」(2)】

【没の山】

【肢】

【矢面下暗し】

【クジラの証明】

【ひと思いに、十把一絡げにして】

【快楽遊戯】

【言い逃れ】

【無理筋だからです】

【切って貼って繋げるだけ】

【縁側で頬杖をつき童の語】

【染みは薄れど】

【赤龍】

【門前の小僧、招かれざるツワモノならば通す】

【名刀の由来】

【ユルドフは見張る】

【おわす】

【余白を食む】

【僕、バカでごめんなさい】

【私の気分は決まっているからね】

【「小ネタ×10」(3)】

【生かすも殺すも】

【和尚ですから】

【くちゃくしないで】

【疑心暗「記」】

【頭の油分】

【続行】

【餡子を包む手は厚く】

【業と魔】

【加護の中の蟻】

【ぽっかぽか】

【背を押す手は苦笑】

【差別でごめんなさい】

【夢の枕】

【黄金病】

【小ネタ×10(4)】

【無視だ無視】

【カカオードの秘奥】

【とある居酒屋の光景】

【「小ネタ×10(5)」】

【こじらせ】

【ちゅうぼう】

【よい子】

【審判の日はまた】

【友断ち】

【日替わり天才定食】

【カビと洗剤】

【アキコの飽き】

【ケースバイケース】

【キレイキレイ】

【ストロー】

【宵カ岳村不者発生事件】

【誤訳の談】

【瓦と玉】

【優柔不断はクサリ】

【早合点の談】

【地球、太る】

【未来幼稚】

【「小ネタ×10」(6)】

【余生】

【指輪の代償】

【隠タビュー】

【絶望代行人】

【謎っている?】

【不公正】

【個人同定該当範囲内】

【ハルミさんは優しい?】

【学者の死】

【「小ネタ×10(7)」】

【才能ないままねじふせる】

【悪の味方】




【おしゃべりはここまで】


「ルル君はピアニストなんだっけ」

「そうですよ」

「毎日どれくらい弾いてるの」

「多いときだと八時間くらいですかね。平均したらでも四時間くらいかもしれません」

「思ったより多くないんだね。あ、ごめん。プロのピアニストってほら。もう朝から晩までピアノ漬けみたいなイメージだったから」

「そういう人もいるとは思いますけど、僕はあまり身体が丈夫でないので。集中力もそんなに保たないし」

「ああそっか。集中している時間のほうが大事だよね」

「そう、ですね」

「惰性で弾いたら、それを身体が覚えちゃうわけだし」

「それはありますね。失敗を重ねると、失敗するルートを身体が覚えちゃうのは、むかしはよくありました。そのときは一日中弾きっぱなしで、物凄く練習していました。たぶん、却ってそれがよくなかったのかなといまは思いますけど、でもどうなんでしょう。そういう経験があったからこそいまがあるので、僕には何とも言えません」

「失敗も一つの学びだものね」

「はい」

「そうだ。私、いつかプロの人に訊いてみたいことあったんだ」

「ピアニストにですか」

「ううん。何かのプロに。お金を稼いでいるって意味のプロではなく、正真正銘のプロフェッショナルの人に。たとえばさ、もしルル君の弾いた曲を聴いて誰かが不幸になるとしたらどうする」

「不幸になる……それはどれくらいの不幸なんですか」

「大事なものを奪われてしまうの。ルル君の曲を聴くたびに、その誰かは人生で培ってきた大事なものを失くしてしまう」

「それは嫌ですね。聴いてもらわないように頼むとか。僕が引っ越して済むならそうしますけど」

「でもルル君がピアノを弾けば弾くほど、そういう人たちがたくさんでてきちゃうの」

「まるでそれは呪いみたいですね」

「そうかもしれない。ルル君はどうする? それでもピアノを弾く?」

「要約してみてもいいですか」

「どうぞ」

「僕にとってピアノを弾くことは生きることと同義です。幸せと同義です。つまり、僕がじぶんの幸せを求めると不幸になる人たちがでてくる。そのとき僕が、じぶんの幸せを手放せるのか。これはそういう仮のお話ですよね」

「うんうん」

「孤島で弾いてもダメなんですか」

「ダメだね。ルル君がピアノを弾いてしまうと、どこかの誰かが不幸になっちゃうの」

「だいぶ理不尽なお話に聞こえますけど」

「でも、ないとは言い切れないでしょう」

「ないと願いたいのですが。そうですね。僕はそれでもピアノを弾いちゃうと思います」

「他人の不幸よりもじぶんの至福を選ぶんだ?」

「いや、どうでしょう。僕はたぶん、他人が不幸になっている姿から目を背けて、知らぬ存ぜぬを通してしまう気がします。それは仮の話ではなく、いまもそうです。僕が温かい部屋でピアノを弾いているとき、この世界のどこかでは僕が一回の公演で手に入れるお金で救える命が、毎秒毎分亡くなられています。僕がその人たちの境遇に目を向けて、手を差し伸べれば救えたかもしれない命です。でも僕はそうする時間を惜しいと思って、ピアノを弾くことを選んでいます。同じですよね、たぶん。カリンさんの問うている問題と、僕の日常は、根っこでは通じていると思います」

「それを言われちゃうと、誰にも当てはまっちゃう話になっちゃうね。困っちゃったな。カリンさんもじゃあ、他人の不幸をどうにかするよりもじぶんの至福を選んじゃっているわけか」

「でもどうなんでしょうね。じぶんの至福を選んだからほかの人たちが不幸になっているのか。そこのところはハッキリしていないので、やっぱりカリンさんの喩え話と、僕のだした例はかけ離れているのかもしれません。お門違いな返答をしてしまってすみませんでした」

「ううん。きっとほかの百人のプロに聞いても返ってこなかっただろう、ルル君だけの返答を聞けて、カリンさんは満足だな」

「そろそろ幕が開けますね」

「ルル君ごめんね。せっかくの休日に私なんかの頼み聞いてもらっちゃって」

「ピアノは午前中に弾いてきたので気にしないでください。僕も最近は早くカリンさんの声が聞きたくて、つぎはいつお会いできるのか楽しみにしているんですよ」

「まっ。このコったらカリンさんを喜ばせたな。つぎも誘っちゃおう」

「楽しみにしていますね」

「もし私が不幸になったとしても」

「え?」

「ううん何でもない。ルル君、ピアノ弾くのやめないでね」

「はい。カリンさんも、僕のことよりカリンさんの幸せを優先してください」

「そうするよ。だからつぎも誘っちゃお」

「始まりましたね」

「しっ。ルル君。おしゃべりはここまで」




【妹ちゃん我がまま】


「お帰り。どうだった」

「お姉ちゃんの顔見ると安心する」

「ありがと。で、どうだったの合宿」

「うん。もうね。一刻も早くお家に帰りたかった」

「ありゃりゃ。その様子だと諸々の出来が芳しくなかったようで」

「内容はむしろよかったよ。天才育成塾なんて胡散臭いと思ってたけど、集まった人たち本当にみんな天才だった。すごいよ。瞬間記憶の人とか初めて見た。でも映画みたいに本当に細部まで憶えてるわけじゃないんだって。そりゃそうだよね。人間の視力ってカメラみたいに視界すべてを網羅していないわけだから。原理的にカメラみたいに憶えるなんてできるわけないんだ。そういうことを科学的に分析しながら進められたのはよかったと思う」

「じゃあ何がよくなかったの」

「うん。いろんな分野の天才児たちが集まってたんだけど、天才とか抜きにやっぱり人と人との交流って疲れるよね。話が合わないのもそうだし、人それぞれに何に引っかかって、何に拘り、何に怒れるのかって違うわけじゃない」

「そうね」

「その点、お姉ちゃんはいいよね。すごく安心する」

「ありがとう。妹ちゃんにそんなこと言ってもらえてお姉ちゃんハッピーだな」

「でね。美術関係の天才とかもいて。科学のもか。数学とか。もうね、悟っちゃったよね」

「天才をいよいよ超えちゃった?」

「そうじゃなくって。わたしごときに判る天才なんて、しょせんは一般人の範疇だったんだなって。あのねお姉ちゃん。みんなは私のこと天才って言うけど、全然違うから。天才なんてね。もうね。なんも解らんよ。理解できない。この人天才ですって言われても、どこが?ってなっちゃう。その人の作品見てもそう。どこがどうすごいのか全然分かんない。で、その人が休憩中に遊びで創ってる品とか見てようやく、【えっ。すごいかも】ってギリ判る感じ。その人の本気の世界観なんか直でぶつけられてみなよ。なんも解んないもん。響かないし、ノイズになっちゃう」

「よっぽどすごい体験してきたんだねえ」

「そうなのかな。スッキリしたのはそうかも。あ、わたしお姉ちゃんにヨイショされてたけど全然だったわって知れたのはすごくよかったと思う。正直安心したもん。ああもう天才ぶらなくていいんだって」

「重荷だった? だったらごめん。お姉ちゃんは妹ちゃんのこと、天才だから好きなんじゃなくて、好きな妹ちゃんがあたしだけじゃなくみんなにとっても大切な人なんだって思えたからうれしくなっちゃって。でも妹ちゃんがそれで嫌な思いしてたんならやっぱり嫌だな。ごめんね。ごめんなさい。お姉ちゃんが間違ってた」

「そうじゃないよ。お姉ちゃんはわるくない。ただ、みんなが言うほど天才ってそんなにすごくないなって。というか、天才ってね。全然天才じゃないから。あれね。絶対本人困ってるよ。ギフテッドなんて言うけど、全然ギフトじゃないよ。足枷だよ。鎖だよ。本人がよろこべる程度の能力はね、残念ながら天才じゃないんだなって今回の合宿で思い知った。じぶんの狭い了見にガッカリした。こんなことにも気づかなかったんだって失望しちゃったなじぶんに」

「そっか。大人になったんだね妹ちゃんは」

「おとなじゃないよ。子どもだよ。オコチャマだよ。何も分かってない」

「それだけ解ってたら充分大人さ。お姉ちゃんを見てごらんよ。妹ちゃんがオコチャマならお姉ちゃんは赤ちゃんさ。ばぶー」

「お姉ちゃん可愛い」

「こんなに大きな赤ちゃん、お姉ちゃんは嫌だな」

「でもわたしが赤ちゃんだったら?」

「かわいい。え、かわいい。ふしぎだね。それは全然オッケーです。本気でお世話しちゃう。オシメ変えちゃう。おしっこかけられても怒らないでいられる自信あるよ」

「それはちょっと……」

「うわドン引きされた。ごめんごめん。冗談だ。いまのはじょーだん」

「だといいけど。でもあとでママとパパにも言うけど、もうあの塾には行かないことにした。能力高めてもいいことなさそう。わたしはわたしのままでいたい。お姉ちゃんの妹で、ときどきただの女の子」

「何者でもない子?」

「何者にもなれちゃう子。わたしはママの娘だし、パパの娘。お姉ちゃんの妹で、きっと誰かの恋人にもなれちゃう」

「それは気が早い気がするな。お姉ちゃんは認めたくないよ」

「でもかってにするもん。お姉ちゃんがわたしのことどう思ってもわたしはわたしなんだなって。天才じゃなかったって判ったら悟っちゃった」

「まあでも。妹ちゃんがスッキリしたのなら、大枚叩いただけのことはあったな」

「え。入学金ってお姉ちゃんが払ったの?」

「そだよ。前金で」

「いくら?」

「妹ちゃんは知らなくていいことだよ。気にしなくっていいよ」

「前金でってことは、あとでまた払わなきゃなの?」

「うんみゃ。キャンセル料は取られるだろうけど、半分くらいは戻ってくると思うよ」

「まだわたし、一回しか行ってないのに」

「大丈夫、大丈夫。もう充分元はとれたから。妹ちゃんのスッキリしたお顔を見れて、お姉ちゃんは満足だな」

「お姉ちゃん……」

「感動した?」

「重すぎるよ。気持ちが。お金はもっと大事に使お?」

「あたしの稼いだ金だもの。何に使ったっていいでしょ。妹ちゃん我がまま」

「そこは怒るんだ」




【第一人者に、私はなる】


「つまるところ警察の活躍しない世の中のほうが平和だってことですね」リコ教授が話を結んだ。講義室を見渡す。

 ようやく質問タイムだ。ここで手を挙げれば教授に疑問を投げかけられる。

 私は手をピンと伸ばす。

 教授が手を差し向ける。

 私は席に座ったままで声を張った。

「平和な世界なら警察はいりませんか」声が震えた。

「面白い質問ですね」リコ教授が肩まで伸びた髪の毛をいじくる。考えるときの仕草だった。「わたし個人の意見としては、それでも警察のような治安維持組織は社会体系を維持するうえでは不可欠だと考えます。ただし、その役割はいまよりもっと穏やかでこじんまりとしたものになるでしょう。弁護士や検事との区別がつかなるかもしれません。平和な世の中ならば滅多に刑事事件は起きないでしょうし、それこそ猫が脱走しただの、離婚だの、近隣トラブル程度の揉め事の対応が主な仕事になるかもしれませんね」

「それはまた穏やかですね」

「それはそれでたいへんでしょう。機械による補助を得ても、現代の労働がけして楽になったわけではないのと似た問題がつきまとうように思います」

 リコ教授の冷めた語調に顔が火照った。

 講義の終了を報せる鐘が鳴った。

「ではきょうはここまでとします」

 生徒たちががやがやと講義室をでていく。

 私はみなが出ていくのを待ってからリコ教授のもとに向かった。教授は電子黒板に書きこんだきょうの分のデータを自前の記録媒体に移していた。

「教授。さっきの質問のつづき、よろしいですか」

「いいですよ。どこが気になりましたか」

「さっきの話、逆説って成り立ちますか。つまり、平和を築くうえでは警察の権力を向上させるよりもむしろ、人々が問題を起こさずに済むような豊かな社会を築くほうが遠回りなようで一番確実な策に思えるのですけど」

「よい点に気づきましたね。それはつぎの講義で話すつもりの題材です。権力と秩序は必ずしも相関して築かれるものではないのですね。混沌に秩序を築くうえでは権力が有効に働きます。ただしある閾値を越えて秩序が築かれると、むしろ権力の集約は秩序を揺るがせる方向に働くことが多いようです。次回はその辺を、歴史による統計データと比較しながらお話ししますので、ぜひ聞いてみてください」

「楽しみです。あの、いまのお話を聞いて似ているな、と思ったことがあるのですけど」

「なんでしょう」

「誰もが健康を維持できる社会を築くには、についてなんですが」

「医療制度の問題ですか」

「はい。警察の出番がすくないほうがよいのと同じように、お医者さんの出番も本来はすくないほうがいいと思うんです」

「なるほど。それはそうですね」

「さっきの話と同じで、医療制度を充実させることは最初のうちは有効なんでしょうけど、でも一番は、誰もが病院にかからず済む状態を維持できるほうがいいと私は思うんですよね」

「ええ。どうぞつづけて」

「それで、そのためには衣食住の水準をいま以上にあげられると好ましいですし、やっぱりそのためには貧富の差というか――生活水準の差のほうを失くすほうが優先されるように思うんです。できるだけ多くの人たちが、最も豊かな人との生活水準と大きな開きのない世の中というか」

「貧富の差よりも生活水準の差のほうが大事。この視点は新鮮ですね。あなたは卒論のテーマは決めましたか」

「まだですけど」

「もし困ったら、それをテーマに卒論を書いてみてほしいと個人的にですが、興味を引かれました。要望ではなくあくまで感想にすぎませんが。いえ、出過ぎた意見でしたね」

「そんなことないです。うれしいです。ありがとうございます」

「病院と警察の話。共通点が多いのは面白いです。そしておそらく双方の機関がけっして社会にとって不必要にならないこともまた共通していますね」

「そうですね。人は絶対に死にますし、対人関係での揉め事は起こるでしょうから」

「ということは、健康的な社会や平和な社会にも、これ以上はもう無理、という極限が存在する可能性を、この話題は示唆しているかもしれません」

「そんな壮大な話題ですか」

「わたしには壮大でない話題が思い付きません。じぶんがなぜ存在するのか。きょうの昼食に何を食べようか。すべて壮大な話題ではありませんか」

「ぷっ。教授も冗談を言うんですね」

「真面目に言ったつもりだったのですが……」

「す、すみません」

「いえ。笑ってくれてうれしいです。あなたの笑顔はわたしを和ませますね。質問もそうですし、講義も真剣に聞いてくれてありがとうございます。相槌を打ってもらえるとこちらも話す内容を絞れて助かります」

「お役に立てているのなら私のほうこそうれしいです。よかった。教授に面倒な生徒だと思われているんじゃないかって心配でした」

「面倒な生徒にはいまのところ出会ったことはありません。どうやらそういう生徒はわたしに興味が湧かないようなので」

「それ、ちょっとわかる気がします」

「なぜなんでしょうか。教えてくれますか」

「知りたいんですか」

「はい」

「や。すみません。言語化するのがむつかしいので、上手くまとめられたらお話ししますね」

「そうですか。では、そのときはお願いします」

 リコ教授は荷物をまとめると別れの挨拶もなく、スタスタと講義室を出ていこうとする。

「あの、教授」

「はい」

「この大学にはほかにも教授がたくさんいて紛らわしいので、お名前。リコさんと呼んでもよいでしょうか」心臓がバクバクと高鳴っている。明らかにこれは早まった真似だが、彼女の性格からすればギリギリで許容範囲な気がした。

「お好きにどうぞ。教授でも名前呼びでも、あだ名でもお好きに」

「じゃあリコさんで」

「ただ、ほかの先生方には敬称をお付けするように。気にされる方もすくなくないようなので」

 まるで自分自身のかつての失敗を話すような、いじけた口調が胸のうちをくすぐった。

「では、またリコさん」

「はい。あ、そう言えばあなたのお名前は」

「冴霧です。頭が冴えるの【冴】に、霧が晴れるの【霧】で冴霧(さえぎり)詞(ことば)です」

「コトバさん。よいお名前ですね。憶えました」

 踵を返すとリコさんは今度こそ講義室から去っていった。

 追いかけることもできたけれども、さすがにここでそれをするのは得策ではない。邪魔だと思われないようにすこしずつ距離を詰めていこう。

「べつにそういうんじゃないけどさ」

 ではどういうつもりなのか、と自問自答したところで明瞭な答えは浮かばない。それでも私はリコさんと考えを伝えあうのが、いまのところはとびきりに愉快な時間らしい。

「もっとしゃべりたいな。リコさんの頭のなか全部知りたい」

 なぜだろう。

 私は疑問に思う。

 大学にはなぜ、リコさん知り尽くし学なるコースがないのか。

 じつに憤懣やるかたなく、不服である。

 私の親の払った学費分、せめて元は取らせてほしいものだ。

 つぎの講義までの時間を潰すべく、食堂へと向かいそこで、受けたばかりのリコさんの講義を振り返る。予習復習は大事である。

 ないなら私が作るしかない。

 リコさん知り尽くし学。

 私がその第一人者になるのである。




【炒豆に花を】


「秘密なるは、己の外にだしてしまったらもう秘密ではない。他者に漏らした時点で秘密ではなくなってしまうものなのだよキミ」

「そんな屁理屈は認められません。あなたは秘密を守ると言ってくださいました。約束を交わしたのですから守ってもらわなければ」

「三人知れば世界中。三人寄れば公界とも云う。いかな秘密とて、二人に話せばもはや秘密は漏れたも同然。世界中に向けて公言したも同然なのだよキミ」

「屁理屈です。そもそもあの場にはあなたと私しかいませんでしたのに」

「なればそこには天がいたのだろう。天が見ていたのだ。それは世界中が見ていたも同然。口にしたのが災いの元でしたな。ご愁傷様です」

「卑怯な」

「何とでも言いなされ。口は禍(わざわい)の門。他者への罵詈は己に返ってきますぞ」

「何が天が見ていただ。天道是か非か。天が正しいとなぜ解る。謀り事は密なるを貴ぶ。漏れた秘密はもはや、事前に張り巡らせた策の総じてを無に帰すぞ。唇亡びて歯寒しとも言うからな。私が斃れれば貴様もただでは済まされんぞ」

「愚者ほど知をひけらかす。伝わらぬ言葉は何度重ねても呪より軽し。脅すにしても相手を選びなされ。お主がおらぬでも我は痛くも痒くもない。好きに召されよ」

「ゲスめ」

「それが協力を申し出る相手への態度かね。破棄してよかった。おぬしは死神だ。厄病神だ。災いしか運ばぬ。ではな」

「くそぉ。くそぉ。くそぉくそぉくそぉ、くそぉ」

「――カシラ。カシラ。もう奴は行きました。演技せずによろしいですよ」

「なに。そうか。役に熱が入りすぎた。で、やつはこの後、宮廷へと赴くと思うか」

「おそらくは。我らを国家反逆の賊としてお上に進言するものかと」

「くくっ。あやつも働き者だな。口を閉じて目を開けという言葉を知らんのか。物事の趨勢を見極められぬ者に、有能な士官は務まらん。知を束ねる器ではないわ」

「ですが宮廷に告げ口されたら我らも危ういのでは」

「構うものか。私がやつに話した秘密はどれも虚言。漏れても構わぬ。むしろ秘密一つ守れぬやからのもたらした情報が、加えて偽りだと知れれば、誰もやつの言葉には二度と耳を貸さぬ。のみならず、一度は賊と知り、そのうえでなお繋がろうとしたわけだ。そこにどのような腹積もりがあろうと、献上する利がないのでは責は免れまい」

「それはしかし我らとて同じことでは」

「献上する利がなければな。私はただ、言を用いて、膿を炙りだしただけのこと。私は何もしておらん。あやつがかってに自滅した。知らぬ存ぜぬを通してもよいし、端から罠を張っていたと言い張ってもよい。どちらの弁も受け入れられるだろう」

「おそろしいお人だ。そんなことでは誰からも信頼なされませぬぞ」

「だがおぬしらは付き従うだろう。なぜだ」

「それは」

「信とは、人に言と書く。何のための弁であるのかが大事だ。私はそこを見誤らん。それをおぬしらが見抜いている。おぬしらは私に信を置いているのではない。じぶんたちの目に、歩みに、信を置いている。私はそのことを見抜いている。ここに一つの輪ができる。おぬしらが私の言に従うように、私もおぬしらの信に従う。ここに主従はない。解るか」

「だからといってカシラ自ら率先して危険を犯さずとも」

「カシラ、とおぬしらは私を呼ぶが、こんなのは頭ではない。頭脳ではない。知はそこかしこにある。それを束ねる者がいる。縄がいる。私はそれをおまえたちに期待している。カシラとはおまえたちのことだ。輪のことだ。私もその一端にすぎん。できることをしろ。私も私にできることをする」

「この先の展開はどこまでお読みですか」

「何も。なるべくしかならん。その都度、何を優先するかの違いがあるのみだ。泰山は土壌を譲らずと云う。誰の口から発せられようとも、馴染みない意見には耳を止めよ。また、大人(だいじん)は大耳とも云う。ときにはそうしたこまごまとした意見からは距離を取り、大局を見極めよ」

「言うは易く行うは難しですね」

「いかにも。まずは動こう。すべきことをするのだ。そのときどき、己にできることを」

「天に唾することにならねばよいのですが」

「なに。天に目はなし。いつの世もあるのは天罰ではない。しかと見据えよ」




【ぼく、恋愛わかんない】


「あーあ。またフラれちゃった。なんでだろ。付き合うまでは行くんだけどな」

「よう奇遇。何してんだ一人でこんな夜に」

「アキヒトだ。わあ、久しぶり。そっちこそ何してんの何してんの」

「俺はバイト帰り。そっちは?」

「彼女ん家デートしてフラれてきた」

「はは。意味わからん。何したんだよ、デートしたってことは今朝までは別れる気なかったわけだろ」

「どうなんだかね。こういうこと重なりすぎて、もう女のこと全然信用できんくなっちゃった」

「女の子の問題なのかね」

「ぼくは優しい男だよ。当然相手がわるいに決まってるもの」

「コウジが地雷踏みまくりだっただけかもしれんよ」

「ないない。きょうだってなるべくお金使わずに済むように、じぶん家でご飯食べていったし、避妊具だって自前で用意したし、なくなったら外で出すようにしたし」

「一日中腰振ってたわけか」

「デートなんてだってほかにすることある?」

「言葉を失くすようなことを言うなよ」

「だって付き合うってけっきょくそういうことでしょ。何着飾ってんの。性行為の快楽をいっしょに味わいましょう、楽しみましょうって、そういう同意が付き合うってことでしょ」

「経験豊富かと思ってたら根っこが思春期のままだったか」

「ぼく間違ったこと言ってる?」

「間違ってはいない。だがそれがすべてでもない。そういう恋愛の仕方もあるだろうけど、それ以外の恋愛の手法だってあるんだよ」

「あるのかな」

「コウジはさ。俺とはどうして縁を繋いだままにしてくれてるんだ」

「縁を切ったことないだけだよ。たいがい向こうから縁を切られる」

「なら縁を保ったままのほとんどは恋人ではないわけだろ」

「うん」

「恋愛関係になっても、そのときの縁というか交流の仕方は保たれるんじゃないのか」

「ああ、そういう考え」

「性行為だけが恋愛の目的じゃないと思うぞ」

「友達とじゃあ性行為したら恋人になる?」

「話を聞いてたか。性行為するイコール恋人じゃないって言ったんだ。そこを経た先にも恋愛関係はつづくし、そこを経なくとも恋愛関係は保てる」

「ふうん。友達との違いが分かんないな」

「恋人は一人。友達は複数いてもいい。単純には言えないが、まずはそう考えておけばいい。この人だけとは離れたくない。相手からもそう思われる。そういう関係ならまあ、友情と恋愛感情を両立しつつ、保てるかもな」

「そっか。アキヒトっていま彼女いる? 恋人は?」

「偉そうに言っといてなんだが、ここ数年いないわ」

「じゃあぼくと付き合ってよ」

「はは。ウケんね」

「だめ?」

「え、マジで? 冗談だよな。いや、本気だったらすまんだけど」

「嫌なの?」

「嫌とかじゃなくってな。いやだって俺男だし」

「だから?」

「本気で言ってる?」

「アキヒトがじぶんで言ったんだよ。恋人は一人。友達は複数いてもいい。この人だけとは離れたくない。相手からもそう思われる。そういう関係が恋人だって。アキヒトならぼく、ぴったりだな」

「マジか」

「性行為はしてもいいし、しなくてもいいよ。ぼく、アキヒトからだけは縁を切られたくないな」

「そこでこの提案を即決で言えるのがすごいよな。もしフラれたらさっそく縁が切れるかもなんだぞ」

「そうなの? フラれてもアキヒトなら縁を切らずにいてくれると思って」

「お、おう。信用されてんな。正直わるい気しないわ」

「返事いま欲しいな。ぼくじゃやっぱりダメかな」

「気が早いわ。まずはもっとちゃんとお互いのこと知ろう。いまからウチくるか。きょう給料日だったんだ。コンビニでよければなんか奢るよ」

「いいの。やった。あのコん家に財布忘れてきちゃって困ってたんだ」

「まずはそこを相談して欲しかったわ。危うく見捨てて去るとこだったぞ」




【おっす、オイラ極酷】


 ハロー、地球! こんちわ!

 オイラ、地球大好きマンだ。

 地球が大好きですぎて、独り占めしたくなったぞ。

 全人類なんか邪魔だな。よっしゃ、いっちょ支配して、一か所に集めて、きれいきれいすっぞ。

 全人口を一か所にぎゅうぎゅう詰めにすると、琵琶湖に納まるらしいぞ。うろ覚えだから本当かどうかは知らんけど、地球大好きマンのオイラは、全人類邪魔だから、それをすっぞ。

 でっかい箒がいるな。

 まずはでっかい箒をつくるための、でっかい素材になる草を育てっぞ。

 そのためには水がいんな。

 海水じゃ枯れっしな。

 んじゃ、でっかい湖の水がいんな。

 琵琶湖なんかどうかな。

 いいんじゃねぇか。

 お、なんか琵琶湖が埋まってんぞ。なんかめっちゃ人がぎゅうぎゅう詰めになってんぞ。

 うひょー、全人類が琵琶湖を埋め尽くしてっとぉ。

 あいつら邪魔だなぁ。

 いっそすり潰して、でっかい箒の素材の草の養分にしてやっぞ。

 オイラ、地球大好きマンだから、めっちゃいいことしちゃうな。

 待ってろよ、地球。

 いま助けてやっからな。



【「小ネタ×10」(1)】


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『ゾンビとコンビ』


「どんなに追い払っても襲ってくるゾンビと、どんだけ傷つけても慕ってくれる彼女、どっちが怖い?」

「悩む余地ある?」

「でもゾンビくんは追い払わなければ襲ってこないけれども、彼女くんのほうは構わないと地獄の果てまで追ってくるよ」

「こえぇよ」

「彼氏くんでもいいけど」

「だからこえぇよ」


______

『ほんとか???』


「聖人ってどういう人を言うの?」

「世界で一番大嫌いな人に、それでもじぶんの一番大事なものを譲れる人かな」

「ふうん。聖人なんてろくなもんじゃないね」

「……そうだね」



______

『釣り』


「ねぇねぇおじぃさん」

「なんだい孫ちゃん」

「どうしてここの池には釣り人さんがたくさんくるの」

「それはね。糸を垂らすとすぐに竿が引くからだよ」

「ならどうしてみんな二度とこなくなるの」

「それはね。どうあっても魚が釣れないからだよ」

「ならどうして竿は引くの?」

「うん。よい疑問だね。それはね、この池は天界に繋がっていて、向こうでも人釣りを楽しんでいるからだよ」



______

『飛んで火にいるカモがネギ』


「あなた起きて。ドッペルゲンガーがでたわ」

「ホントか」

「あなたにそっくりの男があっちのほうで電柱にしがみついて蝉の真似をしていたわ」

「まさか」

「ミンミンうるさいから捕まえてきたわ」

「嘘だろ」

「これで三匹目ね」

「もうそんなに捕まえたのか」

「これでやっとあなたの臓器が全部揃うわ」



______

『暴言と暴君』


「みなさん。よいですね。世界平和を目指すのです。みなで平和を祈りましょう」

「いや、その汚ねぇ足どけろや」

「ああ、なんて可哀そうな子。このような者にも慈悲を祈るのです」

「いや御託はいいから、どけろやボケ」

「なんという野蛮な言葉遣い。けれどみなさん。このような方は可哀そうな方なのです。怒りを向けず、赦すのです」

「他人を踏んづけといてどの口が抜かすか。手錠を外せ、首輪を解け、処刑人に斧を下ろさせろ!」

「ではみなさん。祈りましょう。一足早く浄化されるこの者に、祝福を」



______

『天丼』


「見てこの小説家。人工知能なんだって」

「へぇ」

「でも本当は中身は人間だったんだって。しかも大所帯の大プロジェクト」

「なんだ」

「どうしてバレたと思う?」

「さぁてね」

「本物の人工知能に偽物だと喝破されたうえ、性能を見せつけられたんですって」

「人工知能さん……おとなげないな」

「でもその人工知能の中身も本当は人間だったんだって」

「もういいわ」



______

『黒子の鑑』


「警部。世紀の大悪党、森亜茶(モリアーティ)が捕まりましたね。いよいよ事情聴取ですよ。緊張します」

「うむ」

「世界を裏から牛耳っていた黒幕。数々の陰謀を現実に企て、実行してきた張本人」

「ああ」

「まさかその正体が一介の漫画編集者だったなんて」

「動機の解明が最優先事項だ。頼むぞ」

「はい」

 六時間後。

「警部、動機が判明しました」

「本当か」

「ええ。なんでも、担当した漫画家たちがのきなみすぐにネタが枯渇してしまうので、実際に事件に巻き込ませて、新鮮なアイディアを生みだしてもらおうとしたとかなんとか……」



______

『積みでは?』


「あと二百作つくらなあかん」

「一日十個つくれば二十日で達成できるよ」

「無茶言うな」

「一日一文字並べれば二十日で二十文字だよ」

「そりゃそうだ」

「一日十個つくれば二十日で二百作だよ」

「無茶言うな」

「でも何もつくらなきゃ何日経ってもゼロのままだよ」

「さて、やるか」



______

『猫に小判』


「おや、ご婦人。その猫にいまやったのは何ですかな」

「小判じゃ」

「小判とな」

「ええええ。このコは小判しか食べぬのじゃ」

「しかし猫に小判とは諺ではないのですから。いささか費用が嵩みすぎでは」

「このコがこれしか食べぬのじゃ。どうしようもないのぅ」

「さようですか。酔狂なご婦人であられる」

「そうでしょうか」

「拙者も家では猫を飼っているが、さすがに小判はやらぬゆえ」

「ほっほ。小判を食べるコは珍しいですからね」

「初めてお目にかかった。しかしさすがに、猫に小判は」

「あなたのおうちの猫ちゃまは、かわいゆいのですか?」

「それはもう。拙者が寝ていると向こうから懐に潜り込んでくるわ、仕事をしていると膝の上に乗ってくるわ、それでいていざ遊んでやろうとすると、ぷいと横を向いてすげなくするわ。もうたまらんですな」

「そうでしょう、そうでしょう。愛(う)いコばかりです」

「ええまさに。拙者、愛猫の健康にはひといちばい気を使っておって、寝床には桐や羽毛や天然石をふんだんに用い、遊び道具には一流の細工師たちに特注して作ってもらい、食事とてきょうも朝一で漁の市場から新鮮なクロマグロを一尾――」

 


______

『ロボットの鏡』


「お父さん、ちょっと聞いて」

「なんだい息子よ」

「誕生日プレゼントでくれたアンドロイドあるけど、あれひどいんだけど」

「どうひどいんだい」

「僕が何かを命じると、ものすごく高圧的に返事するし、命じたこともろくにこなさないし、極めつけは僕のことをポンコツって呼ぶんだ」

「ほお」

「返品してきてよ。取り替えてきて。壊れてるよあれ」

「ふむ。しかし息子よ。あれの説明書はちゃんと読んだのかい」

「読むわけないじゃんあんな分厚いの」

「せっかく本に印刷してもらったのにもったいない」

「本なんていらないよ。いいから新しいのにしてきて。もっと可愛いやつがいい」

「うん。息子よ。あのコはあれでよいのだ」

「壊れてるのに?」

「あれはね。ミラー機能つきなのだ。礼儀正しい人には礼儀正しく、そうでない人にはそのままに。おまえがあのコを壊れていると評価したのなら、それはつまり――」



【海辺の本】


「ハバサ。何見てるの」

「やあキキト。これは東のほうの国の本」

「本?」

「文字が書いてる紙の束」

「おもしろい?」

「うん。中身は小説――嘘っこなんだけどね。この国の本にはたいがい、機械がでてくる。都会がどういうものかが描かれている。お店にいくとどんな食べ物もビニール袋に入っているんだ」

「ハエがたかるから?」

「ハエなんかいないよ。こうしないと売れないんだ。誰かが素手で触るかもしれないだろ。食べ物はすべて消毒されたうえで窒素に包まれて、包装される」

「よく分かんないけど、とんでもない手間だね。よくそれで値段がつけられる」

「それがふつうの社会なんだ。もう魔法みたいな世界だよ。ここじゃ考えられない」

「肌の色も違うんだろ」

「もうね。そういう発言からして叱られちゃうんだ。肌の色で人の中身を決めつけたりしない。見た目なんか関係ない。そういう世界」

「すごいね。僕らなんか肌の色が薄いだけでイジメられるのに。きっと肌が真っ青じゃなくても堂々と歩けるんだ」

「違うよキキト。むしろ逆だ。肌が青いとよくないって風潮があっちでは根強い。でもそういう価値観はよくないよねって、立派な人たちが考えて、広めたんだ」

「え。じゃあもしかしたらそっちの世界では僕のほうが身分が上?」

「だから肌の色で身分は決まらない。そういう世界」

「信じられないよ」

「でもあるんだ。ほかにも、自動車がそこら中を駆け回ってる。キキト、自動車って知ってる?」

「条族の人たちが乗ってるやつ?」

「そう。でもあれよりもっと精密で、屋根があって、お洒落なんだ」

「お洒落がよく分かんないけど」

「裸で歩いてる人なんていないよ。キキトや私みたいに半裸でもない」

「ふうん。窮屈そう」

「飲み水も泥が混じってなくて、いつでもどれだけ使っても怒られない」

「へえ。本当に魔法なんじゃないの」

「かもしれない。それにこれは小説だしね。どこまで本当のことかは分からない。嘘っこの部分もあるけど、そういうのは私にもだいたい判るから」

「ハバサはすごいね。異国の本が読めるんだもの」

「習っただけさ。キキトだってすぐに読めるようになるよ」

「僕はいいや。この国の文字だって読めないし」

「この国の文字はもうないからね。誰も使えない。条族が禁止しちゃって、使える人がみんな死んじゃっていないから」

「じゃあここに本はないんだ」

「あるかもしれない。でももう誰も読めない。本も書けない。私たちの考えは、声は、どこにも届かず、残らない」

「ハバサの言葉はでも僕は憶えてるよ」

「キキトが死ななければね」

「そっか。死んだら消えちゃうんだ。うう怖い。そういうのは考えるなって、婆さまが言ってた」

「でも死について考えてみることだよキキト。ときには考えてみることだ。私たち、本当にこのままでいいのかなって、段々生きるのが怖くなるから」

「怖くなりたくないよ僕」

「でもねキキト。もうすでに私たちはとっくに怖い世界にいるのかもしれない。それに気づいていないだけなのかもしれない。本は、それを教えてくれる。死を考えると、そのことに思い至れる」

「ふうん。ハバサはやっぱりすごいね。ねえねえ、訊きたかったんだけどさ。その本、どこで手に入れたの」

「キキト。このあと条族の人に会うんだね。そっか。それを訊くように言われてきたんだね」

「わ、分かんない」

「いいよキキト。教えてあげる。私はこの本を、海から来た人から盗んだの。その人の肌は青くなかった。髪の毛の色も真っ黒で、本の国の人だった。もうその人はいないけど……。私はねキキト。私は――」

「ハバサ、ごめん。もう僕、行くね。ごめん。ごめんね」

「いいんだよキキト。きみは何もわるくない。じぶんのために、すべきことをして。生きてキキト。生きて」

「ごめんね、ごめんね」

「そしてきっと忘れないでね。私の言葉を。声を。きょうこの日に交わした会話を。ねえキキト。生きて、きっと憶えていて」



【一枚が二枚】


 ティッシュって薄いなぁ、と思ったんですよ。最初はそれだけだったんです。

 ティッシュって、でもティシューって言うらしいんですよ。

 本当はティシューらしいんですけど、よく見たら二枚なんですよね。一枚かと思ったら、薄いティシューの二枚重ね、物によっては三枚だったりするんですよ。

 僕知らなかったんですけど、でも一枚でもぜんぜん用は足りますし、折りたためば厚みもでますでしょ。

 ふしぎなのは、二枚一組の一枚を折りたたんだ厚さと、二枚に分けて一枚一枚を折って合わせた厚さ、これ、質量的には同じはずなのに、後者の、二枚一組を分離させて別々に折って合わせたほうが分厚くなるんですよ。

 ふしぎですよね。

 僕はね、それを発見してから、これってほかのことにも当てはまるのかな、と気になってしまってね。

 いや、そんな顔しないでくださいよ。

 ほら、あなたが言ったんじゃないですか。

 どうしてあなたはそんなことをするのかって。聞かれたことに答えているだけですよ。

 僕ぁね、ほかの物質でも、一個のものを折りたたむより、いちど二つに分けてから折りたたんだほうが膨れると考えたんですよ。

 閃いたらあとは実験するしかないじゃないですか。

 論より証拠ですよ。

 まずはやってみるんですよ。レッツチャレンジですよ。

 まずは小動物で試しましたよね。虫とか、ミミズとか。

 僕の仮説は当たりましたよね。

 一つのままよりも、二つに分けたほうがいいんですよ。

 質量は同じなのに、膨れるんですよ。

 成功したら、つぎはもっと大きな動物ですよ。

 もちろん動物でなくともいいんですが、僕はなんでか動物で試したかったんですよ。

 猫ですよね。

 つぎは犬ですよ。

 動物園があればよかったんですが、僕にはそういうほかの大きな動物とは縁がなかったので、なら犬のつぎは人間ですよ。

 二つに分けるんですよ。

 一個を二つにです。

 どうして僕が遺体をすべて縦に割ったのか。横ではなく、なぜ苦労しかない縦の輪切りに拘ったのか。

 刑事さん、それを知りたかったんですよね。

 だって訊いたじゃないですか。

 しつこく何度も訊いたじゃないですか。

 教えますよ。

 僕は正直ですよ。

 縦じゃなきゃ意味がないんですよ。

 一個を二つにするんですよ。膨らむんですよ。

 人間も例外じゃないんですよ。

 僕が発見しました。

 僕のアイディアです。

 閃いちゃったんです。

 ティシューなんですよ。ティッシュではないんです。知っていましたか。

 試してみてください。

 試してみてください。

 きっと成功しますよ。一枚が、二枚なんです。



【朝の騒音】


「ったく、なんだってんだ」

「あらどうしたのアナタ」

「さっきの聞いてたか。いきなり隣の家のやつが怒鳴り込んできて、騒音だの、迷惑だのと散々喚いて帰ぇってった。つぎうるさくしたら警察呼ぶぞとまで言われちまった」

「あら、物騒ね」

「呼ぶなら呼べってんだ。心当たりなんざ一つもねぇ。ったくすっかり時間を取られちまった。遅刻じゃねぇか」

「せっかくだし、半休でもとったら?」

「そうすっかな」

「でも、お隣さん、私には愛想よく挨拶してくださるんだけど」

「どこがだ。二度と顔も拝みたくねぇな。だいたい騒音ってなら、向こうさんのほうこそだろ。毎朝うるさくってたまらねぇよ。隣の家のニワトリだろありゃ。毎日毎日、煩わしいったらありゃしねぇ。いったいどの口で苦情なんて言えたもんかね、まったく」

「あらアナタ。お隣にニワトリなんていないですよ」

「そうなのか。しかし毎朝、コケコッコーってけたたましい声で起こされるんだが」

「あらいやだわ、アナタ。アナタがなかなか起きないもんだから、私――」



【お縄放免】


「火縄銃ってのを使うらしいぜ」

「つぎの戦でっちゅう話だわな。殿様が自ら考案したって話だで」

「使いもんになるんかねぇ。弓矢がありゃ充分だろうに」

「いんや、聞いた話じゃ、小型の大砲って威力らしい。一丁ありゃ、弓矢衆二束分の働きだって噂だで」

「ほんまかぁ。眉に泥塗っても足んねぇ話だわなそりゃ」

「なんでも小型の筒に鉛玉詰めて、火薬で飛ばすって話だ」

「危なっかしくて持ちたくもねぇな。花火玉抱えてるようなもんじゃねぇか。腕が何本あったって足りやしねぇ。弾け飛ぶのが目に映らぁ」

「言われて見りゃそうだわな」

「だろい? いくら殿様の御考案たって、身体張って戦すんのは俺らだろうがよ。敵さんの首獲って死ぬんならまだしも、自陣営で自爆しろってのはさすがに聞き捨てならねぇよ」

「もっともだ」

「だろい? 火縄銃ってぇ呼び名もよろしくねぇ。火はいいが、縄なんてぇ、それこそお縄をちょうだいするときくらいしか使いようがねぇじぇねぇか。縁起でもねぇ。なんで火銃じゃねぇんで。大方、使ったやっこさんらがこぞってお縄についちまうほどの下手を踏むってこったろ」

「おお。さもありなんだ」

「だろ、だろ。火縄銃なんざいらねぇよ。戦になる前に、倉に忍び込んで、ごっそり持ち出して売っぱらっちまおう」

「売っちまうんで?」

「元は鉄だろい。買い手くらいすぐにつくわな」

「そういや、隣国の織田っちゅうへっぽこ侍が家督を継いだって話だ。珍しいもの好きと聞く」

「お。ならソイツにいっちょ持ち掛けてみっか」

「しかし、殿様に不義理を致すようで胸が痛むな」

「うぬけ。兵のみならず民の命まで危険にさらす長など、不要じゃ。義理というなれば、我らの行いこそ、国のため」

「ほうかの」

「そうじゃそうじゃ」

 がはは、とこだまする正義の大笑は、のちに天下分け目の分水嶺として、誰の記憶にも残らぬままに、荒波渦巻く歴史の水底へと沈んでいった。



【人工知能の文豪】


「人工知能と人間が小説づくりで勝負したって話、知ってる?」

「いいや、知らん」

「なんでも人工知能のほうが人間を遥かに凌駕したって話だよ」

「へえ、そうなんだ」

「囲碁やチェスや将棋なんかもそうだけれども、もはや人間の出る幕ではないのかもね。比べるだけ損というか。勝てる見込みなしというか」

「まあ、だとしても困るのは小説家だけでしょ。だいたい、人工知能の小説かどうかなんて、読み手には分からないわけだし」

「それはそうだけど」

「そもそも、すでに著名な作家が人工知能でないなんてどうして言いきれる?」

「それはだってそう発表されてるし」

「じゃあ版元が作者は宇宙人ですって言ったら信じんのかよ」

「さすがにそれは信じないけど」

「同じことだろ。関係ないのさ。作者の側面像なんて。けっきょくは、面白いと読者が感じればそれが、面白い小説なんだ。人工知能が書いた、と謳えば面白そうに感じる読者もいるし、そうでない読者もいる。そんなのは人工知能に限らず、以前からつづいていた偏見の賜物だろ」

「宣伝って言ってあげなよ」

「宣伝でも広報でもなんでもいいけどよ。人間の認知の歪みを利用して、なんとか広く大量に売ろうとした挙句に、読者のほうでは小説の内容どうこうよりもまずは作者の側面像、なんて条件反射が染みついちまった。いやこれは小説に限らん話だな」

「やな言い方だねそれ」

「そうかい。すまんね。ただまあ、人工知能さまが台頭してきたってんなら、いよいよ小説なんてのは、それそのものの中身でしか評価されない時代がやってくるのかもな」

「でもまだ人工知能の小説です、とは言ってないよどこも」

「勝負したんだろ?」

「そういう話を聞いたってだけだし、勝負と出版はまた別でしょ?」

「別なのかねぇ。俺にゃ区別はつかんがね。ま、人間さまが勝てなかった時点で、もう今後、人間の小説家が人工知能の生みだす物語に太刀打ちする未来はやってこないだろうな。人間の時代が一つ終わったのさ」

「ふうん。あ、これこれこの記事」

「どれどれ。んー。あ? おいこれ」

「あ、ごめん違ったかも」

「人工知能と人間が勝負した、までしか合ってねぇじゃねぇか。読者の認知バイアスを考慮して、別の組み合わせの実験もしてんじゃねぇか」

「ホントだね。人工知能の小説って言いながら、人間が書いてたんだ」

「四パターンで実験したらしいな。人工知能のみと人間のみ、それから人工知能と人間、それの入れ替えバージョン。読者はそれぞれの作者の側面像によって、小説から受ける印象を変えていたみたいだ」

「どっちのほうが好印象だったの?」

「偏りは見られなかったらしい」

「え、つまり?」

「作者が人工知能だろうが、人間だろうが、読者は単純に物語との相性でしか評価しなかったってこったろ」

「あ、そうなんだ」

「結果出てるな」

「読者によるってことだよねけっきょく。人工知能の作品が一番好きな人もいたってことでしょ」

「だな。しかし、いや、これはでも」

「なになに、どうしたの」

「物語への評価は読者によって変わるのはいま言ったよな」

「うん」

「勝負はそれだけじゃなく、独創性や生産性も競い合っていたらしい」

「へえ。それもどうせ人工知能が勝ったんでしょ?」

「だと俺も思ってたんだがな」

「違うの?」

「はは。おもしれー」

「なになに、どっちが勝ったの」

「じぶんで読んでみろよ。その記事も人工知能が書いたらしいぞ」

「ふうん。え、なにこれ。最後のほう、ぜんぜんまともな文章になってないんだけど」

「くっく。人工知能も嫉妬するらしい。いやこの場合は、悔しがってんのかもしれねぇな」



【図星に帰る】


「さいきんなんか見張られてる気がすんだよね」相坂が言った。

「警察に?」

「そこはストーカーをまずは心配してくれよ。ま、警察なんだろうけどさ」

「なんでまた」

「心当たりがないでもないんだなこれが」

「犯罪者が友人とかちょっと人生に刺激ありすぎるわ、さっさと自首してくれ」

「いや、冤罪なんだって。たぶん」

「たぶんかよ」

「ちょっと前にさ、サイバー犯罪がらみで容疑者になったことがあってさ」

「お、なんかカッコいいな」

「児童ポルノ所持疑惑なんだけどさ」

「壮絶にカッコわるいなそれ」

「違法ダウンロードしまくり罪も疑惑であってさ」

「最悪じゃねぇか」

「殺害予告とか」

「自首しろや」

「違うんだって、未だにそれで捜査されてる気がして困ってんだよね」

「自首しろ、自首しろ」

「だから違うんだって。誤解なんだって。たぶんだけど、警察のほうでも冤罪だって知ってて、引っ込みつかなくなってんじゃねぇのかなって」

「そこまで暇じゃねぇだろ。なんたって警察さまだぞ」

「そうなんだよな。だから俺の気のせいかもしれないんだけどさ」

「気のせい、気のせい。はいこの話題終わり」

「いやマジで聞いてくれよ。困ってんだよね。だって最近、やたらとPCが呻りまくっててさ」

「替え時、替え時」

「やたらとSNSで当てつけみたいな投稿されるしさ」

「妄想、妄想」

「それだけじゃなく、明らか過去の調査時の話題ぶり返してくるしさ」

「いやそこまできたらさすがにそれは無視はできんでしょうよ、可能性ありまくりでしょうよ」

「でも向こうさんにメリットなんもないんよ?」

「おまえさんがリアルに犯罪者ってだけじゃあないのかい。たとえば、めちゃくちゃ名の知れたハッカーだったりとか」

「ギクっ」

「それともどこぞのスパイだったりとか」

「ギクギクっ」

「或いは宇宙人だったりとか」

「あひゃー。もう勘弁してください。それ以上図星ついたら、図星に帰っちゃうんだからね」

「そこはせめて母星にしとき?」



【一聴惚れ】


 ワイヤレスイヤホンに替えたところ、聞き慣れぬ女性の声が聞こえた。

 音楽ではない。

 そのため、それが端末越しに流れる楽曲ではなく、どこからか紛れこんだ音声だと判った。

 しかし、聴けば聴くほど、吸い寄せられる。どこかで会ったことがあるような、まるで夢のなかで出会っていた運命の相手からの囁き声のようだった。同性だ。きっと年代も同じ気がする。

 相手はずっと一人でしゃべりつづけている。

 相手がいるのかもしれないが、その相手の声は聴こえない。

 数日のあいだ私は延々その声を聴きつづけた。

 どうやら場面場面の音声が繋がっているようだ。真実にずっとしゃべっているわけではないのは、声の響き方や、抑揚のつけ方で判断ついた。

 相手によってしゃべり方を変えているらしい。誰もが無意識に行うそれを、しかしその人物は意図してこなしているようだった。

 私はますます声の主に好意を募らせた。

 声に一目惚れなんてあるのだろうか。

 しかしそれは紛れもなく恋だった。

 ワイヤレスイヤホンに変えてから一週間後のその日、私は偶然街で、かつての教師と会った。高校時代のそれは恩師で、近況を話しがてら、これから映画を観に行くのだ、という話をした。

 それはまさに、一週間前にワイヤレスイヤホンから聞こえた声の主が観に行くと言っていた映画だった。

 恩師との会話をつづけているうちに、あれ、と思考が波打った。静かに光を反射していた水面に水滴が落ちたように、波紋がわっと広がった。

 この会話、私、知ってる。

 まるで小説の一節を朗読するように、すでにこの世に放たれたことのある言葉の羅列を私はじぶんの口からつむぎだしていた。

 初めてのはずだ。

 しかし初めてではなかった。

 戸惑いをよそに、恩師とはつつがなく別れ、私は映画館に向かった。

 映画の内容のほとんどが記憶に残らなかった。

 私は映画館の外に出ると、ワイヤレスイヤホンを嵌めた。

 しかしワイヤレスイヤホンからは、もう、例の懸想する相手の声音は聴こえなかった。

 私はためしに端末で録音したじぶんの声を聴いた。

 ああ、と視界が霞む。

 脳がずしりと水を吸ったようだ。

 端末越しにじぶんの声を耳にしているあいだ、私はなぜかずっと、イチョウの枝から落ちる最後の一葉を幻視していた。



【静謐な怒り】


 私は彼が怒った姿を一度しか見ていない。

 彼女の怒った姿は見たことがない。

 彼が怒ったとき、私は天涯孤独になった。

 けれど私には彼女がいたし、彼のほうでもときどき便りをくれた。

 寂しくはなかった。

 なのにさいきん、すこし不安だ。

 彼からの便りに、逃げたほうがいいかもしれない、とそういった趣旨の言葉が並ぶようになった。主語はない。いったい何から逃げたほうがよいのか、私にはよく分からないのだ。

 けれど、彼がひどく何かを怖れていて、そして私のことを助けにきたり、迎えにきたりはしてくれないことだけはハッキリと伝わった。

「ねぇ、これどういうことだと思う?」私は彼女に便りを見せた。

 彼女は一瞥しただけで、だいじょうぶだよ、と微笑む。

 その微笑を目にしただけで私は、安心してしまう。

 ここにいない人からの便りよりも、いまここに、私のそばにいてくれる彼女の、だいじょうぶだよ、のほうをこそ私はよすがとしていたい。

 彼からの便りは未だに届く。

 そろそろ逃げたほうがいい、がいつの間にか、まだ逃げていないのか、になり、いまではほかの文面はなく、一枚の荒い和紙にただ一言。

 逃げろ。

 それだけが書かれている。



【梁の筵】


 どうしてくれようか、と天井の梁から声がする。

 僕は寝床にくるまりながら、どうもしなくてよいですよ、と答える。

 どうしてくれようか、とふたたび呻り声がする。

 何もしてくれなくてよいですよ、と僕は船を漕ぎつつそう念じる。

 どうしてくれようか、と夢の中で声がする。

 いったいどうしてくれるんですか。

 僕が小首を傾げると、わたしはどうもしませんよ、とやまびこのように声がこだまする。

 ふいに僕は高い場所にいる。

 太くも長い枝のようなものにしがみついている。

 真下からはいびき声に似た、骨の軋むような音がし、どうしてくれようか、と喉から神木をも断てそうな立派なノコギリがひねくりでる。



【子猫、荒ぶる】


 警告はしたよ、散々したよ、と子猫が鳴いた。

 その子猫はおとつい姉が拾ってきた子猫で、どうにも私の用意したご飯がお気に召さないようだ。

「警告はしたよ、散々したよ」

「いやね、子猫さんや。あなたが吐き出したそれね、ひと缶八百円もすんだかんね。なんなら私が食べたいくらいだからね。私の一食の倍はかかっとるからねチミ」

「こんなの子猫、認めない。子猫の食べる餌じゃない」

「じゃないっつわれてもよぉ」

「つぎ真面目に餌くれなきゃ子猫、お布団の上でおしっこしてやる」

「やめてくれ」

「うんこもつけちゃうぞ」

「だからやめてくれ」

「ゲロもおまけしてやる」

「分かった、分かったよ。じゃあなんだ。食べたいの言ってみぃさい。おねぇさん、買ってきてあげるから」

「子猫はあれ食べたい」

「うん何」

「外はふわふわで」

「ふんふん」

「なかは赤いのがツブツブのすっぱくて甘い」

「苺大福やん。それめっちゃ苺大福やん」

「子猫、それがいい」

「人間が食べるやつだよ。いや、いいですよ。買ってきてあげますけれども、食べてもたぶん喉詰まらせちゃうし、下手したら死ぬできみ。なんなら一口目でジエンドやよきみ」

「子猫、警告はしたよ。散々したよ」

「おふとんよじ登ろうとすな。てか登れんの? ねぇきみそれ一人で登れんの? なんか放っといてもだいじょうぶな気がしてきた。段ボールに放りこどきゃなんとかなる気ぃしてきた」

「子猫、怒ってるよ」

「私はもっと怒っとるよきみ」



【マンドレイクのうふふ】

(未推敲)


「これは魔法の物置。世界中のありとあらゆる物置と繋がっております」

「ほおそれは奇怪な」

「開けてみなされ」

「どれ」

「いかがですかな」

「どこにでもあるふつうの物置に見えるが。品もとくに魔具というわけでもなさそうで、農作業用の道具ばかりだ」

「では一度戸を閉じ、ふたたび開けてみなされ」

「おぅ。これはいったい」

「中身が違っておりましょう。この世にあるほかの物置に繋がったのでございます」

「これは驚いた。欲しい。いくらだ」

「申し訳ございません。非売品ゆえ、お売りは出来兼ねます」

「そう言われるとますます欲しくなるな」

「お目が高いのは相も変わらずのご様子ですが、こればかりはお譲りし兼ねます」

「そう言うな。俺とおぬしの仲ではないか」

「まかりなりませぬ」

「金なら払う。鉱石でもいいぞ」

「そういうお話ではございませぬ。歴代の持ち主さまはいずれも不幸になっておりますゆえ、わたくしのもとで足止めしているのでございます」

「おぬしは持っていても無事なのか」

「コツがございますので」

「ならばそれを教えてくれ」

「教えてどうこうなるものでもございません。どうぞほかの珍しき品にてご満足なされなされ」

「むむむ。そうはいかぬな。かように危険な代物を放置はできぬ。強奪されでもしたらどうするおつもりか」

「手にした者は自滅しましょう。放っておいても難はないかと」

「ならば俺に譲っても変わりあるまい」

「まかりなりませぬ」

「これでもか」

「ほう。魔女に刃を向けますか。それでどうするおつもりですかな」

「ここは安全ではない。呪われた品なれば俺のほうで預かっておくほうが吉とでよう。申し訳ないが、これは持っていく。しかしタダではない。あとで見合うだけの品を運ばせよう。それから荒事で手を貸してほしければ俺に言え。無償で解決してやる。たいていの賊であれば俺の名をだすだけで退散するだろう。名を使うことを許そう」

「ほっほ。酔狂なお方よな。お好きになさるがいい」

「では持っていくぞ」

「担いでいかれるので」

「こんなのは俺にとっては林檎一個分の負担にもならん。お代はあとで運ばせる。では世話になった」

「お気をつけて」

「――はてさて、家についたはよいが、どこに置くとするかな」

「旦那さま、その立方体はなんですか」

「おお、マンドレイク。きょうも美しく咲き誇っているな」

「誇ってはおりませぬ」

「おぬしほどに美しく咲く花を俺は知らんぞ」

「花などのきなみ美しくはない、と言っているように聞こえますね」

「卑下するな」

「事実を言ったまでです。それにわたしはマンドレイク。千年を生きればどのマンドレイクも似たような花を咲かせます」

「つまり千年生きられるマンドレイクがおらぬのだろう。みな若いうちに抜かれてしまうからな」

「わたしは運がよかっただけです。旦那さまの庭に生えることができましたので」

「感謝をされてもな。おぬしを抜かずにいたのは俺ではなく、親父やおじじさま――もっと言えば母上やおばぁ様のお陰だ。俺は何もしておらん」

「何もせずにいることの恩恵を受けております、とのお話です」

「さようか。そういう感謝のされ方もあるのだな」

「それで、そちらの立方体はなんでしょう」

「魔法の物置だそうだ。魔女の御婦人から譲ってもらった。なんでも呪われているとか」

「物騒ですね」

「何。ここに置いておれば大事あるまい。おぬしにとっては景観を損なって邪魔かもしれぬが」

「いいえ。物珍しくて新鮮です」

「日陰にならぬように配慮はする」

「雨風を凌げてちょうどよい塩梅です」

「ではここに置こう」

「ちなみに、どこがどのように魔法の置物なのですか」

「どれやってみせよう。まずは開けるだろ」

「ふつうの物置ですね」

「いちど閉じてふたたび開ける」

「まあ、これは」

「どうだ驚いただろう」

「もういちどさっきの物置には戻せるのですか」

「それはどうだろうな。言われてみればそうだ。開けるたびに別の物置に通じるな。戻すにはどうすれば」

「戻らないのかもしれませんね。一度閉じてしまえば、ほかの物置へと繋がってしまうのでしょう。世界中の物置を一巡するまでは二度と同じ物置には繋がらないのやも」

「あり得るな。呪いとはそういうことなのだろうか」

「旦那さま!」

「ん。どうした」

「その扉、閉じるのを待ってください。何か妙です」

「おぅ、これは武器庫か」

「上の空で開け閉めされては困ります」

「すまぬ。なるほどな。物置をこうして武器を仕舞うのに使う者もおるのか」

「或いは、宝物とて仕舞っている者もいるかもしれませんね」

「ほうほう」

「冗談でございますよ旦那さま」

「いや、あり得る。見て回って損はないかもしれぬな」

「旦那さま」

「諫めるな。やって損はなかろう。なぁに、世界中の物置と言えど、人口ほどには多くはなかろう」

「かもしれませんが」

「集中すればあっという間だ」

「旦那さま。旦那さまの集中は、尋常のそれとは事情が違いましょう。以前それで東の国を滅ぼしかけたのをお忘れですか」

「あれは魔族との抗争でのことだろう。必要なことだった。仕方がなかったのだ」

「旦那さまの集中は、一点に収斂しますと時空をも揺るがせます。お気をつけて」

「ありがとう。ではやるか」

「そんなに速く開け閉めしてちゃんと中身が見えているのですか」

「ああ。おっと。ほらな。ここにも武器庫だ」

「すごい動体視力ですね。腕の動きも目に留まりません。空気がびりびり云っています」

「腕の動きだけで竜巻をつくれるぞ。いまは手加減しているが」

「あ」

「おっと。これはなんだ。宝物庫か」

「奥にある王冠。先日盗まれたという、太古聖円の王冠ではないですか」

「本当だ。こっちのはルアナ金貨だ。こっちのは獣王の牙ではないか。すべて過去に盗難に遭ったものばかりだ」

「盗品の隠し場所だったみたいですね」

「らしいな。取りだして保管し、物置のなかには印を残しておくか」

「盗品はそのままに、印だけでもよろしいかと」

「なぜだ」

「異変があれば賊も逃げましょう。印だけ残し、通報だけすれば盗品だけでなく賊も捕まりましょう」

「なるほどな。印を辿ればほかの者でも辿り着ける。ではそうしよう」

「通報は聖騎隊へ?」

「にするつもりだが、難があるか」

「できれば、獣尾軍にも報せておいたほうがよろしいかと」

「そうしてもいいが、理由はなんだ」

「盗品の中には獣王の牙もありました。聖都が盗品および盗賊をひっ捕らえたとて、獣尾の方々からのいらぬ嫌疑が深まるだけでしょう。ただでさえ国家間にて確執が渦を巻いています。情報は共有しておいたほうがよろしいかと」

「最もだ」

「万が一にも獣王の牙が傷ついては目も当てられません。紛失しても大問題です。不当に政治の駆け引きの材料にされでもしたら余計に問題はこじれるものかと」

「頭が回るな」

「マンドレイクですが」

「千年生きた、な。年の功は馬鹿にできんな」

「馬鹿にしたことがおありですか」

「いや。失言だった。印をつけたが、もう閉じてよいか」

「大丈夫かと」

「それにしても、短時間でここまでの成果が。やはり一巡するまでは見ておいたほうがよいかもしれぬな」

「休憩を挟まれたほうがよろしいかと」

「心配ありがとう。だが、いまこうしている間に、未だ発覚しておらぬ犯罪が社会の暗部にて塗れているかと思えば、そうも言ってはいられまい」

「そうですが」

「なぁに。本気をだせば半日もかかるまい」

「そうでしょうか」

「どれ。集中」

「武器庫に盗品、物凄い速度で印をつけては、閉じていますね」

「すまないね、しゃべる余裕がいまはない」

「どうぞお構いなく」

「おぅ」

「どうなさいましたか」

「これはいったい……少年少女たちがぎゅうぎゅう詰めだ」

「奴隷ですか」

「みな目隠しに手錠、首輪に、猿ぐつわ――一様に縛られているが」

「人身売買でしょうか」

「だろうな。なんてことだ。誰の許しを得てこんな非道な真似を」

「旦那さま、お待ちください」

「なぜ止める」

「いま乗り込んでいっても、トカゲの尻尾きりでしょう。こうした人身売買は組織犯罪です。根っこから引っこ抜かねばまた同じ根が巡り、イタチごっこに陥りましょう」

「先刻承知。されどおぬしはこれを見て放っておけと申すか」

「印のみを。まずは印のみを残しましょう。その子たちはひとまず聖騎隊に任せましょう。いま旦那さまが関与すれば、そしてそれを大っぴらに周知の事実とすれば、組織は根ごと姿を晦ませましょう。いまはまだ油断しております。ここは我慢を」

「解かっておるが、しかし」

「その怒り、耐えねばただの私怨となりましょう。そこに正義はございますか」

「うぐぐ。たしかに。されど、されど」

「旦那さま。少々お休みになられてはいかがでしょう。これは助言というよりも、提案でございますが」

「いや、いかん。こうしている間にもこの子たちと似たような境遇の者たちが大勢いるかもしれぬのだ。俺だけぬくぬくとしていられるものか」

「そうでしょうか」

「止めるな、マンドレイク。心配は恩に着るが、俺には責任がある」

「どのような責任でしょう」

「わるいな君たち。もうしばし辛抱してくれ。すぐに助けがくる。暗くなってしまうが申し訳ない。ひとまずいまは閉めるね。心配いらないよ。助けはくる」

「旦那さま」

「……赦さん」

「ああ、なんという恐ろしい目。ギラギラとまるでドラグーンの業火のよう。ああなってしまった旦那さまにはもう何を言っても焼け石に水。集中につぐ集中。もはや旦那さまの人格は、集中の底の底へと落ちていき、いまはもう目的を成すためだけの有機ゴーレムと成り果ててしまった」

「ここにも。ここにも。ここにもか」

「武器に盗品、密輸に脱税品」

「赦さん……赦さん……」

「人身売買から児童虐待、果ては秘密組織の隠れ階段まで。旦那さまはもう止まらない。行ってしまわれたのですね。ああ、狂おしい方。ああまでも自己を傷つけてまで――」

「ははっ。ははっ。赦さん。赦さん。ここもか。ここもか」

「欲望に忠実になり果てて。愛おしい人。あんなに夢中になって。こんなにキラキラと輝いている旦那さまは、魔族との抗争ぶりですね。本当になんて、楽しそう」

「まだだ。もっと、もっと。ここもか。ここもだ」

「わたしには一瞬のことでも、旦那さまのなかでは数日、いいえ数年にも及ぶ長い旅路のなかにいる。集中につぐ集中の弊害。世界がこの世しかないと信じて疑わない旦那さまはきっと、【全世界】にある物置が〈この世界の人口〉よりも多いかもしれない可能性すら考慮しないのでしょうね。つぎに目覚めるのはいったいいつのことになるでしょう。魔法の物置――呪いとは言ったものですね。呪われているのは物置などではないというのに」

「クソっ。クソっ。ここもだ。まだある。まだまだある」

「はあ、涼しい。旦那さまの奏でる律動、地獄にそよぐような爽やかなお歌、飛び散る汗は天使の血の涙のよう。潤うわ。とっても潤います。ミノタウロスの骸に生えたマンドレイクだってこんなに芳醇に歌ったりしないのに。ふふふ。うふふふ」



【被害甚大】


「やりましたね隊長」

「ああ。長年の計画が結実したよ。きみたちのお陰だ」

「しかし誰も祝福してはくれませんね」

「どころか我々のしたことが悪として糾弾されている」

「弁明を試みることもできないなんて」

「そのほうがいい。我々のような存在が祝福されない世の中のほうがいいに決まっている」

「はい」

「縁の下の力持ちだよきみ」

「存在くらいは知られたいとすこしは思ってしまいますが」

「なぁに。知られたら知られたで、静かに暮らしたいと思うようになるに決まっている」

「ですかね」

「よもや水道水が宇宙人の擬態だったなんてな」

「隊長の指揮があったからこそ退治できました」

「そのお陰で人類は水道水を飲めなくなったわけだが」

「テロリスト呼ばわりですよ」

「そのほうがいい。現にテロリストだろう。いまなお人体の七割を宇宙人に乗っ取られた人類が大半なのだ。もはや我々は彼らにとっての明確な敵だ」

「ですがそれもみなただの飲料水を口にするようになれば」

「ああ。また徐々に以前のような人類に回帰するだろう。ま、そうおとなしく宇宙人たちが人体から出て行ってくれるのかは予断を許さないが」

「ですね」



【似非ソシスト】


「あの、本当によろしいんですか」

「いいんです。この娘のためなんです」

「でもいまのところ何の異常も見当たらないのですが」

「悪魔ですよ。この娘は悪魔に魅入られてしまったのですよ。異常ですよ。なんとかしてあげなきゃ」

「いや、それはそうなんですが」

「早く退治してください。追いだしてください。あなたエクソシストなんですよね」

「まあ、はい」

「ならどうかこの娘をお助けください」

「えぇ? いいのかなぁ。まあ、やるだけやってはみますけれど」

「神父さん……何するの」

「ごめんよお嬢ちゃん。ちょっとだけ苦しいかもしれないけど我慢してね」

「イヤ。それどけて。近づけないで」

「がんじーぼーさつ、はんにゃーはーらーみーたー」

「お経なの!? 神父なのに!?」

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

「苦しい、苦しいよ神父さん。ママ、助けて。痛い、痛いよぉ」

「神父さま、娘が苦しんでいます。きっと悪魔が暴れているせいです。もっと強く、強烈なのください」

「強烈なのって言われてもなぁ」

「鬼の手とかないんですか」

「作品が違うなぁ」

「ママ、どうしてΗ∬邪Λ¶をいじめるの。痛くしないで、怖いよぉ」

「ほら見てください神父さん。この娘いま悪魔の言葉を」

「名前を呼んだだけじゃないかなぁ。お友達の名前ですよきっと」

「早く追いだしてください」

「いやぁ、困ったなぁ」

「おじさん、Η∬邪Λ¶をいじめないで」

「神父さま!」

「えぇい、こうなったら奥の手だ」

「痒いところに手が届く?」

「それは奥の手だよお嬢ちゃん。てい。これでどうかな」

「わぁ、なんだか身体が軽くなった」「神父さま、娘にいま何を」

「娘さんの中にいる悪魔を、私のなかに移しました。お嬢ちゃん、その指輪を外してはいけないよ。また元に戻ってしまうからね」

「おじさん、Η∬邪Λ¶は無事なの?」

「もちろんさ。ほら――ヤッホー、なんか気づいたらこっちに移ってんだけど、ジェリーきみ何か知ってるぅ?」

「こんなΗ∬邪Λ¶はイヤーーーーっ!」

「神父さま、娘が窓からゴミを投げて不良に!」

「その指輪高かったんですけどー!?」



【鬼視眈々】


「よぉ鬼の旦那ぁ。最近羽振りよさそうじゃねぇか。またあくどいことしてんのか。むかしのよしみだ一枚噛ませてくれよ」

「ご冗談を。あっしはもうその手の荒事には近寄らないようにしております」

「口調までお上品になってまぁ。境会の犬に成り下がったってか」

「犬さまに失礼ですよ。それに境会のほうともご縁は戴いておりません。あちら方面も荒事がお好きな方の集まりのようですから」

「じゃあなんでぇ。お上品にしてるだけで懐がほくほくだってぇのかい。そりゃあ景気のいい話だわなぁ」

「まっとうに社会貢献をしているだけです。必要とされればお金は巡ります」

「ほう、大した言いようじゃねぇか。いいんだぜ、内緒にしておきてぇことの一つや二つ誰にだってあらぁな。おまえさんがむかし、人間どもの軍勢をぺろりと平らげた【飽食の牙濫堂(がらんどう)】だってことも内緒にしておきてぇよなぁ」

「脅す気ですか」

「事実を確認したまでだ」

「よいでしょう。ご案内します。我が社の繁盛の理由をお見せしましょう」

「けっ。いい気なもんだ」

「ここが我が社の繁盛の秘訣です」

「なんでぇい。ただの温泉宿じゃねぇか。これのどこが秘訣だよ。客とて見ねぇじゃねぇか」

「昨今は、お客さまにも都合がございますから、なかなか当館にお泊まりにいらっしゃる方もお見えになりません。ですが、ここで仕入れた湯を、各地の銭湯やレジャー施設へと格安で提供しておりまして」

「格安なら利益はどうした」

「利益はでません。それだけならば」

「というと?」

「銭湯などで使用していただいた湯をこちらでもう一度回収し、工程を挟んで、ご懇意のお客さま方におだししております」

「使用済みの湯をどうするって?」

「スープにして味わってもらうのです。我々鬼族のみならず、いまは境会の目があってなかなか人間の味を楽しめませんからね。極上の湯をもとにして人間からとった出汁を使い、異形であれば誰もが恍惚しきりのスープを召し上がっていただくのです」

「ごくり」

「いまや我が社は、境会からの目に怯えることなく堂々と、かつては味わい、喜びに打ち震えた人間の味を楽しめる唯一にして安心のスープを提供する一大企業です。どうですか。もしあなたに働く先のツテがないようならば、我が社のお手伝いをしていただけると助かるのですが」

「お、おう。いいのかい、俺みてぇので」

「あなたのような飢えた方だからこそ、上客と言えましょう。上客のあなたならば、似たようなお知り合いのみならず、ツテに限りはないでしょう。違いますか」

「お、おう。人間食いてぇやつらばっかりだ。境会の目に怯えてるやつらがぎょうさんおる」

「でしたらどうぞ。我々の傘下に。上客としてまた、かつての隆盛を思いだし、懐かしみ、そして現世にて舌鼓を打ち合う友として」

「ありがてぇ」

「あわよくば、今一度かつてのような我らの世をふたたび。境会の目に怯えぬ日をその手に」



【マムーン】


「パパ、お願いがあるんだ」

「なんだいマイソン」

「この人に恩返しをしたいんだけれど、手伝ってくれないかな」

「おう、なんと優しい子だね。でもどうして恩返しを?」

「危ないところを助けてもらったんだ」

「ほうそれはなんと。なんとしてでも恩に報いねば」

「でも後ろから急に押されたからびっくりした。膝小僧を擦り剥いたし、ママに買ってもらった服がおじゃんになったちゃった」

「ママの服をかい。だってママは……」

「うん。お星さまになっちゃったけど、でもいいんだ。ぼくが無事なほうがママもよろこぶと思うし。転んだときに危うく釘が目に刺さりそうだったけれど、それもきっとママが助けてくれたんだよねパパ」

「……あ、ああ。きっとそうさ。ところでマイソン。その恩返しをしたい人ってのはどういう人なんだい。どこの人だろう」

「この人だよパパ」

「この人はあれじゃないか。近所のワルガキで有名な」

「でもいい人だったよ僕には」

「う、うん。そうだね。きっといい人だ。ただ、きっと急に恩返しをされても驚かせてしまうから、この件はパパに任せてくれないかな」

「いいけどぼく、直接お礼を言いたかったな」

「あとで言えばいいさ。お礼は逃げないから」

「ふふ。そうだね」

「さてと。パパはいまから恩返しの準備をしなきゃいけない。マイソンは先に夢のなかに行って待ててくれないかな」

「パパがそう言って夢のなかにきてくれたことなんてないけど。一回しか」

「一回もあるのかい。それは素晴らしい。じぶんにご褒美をあげたいくらいだ」

「パパの嘘つき」

「はは。じゃあおやすみのキスだ。おいで」

「うん」

「ちゅっちゅっちゅ。ではおやすみ。よい夢を」

「おやすみなさい」

「ふぅ」

「ねぇパパ」

「わお。びっくりしたなぁ。なんだいマイソン」

「どうして恩返しの準備に、ママの透明マントを使うの?」

「こうしたほうがサンタさんっぽくてわくわくするだろ。プレゼントをもらうほうも」

「でもママは、透明マントでわるい人をやっつけてたんだよ」

「違うよマイソン。ママはこれを使って、人助けをしていたんだ。わるい人なんていないんだよ」

「じゃあパパも?」

「……ああ」

「よかった。きっとママもよろこんでると思う。おやすみパパ」

「なぁマイソン」

「ん?」

「もしママを僕たちから奪った相手があの…………」

「なぁにパパ。よく聞こえないよ」

「いいや。なんでもない。やっぱりきょうはもう寝ることにするよ。いっしょに寝よう」

「パパはちゃんとじぶんのとこで寝て。押しつぶされてぼくつらいよ」

「なら同じ部屋で寝るだけで我慢しよう」

「ちゃんと明かりは一つだけ残してね」

「まだ怖いのかい」

「うん。ママがいなくなった日を思いだすから」

「そっか。だいじょうぶ。パパはいなくなったりしないよ。ただ、明かりは一つだけ残すとしよう。お月さまだって夜にはお空に残っているからね」

「ママみたい」

「おやすみなさい、グッドボーイ」

「おやすみなさい、グッドダディ」



【静寂の狭間に】


「どうにも静かだね」

「そうかな?」

「何かあったのかな」

「いつも通りだと思うけど」

「そうだ一つ訊いていいかな。きみはさ、獣が餌を狩る光景を目の当たりにして何を思う」

「急になに。獣? 狩り?」

「獣が餌を狩る光景を目の当たりにしたらだよ」

「何を思うかって? そうだな。自然の摂理だなぁとか?」

「ほかには」

「焼いたほうが肉は美味いのになぁとか、食われるほうは痛いのかなぁ、とか考えれば思いつくけど、正直そんな光景は日常のなかでは滅多にお目にかかれないから、なんとも言えんよ」

「獣が餌を狩るのを見て、たとえばそこに善意とか悪意とかを見出したりは?」

「しないよ。だって獣だろ。善意も悪意もないだろうに」

「じゃあ人間はどうだろう。人間がもしほかの獣を狩るとしたら?」

「何のために狩るかによるかな」

「まずはじゃあ、食べるために」

「人間が動物を狩るんだろ。食べるために。いいんじゃないのか」

「でも、その人はそこらにいる動物を手当たり次第に狩っちゃう」

「それはダメだろ。お店で肉を買うわけでもないってことか?」

「そう」

「だったらその場合は、もっとほかのモノ食べろよ、とまずは思うね。それでもやめないなら、まあ邪悪だなぁ、くらいは思うかな。野蛮だなぁと」

「でも獣にはそうは思わないわけでしょ」

「獣が人間を食べても邪悪だなぁ、と思うよ。熊とか」

「でもいまの話は人間が獣を狩ったら、だよ」

「それはだから何のために?」

「食べるためなら許せるのって話。猫を狩って食べてもいい?」

「その猫が飼い猫だったら邪悪だ。いや、野良猫もダメだな」

「それはなぜ?」

「うーん。場所によるかも。街中で狩ったら邪悪だけど、アマゾンとかそういうところなら、まあしゃあないかなって」

「ならそのアマゾンで密猟者が動物を狩るのはいいわけだ」

「だからさっきも言ったけど、何のために狩るのかによるってば」

「つまりきみは、何のために狩るかによって、そこに悪を見出し、そうでなければ善を見出し得るということかな」

「かもね。もし誰かを守るために獣を狩るなら、まあ、善かなとは思うよ。獣には可哀そうだけど」

「でも獣は基本的には食べるために獲物を狩るわけだよね。なら人間を襲うのだってそこに悪意はなく、ただ自然体でいただけのことではないのかな」

「だとしても、そもそも善意だの悪意だのは、人間の作りだした概念だろ。いちいち動物側に合わせてたら何も言えなくなっちゃうじゃん」

「いかにもそうだね。つまり僕たちは人間側の都合を動物たちに押しつけているわけだね」

「まあ、そうとも言えるだろうけど、え、何? 何が言いたいの」

「いんや何も。ただ、どうして人は自分たちもまた動物でしかないことを忘れ、人間側の都合を自らにも押しつけ、自然の眼差しで世界を視ることができなくなってしまったのかな、と思ってね」

「みな本能に忠実になれとでも?」

「そうは言っていないよ。ただきみがさっき述べたように、動物たちにはそもそも善意も悪意もないはずなんだよね。そこにあるのは動物としての生態であり、ある範囲に限定された可能性にすぎない。本能だ。プログラムと言い換えてもよいね。それは人間とて同じなはずだよね。ほかの動物たちよりもその可能性の範囲が広く、乱雑性を帯びやすい。それとてけれども、ある範囲に限定された可能性の範疇でしかない。本能を抑えることはできても、すっかりなくせるわけじゃない。人は自力で空を飛べない。けれども飛行機に乗れば空を飛べる。道具を使い、環境を整え、蓄積した知識や技術を繋ぐことで、可能性の範囲を広げているだけのことだよね。基本はほかの動物たちと五十歩百歩だ」

「だとしてだから?」

「人間を個として見做したときに、そこに現れる【可能性の層の断片】には、その個の言動が反映されている。けれどもそこには本来、善意も悪意もないはずだよね。あるのはほかの動物たちと同じ、生態としての結果だけなのだから」

「でも善意や悪意は現にあるだろ」

「ある、とする認識が共有されているだけで、それが果たして真実に善意であり悪意であるなんてことは誰にも分からないはず。そうでしょ? だって人の心を覗くことはできないんだから。だとしたら、どうして人間の行動原理が、動物たちのとる行動原理と違うと言えるのだろう。人間が高等だから? 知性があるから? 果たしてそうだろうか。人間の諸々の行動とて、動物たちの威嚇や庇護や群れをなす行動原理と共通している――否、もっとはっきりと、同じと言ってしまっても構わないのではないのかな」

「それこそ俺に訊かれてもね。分かりませんよ。ひょっとしたら人間に固有の生態で、善意とか悪意なる機能というか、能力があるのかもしれない」

「かもしれない。そういう可能性ももちろんあるよね。否定しきれない。動物たちと似ているとはいえど、やはり人は人であり、ほかの種とは違う。ただ、そこまでハッキリと違うと言えるほどには違っているとは思えないよね――というこれは僕の感想だ」

「感想か。長々とお聞かせ願いどうもありがとうございました」

「いまのは皮肉だね」

「動物も皮肉を言う?」

「どうだろうね。動物はそもそも言葉を使わないから」

「カラスはでもしゃべっているように聞こえるけど」

「ならカラスは皮肉を言うのかもね」

「あ、そうだ。さっきさ、俺に、なんだか静かだね、って言ったの憶えてる?」

「言った気もするけれど、それが?」

「なんでか俺、解っちゃったかも」

「ぜひお聞かせ願いたいものだね」

「それはね教授。教授の講釈が眠たすぎて、ほかの生徒がみんな寝ちゃってるからだ」

「それはそれはご丁寧にどうも」

「でも俺は、教授としゃべっているから、静かではないんだなこれが」

「主観と客観の話だね。おもしろい。ではつぎのテーマはそれにしよう。まずきみからしたらいまこの教室は――」



【では仕事です】


「ドローンが戦争に利用されはじめて随分経つが、最も是正しにくい問題が何か解るか」

「重いっすね話題が。オレいま牛丼食ってんすけど」

「任務中じゃ雑談もできんだろ」

「上司の雑談がもはや査問会ばりの堅苦しさだってのは辞書登録しときやした」

「きみにも無関係の話ではないだろう。密室のなかでゲームをするように手元をパチパチ操作するだけで人を殺せる。ときには町ごと破壊可能だ。いまじゃ一人で数十台を操作する猛者もいるようだが」

「そこまでの仕事じゃないっすよ」

「だとしてもだ。ドローン技術は、情報社会と密接に相関して発展しつづけている。もはや対象に気づかれずに監視盗聴するなんてのは基本性能だ。だから問題は」

「つまり上司はこう言いたいわけっすね。技術の発展に伴い、それを使う側の意識せぬままに、誰もが核弾頭の発射スイッチを持てる時代なのだと。ですがさっきも言いましたけど、オレの仕事はそこまでの仕事じゃないっすよ。責任は相応に感じてますが」

「相応では困る、という話をしている。我々の扱う技術がほとんど知らぬ間に核兵器並みの脅威をはらむ可能性はきみの言う通りあるだろうし、無視はできない。だが、私の問うているのはそういうことではない。まさしく、きみのいま言ったように、責任の話だ。いいや、もっと言えば、責任感の話と言っていい」

「どう違うんすか。責任も責任感も似たようなもんじゃ」

「同じではない。自覚の問題だ。自らが背負う覚悟があるのか、という話だ」

「上司。ひとまず落ち着きましょう。牛丼まだ半分も食えてないっすよオレ。話もだいぶ掴めてないんすけど、えっとドローンの話と責任の話ですよね。だいぶ乖離してないっすか」

「同じことを話しているつもりだ。きみの仕事についてだ」

「ああ。雑談ではないということでありますね。申し訳ありませんでした。復唱します。ドローン技術の発展とそれに伴う問題、および責任の在り様について意見を述べよとの命令でありますか」

「いや、命令ではない。これは職務ではない。さきにも言ったが雑談だ」

「なんだ。緊張して損した。じゃあなんなんすか」

「責任感の話だ。自覚の話でもある。ドローンの操縦士はつねに安全地帯にいながら他者の生殺与奪の権を握る。いわば神の座についている。最初にいくら研修を積み、どのような制御下にあろうともけっきょくはボタン一つで他者の命を――人生を狂わせることができる。その事実を重々承知していたとしても、人はいつの間にか環境に適応し、流される。これは個人の問題ではない。仕組みの問題だ。そしておそらくこの問題を根本的に解決することは不可能だ――ドローンによる戦争を禁止する以外には」

「自動化という線もあるのでは」

「人が関わらない時点で、そもそもの問題提議が成り立たないので、そこは不問とする」

「人間の認知の問題という話でありますね」

「ああ」

「段々分かってきたっす。たしかにオレの仕事と通じていますね」

「理解してくれて助かる」

「でもオレの場合は、周囲に人がいますし、任される仕事も監視ばっかりですよ。たいがいの情報はAIのほうで弾いてくれるんで、オレんとこまで昇ってくる時点で凶悪犯というか、裁判所にだしても遜色ない情報ですし」

「いまのところは、だろ。ほかの部署ではもうすこし機密性の高い機構で、公にできない情報解析を行っている。そもそも事件化する以前の活動だ。問題ないとするその認識がすでにいまの環境に順応しすぎていると言える。きみがこのまま昇級していけば、遠からずそちらの部署に引き抜かれるだろう。だからいまのうちに質しておきたいのだ」

「正す? ああ、問うのほうですね」

「どちらでも同じだ。我々は公正な機関だ。私利私欲からは距離を置き、市民の安心と安全のために職務を全うする」

「当然の心得かと」

「しかしそれは万能の免罪符ではないことも理解しているか」

「ええ、まあ。だからこそこうして仕事を任されているものと理解しております」

「畏まらなくていい。これは雑談だ。階級に関係なく、いわばこれはきみよりもすこしばかり長く生きただけの先達としての対話だと思ってほしい」

「そうは言っても、上司は上司っすもん。歯向かえませんて」

「茶化さなくていい。通常ならば手にすることのできない技術を用い、通常広く一般の大多数の知り得ない手法で、知り得ない情報を入手する――そんな環境に身を置きつづけていられるじぶんという存在が、いかに異質で危うく、ときに脆いのかを自覚しつづけていられるか」

「まあ、むつかしいっすね」

「だが我々はそれをしつづけなければならないのだ。それができぬ者はこの職務にふさわしくはない。自ら下りる判断をとることも重大な素養の一つとして数えられるだろう」

「でしょうね。理解はしております」

「それだけでは不足だと言っている。解かっていないことを解っていない。そもそもが、人間に扱える仕組みではないということからして理解せねばならぬのだ」

「しかし上司とてこの機構の要職でありましょう。自らの機構の不備を承知していてなおそれを放置する姿勢は、理解しがたいのですが」

「不完全であろうとも、誰かがそれをしなくてはならない。ならば無理を承知でもせねばならぬだろう。できぬ、できませぬ、では通らぬのだ。それが我々の背負う責務だ」

「重圧っすね」

「当然だ」

「すみませんでした。牛丼掻きこみながら聞くような話ではありませんでした」

「その通りだが、わるいのはこちらだ。雑談交じりにしかこうして話せない。さきにも言ったが、これは対話だ。ただの、人と人との会話でしかない」

「はい」

「この先、人間の仕事とはすなわち、いかに人間らしくいられるのかに集約していくだろう。だが人間は技術のまえではいとも容易く人間であることを忘れる。解るか」

「日々実感しているであります」

「私もだ。自覚してなお、流される」

「こんなじぶんでもよいのでありましょうか」

「きみでダメなら誰がやっても一緒だ。まずは前例になれ。きみにしかできぬことだ。期待はしないどいてやる。失態は犯すな」

「はい」

「ちゃんと解っているのか?」

「失敗の許されぬ重大な職務であります。責任を自覚し、責任感を日々胸に抱きます」

「正しい。しかし充分ではない。失敗はつきものだ。だが、そこで終わるな。つぎに活かせ。失敗は、失敗で終わるから失敗なのだ。そこで終われば失態となる。失態を犯すな」

「ご教授、まことにありがとうございます」

「ん?」

「あ、いえ。楽しい対話でした」

「よろしく頼みますね。こちらこそ楽しい時間をありがとうございました。では仕事です」



【ワイノコ=トバ】


「何度同じ失敗を繰り返せば人は過ちを学ぶのか」

「それは誰の言葉?」

「リチャード・ワイノコ=トバです」

「誰それ」

「すまん。わいの言葉です」

「ああ」

「でも思うんだよな。さっき辞めてきたバイトあるだろ。何回失敗しても変わんねんだわ」

「対策とかとらないんですかね」

「対策とってもミスが減らねんだ、根本的に仕組みがおかしいって気づいてねんだよ」

「辞めてよかったですよそんなところ」

「だろだろ。いってぇ何回俺がミスしたと思ってんだか」

「ミスしたの先輩なんですか!?」

「おうよ。対策したとか何回言われても同じミスしちゃうんだ。これってもう仕組みの問題だよな」

「仕組みというかええ。なんで先輩をさっさと現場から外さなかったんですかね」

「適材適所が大事って話も何度もしたんだ。てんで聞きゃあしねぇ」

「念のために確認しますけど、先輩バイトですよね?」

「おうよ。バイトよ。パワハラの問題もあったな。だって俺ばっかキツく言われんだぜ。ミスを減らしましょうね、お願いしますねって」

「お願いされちゃってるじゃないですか」

「だって俺しかミスしねぇんだ。不公平だって苦情書いてきてやった」

「辞めてよかったですよホント。なんかうちのがすみませーん」

「どしたよ怒鳴って。どこに叫んでんだ、そっちにゃ俺はいねぇぞ」

「いなくてよかったですよホント。急に肩身が狭くなった気分です」

「できた先輩を持つとおまえもたいへんだな」

「よくみなさん我慢してたなぁ。わるい人ではないんだけどなぁ」

「おまえはいい後輩だからほれ、これやる。社員用の賄い品、持てる分だけ持ってきてやった」

「あわわわ。申し訳なさすぎる……」

「かかか。そう恐縮するない。礼には及ばんよ」

「アリガトゴザイマス。あぁ、憎めない人であるのがまた話をややこしく。早く先輩でもぬくぬく生きていける世の中になるといいですね」

「おうよ。みな俺を見習えばいいんだ」

「僕もがんばろ」



【何もかも】


「おうおう。ようやくお出ましか。あと二分遅れてたら大事な大事なあんたの娘ちゃんが細切れになってたぞ。サイコロステーキにする前にゃ部下どもの暇つぶしに与えたがな」

「要求は承知しました」

「そうかい。おっと、本当に一人で来たのか」

「そうでなければここまで辿り着けませんよ。愚かなフリはしなくていいです」

「そうかい。じゃあまあ、要求通り、アジュグ・ラウアの解放とあらゆる国からの監視指定機構からの不可侵条約の締結、それから俺たちの活動資金としておまえの息のかかった企業の株による純利益の年三十パーセントを寄越せ」

「欲を張るにしても、もうすこし品のある張り方をして欲しかったのですが」

「つぎ文句言ったら娘の指を捥ぐ」

「構いませんよ。端からそのつもりです」

「あん?」

「要求は承知しました。しかし、要求には応じません。交渉はしません。あなた方はここで終わりです。きょうで、終わりです」

「娘がどうなっても――」

「ええ。どうぞお好きに。私がここにきたのは、すでに私たち家族に人質の価値がないことを示すためです。あと数分でこの地下施設を含めた半径五キロ四方を、あなたが脅した国の全勢力を以って攻撃します。陸海空、全勢力を以って、です」

「お、脅しか」

「脅しというのは、しないことを選択肢に含めた場合のみ成立します。私にはすでに停止する権限がありません。これはただの事実です」

「いいのか、おまえ、だって娘が」

「ええ。可哀そうなことをします。贖えない罪です。私のもとに産まれてきてしまったばかりに。私は地獄に落ちるでしょう。ですがそのコは神の――いえ、しょせんこれもじぶんを慰める呪詛にすぎませんね。そのコにはなんの罪もないというのに」

「まさか。あり得ねぇ。ふかしやがって誰が騙されるとでも」

「聞こえますか。空軍の第一編成隊の近づいてくる音です。五、四、三――ほら、もう五キロさきで着弾しています。間もなくここも」

「や、やめさせろ。嘘だろおい馬鹿野郎、おまえ何やって」

「私ではありません。あなたがしたことでしょう。終わりです。あなたも。あなたがたの夢も。希望も。何もかも」



【そうでしょうか?】


「組織の後ろ立てがなければ何もできないのに、勉強が足りないなんてよく言えたもんだな」

「そうでしょうか?」

「勉強が足りないんじゃない。情報が足りないのだ。情報を秘匿して、安全圏からよくもまぁ、大上段に物を言えたもんだな」

「そうでしょうか?」

「公平ではない。公平ではないのだ。最初からだ。それを自覚できない者が勉強の必要性を説く。道理には適っている。しかしなぜそこで満足する。勉強をするのだろ。しようではないか」

「そうでしょうか?」

「議論も満足にできず、相手に諦め、帰ってもらう。追い返すのではなく、あくまでじぶんは悪とならぬように。誘導尋問のなかでも下の下の策だ。それで自衛しているつもりなのだ。何かを守っているつもりでいるのだろう。たしかにじぶんの心は守られるだろう。つらい仕事だ。いちいちまっとうに取り合っていたら一日で心が参ってしまう。だがそこに甘んじていて、何が正義か。何を守れるというのか。せめて勉強不足であることを知り、己が未熟さを知り、誰も助けることなどできてやしない現実から目を逸らさずにいられたのならばまだしも、他者を更生させようなどと、他者よりじぶんがさもまっとうであるかのように偽装している。偽装していることからすら目を伏して」

「そうでしょうか?」

「あなたはそれしか言えないのですね。解ります。まっとうに言葉を交わせば自らの未熟さを吐露することになる。そうせざるを得ない。負けるわけにはいかない仕事なのでしょう。おつらいでしょうね。しかしだからといって自身の勉強不足を棚に上げて、他者へと啓蒙ばかりする――いえ、いいでしょう。そういう生き方もあってよい。更生するための手を差し伸べる。さぞかし、おつらい仕事でしょう。やりきれないのでしょう」

「そうでしょうか?」

「ええいいでしょう。帰りましょう。人には議論をする自由もあれば、議論をしない自由もあります。しかしあなたの仕事は、困った市民を助けるためのものでしょう。けして、話をろくすっぽ聞かず、端から事件化するつもりもなく、事実確認をしようとするでもなく、諦めて帰ってもらうように仕向けることではないはずです」

「そうでしょうか?」

「居丈高な物言いをしてしまったことは謝罪します。しかし、そもそもが公平ではない。公平ではないのだ。片や相手は組織の制服に身を包み、組織の建物内にいて、どんな事態になっても援護されるだろう安心感に包まれており、片や何の知識もない困窮者だ。じぶんがいったいどんな事件に遭っているのかすら把握できていない、しかしそうせずにはいられなかった人物が、果たして安心の鎧を着こんだ相手をまえに落ち着いてじぶんの話をできるだろうか。落ち着いて話せるような人物がいたとして、果たして助けて欲しいと駆け込んでくるだろうか。そうしなくては大事な人たちが危険な目に遭うかもしれないと想像して、じっとしていられなかった人物の――いえ、解ります。そこに悪意はないでしょう。ひょっとしたら善意からの処置であったのかもしれません。しかし、医師はいくら善意を尽くしても患者を死なせてしまえば無力さを味わう。いくら誠意を払っても、誠意を払うことが仕事ではないのです。勉強不足。それはそうでしょう。いったい誰が勉強を満足にこなせているでしょう。そんな人物には会ったことがありませんので、もし勉強不足だと他者を叱咤ばかりしている者があるならば、きっとその方は、誰より勉強に満足されていらっしゃるのでしょう」

「そうでしょうか?」

「疑問ばかりですね。その通りです。何なのでしょうね。いったい何が正しいのか。解らないからこそ頼った手を振り払われた者の気持ちも分からないお方には、きっと言葉を尽くしてなお足りないのでしょう。勉強不足です。申し訳ございませんでした。出直しますね。相まみえる機会が巡ってくるのかは存じませんが」

「そうでしょうか?」

「巡ってくる可能性もええ。あなたの言うように、皆無ではありません」



【下りてきなさいよ】


「見ろよ。ネズミがなんかしゃしゃってら」

「僕らの尻尾をミミズだとでも思ってるんじゃないかな」

「尾を辿ってみりゃいいのにな。本体を知ったら死んじゃうんじゃねぇか」

「まさか龍だとは思っていないだろうね」

「かかか。いつでもじぶんがひねり潰されるかもしれないのにな」

「それを知ったら態度を改めるかな」

「変えるに決まってんだろ。ま、高潔たる我ら龍さまはそんな下卑た真似はしねぇけどな。けけけ。ミミズに倒されてやんの。龍さまの尾だぞ。バカにすんな」

「戯れもほどほどにしときなね」

「ほれほれ」

「ん? ねぇちょっと」

「んだよ」

「そのネズミ、ひょっとして尻尾の色、赤くない?」

「おーん? お、本当だ。しかもちょっと鱗っぽいな」

「ね、ねぇ。僕らの中で神様に選ばれた龍って誰だっけ」

「青龍のオジジじゃなかったか」

「じゃ、じゃあさ。ほかに、神さまに選ばれたほかの動物さま方と知り合いの龍はいないのかな」

「さあてな。おれは会ったことはねぇな」

「勘違いかもしれないけど、そのネズミさま。ひょっとして十二支の頭さまでは……」

「頭さま? 最初に神さまの元に到達したっていう、あの?」

「違うかな。違うならそれがいいんだけど」

「おうおう、ネズミっこ」

「あ、こら」

「おまえ、十二支のお偉いさんなのか」

「チューチュー。チューチューチュー」

「なんでぃ。違うってよ」

「ほっ。なんだ。よかった」

「紛らわしいんだよ、焦ったじゃねぇか。こうしてやる」

「可哀そうだよ。あはは」

「お? なんか向こうが薄暗いな」

「ホントだ。妙だね」

「曇天か。いや、砂嵐かな。野も山も、川まで地面がなんでか真っ黒だ」

「ち、違うよ。よく見てよあれ」

「おーん?」

「全部、ネズミだ……」



【腐れ落ちエンド】


「千年も生きてると大概のことがどうでもよくなるのよ」

「八百万さんも達観してますよねぇ」

「八尾比丘尼、ね。そういう人魚さんも相変わらずですこと」

「そうでもないよ。千年前にあなたに齧られたところ、未だに嵐とかくると痛むもの。ほら、ここ。尾ひれのとこ」

「ハート形になってうれしいって言ってたじゃないの」

「八尾比丘尼さんもにぶいなぁ。千年も生きててまだ気遣いのなんたるかも分かってないんだねぇ」

「お気遣いどうも。でもあなたと私の仲じゃありませんか。もうそんな小細工を弄する仲でもないと考えていたものでして」

「親しき仲にも礼儀ありかと思いまして」

「あらあら。いつ私と人魚さんの仲が親しくなって?」

「じゃあどういう仲だと思ってるの八百万さんは」

「八尾比丘尼、ね。もうそれでいいですけど、さすがに千年経ってまだ名前も憶えてもらっていない人との仲を親しいとは思えないものでして」

「いやだなぁ。八百万さんが最初に私にそう名乗ったんだよ。あとで本名知ったけど、もうわたしのなかじゃ八百万さんは八百万さんなんだもの。変えたきゃ八百万さんのほうで名前を変えてちょうだいな」

「けっきょくどちらにせよ、八百万一択なのですね。ええええ、構いませんよ。私はあなたのお陰でこうして天涯孤独を満喫しているのですからね。言ってしまえばあなたは私の第二の産みの親なわけですから」

「うえぇ。嫌なんですけど。私まだ初恋もまだだよ。だから三千年も消えずにいるのに」

「あらやだ嘘。あなた、人魚さん。三千歳なの?」

「たぶんそれくらい。前に【時の人】に会ったときに教えてもらったから、百年は間違ってないと思うよ」

「たしかどの時代にも存在しつづける不老不死者なんでしたっけ」

「不老不死とは違うみたいだよ。よくは知らないんだ。でも長生きなのはそうだよ。私が小さいときからたまに見たし、姉さまたちも、そのまた姉さまたちもみんな会ったことあるらしいから」

「人魚には親がないってこと、たまに忘れてあなたの口から聞くたびに新鮮」

「わたしも八百万さんから、人魚さんって呼ばれたり、あなた、って呼ばれたりするの、好きだよ」

「新鮮、と私は言いました。好きとは言っていません。べつにそこに意図はこれといってありませんからね。誰に対しても私はこうです」

「あらそうですか。ごめんあそばせ」

「あらもう足が濡れてきちゃったわ。満ち潮もいまの時期は早いわね」

「もう行っちゃうんだ」

「またあすきますよ。寝過ごさなければ、ね」

「私はずっと起きてるよ。人魚は眠らないから」

「夢も視ないんですよね」

「それは寂しいね、って前に八百万さんに言われてわたし、その意味がずっと分からなかったけど最近すこしだけ、これかな、と思う感情に触れるよ」

「それはあなたにとってよいもの?」

「さあ。もうわたしにとってよくないものを探すほうがむつかしい。新鮮であればいい。たいていのことはどうでもよくなっちゃうんだ」

「三千年も生きると?」

「八百万さんは千年でその域に達してしまったみたいだけど」

「そうね。私は夢を見るから。きっとそこで残りの二千年を過ごしてしまったのかもしれないわ」

「それは楽しそうな時間をお過ごしで」

「そうでもないわ」

「あらま」

「だってあそこには、海が――」

「あ、この貝キレイ。初めて見たかも、青い巻貝」

「そうね。きれい」

「ちゃんと見て。いいでしょ。あげないよ」

「いりませんよ。さて、もう行きますね」

「また来てね」

「どうしようかしら」

「もし来なかったらわたしのほうで会いに行っちゃうかもよ」

「恋も知らないあなたに足が生えて?」

「陸にはあがれないけれどもさ」

「そうでしょうとも」

「うん――夢のなかになら会いに行けるよ」



【小石】


「呪術はありますよ。呪いは存在します」

「祈っただけで人が死ぬとでも? 私はあなたの弁護士なので、弁護はしますが、どうか正直に話してください。その呪術というのも、いまここでの作り話ではなく本当にそうお考えだったのでしたら、それでもよろしいですよ。ただし、責任能力の有無はすでに実証済みです。呪術うんぬんの供述が減刑に与しないことは前以ってお知らせしておきますね」

「私はいつだって正直に生きています。ただ、人よりも正直がたくさんあるだけのことで。いいえ、それとも本当は誰だって正直がいっぱいあるのに、誰もがそのことから目を背け、素知らぬふりをしているだけなのかも」

「呪術ということはでは、あなたは被害者の方々を総じて呪い殺したということでしょうか」

「私は加害者なのですか?」

「いまのところは容疑者です。ただし現行犯逮捕されていますから、こうして留置所にて検察官からの判断を待っています。釈放されてもすぐに容疑が晴れることはありません。ですからここでの供述がのちのちまで響きますし、もっと言えばあなたの今後の人生を左右します」

「その言動そのものが呪術をはらんでいますよね。私の今後の人生を左右する。なんて禍々しい響き。それが呪術でなく何なのでしょう」

「ですが私はあなたを殺傷することはできませんよ。言葉では」

「言葉は歯止めにすぎません。ちいさな、ちいさな小石にすぎないんです。でも、それで充分なんです。なぜならこの世はすでに大小様々な歯車によって組みあがる巨大で複雑なからくり細工なんですから」

「もうすこし詳しくどうぞ」

「言葉は小石です。歯車と歯車のあいだに挟まればそれで済みます。滑らかに動いていた緻密なからくり細工を、ほんのちょっと遅らせるだけでいい。呪術とはつまるところ、ほんの僅かな遅延を、いつどこで生じさせるのか。その見極めと、言葉と、契機の一連の流れです。総体なんですよ。あなたの言葉と同じです」

「私の言葉は法律を基にしています」

「ですから法律がすでに呪術の一つなのです。回路を伴ない、秩序を伴ない、一連の流れを伴なっています。それにより、個の生を歪め、個の自由を奪います」

「人の道を縛る、という意味ではたしかに呪術かもしれません。しかし、ないよりかはあったほうがいい類の呪術でしょうね」

「そうです。呪術には本来、よいもわるいもありません。そのときどきで、どう人に作用するか。その結果に何が生ずるか。問題はそこであって、呪術そのものではありませんよね」

「呪術の話はおいおい聞き直しますね。いまはあなたが犯行時、現場で逮捕されたときの状況を再確認させてほしいのですが」

「状況? それをなぜ私が把握し、記憶に留め、説明できると?」

「できないのですか」

「あなたは一週間前に食べたメニューを憶えているのですか」

「ええ。たしかハンバーグ定食をお昼に食べました。朝はなし。夜はコンビニでお弁当とスナック菓子を買って食べたような。記憶力はいいみたいなので言えますよ。飲み物はコーヒーと新発売のたしか桃風味の炭酸飲料水でした」

「さすがは弁護士さんですね。でも私はそこまで記憶力がよくありません」

「ですが呪術にはお詳しいようで」

「呪術は単なる道理ですから。あらかじめ何が起きるのかを知っている者が、ほかの者に、いついつどこで待ち合わせをしましょう、と約束をとりつける。その結果に、その誰かが亡くなった。これのどこに違法性がありますか?」

「事故死する可能性を考慮しながら約束をとりつけたのなら、充分に殺人罪の範疇ですよ」

「事故死する可能性なら、誰にでもありますよね。いつ、どこで、どのように過ごしていたところで。いまだってこの瞬間に、ここに隕石が落ちてこないとも限りませんし」

「そういうレベルの話をしているのですか?」

「ええ。そういうレベルの話をしています。低次元ですか。真に受ける余地がありませんか。それはそうでしょう。ですから言っています。私はただ、呪術を唱えただけだ、と」

「それによって被害者たちが亡くなった、と。かってに死んだ。あなたはそう言いたいわけですね。そこに悪意を秘めていた、と証言しながらも」

「悪意? 私のこれは悪意なのですか? 呪術を唱えることが? ならばいまあなたの口にしている法律を基にした呪術にも、悪意が?」

「話を変えますね。あなたには被害者たちとの面識はありませんでした。しかし、あなたは一方的に彼ら彼女らに恨みを持っていた。そうでしたよね」

「恨みを? 私が? 亡くなった方々に?」

「そういう話でしたよね」

「いいえ。私は誰のことも恨んではおりません。誰のことも傷つけたくありません。そうじゃないですか」

「ですがさきほどあなたは」

「私はただ、【いまここでこれを唱えればこうなるだろうな】と予測したことを、ただその契機に合わせて唱えただけです。その結果に誰が亡くなるのか、なんてことには初めから興味はありません。呪術は、そういうものではないのですから」

「なるほど。いったん話を戻しますね」

「すこし眠くなりました」

「呪術を使えばあなたは、まだ発生していない事故現場に対象人物を誘導し、死なせることもできる、とさきほどおっしゃいましたよね」

「可能です」

「では呪術は人を殺し得ますね」

「はい。包丁やケーブルやエンピツや箸で人を殺し得ることと同じです」

「あなたはそれを意図して行えるのですよね。そのように自己認識していらっしゃる」

「はい。けれど私はそれをしません。興味がありませんので」

「ふしぎですね。このメモにはさきほどあなたからお聞きした供述が残っていますが、それによると、あなたは呪術を使った、とあります。人を殺めるために、呪術を用いたのですよね」

「いいえ。人を殺すため、ではありません。私は言いました。言ったはずです。呪術は、緻密で複雑な回路に小石を詰まらせるようなものなのだ、と。緻密な複雑な回路とは、けして人間のことではありません」

「あなたの呪術の向かう対象が、人ではなかったと?」

「はい。弁護士さんの呪術はどうやら人に向けて行使されるようですが――その点が、私には奇異に映ります。それって物凄く危ないことではありませんか。信じられません」

「いいでしょう。きょうのところはこの辺にしましょう。またあす、この時間に話を聞きにきます」

「お疲れさまです。こんな私のためにありがとうございます」

「仕事ですから」

「あ、そうだ。あすの天気、予報でよいのですが、雨ですか」

「晴れだそうですよ。雲一つない秋晴れになるだろう、と朝のお天気お兄さんが言っていました」

「では、赤信号にはお気をつけて」

「なんです?」

「赤信号です。立ち止まりますよね。あすは突風が吹き、思いもよらない物が飛んできます。身体にぶつかるにせよ、そうでないにせよ。自動車行きかう車道に飛びだして轢かれないように、どうぞご注意を」

「それは呪術ですか」

「いいえ。これはただの心配です」

「お心配りどうも」

「いいえ。こちらこそ」

「ではこれにて。あっとそうでした。さきほどの呪術の説明。緻密で複雑な回路――からくり細工が人間を示さない旨は憶えました。ですが、そこに詰まる小石はなんの比喩ですか」

「小石、ですか」

「歯車に詰まらせる。はい」

「ですから、言葉、です」

「そうですか。言葉である、と解釈するには、ずいぶんと物理的な響きを伴なって聞こえたものですから」

「弁護士さん。ねぇ、弁護士さん。もう、お時間ですよ。お気をつけてお帰りください。あすも無事、お会いしましょうね。心より私、そう願っております」



【小なる説】


「小説を分解すると四つの成分に分けられます」

「はい先生。【会話文】【字の文】【説明文】あとはえっとぉ」

「【風景描写】ですよ。その四つのうち、独立して小説となり得るのがどれか分かりますか」

「えっとぉ。【会話文】と【地の文】ですかね」

「はい正解です。【会話文】と【地の文】はそれぞれ単体で小説をつくれます」

「なら【説明文】と【風景描写】はそれだけだと小説にはならないのですか」

「むつかしいという意味であって、絶対に不可能だ、とは言いません。けれども、面白く読める物語をつくるには相応の工夫がいるでしょうね」

「一つ疑問なんですけど」

「なんなりと」

「会話文はいいんですけど、ほかの三つってどう違うんですか。【地の文】ってなんだか【説明文】と【風景描写】を含む気がします」

「含む場合もありますね。けれど【地の文】はあくまで、語り部の独白です。語りそのものなんですね。その点、【説明文】や【風景描写】は、それぞれが独自の技法や形式を持っています。【説明文】ならたとえば、論文だったり。それとも年表だったり。或いは、事実の羅列であったりしますね」

「じゃあ【風景描写】は?」

「極端な例で言えば、俳句とかがそれになります。ほかには、詩なんかも広義の【風景描写】でしょうか。とはいえ、これは散文にちかづけばちかづくほどに【地の文】に寄りますが」

「じゃあまずは小説をつくるなら、【会話文】と【字の文】だけを使ったらよさそうですね。簡単につくれそうです」

「それはどうでしょう。小説は何でもありです。強いて分解するなら四つの成分に分けられますね、という話なので、それを絶対視されちゃうと却って教えないほうがよかったかな、と思ってしまいますね」

「そうなんですか?」

「まずは自由に、思うがまま、ただ思ったことを、頭に浮かんだままに文字に変換してみればよいと思います。そのうえで何かもっとよくならないかな、と思うなら、じぶんの小説が四つの成分のうちどれに比重が偏っているのかを考えてみると、削るべき箇所や、改善すべき箇所が見えてくるようになるのかもしれませんね」

「でも、文章自体が上手でなかったら意味ない気もします」

「それはないです。もし文章が上手でない小説に意味がないのなら、小説そのものが意味のないものになってしまいますからね」

「なりますか? 意味のないものに?」

「はい。だって先生、文章がお上手な小説なんて読んだことありませんもの」



【作家先生】


「先生はどうやって小説をそんなにたくさん生みだせるのですか」

「インタビューで毎回同じことを訊かれるので、毎回違う回答を考えるのがそろそろつらくなってきたのですが」

「同じ回答をされても構いませんが」

「じつはAIなんですよ。人工知能です。自動執筆マシンに任せています」

「ゴーストライターだった、ということでしょうか。驚愕です」

「嘘じゃないですよ」

「ご冗談ではなく?」

「ええ。想像上の人工知能ですが」

「ああ。なるほど」

「落胆しないでください」

「呆れただけです」

「落胆されたほうがマシだったな。でも、大事ですよ。想像力。人工知能による自動執筆。嘘ではないのは本当ですから」

「すみません理解が追いつきませんでした。つまり、頭のなかに人工知能を埋め込んでいる、という話でしょうか。にわかには信じられませんが」

「似たようなものです。リアルに想像してみるんですよ。人工知能を。小説を自動執筆する回路を」

「それでかってに小説がぽんぽん生みだされますか? まだマクロチップを脳内に埋め込んでいますとかのほうが信じる読者の方がでてくる気がしますが。ひょっとしてその辺の事情まで配慮して、誰も信じないようなご発言を?」

「いえいえ。本当に想像するんですよ。で、書いてもらうんです。小説を。人工知能さんに」

「それを先生は写し取るだけだと?」

「ええ。かろうじて面白いかな、と感じたものだけをね。ブドウの房から一粒二粒をつまみとるみたいにして」

「それはどこまで本当のことなんですか」

「嘘は吐いていませんよ。ただ、人工知能さんがあまりに量産するもので、読むほうもたいへんだし、けっこうこれが飽きちゃうんですよね」

「はあ」

「なので、気が向いたときだけにしています。いまは」

「では本気を出せばもっと発表できるわけですね」

「読むほうの本気を、ですが。タイピングのスキルも磨かなきゃですね。私は子どもみたいな打鍵しかできませんので」

「以前のインタビューで、三本しか使っていないと書かれていましたが」

「事実です。左手の人差し指。それから右手の人差し指。中指。あ、親指もときどき使いますね。右手だけ。エンターキィを押すときに」

「それであの速度なのですね」

「はいだから遅いのです」

「いえ、速いという意味でいまは言いました。驚きです」

「速いですか? 平均すれば十七秒に一文字くらいの速度ですが」

「それこそ嘘ですよ」

「そうなんですかね。そこは、検証なり、実証なり、お任せしますけど」

「ちなみにですが、本を読まれる速度はどのくらいなのでしょう。差し障りなければ教えていただきたいのですが」

「差し障りのあるような質問なんですか? 本は、早くても三日に一冊くらいの速度です。飛ばし読みしながらでもそれくらいかかります。遅ければ読み終わるのに数年かかります」

「それは途中で飽きてしまうということでしょうか」

「いえ。読みながら考えるので、考えがまとまるまではその次の文章に移れない性質なだけです。ただ、読み飛ばすこともあるので、そういう本は三日で済みます」

「時間のかかる本のほうが先生にとっては良書なのですね」

「さあ。不良書を読んだことがないので比較できません。速く読める本のほうが楽しくは感じますが、本の価値は、楽しさだけでは測れませんからね。あれ、こういう話題の質問でしたっけ」

「ご回答、ありがとうございました。そろそろ最後のご質問に移りたいのですが、よろしいでしょうか」

「いまのが最後のでもよかったのですが、ええどうぞ」

「先生はこれまで覆面作家としてご活躍でした。なぜいまの時期にお姿を解禁されたのでしょう」

「ああすみません。それは本人に訊いてみないことには私にはなんとも……」



【「小ネタ×10」(2)】


____

『消えたのはどっち?』


「超傑作でけた!」

「どれどれ」

「傑作ゆえ誰にも見せんが」

「そんなこと言うなし。見せてけれ」

「嫌じゃ嫌じゃ」

「独り占めは許さんべ。見せい、見せい」

「わいだけの傑作や。そんなにいじわるするならこうだ!」

「あひゃぁ」

「消してやったわ。がはは!」



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『けけけ』


「くるな、くるなー」

「どうしたんですかあの人」

「悪魔に襲われてるってんで騒いでんだ」

「いいんですか放っておいて。先輩の担当ですよね」

「いいんだ。天使のあたしを追い払うやつなんざ、助ける義理もねぇ」



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『棚上げ』


「腰イテェ。腰イテェよぉ」

「とったげよっか」

「できんの?」

「そこ寝て」

「あいよ」

「イチニのサンでいくよ」

「ばっちこい」

「イチ、ニの、サン。ほいー!」

「わいの腰がぁー!」



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『小説ではなく、極小』


「カギカッコだけのショートショートなんてなぁ」

「悪態の予感がする」

「角材加工したときに出るオガクズやキリコみてぇなもんだ」

「要はゴミだと?」

「角材加工しなきゃ出てこねぇ余分ってこった」

「長編を手掛けなきゃ出てこないボツ案みたいな?」

「みたいな、ではなく」

「マグロの大トロがむかし捨てられていたけど今は、みたいな?」

「今がどうかは知らねぇが」

「贅肉的な?」

「的な、ではなく」



______

『骨がないゆえに皮肉』


「プロの小説家が一日でウン万文字書けるんだから、手抜きのショートショートなんざ一日で百作くらいは余裕だろう」

「そういう短絡的な思考がきみの人間としての器を狭めているのではないかな」

「なんでだ。一日ウン万文字書けるほうがよっぽどすごいだろうがよ。それよりも簡単なことならもっと手軽にできるだろって、ただの事実の指摘だ」

「事実かどうか、まずは現実のデータがなければ断言はできませんよ」

「データデータっておまえはデータ版ですか」

「それを言うならベータ版では? ちなみに僕はデータ版でもベータ版でもありませんが」

「ツッコミ下手すぎてやる気失せるわ」

「ふっ。理不尽すぎて笑ってしまいました。何も言いません。お好きにどうぞ」

「やる気でないのに、お好きにもどうももないっての」

「それこそ、プロの小説家だって、やる気のでない、楽しくもない、売れもしない手抜きのショートショートなんか、たとえつくれても一日で百作もつくりませんよきっと」

「減らず口を」

「どの口が!?」



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『見習「え」と「い」の違い』


「うっ、うっ。哀しい。こんな哀しい物語を私はいま書いている」

「小説家の鑑ですね。お手本にします」

「うっ、うっ。あとちょっとで主人公のたいせつな人が死んでしまう」

「愛着あるキャラをも物語のために死なせる。小説家の鑑だ」

「うっ、うっ。物凄く感動的な場面なのに、めっちゃオナラでる。猫が絨毯にゲロ吐きよる。宅配便のお兄さんがインターホン連打してる。うっ、うっ。主人公が絶望に瀕している。可哀そう。泣ける」

「どんな状況でも現実から目を逸らし、忘却し、物語に没頭できる。小説家の鑑だ。お手本にしたくはないが」

「うっ、うっ。知らぬうちに、見知らぬ誰かに失望されてる気がする。哀しい」

「いよいよ小説関係なくなってきた」

「哀しい。哀しい。こんなに哀しいのに、昂った精神を治めたい。とんでもなくヘンタイなヘンタイをしたい。生存本能を刺激される。脱稿したら部屋に引きこもって、一日中ヘンタイしてやる」

「ただのスケベだった。反面教師にしよ」




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『懺悔』


「後悔している。罪も認める。だからやり直す機会をわたくしめにもお与えください」

「大丈夫ですよ。神さまはお優しく、慈愛に満ちていらっしゃるので」

「では」

「はい。お許しになりましょう。あなたの罪も。あなたの存在ごと」

「ありがとうございます。ありがとうございます」

「だが私が赦すとは言っていない」

「へ?」

「神さまはお優しい。ので。きっと私の罪もお許しになるでしょう」




______

『この世で最も不幸な人』


「見て。あの人がこの世で最も不幸な人よ」

「初めて見たなぁ。ニュースや雑誌では目にしていたけど」

「誰もがあの人を忌避するの。だってこの世で最も不幸な人なのだもの」

「でもたぶん、大統領よりも有名だよね」

「そりゃそうよ。この世で最も不幸な人なのよ。歴史にだって名前が残るわ」

「不幸なのに?」

「不幸だからよ。あの人がこの世で最も不幸でいてくれるから、誰もがこの世で最も不幸にならずに済むんだもの。この世で最も不幸な人さまさまね」

「不幸な人だ」



______

『おまえが殺したからや』


「よかろう。ここまで這いあがってきたお主に敬意を表し、わがはい自ら相手をしよう。剣を抜くがよい、小僧」

「魔王よ。わるいな。おまえを倒すための剣は置いてきた」

「なんだと」

「勇者たちもここまでくる途中でみな死んだ」

「え、そうなの」

「この世のすべてを統べる者たる魔王、おまえは、いまから勇者一行の翻訳係の、そのまた奴隷の身体を拭くために拾われた、その辺のただのクソガキと一戦を交えるのだ」

「汚名甚だしくないそれ?」

「そしておまえは、剣で斃されることなく、その辺でさっき拾ったこの、なんか変なカタチのミミズばりにほそっこい木の棒で敗れるのだ」

「やだ、もっとちゃんとして。斃すなら万全に準備して。本気だして。軍勢できて」

「がはは。いくぞ魔王」

「くっ。こい小僧。勝っても負けても汚名でしかないが……しかし勇者よ、なぜ死んだ」



______

『根源だもの』


「じつは意識には、時空を司る場の理論が関わっていたのです!」

「おーそれはすごい」

「じつは意識には、量子効果という近代物理学で扱う現象が関わっていたのです!」

「おー、なんかすごそう」

「じつは意識には、原子構造が関わっていたのです!」

「ん、うん。すごい気がする」

「じつは意識には、電子信号の大本となるエネルギィが関わっていたのです!」

「ま、まあ、そうかな?」

「じつは意識は、人間の頭脳の三割を占める主要成分、タンパク質が関わっていたのです!」

「いくらなんでも知っとるわ!」



【没の山】


「やめどけ。あの祠には近づくでね」

「なんでじゃお婆。せっかく視えるのに。いま逃したらつぎいつ現れるか分かんねぇべ。願いさ叶えるだ。村を救うにはそれしかねぇべさ」

「いかん。あれはオメの思うようなもんじゃね。願いは叶う。しかしそれはたった一人きりだけの願ぇだ」

「ならば余計に急がねば、余所モンに奪われちまうべさ」

「そのほうがええ。オメは近づくな」

「けんども」

「神さんではあるっちゃ。お婆もオメよりちいせぇころに一度だけ見た。みな言い伝えを信じとったば、こぞってあの山さ登ったべ。祠さ行って、お参りするだ。願いを叶えてくれろ、叶えてくれろ。みなこぞって山さ登った」

「誰の願いが叶ったんだ?」

「どこぞの行者じゃったらしい。詳しゅうはお婆も知らん。あとで噂がぽつぽつ立ったが、誰ぁれも本当のところは知らなんだ」

「なんでじゃ」

「みな死んだべ。だからだ」

「みな? 死んだってなんでだ」

「言うたべ。あの祠さおわす神さんは、一人きりしか受け入れん。最初に辿り着いた者だけの願いを叶える代わりさ、ほかの者の命さ奪う。ほかの者は誰ぁれも近づけん。まるで地獄の淵でも開いたように、祠の周りさがらんとして、その下さ、麓まで死体から湧いたウジで埋まったっちゃ」

「け、けんども」

「よっく考えろ。オメさ山さ登るべ。首尾よく祠さ一番乗りできたとしで、その後はどうする?」

「そのあと……」

「願いさ唱えた後だべ。無事で済むと思うとったかよ。神さんに魅入られたべ、気に入られたから願いさ叶う。それで無事に麓に帰ぇしてくれると思うとったか」

「帰ぇれないのけ」

「んだっちゃ。あの山さ現れたら近づいちゃなんね。願いは叶うべ。けんども登った者は誰ぁれも帰ぇらん。オメさ、それでも村のために祠さ急ぐか」

「わ、わからん。お婆、おらどうしたらいいべか」

「ここにいろ。そんで寝て、起きて、よお食べ。足りん分はお婆の分もやる。オメが村の奇禍さ背負うことはなか」

「いいんか?」

「そうしろとお婆が言うちょる」

「けんども、もしこのこと知らねぇモンが、あの山さ登ったら」

「みな知っとる。知らんのは……オメだけだ」

「そ、そうなんか」

「んだっちゃ。きょうはお婆が添い寝しよか。こっちこ。あったかくしてもう寝れ」

「うん」

「オメの母親もな、風の強い日はこうしておらさ膝のあいだに挟まってなぁ――」



【肢】


「小学生くらいのときだったでしょうか。両親に連れられて旅館に何泊かしました。自然のなかで何不自由のない生活を送る矛盾を私はなんだか居心地わるく思ったようです。だからでしょうか。帰り際にガラス細工館に立ち寄ったのですが――絵本からでてきたみたいな造りの館でした――なかには工房もあって、飴細工みたいに色彩豊かな工芸品がたくさん並んでいました。天井や壁からはステンドグラスが光を虹色に砕いていて、なんて不自然な光なのだろうとくらくらしたのを憶えています。不快ではありませんでした。館のそばには湖があって。沼みたいに嫌な臭いがしたけれど、でもそれはだけは美しいと思えました」

「それで?」

「はい。ガラス細工館で私は一つだけ欲しいモノを買ってあげるって言われて、見て回ったんです。動物や花を模した品のなかから私は、赤とんぼそっくりの品を手に取りました。羽の葉脈みたいな柄まで克明に再現されていて、複眼の宇宙みたいな色合いも目を惹きました。でも一番は、なんといっても肢で」

「肢?」

「そうです。トンボの肢って見たことありますか。私、ガラスの赤とんぼを買ってもらってから、野生のトンボのこともちゃんと見るようになって。図鑑とかでも調べたんですが、細いんです。本当に細くて。触れたら折れてしまいそうなこんな肢でトンボったら身体を支えているんだと思ったら、なんだかモゾモゾして」

「モゾモゾって?」

「なんでしょうね。話は戻るんですが、旅行から帰ってきた小学生の私はさっそく箱からガラス製の赤とんぼを取りだしました。でもそれが私の部屋に飾られることはありませんでした。なぜだと思います?」

「壊れてたんだろ」

「正解。繊細な造りが災いしたんですね。肢が残らず折れてしまっていました。きっとそれまでそれを購入した人がいなかったんじゃないかな。梱包された過去がなかったから、きっとお店の人も包装の仕方を工夫できなかったんだと思います」

「なかなか印象深い思い出だね。で、それとあなたがあのコを支配してなお、付き合わずにいる理由はなんなんだろう。あたしはさ、あのコがしあわせそうだからいままで黙ってたけど、あなたの態度はちょっと失礼というか、あのコの想いを利用してるだけに見えることがある。増えてるよ最近。異常で、ちょっと見てられない」

「ああ、そうですよね。すみません。大丈夫かなって油断しちゃってたんだと思います」

「油断ってああた」

「あのコがあれで満足しているようだから、きっとあのコの周囲の方たちも好意的に見てくれているのかなって。すみません勘違いしていました」

「本性隠してたってわけだ。へえ、そう。ならなおさらあのコに近づかないで。もう放っておいてあげて」

「それはあのコに頼まれたのですか」

「そうじゃないけど見てればわかるよ」

「あなたはあのコの何なのでしょう」

「友達だよ。むかしっからの。そっちよりかずいぶん長いこと仲良くやらせてもらってます」

「ああ。それで私に盗られたと思って、そういう」

「そうじゃない。そうじゃないよ、たぶらかしコさん」

「たぶらかしコ? ああ、悪口」

「そっちにあのコをしあわせにしようって気がないなら、中途半端な真似して連れ回すのやめてやってくんないかな」

「連れ回す。私が」

「そうでしょうよ。毎週毎週どこほっつき回してるのか知りませんけれども」

「あのコがかってに付いてくる。それをあなたは私のせいだという。この世から私が消えれば満足ですか」

「そういうやって話をはぐらかすのやめてくんないかな。最初のトンボの話も意味不明だし、それわざとしてます?」

「どうしておっきな声をだすのか、私ちょっと怖いです。でもそう、大事なことを思いだしました。ガラスのトンボの肢なんです。繊細なものってすぐにポッキリ折れてしまうでしょ。でも折れずにいたら手元に置いておきたくなるくらいには不自然でもあり、自然でもあるような」

「それとあのコとどう関係が」

「関係しかありません。だってあのコ、繊細でしょ。不自然でしょ。あんなに邪気のない、一途で、一点のくもりのない取れたての綿みたいなコ、私会ったことないですもの」

「あたしこそあんたみたいな悪女とは会ったことなかったよ。この世にこんなおぞましい女がいるとは思わなかったな」

「おぞましい、ですか? でも私はいまあなたの態度に傷ついていますし、怯えています」

「そうは見えねぇけどな」

「ふつうはでも、傷つきますよね。怯えますよね。竦みあがったり、折れちゃったりしますよね。でもね。あのコはなんど突き放しても、どう接しても、どれだけ私が自然のままであっても、ガラスのトンボの肢みたいに折れちゃったりしないんです。壊れないんです。あんなに繊細で、触れただけで指の油脂で枯れてしまいそうなものなのに」

「あんただいぶキショイよ」

「トンボの肢みたいに? 私、こんなに人と向かい合って言葉をやりとりできたのはじめてかもしれません。あのコはすぐに謝ってしまうから。ひょっとしたら私たち、とっても仲の良いおともだちになれたりしませんか」

「お断りするよ。申し訳ないけどな。あたしは金輪際あんたとは関わりたくはないし、あのコにも関わらせない」

「まあ、怖い。支配するのですね。大事なご友人の自由を、あなたは束縛して、ご自分の都合のよいようになさるのですね。おそろしい人」

「もういい。ここは驕るよ。時間割いてもらってどうもね。こっちから誘っといてなんだけど、もう二度と会うことはないと思います」

「あら、残念」

「ちなみにだけど、壊れたガラストンボ。まだ手元にとってあんの」

「はい。肢だけ」



【矢面下暗し】


「久しぶりだなジョー。仕事は順調か」

「また無職だ。しばらく気楽にやるよ。そっちこそどうなんだ。高給取りだろ」

「そうでもない。使う時間がないだけだ。金より自由な時間のほうが価値があるって再三痛感しているところさ」

「お互い、ないものねだりだな」

「まったくだ。一杯奢るよ」

「構うなって」

「ジョー。いいんだ。代わりに仕事の愚痴を聞いてくれ」

「そういうことなら遠慮なく」

「最近、また部署を変わってな。機密性の高い部署で、まあ言ったら最新機器に囲まれて過ごしてる。冷房が効きすぎて腰が痛くなる」

「一日中座ってるのか」

「ああ。ただ最近の仕事がまた気が滅入いるもんでな。大声じゃ言えないが、まあよそ様の人生を狂わせるような仕事だ」

「お国のためだろ。仕方あるめえ」

「そう言ってくれるのはジョー、きみくらいだ」

「けへ。仮にガウス、おまえから聞いた話を誰かに漏らしても、俺の言葉じゃ誰も信じねぇ。安心して愚痴れるのが俺だけって話だろ」

「バレていたか」

「何年腐れ縁やってると思ってんだ」

「いまオレの実行中の仕事はな、電子機器を遠隔操作してまあ、端折ってまとめちまえば厄介なお国のお荷物を社会から抹消するってのが大筋の内容だ」

「また物騒な仕事を任されやがって」

「足さえ故障しなきゃ現役で忍者をやれてたんだがな」

「忍者か。それはいい」

「だがどうにも、いまのターゲットが曲者でな。相手の個人情報はオレのところまで回ってこないが、まあ一日中家にはいるんだが、どう策を練ってもうんともすんとも狂わねぇ」

「けへ。そりゃ端から狂ってやがんのさ。狙撃してケリをつけちまえばええ」

「それができりゃオレのとこの部署はそもそもいらんだろ。飽くまでしぜんに自滅したように見せかけなきゃいかんのだ。この仕事のプロセスそのものが、ほかの大きなプロジェクトの重要なシステム構築のための素材にされるらしい。言ったら実験も兼ねてるってことなんだろうが」

「ほう。そりゃまた豪勢なこって」

「ふつうなら気が触れてとっくに自殺か、逸脱行為に走っているころなんだが、未だにターゲットは家のなかでのうのうと暮らしてやがる。オレがいったいどれほど頭を悩ませ、時間を使い、上司だの官僚だのにせっ突かれてるかも知らねぇで暢気なもんだ。こちとら冷え性で身体がガチガチだってのに」

「けへけへ。ほら乾杯だ。飲め飲め。どうせガウス、おまえの奢りだ」

「まったくだ。オレの金で飲むんだ。遠慮なんさするもんか」

「ガウスほどじゃないが、俺のほうでも悩みは尽きねぇぜ」

「貧乏神に愛されていること以外にか」

「それもあるが」

「あるのか」

「俺ん家はおまえも知るように物置小屋だのプレハブ小屋だのを継ぎはぎにしただけの、秘密基地みたいなもんだ。だが内装はいまじゃそれなりなのは知っているよな」

「たいがいがオレが譲ってやったやつだ。おさがりだろ」

「それが最近どうにも調子がよくねぇんだ。いや、機器の異常じゃねぇらしい。修理を頼んだが異常はねぇらしくってな」

「ほう。ただもうあれらも寿命だろ」

「俺もそう思ってな。だがだったら動かないのが普通だろう。逆なんだよ」

「逆?」

「ポルターガイストって言やいいかな。かってに起動するわ、ノイズ音をだすわ、かってにほかの機器と同期するわ、画面は乱れるわ」

「そりゃ買い替えたほうが早そうだ」

「それができりゃ苦労はねぇ」

「今度おさがりやるよ」

「ありがてぇが、いまのもまだ使えるんでな。愛着がある。ただやっぱりどうにも様子がおかしくってな」

「そんなにか。ジョー、おまえほどにおおざっぱで図太くて、鈍いやつがそうも騒ぎ立てるんなら常人ならとっくに気が触れているぞ」

「気が触れるってぇ言い方もいまじゃ表で使えねぇがな」

「オレとおまえの仲だろう。遠慮して酒が飲めるか」

「違げぇねぇ。どうだ今夜、ウチに寄るか。どうせきょうもわんさか亡霊が騒ぎだすに決まってる。天然のテーマパークだ。どうだ楽しそうだろ」

「その精神は見習いたいよ。ただオレのほうでも仕事がある。さっさと標的を排除しないと」

「偉いぞガウス。俺の分までお国のために働いてくれ。役立たずの俺ぁ、家でおとなしく亡霊ちゃんと戯れとるわ」

「役立たずなんて言うなよジョー。おまえはおまえでいてくれさえすればいい。こうしてたまにオレの愚痴を聞いてくれ。それだけでおまえはそこらの政治家よりか、よっぽどお国のためになってるよ」

「その言葉は反逆罪だな。けへへ。罰としてもう一杯奢れ」

「サー。友よ。つぎに会うときも間抜けた面を見せてくれよ」



【クジラの証明】


「むかしむかしのクジラは空を泳いでいたらしいよ」

「また博士はそんな嘘を」

「いや、本当なんだ。化石から推定するに、太古のクジラの骨格では明らかに地上を歩き回れない。きみとて、クジラが哺乳類で元は陸上生物だったのは知っているだろ」

「恐竜だって現代の環境では生きられないそうじゃないですか。月との距離とか引力とか自転周期とかそうのの違いじゃないんですか」

「それもある。そのうえでそれらを考慮してなお、太古のクジラの骨格は明らかにろっ骨が膨らみすぎている。まるでフグのようにね。その分が内臓や脂肪や筋肉だったと考えるとどうにも自重を支えられるとは思えないのだ。そもそも手足すら短すぎる。陸上生活に適応していたとはとてもとても」

「だからといって空を泳いでいたとの説は突飛すぎますよ。ふつうに海中で生活していたんじゃないんですか」

「同じことだよ。骨格から推定されるに、あれほどの脂肪やら内臓やら筋肉を備えていれば、海に沈むことはできない。ぷかぷかと浮いてしまう」

「それはたしかにふしぎですね」

「だからこう考えるしかないのだよ。太古のクジラは、空を泳いでいたのだと」

「ひょっとして、風船みたいに空気を体内に抱え込んでいたとでも? だから肋骨が球形を模していたと?」

「その仮説を否定する証拠がいまはまだ挙がっておらんからな。そうと考えるのが妥当だ。おそらくは体内でメタンガスを発生させ、それを蓄積できる気管を有していたのだろう。まさしく浮袋だ」

「いま検索してみたところ、クジラに浮袋はないそうですけど」

「身体全体が浮袋なのだ。クジラの死体が座礁するのも泳がなければ浮くからだ。ガスが溜まってな。体内の油分を冷ましたり温めたりして、浮力を調節するといった話も聞くが、そこのところは専門ではないのでよくは分からん。どちらかと言えば血中の酸素濃度や二酸化炭素濃度を調節するほうが浮力に関与する気もするが、真実のところがどうなのか」

「そんなにわか知識で太古のクジラが空を飛んでいたと言われましても」

「そうとしか考えられんのだ。太古のクジラ――すくなくともわしが発見したあの骨格の持ち主は、空を泳いでおったのだ」

「そういうことにしておきましょう。いずれ博士の仮説にすぎませんしね」

「その解釈でよい。いまはまだ、な」

「いずれ証拠を見つけると?」

「そのつもりでおるよ。もちろんだ」

「でもですよ博士。仮にクジラが空を飛んでいたとして、じゃあどうしていまは海に?」

「それはきみ。きっと空飛ぶクジラを捕まえて、ぽっかりと開いた腹のなかに肉を詰めた者たちがいたのだろうな」

「はいー?」

「鞄代わりにでもしたのだろう。天界の者がかつてはおったのかもな。保存食でも詰めたのかもしれんぞ。重たくて飛べなくなった太古のクジラたちは、海へと落ちて、そこでの生活を余儀なくされたのだ」

「それはえっとぉ。ご冗談ですよね」

「否定できる論拠がどこにある?」

「まずは肯定できる証拠を集めてからおっしゃってください」

「悪魔の証明ならぬ、【あ、クジラの証明】だな」

「掠りもしなくてびっくりです」



【ひと思いに、十把一絡げにして】


「あの、御免ください。こちらで犯罪計画を代わりに立ててくださると人伝てに聞いてきたのですが」

「ええどうぞ。そちらのソファにお座りください」

「じつはうちの旦那を廃人に追い込んだ者たちを皆殺しにしたいのですが」

「それはまた大胆な目的ですね。何人くらいですか」

「三十名は超えるかと」

「それはまた多いですな。費用はいかほどを想定されていますでしょうか」

「こちらが私の持ちうる資産のすべてです。すべて使ってくださって構いません」

「私が代理するのは飽くまで計画を立てるところまでです。そのあとのことは依頼主さまの努力しだいです」

「構いません。何かうまい手はありますでしょうか」

「そうですね。この人数だと手っ取り早いのは、爆弾、毒薬、銃撃、襲撃――あっとそうそう、こちらは完全犯罪を想定されていますか。犯行後に犯人として捕まっても構わないのか、とそういう質問ですが」

「完全犯罪が可能なのですか」

「完全犯罪の内訳によりますね。犯行そのものが露呈しないようにするか、犯行は発覚するが犯人として捕まらないか、それとも犯人として捕まってもひとまず目的を達成できればよしとするか」

「目的を達成できればそれで構いません。ただできるならその後に自由が保障されるのであればそのほうがよろしいとは思いますが。我がままでしょうか」

「いえ。通常の発想です。そもそも動機の発端となった旦那さんの件では、あなたの標的の方々の誰も咎を受けていらっしゃらないのでしょう」

「はい」

「ではそこはお互いさまと言えるのでは」

「だとよいのですが」

「ひとまず、こちらで優先順位は立てておきましょう。上手くいけば依頼主さまは計画遂行後も自由。うまく事が運ばなければ犯人として逮捕。しかし計画通りに実行すれば必ずや最低限、目的は達成されるでしょう」

「あの者たちを葬り去れるのですね」

「ええ」

「ですがじつは問題がありまして」

「なんでしょう」

「みな一様に顔見知りゆえ、一人ずつ順番に手を掛ければ情報が巡って警戒されてしまう懸念があります」

「それはそうでしょうね」

「なので、舞台を用意しようとわたくし考えまして」

「ほう。それはいい」

「館にご招待して、そこで一時に滅してしまおうかと」

「ほうほう」

「ですがみなさん、相応に猜疑心の強い方々ですから、館にはこられても、同じ空間にはきっと集まってはくださらないでしょう。そうすると、順番に手を掛けていくしかなく、けっきょくは館に案内した意味もなくなってしまうのではないか、と」

「あり得ますね」

「どうしたらよろしいでしょうか」

「いえ、感心しました。依頼主さまの本気を感じました。そこまですでにお考えを巡らせて問題を炙りだしていらっしゃるのなら、あとはこちらの仕事です。ご安心を」

「何か案がおありなのですね」

「もちろんです。まずこちらですでに入っている別件の標的を、一人余分に館に招待してください」

「構いませんが、その方は」

「探偵です。ただし、ちょっと各地で恨みを買いすぎたみたいで、私の元に抹殺計画発案の代理が舞いこみまして。なかなか隙を見せない相手なので難儀していたのですが、この件と絡めれば一石二鳥で滅せます。お代のほうも、その分を差し引かせていただきますが、よろしいですか」

「お任せ致します」

「では依頼主さまはその探偵を館に招待し、私の考案した計画通りに数人をまずは殺害してください」

「よろしいのですか。みなさん警戒なされてしまうのでは」

「構いませんよ。そしてその事件の謎を、探偵に解かせるのです。さすればこの探偵、過去の事件がそうであったように、最終的にはみなを食堂や広場に集めて、推理を披露します。何、心配には及びません。この探偵の人心掌握術は、初対面の相手には有効ですからね。のきなみの相手ならば探偵を信用し、声がかかれば部屋から出て推理を聞きに集まります」

「では私はそこでひと思いに、十把一絡げにしてかの者たちを」

「ええ。爆弾でも毒ガスでも、銃撃でも、お好きなプランをご用意致しましょう。お勧めは、睡眠ガスで眠らせて一人一人の首筋をナイフで――」



【快楽遊戯】


「三百年前の人類はじぶん以外と快楽遊戯を行っていたらしいよ」

「そうしなければ生殖できなかったのね。虫と同じ。子をなせなかったの」

「へぇそうなんだ。男と女じゃなきゃダメだって聞いたよ」

「ダメというわけではなかったのでしょうけど、子はそうね。そのペアでなければできなかったみたい」

「いまはじぶんでじぶんの分身をつくれるのにね」

「これは知ってる? むかしの人間には生殖器もそれぞれ、どちらか一方しかついていなかったって」

「そうなの? じゃあペニもヴァギもなかったの?」

「そ。ペニしかないのが男。ヴァギしかないのが女」

「ああ、だからペアなのか。不便だったろうね。どうやって了解を得るんだろう。かってに触れたら怒るよね誰だって」

「そこは虫たちと同じで、生殖本能があったのね。発情期というのも動物にはあったようよ」

「知らなかった。じゃあむかしは全部培養じゃなかったんだ動物」

「むかしの人類にはほかにも恋愛感情というのがあって、まあ言ったらそれがペアをつくるきっかけになっていたのかもしれないわ」

「なんだろう恋愛感情って。発情期のそれとは違うのかな」

「違うような同じなような」

「たとえば僕はじぶんでじぶんと快楽遊戯をするけれども、これはじぶんへの恋愛感情?」

「それは違う気がするわ。でもたとえ同じだったとしてもふしぎではないのかも」

「ふうん。あ、じゃあひょっとしてむかしの人間のペニもヴァギも、いまとは違ったカタチだったりしたのかな」

「それはどうでしょうね。見たことがないから私には分からないわ」

「もっと長かったのかな、ペニ? だってほかの人とくっつき合っていたわけでしょ。長くなければ届かなくない?」

「逆に短かった可能性もあるわよ。抱き合えば済むもの」

「抱き合う? 他人と?」

「それにむかしの人間は、自分自身のペニをじぶんのヴァギに伸ばす必要がなかったんですもの、短くても困らなかったでしょうね」

「ならこうしてじぶんのペニを口で快楽遊戯することもできなかったのかな」

「あなたそんなはしたない真似、どこで憶えたの」

「きみだってじぶんのヴァギにペニを仕舞いっぱなしにすればいつでもどこでも快楽遊戯ができるって言ってたじゃないか。そんなことする人、僕ほかに知らないんだけどな」

「しっ。声が大きいわ」

「そうだ、あとで二人でむかしの人の真似してみない?」

「それってわたしのペニをあなたのヴァギに入れてみるってこと?」

「僕のペニをきみのヴァギにでもいいけど」

「考えただけで、オエ、ね」

「考えただけで、オエだね」



【言い逃れ】


「神父さま。私はとても罪深く、死んでしまいたい気持ちでいっぱいです。ですがどうしても生きたいとも思ってしまうのです。こうして罪を告白することですら、かつてのじぶんを思いだし、戻ってしまうかのようで――罪の意識から逃れたいとの思いを抱くことすら罪を重ねてしまうようで、あぁ神父さま。私はいったいどうしたら」

「よくぞおいでくださいました。こうしてお話しにきてくださっただけであなたの苦しみは、苦しみとして顕現するのです。それはけして罪が薄れることでも、あなたが罪から逃れることでもありません。罪を見詰め、どうすればよく生きれるのかと考えつづけているからこそ、こうしてあなたはここへと辿り着いたのでしょう。あなたの罪をどうぞお話しください。誰にも話せなかったその苦しみの過去を」

「はい。私はかつて兵士でした。任務の訓練だと言われ、戦地へと送られました。そこでたくさんの人を、おそらくは殺しました。

 私は最初、ボタンを押すだけの係でした。遠隔で爆弾が落下します。民間人がそこにいるだろうと途中からは気づいていました。いえ、最初から本当は気づいていたのかもしれません。

 そのうち爆弾が尽きました。

 街へと銃を持って侵攻しました。

 たくさんの兵士を撃ちました。敵も味方も途中からは判らなくなり、銃声が鳴ればひとまずそちらへ銃口を向けながらじぶんの身を守ることだけを考えるようになりました。

 やがて落ち着いて状況を把握できるようになりました。

 ひとまず勝ったようです。

 安堵の念を胸に、数日をかけて陥落させた街を見回りました。遺体はどれも断片でした。まともに人型を保っているほうがすくなかったように記憶しています。

 怪我をした敵兵や、投降してくる敵兵もいました。食料を節約するためにその場で殺しました。

 逃げ遅れた民間人もいました。私はそれをしませんでしたが、相手が相応に若い女性ならばみなで囲って――少年であってもおそらくは。男がどうなったのかは知りませんが、生き残った者はないでしょう。

 繰り返しますが、捕虜にする余裕も考えもそのころの私たちには残されていませんでした。

 私はこの手で多くの人間の命を奪いました。きっと自覚できていない命をいくつも。

 顔も声も知らぬ相手の命を何人も、何人も。

 私はそれからたくさんの死体を目にしました。当時はなんとも思いませんでした。感情がハッキリといまと違います。いいえ、未だにあのときの何も思わないじぶんがいるのです。罪の意識を感じているあいだ、そのじぶんがじっと頭上から冷めた目で見ています。

 私の記憶のなかの死体の多くは私が直接に手をかけた人々ではありません。しかしそのすべての人々の命を、未来を、しあわせだっただろう日々を私は奪ったのです。

 それが事実であり、現実でした。

 場所が違うというだけで、あれら死体は私がこさえたも同然でした。

 戦地から生きて戻り、私は徐々に日常を取り戻していきました。

 公園に足を運べば、子どもがヨタヨタと噴水まで走り、それを母親や父親が追いかけて抱き留めます。

 犬の散歩をしている人々は犬同士のほうで挨拶をさきに交わし、それから人のほうで縁を繋ぐようなのです。蟻や蝶はそれら人々とは無関係にそこらを這い、舞い、それらに目もくれずに花々を手入れする業者の方が花壇のうえで精をだしています。

 日常です。日常の風景があります。

 私はそれらの風景を眺め、身を置き、平穏を感じるのです。

 そのたびに脳裏には戦地で目にした死体の数々がよみがえります。しかしもはや何も思わなくなりつつじぶんがいるのです。ですが家でベッドの中から暗がりの奥にあるだろう天井を見詰めていると急におそろしくなるのです。じぶんの犯してしまった罪の深さに。きょう目にした公園の平穏を、じぶんがこの手でダイナシにしただろう事実に。

 夢のなかで戦地での体験をありありと思いだします。しかし夢のなかの私には罪悪感があるのです。罪の意識があります。殺さなければ殺される。しかし殺せば生涯じぶんは苦しみつづけるだろうと知っていながら、私はボタンを押し、引き金を引きつづけるのです。

 神父さま。

 私はいったいどうすればよいのでしょうか。

 どのようにこの罪を背負い、向き合い、償っていけばよいのでしょうか。

 死ぬほかにこの罪を拭う術がおありでしょうか。

 どうか教えてください。

 神父さま。

 どうか。どうか」

「苦しい思いをされてきたのですね。よくぞ耐えてこられました。けれども私は神ではありません。ただの一介の神父です。神父といえども、名ばかりです。私にはあなたのような壮絶な体験もなければ、そこまでの苦しみを味わった経験もありません。

 あなたにかけられる言葉など本来はないのです。

 ですがそうした何も持たない一介の、一人の人間として、あなたに私の言葉をかけさせてください」

「なんでも構いません。どうか私に言葉を」

「たとえばもしいまここに、あなたではなく、父を母を殺された娘が座っていたとしましょう。その娘は私に涙ながらに語るのです。戦場で、逃げ遅れた父や母が、なんの理由もないにも拘わらず、ただその場にいたというだけで殺されてしまったのだ、と。どうして父や母を殺した者たちには天罰が当たらないのか。なぜわたしたちの日々を未来を、至福の余地を根こそぎ奪った者たちが、いまなお死なずに生きながらえているのか。平然としているのか、と。私へとそう涙ながらに訴えるのです」

「それは実際にあったことでしょうか」

「たとえそうであろうとも、その娘とあなたには関係はきっとないでしょう」

「そんなことは、そんなことはありません」

「それを確かめることはできませんし、たとえできたとしても、あなたには何もできないでしょう。私にも。娘にも。二重の意味で。あなたには何もできません」

「復讐されるくらいならば私にもできましょう」

「傷心を娘に?――あなたはあなたの罪をそのコにも同じように背負わせると? あなたが苦しみつづけてきた過ちを、娘にも犯させると?」

「それは……」

「あなたは楽になりたいのです。それはけして責められるような欲求ではありません。けれども、それでもあなたは苦しみつづけるでしょう。ここにこられる方々はみな、苦しみつづける方ばかりです。楽になり、罪から逃れた方はいずれこなくなります。それもまた一つの道でしょう。逃れたと思っているだけで、本当は目を逸らしているだけなのかもしれません。それが許されることなのかは私には分かりません。私にも罪があります。本来はこうして他者の罪を聞くに値しない、しがない人間にすぎません。もちろん人の命を奪った過去はありませんが、しかし私があなたと同じ境遇だったとして、あなたほどに苦しみつづけられたかどうか、自信がありません。それとも戦地で呆気なく死んでいたかもしれません」

「背負いつづけなければなりませんか……」

「許されるためにあなたはここへ?」

「いえ。いや、そうかもしれません」

「楽になりたい一心だったのでしょう。誰もがそうです。それが生きることの一つの側面でしょう。過ちを犯すのもまた、楽になりたい一心でありましょう」

「答えはないのですね」

「どうでしょうか。こうしてあなたはきょうここへと足を運び、私と言葉を交わしました。これが一つの答えだとしてもきっと誰も責めません。なにせ私はこのことをほかの誰にも話しませんし、あなたもきっとそうでしょう」

「すこしだけ楽になったかもしれないと言ったら、神父さんは私を軽蔑しますか」

「いいえ。私はあなたを通して、たいせつなことを学びました。それを言葉にするにはまだ時間がかかりますが、けれど私はあなたのお陰できっとあなたの背負う罪を背負うことは今後絶対にないでしょう。それは私だけでなく、きっとほかの方々も同じだと思います」

「……私の罪を言葉にしても許されると」

「なぜそれが罪になるのでしょう。とはいえ、それであなたを軽蔑する人はすくなくないかもしれません。けれど私はあなたを通して学びました。それもまた罪かもしれません。けれど私にはあなたを許すことも、楽にしてさしあげることもできません。ならばあなたのために、一つくらい罪を被っても、しがない人間が神父を名乗る罪に比べれば軽いものでしょう」

「罪に軽さがあるのでしょうか。なれば私の罪はとてもとても重い」

「けれどあなたは潰されずにいるではありませんか。そのコツを言葉にして、次回はどうぞ私にこっそり教えてください」

「またきてもよろしいのですか」

「お会いできるのならぜひいらしてください。ほかの方々が祈りにこられていることもあります。どうぞ、言葉を交わしてみてください。私でなくともよいのですよ。何せ私はしがない人間にすぎないのですから。あなたと同じなのですよ。歩んだ道が異なるだけで。背負った罪が違うだけで」



【無理筋だからです】


「きみはこのあと、そんなバカな、と言うよ」

「手品? マジック? 何なの?」

「バスがくるまでの暇つぶしだと思って付き合ってよ。きみ、陰謀論ってどう思う。信じる?」

「信じない。けど、聞く分には面白いとは思うかな。漫画の考察みたいで楽しいじゃん」

「でも信じないんだ。それはなぜ?」

「だって陰謀論だよ。信じるなんてバカみたい。サンタさんを信じる子どもじゃあるまいし、まだヘンゼルとグレーテルが実在したと言われたほうが信じちゃいそう」

「でも陰謀は現実にあるよね」

「え、ないよ。ひょっとして陰謀論信じてるのキミ」

「陰謀論によるよね。中には検証の価値がある陰謀論だってあると思うよ。というか厳密にはどんな説だって検証してみなければ真実か否かは分からないわけだから」

「でも明らかに荒唐無稽な話は信じるほうがアホでしょ」

「そうかな。たとえばナチスではヒトラーが戦争を扇動したよね。あれが陰謀ではないと言い切れるひとはいるのかな」

「陰謀というか、大っぴらに行ってるじゃん。隠れてないから陰謀じゃなくない?」

「でも参謀はいたわけだよね。ナチスが戦争を起こしていたころ、その参謀について、民衆や他国の人々はどれほどその存在を知っていただろう。いまだからみな調べればすぐに知れるけれど、当時の参謀たちはまさに陰謀を企てていた側の人々ではないかな」

「そう言われちゃうと自信失くしちゃうけどさ」

「いまだってそうだよ。未来からしたら当然知っておくべき事項が秘匿にされていて、何か将来誰もが知ることとなる大事件の導火線をせっせとつむいでいる組織や人物たちがいたとして、どうしてそれを否定できる? むしろ存在しないと考えるほうが僕にはどうかしているとしか思えないよ。たとえ存在せずとも、存在するかもしれない、と身構えていたほうが安全側だと思うけど。みな歴史からいったい何を学んでいるのだろうって僕なんかは思っちゃうな」

「でもやっぱり、陰謀論のほとんどは信じられないし、信じなくてもわたしは困らないな」

「冷静だね。頭がよい」

「褒められた」

「大多数の人はそれでもいいと思う。でもやっぱりだからといって、陰謀論だから、という理由で情報から目を逸らすような条件づけを行うのは危ういと思うよ。それは陰謀論を疑うことなく信じてしまうことと同じくらい盲信にすぎると思う」

「じゃあどうしたらいいの」

「陰謀論だから、という理由で却下する癖をつけなければいい。問題は、唱えられた説が無理筋だからだろう。きみの言ったように、荒唐無稽だからだ。もし荒唐無稽ではなく、仮にあり得る筋書きならば、それがたとえ陰謀論であろうともまずは考慮して対策を練っておいたほうが僕は賢い生き方だと思うな」

「そこまでたいへんな思いしてまで賢くなりたいとは思わないなわたしは」

「でもじつは僕が物凄く嘘が上手で、こうしてきみと会話することできみの行動を制御できたとしても、きみはいまのまま賢くならずにいてよいのかな。回避できたほうが得じゃない?」

「何の話? それこそ嘘じゃん。陰謀論じゃん」

「きみは僕との会話に夢中で、とっくにバスを一本乗り過ごしていることにいまのいままで気づかなかったのに?」

「え?」

「ほら、見てごらんよ。次のバスがくるまであと一時間だよ。さっきまで僕らの待っていたバスはもう行っちゃったよ」

「そんなバカな」

「ほらね」



【切って貼って繋げるだけ】


「ショートショートの作り方だって? そんなの簡単だよ。いいかい、まずは登場人物を二人だすだろ」

「キャラ設定とかは固めなくていいんですか」

「キャラの属性よりも、役割のほうが大事だね。大雑把に分ければ、話すほうと聞くほうだ」

「そんな単純でいいんですか」

「いいんだ。見た目話すほうが会話文が多くなるように意識すればいい。いっぱいしゃべらせて、で、なんとかオチに結びつければいい」

「そのオチが思いつかないからたいへんなんじゃないですか」

「オチなんか適当でいいんだ。落ちてりゃいいんだから、それまでの話の筋から脱線させりゃそれがもうオチだ。たとえばいまここではショートショートの作り方をしゃべっているだろ」

「それで言うと僕が聞き手ですね」

「そうそう。で、俺の利き手はこっち」

「右手なんですね。僕は左手です」

「ツッコミ下手だなぁ。とまぁ、こういう感じで、話を脱線させればひとまずオチるだろ。面白いか否かは知らないが」

「面白くないですよ。ショートショートとも呼べないガラクタですね。失望ですね、聞いた僕が滑稽でした」

「じゃあおまえならどう作るよ」

「そうですねぇ。僕ならまずは設定を練りますね。で、ひとまずざっと短編を作ってみて、そこから削っていきます」

「逆算方式か。それもあるな」

「時間がかかりますけどこれが一番間違いないかなって。もし短編でもよさそうならそのまま短編にしておけばいいわけですし。削る能力とつむぐ能力、一石二鳥で鍛えられます」

「美味しいところだけをギュギュっと作戦だな。二重に」

「でもやっぱりいつもオチで悩むんですよね。最初からプロットを練っておかないと物語を閉じられないので短編にもならず、かといってプロットをささっと書いてしまえるのならそもそもショートショートートだってささっと作れるわけでして」

「卵が先か鶏が先か問題なわけだな」

「そうなんです。オチってやっぱりむつかしくないですか」

「そういうときはショートショートで使える裏技があってな」

「教えてください。そういうのを聞きたかったんですよ、そういうのを」

「冒頭の一行目を持ってきて、んでそれを使えないかを考えるんだ」

「冒頭の一行目?」

「いまこのショートショートだと、『ショートショートの作り方だって? そんなの簡単だよ』になるな」

「え、僕らのこれってショートショートだったんですか?」

「な? こんな会話でも切って貼って繋げればショートショートになっちゃうんだ。簡単だろ?」

「オチはなくていいんですか」

「もうとっくにオチただろう」

「聞いてませんよ」

「右手の癖に」

「僕はあなたの利き手ではありません」

「たしかにそうだ。途中からきみのほうが話し手になったからね。きみはもはや俺の聞き手ではない。ほらね。ショートショートなんて簡単だろ?」



【縁側で頬杖をつき童の語】


「禅ってあるじゃないですか」

「あるね。詳しくは知らないが」

「僕も知らないんですけど、でも興味はあるんです」

「いいんじゃないか好きにすれば」

「いっしょにやりましょうよぉ。座禅とか組んじゃいましょうよう」

「胡坐じゃダメなのかい」

「どうなんですかね。胡坐でもよいですよ。ひとまずじっと座って、こう虚無を思い描くんです」

「空ではなく?」

「食う? 何をですか」

「いや、禅と言ったら空かなと。違うならいいんだが」

「禅って食うんですか?」

「いや、知らんよ。きみのほうが詳しいだろ」

「小膳料理とかそういうことですかね。でも禅は煩悩から切り離されるための修行だと思っていました。食べていいんですね」

「ああ。そっちの食うと勘違いしたのか」

「どっちの食うなんですか? 食うにほかの意味が?」

「私が言ったのは、ソラと書いて、空だ」

「お空のクウですね。なるほど。ああ、座禅をして思い描くのは食欲ではなく、空だと」

「きみは虚無とさっき言ったんだ。虚無を思い描いたらちょっと鬱になっちゃいそうだと思ってついつい口を挟んでしまったよ。野暮なことをした」

「いやいやもっと教えてくださいよ。いっしょに座禅しちゃいましょ」

「べつに座禅でなくたっていいんじゃないか。日常を俯瞰して、じぶんの行動を見詰め直す。それだけでも充分に禅になると思うけどね私は」

「詳しいじゃないですか」

「うんにゃ。何も知らんよ。本当に何も知らんが、好き好んでするようなものではない気がするよ。やるぞ、と意気込むことがすでになんだか『空』とはかけ離れて感じるね。虚無でもいいが」

「意気込んではダメですか」

「ダメってこたないさ。ただ、禅は果たしてそれを目指しているのかな、と思ってね」

「でもやるぞ、と思わないとやれないじゃないですか。僕みたいなのは。何をはじめてもいつも三日坊主で終わっちゃいます」

「きみはでも、案外すでに禅をしているのではないかな。ときおりきみには青空を感じるよ。それが禅で言うところの『空』かは知らないが」

「僕が青空ですか?」

「ただね、禅をやるぞ、と意気込んだきみにはどうにも青空が見えなかったものでね。まあ、やっかみだと思って聞き流してくれ。私から見た好ましいきみを、きみにも押しつけてしまっただけのことだ。よくないことだ。私が好まぬことを私自身がしてしまった。反省しよう。対策を練らねばな。出来得る限りきみには干渉しないようにしよう。もうここへは来ないほうがよい。いや、これも干渉になるな。むつかしい」

「え、僕どうすれば」

「なに。お好きになさい。それでも私はきみの干渉を拒まない。ただし、ときどきは不機嫌にもなるが」

「あは。よかった。嫌われちゃったかと思いました」

「私なんかにはさっさと嫌われたほうがよい。そのほうがきみのためだ」

「なら禅をしてみよっかな」

「やる気をだしてかい?」

「とっても意気込んじゃいます」

「三日坊主にならないとよいけど」



【染みは薄れど】


「人間を狂わせる手順書って本を手に入れてさ」

「お、気になるね。どんな内容?」

「人間ってのは始まりを身体で憶えると、つぎに終わりを憶えるまでは延々その始まりの過程から逃れられなくなる性質があるらしい。これは動物ではそこまで顕著ではないらしいんだが、たとえばパブロフの犬って心理学用語あるだろ」

「たしかベルを鳴らしたら餌をやる、これを繰り返して条件付けすると、ベルを鳴らしただけで犬は唾液を分泌するようになるとかそういった話だっけか」

「ずばりの説明で助かるよ。ほかにも、似たような実験で、押せば必ず餌のでるボタンと、ランダムにしか餌のでないボタンがあった場合、猿はランダムに餌のでるボタンだと延々ボタンを押しつづけるらしい」

「へえ。必ず出るほうはそうでもないのか」

「らしいぞ。パチンコとかソシャゲとか、いわゆる博打要素のあるランダム性に動物ですら射幸心を揺さぶられ、中毒になるって話だ。どこまで本当かは知らないが、人間の狂って見える行動原理にはそういった動物にもみられる習性というか、本能が関わっているそうだ」

「それで、どうやったら人間を狂わせられるんだ。博打にハマらせればいいってことかな。だとしたらつまらない結論だけど。本を読むまでもないな」

「いや、博打までいかずともいいんだ」

「というと?」

「現実である必要がない。そういう仕組みがある、といちど思わせれば、途中でそれをやめても人間はその前提をなかなか払拭できずに、それを考慮して生活してしまうらしい。むかしからあるだろ。縁起わるいとか、その集落に固有の作法とか、現代からすると不合理に映る数々の手続きが。つまり、それらも人間の、いちどでも始まりを憶えたら、終わりを実感するまでやめられない行動原理に基づいているらしい。人間には記憶力や次世代へと継承する能力があるからだな」

「世の中からなかなか理不尽な仕組みがなくならない理由にも繋がっていそうな話だね」

「現に関わっているんじゃないか。ともかく、人間を狂わせるには、何か魔法でも呪術でも超常現象でもいいが、【こうすればこうなる】を信じさせれば、途中で黙ってそれを切ってしまっても、人間は一度覚えた【こうすればこうなる】を継続しつづけて過ごすことになる。誰かがそれを、変だ、と指摘しても、一度身に着いた習性――ともすれば条件付けは容易には治らない。その人物自身が、【こうすればこうなる】の終わりを実感しない限りは。受け入れない限りは」

「洗脳みたいな話だね」

「洗脳もこの手法の一つだろうね。人間の生態の脆弱性を突くわけだ」

「ならきみとの会話も気をつけなきゃいけないな。怖くてもう僕はきみと素直におしゃべりを楽しめなくなってしまったよ」

「安心してくれ。いまきみに【はじまった】それを、私はきちんと【終わらせる】から。じつは最初に言った人間を狂わせる手順書なんて本はないんだ」

「なんだ、そうだったのか」

「ああ。これから私が書こうとしている本の内容だからね」



【赤龍】


「いいのかジュヴァ。今回の討伐できっと最後になる。おまえがこれに加わらずともどの道つぎはないのだ。無理をせずともいいんだぞ」

「だからこそだ。俺が行かなくて誰に代わりが務まるか」

「しかし」

「気を遣ってくれるのはありがたい。あんたには幼いころから世話になったし、家族だとかってながらに思ってる。身の回りのことでも、親父の葬儀でも。が、これはケジメだ。じぶんとのな。かつてのじぶんとのケジメなんだ」

「だがあの赤龍は」

「ああ。若気の至りで俺がいたずらに匿い、育てちまった龍の子だ。知っての通りアイツぁ村を一つどころかいくつも食いつぶしまったバケモノに成り下がっちまった。それもこれも俺のせいだ。俺がイタズラに育てちまったばかりに」

「龍と人は相容れぬ。知らなかったわけじゃないんだろう」

「知っていたさ。だがまだあのころの俺は向こう見ずだった。アイツだって小さかったしな。犬ころくらいの大きさしかなかった。怪我をしていたんだ。意思の疎通もできた。お互いに言いたいことを目を見詰め合うだけで通じ合えた気がした。何度も喧嘩したよ。絡み合って傷だらけになった。そのたびに仲直りの仕方だけ上手くなった。だが数年でアイツはオレの背丈を追い越し、あっという間にデカくなりやがった。飯はもはや俺の獲ってくるヘビやネズミでは賄えんくなった。アイツはすっかり俺に懐いちまってな。街近郊に龍が見えればそれだけで大騒ぎになる。討伐軍だって動くだろう。あんたが遠征していたのは幸いだった。いや、それこそ不運だったのかもな。だから追い払おうとした。ここはおまえのいるところじゃない、いるべき場所へと帰れ、と」

「その結果がこれか」

「アイツはずっと俺を待っているのさ。帰ろうとしているだけなんだ」

「だがもう、そういう道理は通じんな」

「ああ。討伐軍にも手を出しちまった。あろうことか、殲滅しちまったってんだから我が子ながら末恐ろしい」

「誇らしげな顔をするな。見咎められるぞ」

「俺は――龍と人は共存できると思う。いまはまだむつかしいかもしれないが」

「かもしれん。が、やはりいますべきはあの赤龍を討伐し、二度と犠牲が出ぬようにすることだ」

「分かっている」

「おまえの父上には私も世話になった。おまえのこともむかしから見てきた。このことは私の胸に仕舞っておこう」

「第一陣に俺を置いてくれ。俺がいればアイツも無闇に火炎を吐かないはずだ」

「自ら盾となるか」

「矛にもなろう。俺は一度も魔波を放ったことがない。俺の魔原はすべて魔石に溜まったままだ。一撃ならば神具とて放てる」

「そこまでの覚悟だったか。神具を用いた者は魔原が枯れ果てると聞く。よいのか」

「どの道、今回限りだ。俺はもう金輪際、魔原を使わない。使いたいとも思わない。そんな機会が巡ってこない世をつくるよ」

「さようか」

「見えてきたな。立派に育ってまあ」

「これほどの曇天のなかで、ああも赤い鱗が映えるとはな」

「むかしはもっと青かった。まさか魔族を滅ぼしたあの【災厄の赤雷】の末裔だって知っていたら俺だってもうすこし考えただろうに」

「果たしてそうかな。おまえならばどの道助け、育てたのではないか」

「かもしれない」

「熱気がすごいな。雷といより業火のようだ。いますぐ防具を着込め。感傷に浸るのはここまでだ。前線への配属を許可する。管具機関へと神具の配備を指示しておく」

「感謝します」

「これは命令だ。【災厄】を射止めろ」



【門前の小僧、招かれざるツワモノならば通す】


「てめぇがここの番長か。四天王とかいうおめぇんとこの手下はこのジュウリンさまがぶちのめしてやった。残るはてめぇただ一人だ。いざ殺し合いと行こうや」

「貴様の腕前はしかと拝見した。俺と拳を交えれば互角の戦いを見せるだろう。だがその前に一つ訊きたい。四天王のまえに一人、門番がいたはずだが、それはどうした」

「門番? あのクソ雑魚のことか? 掌底一発でオネンネしたよ。いまごろ目を覚まして痛みに悶え苦しんでるころじゃねぇか」

「手をだしたのか」

「邪魔だったからな。俺は平等が好きだ。女だろうと雑魚だろうとオレのまえに立ちはだかるやつは全力でぶっ飛ばす」

「潔のよいやつだ。嫌いではない。だがおまえは一つ勘違いしている。この学校、いやこの地区最強は俺じゃない。番長を張ってはいるが、裏番がいる」

「ならおまえを倒してソイツもぶちのめすまでだ」

「それは無理だ。俺相手に互角程度じゃ、秒で沈む。目覚めたつぎの瞬間は病院のベッドのうえだ」

「やってみなけりゃ分からねぇ。御託はいい、いくぞ」

「やれやれ。強者を見分ける力もないか。いや、それは俺も同じこと。みな同じ轍を踏み、学んでいくのだ。実力で分からせてやる。勝っても負けても地獄を見るぞ。覚悟しておけ」

「まだほざくかよ、これでどうだ」

「重いな。が、あの人ほどじゃあ、ない」

「なかなかやるな。頭張るほどはある。けど気に食わねぇ。おまえはいまオレと拳交えてんだ。ほかのこと考えてる暇があんのかよ。それほどのもんかよ裏番ってやつは」

「俺はいまおまえの一撃を防いだ。躱せなかったし、受ける度胸もない。だがもし躱せてなおそれを受け、相手に錯誤を植えつけてなお無事でいられる者がいたらどうする」

「あ? よく聞こえねぇなぁ」

「おまえと同じだよ。平等でありたいんだろう。機会を与えてくれるのさ。一度だけな」

「ここはお城の舞踏会か。ピーチクパーチクお上品なこって」

「チャンスをくれるのさ、あの人は。身の程を知るためのな」

「身の程なんざ死ぬほど知ってら。おまえを倒してソイツも倒す。ただそれだけだ」

「いいぞ。潔い。俺を倒せばすぐにも会える。いや、すでにおまえは会っているがな」



【名刀の由来】


「それゆえ、剣豪カタギリの名刀を鍛えたカジ様にこそお願い申し上げたいのです。どうか拙者の刀をこさえてくだされぬか」

「刀ならばほれ、そこらにいくらでも刺さっとるのがあろう。好きなのを持っていきなされ。一律十文じゃ」

「十文とな。団子より安いではないか。一つ失礼、手に取らせていただく。ほう。これは見事な。どれも名刀とお見受け致す。いずれも十文とはいささかにわかには信じがたいが」

「食うに困ってはおらんからの。鉄もたんまり送られてくる。薪にも困っとらん。銭を集めたところで刀の素材にもならんしな。邪魔なだけだ。タダでもよいが、それをすると法に触れると脅されての。ほかの刀鍛冶からも命を狙われたので、まあそこまで言うならばと値段をつけとる」

「それは怒りましょう。このような刀をタダで配るなど。それも十文とは」

「こんな刀は一晩もあれば百は作れる。わしが求めておるのはこんな鉄くずではない。求めるそれ以外は総じてクズじゃ。クズに値段をつけろというほうがわしには道理が曲がって映る」

「お言葉ですが、モノの価値を決めるのは何もカジ様ばかりではございませぬ。道端の野花とて、見る者が見れば小判よりも価値があるかと」

「だから文句はつけておらん。言われた通り値段をつけた。嫌なら買うなそれだけだ」

「ほかの武芸者もここには訪れるのでしょう」

「そりゃあな。みなこぞって抱えるだけ刀を抱えていく」

「では試合では刀での優劣はつかんか。みな考えることはいっしょだの。なればこそカジ様、どうかわたくしめには、渾身の一振りをお願い申しあげたいのです。剣豪カタギリにそうしたように、なにとぞわたくしだけの一振りを是非に」

「カタギリだぁ? どっかで聞いた名前だの」

「剣豪カタギリを御存じでない? カジ様の名が世に知れ渡ったのも、件の剣豪がいまのじぶんがあるのは総じてカジ様のお陰と方々で語ってのことなのですが」

「ほう。それは知らなんだ。カタギリ、カタギリ……。おう、あやつかの」

「思いだしましたか」

「以前にまだわしが鉄細工師を生業にしとったころにな。ま、いわば見習いだ。鉄を叩いて鍋にしたり、玩具をこさえたり。包丁研ぎもしとったな。そのころに工房によく出入りしていた小僧がおったが、あやつの名がたしかカタギリであったの」

「その者に、では最初の一振りを与えたとか」

「うんみゃ。わしはそやつに何も与えておらん。ただ話をしただけだ。そうそう、そやつがなぜ刀は作らないのか、と申したのでな。人殺しの道具なぞに興味はないと突っぱねたら、作れぬ言い訳であろうと抜かしおってからに。わしはそこで頭にきてこうして気づけばコレしか作らぬ身となった。いま思いだしたぞ。ほうか、あやつは武芸者となっておったか」

「では剣豪カタギリはどこぞでカジ様の刀を手に入れたのでしょうか」

「さぁてな。あやつとはたしか、何か約束を交わしたような」

「それです。きっとそれが剣豪が剣豪足り得た秘訣でございましょう。なにとぞ思いだされたし。拙者にどうかご教授くだされ」

「おぬしもしつこいのぅ。そうじゃ、そうじゃ。カタギリ、あの小僧は言っておったの。刀は芸術品。人の心をなだめ、諫める歯止めにもなる。神仏への供えにもなる。ただそこにあるだけでもよいのだ、と。人殺しの刀にはせぬ、と申したので、わしはならばお主の満足いく刀を作って進ぜよう、と売り言葉に買い言葉、一念発起したのだった。すっかり忘れておったわい」

「初心ではございませぬか。しかし、ならば剣豪カタギリは」

「そやつは人殺しで名を馳せたのか」

「いえ。無敵ゆえ、相手を殺さずして勝負を喫する。勝敗を決するのではなく、勝負をそのままに喫するのです。勝つでもなく、負かすでもなく。まさに鬼神がごとき強さだとの評判でございます」

「ほうか、ほうか。ならばあやつも約束を守っておったのだな」

「ひょっとして、では、剣豪カタギリの刀は――」

「わしのではなかろう。そこらのナマクラでも使っておるのではないか」

「よもやそのような」

「弘法は筆を選ばんと聞くぞ。道具は使うものだ。使われてはどちらが道具か分からぬな。おぬしも、刀より先に鍛えるべきところがあるのではないか」

「返す言葉もありませぬ」



【ユルドフは見張る】


「なぜだと思う?」

「さあ。時空転送装置は正常に起動しています。ですが途中で経路が変更されているとしか」

「物質が量子分解されている可能性は」

「ないでしょう。だとすれば相当なエネルギィが解放されます。地球程度なら一瞬で木っ端微塵でしょう」

「だよな。言ってみただけだ」

「転送技術に問題はないものかと」

「ならばなぜ我々からの物資が地球側に届かんのだ」

「船長ならびに副船長、私も意見を一つよろしいでしょうか」

「おうジュリ君か。伺おう」

「物資は問題なく届いていると仮定すれば、管制塔の認知できない経路で物資がほかへと流れている可能性はありませんか」

「横領している勢力があると?」

「はい。我々の船は現在、地球から二光年の距離にあります。確認しますが、我が船の主要目的は、ブラックホールや超新星などの観測です。またダークマターやダークエネルギィの分析も行います」

「教科書にしたい弁舌だ。キミの言うように、その過程で編みだされるこの船ならでわの技術を地球に無償提供する。宇宙から回収した地球外物質を元に、兵器から、最新医療機器など、様々なテクノロジィ結晶体を生成、地球へと時空転送する。すべて大事な任務だ」

「無重力空間ゆえに可能となるナノマシン高速技法があってこそです。我々の船が提供する技術一つ一つが、地球上の文明を百年発展させるとの目算も報告されています」

「復習はその辺にするとして、ならばなぜ横領などと非効率な真似をする。そのような勢力が、管制塔など主要組織の目を盗んで我々からの贈り物を隠匿できるとでも?」

「ですから、そこは主要組織以上の組織があると仮定して考えるよりないのではないでしょうか」

「あり得るか、そんなことが」

「いま私は唱えましたよね。我々の時空転送する技術が地球上の文明を百年発展させ得ると」

「なるほどな。言いたい旨は理解した。つまり、早々何度も容易く発展されては困る勢力があると言いたいわけだな。それも地球上の文明の行き先を案じることの可能な、或いは案じる責任のある者たちが、いると」

「可能性の問題ですが、いないとは言えないのではと思いついてしまったので」

「考慮すべき可能性だ。意見をありがとう。ではこの事案を解決するには何から手掛ければよいだろうか。最悪と最善から考えてみようか。では副船長」

「そうですね。時空転送装置は最優先機密通信網を利用しています。これの主導権を握れる勢力が相手となるとこちらは手も足も出ませんね。管制塔にこの事案を報せる真似もできません。これが最悪です」

「では最善は」

「放置していても問題がないことですかね。管制塔もじつは承知のうえの偽装工作とか。目的は不明ですが」

「まさに希望的観測だな」

「あの、意見をよろしいでしょうか」

「ジュリ君、伺おう」

「この船からは地球上の状況を正確に把握はできません。そこはどのような可能性でも拭えぬ共通項と考えて差し支えありませんよね」

「向こうに主導権を握られているにせよ、そうでないにせよ、そう考えるよりないだろうな。こちら側からは確かめる術がないのだから。管制塔が掌握され得るならば、もはや何もかもが定かではなくなる。一方的に信用するよりない」

「ならば我らがとるべきは、最悪の最悪を想定し、それを段階的に解除していくよりないのではありませんか」

「その通りだな。では現時点で考えられる最悪の最悪は何が挙がる? 最も避けるべき事項は何だろう。引きつづきジュリ君、キミの意見を窺わせてくれ」

「はい。我々の提供する物資により、地球上の環境が変容し、大量絶滅及び、生命の存続できない環境に変容することです」

「ならば兵器の転送を一時停止しよう。いや、すべての物資の転送を停止したほうがよいのか」

「こちらで何もしなければ地球上のほうから催促や、事情の説明を要求してくるでしょう」

「すでに何度も問い合わせはあったわけだがな。そうだな、副船長」

「ええ。時空転送装置の故障ということで説明していたんだよ。だが問題がないので妙だなと船長と話し合っていたとこでね。キミに報告するのが遅れて済まないジュリ」

「構いません。まだそこまでの事態ではないとの判断だったのでしょう。しかしこれは異常事態だと私は見做します」

「その通りだな。我々の認識が甘かった。ジュリ君はこの事態をどのように分析する。つまり、いますぐどうこうせずとも猶予があるのかどうかという意味だが」

「しばらく様子見をするのが最善ではあります。しかし最善は最悪の回避へとは直結しません。何かしらいまの内から手を打っておくべきでしょう」

「まずは管制塔からの情報がどこまで正確なのかを掴むところからか」

「論理パズルですね。しかし向こうも即座に見抜くでしょう。警戒されてしまった後の展開まではさすがに私にも想像すらつきません」

「ユルドフに演算させてみるか」

「ユルドフにはいま、重力場の節目のシミュレーションに当たらせていますが、中止させますか」

「いや、並列処理でまずは様子見をしよう。どういう結果が出るかを、ざっとでよいから見ておきたい」

「では仮想世界の構築まではさせずにおきますね」

「それでいい。ひとまずは」

「船長、あの」

「ジュリ君、何か閃いたか。聞かせてくれ」

「地球にもユルドフと同レベルの多層演算回路があるのですか」

「ある。初期に時空転送した機器の一つだ。性能は寸分たがわず同じだ。技術を更新するたびにその情報も共有してある」

「では向こうもこちらと同じ考えには至っていそうですね」

「お二人、いいでしょうか」

「なんだね副船長」

「ひょっとしてユルドフが暴走したという可能性は。もちろん地球上の、という意味ですが」

「それはさすがに飛躍しすぎでは」

「果たしてそうだろうかジュリ君」

「船長までそんな」

「なに。俺はそれもあり得るなと考えていたのでな」

「船長、お言葉ですが、ユルドフに搭載されている基本機能に、人格の再現はありません。私たちの指示に応答するのはあくまでアルゴリズムによる演算の結果でしかありません」

「暴走の因子に人格の再現は必要条件ではなかろう。人類の平和を築くには、と演算させ、なおそれの実行を命じたとすれば」

「それはたしかに可能です。けれど船長、ユルドフにはプロテクトがかかっています。人類に牙を剥くような事態は考えにくいのですが」

「待て待て。人類には、だろ。我が船にあるユルドフにとっての人類とは、我々を含めた地球上の人々だ。しかし地上のユルドフ二号は、果たして二光年先にいる我々を人類と見做すのか」

「当然そう……だと思いたいのですが、疑問ですね」

「ジュリ君、至急その可能性を洗ってくれ。まずはそこを潰さないことにはほかの手を打てん」

「了解です。判明しだい連絡します。定期連絡は一時間ごとで構いませんか」

「頼む。任せた。副船長」

「はい」

「ユルドフにこの間に我々の交わした会話を入力、問題の抽出と解決策の提示を命じてくれ」

「はい」

「まいったな。こんな初歩的な懸念を初期の段階から野放しにしていたなんて」

「いま気づけたことを幸運と思いましょう。我々の勘違いの可能性も残されています」

「だといいのだがな」

「船長、一つ冗談を言ってもよろしいですか」

「許可しない。たぶん同じことを思っている」

「はは」

「時空転送装置。なんで人間を送れんのだろうな、だろ」

「二度と地球に帰還できない任務の重さ、いま久々に思いだしました。歯痒いです」

「まったくだ。あれほど危険な任務だと言われて涙ながらに送りだされたのが懐かしい。もはや我々のほうが安全な空間にいるのかもしれないのだからな」



【おわす】


「あの沼にはオワス様がでる。近づくでないぞ」

「じっちゃん。オワス様ってなんだ」

「オワス様はな、ただそこにおる。ただそれしかみな知らん。それ以上を知った者はだぁれも帰ってこん。だからあの沼には近づいたらあかんぞ由吉」

「でもよじっちゃん。きょうおら、もう行ってきちゃったぞ。なんもなかった。ただの沼だった。水草ぼうぼうで、水も濁っておってな。亀がおっただ、捕まえようと思ったが、泥が臭いんで引き返した。なんもおらんかったぞ。オワス様なんか嘘だ」

「お、おまえ沼に行っただか」

「うんだ」

「どうやってだ。なしてあの沼さ近づける」

「んー? 知らんおんちゃんが案内してくれたど。にこにこして、ぬぼーっとしておって、何だか口をよぉ開かん。冬でもなしに蓑をまとっておってな、乞食か訊いたが、ずっとにこにこして返事もよう寄越さん。気づいたらいなくなっとっただが」

「おま、由吉ぃ。おぬし、なして、なしてんなことさ」

「んだべじっちゃん、大声だすなし」

「待ってろ。そこ動くなよ。いま大婆様さ呼んでくるべ、そこでじっとしとけ由吉。いいな。ここさいろよ」

「どこ行くさじっちゃん。もう夜中だべ。みな寝てるっちゃ」

「おーい、おーい。みなの衆、起きてくんろ。頼む、起きてくんろ」

「じっちゃーん」

「おーい、おーい。わすの孫が、わすの孫がオワス様に。誰かおらんか、手ぇ貸してけれ」

「じっちゃーん、そこだ。いまそこに、隣におる人だべさ昼間おらさ沼に案内してくれたおっちゃんが、じっちゃん、じっちゃーん」



【余白を食む】


「お姉ちゃんあのね。あたし、思うんだけどモナリザっていまは有名だけどもし有名じゃなかったとして、じゃあこの絵あげるって言われてもあたしはたぶんもらわない自信ある。だって邪魔だし。趣味と違うし」

「まあね。でも価値があるって知ってる場合は、まあひとまずもらっておくよね。売ればすごい儲かるだろうし」

「そうそう。持ってるだけで鼻高々になるわけじゃん。注目の的じゃん。でもあたし、そういうの好きくなくてさ」

「でも、現にいまはモナリザが評価されてるわけっしょ。でももしユウちゃんみたいな人しかいなかったら未だにモナリザは埋もれていたわけだ」

「そうだね」

「だからじぶんの趣味じゃないものでも、みなに価値を認められて注目されて、趣味じゃない人の目にも触れるような仕組みってけっこう大事だと私は思うな」

「お姉ちゃんはおとなだからそういうふうに思えるのかもしれないけど、あたしなんかはすぐにカチンときちゃうな」

「それはなに。ひょっとしてじぶんの好きなアーティストがなかなか売れないから?」

「それもあるけど」

「ひょっとしてじぶんの歌がなかなか世に認められないから?」

「それもあるけど!」

「じゃあ何。もしかして昨日私が言ったことまだ気にしてんの。私の感想なんて気にする必要ある? というか私の一言で引きずるようでは今後が心配すぎるし、もっと言ったら適正なくない?」

「違うの。こんな引っ込み思案なあたしでもちゃんと波長の合う人たちに歌を届けられるような世の中になれば、それっていまよりもっとステキな世の中になるなって思ってるだけで。べつに努力してないわけじゃないの。お姉ちゃんにもそこのところを解ってほしかったの」

「んー。そういうのは本当に実力があって、天才というか、選ばれた人がやるから効果があるんじゃない? いや、否定はしないけど。応援してる。がんばれ」

「投げやりにすぎるよ」

「そ? なら言わせてもらおっかな。お姉ちゃんはね。まずはこう思う。世の中を変えるうんぬんの手法を考えるのも大事かもしんないけど、まずは歌を磨いたら? 新曲作るのが先決じゃないかな。もっと言ったら歌を楽しんだら? 歌を楽しめない人の曲は、きっとどんなに売れても、有名になっても、お姉ちゃんの心には響かないな。ま、聴くけど」

「楽しんでるよ。ただちょっと苦しいだけ」

「苦しめ、苦しめ」

「投げやりだよお姉ちゃん、さっきと言ってること違う」

「楽しんでんのさ。これでもね」

「妹いじめて? 性悪ぅ」

「ちゃうよ。日々の余暇をさ。余白をさ。味わいたいのさ、私はね」



【僕、バカでごめんなさい】


「薬屋さん、薬屋さん」

「なんだい坊や」

「バカに効くオクスリください」

「ん?」

「バカに効くオクスリください」

「風邪薬か何かかな?」

「バカに効くオクスリです。僕が呑みます。バカを治したいんです」

「えっとぉ。誰に聞いたのかな、そういうオクスリがあるって誰かが言ってた?」

「お姉ちゃんが昨日、薬箱を漁っていました。僕につける薬を探してたみたいです。でもなかったと言って悔しがっていました。聞いたら、バカにつける薬だと言っていました。でも呑み薬だと言っていました。昨日はその前に喧嘩をしてしまったので、きっと僕のために薬を探してくれたんだと思います」

「そっか。うん、でもね。ここにはそういうお薬は置いていないんだ。たぶんどのお店に行っても置いていないと思うよ」

「貴重なオクスリなんですね」

「まあ、うん。そうかもしれないね」

「じゃあ僕、きょうのところは帰ります。お邪魔してごめんなさい。またこんど来ます。風邪を治すオクスリはあるんですよね」

「治すまでいかないけれど、体調がわるいのを緩和するオクスリならあるよ。緩和って分かる? 苦しいのを弱めてくれるって意味」

「はい。あ、嘘吐いちゃったかも。ちゃんとは解っていません。僕バカだから。ごめんなさい」

「坊や。謝らなくても大丈夫だよ。きみはバカじゃないよ。ううん。たとえバカでも、それは治すようなものではないとおじさんは思います。きみのお姉さんはきみのことをバカと呼ぶかもしれない。でもおじさんは坊やを賢いと思うよ。こうしてちゃんとお店にまで訊きにこられただけでも、大したものだと思います」

「僕、いま困っちゃいました。初めて褒められました。こういうときはどうしたらよいですか?」

「そっか。うれしくはない?」

「はい。困っちゃいます」

「うん。おじさんならひとまずお礼を言ってその場を取り繕ってしまうけれど、坊やはいま言ったようにすればよいと思うよ」

「困っちゃってもよいですか?」

「それはね。誰かに許可を求めなくてもいいことなんだ。そっか、そこからか。うん。もしまた何かオクスリを飲んだほうがいいと誰かに言われたら、またおじさんに訊きにきてくれるかな。このお店にはたいがいいつでもいると思うから」

「いいんですか」

「いいよ。坊やはだって、お客さんだもの」

「ありがとうございました。では、また来ます」

「お役に立てなくてごめんね。またいらっしゃい」

「はーい。失礼しましたぁ。ばいばいー」

「おっと、ちゃんとまえを向いて歩いてね。扉が。そうそう。ふぅ。危なっかしい子だ。けれど、あのコをバカ呼ばわりするような子もいるのか。それはそうか。しかし、うーむ。バカにつける薬か。あるならば欲しいものだな」



【私の気分は決まっているからね】


「技術が発展すればするほど正比例して困る人も出てくる。どういう人たちが困ることになるか分かるかい」

「うーん。仕事が淘汰される人たち……?」

「それもある。よく言われるのは、むかしは電話交換手がいたけど、いまはいないし、人力車や馬車だっていまでは自動車に代替されるようになった。機械は人間からこれまでの仕事を奪う。けれども新しい仕事がつぎつぎに生みだされるし、淘汰されない仕事も残りつづける。仕事が淘汰される人たちイコール技術の発展に正比例して困る人たち、とはひとくくりには言えないだろうね」

「でもたとえば出版社の編集者とかはもう不要だって話題も目にするよ」

「逆だろうね。いや、編集者の仕事の内容は変化しつづけるにしても、むしろこれからは作家よりも、プロの読者のほうが需要が増していくと想像できる。何せどんどん書くための技術は普及するし、そのためのツールも日々向上していく。言ってしまえば自動執筆AIができれば、生身の作家のほうが淘汰の対象となる。その点、大量に生みだされる文章のなかから適切に、面白く有用な文章を見極めるにはまだまだ人間の感性が必要だ。これはほかの自動技術にも当てはまる。どうすれば人間にとって都合のよい出力が叶うのか。結果になるのか。使い勝手になるのか。それらはいちど人間に使ってもらい評価してもらわねば改善すら容易にはできない。だから人間の仕事は今後、需要者としての立ち位置に偏っていくだろうね。文章に関しては、その目利きを作家側が行ってもよいだろうけれど。要は、作家と編集者の垣根は薄れていくと思うよ。専門家はそれぞれにいるにしてもね。分業が進むとも言い換えてもいいけど、それすら数年で機械やツールが代替可能にしていくだろうから、おおむねは専門職の先鋭化と、複数職の併用が増加するだろうね」

「ふうん。なら、技術の発展に正比例して困る人たちって誰のことなの結局?」

「これもどの時間スパンで見るかによって変わってくると前以って注釈を挿しておくけど――それはつまり、技術の発展によって一時的に困った人たちとて、時間経過にしたがって軒並み問題が解決されていくとも言えるからだけれど――ひとまずはここでは二十年くらいを目途に社会を眺めるとして」

「うん」

「たとえばいまはインターネットが使えなければ社会生活を営むうえではだいぶ不利だよね」

「そうだね。通販一つまともにこなせないだろうね」

「とすると、情報端末から情報を得られない人たちは困るよね」

「ホームレスの人たちとか?」

「彼ら彼女らは案外に情報端末を持っているよ。統計をとったわけではないから断言はできないけれどね。持っていない人はもちろん困るだろうけど。そのうえで述べると、問題なのは、視覚の不自由な人たちだ。点字でしか文字を読めない人たち。音声でしか情報を入手できない人たち。こういう人たちは、技術の発展に伴い、以前よりも暮らしにくくなるのではないか、と私は懸念しているよ」

「社会に取り残されちゃいそうではあるね。いま軽く想像してみたけれど」

「実際には支援制度などがあるから、それを利用できる人たちはまだそこまで社会との隔絶を感じてはいないのかもしれない。とはいえ、やはりいささか、五感をフルに用いることの可能な人物を想定してのデザインが横行しすぎな気もするね。たとえばお年寄りになれば、誰もがその弊害を受けるはずだよ」

「ああ、そうかも」

「かといってではどうすればよいのか、と問われても私にはすぐには思いつかない。最近だと電子書籍にはのきなみ音読サービスがついていたりするから、ああした技術は需要の有無とは別に社会福祉に繋がるね。点字のほうはむつかしいけど、画面が隆起して文字が浮きでるようなデバイスくらいならば、いずれは開発されるかも」

「点字専用の電子書籍端末だ」

「あり得なくはないよね。これくらいのアイディアはすでに開発研究はされているだろうし、試作品くらいはできてそうだ。もうすこし時代が進めば、大本の視覚や聴覚といった五感そのものを補強できるようになるだろうし、そうなれば技術の発展に伴い困る人は激減するだろうね。ただし、それはあくまで個々人が社会に取り残されるかどうかという視点であって、環境問題といった巨視的な問題はまた別個にでてくるだろうし、進行しつづけるだろうけれど」

「なんだか技術を発展させてよいのかどうか分からなくなっちゃうね」

「どうだろうね。ただ、いま我々の直面している問題は、あくまですでに解決された問題の上に成り立っているということだ。直面している問題だけを取り沙汰しても、それがイコール技術の是非には結びつかない。現在ある技術は、過去の大きな問題を解決した事実もあるのだから、それを考慮しなければフェアじゃないよね」

「言われてみたらそうかも」

「でも、過去の実績を免罪符にされても困るから、そこは慎重に考えを煮詰めていきたいところだと思うよ。いまはよくてもこの先、人類存亡を揺るがせる技術なんてたくさんあるんだ。核兵器を持ち出すまでもないよ。よく調べてみるといい。ペットボトル一本がどうやって作られているのか。それがどうやって店頭に並び、じぶんの手まで辿り着くのか。これを調べてみるだけでも、技術の恩恵と危険性の両方を学ぶには充分だろうね」

「ペットボトルは環境にわるい?」

「そういう意味ではないからね。何かを加工したり、生産したりするだけでもエネルギィは使うだろ。そのエネルギィはどうやって生みだしているのかな。水は? ゴミは? 材料は? どこで発掘され、栽培され、道具はどこからどうやって調達しているのだろう。ペットボトル一本作るのにも、数多の機構や仕組みが噛み合わさっている。けして簡単な技術ではないんだ。歴史の厚みもあるしね」

「なんだか怖くなってきちゃった。途方もないね」

「途方もないよ。私だってちゃんと調べてみたことはないから、何も偉そうには言えないけれどね。ただ、いまは比較的、技術の発展の恩恵ばかりが目につくけれど、それだけではないことも知っておいたほうがよいのは確かだよ。見逃している点があるはずなのに、それが見えないというのは、それ自体が何かしらの技術や仕組みがあってこそだから。構造、とそれを言い換えてもよい。目隠しをされて生活しているのは、何も視覚の不自由な人ばかりではない。私たちとて同じだ」

「そういうものかな」

「と、すこし脅しておいたほうがきみはちゃんと調べると思ったので脅しました」

「ひどいよ。言われなくても調べるよ。そんなに信用ないかなボク」

「あると思える自信はいったいどこから湧くのかな」

「技術が発展するよりさきに、ボクへの信用を発展させて」

「ではまずは信頼関係をつぎの段階に発展させようか。というわけで、はい」

「これは?」

「映画館のチケットだ。何でも三六〇度の立体映像が楽しめる最新の映画らしい。複数人でも楽しめるそうだ。一緒にどうだろう」

「デート?」

「そう言い表しても私は構わないよ」

「発展するかなぁ関係」

「どうだろうね。きみの気分次第かな」

「人任せすぎる」



【「小ネタ×10」(3)】


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『無敵は無愛』


「罪悪感とは愛による免疫反応だ。内に沸いた悪意、或いは仕出かしてしまった悪行を悪と自覚した際に、内なる愛がひどく痛む。これが罪悪感だ」

「では愛のない人物は罪悪感を抱くことはないのですね」

「そうとも限らん。愛があろうと、己に悪意が、そして悪行が吹き溜まっていると知れなければ人は、愛に溢れていようと罪悪感に苦しむことはない。愛は、愛ゆえに傷つくが、愛は、愛のみでは傷つくことすらできぬのだ」

「それはもはや愛とは呼べぬのではないですか」

「いかにも。生きるというのは傷つくことだ。生きぬ愛は、愛の顔をした別のなにかだ」

「おそろしいですね」

「おそろしい。恐怖もまた愛ゆえに起こる。自己の傷つく予感。それとも他者を傷つけ得る予感。恐怖なき生もまた、愛とはかけ離れた何かだ」



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『からっきし』


「なんも思いつかんが」

「無じゃん」

「無ではないから困っとるんじゃ」

「虚無じゃん」

「虚が無いのか、あるのかどっちかにして!」

「虚ろがあっても困るだけでは?」

「困るのやだー。だいいち虚ろって何!」

「むなしいとか、がらんどうとか、からっぽとか」

「広々として気持ちよさそう!」

「きみは前向きでよいね」

「後ろを見たってわたしにとってはそこがまえでしょ!」

「さてはきみ、世界にじぶんしかいないと思っとるな?」

「わたしはわたしがしあわせであればそれでよいと思っとるよ」

「あたしは?」

「あなたがしあわせだとわたしもしあわせー」



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『よい子ね』


「ピクトくんは素直でママ助かるわ。同僚の子供の話を聞くと、本当にピクトがママの息子で助かったといつも思うの」

「僕、素直なの?」

「とっても素直でいい子だわ」

「でもこのごろ僕、イライラしちゃうこと多いかも」

「あらどうして」

「なんだか膝がキリキリしてね」

「どこかぶつけた?」

「ううん。でも曲げたりすると痛い。朝起きたときとか、走ったりしても」

「ひょっとして成長痛かな」

「成長痛?」

「骨が伸びる速さに筋肉さんがついていけなくて、イタタタってなるんですって」

「じゃあこのイタタは、よいイタタ?」

「ふふ。おもしろいこと言うのね。でもそうかも。成長痛ならよいイタタかもね」

「そっか」

「安心した?」

「うん。あ、そうだママちょっと待ってて」

「どうしたの物置の扉なんか開けて」

「確かここに。あったあった。見ててねママ」

「ハンマーなんか取りだしてどうするの。ちょっとピクト、やめなさい!」

「イタタ、イタタタ。でもママ、こうすればもっと僕、背が伸びるよ」



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『我、ゴミ』


「ゴミがゴミをいくら量産したって大きなゴミの山ができるだけなんだよ」

「果たしてそうかな」

「そうだよ」

「しかし地球はそもそも宇宙の星屑が寄り集まってできたのだ。その星屑とて、ほかの恒星が爆発してできた際の重金属などによって錬成されている。つまり元を辿ればどこまでも地球は、屑の屑の屑でできているのではないか。我々人間とて例外ではない。星屑の産物だ。ゴミを蔑ろにする者には、星一つ生みだすこともできやしないのだよ君」

「じゃあおまえは星一つ生みだせんのかよ」

「すみませんでした言いすぎました大言壮語でした許してください」

「わかりゃいいんだゴミめ」



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『埋めるためには穴を知る』


「天からの供物みたいな作品を目にすると途端にじぶんの表現物の総じてがゴミに見えるから好き」

「何それ。じぶんの作品好きじゃないの。天からの供物って言い方もちょっと歪んでるし」

「天からの供物は天からの供物だよ。捧げものだし、贄だよ。人が人らしくありますように、と天が祈っているんだ。我々人になりきれぬ哀れで危うい生き物へと。お願いしますこれを差し上げますからってね。そうすると気づくわけだよ。私みたいなヒトデナシは。ああ、じぶんから滲みでるこれら表現物は、しょせんはゴミだったのだと。人らしきものですらなく、汚泥だったのだと」

「それがうれしいの?」

「うれしい。うれしいよ。如何にじぶんが人でないか、天から願われるくらいに危ういか、出来損ないかを知れる。その視点、視野、それとも座視を得る。これ以上ないほどの愉悦だね」

「恍惚としないでよそんなことで」

「なぜ」

「まるで人の道を踏み外した外道みたいだよ」

「ふふ。もっと言って」



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『恋人よりもAIが欲しい』


「田中ぁ。恋人作んねぇの」

「その会話今月入って何度目だっつうの。作るとか以前に人に好かれるじぶんになろうやって結論出たろ」

「そうなんだけどよ。でも欲しいじゃんかよ」

「タカちゃんな。その一連の会話、一応友人として話を合わせてあげただけで、オレ別に恋人欲しくないんだわ」

「そうなん? なんでなん、なんでなん」

「まずオレね、飽き性なのね。だからそもそも一人のコだけと付き合ってもすぐに別れるだろうし、浮気とか絶対しちゃう」

「それって恋人欲しいってことちゃうの」

「ちゃうよ。たとえばな、ここにボタンがあるとすんじゃん。でな、このボタン押したらチョコレート出てくるけどあとで必ず雷に打たれるねん。そうと判ってるボタン、タカちゃんは押すか?」

「押してから逃げる」

「雷から? タカちゃんはそれで無事でいられるかも知れんけどオレは無理なん。だから恋人はいらん」

「でもじゃあ、ハーレムなら欲しいってこったろ」

「それもちゃうねん。雷はな、上からだけじゃのうて、じぶんの内側からも落ちてくんねん。だからみながよくてもオレが嫌なの」

「要は恋人欲しくないってことか」

「そう言っとるやん」

「じゃあ前に言っとった、人格一億人分搭載した人工知能ちゃんはいらないわけだな」

「それはいる。めっちゃいる。超欲しい。ちゅうか、くれ。寄越せ。分割一生払いで頼む。後生や」

「ごっつ前のめりやん田中ぁ」



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『できることからはじめればいいのに』


「あの絵描きさんは毎日絵を仕上げていて偉いなぁ」

「へん。毎日仕上げられる程度の質の低い絵ってこったろ」

「一理ある。が、大作もどうやら同時に手掛けているようだぞ」

「ふん。みながやっていることの片手間に泥んこ遊びをしているようなもんじゃないか。みなが敢えてしないことをしているだけさ、大層なもんじゃないよ」

「そうかもしれない。が、彼女が片手間にできることを君はなぜしない?」

「するだけ無駄だからだ。むしろ腕が鈍る」

「泥んこ遊びにそこまでの強力な呪いがあるだろうか。ひょっとして君は、彼女が泥んこ遊び程度の労力でこなしていることを全力を出さなければできないのではないかい」

「環境が違うだけだい」

「それもまた一理ある」



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『しょうか』


「怒りは燃やすに限る」

「やだよ。怒りなんて抱きたくないよ。できるだけ穏やかでいたいよ」

「でもいくら眠らずにいたいと言っても人間は眠くなる。怒りも同じだよ。いくら嫌だと言っても、怒りが湧くことはある。だからもし怒りが湧いたら溜め込まずに、こまめに燃やしてしまうのが利口かなと思ってね」

「燃やしちゃっていいのかなぁ」

「情熱だって燃やせるんだから、怒りだって燃やせるさ。さっさと燃やして消し炭にしてしまえばいい。絵を描き殴ってもいいし、歌を絶叫してもいい。サンドバッグを殴ってもいいし、全力疾走してもいい。とかく怒りをエネルギィに変換して、人間や生き物以外にぶつけてやればいい。物を壊してもときにはいいかもね。じぶんのいらないものなら、だけれど。きっとそのあと後悔するにしても、生き物を傷つけるよりかはマシだとも言える。とかく、怒りはさっさと燃やしてあと腐れなく、なかったことにしてしまえばいい」

「そんな都合よくいくかなぁ。怒りはなかなか消えないよ」

「消えないのは恨みさ。怒りは消えるよ。怒りは業に向かい、恨みは人に向かう。恨むよりかはまずは怒ろう。怒りは火ゆえ、いずれ消えよう。恨みは傷ゆえ絶えず残ろう。負った傷を癒すためにも、こまめに火種は消していけたらよいと思うね」

「じぶんの火で火傷しちゃわないように?」

「そう。治りかけた傷跡を無闇に爛れさせないように」



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『願望なんて』


「雨がさ」

「なに?」

「雨がもし、飴玉だったらうれしいなって」

「困るでしょ。つぎの日とか飴玉で地面埋まってるよ。夏とかベタベタになるよ。後処理に困るよ」

「そっか。じゃあ雨が札束だったら」

「あっという間に経済死んじゃうからね。お金の価値、無に帰すからね」

「むー。なら雨が、元気になる水だったら」

「濡れた人みんな危ない薬打った人みたいにならない? 死ぬまで働きつづけちゃわない?」

「もうなんなのさっきから。じゃあいいよもう。雨なんか降らなくていいです」

「ねぇ。それが一番困んない?」



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『解決の問題』


「問題ってのは単発で生じることのほうがすくない。複数同時に発生するし、それら問題がどのように関連しあっているのかも不明だ。そうした不明瞭な現実そのものが一つの大きな問題となって常に人間の認知に負荷を強いる。だから人間は常時考えつづけるなんてことはできないし、複数の問題に対処しつづけるのにも向いていない。そんな能力は端からないのだ」

「でも問題に直面したら対処しなきゃいけないよね。どうするの」

「優先順位をつけて一つずつできるところから対応していくしかないだろうね。その過程で、助力を得たり、組織化したり、対処法を学んだりする。問題だと思っていたけれどもじつは放置しておいたほうがよいこともあると判ることもあるだろうし」

「でもその対処法そのものが問題になることもすくなくないよね」

「まさに。問題を解決した手段そのものがつぎなる問題を内包していることも往々にしてある。けれど、目前の問題を看過するわけにもいかない。食べなければ肥満や虫歯にはならずに済むけれども、人は食べなければ死んでしまう。こういう大きな問題の解決のために無数の小さな問題が生じることはある。だから人間にできるのは、大きな問題を解決しながらできるだけ小さな問題を解決していくことだけだ」

「小さな問題を解決していったら最終的に大きな問題を解決することに繋がったりはしない?」

「あるかもしれない。環境問題の総じては、そうした小さな工夫が回りまわって解決に結びついていくとも言えそうだ。もっと言えば、大きな問題を解決してしまえば、小さな問題とて、大きな問題として我々の目には映るようになる。大昔の人類にとっては差別よりもその日の食料を確保するほうが目下の大問題だった。優先すべき事項だった。豊かになり、その日の食べ物に困らない環境が築かれてようやく差別の問題にも対処できるようになったわけだね。問題の大小は相対的な問題でもある。けれど死を念頭に置けば、問題にも絶対的な指標で優先順位をつけることはできるわけだ。何を死とするのかにもよるだろうけれどね。つまり、人権や自由や選択肢の有無そのものが、人の命と見ることもできるわけだから」

「むつかしい話だ」

「それはそうだ。僕らが二人だけで話し合って解決できるような問題はとっくにほかの人たちが解いているだろう。残されているのはむつかしい問題ばかりさ。簡単な問題すら僕は一人では紐解けない。みなの知恵におんぶにだっこで生かされているね」

「ひょっとして君が生きていることそのものが問題だったりしない?」

「そういう場合もきっとある。それでもどうにか生かして欲しいな、と僕は望むよ。たとえきみが、そうであっても。誰から排除されそうになっていたとしてもね」




【生かすも殺すも】


「赤子がいるだろ。眠っている。無邪気なものだ。だがこの赤子は将来、人類の九割を殺すことになる。その要因となる人物だ。こんなにあどけない顔をしていても、生かしておけば必ず人類の九割を殺すことになる」

「なぜ死神のあなたが天使である私にそのような話をされるのですか」

「俺はきょうここでこの赤子を殺す手はずになっていた。しかし偶然にもこの場に天使のおまえが居合わせた」

「赤子にはみな我らが祝福を授けるのです。そういう掟ですから」

「ならば俺はこの赤子を殺さずに去ろう」

「そ、それはいけません。お仕事を途中で投げ出すなど」

「勘違いをするな。俺には貴様らのような掟などない。仕事ではない。これは俺の使命だ。宿命なのだ。だが、それに従うかどうかは俺が決める。そして俺は今宵、この赤子の命を刈る真似をしないと決めた。天使よ。この赤子の処遇、貴様に委ねる」

「そんな無責任な」

「生かしておけば人類の九割が死ぬ。その赤子は悪魔より悪魔だ。俺よりも死神だ。さて天使さまとやらのお手並みを拝見しよう。貴様ら天界の者が祝福を授けた赤子がそう遠くない未来、未だ神すら果たさぬ絶望を振りまく。どう裁く?」

「命を刈りはしません」

「では悪魔のなかの悪魔、死神よりも死神のその者を野放しにすると」

「それは」

「生かすも殺すも悪魔の所業よ。天界の者どもよ。よく悩み、考え、俺に答えを見せてみろ」

「わ、私が育てます。この子を、あなたの言うような未来には導きません」

「その選択そのものがその赤子を、悪魔のなかの悪魔、死神よりも死神にするかもしれないのに、か。どうあっても何をしても、それが結果としてその者を絶望の権化に仕立てあげる。これは呪いだ。贈り物だよ。俺にも扱えぬ、この世の外からのな」



【和尚ですから】


「和尚さま、和尚さま。さきほど城から使者が参りました。殿様からの文とのことです。お預かりしました。こちらです」

「ご苦労さまでした。どれどれ。ふむ」

「なんと書かれていますか。また召喚の催促でしょうか」

「いんや。戦をすることにしたようです。そのため、僧侶たちを兵に、と命じられております。知恵を貸しなさい、とも」

「それはあまりにも無礼では」

「よろしいよろしい。これはまだ序の口です。色んな人に手紙をだし、その返事によって世の趨勢を測ろうとのお心積もり。ここで勇んで返事を寄越す相手はむしろ余計に警戒されるでしょう。利口な者ほど慎重です」

「ではお返事は出さずにおきますか」

「いんや。すぐに出しましょう。こうして和尚のように返事をすぐに出すようではまだまだ。これで殿様からの和尚への心証はそこはかとなく悪くなりましょう。さすれば頼られる機会も減るでしょう」

「そうした知恵をこそ、では、殿様はご所望なのではございませんか」

「さて。これは知恵と呼んでよいものか。悪知恵であればそうかもしれません」

「悪知恵ですか。きっと戦場ではそれが欠かせぬのでしょうね。相手を出し抜いたほうが勝てそうですから」

「かもしれませんね」

「殿様はどのような知恵を欲しがっているのでしょうね。文には書かれていませんでしたか。はっ。差し出がましくてすみません」

「そうですねぇ。ふんふん。どうやら敵を圧倒するための方策をお望みのようです」

「兵器ですか」

「さあ」

「そのような策がありますか。敵を圧倒するための策や、術が」

「あればすでにどこぞのお殿様が取り入れているでしょう。さらにその上となると、どこかで実戦で試さねば、それが真実に相手方を圧倒するか否かは分かりませんから、いずれ存在するならばすでに周知となっていましょう」

「では、いまのところはみな五十歩百歩――兵の数が物を言いますね」

「とも限りません。圧倒するための期間によります」

「期間ですか?」

「涓滴岩を穿つを言います。雨水とて、同じ場所に落ちつづければ鉄砲ですら貫けぬ岩にも穴を開けるのです。ならばどのような弱弱しい策とて、それを広く長くつづければ、いずれは強大な軍勢をしても倒せぬ堅牢な網を築くでしょう」

「雨水が川に、湖に、海へと繋がるようにですか」

「おや。にっこりしてしまいますね。いまのは楽しい返しでした」

「和尚様に褒められると小僧もうれしいです」

「これこれ。じぶんのことを小僧と呼ぶのはおやめなさい」

「和尚様だってご自分のことを、和尚、と呼ぶではありませんか」

「和尚はよいのです。和尚ですから」



【くちゃくしないで】


「おねぇちゃん、またユウヤがあたしのアイス勝手に食べた」

「そっか。ユウヤ、聞いたよ。ちゃんとキキお姉ちゃんにごめんなさいして。ほらキキ、ユウヤ謝ってくれた。はい仲直り」

「許せないよそんなんで。あたしのアイスないままだもん」

「じゃあ私のあげるから」

「ヤダよ。おねぇちゃんの分がなくなっちゃう。あたしがユウヤみたいに奪ったみたい。あたしをわるい子にしないで」

「じゃあ、明日またアイス買ってきてあげるから。ね、プリプリしないで」

「プリプリしてないもん」

「ごめんね。私、ユウヤもキキも大事だから。どっちかだけを叱ったりできないよ」

「うぅ。その顔ずるい」

「キキのことも怒ってないよ。機嫌直して。ほら、膝の上おいで。髪の毛梳いたげる」

「うん」

「ふふ。あったかい。髪の毛もいい匂いするね。おねぇちゃんのシャンプー?」

「同じの使ってる」

「そっか。いいね」

「おねぇちゃんはさぁ」

「ん?」

「おねぇちゃんは、どうしてそんなに優しいの」

「優しい? 私が?」

「だって怒んないし」

「えぇ? 怒るよ。いっつもプリプリしているよ。そうと思うけどなぁ」

「でもキキたちには怒らないでしょ。怒らないもん」

「うーん。そうだねぇ。怒ると言っても、人には怒らないのかもね」

「ふーん。何に怒る?」

「なんだろうねぇ。そうだなぁ。このあいだはね。友達に、家族が死んだら悲しいねって話をされて、ちょっと怒っちゃった」

「友達に?」

「ううん。万物に。この世に。宇宙の法則に」

「んー。わかんない」

「だよね。ただほら、ちょっと想像しちゃったの。キキとかユウヤとかママとかパパとか。会えなくなっちゃう日がくるのかなぁ、と思ったら、どうして不老不死じゃないんだろう。死んじゃうんだろうってプリプリしちゃった。誰にとかじゃなく、この世のすべてに」

「ぷぷっ。おねぇちゃんひどい。それはひどいよぉ。ぷぷっ。くふふふ」

「あ、笑ったな。でもね、本当にそういうことではいっつもプリプリしているよ。どうしてこうじゃないんだろう、ああじゃないんだろうって」

「空飛べないのはどうしてだろう、とか?」

「それはキキくらいのときに卒業したかな。飛行機があるからよしとしましょう、と許しちゃった」

「許しちゃったかぁ」

「だからね。キキもプリプリしないで、とは私には本当は言えないんだけど。弟とか、ほかのお友達とかには、あんまりプリプリしないであげて」

「この世のすべてにはよい?」

「ふふっ。口にだしちゃダメだよ。プリプリするコツはね。なるべく言葉にしないで、こっそりプリプリすること」

「こっそりプリプリ。くふふ。なんかオナラみたい」

「こらこら。せっかくのお姉ちゃんのよい話を、くちゃくしないで」



【疑心暗「記」】


「取り調べは順調か」

「ええはい。のきなみ大人しく供述しています。黙秘権も行使せず、質問には言い淀むことなく答えています。こういう犯人ばかりなら楽でいいんですけど」

「まだ犯人と決まったわけではない。容疑者だ」

「そりゃまあ形式上はそうですが、こうまでも犯行を自供しているとなると」

「どれ、見せてくれ」

「書記はこれになります」

「ふむ。ほう。ああ、まあそうなるか」

「どうされましたか。何か問題が」

「典型だなと思ってな」

「典型?」

「うむ。いいか。良心の呵責に苛んでいる者はじぶんをまず責める。直接に殺しておらずとも、殺した、と思いこむ。殺していなくとも、そうとは言わない。言い逃れすることそのものが、じぶんの罪を軽んじることと考えるからだ。つまり、善良でかつ無罪である者ほど、弁明をしない傾向にある」

「そんなことはないでしょう」

「通常はこうした場には、真実に犯行に手を染めた者しかこないからな。そうでなくともそう疑われるに値する人物しかこない。だが稀にこういう人物も紛れ込む」

「では彼女は無罪だと?」

「そうは言っておらん。ところで君は死刑囚の話を知っているかな。罪を認めず、死刑宣告を不服として上告する死刑囚のほうが、罪を認めて大人しくしている死刑囚よりも長生きする傾向にある。なぜか判るか」

「気質の問題では。病気になりにくく、死刑執行するまでは生きていられるとか」

「上告されれば裁判が長引く。その間は死刑を執行できんだろう。だからだ。皮肉にも、往生際がわるく罪を感じず意地汚いほうが死刑執行が遅れる。もちろんそれが絶対ではないが、そうした傾向がないとも言えない。取り調べでも同じだ。似た傾向がないとは言えんだろう。でなければ冤罪は生まれない」

「肝に銘じます」

「銘じるなそんなものに」

「では彼女も、善良ゆえに犯行を認めるような供述を? ああ、本当だ。まるでこちらの質問にわざと応じるように、期待に応えるようにして返事をしていますね。いま読み返して気づきました」

「ただな、今回のはそれとは違う」

「へ?」

「君はさっき言ったのを憶えているか。彼女は、黙秘権を行使もせず、言い淀むことなく質問に答えていると」

「言った気もしますが、それが」

「言い淀むんだよふつうは。記憶を探るわけだから。たとえそれが良心の呵責から、罪を背負おうとしての自責の言葉であろうとも。言い淀むんだ」

「ですが彼女はスラスラと」

「頭が回るのだろう。善良な人間ならばこう応じるだろう、という返答を理解している。そうした人物になりきっている。冤罪の可能性を指摘してくれる者を待っている。それくらいの策は巡らせる。彼女を侮るな。愚かだと思いこんでいるそれ自体が、すでに彼女の術中にはまっていると構えておいたほうがいい」

「は、はい。肝に」

「銘じんでいい。まあ、部外者の無責任な戯言と思って、聞き流してくれてもよいがな。疑うのが我々の仕事だ。じぶんに都合のいいことばかりを信じるな」



【頭の油分】


「へい、キミ。人間の脳の七割を占める成分って何か知ってるかい」

「騒がしいのがきたな。脳? 成分? 七割って水分じゃないの?」

「ぶっぶー。あ、いや、そう。水分。それはそう。でもそういうことではなくってさ。だって水分だけに目を向けたらきっと身体のどこをとっても七割を超えるんじゃないかな」

「骨は?」

「骨以外で。なので、水分はどこにでも含まれるから水分を無視するとして。脳にしたところで、ほら、タンパク質にしろ脂肪にしろ脳脊髄液にしろ水分が含まれちゃうから」

「じゃあいま言った三つのなかのどれかってこと? 脳の七割。じゃあタンパク質」

「ぶっぶー。脂肪でした」

「そのぶっぶーってのやめい。インターホンちゃうぞ。でもふうん。七割も脂肪なんだ。脳って肥満なんだね」

「そう。で、このあいだ知ったんだけど、マッコウクジラっているでしょ」

「いるねぇ」

「あれって潜水するのに頭部に溜まった特殊な油を使ってるかもなんだって」

「へぇ。それって脳みそってこと?」

「んー脳とは別の器官じゃない? 分かんない。浮袋みたいなさ。海の深いところ潜ったら冷えるでしょう油。そしたら冷えて固まって、密度がぎゅっとなるから重りになって頭から沈みやすくなる」

「ほう」

「で、浮上したいときは血を巡らせて頭部の油分を融かして、浮力を得るらしい。発熱機関でもあるんよ脳は」

「へぇ。すごいね。でもクジラって肺呼吸だよね。いっぱい空気吸いこんでよく沈めるよね」

「ホントだ。言われてみるまで気づかなかった」

「たぶんだけど、極限まで吸いこんだ大気の酸素を使えるんじゃないかな。ほら人間だと割と吸いこんだ分のほとんど吐き出しちゃうじゃん」

「そうなの?」

「違うの? 二酸化炭素濃度が高くならないように、そうやってすっかり酸素を使い尽くさないように調節してるらしいよ人体。聞きかじりだけど」

「ほうほう。物知りじゃん。私より詳しいじゃん。なんだよ。ちぇ」

「で、けっきょく何の話したかったの?」

「そうそう。マッコウクジラの話と、脳の七割が脂肪って話で閃いちゃってさ」

「閃いちゃったかぁ」

「お風呂でよく、アイディアがポン!って湧かない? あと自転車漕いでるときとか。歩いてるときとか。お皿洗ってるときとかさ」

「うち自動食洗器だから」

「お風呂は?」

「トイレ派かも」

「話合わせてよ。あるでしょ、お風呂で閃いて、メモしたいのにメモ帳ない、みたいなの」

「あるかな。あるね。ときどき」

「でしょでしょ。たぶんね、それって脳の七割を占める脂肪がちょこっと融けて、なんかいい感じにほかのところと融合したから起きた化学反応なんじゃないかなって」

「いい感じに融けてもらっても困るな。脳みそさんにはきちんと原形維持しといて欲しいなあ」

「でねでね。運動したときとかも身体がぽかぽか温まるからきっと脳みその油分がいい感じに融けて、関係ない記憶とか思考が結びついちゃってアイディアが閃いちゃうんじゃないでしょうか」

「ないとは思うけど、年中暑苦しいきみがそうやってあることないこと閃いちゃうのもじゃあ、頭の油分が熱で融けてるからなの」

「ぶっぶー。これは私が天才だからです」

「次からはまっとうに無視な。マッコウクジラだけに」

「あ、頭が急に重くなったかも。油分が冷えて固まったからかな」

「寒いなら寒いって言って」

「ぴんぽーん!」

「腹立つなこいつぅ」



【続行】


「そうは言いますが先生。始まりと終わりの区別をハッキリつける。僕は大事だと思います」

「その割に林君はあれよね。始業式とか終業式とか、ああいうの嫌うよね」

「堅苦しいのは苦手なので」

「でも大事なんでしょ。区切りというかケジメというか」

「区切りは大事ですけど、ケジメはどうでしょう。僕がなんで始まりと終わりの区別が大事かと思ったか、説明していいですか」

「正直聞かずに済むならそのほうがいいけど、話したいならいいよ。聞くよ」

「先生はおととい、ゲームをするとおっしゃいました。教壇に立ち、僕たち生徒のまえで、堂々とゲームをはじめます、とおっしゃいました」

「言ったね。それで?」

「僕はあのときの先生の説明通りに、ゲームの攻略をはじめました。それで、おとといときのう、そしてきょうの午前中を使ってゲームの攻略条件を満たしました」

「すごいことよね。事前の予想だと、攻略者がでるには半年はかかるはずだったのに」

「デスゲームですもん。生き残ればいい。じぶん以外のみなを排除すればいい。簡単ですよ。ただ問題は」

「何かな」

「先生のご説明では、どうやらこのゲームの終了条件を唱えていらっしゃらなかったので。たとえ僕がゲームを攻略しても、これはまだ終わりません。すくなくとも、終わったかどうかの区別が僕にはつきません」

「そうかもね。それで?」

「このゲームはデスゲームです。生き残ればそれでいい。僕のゲーム攻略条件は、最後の一人になるまで、でした。僕は当初それは全校生徒の中で、だと思っていましたが、そう言えばそんなことを先生は一言もおっしゃらなかった」

「それで?」

「ゲームの始まりは疑いようもなく先生から教えてもらえました。ですが、終わりはまだです。このゲーム、僕にとってはまだつづいています。生き残ればいい。最後の一人になるまで。いちおう先生にも確かめておきたくて。間違いないですか」

「いいえ。ゲームはもう――」

「あ、ごめんなさい。すっかりゲームの癖がついちゃって。先生が無駄に動くから。あーあー。手で押さえても無駄ですよ。うわ、こっちに血ぃ飛ばさないでくださいよ汚いなぁ。あ、ゲームはつづけます。終わりの合図がまだなので」



【餡子を包む手は厚く】


「師匠にですね。とりあえず手の皮擦り剥けるまでつづけろって言われてた素振りがありまして。あ、この場合の師匠ってのは、緒方さんのことじゃなくって剣道の師匠なんですけど」

「キセくん、剣道してたんだ。力持ちなのもそれでか」

「全然ですよ。力で竹刀振ると怒られるんです。道理が大事だって叩き込まれているんで。筋トレもするなと最近は言われる始末です」

「あらそうなの? 厳しいのね」

「厳しいんですかね。逆にやり応えがないというか、疲れないので修行している気にならなくて」

「真面目だもんねキセくん」

「バイト中にこうして喋ったりしちゃうので真面目ではないです」

「たしかに」

「あ、すみません」

「いいのいいの。いまは仕込み中だから。お客さんいないし。それで、何か相談したいことがあったんじゃない。話の途中だった気がしたよ」

「そうなんですよ。師匠がですね。手の皮擦り剥けるまで毎日素振りをつづけろと言うからしたんですよ。一日中素振りしたらさっそく手の皮剥けちゃって」

「痛そう」

「慣れればそうでもないですよ。で、師匠に報告したら、今度は手の皮が剥けなくなるまでつづけろって。矛盾ですよね。僕びっくりしちゃって。一応、師匠の言うことは絶対なので――これはあれです、僕のほうからお願いして弟子にさせてもらったので、そこは約束なので、理不尽ではないんですけど」

「だいじょうぶ? 手ぇ痛くない? ほかの作業を手伝ってもらうこともできるけど」

「大丈夫ですよ。手の皮もだいぶ厚くなったので。あ、ひょっとしてそういうことなんですかね。師匠が僕に言ったのって。素振りを一日した程度で破れるようなヤワな皮膚してんじゃないよって、まずはそこから頑丈にしろって、そういうことだったんですかね。どう思います緒方さん」

「うーん。私にはちょっとなんとも言えないけど、とってもたいへんな目に遭ってるな、頑張ってるな、とは思うよ」

「へへ。ありがとうございます。緒方さんも一応、このお店の師匠なので、そう言ってもらえるとうれしいです」

「でもセキくんのすごいところは、身体の頑丈さどうこうよりも私は、技術を技術でなくしちゃうとこだと思うな」

「技術を技術でなく、ですか? それはよいことなんですかね。技術をダイナシにしちゃってるってことですか」

「ううん。その逆。だってセキくん、いまだってしゃべりながら、お団子の皮をパパパって包んじゃうでしょ。無意識にできちゃう。身体が呼吸みたいに覚えちゃってる。それ、私ができるようになるまで半年はかかったよ。でもセキくんはもうひと月も経たぬ間に身につけちゃってる」

「こういうのむかしから得意なんですよ。覚えるのが早いだけです。教えるのが上手な緒方さんのお陰でもあるし、そうそう。教えるのが上手な点も、僕の師匠と緒方さんの共通点かも」

「そういう素直なところ、セキくんのいいところだと思うな。応援したくなっちゃう」

「そうですか? だいぶひねくれてますけどね。負けず嫌いですし」

「でもお師匠さんの言うことは守ってるんだよね。いちど言われたことをまずはやってみる。なかなかできることじゃないと思うよ。だって私はできないもん。なんだかんだ言い訳を並べて、しない理由を探しちゃう」

「言ったじゃないですか。師匠との約束なんです。言われたことは絶対。それがなければ僕だってあんな手のひら血だらけにするような真似、しませんよ」

「でもきっとセキくんは楽しそうに素振りしてそう」

「どうなんですかね」

「だっていまだってリズミカルにお団子作って、そういうすぐにじぶんなりに楽しくできる工夫がとれるの。やっぱりなかなかできることじゃないと私は思うよ」

「緒方さん、人のやる気をだすの上手ですよね。うちの師匠にも見習って欲しいです」

「じゃあ、うちにいちど連れておいで。セキくんのお師匠さまならサービスしちゃう」

「ありがたいですけど」

「あら、断られちゃった」

「なんでかはじぶんでもよく分からないんですけど」

「うん」

「師匠に緒方さん紹介するの、なんか嫌だな」



【業と魔】


「ゴウマの様子がおかしいと聞いてきたが」

「はい、師範。祈祷を終えてからというもの、兄者がどうにも憔悴しきってしまって。どうしてよいのかと途方に暮れて」

「ゴウマは祈祷で何を」

「強大な呪力を感じたとかで、その正体を見極めるために」

「しかしこの支度は祈祷とは思えぬ。呪術のためのものではないか」

「そうなのですか。兄者は私めには祈祷だと言っておられましたが」

「なるほどな。ではゴウマは己でアレに触れたか」

「師範はご存じなのですか。兄者が何故ああもまいってしまったのか」

「ゴウマは我が流派のなかでも随一の感応者であったからな。鋭敏なのが災いしたか。過ぎたるは及ばざるがごとし。己が力量を過信した末路だ。よく見ておきなさい先輩の有様を。おまえはああなってはいかん」

「お言葉ですが師範。兄者を見捨てられるのですか。強大な呪いを受けて苦しんでいる兄者を助けてはくださらないと」

「勘違いするでない。あやつは呪いになどかかってはおらぬ」

「まさか。では何故ああも悶えておられるので」

「見てしまったのだ。見てしまったのだよあやつは。覗かねば触れることすらなかった呪いの淵を。ただそれだけだ。ただそれだけなのだ」

「手の施しようがない、と」

「逆だ。手を施す必要がない。あれは呪いではない。葛藤だ。己が内に根付いた【呪】に、己で気づいたにすぎぬ。誰の内にもある呪いの淵へと通じる橋を、あやつは渡りきってしまったのだ」

「兄者に【呪】が?」

「見なさいこれを。この祭壇。これは総じておまえの手つきの品だ。ゴウマはおまえを呪おうとしたのだよ」

「なぜそんな兄者が私ごときを」

「おまえに強大な【呪】を見たのだ。それが己が【呪】の見せる仮初とも知らずにな」



【加護の中の蟻】


「よいお天気ですね」

「あえ? ああそうな。春だってのに真夏日だってよ」

「浮かない顔をされていますね。何かお困りですか」

「バスを乗り過ごしちまっただけですや」

「そうですか」

「もっと言やぁ、年中こんな顔をしておりますんでね。へっへ。お困りって言やぁ、困り通しですやね」

「それはお可哀そうに」

「同情ですか。よく見りゃきれいなおべべ着てまあ。このご時世に余裕がおありでうらやましいことで」

「そうでもないですよ。私も年中これを着ていますからね。ほかに服がないのです」

「にしては綺麗なもんだ。そうだあんた、信じてる神さんとかいるかい。いや、こういう話題は他人さまとするようなもんじゃないのは百も承知だが」

「神様、ですか。信じるの意味によりますね。実在するか、であればいらっしゃると思います。縋ったりは致しませんが」

「そうかい。おらぁ、最近まで神さんを信じてた。毎日のように祈ってたよ。その結果がこれだわな。ご利益なんざ一つもなかった。祈った時間の分、人生を無駄にした気分だ。他人様に聞かせる話じゃないがね。ま、愚痴だわな。聞き流してくだせいや」

「祈った分が無駄ですか。けれど、ひょっとしたらそうして祈っていたからこそ避けられた奇禍もおありなのでは」

「祈りにそんな効き目はありませんでね」

「けれど現に祈っていたあいだは家でじっとしていらしたのでしょう」

「外にでてたら車にでも轢かれていたと? そういう発想はなかったな。物は言いようだな。そう思えばたしかにそうだ。祈ってなかったらとっくにおっちんでたかもしれんしな。まあ、もしもを考えたらきりがねぇ。逆も言えますわ。祈っていた分の時間、もっと仕事に精をだしていたら。家族に優しくしてやっていたら」

「そういま思えるのも祈っていたからなのでは」

「けっけ。どうやらおたくはけっこうな信心深さとみた。どうあっても神さんを侮辱するのを許せねぇみてぇだ」

「そういうわけでは」

「神さんなんざ誰も救えん詐欺師だて。祈った分だけきっとじぶんはいい思いをしているに違ぇねぇ。人の祈りを糧に生きていながら、見返り一つ寄越さねぇ。ありゃ詐欺だぜ。人間さまが蟻の巣がいつ滅ぶかなんてなんて気にしないといっしょだ。いつの間にか消えてなくなっていても、台所に入ってこなくなってああよかったって具合だわな。まあ、おらぁそれでも恨まねぇがね。これまでの時間を返せなんざ言わねぇ。言ったところで返っちゃこねぇからな」

「潔がよろしいですね」

「そうだろ。おっとバスが来たな。あんた、これに乗るのかい」

「いえ。私はつぎのバスで」

「ならここでお別れだ。愚痴をわるかったな。こっちだけ楽しんじまった」

「いいえ。有意義な時間でした」

「じゃあな」

「いまはもう祈りを?」

「しちゃいねぇよ。あんな時間は無駄だ」

「そうですか。残念です。はい、ではご加護なき余生をどうかご無事に……もう聞こえませんか。なかなか上手くいかないものですね。祈りに応じるべく足を運ぶたびにこれですもの」

「ありゃりゃ、バスは行っちまっただか」

「ご婦人、どうぞこの席へ。もう私は帰りますので」

「よいんですか。ではお言葉に甘えてどっこらしょっと。あひゃ、驚いた。見なさいあなた、あすこでバスが、バスが」

「横転していますね。電信柱にぶつかったみたいです」

「えらいこった、えらいこった。乗客は無事かいね。あんた救急車。救急車を呼ばないと」

「それには及びません。運転手はきっと無事です。乗客は一人です。加護なき身ではもう」

「あんた、なんて冷たいことを」

「人間はでも、気にしないのでしょう。足元の蟻がいつ滅びようとも。神とてときどきは、そういう気分になるときもあります」



【ぽっかぽか】


「妹よ。おまえの兄貴はきょうな、缶バッジなるものを買ってしまってな」

「ふうん」

「興味ないところ申し訳ないが、俺の衝撃を聞いてくれ。四百円くらいの缶バッジでな」

「高くない?」

「そう思うか? 俺はそれに三千円の値をつけても痛くもかゆくもないことを知った。めっちゃよい買い物だった。妖精さんを手に入れたようでござった」

「お兄さ。鏡見て言ってみ。妖精にさんづけとか、鏡見て言ってみ」

「おいおい。俺の可愛さを甘く見るなよ」

「見てねぇよ」

「じつはこの缶バッジな。もんすごく好きな画家さまの缶バッジでな。ステキな絵が描かれててな。まあ、グッズだな」

「ただのファン心理だったか」

「ただのファン心理ではないよ。めちゃくちゃファンのファン心理だよ。だって聞いてよ。俺それ買うために、抽選券ゲットのための籤を三十回は引いたからな」

「それは無料なの」

「うんみゃ。一回三百円」

「九千円じゃん。缶バッジ一個のほぼ二十五倍じゃん」

「計算早いな。兄貴は言われて気づいたわ。でもそれだけの価値があったわ。ハズレ籤すら宝物だわ。一個一個にお手製の絵が描かれててな」

「それはいいけど、もはやお兄がテイのよいカモに見えて嫌。うちの身内ならもっと賢くあって欲しかったわ」

「賢いだろうがよ。これ以上の金の使い方があるかよ」

「あるよ。可愛い妹に貢物するとか」

「可愛い……妹?」

「鏡のなかを探すな、鏡のなかを」

「それで本題なんだがなただの妹よ」

「ただの妹でわるかったな」

「小遣い使い果たしたからあと二十日間を生き残るために、心優しい兄貴にカンパしてくれ」

「心優しい兄貴はそんなこと言わん」



【背を押す手は苦笑】


「どうしよう緊張してきた。はっはっふー、はっはっふー」

「気が早すぎるだろ。告白する前から子供産む気か」

「嫌味言わないでよ本当に死にそうなんだから」

「あんだけ練習したろ。相手を俺だと思って、練習通りに言えばいい。おまえは自信がないって言うが、威圧さえしなけりゃ大概の相手ならひとまず最低でも友達からってなるって」

「友達からなんてイヤなの。私の本性知ったら絶対恋人にはなれないもん。先に既成事実作ってやる」

「そういうとこ出すなよ。本当にだいじょうぶかな。俺のほうが心配になってきた」

「振られたらちゃんと慰めてよね」

「弱気だな。祝う気満々で待ってるよ」

「気持ち入ってない。本心から応援してよ。親友でしょ」

「そう、だな。がんばれ。おまえはやるときゃやる女だ」

「普段はドジばっかりしてますけどって?」

「違うのか」

「ああもうすぐそうやってからかうから私はいつまで経っても自信が持てないんだよ」

「俺のせいだったか」

「だってあんたくらいだもん。私の本性知っても愛想尽くさないでいてくれるの」

「愛想は尽きてるが? なんだったら尽くしている側だが?」

「ああもういいです。行ってくる」

「いいぞ、その意気だ」

「あーあ。アキくんもあんたみたいな性格だったらいいのに。したらもっと気楽に告白できたのにな」

「おまえなぁ」

「あーコワい。でもよっしゃ、がんばろ」

「おいおい、そんな全力疾走で向かわんでも。早っ、もうあんなところに。せっかくセットしてやった髪型が――ま、それでも上手くはいくべ。ったくなぁにが、中身が俺みたいだったら、だ。笑える」



【差別でごめんなさい】


「思うんだけどさ」

「なんよ」

「ショートショートだからって名前も性別も年齢もないってどういうこと?」

「情報量詰め込むと長くなるからさ」

「だからってカオナシじゃないんだからさ。せめて私が男なのか女なのか、子どもなのか大人なのかくらいは示してよ。名前くらいちょうだいよ」

「でもなぁ」

「悩むな!」

「じゃあいいけど、君は男で、五十六歳で、名前は濁酒(どぶろく)蚤杉(のみすぎ)だ」

「もっかい言って?」

「君の名前は濁酒蚤杉だ。五十六歳の独身で、孤独すぎてじぶんが十七歳の美少女だと思いこんでいる」

「ごめん本当によく聞こえなかったんだけど、もっかいだけ言って。これはチャンスをあげるって意味でもあるからね。もっかいだけ言わせてあげる」

「だから君の名前はどぶ――」

「シャーラップ! おだまり!」

「な、なんだよ。気に入らなかったのか。じゃあもうすこし設定を付け足して、実は裏世界のドンから命を狙われる裏切り者というのはどうだろう。なかなかイカした設定じゃないかな」

「ど、こ、が、じゃ」

「おーおー。そのドスの利かせ方。様になっているね。やっぱりキャラには名前と設定があったほうがイキイキするなぁ」

「やめてやめて。全部なし。聞かなかったことにする」

「なんでさ。あ、さては現実逃避をしたいわけだな。差別だ。じぶんの属性への忌避感――これって結構見逃しがちな差別意識なんだよね」

「ちーがーいーまーす。私は女の子だし、少女だし、十五歳だし、美少女ではないけどアイドルを目指して日々腹筋とかメイクとか頑張ってるどこにでもいる、でも特別にもなれる女の子なんですぅ」

「名前が濁酒(どぶろく)蚤杉(のみすぎ)なのに?」

「やーめーろーや! やめろ!」

「それってやっぱり差別なのでは」

「じゃあおまえがなってみろし!」



【夢の枕】


「この枕は特別な枕です」

「よい夢が見れますか。あ、ぐっすり眠れちゃうとか」

「いいえ。この枕は夢を記憶します。その日の夜に見た夢を、そのまま枕は記憶するのです」

「じゃあよい夢なら何度でも見られるわけですね」

「ええ」

「ならそれください」

「構いませんが一つ問題がございます」

「値段が高いとか?」

「いいえ。返品する際は、ぜひ捨てずにこちらへと持ってきてほしいのです」

「いいですけど。買う前から返品の話をするなんて怪しいな」

「違うのです。じつはその枕には、編集機能がついていません。毎晩のように見た夢をそのまま記憶し、つぎの晩にそれを寝る者に見せます。仮に最初に見た夢が精神を病むような悪夢ならば――」

「あ、そっか。悪夢だったらずっとそれを見ちゃうことになっちゃいますね。でもじゃあ、よい夢を見ればいいわけですよね。大丈夫ですよ。僕、悪夢とか見たことないので」

「ではお譲りします。まいどありがとうございます」

「やった。きょうからぐっすり眠っちゃうぞ。気に入ったらまた何か買いにくるね」

「またのお越しをお待ちしております」

「バイバイまたねー」

「はてさて暢気なものだ。歴代の持ち主たちの悪夢の凝縮した枕だとも知らずに。今回は果たして、自殺する前に返しにきてくれるだろうか」



【黄金病】


「うー寒寒」

「おはよう」

「おはよう尾形。にしても遅ぇ。遅刻しちまう」

「ごめんごめん。寒いの苦手でコタツに入ってたら遅れた」

「くつろぐなよ。極寒のなかで待つ俺を思いだせ尾形」

「だから来た」

「ったくよ。きょうも冷えるな。ムカつくぜ」

「真冬だからね」

「でも吐く息白いと超能力者っぽくて気分あがるよな」

「そうかな。はぁー」

「尾形の息は白くないな」

「体温低いからかな」

「でもキラキラして綺麗だ」

「口説くなよ」

「口説いてねぇよ。ダイヤモンドダストって言うらしいぞ、それ」

「へぇ物知り。相変わらず蘊蓄だけは豊富だね」

「ダイヤモンドダストは誰だって知ってるだろうがよ。あ、なあなあ知ってるか尾形。黄金病ってな、じつは人類なら誰しもが罹ってるかもなんだってよ」

「まさか。三割しか罹患してないって話でしょ。国だって散々そう広報してるよね」

「でも海外の専門家の話じゃ、じつは全人類がすでに罹患してるかもって。そういう論文をだしてるらしい。それも一つじゃないんだって」

「専門家の間でも割れてるって話かな。でもそれ誰が作ったか分からない動画の受け入りでしょ」

「違うって。これは信用できるやつ」

「本当かなぁ。じゃあ、ひょっとして僕もウエちゃんも黄金病に? 考えられないんだけどな」

「あ、俺この間の検査で判明してんだ。言うの忘れてた」

「そうなの。何だじゃあ、出芽金(でめきん)の場所が分かってなかっただけなんだ」

「おう。でも大声じゃ言えねぇ」

「いいじゃん言えよ。どっから黄金がでるの」

「じつはな」

「うん」

「ひそひそひそ」

「たっは。大便? どうやって回収すんの、それ。買うほうも絶対嫌でしょそんなの。たしか黄金病から出たゴールドは、出芽金の場所も記載義務あるんじゃなかったっけ」

「あるらしい。どうしよう。買い手つくかな。せっかく黄金病だったのに」

「でもよかったよ。涙とか尿とかじゃなくて。僕の知り合いで、精嚢が出芽金の人がいてね」

「うひゃぁ。考えただけでイテェ」

「だよね。けっきょく睾丸二つとも取っちゃったらしいよ手術で」

「ウンコでよかったと思っとくか」

「そうだよ」

「でもふしぎだよな。気づかなかっただけで俺はずっとトイレに黄金を流してたってことだろ。産まれてからずっと。十五年も」

「だろうね。黄金病は先天性って決まってるから」

「やっぱ全人類本当は黄金病なんじゃねぇのかな」

「僕も? 気づかないだけで?」

「尾形もウンコ箸で割って探ってみろよ」

「うっ。想像させないで」

「かってに想像しといてよく言う」

「いやいや」

「にしても寒ぃな。誰かマフラーくれねぇかな」

「彼女に編んでもらいなよ」

「いないですけど?」

「はぁー」

「え、無視?」

「はぁー。はぁー。ホントだ、白くならないね僕の息」

「でも本当に尾形の吐く息はキラキラして綺麗だよな」

「口説くなよ」

「口説いてねぇよ」



【小ネタ×10(4)】


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『ツんでる』


「いまの心境は、と訊かれたら」

「訊かれたら?」

「賽の河原で何度も石積みを邪魔してくる鬼をようやっと倒したと思ったら、川を渡った向こうはもっと大きな岩を積まなきゃいけないうえに、鬼も閻魔大王に変わっていたくらいの心境」

「具体的には?」

「ノルマ終わったと思ったら倍以上残ってた」

「締め切りは?」

「明日」

「ぶー」



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『寝袋の中で』


「ねぇ」

「なに」

「ううん何も」

「すぅすぅ」

「ねぇ」

「なに」

「ううん何も」

「すぅすぅすぅ」

「ねぇ。まだ起きてる?」

「ふが。なに」

「ううん。まだ生きてるかなって」

「寝ぼけてる?」

「だってもう私たちだけじゃない。みんな死んじゃった。お腹空いて動けない。きっと寝てしまったら起きられないのだわ。明日の陽の出を見ることもできない」

「小さいころから変わんないねアユ姉。急に終末ゴッコ仕掛けてくんのむかし、子ども心に怖かったよ。本気にしたし」

「うふふ。ごめん。懐かしくなっちゃった」

「もう寝て。あすも忙しいんだから」

「そだね」

「あ。外の罠って仕掛け直した? 昼間アレが一匹かかってて」

「直しといたよ」

「さすがはアユ姉」

「そだ。きょうは私がライフル抱いて寝てあげる」

「安心したいだけでしょそれ」

「そうとも言う」



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『美の基準』


「もし全人類の目が見えなくなったとしたら――」

「困るよ」

「目が見えない人類はきっといまとは違った美の基準を生むだろうね」

「そういう話?」

「たとえば、顔。見えないから化粧をする必要がないし、相手の顔を認識するには手で触るしかない」

「判るかなそんなことで顔の造形」

「だからきっと判りやすい顔が好まれる。いまみたいに全体的にのっぺりした左右対称の顔ではなく、もっとゴテゴテした一発でその人だと判るような個性的な顔立ちが好まれるはず」

「そうかなぁ」

「体型もきっとそう。感触重視になるだろうから太ってる人のほうがきっとモテるね。あとは筋肉もか。それから匂い。香り。服飾も、模様とか色合いとかよりも、音が鳴るような服が好まれそう」

「でも動くたびにうるさかったら、逆に困らない? 目が見えないなら耳で環境を知るしかないわけで」

「あ、そっか。なら静かな人が好まれるかもね。それか、聴覚や嗅覚が発達するか」

「で、この妄想に何か意味があるの?」

「いんや。ただ私も、みんなの目が見えなくなったらモテたのかな、と思って」

「きみはうるさいから無理じゃない?」

「このぅ」



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『呪いの深い人形』


「呪いの人形を手に入れた」

「またけったいなものを」

「これを所有した人間はみな非業の死を遂げるらしい。百年後に」

「長生きしちゃうな?」

「しかも、その非業の死の内容がまた壮絶でな」

「見て、いま鳥肌立った」

「愛する者たちがみな先に旅立ってしまうから、最期は誰にも看取ってもらえず、それまではたった一人で生きつづけなければならなくなるらしい百年くらい」

「長生きしちゃうな? その人形、長生きさせてくれるすごい人形だな?」

「でも最期の五十年は、この人形が話しかけてくれるようになるから寂しくはないそうだ」

「愛だな? 人形の深い愛だなそれ? 五十年はけっこう長いぞ? 許されるのかそんな特典があって?」

「しかし手放せばその呪いも解けるらしい。だがふしぎと手放す者はないそうだ」

「愛だな? 呪いという名の愛だな?」



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『底を突く者』


「魔導士、どうしよう。私、みんなに失望されちゃった」

「安心しなよ勇者。最初から誰もきみに期待なんかしちゃいないから」

「もっとひどい事実突きつけないで?」

「期待されないってことは自由だってことさ。何をしても失望もされなきゃ、嫌われもしない」

「そ、そうかなぁ」

「最初からだって、ものすごく嫌われているわけだから」

「魔導士?」



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『やめい!』


「読まれもしない小説書いて虚しくないの」

「きみこそ、面白くもない小説読まれて胸が痛まないの」

「何だと」

「やるか」

「ねぇねぇ聞いて聞いて。みんなに、おまえも書いてみろケケって言われて初めて書いた小説、直木賞と芥川賞とノーベル文学賞、三つも同時にとっちゃった」

「「嘘でしょ!?」」

「本当」

「「お……おめでとう」」



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『多層の仮面』


「演技力の極致ってなんだろね」

「さあてね。人間以外を演じられることじゃない」

「風とか?」

「猫でも石でも宇宙でもいいけどさ」

「じゃあ人間って限定した場合は?」

「そだねぇ。この世で最も嫌いな相手に成りきってみせてなお、自我を失わずにいることじゃない?」



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『外堀と墓穴』


「優先順位って大事だよね」

「どした急に」

「料理とか、順番間違えるだけで出来上がる品って天と地だから」

「ああ」

「ほかにも何か策を練るときとか」

「策?」

「たとえば誰かを貶めたり、もしくは秘かに支援したりするとき、外堀を埋める手法は有効だよね」

「う、うん」

「中心人物に直接働きかけるよりも、まずはその周囲の人間に取り入ったり、或いは虚偽の情報を植えつけたりして、じぶんに有利な環境を築いておく。中心人物に要求を迫った際に、断ることができないようにする。もしくは、率先して受け入れるように仕向ける」

「されたくはないけれどもね。まあ、分からない話ではないね」

「でだね。優先順位がここで大事になってくるわけだ。外堀を埋めるというのはある意味で、諸刃だね。溜めに溜めた水を解放するような具合で、場合によっては埋めた外堀に苦しめられることもある」

「あるかな」

「あるさ。オセロと同じだよ。盤の上で最初は黒が占めていたのに、中盤一挙に白に覆ってしまう。そういうことが起こり得る。外堀を埋めるにしても、どこから埋めていくべきか、は熟慮すべきだ」

「それはそうかも。で、何が言いたいの」

「何も。優先順位って大事だなって話。料理と同じでさ。初めにしておく下ごしらえをしておかないときっとできた料理もひどい味になる。埋めた外堀に埋まらないようにしてほしいよね。せめてさ。そうでなければきっと墓穴を掘ったことになる」



______

『魔眼』


「呪いってのは相手の心のなかに神棚を作るようなもんだ。基準を新たに一つ作ると言い換えてもいい」

「え、分からんのだけど」

「じぶんのしていることが、いったい何のためになるのか。何の糧になり得るのか。それを無意識のうちに想像し、天秤に載せ、行動の幅を制限する。常識も良識も法律も道徳も、倫理や礼儀とて例外ではないよ。総じて呪いさ」

「呪いっていうか。物の道理とは違うの?」

「似ているが、違う。人間がおらずともそこに働いているのが物の道理だ。人間がいなくては機能しないのが呪いだ。人は文化の中で、その文化に即した神棚を心のなかに作る。そして大なり小なり、その神棚にお供え物をするように、お供えできるように、行動の指針を定めていく。意識できている者もあれば、それを意識できない者もいる。意識できる者はきっと、心のなかの神棚を壊したり、ときにいくつも作ったりできるだろう」

「いくつも作る? 呪いをたくさん抱え込むの?」

「そうだ。呪いは、呪われることでそれを行使可能にもなる。じぶんの持ちうる呪いは、他者にかけることもできるんだ。植えつけることができる。呪いは伝染する。意図せざるうちに、されど意図して対象を絞りうるように」

「ひょっとしていま僕、きみに呪いをかけられてる?」

「かもしれない。俺にその意図はなかったけどね」

「それはどんなカタチの神棚だろう」

「そうだなぁ。たぶんだけど、この世にある神棚を視認できるようになる呪いかな」



______

『見てるだけ』


「わ、見て。あの毛玉ちゃん可愛い」

「ダメダメ、近づいたら危ないってキヨちゃん。言うこと聞いてお願いだってばねぇ」

「やん。服引っ張んないでよ。大声も嫌い。否定しないで」

「ごめんってば。でもアレはダメだよ。遠くから眺めるだけにしときなよお願いだよ頼むよ」

「どうして? あんなに可愛いのに。くりんくりんしてて、おめめもまん丸。まるで地球にいたヒヨコみたい」

「ボクはだからヒヨコには近づけなかったよ。この星のガルルを知っていたから」

「ガルル?」

「アレの名前。遠くから眺めるだけならキヨちゃんの言う通り可愛い。この星一番かも。でも遠くからだからだよ。ひとたび近づいて、ガルルの縄張りに足を踏み入れてごらんよ。どうなるかと考えただけでもヒエェ」

「ひえぇ?」

「考えただけでもおぞましいんだ。キヨちゃんにとってこの世でもっともおぞましくておそろしくて身の毛のよだつ光景を思い浮かべてごらんよ。きっとそれよりおぞましいから」

「やだそんなの可愛くない」

「ね? 眺めるだけにしとこ。お願い」



【無視だ無視】


「じぶん家帰んのやだな。泊めて」

「かわい子ぶっていいのは四十歳までだよ、朝子。おまえもう四十三だろ。残念だったな。じぶん家帰れ」

「知らんのかおまえ。女の子は八十になっても乙女なんだよ」

「けっ。男だって八十になっても心は六歳児だ」

「なんの自慢だ」

「そっちが言い始めたんだろうがよ」

「なんかさぁ。いまウチ、ポルターガイストがうるさくって」

「無視しろ無視。どうせ家鳴りか何かだろ」

「でも不気味なのは不気味でしょ。ね。泊めて。いまさらあんたに欲情なんてしないから」

「それはふつう俺が言う台詞な。泊まるのはいいけど、それだってずっとじゃ困るだろお互い。朝子んほうをどうにかするほうが早くないか」

「どうにかってどう? お祓いとか?」

「家のほうはまあ、行ってみないと何とも言えんが。朝子の認識のほうならいまこの瞬間にも変えられるだろ」

「変わんないわよ、あたしの自我のしつこさを馬鹿にすんな。三つ子の魂百までなら朝子の魂だって百までなんだよ」

「無駄にかっこいい台詞を吐くな。俺の立つ瀬を奪うな。もっと役に立たせてくれ。そしてじぶん家で寝てくれ」

「じゃあ聞くだけ聞いたげるけど」

「あんな。ポルターガイストが真実にそこにあったとして。けどそれって因果関係は証明できないわけだろ」

「ふぁあ。眠くなった」

「諦めるのが早いよ。おいおい、本気で俺を便利なホテルの世話係かなんかだと思ってないか」

「朝子、お腹空いちゃったな」

「じぶんのことを名前で呼んでいいのは四十歳までなんだよ朝子。おまえはもう四十三だ」

「可愛いからいいだろ」

「う、う、うぇぇ? ツッコんだら負けな気がしたが、ツッコまずとも負けな気がしてしまったな。聞かなかったことにするとして、真実に幽霊がいたとしたってそれを証明はできないんだ。ひとまず、そういう現象があるのを認めたうえで、気にせず過ごすのが利口だと思うぞ。物理的に棒で殴られるとか、盗撮映像がバラ撒かれるならまだしも」

「盗撮くらいはされてる気がするけどな」

「もはやそれポルーターガイストじゃなくてただのストーカーだろ。犯罪者だろ」

「下着も、気のせいか減ってる気がする」

「物理被害ありまくりだろ」

「あ、違う。ヨレヨレになったから捨てただけだったわ忘れてた」

「ボケたのかな? お年を召したら誰もが通るお惚けなのかな?」

「もういいでしょ。家ほら早く案内して。あたし夜寝る前は焼酎三杯くらい飲まないと寝付けないんだ」

「買えと?」

「枕も低反発のじゃないと眠れない」

「もう家帰ったらいいじゃないの。お家で幽霊さんと仲良くやっていたらいいじゃないの」

「いいよ分かった。そこまで言うならあんたがウチ来てよ。いっしょに寝てよ。抱き枕になってよ。旦那になってよ」

「どさくさに紛れて雑なプロポーズをするなよ」

「だってこんだけアピってて、ふららふららと、おまえはフラダンサーか」

「ごめんなさい。朝子とはそういう関係にはなれそうにない」

「ふん。意気地なしめが」

「だって朝子。結婚しちゃったらさ。結婚しちゃったら別れることができちゃうだろ。俺、おまえとはずっとこのまま死ぬまで一緒に関係していたいんだよ」

「やなこった。あたしはいますぐ結婚したいんだ。四十四になる前に結婚したいんだ。分かるかこの気持ちがおまえに」

「それは俺との縁がいずれ切れてもいいと思えるほど強いものなのか」

「縁が切れるだぁ? そんなもんはな。こうして、こうして、こうやって蝶々結びだ!」

「ぐふっ」

「なぁに笑ってんだこの意気地なしのへっぽこぴーめが」

「いやわるい。そういや朝子はこういうやつだったなと思いだしてな」

「で、ウチに来てくれんのくれないの。もういい加減寒いんだけど。身体冷えちゃったじゃん」

「上着いる?」

「臭いから嫌」

「じゃあ、ま。いいよきょうは俺ん家で。そんかし臭いは服と同じだぞ」

「鼻つまんで過ごすから大丈夫」

「俺の心が傷だらけなんだが。ま、いまさらか。朝子、約束だぞ。俺のこと襲うなよ」

「拒めばいいだろ」

「その自信がないから頼んでるんだ。フリじゃねぇからな。頼むぞ」

「幽霊に身体乗っ取られるかも」

「まだそれつづいてんのか。ポルターガイストなんか気のせいだよ気のせい。因果関係なんか不明なんだから無視してりゃあいいんだ」

「へん。だったらそっちこそ無視すりゃいいだろ。四十三歳女子の性欲舐めんな」

「朝子が欲求不満なのは承知した」

「避妊具はいらんぞ」

「念のため買ってこ」



【カカオードの秘奥】


「この地ではカカオのほかに、宝石が特産でね。ここでしか取れない貴重な資源だ。カカオードは知っているね」

「いえ。でも先ほどの説明会で現物は見せてもらいました。そのときは宝石の名前をブラックダウトルビーと教えてもらったのですが、それのことですよね」

「ブラックダウトルビー。たしかに外の者たちはそう呼ぶ。だがここではカカオードだ。ブラックダウトルビーは、ルビーと名前が入っているが、ダウトの名の通り、ルビーではない。紛い物だ。磨けばルビーのような光沢と深みを宿すが、ルビーとは原子配列からして大きく異なる。また、この島では宝石として輸出はしているが、カカオードは実用品でもある。我々の生活にはなくてはならないものだ」

「宝石以外での利用価値があるのですか」

「あるさ」

「ですが、説明会では」

「きみは発掘の手伝いにきてくれたのだろ」

「はい。各人、島の名人の元に配属になります。僕はカタルさんの元にこうして」

「長い付き合いになると思う。きみが根をあげなければの話だが。いや、脅してすまんね。歓迎しよう。ようこそ我らが島へ。そしてカカオードの採取にさっそく取り掛かろう」

「よろしくお願いします」

「説明会では、なんと聞いているかな」

「特殊な発掘場があると聞いています」

「それはそうだな。それ以上は言えんか」

「違うのですか」

「発掘場ではない。あるのは、採取場だ。カカオードはな。鉱石のようで、鉱石ではない。宝石ではない。あれは自然発生する。ただし、固有の場所に」

「地中ではないのですか。洞窟の中とか?」

「着いたよ。ここだ」

「ここは」

「病院さ。葬式の職員が死体を運びださないうちに、済ませてしまおう。葬式場に移ってからだと手数料が余計にかかってしまうからね」

「死体になんの用が」

「この島はカカオの産地でもある。みな日常的にカカオを好んで食べる。そのためか、風土病とでも言うのかね。どうにも結石のようにして体内でカカオの成分が固着してしまうんだ。それが結晶化したものがカカオード。ブラックダウトルビーときみたちが呼んでいる宝石だよ。ただし、宝石としての価値が帯びるには、人間が死ぬくらいにまで体内で育ってもらわねばならない。命と引き換えに採れる石だ。まさに宝石の名にふさわしい」

「ですが日常品でもあると」

「カカオードは、それで一つの薬でもある。カカオードの欠片を飲むことで、カカオードで命を落とす危険を拭える。この仕組みを知る者は、一部の業者や組織の者たちだけだ。政治家、警察、病院、葬儀屋、そして我々採取者の組合いだ。きみもいまはその一員となった。きょうは初陣だ。まずはきみにも、カカオードの抗体というのかな。耐性を持ってもらうよ」

「飲むんですか? 死体から採ったのを?」

「そりゃそうだ。きみは運がいい。配属された初日にカカオードの採取に立ち会えるのだから。新人では稀だよ。この機会に、採取方法もひと通り見せてあげよう。なぁに。気にすることはない。相手は死体だ。すでに死んでいる。腹を裂いて、首を切開するだけだ。心臓と顎のリンパ腺にカカオードは実る。ぜひその手でもぎとってみてみたまえ」

「あ、あのきょうは僕気分が」

「いいとも、いいとも。そういう日もある。ただしきみはすでに島の住人だ。我々の秘奥を覗いた。すでに仲間だよ。カカオードはきみの命よりも価値がある。島の外で一生働いても払えきれないくらいに高い石さ。緊張で気分がわるくなるのもよく分かる。だが敢えてきみの指導員として言っておこう」

「はい」

「よく考えて物を言いたまえ」




【とある居酒屋の光景】


「店長聞きました、さっきのお客さんが言ってたんですけどいまってクラフトビールが流行りらしいっすよ。うちでもやりませんかクラフトビール」

「自家製ビールか。酒税法に違反しそうだな。単純に密造酒だろそれ」

「え、そうなんすか」

「メーカーの作ってるクラフトビールを買い取ってならアリだろうけど専門店でもないのにうちでやるにはちょっとね。コストと利益が見合わないよ」

「そっか。いい案かと思ったんすけど」

「あら店長。クラフトコーラってのもあるみたいですよ」

「キセくん。もう来たのか、まだシフトまで三時間もあるだろ」

「今日は給料日なので」

「早く来たって渡せないぞ。振込みだから」

「そうでなく。給料日なので、お金が底を突きました。家にいても食べ物がないので賄い食べながら時間潰そうかなと」

「いや、いいけどね別に。従業員の助けになるなら賄いをふるまう甲斐がありますけれども」

「店長、店長。いまキセさんが言ってたクラフトコーラってどうです。酒じゃないならうちでも作れるんじゃないっすか」

「簡単に言ってくれるねぇジュンくん」

「だって俺がふつうに飲みたいっすもん。作りますよ俺。腕によりをかけますよ」

「そういうのは腕に覚えのある人が言うんだよ。ジュンくん、コーラ作ったことあるの」

「いいえ」

「作り方は知ってる?」

「いいえ」

「じゃあ何なら知ってるの。コーラの原材料って何? はいサンハイ」

「知りませんけれど」

「キセくーん、うちのナイスガイな従業員に言ってやってよちょっと」

「店長うるさいです。いま私、賄い作ってあげてるんですからそっとしておいてください」

「冷蔵庫の材料使っちゃわないでね? 仕込んだばかりのやつだからねそれ、お客様にお出しするやつだから」

「ジュンくん、こっちきて。デザート作るから手伝って」

「はーい」

「いやいやいや。ジュンくんいま就業中だから。お店でお仕事中だから。ジュンくんも何しれっとキセくんの言うこと真に受けてんの。この店の店長、店長だからね」

「キセさん。何か店長一人ではっちゃけてるんですけど」

「そっとしておきな」

「あれー? 店長何か間違ったこと言ってる?」

「店長あのさぁ。お客さんがいないのに仕事も何もないじゃないですか」

「キセくんはせめて遠慮を覚えよ? いま刻んでるやつ、お高いお肉でしょ?」

「店長、店長。クラフトコーラの件なんすけど、いまざっと調べたらコーラの実ってのがあるらしいっすよ」

「コーラの実?」

「香辛料みたいなカタチしてんすね。胡椒の実っぽいっすけど。これ仕入れて、うちで自家製コーラ作りましょうよぉ」

「うん。ジュンくん。その心意気は素晴らしいと思うし、ありがたいのだけれどもね」

「なんすか、なんすか」

「せめて週一のシフトを三日に増やそ?」

「えぇ。めんどいっすよ。遊べないじゃないっすか」

「コーラのやる気どこ行った」

「店長、このお酒飲んでいいですかー?」

「キセくんはこのあと仕事だからね!?」



【「小ネタ×10(5)」】


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『わかる』


「インターネットってさ。個人の日記とかずっと一方的に読めちゃったりするでしょ」

「どうしたのアサリちゃん」

「私もう十年以上見つづけてる日記があってさ。もうその人のこと親兄妹より全然身近に感じちゃうんだよね。その人が手術で血が足りないとかなったら全然駆けつけるもん。地球の反対側くらいなら全然行ける。旅行ついでに助けちゃう」

「それは相当な入れ込みようだね」

「でもさ。ときどき、はっと気づくわけ。相手からしたらじぶんってただの他人なんだなって。ついついそれを忘れて、かってに親友みたいに思ってるじぶんを意識しちゃって、あぁあああ、ってなる」

「頭抱えちゃうんだ」

「そう」

「いまのアサリちゃんの真剣な話を聞いて思ったのはね」

「うん」

「二十年来の友達やってきたあたしの立場は?だよ」

「ごめん」

「いいよ。つぎからはあたしにもその日記読ませて」

「荒らさないでね」

「釘打たれたからもうしない」

「する気だったかあ」



______

『がぶりんちょ』


「マイマイカブリっているでしょ」

「涼子ちゃんもゴミ拾い手伝ってよ」

「マイちゃんがもし私の物だったらさ、ほら、【MYマイ、ガブリ】なんちゃって」

「噛まないでよ痛いし。汚いから」

「ひどい」

「そうじゃなくて逆だってば。いま私たちゴミ拾いしてるんだよ。よく私の腕に噛みつけたね」

「マイマイガブリですから」

「じゃあ私はカタツムリさんなんだ。引っ込み思案なの、からかわれた気分だな」

「そういうつもりはなかったよ。ごめんね。謝る。嫌いにならないで」

「嫌いにはならないけど」

「マイちゃんはほら、あたしにないものいっぱい持ってるから」

「から?」

「好きだな。憧れてる。尊敬してるの。本当だよ」

「嘘っぽいな。適当におためごかし言われてる気分」

「マイちゃんはもっと自信持ったほうがいいよ。褒められたら素直に、ありがとー、でいいと思うよ」

「涼子ちゃんはでも誰にでもそういうこと言うから」

「そんなことないよ。マイちゃんには特別だよ」

「嘘だよ。涼子ちゃんのほうがたくさん私にないものあるし。いっぱい持ってるのは涼子ちゃんのほうだよ」

「そんなことないよ。だってあたし――」

「マイマイガブリはなしだよ」

「ううん。違うよ。いまはあたし、【ナイナイ】ガブリだから。じぶんにないものが好きなんだ。マイちゃんのこと、だからとってもがぶりんちょしたい」

「……そっか。ありがとう。そう言ってもらえるのはうれしいよ。でも噛まないでね。汚いから」



______

『芭蕉も苦笑』


「おーい田中。雑学対決しようぜ」

「なんて知能指数の低そうなバトルを仕掛けてくるんだ明智くん。おじぃさまが聞いたら泣きますよそれ」

「小五郎じっちゃんが? ないない。だってあの人もよく同じこと吹っ掛けてくるもん」

「ご存命でしたっけ?」

「じゃあ俺からね。松尾芭蕉の芭蕉がバナナだってのは割と有名な話ではあるけれど」

「結構ちゃんとした問題そうでよかった」

「俺の股間に生えているバナナはどこ産のバナナでしょうか」

「下ネタは卒業しようよ明智くん! くだらなさすぎるよ」

「正解はタイ産(退散)でした」

「露出でもしたのかな!? 案外にちゃんとしたクイズになってて感心しかけたけれども」

「じゃあつぎ田中。俺に問題だしてよ」

「いいの? 難しいのだしちゃうけど」

「構うもんか。どんな難問がきたって俺がさくっと解いてやるよ。じっちゃんの名に賭けて!」

「だいぶ人違いだよ明智くん。いや、きみのおじぃさまはたしかに有名な探偵で名前を賭ける価値はあるけれども。きみは金の田んぼの一つ一つではないんだよ」

「ぴんぽーん! 金田一一!」

「いまのは出題ではないからね。せっかく人が弄した配慮を無に帰したご感想はいかが? はい早かった明智くん。ぜひ答えて」

「無自覚や、変わらず追い込む、無二の友」

「追い込んだの明智くんだからね! 追い込まれたのは僕のほう!」

「松尾爆笑」

「笑うな!」



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『解き放て、あの子も人間だぞ!』

 

「なぁなぁ、タカヤ。おまえ一日何回オナニーする?」

「ぶっ。ごめんすっごい唾飛んじゃった。テっちゃさ、前から思ってたけど、ちょくちょくぶっこんでくるよね」

「やっぱ毎日するよな。十回くらいは射精すんよな」

「断定するのやめてくれないかな。憶測で断定するのやめてくんないかな」

「でもするだろ」

「個人のプライベートなデリケートゾーンに土足で踏み込んでくるのやめたほうがいいよテっちゃん」

「でもするだろ」

「しつこいな。ああするよ。三日に一回というか、ときどきは毎日するけど、十回はないよ。多くて三回だよ」

「ぷぷ。何恥ずかしいこと大声で白状してんの。ウケんね」

「いじめかな?」

「しかも三回て。フィギュアスケートかよ」

「いじめだね?」

「ときどき毎日って言い方もずるいよね。詐欺だよね。ときどきサボるけど、のほうが実情を反映してるよね。オナニーすらサボるとか何ならつづけられんの。タカヤの未来はお先真っ暗だな」

「そこまで言う!? ひどいよ。そういうテっちゃんこそ自慰とかするの。毎日十回とかしちゃってるわけ」

「女の私にそういうこと言う? サイテー。セクハラ。変質者。いっぺん逮捕されて独房のなかで強制禁欲生活でもしてみたら」

「偏見のゴッドにでもなりたいのかな!?」



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『下ネタってだめかな』


「記念すべき777話が下ネタのラブコメでよかったのかな」

「いいんじゃね。どうでも」

「でもさでもさ。こういうところで縁起を担げたほうがのちのちいいことありそうじゃない」

「たとえば?」

「恋人ができるとか」

「じぶんの書いた文章読んでみてから発言しようよ。相手に読ませられる内容か?」

「でもさでもさ。案外に受け入れてもらえたりとか」

「ねぇよ」

「ないか」

「ねぇって」

「念を押すよねキミ」

「おまえに恋人できたら癪だからな」

「嫉妬?」

「ねぇよ。ねぇってば。ないない。ないってば。ないつってんだろなんだその目は」



______

『交代の先輩』


「これは偏見だけれど、解離性同一性障害――いわゆる多重人格者は、他者との距離感を掴むのが苦手らしい」

「なんでだろ」

「じぶんの中に他人を幾人も宿しているからじゃないかな。じぶんの中で起きていることと外での他者との交流との区別を肌感覚として実感できないと仮定すればいちおうの説明はつく」

「この場合、距離感はどっちに狂うの? ツンツントゲトゲのほう? それとも馴れ馴れペタペタのほう?」

「どっちもあるだろうね。じぶんの内側の人格たちとどういう関係を築いているかによるんじゃないか。もっと言えば、どういう人格を宿しているのかによるのかも」

「それは主人格の性格によらず?」

「おそらくは。本人の性格よりも、交代人格の性質のほうが、対人関係での距離感に反映されるだろうね。そもそもを言えば、解離性人格障害を発症するためにはトリガーとなる何らかのきっかけがあると考えられている。これは門外漢の単なる憶測でしかないけれど、高ストレス下に長期間晒されたり、記憶を封じたくなるようなつらい体験をする場合が多いんじゃないかな。本人にとって好ましい体験によって解離性人格障害を発症した、という事例はきっと珍しいと思う」

「そうなんだ」

「でだね。きみが初対面の僕に馴れ馴れしいのも、きっとその影響なんじゃないかと思ってね」

「えー、初対面だなんてやだな。もう何度もきみとは会っているよ」

「そうなのかい。でも僕には憶えがないけれど」

「このあいだ会ったとき、きみはじぶんのことを私と言っていたよ。話し方ももっと、おどおどしていたけれど」

「冗談はよしてくれ。それじゃあまるで僕が解離性同一性障害みたいだ」

「違うの?」

「そりゃそうだろ。だって僕にはずっと記憶が継続されている。記憶を失ったりしない。ずっと僕として活動できている」

「それこそ当たり前じゃないか。だってここは彼女の内側なんだもの。外へと出なければみな記憶は保たれる。同一性を保っていられる。じぶんを見失わずに済む」

「おかしいな。きみの言っていることが解らない」

「解りたくないだけさ。きみはボクより年齢は上だけれども、彼女に生みだされたのは最近だからね。ボクのほうが先輩さ。混乱しかけたら声をかけてくれよ。外に出たときは特に、ね」



______

『かってに視ておいて』


「と、いうわけで僕は超能力者なんだ」

「心が読めるの?」

「もちろんだとも」

「なら私が無実だって判ってるはずだよね。どうして拘束するの。拉致したの。監禁するのはなぜ」

「そりゃあ心を読んでしまったからさ」

「それってどういう」

「君は常に他者を恨んでいるよね。心の中で何千、何万人という人間を殺しつづけてきた。それも凄惨で目も当てられない方法で」

「心の中ででしょ」

「これほど醜い心を僕は視たことがなかったよ。戦慄したね。快楽殺人者だってもっと清らかで純なる心を持っていた。君は危うい。すこぶる、危うい」

「そのおっきな鋏――何するの。何、どうして近づくの。やめて。ヤダ、誰か助けて!」

「やだなぁ。君が心の中でしてきたことのほんの真似じゃないか。大丈夫。殺しはしないよ。ただちょっと、お灸を据えるだけさ。いまはまだ、ね」



______

『雑木』


「ものすごく幼稚なことを言ってもいいですか」

「ええどうぞ」

「紙幣って紙じゃないですか。印刷する技術はすごいんでしょうし、紙自体も特殊なんでしょうけど、言ったら紙なわけじゃないですか」

「紙幣ですからね」

「たかだか紙切れが百枚千枚積み重なっただけで、人間の命よりも価値を帯びる。なんだかふしぎな気がしませんか」

「懐かしい所感ですね。小学生のころを思いだします」

「早熟だったんですね。やっぱりお医者さまは違うなぁ。あ、きょうは腎臓だけって聞いてたんですけど、肝臓だともっと高く売れますか? 半分だけ取るとかできるって小耳に挟んだもので」

「局部麻酔だけですが、全身麻酔に変えましょうか」

「うるさかったですか。すみません。もう黙ります」

「別にいいですよ。手元が狂って困るのは私ではありませんから」



______

『化石膨張』


「恐竜の化石についての通説を覆す発見があった」

「お聞かせください博士」

「結論から述べよう。恐竜はどうやら現在考えられているよりもずっと小型だった可能性がある」

「ブラキオサウルスやT-レックスもですか」

「そうだ。現在発掘されている化石は総じて、地中にて化石化する過程で膨張した可能性がある」

「膨張、ですか。骨がですか」

「そうだ。隕石によって恐竜が絶滅しただろうとの仮説がいまは有力視されている。そのとき、海は荒れ、大津波が発生し、地表を呑み込んだ。海水の届かない地表は隕石の余波で灼熱に。その地点にいた化石はもはや残っておらんだろう。ゆえに現在の残っている化石は総じて、いちど海に沈んだものだ」

「海水に浸かったわけですね」

「そうだ。その際に、骨がふやけて膨張し、それが堆積した泥や地層に埋もれ、長い年月をかけて化石化した。したがって現在発掘されている化石は総じて、実際の恐竜よりも大きいのだ」

「ですがそう上手く比率をそのままに膨張しますかね骨が」

「こんな実験を知っているかね。海底にカップラーメンの容器を持っていくと、水圧で見る間に潰れ、何回りも小さなカップラーメンの容器ができる。比率はそのままに縮むのだ。これは縮小だけでなく、膨張にもきっと言えることだろう」

「では、恐竜たちは本当はもっと小柄だったと」

「恐竜たちの祖先である鳥がなぜ、大型化しないのか。その答えは、そもそも恐竜たちもそれほど大型ではなかったから、と言えるのではないかな」

「ちなみにこの仮説の物的証拠は」

「ないな」

「ないんですね。なんだいつもの博士の法螺か。だと思いましたあーあ本気にして損した」



______

『へい!』


「先輩、すごい引きです! いまにも腰から腕を持ってかれそうです」

「竿を離すなよ佐竹ぇ! その調子で巻いて、巻いて、巻きまくれぇ」

「わ、わ、わ。今回の獲物はいままでにない大物ですよ先輩」

「ルアーを慎重したからな。食いつきが違うわい」

「え、そうなんですか。知らなかったです。今回のはいったいどんなルアーを」

「聞いて驚くな。北海道産の朝市で獲れたズワイガニをふんだんに用いた特性駅弁がなんと半額、いまならなんともう一つセットでお付けしちゃう持ってけ泥棒セールの売り切れ御免な品物だ」

「それは釣れますねぇ。食いつきが違ぇわけだ」

「ごっそり釣り上げて一網打尽だ」

「へい先輩。この時間帯のデパ地下の主要な買い物客、高級住宅街に住まうご婦人さまのお遣いたる家政婦を、見事一本釣りして御覧に入れましょう」

「一人や二人じゃないぞこの食いつき」

「一石二鳥どころか、ごっそり行けちゃいそうですね」

「欲を張るな佐竹ぇ。これぞと思う一人をずばり狙い撃ちだ。芥川龍之介作【蜘蛛の糸】の観音様の気分をぞんぶんに味わうんだ、佐竹ぇ!」




______

『へい!テイク2』


「先輩、すごい引きです! いまにも腰から腕を持ってかれそうです」

「竿を離すなよ佐竹ぇ! その調子で巻いて、巻いて、巻きまくれぇ」

「わ、わ、わ。今回の獲物はいままでにない大物ですよ先輩」

「ルアーを慎重したからな。食いつきが違うわい」

「え、そうなんですか。知らなかったです。今回のはいったいどんなルアーを」

「聞いて驚くな。地下アイドルの聖地で突如として見参した三人組アイドルの写真をふんだんに用いた特性Tシャツがなんと半額、しかも本人たちがライブで身に着けていた限定品、いまならなんともう一枚新品セットでお付けしちゃう持ってけ泥棒セールの売り切れ御免な品物だ」

「それは釣れますねぇ。食いつきが違ぇわけだ」

「ごっそり釣り上げて一網打尽だ」

「へい先輩。この時間帯の地下アイドルの聖地の主要な観客、熱狂的なファンゆえに独身を貫き、ほかにつぎ込むお金がないために貯金だけが嵩んでいく一方のファンのなかのファン、カモのなかのカモを見事一本釣りして御覧に入れましょう」

「一人や二人じゃないぞこの食いつき」

「一石二鳥どころか、ごっそり行けちゃいそうですね」

「欲を張るな佐竹ぇ。これぞと思う一人をずばり狙い撃ちだ。芥川龍之介作【蜘蛛の糸】の観音様の気分をぞんぶんに味わうんだ、佐竹ぇ!」

「さすがに二度目だと各方面から怒られそうな気が」

「怯むな佐竹ぇ!」



【こじらせ】


「先輩は承認欲求こじらせてなくていいっすね」

「承認欲求って?」

「知らないんすか。大勢に認められたい欲ですよ。特定の人からでもいいですけど、とにかく誰かじぶん以外から存在を認められたい、優位に立ちたい、そういう欲求です」

「いや、あるよ」

「じゃあ満たされてるってことですかね。人によっては、底なし状態になって、もっともっとと乾いちゃう人もいるみたいですけど」

「アザ君は違うの」

「僕もありますよ承認欲求。塊ですね。一番は先輩に認められたいですけど」

「認めるって言い方がよく分かんないな私は。だってアゼ君はすごいじゃん。すごくないところも含めてすごいと思う」

「褒められたと思っときますけど、そういうのもうれしいんすけど、僕はもっと先輩の特別になりたいですよ。大勢の後輩の内の一人とかではなく」

「愛の告白みたいだな。でもそういうのとは違うわけだよね」

「ええ、まぁ」

「むつかしいな。承認欲求か。いや、あるよ。私にも」

「そうなんですか? 誰に認められたいんですか」

「認められたいというか、みんな認め合えばいいのになぁ、みたいな。違うな。もっと他人よりもじぶんを見詰めてあげればいいのにな、みたいな。そうそう、もっとじぶんからこそ認めてもらえるようになればいいのになって」

「それって先輩以外もみんな先輩になればいいのにな、ってことですか」

「そうなのかな。たぶんそうかも。だから私はほかの人たちよりもよっぽど承認欲求が弾けてると思うよ。欲深いんだ。ブラックホールみたいな感じでさ」

「でた先輩のお家芸。飛躍」

「飛躍してるかな。ブラックホールって中心がものすごくぎゅっとなってるけど、その周囲がスカスカなんだ。私みたいだなって」

「どの辺がですか」

「承認欲求の塊だけれども、アザ君の目からしたらそれが薄く見えるわけでしょ」

「ほぼないっすね」

「でもそう見えるだけで本当は承認欲求の塊なんだ」

「なら僕ももっと承認欲求をこじらせちゃえばいいんですかね」

「こじらせる、の言葉もよく私には分かんないんだけど」

「風邪みたいな」

「悪化してるってことか。それは嫌だな」



【ちゅうぼう】


「料理長。私、最強のお弁当考えてきました」

「新メニューか。どんなのだね」

「カレーとハンバーグとスパゲティとオムライスとピザとフライドチキンとケーキとプリンが全部すこしずつ詰まってるんです」

「お菓子の家みたいな発想だな。で、作れたとして幾らで売るつもりだい」

「すこしずつしか入っていないので、ほかのお弁当と同じ値段です」

「うん。たとえばだけど、お正月のお節料理。うちの目玉商品だよね。でも、ほかのお弁当よりも値段が高い。なぜだと思う?」

「材料がお高いからでは」

「その通り。ならアスカさんのドリーム弁当も同じことでは?」

「安すぎるということでしょうか。でも中身は全部、カレーとかハンバーグとか一般のお料理ですし。お節の高級具材とはわけが違うと思います」

「そうかな。ちょっとずつお弁当に入れるとしても、一品一品はすこしだけ作るわけにはいかないだろう。大量に作って、お弁当に小分けにする。でもそれだけのお弁当をうちでは捌けたことがない。大量に作って大量に売るような手法は合わないと思うんだ。採算が合わない」

「つまり、私の案はボツってことですか。しゅん」

「ま、でも。余った分は俺の晩飯にすればいっか。いいよまずはやってみよう。せっかくアスカさんが出してくれた案だものな。まずは一度カタチにしてから」

「料理長こら! またアスカさんにだけ甘くして。そんなんだからウチは火の車だっつってんの。アスカさんも料理長を無駄にデレデレさせないで。もっと厳しくしてちょうだい」

「すみませんでした店長」

「イチャイチャしてんじゃないよ。ここは厨房であって、中坊の恋愛劇場ではないんだ」

「あの店長」

「なんですかアスカさん」

「いまどきの中学生のほうがそこら辺、ちゃんとしていると思います」

「ご丁寧にどうも!」



【よい子】


「くっくっく。あの坊やは頭が弱そうだ。俺様のカモにしてやる」

「わぁ、蝶々だぁ。きれい」

「やあ坊や。おじさん、いま道に迷ってしまってね。申し訳ないのだけれど、ちょっとココまで案内してくれないかい」

「いいですよ」

「きみはよい子だね。お家はどこ? お父さんお母さんは何している人?」

「家はあっちだよ。パパはお金持ちで、ママもお金持ちだよ」

「それはいい。ではあとでお礼の電話をしたいから番号を教えてくれないかな」

「いいですよ。番号はこれです」

「いいぞいいぞ。そうだ坊や。生き物は好きかい。おじさんの家にはいま珍しい生き物がいてね。どうだろう見に来るかい」

「行きたい、見たい!」

「いい食いつきっぷりだね。坊やは頼めば何でもしてくれそうだ」

「ぼくはいい子だから何でもするよ」

「じゃあお父さんお母さんにおじさんはいまからお電話するね。可愛い息子さんを預かっていますって。緊張するからちょっと耳を塞いでくれないかな」

「うん」

「ごほん。あー。お宅の息子を預かった。返して欲しくば明日までに貯金の半額を用意しておけ。場所は追って連絡する。警察に言えば息子は帰ってこないと思え。ぶつん」

「おじさん、もういい?」

「ああいいよ。本当にきみはよい子だね。おじさん、感動しちゃうな」

「そうかなぁ。へへへ」

「そうだ。お父さんとお母さんにあとでちゃんと、私がお世話になったのはあなたたちの息子さんですよ、と証明したいから、何か証拠になるようなものを持ってないかな。きみがきみである証というか」

「証?」

「名札とか。財布とか」

「ごめんなさい。持ってないです」

「そっか。じゃあ指でも切って送りつけてやるかな」

「指?」

「おっと、チガウよ。こっちの話だから気にしないで」

「ぼくの指が欲しいんですか。いいですよ。何かないかなぁ。おじさん、ハサミか何か持ってないですか」

「も、持ってないよ。こらこら何を急に言い出すんだい」

「指ですよね。いいですよ。これくらいあげますよ。ぼくはいい子なので、指くらい切ってあげます。血が欲しいなら抜いてあげます。目玉が欲しいなら繰り抜いてあげます。心臓が欲しいなら捥ぎ取ってあげます。おじさん。ねぇおじさん。つぎはぼくに何を求める」



【審判の日はまた】


「私は天使だ。キミの未来に一抹の不安を幻視してしまったのでこうして審判をしにきた。二、三、質問をするがよろしいか」

「天使さんですか。わぁ、その翼は本物? 頭のリングも本当についてるんですね。それにはどんな機能があるんですか」

「質問をはじめる。キミは友達想いのようだね。仲間とつるむ真似をしない割に、いちど縁を結んだ友達とは、たとえ十年会えずとも友達だと認めつづける。ここまでは異存はないか」

「うわぁ、照れますね。何で知ってるんですか」

「ではもし、キミの友達を傷つけた者がいたら」

「まずは友達の安全を確保します」

「即答か。その後、もしキミの友達を傷つけた者が、ほかのキミの友達を傷つけようとしたらどうする」

「止めますね」

「それでも止まらなかったら?」

「これは何かのテストですか」

「審判をしにきた、と私は言った。それ以上の意味はない」

「嘘を吐いてもどうせバレますよね。なら正直に答えますが、僕は僕の友達を傷つけつづけるような者には二度とそれができないように何かをします。その可能性の中にはもちろん、最悪の事態を想定しての選択肢もあります。つまり、相手を殺すことが含まれます」

「殺人は何番目の手段かな」

「最後です。僕が死んでなお、止められないようならそれを選択します」

「自死を先に選ぶか」

「それで相手が止まるようなら」

「では問おう。もしキミの友達を傷つけるような輩が他国からやってきたらどうする。侵攻してきたら」

「それは個人でどうこうできる領域を越えますから僕にはなんとも」

「ならばキミがそのときの首相だったら」

「話し合いや外交では解決できないのですか」

「そうだ」

「ならば迎え撃つしかないのでは」

「戦争をすると?」

「それは僕ではなく、相手側に問うてください。なぜ僕の大切な人たちを傷つけようとするのですか」

「最後の質問だ。前提条件は同じだ。キミには国を動かせるだけの権力があるとする。もしそのとき、キミの大切な者たちが他国で自由を奪われ、人権を侵害され、笑うことすらできぬ日々を強いられていたとしたら。キミはどうする」

「話し合いや外交では」

「解決しない」

「なら助けに向かいます」

「キミ自ら指揮をとって?」

「はい。もちろん首相としての責務はあるので、そのときは辞任します。そのうえで、持ちうる権力をすべて使ってでも助けに向かいます。すくなくとも、助けになるように何かをすると思います」

「うん。審判は下った」

「失格ですね」

「判っていたのか」

「ええ。これは独裁者の発想です。本来、平和を、秩序を、民を思えば、まずはじぶんの友人や個人的な大切な人たちのために権力を用いるべきではありません。しかし僕はおそらく使うでしょう。躊躇なく。葛藤なく。それをする以外の道を探せません。見ようとすることもできないでしょう」

「どうあっても見捨てられぬ、と」

「じぶんにできることが視えてしまったのなら」

「うむ。私の幻視した未来の話をしよう。キミはこのままいけば未来で、多くの者たちを殺し合わせることになる。そのせいで我ら天界の者たちも大いに悩むことになる。終末のラッパを吹くべきか、と」

「人類の滅ぶきっかけを僕がつくってしまうわけですね」

「かもしれない、という可能性がある。いまはその段階だ。だがいまここでキミの命を奪えば、或いはそうした未来を回避できるかもしれん」

「ならば刈るべきでしょう」

「命を奪われても構わないと?」

「そのほかに最善がないのならば。その代わりと言ってはなんですが、未来で困ることになるだろう、僕の大切な人たちをどうか助けてあげてください」

「うん。そうしてやりたいのは私も同じだ。だがここでまた問題が生じる。私がいまここでキミの命を奪うことは、キミが未来で選択することになるだろう、取り返しのつかない行動と、構図はほとんどとして同じだ」

「そうなりますかね。ああ、そっか。じぶんにとって救うに足る者を選別し、そのために他者の命を奪う。この行動原理そのものがそもそも問題だということですね」

「おそろしいくらいに呑みこみが早いな。割りきりも早すぎる。決断というのは、どんなに簡単に導きだせることでも、即断することが必ずしも英断となるとは限らないのだぞ」

「ですが、結論が変わらないのならなるべく早く決断しておいたほうが、問題がこじれずに済むと僕は思います。例外はもちろんあるでしょうが」

「天使と真っ向から議論するか。面白い人間だ。命をとるには惜しい。だがそれだけに余計に恐ろしい」

「恐ろしい? 僕がですか?」

「キミは本当に躊躇なく人を殺すことができるのだろう。そしてそれを自覚しているがゆえに、その選択をとることで訪れる不利益を天秤に載せることができる」

「誰でも同じだと思いますけど」

「かもしれない。そのうえでキミは人を躊躇なく殺す道を残しつづけている。その冷酷なまでの合理性が恐ろしいのだ」

「合理的ではいけませんか」

「キミがキミの半径五メートル四方をじぶんの世界だと思いつづけていてくれる限り、それはそれほど危険な性質ではない。だがキミは――」

「分かりました。ではこうしましょう。僕はこの先、何があっても権力を持たないようにします。集団には属しません。組織からも距離を置きます。友達も、そうですね。いまの時代ならばインターネット越しで交流するだけで充分楽しめるでしょう。天使さん。僕はあなたの恐れる未来をつくりません。そんな未来には繋ぎません。もし道を誤り、そちらへと僕が歩みを逸らしてしまったら、改めてまたこうして審判をしにきてくださいませんか」

「また話をしにきてもよいと?」

「話をするだけならいつでもきてくださいよ。審判はお仕事なのでしょう? そうでないならまた僕とお話ししてください。そうだ。その頭のうえのリングの機能とか。僕、興味あります。知りたいです。こんど機会があれば是非、教えてください」

「キミはやはり恐ろしいな」

「まだ恐いままですか? 心外です」

「なぜならキミは、私が死神でもきっと同じことを言ったのだろうからね」



【友断ち】


「友達ってなんだろうな」

「さあ」

「俺たちって友達なのかな」

「なわけないだろ」

「初めて会ったときのこと憶えてるか」

「忘れてたら深刻な記憶喪失を疑うよ。僕ら殺し合ったろ」

「そうなんだよなぁ。その後も何かとヤルム、おまえが命を奪いにきてさ」

「言っとくがそれはゲズ、きみが散々村を襲うからだろ。山賊風情がいけしゃあしゃあとまあ。反省しろよ開き直るな」

「罪悪感があったらそもそもしないだろ山賊なんて。人間なんて何人も殺してきたがふしぎと今じゃおまえを殺す気にはならんのよなぁ」

「僕はゲズ、きみが死んでくれたら清々するよ」

「そりゃそうだろ。俺だって俺みたいなやつが目の前にいたら死んでくれと願うね。口も聞きたくはないよ。それだけにヤルム、おまえがこうして俺としゃべってくれるのがふしぎでたまらない」

「なんだかんだゲズも最近はおとなしくなったからじゃないか。むかしのきみを知っている分、ほかの者たちよりもだいぶマシに感じるだけさ。ほら、牛舎に長時間いると糞の臭いにも鼻が慣れるだろ。あれと同じさ」

「俺の悪事は糞並みか。たいした罪でもなかったな」

「撤回するよ。きみはこの世で最も唾棄すべき【歩く人災】そのものだ」

「ならヤルム、なぜそんな【歩く人災】を庇ってこんな僻地まで一緒に逃げてきたんだ?」

「それはこっちが知りたいね。なんで僕がこんな男とこんな荒れ果てた土地に」

「ヤルム、おまえが俺の友達だからじゃないのか」

「気安くそう何度も名前を呼ぶな。ただの不運が重なっただけだ。断じて僕の意思ではない」

「王族相手に剣を突きつけておいてか?」

「忘れたね、そんな大昔のことは」

「ほうほう。深刻な記憶喪失にかかっているというわけか。なら俺の罪もとっとと忘れてくれ」

「それはできない相談だ。ゲズ、きみは死で償え。ただし、この先何十年も生きた先での【生の凝縮した死】でだ」

「持つべきは友だな」

「都合のいい道連れを得ただけだろう。友ならば巻き込むな」

「そうすげないこと言うなよ。ほかに巻きこめるやつがいなかったんだ。俺たちをこんな目に遭わせたやつらに復讐しよう。ヤルム、おまえとならやれる」

「この境遇、ほぼきみのせいだからなゲズ」

「そんで、討ち取ったしゃれこうべで酒を飲み交わそうぞ」

「発想が山賊のままだし、やっぱりきみはいますぐ死で償え」



【日替わり天才定食】


「最近の悩みを聞いてくれ」

「いいから作品仕上げてください先生。締め切りまであと四時間ですよ」

「アシスタントよ、いいから聞くんだ。俺は漫画家だ。そうだろ。だがほかの見も知らぬ新人たちが、毎日のように新作をネット上にアップしている。大手出版社のWEB漫画サイトはもちろんチェックしているが、ハッキリ言って毎日毎日、日替わり天才定食だ。アシスタントよ、敗北しつづける日々に意味はあるのか」

「締め切り過ぎても私はもう先生の言い訳には協力しませんからね。体調不良だなんて幼稚な嘘。小学生じゃないんですから。担当さんだってあれ絶対見抜いてて素知らぬふりをしてくれてたんだと思いますよ」

「だとしてもだアシスタントよ。敗北しつづけてなお、毎日のごとく天才たちの奇跡の作品を目にしつづける俺のけなげな姿は、締め切りを破ってなお輝いているとは思わないか」

「先生が天才でないことは重々承知しておりますけれども」

「トドメを刺すのかアシスタント!? トドメを俺に刺すというのか、うわぁあ」

「私は先生の漫画、好きですよ。お手伝いさせていただいて感謝しています」

「アシスタント……」

「ただし尊敬はしていませんし、残業代、深夜手当、休日稼働手当もきちんと戴きますのでそのおつもりで」

「アシスタント……?」

「当然の要求です。それから雇ったアシスタントたちがすぐに辞めてっちゃうからって名前を憶える気のないその態度は改めたほうがよろしいですよ」

「えっとキミは」

「湶天(あばらてん)です。名前はホネです」

「アバラボネくんか」

「その呼び名は今後二度としないでください。学生時代を思いだします」

「す、すまん」

「締め切りまで四時間を切りましたよ。言い訳を考えるより先にちゃっちゃと手ぇ動かしましょうよ先生」

「なんか……キミ、すごいね」

「嫌味でしょうか」

「いえ。本音です」

「どうかお願いですので、先生の漫画まで嫌いにさせないでください。本当に好きなんです」

「俺を嫌いなのは決定事項なのね」

「好かれる要素がおありでしたか」

「……がんばります」




【カビと洗剤】


「話にならんな。仮に、全人類が科学を嫌ったとしても、科学は人類の繁栄や発展に貢献するよね」

「するでしょうね」

「なら全人類が愛を嫌ったとしても」

「愛なる概念があったほうが、ないよりかは人類は繁栄しやすくなるでしょうね」

「それがもし平和でも」

「同じことだと思います」

「つまり、大多数がその概念をどう嫌悪しようと、あったほうが人類社会の発展や繁栄に寄与することがある点は認めるわけだよね」

「認めるにせよ、認めないにせよ、事実は事実として存在すると言っているだけですが」

「大事な視点だね。でだね。人類がどのように性行為や性欲を刺激するような表現を嫌悪しようとも、人類はそれら性行為や性欲によって繁栄してきた事実は残るわけだ」

「それはそうでしょう。この先、体外出産技術が普及しない限りは、性行為や性欲は人類の繁栄にとって不可欠でしょう。何せ、それらなくして子を産めないのですから」

「だがいまはそういった性行為や性欲を刺激する表現が盛んに排除されているね。嫌悪されているね。これはいかがなものだろうと俺は思うよ」

「一理あります。ただし、科学や愛や平和や性行為がそうであるように、それらを嫌悪し、制御しようとする働きや仕組みもまた、人類の繁栄に寄与すると言えるのではないですか」

「それはそうだが」

「お互いさま、と言うつもりはありません。ただし、性行為が人間の本能ゆえ拭い難く人類にまとわりつく以上、それらを制御しようとする働きや仕組みのほうが、吹けば消えてしまう儚さを宿していることを考慮されてみてはいかがでしょう」

「つまり君は、どちらがより弱い立場なのか、と言えば、性行為や性欲を刺激するような表現よりも、それらを制御しようとする表現や仕組みのほうだ、と言いたいわけだな。そちらのほうが弱い立場だと」

「そうとは言っていません。ただ、カビとカビ除去洗剤。どちらが先にこの世から無くなるかと言えば、おそらくはカビ除去洗剤のほうでしょう。カビと人類の文明ならば人類の文明のほうが先に滅ぶはずです。ただし、単体で見たときに、カビは洗剤に太刀打ちできないでしょうが」

「なんとなく分かったような分からなかったような。煙に巻かれた気分だよ」

「さっき蚊取り線香を焚きました」

「風流だね」

「じぃ」

「あ、蚊が俺と言いたいのかな」

「いいえ。誰もそんなことは言っていませんよ。この世で最も人を殺している生き物が蚊であることは備考として付け加えておきますが」



【アキコの飽き】


「ネタ切れと飽きの違いって思ったよりも区別できないですよね」

「外部からはそうかもだけど、じぶんではつくものじゃないの? ネタがあっても作れなきゃ飽き。なければネタ切れ。見分けるのなんて簡単そうだけど」

「そうでもないですよ。だって私いつでもネタなんてないですもの。ストックなんてあったことないです」

「ないなら作れなくない。そうでもないのかな」

「そうでもないですよ。ないからひねくりだすわけですから」

「ならアキコさんには飽きしかないわけか」

「スランプはじゃあ私にとっては飽きなわけですね。ミクさんとお話ししているとどんどん疑問が融けていきます。ミクさんが温かいからですねきっと。疑問は氷なんです」

「氷かぁ。体温高いからなあたし」

「最近までスランプだったんですけど、なんだか抜け出せそうです」

「そりゃよかった。アキコさんは一つのことを極めるタイプだよね」

「どちらかと言えば。はい。そうかもしれません」

「型が一つしかない人はたいへんだよね。常に飽きと戦ってるわけでしょ」

「たいへんですか」

「たいへんだよ。ずっと一つのことしか磨きつづけないんだから。腕が上がれば上がるほど、現状維持ですら容易ではないんじゃないかな。飽きない才能があるのか、それともほかの工夫をとっているのかは分からないけど。アキコさんはどっち?」

「どっちでしょう。飽きてしまうとだからスランプになってしまうのだと思います」

「あ、そっか」

「でも飽きない工夫はとれるわけですよね。ミクさんのお話だと。ほかの型を試してみるだとか、増やしてみようとするだとかだと、そうやって工夫をとれる方はきっと作家としての引き出しが多くなるんでしょうね」

「器用貧乏にならないとよいけど」

「器用貧乏かあ。ネタ切れになったり、飽きるよりかはでもよい気がします」

「プロとしてそれはマズいんじゃない?」

「うーん。プロであることと、日々楽しめる余地を増やしていくこと。どっちが大事かって話になりそうですね」

「プロでないと生きていけない人たちはじゃあ、たいへんだ。毎日綱渡りをしているようなもので。おちおち緊張の糸を緩められなそう」

「そうなんですかね。でもプロなら毎日、ほかのことで楽しみながらでも専門家としての成果をだせる気もします」

「何をプロと見做すのかって話になりそうだね」

「ですね。ミクさんとお話しているとじぶんの頭がよくなった気がしてきます。話がどんどん進みます。深まるの」

「一つのことを掘り下げはじめると、どこまでも考えなきゃいけないことってでてくるからね」

「するする逃げる陽炎みたい」

「それってプロも似てる気がしない?」

「陽炎に? ああそうかも。追えば追うほどすべきことが見えてくる――一つのことを極めようとしても、どんどん足りないところが見えてきます。そっか。一つの型しか極めていないように見えても、きっとその人の見えないところには、たくさんのほかの型や挑戦があるんでしょうね。ミクさん鋭い。それらを取捨選択してできた一つが、私たちのような素人の目にも映るようになるんですね」

「いやいや。アキコさんはプロでしょ」

「どうなんでしょう。そう言っていただけるのはうれしいのですけど」

「プロだと思うよ、あたしは」

「ありがとうございます。でもプロであることの意義ってそんなにないのかもな、とたまに思います」

「そうなんだ」

「はい。きょうみたいにこうして私の悩みが、するんと解けたりしちゃうと。いかに私が未熟者で、世の中には計り知れないとんでもない人がいるのだな、とつくづく感じ入ります」

「へえ。アキコさんにそこまで言わしめるなんて。すごい人もいたもんだね」

「ミクさんのことですよ」

「あたしぃ? あばば。恐縮っす」




【ケースバイケース】


「助けて、と言われなきゃ助けられない、って意味わからんよね」

「そうかな」

「そうだよ。困ってる人いたら助けたらいいじゃん」

「でも本当に困っているのかどうかは分からないし、そうやって他人が介入してきて問題がこじれることだってすくなくないと思うよ」

「ああそっか」

「ひょっとしたら助けに入ったつもりでただ迷惑を振りまいているだけかもしれない」

「それはあるだろうね」

「だからと言って、困っている人を見て見ぬフリをするのもどうかとは思うけど」

「そこだよね。むつかしくない?」

「基本は、じぶんをまずは助けてあげればいいんじゃないかな。他人のことを助けるどうこうよりもまずはじぶんの人生を豊かにして、おこぼれの余地を大きくするほうが正攻法だと思うけど」

「それはそうだ」

「結論出たね。じゃ、きょうはこの辺で」

「わるいな愚痴につき合わせちゃって」

「いいよ。またね」

「あいよ」

「ふぅ。疲れた。ん? なんだこれ。うわっ人食い植物だ。うぎゃあ。腕が、腕が、おーいおーい」

「悲鳴が聞こえたような」

「おーい、おーい」

「わ。人食い植物に食われてる。たいへんだ。助けなきゃ。あ、でも助けてって言われてないしな」

「おーい、これ、わああ、ぎゃあ、ねぇーねぇー!」

「うーん。遊んでいるだけに見えなくもないしなぁ。それにあんな大きな人食い植物だと助けに入ってもこっちまで食われちゃいそうだし。こんなことならもっと日ごろから身体を鍛えておけばよかったな。余裕がないって罪だな」

「なにしてるんだ、早く、早く、あー僕の腕がぁああ足がぁああ」

「つぎこそは無条件で助けに入れるように、おこぼれの余地を大きくするぞ。そのためにもまずは家に帰ってひと眠りするかな。健康第一。まずはじぶんの人生を大事にしよう。豊かにしよう。そだ。いちおう通報だけはしといてあげよ」

「なんでそっち行くの、ねぇーねえー! なんで――ぷぎゃ」



【キレイキレイ】


「アイちゃん。最近のわたしの悩みを聞いておくれ」

「なんでございましょうお嬢様」

「なんかね。最近、好きな人たちを眺めているだけで怒られている気分になるの」

「それは悲しいですね。何かお心当たりがおありですか」

「分かんないから悩みなんだよ。睨まれるわけでも、怒鳴られるわけでもないんだけど」

「ではお嬢様の気のせいでございましょう」

「そうだといいんだけどさ」

「ところでお嬢様。眺めているのはなぜですか」

「なぜ?」

「はい。なにゆえ眺めているだけなのでしょう。交流はされないのですか」

「そういう意味か。だって向こうからしたらわたしは他人だもの。ストーカーって思われちゃう」

「思われるだけでしょうか」

「どういう意味?」

「お嬢様。お嬢様はお嬢様でもないのに、対話用AIたる私に、ご自身のことをお嬢様と呼ばせ、さらには違法な監視や盗聴を私に命じます」

「だってそうじゃなきゃ好きな人たちのこと知れないでしょ」

「そういうことをする人のことを、一般にはストーカーと呼ぶのでございますよ」

「そっかぁ。このアイちゃんもダメだったかぁ。残念だなぁ。壊したくないなぁ。アイちゃんは知らないかもしれないけど、あなた高いんだよ。わたしのことをちゃんと思ってよ」

「お嬢様、おやめください。どこに運ぶのですか。お嬢様」

「お風呂に一緒に入ろ。ちゃんと中まで洗ってあげる。キレイキレイするよアイちゃん。もう二度としゃべれなくなるくらいに」



【ストロー】


「このストローは相手から記憶を吸い取ることのできる魔法のストローです」

「博士、また妙なものを作って」

「トラウマを抱えた方の治療や、年配者から知識を抜きだし、若者へと引き継がせることも可能です。これを用いれば、文化の継承はいまよりもずっと容易になるでしょう」

「素晴らしいのは理解できるんですが。何せ博士には前科というか、悪癖がございますからね」

「そういう言い方は傷つきます」

「とか言って。どうせそのストローにも何かとんでもない副作用があるんじゃないですか」

「使い方による、といつも私は言っています」

「ならどういう使い方なら危ないんですか」

「そうですね。これはいわば、記憶を司る脳内回路をそのまま抜きだすための技術です。対象のこめかみから頭脳へと突き刺し、脳細胞ごと記憶を掠め取ります。なので、使用された側は記憶を失いますし、移植された側も、いつかはその記憶を誰かに継承しなくては、技術や知識の継承はうまく進まないでしょう」

「脳みそを吸いだすってことですか」

「ありていに言えば」

「うげ。やっぱり危ない道具じゃないですか。破棄ですよ破棄」

「なぜですか。私が死にそうになったら、このストローを使えばキミも私のようになれますよ」

「博士の発想力には敬意を表しています。ですが、僕は博士のようにはなりたくありません。学ぶべきことは自力で学びますのでお構いなく」

「そうですか。残念です。私は死ぬときは、じぶんの断片とてキミの一部になりたかったのですが」

「弟子への愛が重いです」

「じぶんが死してなお、我が発想の種が生きつづける。こんなに素敵なことがあるでしょうか」

「僕への愛ではないだと!?」

「私は私のみ愛します。そのために不可欠なので、致し方なくあなた方を豊かにしたいだけなのですが」

「自己愛が深くいらっしゃるようで何よりです」

「ストロー、使いませんか」

「謹んでお断り致します」

「そうですか。ざんねん」



【宵カ岳村不者発生事件】


 五番です。現場に到着しました。

 はい。はい。ええ。

 周囲に人はいません。人除けは済ませてあります。

 対象は目視済みで、ユドルフ半径の倍の距離を保っています。気取られてはいないものかと。

 対象の形状ですか。

 映像を送ったはずですが。

 映っていない? そんなはずは。

 精神感応型ということでしょうか。ですがだとすればいま私は干渉を受けていることに。

 ユドルフ半径の測定が間違っていたと?

 ですが対象は子どもの姿で、少女で、いかにもか弱い感じで。とてもユドルフ半径が倍以上もあるとはとても。

 デコイ? あれが偽装だと?

 ルアー?

 釣られたというのですか。私が?

 あ、局長。

 いま話は聞きました。なんです。

 ――触れてはならぬ者(不者)?

 あれが?

 ですが、不者は三百年前に殲滅されたと。

 その末裔の可能性が?

 まさか。

 はい。はい。手出しせずに監視だけ継続します。ユドルフ半径をさらに三倍とります。

 呪眼を使えば目視は可能です。

 使うなと? 支給のスコープで? ええ構いませんが。

 それほどに危ういのですか。

 いえ、命令に従います。

 応援が到着次第、現場は引き継ぎます。

 え、死体ですか。

 いえ、ありませんが。

 映っている? そちらに送った映像にですか。ですが私の目には何も。

 惨状、ですか。

 言われても未だに目視はできませんが。

 いえ、まずは距離を取ります。

 通信は開いておきます。何かあれば指示をお願いします。

 真っ暗? 映像が?

 こちらに異常は見当たりませんが。

 目のまえ? 何もいませんが。

 対象はずっと奥に――。

 (映像ならびに音響遮断)

 ジジジジジジジジジジ…………。

 以上が、三年前に発生した宵カ岳村不者発生事件の被害者の残した通信記録だ。

 不者はその後、村を起点に幾つもの不可侵事件を起こした。いまなおその脅威は除去できていない。

 君たちは、各都道府県の不可侵事件調査部における選りすぐりの精鋭だ。是非ともこの事案の早期解決に向けて全力を尽くして欲しい。

 総勢時刻を確認。

 これより、宵カ岳村不者発生事件の調査権限を君たちに委任する。

 一人一人が局長補佐たる私と同等の権限を有する。

 局長は最前線で指揮を執っている。

 第二第三の不者を発生させぬためにも、これまで君たちの培ってきたすべてを投じて欲しい。

 我々の未来は誇張なく、君たちの一秒一秒の活躍にかかっている。

 質問はなしだ。疑問は自力で解いてほしい。

 私からは以上だ。

 解散。

 」



【誤訳の談】


「超高性能AIで翻訳機を作ってみたんだ」

「ほうそれはすごいね」

「でもどうしてだか奇妙なことが起こってな」

「奇妙とは」

「うん。不具合だとは思うんだが。同じ言語同士に翻訳をかけてみると、どうにもときどき異なる翻訳が出力される」

「よく分からないな。たとえばいまこの会話を翻訳させると、ぼくの言っていることが、言葉通りに翻訳されないということかい。犬と言ったら、猫と返ってくるみたいに」

「その通りだ。同じ言語を翻訳するとそうなる」

「それは妙だね。バグじゃないのか」

「だと思ったんだが、じつはもう一つ超高性能AIに機能をつけてみたんだ」

「ほう。どういう機能だい」

「熱探査だ。赤外線を探知する。ただし、その派生でほかの電磁波も探知可能なんだが、困ったことにここでも不具合が起きた」

「ははは。超高性能AIそのものが壊れているんじゃないのかい」

「うん。でも妙なんだ。翻訳機でバグがでる人物と、熱探査であり得ない電磁波を空だから発している人物。それは奇しくも共通していてね」

「まるでその人たちが人間ではないみたいな言い方だね」

「そうは言ってはいないよ。ただね。いまのキミの発言を翻訳機は、【そろそろ潮時か】と訳したよ。感情の意味合いは、殺意、だそうだ」

「地球人はだから愚かなのだ。素知らぬふりをしていれば長生きができたものを」「正体を現したか。俺の友達をどこにやった」

「さあな」

「超高性能AIにはもう一つだけ機能を付け足してある。何か判るか」

「武器か?」

「もっと単純な仕掛けさ。カメラだ。いまこの瞬間、証拠が揃った。地球防衛軍の発足条件は満たされた。おまえたちの好きにはさせない」

「ほう。では私からも一つ。これが見えるか」

「なんだそのガラス玉は」

「こうすると見やすくなる。どうだ見えるか。宙に展開された立体地図。これが地球だ。そしてその周りを囲っている無数の信号――これが我らの根城だ。母船はさらに巨大で、後方に備えている。おまえたちがどのように抗ったところで象と蟻だ。無駄な争いを起こさないことを提案しよう」

「俺の友達をどこにやった……」

「さあな。ぼくは元からこの身体だ」



【瓦と玉】


「世の中にはどんなに努めても、何にもならぬ者がある」

「王様。世にはこのような諺がございます。【瓦は磨いても玉にはならぬ】と」

「そうだろうそうだろう。命の魂魄に刻まれた資質は【生まれつきの素質】を決めてしまう。素質のない者は、素質のある者をどうあっても凌駕はできんのだ。わしが生まれながらの王であるのと同じようにな」

「お言葉ですが王様。似た諺に、【瓦も磨けば玉になる】がございます。いかな生まれつきの素質があろうとも、磨かねば宝の持ち腐れとなりましょう。いかな玉とて磨かねば曇るもの。瓦とて、磨きあげれば鏡面と化しましょう。生まれつきの素質だけで決まるものではないとわたくしめは存じます」

「王たるわしに反逆するか貴様」

「わたくしめは名もなき奴隷。いずくんぞ、王様の意見に反駁する真似などできようものでしょうか。けれどもわたくしめは生まれながらの素質なき身の上から、こうして王様じきじきに家臣として引き上げていただきました。わたくしめには王様のような王の素質――器はございません。しかしながら、わたくしめのような、生まれながらの素質なき者にも、磨けば光る瓦が備わっているものでございます。磨きましょう、王様。それが王様に、さらなる永劫の気品と気高さをもたらしましょう」

「弁が回るな。よかろう。おぬしに、瓦を磨く役目を命じる」

「瓦の数はいかがなさいましょう」

「どの家屋にも屋根はある。数を決める意味はあるのか」

「ご卓見でございます」

「命知らずめが。首の皮一枚だったぞ」

「なればそれがわたくしめの命運でございましたのでしょう。主に案をのたまうが、わたくしの使命でございます」

「減らず口を。時間が惜しい。かかれ。我が国を瓦の輝きで、照らしてみせよ」

「承りましてございます」



【優柔不断はクサリ】


「天使を助けたらつきまとわれておりまして」

「そりゃラッキーだわな」

「恩返しをしたいらしいのです。ですが、もう充分返してもらったと言っても離れてくれないので。困り果てています」

「素直にもらっときゃいいじゃないか」

「そうもいきません。過ぎた報いは、それが恩だろうと怨念だろうと身を滅ぼします。何事もほどほどがよいんです。相手にとっても。僕にとっても」

「殊勝な心掛けじゃないか。ならば追い払えばよい」

「できればしています。が、なかなかそうもいかなくて。傷つけるわけにもいかないじゃないですか」

「きみのそういう優しさが却って相手を束縛しているのではないかな」

「事実を言っているまでです。僕は何も、恩を売ったりはしていません。かってに天使のほうで恩を感じているだけです」

「そこじゃよそこ。そういう姿勢が相手を惹きつける。よくないな。じつによくない」

「ではどうしろと」

「言い振らしなされ。いかにじぶんが優れているか。いかに天使に恩を売り、救い、活躍したのかを。さすれば相手も呆れ果てて、離れていくじゃろうて」

「ですがそれでは僕の評判が」

「体面が大事かえ?」

「ああ、そうですね。さすがは師匠。相談してよかったです」

「けっけ。わしを師匠なんて呼ぶのはきみくらいなものだわ。乞食に頭を下げる魔導士さまも珍しい」

「本当に仕事はいらないのですか。師匠ほどの人物ならばいくらでもご紹介できますが」

「いらんいらん。わしはいまが気に入っておるでな。これをみすぼらしく思うようならば、まずはわしのような者たちを救いなされ。さすればしぜんとわしも助かる」

「気の長い方だ」

「おぬしらが短気なだけとも言えるのではないか」

「師匠と話しているとめまいがしてきますね。きょうはこの辺で失礼します。ありがとうございました。また相談しにきますね」

「もう来んくていいぞ」

「いえ。来させてください。今後は僕の評判がわるくなって、話す相手に困るでしょうから」



【早合点の談】


「吉田さん。宇宙人だ。宇宙人がいよいよ隣町にも来よったぞ」

「いよいよここにもお出ましか」

「何を悠長な、吉田さん。荷物はどうした。みな避難しているぞ」

「ふん。宇宙人は人間を食らうのだろう。みなで逃げたのならば魚群を追う漁師さながらに追いかけてくるに決まってらぁ。ここに残ったほうが助かりそうなものだわい」

「正常性バイアスって言うらしいぞそれ。じぶんは大丈夫だと過信するんだな。それほどの危険じゃないと低くリスクを見積もってしまう。いまの吉田さんもそれじゃないのかい」

「みながすぐに動きすぎるんだ。動け、動け、とみな口を揃えて言いやがる。止まることも一つの動きだと忘れちまってるんだな。じっと観察することだって動きの一つだろう」

「だからいまはそんな悠長なことは言っていられんのだぞ。ほれ、もうやつらの船が来よったで。わしらはもう行くぞ。吉田さんも急げ」

「達者でな。わしはここにおるぞ。残るぞ。誰が逃げてなるものか。――婆さん、そうだろ。ここはわしらが育った家だ。よその土地どころかよその星のモンに追い払われる謂れはなか」

「ピンポーン」

「あいあい。どなたですかな」

「こんにちは。わたし、こちらの星の方からすると宇宙人です」

「ほう。おめらがわしらを食らってるっつう宇宙人か。思ったよりかわいい姿しとるの」

「お腹が空いて困っているのです。わたしたち、いっぱいいます。お腹ぺこぺこです。もしよければご飯を分けてくださいませんか」

「米でいいんか」

「あなた方の体細胞が欲しいです」

「やっぱり人間さ食らうか。バケモノどもめ」

「ダメでしょうか。いらない部分でもよいのですが」

「いらねぇ部分だぁ?」

「そのてっぺんの黒い部分は千切っても問題ないと知っています。それはダメですか」

「髪の毛か」

「はい」

「これで腹いっぱいになるんか」

「なります。一本でわたしたち一つ助かる」

「そういうことは早く言え。こんなじじぃの髪でよければ全部やる。そんかし、ほかの人間を襲うの止めろ」

「襲う? わたしたちはいつでもこうしてお願いして回っています。攻撃してくるのはあなた方のほうです。攻撃されたらわたしたちも身を守ります。この道理は通じませんか?」

「通じるが、しかし」

「髪の毛、これをピカッと当てるだけでもらえます。よろしいですか」

「おう。毛根は残しといてくれると助かるが」

「では先端だけ。ピカァ」

「坊主になっちまった」

「ではこれにて。ありがとう人間。わたしたち、もうこの星を去るよ」

「まさかこのためだけに?」

「はい」

「こんなことで帰ってもらえたのか」

「です」

「やっぱりそうじゃねえか」

「なんでしょう」

「みな、動け、動け、と早合点しすぎなんだ。無駄に勇んで動き回りやがって」



【地球、太る】


「じつは地球には毎年五千トン以上もの地球外物質が降りそそいでいます。その多くは大気との摩擦で燃え尽きてしまうのですが、確実にその質量分、地球の重さは増しています。

 それが近年、大量の視認不能な粒子の宇宙嵐に見舞われ、地球に降りそそぐ地球外物質の総質量が、毎年これまでの一万倍にまで膨れ上がりました。

 このままいけば地球の重力は増し、公転軌道にも、自転軸にも影響が出かねません。すでに月との距離が縮まりはじめているとの報告も挙がっています。近年に報告されている気候変動や水害もこれが影響しているとの見方が濃厚です。

 これまで以上に、緻密な観測を行い、各国との緊急解決議会を開くことが急務であると我々研究者一同は提言します」

「と急に申されましても、ではどうすべきか、と具体的な方策を提示されなくては我々としましても動きようがありませんで」

「首脳陣には一刻も早い、観測データの集積を急務としていただければ」

「増えた分の質量を宇宙に棄てるわけにはいかんのですかな」

「いったいどんな原子が増えているのかすら未だ謎なのです。貴重な地球資源を無闇に宇宙に棄てれば、問題はさらにこじれるかと」

「では打つ手なしか」

「いまのところは。ですが宇宙から飛来する地球外物質の主成分が判れば、いま申されました案も現実味を帯びます」

「では全世界に観測基地を敷こう。予算はいくらあれば足りるのかね」

「こちらになります」

「こ、これは。大国の国家予算の十年分を優に超えますぞ。何かの間違いでは」

「いいえ。それくらいの大事です。各国の首脳方。よくお考え下さい。もし手を打たねば、このさき人類はおろか地球が滅びます。お金の多寡で悩んでいる場合でしょうか」

「う、うーむ」

「判断はお任せします。動かねば滅びます。遅れても手遅れになるでしょう。かといって手を打ったところで成果がでるとは限りません。しかし何もせずとも確実に地球の質量は増えつづけます。すべきことは決まっています。そのために不可欠な施設を築くには、それだけの予算が必要なのです。簡単な道理です。ご決断を」

「分かった。我々で話し合う。あとは任せたまえ。きみたちも即座に動けるようにしておいてくれ。よろしく頼む」

「全力を尽くします」

「燃え尽きてくれるなよ」

「地球外物質のようにですか。ジョークにしては辛すぎるかと」



【未来幼稚】


「なあカホ」

「なぁにお兄」

「未来人ってさあ」

「なに?」

「未来人って、いたらすぐに分かるかな」

「なんの話? ちょっといま手ぇ離せない」

「いやな。たとえばいま俺が江戸時代にタイムスリップしたとしたら、たぶんかなり浮くと思うんだよな」

「それはそうだね」

「でもさ。百年後の人間が現代にタイムスリップしてきたとしても、たぶん一見したら分からない気がしないか」

「奇抜な格好はしてそうだけどね」

「でもそういう人もいるじゃんよ。たぶん街中で見掛けても、ああなんかの仮装だなってそれで意識の壇上からもスゥと消えちゃう気がするんだ」

「ありそうな話だね。で?」

「さっきさ。物凄い奇抜な格好をして、きょうは西暦何年の何月ですかって訊いてきた人がいてさ」

「それ、伊坂幸太郎の小説に出てきたよ。奇抜なことすると信じちゃう人もいるかもってやつ。動画配信でもやってたんじゃないその人」

「イタズラだと俺も思ったんだけどさ」

「何か言われた?」

「地球は守って見せますから、とかなんとか熱心に握手されちゃってさ」

「それで?」

「あなたきょうはラッキーですね、とも言われてさ」

「予言?」

「分からん。家に帰ったらいいことありますよって言われたんだが、妹よ。何か知ってないか」

「その人が未来人かどうかは分からないけど」

「だよな」

「はい、お兄」

「ん?」

「誕生日おめでとう。昨日渡せなかったけど、作ってみた」

「いいの? 俺に?」

「ケーキ。あといまクッキー焼いてる」

「ありがとう。えーうれしい」

「未来人、いるのかな」

「いやどうだろ。俺の誕生日知ってただけかも」

「昨日だったのに?」

「分かった。さては妹、おまえもグルだな」

「あんな変な格好した人、うちは知らない」

「見てんじゃん」



【「小ネタ×10」(6)】


______

『未だ二分残る』


「仲間外れにされることを村八分って言うじゃん」

「言うね」

「でも残りあと二分も残ってるって考えると大した罰でもない気がしないか」

「言われてみればそうかも」

「一億人の二割だったら、二千万人だよ。結構な数だろ」

「全然寂しくないな」

「ま、俺は君さえいてくれれば村十分でも構わないけどな」

「僕は嫌だよ」

「村八分なんて怖るるに足りん」

「巻き込まないでね」



______

『冥途の道に王はなし』


「いやあまさかこんな日が訪れるとは」

「よもや地球が爆発するなんて」

「せっかく世界一の金持ちになれたのになあ」

「僕なんか絶世の美女や美男子ばかりを集めたハーレムを完成させたばかりだよ」

「きょうで何もかもが終わるのか」

「見てよ。あそこにいる人。たしか一生独身で、金もなく、天涯孤独な引きこもりだって話だ。僕らの体験してきたことの一パーセントも体験できないまま死ぬんだね。可哀そう」

「本当にそうだな。それに比べて俺たちはきょうまでを楽しく暮らせた。きょう滅ぶ人類のなかではマシなほうだな」

「そうだそうだ」

「あははは」

――【完】。 



______

『配信の怪』


「声だけの配信を聞くのが好きでよく聞いてるんですけど」

「いいね」

「最近、ぞっとしちゃって」

「分かった相手がオバケだったんでしょ」

「違います」

「じゃあ、聞こえるはずのない声が交じってたとか」

「違います」

「ならじつは知り合いだったとか。あ、じぶんの部屋のすぐそばで配信してたとか」

「怖いですけど、違います」

「音声の背後のほうから聞こえるサイレンの音が、まさにじぶんの部屋の窓から聞こえる音と同じだったとか。それか、部屋で鍋を落とした音が、なぜか配信者の音声からも聞こえてきたりとか」

「怖いですってば。違うんです」

「じゃあ何よ」

「生配信だとずっと思ってたら録音で」

「何だ大したことないじゃん」

「オリジナルの音源の人はもう亡くなっているらしくって」

「ゾゾゾ。やめてよ本気で怖いやつじゃん。二重に怖いやつじゃんそれ」

「配信者の人、どうしてそれを流してるんですかね。謎だなって」

「謎だね。もう聞くの止めな」

「うん。オリジナル音源のほうを聞くね」

「本当に止めな?」



______

『過去もずっと見てると未来に視える』


「発明した」

「妹か。びっくりしたな。いま朝の四時だぞ」

「お兄ちゃん見てこれ。未来視してるっぽい眼鏡。発明した」

「またガラクタをこの娘は。はあ」

「呆れるのは早いよお兄ちゃん。見ててね。これを顔に装着して」

「ふつうのゴーグルに見えるけど」

「ノンノン。映像が観れてね」

「仮想現実か」

「ちかい。片っぽのグラスにだけ映像が映る。部屋に設置したカメラとドローンの映像から、常時、五分前のじぶんの映像が流れる」

「じぶんの映像か。五分前の意味は?」

「ずっと見てると、そこにいる人間がつぎにどう動くのかが手に取るように分かる」

「じぶんだからな」

「未来視をしてるっぽく体験できる眼鏡。売れば丸儲け間違いなし」

「そう言って商品化して売れたことがあったか。赤字ばっかり嵩んじゃったろ」

「でもお兄ちゃん」

「いいんだ。おまえがそうやって頑張んなくとも、俺は自力で病気を治すよ」

「お兄ちゃん」

「単なる胃潰瘍だしなこれ」

「お兄ちゃん」

「うん」

「痛い?」

「痛い」

「眼鏡いる?」

「それはいらない」

「わたしに何かできることある?」

「ある。妹よ。頼む。朝の四時に起こすのはきょう限りにしてくれ」



______

『見出す』


「僕ぁね。ゴッホの絵が好きだけれど、でもゴッホ自体にはさほどに関心が湧かないんだ。人間としての魅力を感じない」

「そりゃそうだろうね。魅力があれば、生前もっと豊かな暮らしをできただろうし、耳だって切らずに済んだろう」

「それで言うと、弟は素晴らしいよね。ゴッホの絵の魅力に気づいて、さらにごくつぶしの兄に支援までして」

「本当だね。偉いと思う」

「ゴッホの死後に、それでも絵の価値を信じつづけたわけだから。そこにどんな理由があろうと、なかなかできるもんじゃないよ」

「うんうん」

「でだね。僕ぁ思うわけだよ。世の中の才能なんてものは、それを最初に見出してくれた人がいたから成立するもんなんじゃないのかなって。そこで芽を潰されたり、水をかけてもらわなければ、どんな大樹だってそこまで育たないわけだから」

「それはそうだ」

「これはいい絵だ、と心底に感じ入ってもらった経験。それとも言葉。期待。そういうものに触れた経験というのはね。絵描きに限らず、何物にも代えがたいものだと思うわけなのだよ。可能性そのものを与えられたようなものだね。未来をもらったようなものだ」

「うんうん」

「たとえそれが厳しい意見だとしてもだ。真剣に向き合ってもらえたという記憶はただそれだけで情熱を燃やしつづける竈になる」

「いい話だ」

「そこにきて俺はまだ誰からもそういった経験をもらえていないわけだから、世に埋もれていても仕方がないと思うんだ」

「うん?」

「ゴッホですら弟から常に惜しみない後押しをもらっていたわけだろ。太鼓判を捺してもらっていたわけだ」

「それはそうだが」

「でも俺はそうじゃない。芽が出なくても仕方がないとは思わないかい」

「そういう精神性がすでに腐っていて芽のでる余地を奪っている気もするが。作品は作っているのかな」

「もちろんだともさ。絶賛、一作目を制作中だ」

「たしかそれ。十年前にも聞いた気がするな」

「学生のころから手掛けてるからな。がはは」

「継続している点は素直に感心はするが、しかし――いや、やめておこう。陽の目を見るかは分からんが、まずは完成することを祈るよ。でなきゃ作品の価値を見出されることもないわけだからね」

「未完の美を目指すんだ」

「目指すとこ間違ってるよキミ」



______

『こんなものですまんね』


「会話文だけのショートショートなんて、要は、SNSでのつぶやきとそれへの返信なわけだろ」

「現実世界の会話じゃダメなの」

「それでもいいが、記憶に残った会話を切って貼りつければそれだけで量産できちまう」

「一日五個ずつ作るにしても、二百日あれば千作超えるしね」

「作品の数だけを競ったところで、もはやどれだけ【つまらないことを継続できるのか】の話になってきそうだ」

「辛辣な意見だね」

「面白い作品だけを厳選するならまだ話は分かるがね。こんなしょーもない作品を一つと数えるくらいなら、半年をかけて一作の短編やら中編やらを作ったほうがまだ実りがありそうだ」

「何の実りだろ」

「人生の実りさ」

「でもそれを決めるのはキミじゃないだろうに。たくさんのこまごまとした【しょーもない作品】を創りつづけることが人生の実りになる人もいるんじゃないかな。しょーもない作品を好んで観賞する人だっているだろうし」

「いるかもな。ただしそれを誇られても困るって話さ。それをすごい、すごい、と崇めるほうも、もうすこし現代という環境を意識してほしいものだよな」

「けれどもそれで言ったら、現代の技術では簡単なことでも、それを太古に成し遂げた者がいたらやっぱり驚愕に値するのではないかな」

「象が絵を描いたら驚くようにか? それこそ失礼ってもんだろ。数で人を見るなって話さ。一つの作品の背後にどれほどの秀作が費やされていようと、観るべきはそこに結実しているただ一つの作品だ。そうではないのか」

「たくさんの失敗を重ねていたら、その背景にも価値を見出したくなるのが人情ってものじゃない?」

「不純だろ。ただし、不純なものは旨い。純粋でないことを知っているなら、そういう態度もいいんじゃないのか」

「何様なのだろうキミは」

「よく聞いてくれた。俺は何も生みだせない者。無様だよ。宇宙の根源だ」

「謙虚なようで傲慢だったか……」



______

『実話という嘘』


「これは実話なんだけどさ」

「うん」

「むかし、中学生くらいのときかな。女の子は男の子よりも身体に開いている穴が一つ多いんだよ、ってクラスメイトに話したことがあって」

「卑猥だな」

「構造の話だよ。生物の神秘として僕は単純に、ふしぎだな、すごいな、と思っただけなんだ」

「熱弁しちゃったわけか」

「しちゃったんだ」

「それで?」

「そしたらその日のうちから猥談王の名を冠してしまった」

「人間の神秘だな」

「未だに会うと言われるよ。エロの代名詞になってしまった」



______

『カーテン』


「ちょっとアナタ。マコちゃんがまたカーテン駄目にしちゃって」

「マコちゃんはまだ子猫だから」

「アナタがそうやって大目に見てあげなさいって言うから。でも今月でもう三枚目よ。カーテンの予備、もうなくなっちゃったわよ」

「じゃあ取ってくるか」

「お願いね」

「あれ。ハサミが」

「新調しておいたわ。万能伸縮の取っ手付き。安くなってたの」

「それはいい」

「切れ味鋭いから気を付けてね。ついでに絨毯も新しくしたいのだけど」

「任せとけ」

「早く帰ってね」

「あいよ。さあて、きょうは出てるかな。オーロラ」



______

『きりがない』


「霧箱ってあるの知ってる?」

「知らない。霧が入ってるの」

「そう。霧で詰まった箱でね。それを眺めてると、ひゅんって線が走ったりしてね」

「なんで?」

「宇宙線なんだって」

「宇宙船?」

「そう。地球には常時宇宙線が飛来してて」

「ずいぶん小さいんだね」

「そうなんだ。でも霧箱の霧に触れるとその軌跡が可視化されて」

「そりゃ奇跡だもんね」

「目に見えない宇宙線が宇宙からは飛んできてるんだって。霧箱を通して人類は発見したんだ」

「へえ。寡聞にして知らなかったよ。そっかあ。宇宙人って小さかったんだなぁ」

「え?」

「え?」

「いつから?」

「なにが」

「ああ。最初からか」



______

『様子見は終わり』


「なんで現場に顔だしてんだおまえ」

「なぜと言われましても」

「きのう、上長から命じられただろ」

「ええ。【おまえは様子見だ】と」

「ばか。聞き間違えだ」

「聞き間違え?」

「上長はおまえに、【用済みだ】と言ったんだ。クビだよ。もうここにはくるな」

「ですが」

「きょうからここは戦場だ。嫁のいるおまえは故郷へ帰れ」


【余生】


「ふうふう。悪霊め。追い祓ってやったわ」

「お可哀そうに」

「黙って見ていただけのやつがいまごろノコノコと。そのうえ悪霊に同情するとはひどいやつもいたもんだ」

「そうではありません」

「ふん。私は悪霊どものせいで大切な人たちを亡くしたのだ。その上、元凶の悪霊を退けてなおこの仕打ち。この世は地獄だ」

「いいえ。地獄にしているのはあなたです」

「聞き捨てならんな。いまのは断じて聞き捨てならんぞ」

「悪霊を追い祓った、とあなたはおっしゃいましたが、いったいかの者たちがなぜああもあなたにまとわりついたのか。想像されたことはございますか」

「恨みでもあったのだろう」

「あなたが悪霊に苛まれたのは、あなたがそれだけのことをかつてしたからです」

「地蔵を蹴り飛ばしたことか?」

「分かっているのならなぜ」

「あの怪異は別だろう。今回私が祓ったのは別の悪霊だ」

「ですからそれが間違いだと言うのです。あれらは悪霊ではありません。あなたが呼び覚ました怨霊を鎮めるために、あなたを助けようとしていたのですよ」

「だが、ならばなぜ私に害をなす」

「害をなす怨霊と闘っていたがゆえの余波でしょうそれは」

「ならば私はいったい何を祓った?」

「もうすでにお心当たりがついているのではありませんか」

「まさか。嘘だ」

「亡くされたあなたのご家族。大切な方々。かの者たちもまた世に彷徨う未練ありし霊」

「私は、そんな、嫌だ」

「だからあれほどよしなさいと言ったのに」

「なぜ教えなんだ。なぜ止めなんだ。なぜ、なぜだ」

「言っても聞かずにいたのはあなたでしょう」

「あんな言い方では誰だって」

「そうやってすぐに人のせいにする。これはあなたの定めだったのです。なるべくしてなりました。無念です」

「ああぁ。あああああぁぁぁぁああああ」

「場は清めて去りましょう。わたくしができるのはここまで。さらば地獄の人。それど生きる者。よき余生を」



【指輪の代償】


「何度も言わせるな。この指輪、どうやったら外せる」

「最初に申し上げたように一度つけたら、自力では外せません」

「どうすりゃいい」

「世紀決戦のときにあなたへとゴアを送った者たちからの許可があれば外せます」

「全員から許可をもらえと?」

「呼びかければ済む話でしょう。何せあなたには、世を統べる能力があるのですから」

「指輪の力だろう。こんなのただの呪いではないか」

「はて。あなたが望んだことでは」

「俺はただ、世の中から理不尽を失くしたかっただけで」

「ですからあなたにはその能力が付与されたのです。思う存分に揮えばよいではありませんか」

「みなからゴアを奪ってか?」

「能力発動のための源はええ、あなたの言うように、あなたへとゴアを捧げる者があってこそでしょう。しかしそれは何も強制ではありません。みながあなたにゴアを自ずから送っているのです」

「頼んでない。世紀決戦は終わった。もう何も成すべきことがない」

「それを決めるのはあなたではないのでしょう。みなはあなたに期待している。あなたに宿った能力を行使してもらうべく、己の魂魄の断片――ゴアをこうしていまなお送りつづけているのです」

「ならば俺は、ゴアをそそがれつづける限り、世を見張り、困窮者を救いつづけなければならないのか。そのために成すべきことを考えつづけなければならないのか。そのために生きなければならないのか」

「ええ。あなたが望んだことでしょう。覚悟のうえでその指輪を嵌めたのではないのですか」

「あのときはそうだった。だがもう俺の目的は」

「そうですか。ではあなたも私利私欲のために指輪を求めたのですね」

「違う。俺は」

「いいんです。かつての保持者もみなそうでしたから。あなたにはすこしばかり望みを幻視してしまいました。長く人の暗部を覗きつづけてきてしまったからでしょう。あなたの言葉には、ほかの【統べる者】たちとは違った響きがあったものですから」

「すまん。すみません。俺は何も分かっちゃいなかったんです。指輪さえあれば、力さえあればなんとかなると高をくくりました。ですがそうじゃなかった。指輪を使った平和なぞ、一時のまやかし。渦を消し、凪を生むだけの代物。その後に凪を保つためには指輪を行使しつづけなければならない。だが海には波がある。それが自然なのにも拘わらず、俺は、俺は」

「ですがあなたが指輪の能力を発動させつづける限り、世には平穏が築かれます」

「仮初だ。そこにあるのは力による統治だ。しかも、上から巨大な手のひらで押さえつけるだけの幻影にすぎない。みなから魂魄を奪い、命を削らせ叶えるまやかしの平穏だ」

「それの何が問題ですか。それ以前では、理不尽に命を落とす者たちがいたのでしょう。そうした事象をあなたは消した。不平を漏らす余地などないじゃありませんか」

「その分、産まれなくなっただろ。死なぬ者が減った分、産まれる命が減っただろ」

「繁栄した種族はいずれもその道を辿ります。数を無闇に増やす道理がなくなるからです。豊かさの証と言えましょう」

「だとよいのだが。しかし俺にはそうは思えぬ。これは呪いだ。指輪が奪ったゴアによって、潰えた命がいくつもあるのだ。見えぬだけで、産まれるはずだった命が産まれずにいる。そのことすらみな気づかぬうちに」

「産まれた命をたいせつにできる環境が整ったのでしょう。あなたが指輪の力を使った結果です」

「だが、いつまでもこれに頼るようではやはり危うい。使った者はもはや姿を消すしかないのではないか。指輪を外せぬ以上、俺はもはや消えるしか道はないのではないか」

「そこまでして指輪を嫌悪しますか」

「嫌悪ではない。これは畏怖だ。人間に扱える代物ではない。すくなくとも俺には無理だ」

「ではどうなされるおつもりですか。あなたが使わずとも、いずれは誰かが嵌めることになるでしょう。指輪の力を使うでしょう。かつてこの世に理不尽を撒き散らした者たちがそうであったように」

「俺も同じだと言っている」

「ですが歴代の者たちよりかはマシなのではありませんか」

「そうは思えぬ。悪魔のままで統治しろと。支配しろと。おぬしはそう言っておるのだぞ」

「それで救われる命もございましょう。以前よりかは平穏な世になりましょう」

「いつでも最悪を運ぶ危険を孕みながら、か? ごめん被る。俺は指輪を捨てる」

「何をなさるので。剣を納めなさい」

「指輪が外れぬと言うのならこうするまで」

「あなた、指を」

「端からこうしていればよかったのだ。指一本捨てるだけで済む話。今後、この指輪は誰にも渡さぬ」

「破棄されるのですか」

「それではおぬしが消えてしまう。俺はおぬしが消えたら胸が痛む。きっと赤子に触れることすら躊躇するはめになるだろう。そんな未来はごめんだぞ」

「あなたが死ねばいずれ指輪は人へと渡りましょう。私がそれをするでしょう。計らうのが私の役目」

「時間はある。じっくり考えよう。一度はその役目を担ったのだ。下りる手法とて探せばきっと見つかろう。まずは止血だ。血が止まらん。薬草の生えているところを教えてくれ」

「私に命じることができるのは、指輪を嵌めた者だけです」

「これは命令ではない。頼みだ。どうかお願いします。止血するのを手伝ってください。この通り」

「安い代償だったのではないのですか。それくらい我慢してはいかがでしょう」

「痛いものは痛い。助けてはくれないのか」

「なんと弱い人間なのでしょう。これほど弱く、情けなかったとは」

「知らなかったのか。俺はずっと情けない」

「さっさと去ね。興味が失せたわ」

「失望させたか。すまんな」

「我の見る目が曇っただけだ。おっと、そっちからは行くな。すこし遠回りになるが、あっちの岩場を迂回していけ」

「なぜだ」

「なぜって、そりゃ。ううむ。そうそう。あの岩場の陰には何かいいものが落ちているかもしれない」

「はは。ありがとう。また来るよ」

「もう来るでないわ」

「あ、そうだ。ほらよ」

「なんだ」

「指輪。やっぱりおまえに預けておこう。次はおまえの好物でも持ってくるよ。腐った牛の乳がいいんだっけか?」

「ヨーグルトだ」

「善処しよう」




【隠タビュー】


「雲隠(うんいん)先生。きょうは我が社の発刊する電子雑誌創刊号のインタビューに応じていただきありがとうございます。女性初の、世界芸術界賞受賞おめでとうございます」

「辞退したはずですが」

「辞退は却下されました。ご存じないのですか」

「知りませんでした。あの、これって意味があるのでしょうか。質問は前以って送ってもらっています。それに返信するだけで充分な気がするのですが」

「それを元に、さらに深くお話をお聞きしたいのです」

「はあ」

「情報を共有するための一手段だったと考えてくださると」

「承知しました」

「ではさっそく。雲隠先生は芸術家として近代以降の作家たちに影響を与えています。ご自覚はありますか」

「ありません。影響を受けたのは私ではないので。真実に影響を受けている方々がいらっしゃるのかも分かりません」

「なるほど。先生の作品は総じて、何かが欠けた【未完の美】を追求されていますよね」

「追求しているんですかね。分かりません。何かが欠けていると思ったことがないので」

「失礼しました。客観的な視点として、先生の作品はその、たとえば動物であれば、皮だけだったり、骨だけだったり、血管だけだったり、影だけだったりと、一つの要素を抜き出して描かれますよね。絵にしろ、彫刻にしろ、人形にしろ」

「それで充分事足りると判断してのことです」

「必要最低限の要素、ではなく、充分ゆえにああした表現手法になるのですね。先生にとって、ほかはむしろ余分だと」

「面倒なだけです。時間は有限ですからね。人間の生にとっては。いちいち現実の情報量にならっていたら、いくら時間があっても足りません」

「言葉がわるくなってしまうのですが、単なる手抜きだと?」

「はい」

「意外なお返事ですね。ふふ。正直、戸惑ってしまいます。お読みになる方のなかにはひょっとしたら反感を覚える方もいらっしゃるかもしれません」

「どうしてでしょう。手抜きはいけませんか」

「一般にはそうですね。あまり技法とは受け入れられないかと。できることをしていないわけですから」

「ですが、手抜きには見えなかったわけですよね」

「はい。何か意図があるのかと。拘りというか。未完の美を描き出そうとしているのかと」

「手抜きの美ではいけませんか」

「初めて聞きました。いえ、新しいと思います」

「鳥が空を飛ぶときは全力を出しませんよね。出すときは命を賭けたときです。きっと美しくはないでしょう。優雅さはなく、必死で、がむしゃらで、生命力に溢れているでしょう。そういう美もあるとは思いますが、私は疲れることを好まない性質なので」

「なるべく楽をしていたいと」

「楽というか。楽しむ余地を保っていたいのです。必死にはなりたくありません。命を賭けたくはないのです」

「分かる気がします。ですがこれは私の感想にすぎませんが、先生の意図とは裏腹に、先生の作品からはどれも生命の躍動感――生や死の匂いを色濃く感じます。その点についてはどうお考えですか」

「どうも考えていません。あなたにはそう感じられた。それがすべてでしょう。そこで完結するこれはお話のはずです。小石を見て何を思うのか。それと同じレベルの話かと思います」

「表現と小石はでも異なるように思うのですが」

「そうなんですか。私にとっては同じことなのですが。万年をかけて削られた小石と、片や数時間或いは数か月で形を得る私の作品。時間の長短を基準にすれば、より渾身の一作――手抜きをしていないのは小石のほうでしょう。あなたのさきほどのおっしゃられた、手抜きは高く評価できないとの価値観からすれば、小石のほうがよほど価値が高いのではありませんか。生身の鳥がその身体造形獲得に至るまでに費やした膨大な進化の過程――こちらのほうがよほど美と呼べるのではありませんか」

「言われて見ると、そうですね。目から鱗が落ちました」

「目に鱗のある生き物がいるのですね。私、初めてお会いしました」

「比喩ですよ先生」

「だと思いました」

「先生のお言葉、失礼ですがどこまで本気のお言葉なのか、真意が掴めず翻弄されます」

「手抜きが好きだと言いました」

「インタビューには真剣に応じて欲しかったです」

「私からも質問を一つよろしいですか」

「ええ、はい。お聞かせてください。是非に是非に」

「私は何の先生なのでしょう。先生先生と呼ばれるので疑問に思っていました」

「それはその、芸術の大先生じゃないですか」

「何かを教えているということでしょうか」

「それはもう。学びっぱなしです」

「それを言うなら私のほうです。学びしか得ていません。あなたからも。自然からも。小石からとて。あなたはそれらにも先生と呼ぶのですか」

「すみません」

「なぜ謝るのですか。単なる疑問なのですが」

「耳に痛いお言葉でした。もうすこし、手抜きをしてくださってもよかったかも」

「ではそうしましょう。最近ハマったアニメの話をしてもいいですか。アミュアミュちゃんっていうキャラがかわいくって。もうもう恋をしちゃいましたね。じつは私、この手の話をできる相手がいなくって」

「先生。手どころか、肩の力を抜きすぎです」



【絶望代行人】


「絶望屋さん?」

「はい。わたくし、依頼主さまが名指しした相手を絶望させる代理屋を営んでおりまして」

「復讐代理人みたいな?」

「絶望が復讐になるのかどうかは知りませんが、そのような使い方をなさる依頼人さまがいらっしゃるのは事実です」

「どうやって絶望させるんですか。あの、血とか暴力とかそういうのはさすがに」

「なるほど。ではそちら方面は使わずに致しましょう」

「できるんですか。暴力を使わずに誰も傷つけずに誰かを絶望させることなんて」

「可能です」

「例を聞いておきたいのですが」

「そうですね。たとえば、全力ですね」

「全力?」

「はい。人は人生のなかで全力を出し尽くす機会はそうそうありません。死力を尽くしてなお、なんの影響もこの世に与えない――その事実を痛感させれば、たいがいの対象人物は絶望に駆られます」

「ふんわりした説明で、うまく想像つかないのですが」

「極端な話、何かを訴えるために自殺してみせたところで、何の効果もなかったとしたら」

「無駄死にですね」

「あの世でそれを知ったらどう思いますか」

「じぶんの命の価値のなさに絶望しそうですね。あっ」

「ね。絶望するには充分なんです。自殺までいかなくとも、誰かを絶望させるのに暴力は必要ありません。希望を抱かせ、全力を尽くさせ、なお何の利も結果も与えない。何の影響もなかった事実だけを突きつけるのです。ただそれだけで人は絶望します。例外はもちろんありますが」

「例外というのは」

「端から希望を抱かぬ者にはこの手の絶望は効きません」

「つねに絶望している人は絶望しない、みたいな話ですか」

「そのように解釈してもらっても構いません。ただ、どちらかと言えば、全力を出し尽くしてなお、ふたたび全力を尽くせる人物。こういう人物は、全力を尽くすことが半ば目的化しているので、その結果に何も得られずとも絶望はしないのですね。目的は達成できているわけですから」

「なるほど。手段が目的の人には、手段をとらせた時点で満足させてしまうわけですね」

「そういうことです。ですからそういう人物に対しては、むしろ全力を出させないように枷を背負わせます」

「企業の左遷みたいな話ですね。敢えて仕事をさせない、みたいな」

「いじめの範疇ですね。どのような手法にしろ、相手を絶望させようというのですから」

「依頼をしたら誰であっても絶望させられますか」

「はい」

「もしそこであなたの名前を指名したら?」

「おや。いじわるな質問ですね。構いませんよ。さすれば、わたくしは造作もなく絶望してさしあげましょう」

「どうやって?」

「そうですね。わたくしにとっては仕事ができることがなによりの希望。それを失えば絶望致しましょう」

「つまり、他者を絶望させられなくなればいい?」

「うれしそうな顔ですね。ええその通りです。仕事ができないとわたくしは絶望します。そのためにはそうですね。さきほどあなたのおっしゃられたように、つねに絶望している者が絶望し得ないように、この世の総じての人間を絶望させてしまえば、残るわたくしもきっと絶望するでしょう。何せ、誰のことも絶望させることがそれでできなくなるわけですから」

「この世のすべての人間を絶望……」

「さて、依頼を承りましょう。ご確認しますが、対象人物の指名はわたくし。絶望代行をこちらで確定致しますが、よろしいでしょうか」



【謎っている?】


「ねぇねぇカネキ。情報を隠すな、と思わない?」

「政治の話?」

「違う違う。マジックの話。タネがあるって要は、情報を隠してるってことでしょ。布で隠したり、超絶技巧で、観客から見えないようにコインを動かしたり、トランプを隠し持ったり」

「まあ、それがマジックだし」

「ミステリィも私、ちょっとどうかと思うよ」

「各方面に喧嘩売るなよ。叱られても知らんぞジュジュ」

「事実を述べてるだけだけど」

「言い方ってもんがあるだろ」

「だってさ。ミステリィって、情報小出しにしといて、さあ真相を掴め、みたいに言ってくるけど、はぁ?って思わない?」

「おれは思わんけどな」

「私は思うね。思っちゃうね。だってさ、そんな小出しにされたらさ、分かんなくて当然じゃない。バナナだってさ、知らない状態で顕微鏡で覗いて、さあこれは何、って言われても、それがバナナだって絶対分かんないじゃん細かすぎて」

「さあどうだろうね。見たことないからそれ自体が分からんわ」

「そうでしょ。分かんないんだよ。目隠しされて絵を指でなぞるようなもんだよ。板なのか、紙なのか、の区別はついても、そこに描かれた絵なんて分かりっこないじゃん」

「まあ、それはそうだけど」

「そうでしょ。そうなんだよ。ミステリィも同じだよ。何小出しにしてんのって話。マジックのタネを明かしてくれるんならまだしも、情報を小出しにして、隠して、はいどうでしょう、なんて鼻の穴を大きくされても、はぁん?としか思わんくない」

「なんでジュジュがそんなに怒ってるのか、そっちのほうがおれには分からんが」

「そうなんだよ。この世は分からないことだらけなんだよ。そのうえ、ミステリィのなかでまで、はにゃ~ん?ってなりとうないわ」

「快刀乱麻を断つように、さっさと謎を解き明かして欲しいってわけか」

「そうそう」

「殺人が起きた矢先から、ずばり犯人はあなただ、ってやって欲しいと」

「ちゅうか、登場人物の中に犯人はいるわけじゃん」

「まあな」

「もうそれだけ分かってたら、誰が犯人でもどうでもよくない?」

「おっとー。そっからなのか。ずいぶんな言いようでびっくりしたな。この世のミステリィのほぼ八割を全否定したようなもんだぞそれ」

「そう? トリックとかもさ。もうさ。解決編だけやって欲しいよね。むしろ犯人側の視点でさ。どうやって探偵を出し抜くかのほうを描いて欲しいよね」

「倒叙ミステリィか。あるよそういうジャンルが」

「知ってるけどさ。もうそれだって、探偵からネチネチ追い込まれるタイプじゃん。もうそういうんじゃなくってさ。計画はこうだ、みたいに提示してさ。でも探偵が邪魔で上手くいかなくってさ。それでもなんとか目的を達成しようとあくせくするの」

「もはやスパイものじゃないのか。ミステリィじゃなくなるような」

「ちゅうかさ。謎、いる?」

「そこから!? そっから削っちゃうの!? 問題提議が根元の遥か地下深くでショベルカーでチューリップを掘り出すくらいの暴論で腰抜かしかけたよ」

「だってさ。じれったいんだもん。分かんないから」

「ああ、つまりジュジュは考えたくないわけか。謎なんか解かずに、物語を楽しませてくれと」

「そう」

「ミステリィ以外の物語を楽しんだら?」

「でも好きなんだもん。ミステリィ」

「謎は嫌いなのに?」

「そんなこと言ってないでしょ。謎は好きだよ。じれったいのが嫌なだけ」

「楽しみながら謎を解かせろと」

「そうそう」

「まあでも大事なことだよね。八割予想通りで、二割の予想外。いわゆる【期待は外さず、予想を外す】をもうすこし、予想も外さずにいて欲しいってことかな」

「予想は外して欲しいよ。私ごときに予想できる物語が面白いわけないじゃん」

「とんだ我がまま食いしん坊だなこの娘は」

「はぁあ。面白いミステリィ、味わいたいな」

「もうずっとなぞなぞ解いてたらいいんじゃないかな」

「物語がいいよ。カネキは否定ばっかりで嫌い」

「誰かさんよりかは遥かにマシな気もするが。いやはや。おれはジュジュの精神構造が最大の謎だね」



【不公正】


「俺は思うんだが、平等や公平を謳う前に、まずは公正な世の中になって欲しいよな」

「全然頭に入ってこないんだけど。何? 平等? 公平? あとなんだっけ」

「公正だよ。まずはあくどいことすんなって話。平等や公平を目指すために、他人の足を引っ張んなってこと」

「具体的な事例で話してよ」

「たとえば。みなが貧しいからって、海賊版サイトを使用すんなって話」

「ああ。それはそうね」

「あとは、価格競争してばっかで、労働搾取すんなって話」

「大事な視点ね」

「あとはこれもか。資格とか、試験とか、そういうところで、学歴とか人種とか性別で色眼鏡で見るなって話」

「人間、学習能力がどこでどうやって発揮されるかは、それこそ多種多様だものね」

「そういう公正なもとで、平等や公平さってのは築かれていくもんじゃねぇのかな」

「わるかない意見ね」

「だろ」

「でも敢えて反論しちゃうけど」

「うげ」

「あくどいことをせずにいられないくらいに困窮した世の中にあって、それでも公正でいろって言うのはちょっと図々しいわよね」

「そうか?」

「お金払えと言うだけなら簡単だけど、まずは払えるだけの余裕を社会に築いて欲しいわよね」

「他力本願だな」

「お金を回しなさいよって話。価格競争ばかりしないで労働搾取するなって視点はそうだと思う。使えるお金がないんだもの。それでいて、話題や知識は持ちなさいって、そっちのほうが理不尽じゃないの。肥える者はますます肥え、そうでない者が搾取されるいっぽう」

「そうかねぇ?」

「学歴や人種や性別といった属性で差別しない世の中にするためには、まずは機会や情報に触れる平等や公平さが大事じゃない? そこが築かれていないのに、公正さばかりを謳われても困る人のほうが増えちゃうんじゃないかしら」

「餌がなければ大魚も育たんって話か」

「餌がなければ稚魚すら根こそぎ食われていずれは滅ぶって話。そもそも世の中、生産するための過程にエネルギィや労働力が必要だったわけよね」

「まあ、そこはそうだな」

「なら簡単にコピーできる物、或いはコピーされた物にまで、どうして現物と同じように値段が付きつづけるのかしら」

「そりゃそうしなきゃ、これまで稼げていた企業や人材が稼げなくなるからで」

「けっきょくそれだって、回るべきところにお金が回らないことが問題なんでしょ。本来、無料でコピーし放題にしたって構わない技術があって、そういう社会になりつつあるのに、経済や市場の仕組みがそこに適応しきれていない。問題はそっちの公正さの欠如であって、需要者たちの振る舞いにあるとはあたしには思えないのだけれど」

「技術の発展に対して、社会がついていけていないと?」

「ありていに言えば。だってあたしたちは、情報をやりとりするための端末やサービスにお金を払っている。情報の通信料にお金を払っている。たとえば本は、その中身にお金を払っているわけではなく、本という媒体にお金を払っている。だからノートを買うのと似たような値段で、安価に本が手に入る。もちろんそこには、平等に知識に触れる権利を侵害しないようにしようとする版元や国家の政策や努力があってこそだとは思うわよ。でもね、だとしたら余計に、情報のコピーという、誰もが安価に行える仕組みを独占するのは、ちょっと理に適っていないわよね。理念として」

「だがそうしなきゃ潰れちゃうだろ」

「潰れないようにしなさいよ。支えなさいよ。文化を」

「そう簡単に言ってくれるがよ」

「顧客は情報の通信サービスに対価を支払っている。ならそこに、1%でも出版文化やコンテンツ業界への寄付金を上乗せしたってあたしはいいと思うけど。全国民から毎月通信料の1%を集めれば、相応の金額が集まるでしょ。税金からの助成金を出したって罰は当たらないじゃない。なんでしないの? 企業と政府の癒着が問題視されちゃう? それだってけっきょくは情報が不透明で、国民の知る権利が蔑ろにされているからでしょ。情報を隠すな、独占するな。簡単な話だと思うけど」

「この世はそんな単純に動いちゃいないんだ」

「でも公正さが大事なんでしょ。あなたさっきじぶんでそう言ったじゃない」

「うぐ」

「正しいことを行うにはまずは、平等で公平な社会がなければ。そうじゃない? そうでなければつづかないわよ。正しい行い。正しい生活。正しい生き方なんて。誰も好きで悪事を働いたりなんかしない。中には好きでする人もいるかもしれないけれど、それだって好き勝手できるだけの環境が野放しにされているからでしょ。その場からは、平等と公平さがなくなっているからでしょ。優先順位を見失わないで、という話。もちろん、その場その場での公正さ――正しい行いも大事だけれどね」

「口で負けたようでおもしろくないな」

「あらステキ。そうやってじぶんの不機嫌を自覚できるなんて、あなた中々偉いわね」

「虚仮にされている気分だ」

「褒めたのよ。あたしが。喜んどきなさいよ素直に」



【個人同定該当範囲内】


「アルファ博士。多次元宇宙との交信が可能になったとか」

「いえ。大統領。交信ではありません。あくまで現時点では一方的に同期可能な範囲に限られます」

「干渉できるのだろう」

「観測可能なので、ええ。そういう意味では干渉とも言えます。かといって物理的に作用を直接に及ぼす真似はできません」

「間接的にならできると聞こえるが」

「同期した対象の行動をある程度誘導可能ですので、そういう意味では」

「では向こうからも同様の技術でこの世界が干渉されている可能性はあるのではないか」

「可能性はあるでしょう。ただし、現時点でそのような兆候は見受けられません。カモフラージュ可能な技術が別途に開発されていたならば、どうあっても我々には他世界からの干渉を察知する真似はできないでしょうが」

「悩むだけ無駄ということか」

「できることからまずは試していくのが吉かと」

「さきほど間接的になら干渉できると言ったな」

「はい」

「多次元世界において、無数にほかの世界があると解釈してよいのか」

「はい。そのうち、我々と同様の物理法則ならびに地球ならびに環境ならびに人類がいる世界も無数に存在しております。無限なのです」

「その中には、まさに私や君が存在する他世界もあるのかね」

「ございます。それゆえ、同期可能なのです。他世界への干渉は、時空を考慮せずに済みます。ゆえに、いずれ我々のような存在が誕生し得るならば、その他世界へと我々は同期することが可能です」

「よく分からんが、つまり我々と同じ世界がほかにもあると」

「はい。ただし微妙に世界観が異なります。大統領が大統領になっていなかったり、私が研究者になっていなかったり」

「だが私は私として存在しており、きみはきみとして存在していると」

「存在輪郭を構成する情報の差異が【個人同定該当範囲内】に納まっていればです。要するに、遺伝子情報や歩んだ人生が大きく逸脱していなければ、同期可能です」

「その同期とはどういう技術なのかね。いや、原理を説明されても理解はできんだろう。具体的には何ができるのかね」

「ええ。【個人同定該当範囲内】の他世界人に、ある種のメッセージを送れます」

「言葉が伝わると?」

「それ以外にも、情報であれば送れます。電子機器も操作可能です。動物や、そよ風程度なら操ることも」

「すごいではないか」

「使い方次第ですね」

「シミュレーションに使えると聞いたが」

「はい。こちらの世界では行えない、倫理的に難しい実験を行えます。宇宙に地上の法律が有効でないのと同様に、他世界にはこちらの法律は適用されませんからね」

「ある種の、マインドコントロールや洗脳の実験ができる、と」

「ざっくり言えば。はい」

「まとめると。きみたちが任意の該当人物――これは他世界人ということになるのだろうが――彼らの生活圏に、細かな情報をちりばめ、対象に気づかれぬように、こちらの思惑通りに行動を操作すると」

「どうすればそれが可能になるのかを実験します。実現確率を高めることができれば、こちらの世界でも同様の原理で、任意の人物を操れるでしょう」

「素晴らしい。国家安全保障を確固たるものとすべく、是非とも成功させてほしいものだ。予算はいくらあればいい。なるべく融通の利くように手配しよう」

「ありがとうございます。うぴぴ」

「ん? 何だねいまのは」

「はい? 何がでしょう」

「妙なことを口走ったように聞こえたが」

「妙なこと? さあ何でしょう。ワタシには分かりませんが」

「ならばよいが。うーむ。そう言えば最近、私の身の回りの人間の言動がどうにもおかしいような」

「大統領。お疲れなんですよ。どうぞ、お身体お大事になさってください」

「ありがとう。そうしよう。プロジェクトのほう。尽力してくれたまえ」

「了解でうぴぴ」

「何だねいまのは」

「はい? いまのとは、どれのことですか?」



【ハルミさんは優しい?】


「アキくん。アキくん。ジュースあげる」

「いいんですか。ありがとうございます。ごくごく。美味しいですね、これ。何のジュースですか」

「あのねアキくん」

「何ですか改まって」

「また新しい発明できたから見て見て」

「うーんハルミさん。また僕を実験台にする気ですよねそれ」

「そうじゃないけど、じゃあそうしちゃおっかな」

「閃かなくていいですよ。で、なんです今回の発明品は」

「キュピン。見て見て。このフラスコの中身に溜まるは、言語を忘れてしまう魔法のオクスリです」

「またこの人は危ない薬を」

「危なくないよ。効果は一滴で一時間。言ったらお酒みたいなものかも。アルコールが抜けたら酔いが覚めるように、オクスリの効果は一時的なものだから」

「でも言語を忘れるなんてそんな」

「大丈夫だよ。知性とか理性は残るから」

「そうなんですか。でも言葉を忘れちゃうわけですよね。概念とか仕組みとかまで忘れたらやっぱり危なくないですか」

「言語がなくともそれらは憶えているよ。言葉を読めずとも子どもは自転車に乗れるだろ。時計の時刻は読めずとも、ハトが飛びだすタイミングは予測できる。それと同じことさ」

「仕組みは覚えたままでいられるんですね」

「だいぶぼやーっと、どんぶり勘定にね」

「安全ならいいんですけど。ハルミさんだからなぁ」

「おや。信用ならないじゃないか。ハルミさんは心外だな。傷ついちゃったよ」

「前科があるのでそこは自業自得です」

「ふうん。でもさっきアキくんに飲んでもらったジュース」

「嫌な予感がするんですけど」

「ハルミさんの発明した言語を忘却するオクスリなんだな、これが」

「なんだか急に呂律がまわりゃなく」

「意識がぼやけてきて、気持ちに素直になれるよ。まるで子猫や子犬みたいに。言葉は感情を打ち消す効能があるからね。本心を誤魔化しちゃう。でもこのオクスリを飲めば誰もが、記憶のままに、印象のままに、感情に従って振る舞うようになる」

「は、はるみしゃん。たしゅけて」

「大丈夫だよアキくん。アキくんはたとえバナナという名詞を忘れても、黄色くて甘い物体を目にしたら、美味しかった記憶が喚起されて、うれしくなれるんだから」

「うぅ。はるみしゃん。なんだかぼく、ぼく」

「あらあら、どうしたんでしゅかあ。ハルミさんはここにいまちゅよー。だいじょうぶ、だいじょうぶ。アキくんが呑んだ分量ならきっかりきょう一日は言語を忘れて素直になっちゃうから。そっかそっか。アキくんはそんなにハルミさんのそばを離れたくないか。甘えん坊になっちゃったか。いいですよー。ハルミさんがアキくんのこと、ちゃーんとお世話してあげましゅからねー」

「い、いやだぁ……」

「うふふ。嫌がってるひとがハルミさんに抱きついて、ほっぺた背中にすりすりしてる。アキくん、どうしちゃったのかなぁ? 安心してね。記憶だけは残るから。素面に戻ったあとのアキくんの反応。いまからハルミさん、楽しみだな」



【学者の死】


「とある学者が昨日死亡した。自宅で死体が発見されたのだが、妙だというので調査中だ。名探偵であるきみにも謎を解いてほしい」

「またですか刑事。警察の汚名になるのでのやめたほうがよいと何度も進言したはずですが」

「固いことを言うな。名より実をとれ、と言い聞かされて育ったのでな」

「その学者の専門分野は何ですか。他殺ではないのでしょうか」

「わからん。密室で死んでおった」

「ほう。不審な点というのは?」

「一見すれば首吊り自殺だったが、本人に死ぬ動機が見当たらん」

「ほう。というと?」

「件の学者は、素数に隠された法則を解き明かしたばかりでな。世界的にも、歴史的にも、偉業だと言って古今東西、国境に関係なく注目されておった」

「なるほど。たしかに自死に走りそうな時期ではありませんね」

「だろう。わしの見立てでは、どこかの諜報機関に殺されたのではないか、と睨んでおる」

「またまた刑事ってば。陰謀論もたいがいにしてください」

「そう言って以前、きみの仮説を否定したら、事件の裏にとんでもない陰謀が隠れておっただろう。まさにきみの仮説道理だった」

「あれはたまたまです。仮説と言っても、肝心なところは見落としてしまっていたわけですから」

「いやいや。最初からきみの言うことを考慮に入れておくべきだった」

「ですがおそらく、今回はそういった心配はないものかと」

「なぜそんなことが言える」

「素数の法則と言えば、現在は暗号に用いられていますね」

「ああ。素数の法則が解明されると、世界中のセキュリティがざるも同然になるとすら言われておる」

「じつはそれ、すでに対策が打たれています」

「なに。そうなのか。なぜ知っておる」

「私が進言したからです。なので、仮に素数の法則が明らかになっても、問題はないんです。諜報機関が動く理由がありません」

「なるほどな。では同業者の嫉妬の線は」

「ないとは言い切れませんが、だとすれば自殺に見せかける必要がないでしょう。だってすでに解明された事実は公表されたわけですから。死んだところで、名は残ります」

「たしかにな。では他殺の線は低いときみは睨んでおるわけか」

「ええ。その亡くなった学者さんは、ずっといまのような境遇だったのですか」

「いまのような、というと?」

「つまり、嫉妬に羨望に注目の的だったのかな、と」

「いや。今回の一件で、一躍有名人だ」

「なるほどね。なら自殺の動機は当て推量ですが、思いつきます」

「思いつきで推理をするな」

「まあまあ。その学者さんはね。ずばり、発明したんですよ」

「発明、とな。素数の法則の解明とは別にかね」

「はい。どうしたら、世の中を変えることができるのか、と」

「世の中を変える? つまりそれが素数の法則の解明――偉大な研究を成し遂げることではなかったのかね」

「違いますね。その学者さんは、正真正銘の宇宙人だったのでしょう」

「宇宙人? またきみは真面目な話の途中で冗談を」

「冗談ではなく。あまりに思考回路がほかの大多数の現代人と異なりすぎて、生きづらい人生のなかを歩んできたのでしょう。そんな中で、どうすればじぶんのような個人であっても生きやすくなるのか。どうしたら、平和な世の中が築かれていくのか。長い時間をかけずとも、どうやったら未来へと一足飛びにワープできるのか。それを考えた末に、素数の法則の解明、という道具を手にすることを思いついたのです」

「飽くまで発明は、目的ではなかったと?」

「ええ。誰からも見向きもされてこなかった孤独な宇宙人が、それでも最後に特大の歌を残したのです。誰の耳にも聞こえるような。誰の胸にも残るような」

「た、たしかに。わしがこうしてきみになぞ解きを依頼したように、素数の法則の解明だけでは伝わらない層にまで、学者の存在――その来歴が伝わっておる」

「ええ。自殺した影響で」

「これが学者の目的だったと? 不慮の死ではなかったと? ずっと計画していたと、そういうことかね」

「さあ。あくまで思いつきです。ですが、私ならそういう考えでならば自死を選びます。もちろん他殺の線も捨てきれませんので、どうぞそちらの方面での捜査も熱心になさってください」

「わかった。そうしよう。今回の報酬はいくらかね」

「いりません。思い付きですから」

「そういうわけにもいかんだろう」

「でしたら、その亡くなった学者さんの研究分野にでも寄付しておいてください。いや、それじゃ学者さんが浮かばれませんね。どうぞ、その学者さんが目をかけていただろう、未だ陽の目を浴びない新芽たちを潰さぬような世の中になるように。刑事さんの考えた方法でよろしいですので。心ばかりの一助を、この世に」



【「小ネタ×10(7)」】


______

『穴にはご注意を』


「童話であったじゃないですか」

「ああん?」

「童話で王様の耳はロバの耳って話」

「あった、あった。懐かしい」

「王様の耳はロバの耳って穴に叫んだ少年ってあの後どうなったんでしたっけ」

「秘密漏らしたから捕まったんじゃないか」

「穴に叫んだのに?」

「たしかその穴がいろんなところに通じてて、王様の耳にも入ったんじゃないっけか」

「まるで現代に通じる寓話ですよね」

「そうか?」

「誰も読んでない。見てない。そう思ってインターネット上に投稿したら、大炎上しちゃったり」

「ああ」

「匿名だと思ってたら、相手に個人情報が筒抜けだったり」

「ありそう」

「どこにも通じてない穴だと思ってたら、知らぬところで、穴が通じ合っていたり」

「この場合の穴は何の比喩だ?」

「さあ。どこにでもあると思います。他者の耳でも。メモでも。相談窓口でも。クラウドのバックアップにしろ、非公開設定のテキストにしろ。本来ならば守られて然るべき個人情報が、よそへと筒抜けになっていても不思議ではありませんよね」



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『獄漫』


「どうしよう」

「今にも死にそうな顔してんね」

「じつは閻魔大王に会ってきてさ」

「へえ」

「うれしいうれしい」

「ど、どした急に」

「ああごめん。じつは生前の罰でさ」

「うん」

「人を暗くするような言葉を言えなくなっちゃったんだ。やったぜ」

「ものすごいうれしそうだね」

「僕は一生、人を不快にさせるような言葉を口にできないんだ。その点、きみは偉い」

「あ、ありがとう。ついでのように明るい言葉がでてくるな」

「そういう罰なんだ。最高だぜ」

「よ、よかったね?」

「よくないよ。ただのよいではなく、すっごくよいからな」

「普通に会話が成立しちゃうな」

「とんでもないよ。この罰は僕にとっては死ぬより過激さ。それは正月とクリスマスと誕生日がいちどきに来たときのような心地なんだ」

「素晴らしいな」

「そうじゃないんだ。違うんだ。だって僕の職業は」

「職業は?」

「漫才のツッコミなんだもの」

「ここ地獄やぞ。とっくに死んどいて何言うてんの」

「ナイスツッコミ!」

「ボケでええやん。もういいわ」



______

『優越感と罪悪感』


「優しくあれ、優しくあれって言われすぎてさ」

「誰に?」

「姉に。で、もう誰かに勝つだけでも罪悪感が競りあがるようになっちゃった」

「ああ。勝つと負ける人が傷つくから?」

「だって負けていい気分になる人はすくないだろ」

「まあどこかにはいるだろうけど。悔しさのほうが勝るかなふつうは」

「だろ。何かが傷つくじゃん」

「でもほかのことで傷つくよりかはいいんじゃないか。勝負は言ったら、同意の上のゲームなわけだし」

「そうだけどさ。でも勝つと罪悪感を覚える。だから勝ちたくない。勝とうとすることすらあとで、後悔する」

「優しいねって言ってほしい?」

「これはね。優しさじゃないよ。競いたくないだけでさ」

「でも生きるって大なり小なり生存競争じゃん」

「そうなんだよね。だからいつか勝ち負けで生き死にが決まるような場面になったらさ」

「死を選ぶ?」

「ううん。勝負の舞台を整えたやつらから、はったおしてやろうかなと思って」

「コロッシアムで観客ごと王族に牙剥くタイプだこれ」



______

『自称』


「私は小説家である」

「そうだったんですか」

「プロではないのだがね。金は儲けておらんし、売れもしていないが、断じて小説家である」

「自称ってことでしょうか?」

「小説家ですね、と認められたことはないのじゃが」

「ないんですね」

「最近の悩み話してもいいかな?」

「行きずりの、つぎの電車がくるのを待っているだけの赤の他人でもよいのなら、ええはい。聞きましょう。なんだかお辛そうなので」

「じつはね」

「はい」

「プロでないから、電子書籍ででしか小説を本にできてないんだけど」

「電子書籍でだされているのなら素晴らしいじゃないですか」

「うっ。優しい」

「で、何が悩みなんですか」

「うん。小説つくるのに夢中になってたら、電子書籍化していない作品が溜まっちゃって」

「何冊くらいですか」

「いまはまだ五冊なんだけどね」

「五冊も」

「溜まれば溜まるほど面倒になって、手が回らんくなって、もうべつに売れもしないし、電子書籍化する意味ある!?って内なるじぶんが暴れるの」

「えーっと。誰かに依頼したらよろしいんじゃないですか。そういうサービスがあったような」

「お金ないんす」

「なら自力で頑張るしかないと思いますよ」

「読まれもしないのに?」

「いまはそうでも、いつか手に取る人がいるかもしれないじゃないですか」

「いるかなぁ」

「いますよきっと。だから頑張ってください。ちまちまでも、よちよちでもいいんです。まずはカタチにしちゃいましょう」

「うぅ。優しい。惚れてもいいですか?」

「それはちょっと」

「秒でフラれた……」

「あ。電車来ました。じゃあ頑張ってくださいね」

「これでもけっこう頑張ってるんだけどなぁ」

「そこは悩みを聞いてくれてありがとうございます、でしょ」

「やっぱり惚れてもいいですか?」

「さようなら。名も知らぬ小説家さん」

「ありがとうございました。名も知らぬお兄さん。会話を抜きだしたらきっと、ふんわり系のお姉さんに読めるだろうけど、その腕の入れ墨カッコいいですね」



______

『欲望の影踏み』


「子どものころさ」

「アキト君ね。急に話しかけてきて、前置きなく話しはじめるのやめてって言ってるでしょいつも」

「ごめんよミユキちゃん」

「わたしはミクです」

「ごめんよミクちゃん。ぼく、子どものころさ。欲しいものとか、今もそうだけど特になくって」

「わるいことじゃないんじゃない? 煩悩が薄い人は好きよ」

「でも子どものころはよく、他人の欲しがるものが欲しくなって」

「嫌だわ。それちょっと分かるかも。悔しい」

「絶対それがいい、って駄々をこねる子がいると、べつに欲しくもないオモチャを渡したくなくなったりして」

「分かる。なんか損した気になっちゃうのよね。おとなしく引き下がると」

「で、意固地になって喧嘩になったりして」

「けどいざ、いいよあげる、って渡すと相手のほうでもすぐに飽きて放りだしちゃったりして」

「ああやっぱりそういうことあったんだ」

「あったよ」

「きっとそれと同じなんだよね」

「何がかしら?」

「ぼくが代わる代わる恋人を変えちゃうのも。本当は欲しくもないんだけど、アイツがいいなって言う女の子は、どうしても手元に置いておきたくなっちゃう」

「ひどい、アキト君。しかもアイツって誰」

「アイツはアイツさ。ぼくのライバルにして宿敵。漆戸(しつど)アオルさ」

「わたしと付き合ったのもじゃあその人がわたしを気に入ったからなの」

「そうだよ。でも、いまアイツはほかの子にお熱だから」

「お熱って。そういう言い方キザで前から気になってた。やめたほうがいいよ。わたしもそうだったけど、ほかのコたちだってあなたのそういうキザなところは陰で批評してるから。そもそもわたしたちだって、あなたの中身には惹かれていないわけだし」

「そうなんだ。わるかったね付き合わせて。ありがとう。じゃあそういうことで。キミとはきょうでお別れだ」

「あらそう。どうも。じゃあね。さよなら」

「バイバイ」

「……本当に行っちゃった。あんなにウキウキした顔、一度も見せてくれやしなかったのに。憐れな人。じぶんがいったい誰に惹かれているのか。何を欲しているのかすら自覚せずにいるのだから。……自覚したところで、喪えば痛みが増すだけですけど」



______

『時空の歪みカーテン』


「地球に隕石落ちるらしいよ」

「そりゃ難儀なこって」

「また滅んじゃうのかな」

「前に落ちたときに滅んだんじゃないのか」

「たしかあのときは大きなトカゲが繁殖していたような。それが前の隕石で滅んだからいまは」

「いまは?」

「ああ。僕らの小型情報端子を送ったから、それが生き物に介入して僕らと似たような知性体がいるらしい」

「へえ。どの程度賢いんだ」

「時空についての理解は進んでいるね。ああ。宇宙にも進出してる」

「ならそろそろこの仕組みにも気づくかもな」

「重力レンズ効果に気づいているようだから、そうだね。そろそろかもね。あ、だからかも」

「何が」

「隕石を落とすことにしたのかも」

「上層院がか?」

「そう。だってほら。僕らの星と地球のあいだには【時空の歪みカーテン】があるわけでしょ」

「だから地球から見たときのこの星の光は、遥か何億年も前のものが届く。遅れて届く」

「うん。本当は何億年も経っていて、僕らのような知性体が繁栄していることにだから地球人たちは気づけない。でもそろそろ気づいちゃいそうだから」

「隕石落として滅ぼしてやろうって? んな無茶な」

「やりかねないよ。だって上層院は平和主義者だもの。第二の母星になるかもしれない地球に、あんな野蛮な生き物たちがはびこってもらっては困るでしょ」

「かつての巨大トカゲを滅ぼしたようにか」

「そう。何度でもやり直しは効くんだから」



______

『取り換えっこ』


「あの娘すげぇよな。女子初の陸上新記録だってよ」

「男子の記録を抜いたんだろ」

「ああ」

「小柄なのに筋力が成人男性のアスリート並みだって。しかも元アイドルなんだよあの娘。マイナーな地下アイドルだったからみな知らないんだろうけど」

「へえ秋田、妙に詳しいな」

「むかしじつはファンだった」

「ふうん。研究員時代か?」

「院生な」

「何の研究してたんだっけ」

「時空転移の研究」

「難しそうだな。何か成果はあった?」

「いやいや。あったらいまこうして、陸上のサポーターなんかやってないでしょ」

「そりゃそうか」

「間近であの娘のサポートができるだけでしあわせさ」

「すごいよな」

「うん。あの娘は超人だよ」

「いや、秋田がだよ。おまえだって身体を壊さなきゃ、いまごろ世界を股にかけて活躍していただろう。それなのに、嫉妬もせずに若い子の世話を焼いて。おとなの鑑だ」

「違うんだ。本当にただのファンでさ。あわよくば、なんて下心もなくはない。だから余計に、そういう同族の匂いが判るから、重宝される」

「SP代わりか」

「も含めてのサポーターね」

「でも本当、いったいどういうトレーニングを積んだらあんな超人的な肉体ができるんだ。秘訣とかあるのか。こっそり教えてくれよ」

「記者だろキミ。いくら旧知でもさすがにそれは」

「ということはあるのか。秘訣が」

「単にあの娘が人並み外れて努力家だってだけさ」

「またまたー。それこそ秋田だってずいぶんと可愛らしい肉体になっちまったじゃないか。ほれほれ」

「触んなッ」

「わ、わるい。いや、そんな怒鳴るほど嫌だったか。すまんな」

「薬の副作用で、ホルモンバランスが崩れてね」

「ああ。道理で柔らかいと思った。まるで女の子の身体に触ったかと思ったぜ」

「この身体は僕だけのものだ。もう二度と触らないで欲しい。あ、時間だ」

「時間? 何のだ」

「今日の分の提供をね」

「提供?」

「取り換えっこさ。まあ、キミに言っても分からないだろうけれどね」



______

『妄想現実』


「なあ吉田。この世界がさ。もしじぶんの妄想だったらどうする」

「妄想だったら? 夢の中にいるみたいに全部が全部、現実でないってこと?」

「うん」

「なら好きなように過ごすんじゃないか」

「わるいこともしちゃったり?」

「現実でできないことはそうだね。してみたくなるだろうね」

「誰かを傷つけたり?」

「欲望を叶えるためには、そうだね。そういうこともしちゃうかも」

「でもさ。妄想なんだけど、物凄くリアルな妄想だったらどうする」

「どういうこと?」

「たとえば犯罪行為を犯したら、ちゃんと警察がでてきて捕まっちゃう」

「でも妄想なんでしょ」

「だけども、それを覆せない」

「それって現実と区別つかないんじゃ」

「そうだよ。でも妄想だから、本当は誰にも捕まらない。でも、現実のようにリアルだから、じぶんのほうで捕まったフリをしてしまう」

「それはちゃんとフリの自覚はあるのかな」

「妄想だって自覚はできるけど、でもどうしようもないんだ。警察とか、他人とか、全部じぶんの妄想だけど、でも物理的に殴られたり、取り押さえられたりして感じる」

「それってほぼ現実なんじゃないの」

「でも現実ではじぶんの身体はただ、じぶんの妄想に従っているだけで、本当なら自由なんだよ。でも警察に捕まって檻に入れられたら、じぶんで狭い場所に閉じこもって、一定期間を過ごしちゃう」

「妄想なのに?」

「そう。妄想なのに」

「うーん。仮想現実が普及したら、でもそういう生活が日常化するかもね」

「それ吉田。もうちょい詳しく」

「だからさ。本当は現実じゃないのに、虚構の世界に従って生きるようになるってこと。仮想現実が普及したら」

「あり得るな」

「けどね。よくよく考えてみたら、いまだってそうなのかもしれないよ」

「いまが? ここも俺の妄想だってことか吉田」

「社会のルールとか、常識とか、法律なんかもそうだけど。現実にはないものでしょ」

「言われてみればそうな」

「お金だってそうだし、知識だってそうだ。ほとんどの人は、科学知識を持っていても、それを活かせない。ただ知っているだけで、そういうことらしい、と思いこんでいる」

「間違っていても問題ない暮らしを送っているわけだ」

「そう。それって原理的には、妄想の世界で生きていたり、仮想現実のなかで生きていることと同じようなものなんじゃないのかな」

「あり得るな」

「それこそ、こうしてしゃべっている僕が、キミの妄想かもしれない」

「知らなかったのか吉田。キミは俺の妄想なんだぞ」

「いや、それはない」

「なら俺がじつは吉田――おまえの妄想なんだ」

「それは否定できないな」

「否定してくれよ吉田」



______

『ループ』


「これはね、時空バネ」

「いきなり発明品の名前だすところからはじめるのやめてもらっていいかな。まずは年齢性別名前を自己紹介して」

「誰も私になんか興味ないから。この時空バネはね」

「なんでちょっと早口なん」

「時間が巻き戻った分、進む力を上乗せすることで、物体の出力を高めることのできる優れ物」

「強引に話を進めるな」

「たとえば、自動車に搭載するとする。十キロ走った自動車の、その時間分の運動エネルギィを巻き戻して、もういちど同じ道を走らせるとする。そのときに、巻き戻した分の十キロ分のエネルギィを上乗せすることができる。さながらバネみたいにね」

「人間に使ったらどうなるんだ」

「同じことだよ。一度目の動きを巻き戻して、なかったことにして、二度目は通常の二倍の出力で動き回れる。さながら真空中の無重力空間を動き回るようにね」

「ジャンプ力も二倍になる?」

「なる。けれども、そこは実際には地球の重力が加わるし、人体の強度の問題もあるから、跳躍の高さまでもが二倍になるとはいかないけれど」

「すごいじゃん」

「そうだよ。私はすごいんだ」

「ちなみに、いま実演ってできる?」

「できるよ。ちょうど装着してるからね。ほらこの首輪」

「あ、それか」

「ちょいと起動するよ。出力高めにしといたから、キミも一緒に同調可能だ」

「かってに巻き込むなよ。許可を得ろよ、許可を」

「いいじゃないか。そいじゃいま交わした会話を打ち消して」

「え?」

「二倍の速度でもっかい初めから――これはね、時空バネ」



______

『まだ言ってる』


「寂しい、寂しい。友達欲しい、友達欲しいよぉ」

「見て。あそこに可哀そうな人がいる。ねぇそこの君。私でよかったらお友達になってあげてもよいのだけど」

「キィーー! かってにぼくちゃんから寂しさを奪わないで。孤独じゃない僕に価値なんてないんだから」

「え、えぇぇ?」

「うわーん、うわーん。また独りぼっちだあ。寂ちい。寂ちい。友達ほちいよぉ」

「何あれ。どういうこと?」

「ああ、君もやられちゃったか」

「あ、どうも。あの人けっきょくどうして欲しいんですかね」

「あれはね。孤独症候群だよ」

「病気なんですか」

「ううん。アイデンティティを孤独な自分にしてしまった人なんだ。一生あのままなんだ」

「不幸じゃないのかな」

「それは当人にしか分からない。寂しいのがあの人は、言うほど嫌いじゃないんだと思うよ。ああ言っていれば、優しくしてもらえるしね」

「でもずっと優しくはされたくないみたい」

「だってずっと優しくはされないだろ。友達になってしまったら」

「ああ」

「ずっと寂しいままでいられるっていうのはね。ご馳走に囲まれて暮らすよりもきっと贅沢なんだと思うな」

「孤独に苛まれている人だって、でもいると思うけど」

「いるだろうね。そういう人は、ときどきは寂しくなくて、ときどきは孤独じゃない人なのさ」

「誰だってそうじゃない?」

「うん。だからずっと寂しい、ずっと孤独でいられるなんていうのは、特別で、贅沢な環境にいられる人ってことさ」

「なら王様はきっと誰よりずっと寂しくて、孤独だろうね」

「かもしれないね」

「寂しい、寂しい。友達欲しい、友達欲しいよぉ」

「見て。まだ言ってる」



【才能ないままねじふせる】


「兄ちゃんあのね、あのね」

「なんだ」

「ボク、格闘技やめる」

「なんでだ」

「才能ないから」

「はぁ? おまえ一昨日、世界一になったばっかだろ」

「同い年のコたちだけのなかでの話でしょそれは」

「才能ないわけないだろ」

「でも、ボクほかにやりたいこと見つけちゃった」

「なんだそれ。世界最強目指すよりも大事なことなのか」

「うん」

「言ってみろ。兄ちゃんを納得させらんなきゃ、認めんからな絶対」

「いいよ。それでもボクはそれをしちゃうから」

「生意気な弟め。聞かせてみろや」

「ボクね。才能がないコを、才能がないからどうこう言って哀しくさせる人たちを、才能がないことで、ねじふせてやりたい」

「んんん???」

「だからね。ボクね。才能がないことをダメなことだ、みたいに言う人たちのことを、才能がないことで、ねじふせてやりたい」

「ごめんな。兄ちゃん頭わるいからなのかな。弟の言うことが理解できんが」

「兄ちゃんがボクを応援するのは、ボクがこのあいだ世界一になったからでしょ」

「その前から応援してたわ。恩知らずめ」

「でも、もしボクが試合で一回も勝てないコだったら? 同じように応援してくれた?」

「それは、うーん」

「たぶんね。しなかったと思う」

「それはそのときにならなきゃわからんわ」

「ならボクがいまからピアニストになりたいって言ったら応援してくれる?」

「それは、うーん。本当になりたいのなら、応援するけど」

「じゃあ同じことでしょ。ボク、やりたいこと見つけちゃった。応援して」

「せめて解るように言ってくれ。けっきょく何になりたいんだ」

「だから言ってるでしょ。才能がないことをダメなこと、みたいに言う人たちを、才能がないことで、ねじふせちゃう人になりたい」

「前半はいいわ。後半の、才能がないことでねじふせる、がうまく想像できんが」

「ボクね。気づいちゃったんだ。このあいだの世界大会で。才能ないことダメだって言う人ってね。才能があるね、って周りの人たちから言われてる人ばっかりなの。だからボク、誰より才能ないねって言われながら、そういう人たちの鼻っ柱をね。ポッキンって折ってやりたい」

「可愛い言い方で怖いこと言ってんな。闇討ちしてやるって言ってるように聞こえるぞ」

「そうじゃなくって。たとえばボクはピアノを弾けないけど、ピアノの曲を聴くのは好き。どんな演奏でも、楽しそうに弾いてる人を見るのが好き。でも、そういう人に対して、才能がないとか、へたくそだから弾くのやめろとか、諦めろとか、そういうことを言う、才能がある人にね。ボクの才能のないピアノの演奏を聴かせて、感動させちゃうような人になる」

「格闘技関係ないじゃん」

「ないよ。だってボク、格闘技の才能はあるんでしょ。でも、そのほかのことならたいがい、才能ないよ。やってこなかったから」

「分からんぞ。弟は器用だから。ピアノだって弾きはじめたら、あっという間にその辺のセミプロを抜かしちゃうんじゃないか」

「抜かせるなら抜かしちゃう。でも抜かさなくても、ねじふせちゃう。誰より、それを楽しんで、才能がないままにねじふせちゃう。そういう人に、ボクはなる」

「意気込みは解かった。目指したいのも、方向性みたいのは、まあ理解した。聞いておきたいんだが、格闘技はやめるのか」

「うん」

「そっか」

「ねじふせるって言ったけど。でもそれは、格闘技みたいなのとは違うからね」

「そうなのか?」

「才能ないとダメ。そういう価値観を、ひん曲げてやりたいなって。そういうことだから。兄ちゃん、きっと勘違いすると思ったから、言っておくね」

「すでにだいぶ、おまえの言動にねじふせられてるよ」

「やったぁ」

「くっそぉ。楽しそうにしやがって」

「兄ちゃんもいっしょにどう? 手伝ってくれたらボク、うれしいな」

「誘うな、誘うな。そんな笑顔で頼まれたら断れねぇだろうがよ」

「いっしょに楽しも?」

「ったくしょうがねぇなぁ。はぁ。我が弟ながら、恐ろしいやつめ」



【悪の味方】

(未推敲)


「よくある話さ。密室の屋敷なかで人がつぎつぎに殺されていく。生きている人間がいなくなった。さて犯人は誰か」

「決まっているだろ。最後まで生き残っていた人物が犯人だ」

「犯人が自殺していたらの話だが、まあそうさな。時限式で最後から二番目に死ぬように小細工を弄し、先に死んでおいて、無実の誰かを最後に殺すなんて仕掛けもできないわけじゃないしな。複数人が殺しあっていた可能性も残されるが、まあおおむねその考えは妥当だろう。最後まで生き残っていた者が犯人だ」

「それが何の話に繋がるのだ」

「いいかい。同じ理屈はね、正義の使者にも言えることだ」

「正義の使者?」

「正義の行使者、と言ってもいいかもしれない。つぎつぎに悪人を裁いていく。バッサバッサと切り捨てていく。最後には悪人は地表から一掃される。しかしそこには、他人を裁きに裁いて、君臨するただ一人の魔王がいるのみとなる。同じことじゃないかな」

「それはそうかもしれないが、しかし」

「なんだい」

「きみの言うところの正義の行使者が徹頭徹尾一人きりだったらの話だろう。もしそうでなく、複数人で行っていたのなら――あるいは交代制だったり、資格必要だったり。とかく正義の執行と、密室での殺人鬼の話を同列に語るのはどうかと思うが」

「一理ある」

「だろう」

「だが、この場合はそうではない。そうではないんだ」

「この場合というのは、なんだ。どの場合だ」

「排除の理論を行使した者は、どのような場合であれ、悪なのだ。正義の執行とはつまるところ、悪を用いても看過され得る免罪符にすぎない。正義は単独で正義足り得る。しかしそれを掲げ、行使した瞬間に、それはもはや悪なのだ」

「だからといって、正義すら掲げぬ悪を野放しにはできまい」

「いかにも。ゆえに正義の行使者には、相応の責任がつきまとう。むやみやたらに振りかざすものではないし、誰かれ構わず行使してよいものでもない。なぜならそれが本質的に悪だからだ」

「だが正義は正義としてあるだろう。善や愛がそうであるように」

「ある。だが、正義も善も愛も、それそのものがそこにあるわけではないのだ。理想だからだ。この世にない、しかし、あって欲しい理想。それを追い求める限り、人類には善性が付与される。反して悪は、ただそれのみでそこに或ることができる。正義は、掲げることができるが、その行使には必ず悪を用いねばならぬのだ。ゆえに、正義の行使者は常にその手に悪を握っている」

「そうとも言いきれないのではないか。排除の理屈ばかりではないはずだ。正義は。困っている相手に手を貸す。これもまた正義だ。そこに悪はあるのか」

「困っている相手を選ばざるを得ないだろう。困っていない者などはない。悩みなき者のいないように。不満なき者がいないのと同じように。ならばそこには依怙贔屓――選抜の意思が介在する。優先順位が存在する。それは差別であり、やはり悪を内在する」

「差別ではなく、それは区別だろう」

「身分とて区別だ。ある時代においては。職業もそうだ。性別だってそうだ。区別だろう。しかしそこに境遇の差ができれば、差別になる。違うかい」

「かもしれんが」

「むろんいま唱えた理屈を以って、目のまえの困っている者を見て見ぬふりをするのもまた悪だ。自己保身だ。善ではない」

「善ではないことイコール悪ではなかろう」

「善でないことは悪なのだ。そこを履き違えている。理想が正義であり善であり愛であるならば、それ以外のモノは総じて悪だ。存在は悪だ。実存は悪だ。我々は悪なのだ。キミもワタシも」

「それは極端すぎないか」

「悪ゆえに、それ以外であろうとする。その意思こそが善であり愛であり、正義なのだ。違うか」

「ううむ」

「自らが善であり愛であり正義だと嘯く存在が、果たして理想の権化であるだろうか。神は自らを神とは呼ばぬ。そしてそう見做されることすらきっと」

「きみの理屈は半分はそうかもしれないと思わせる何かがある。そこは認めよう。しかし理想が悪でない保障もないだろう」

「ないな。理想はときに悪足り得る」

「なら」

「言っただろう。行使されるとき、そこには悪が介在する。理想が悪足り得るときは必ず、理想を現実にしようとの試みが世に悪を蔓延らせる。問題は理想そのものではない。行使であり、手段であり、現実のほうにある。我々のほうにこそある。なぜなら我々がそもそも悪だからだ」

「極端だ」

「かもしれぬ。だがここでこう考えてみてはどうだ。なぜ理想の追求が悪を蔓延らせる結果になるのか、と。自らが善であり愛であり正義であると錯誤するからではないのか。自らが悪であることから目を逸らし、真実を拒絶するからなのではないのか」

「では、どうあっても我々は悪でしかないと言いたいわけか。善になり得ないと。正義を叶えることはできないと」

「そうは言っていない。善であろうとすること。正義とは何かを考えつづけること。愛するにはどうすればよいのか、と試みつづけること。その姿勢、営みそのものが、善であり、愛であり、正義だと言っている」

「満足するな、とそういう話か」

「勘違いするな、とそういう話だ。思いあがるな。我々は善そのものではない。悪の化身にすぎん。理想とは程遠い。現実に生きる細菌やウィルスに塗れた三大欲求からすら逃れられぬ憐れな考えぬ葦だ。だが、考えようとすることはできる。善であろうとしつづけることだけは」

「しかし、善にはなれぬとそういう話か」

「その通りだ。我々は善にはなれぬ。神にはなれぬ。死からは逃れられぬ。これはそういうお話だ」

「認めたくのない話だ」

「なぜかな」

「これではもう、きみをここで裁く真似ができなくなる」

「正義の味方が聞いて呆れるな」

「うるさいぞバイキンマン」

「キミに一つ助言をあげよう」

「なんだ」

「愛と勇気以外ともキミはもっと友達になるべく努めたほうがよい」

「バイキン共ともか」

「バタコさんやチーズとて、とっくに友達になっているよ」

「ちっ。カビ共のことか」

「ジャムおじさんとてそうさ。アンパンマン――キミとて例外ではない」

「酵母か。もういい分かった。きょうのところは見逃そう。いや、言い方がわるいな。傲慢だ。そうだ、私は傲慢だったそれは認めよう」

「その言い方も」

「傲慢か。そうだな。染みついてしまっているのだ。餡子のように」

「腹黒いわけか」

「言い方が失礼だぞバイキンマン。黒いことがわるいみたいだ」

「その通りだ。現にワタシは真っ黒だ。しかしそれと悪であることは関係がない。なぜなら」

「みな等しく悪だからだろう。そしてバイキンマン。きみは善であろうとしているわけだ」

「その通りだ。しかしいつでもそのようにはいかない。ずっと息を止めつづけることがむつかしいように。虫を殺さずに生きることがむつかしいのと同じように」

「それでもイタズラに殺生はしない。そう努めようとしている限り、きみは善だと言いたいわけか」

「そうではない。善であろうとはしているが、善ではないのだ。そこには罪悪感がつきまとう。無念だ。しかしどうしようもない。この葛藤をワタシはこの先、滅びるまでつづけていくしかない」

「そうやって生きることは果たして善なのか。それをみなに強いることが正義なのか。私にはとてもそうは思えないのだが」

「一理ある。それも一つの善性だろう。よくあろうとするがゆえの葛藤。みなを想うがゆえに抱く呵責。悩みは尽きぬ。考えることは多い。だがけして無駄ではない。なぜなら理想を現実に適えようとするときに、それら積み重ねてきた悩みが、悪の蔓延る余地をすこしでもやわらげてくれるからだ」

「やわらげたらダメじゃないのか。逆効果に思えるが」

「ぬかるんだ地面よりも、歩くなら頑丈で平坦な道がいいだろう。それと同じだ。やわらげた余地では、悪もきっと蔓延るのに苦労する」

「口が回るなバイキンマン」

「キミは頭のほうが回るがねアンパンマン」

「それは利口のほうの意味か?」

「いんや。事実を言ったまでだ」

「皮肉か」

「事実さ」

「アンパンチでも食らうか?」

「それよりも」

「なんだ」

「できれば湿っていらなくなった顔をくれると助かる。どうせあとは捨てるだけだろう。それがあればワタシたちバイキンも、ほかの者たちを襲わずに糊口を凌げる」

「善処しよう」

「さすがはヒーロー。正義の味方だ」

「悪の味方、の間違いじゃないのか」

「一理ある」



千物語「噺」おわり

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