一章

一話 ドクミドリ

 開店してからもう2時間は経つ。未だにお客さんの入り数はゼロ。


 外では日差しとともに鳥が元気よく空を舞っていた。


 そんな鳥を見ながら「いいなぁ。鳥は空を舞うことができて。私も鳥になれたら、暇せずに生きることができるのかなぁ」なんてぼやいている少女が一人。


 この店のエプロンを身にまとい、机の上にぐったりと顔をつけていて、その表情からは魂が抜けていた。彼女の名前はナナ。この店のアルバイトであり、不死川家の居候でもある。


 いつも通りの通常業務である清掃や食器の手入れに嫌気がさし、今日は珍しく不真面目だった。それもそのはず、もう2日もこの店にお客さんは来ていなかった。


 あの戦争の条約によって人間たちは少しずつではあるが、地人たちに商売をするようになった。そのため、最近はどうにも忙しい人が多いようだ。前まではよく顔を出していた常連客にもここ数日、会っていない。


 地人のお客さんもいたが、例の条約以降、人間に対する不満が溜まったらしく、上半師家に批判の声が殺到している。地人がこの店を訪れるのはごく稀になっていた。


 元々、客足がさほどなかったこの店は今まさに不景気の絶頂だった。


 暇にうんざりしたナナは他の働き口でも考えようかなと空をぼーっと眺めながらブツブツと独り言を口ずさんだ。


「香花さんはどこで仕事しているのか分からないし、四八目さん……とは一緒に働きたくもないし……一奈さんの銭湯……それも却下! うーん……」


「あれまぁ、せっかくお客さんが入ってきたのに挨拶もないなんて……不親切な店だなぁ」


「…………えっ?」


 突然の声にナナは振り返った。後ろには全身一体が黒で統一された服装の女性が微笑みながら立っていた。


「いや、もしかして今って休憩中だった……のかな? 僕、迷惑だったかな?」


「い! いえ! 違います! 営業中です! すみません! 全然気が付かなくて! ここ数日お客さんが来なかったから、つい……」


 焦って口を滑らせてしまう。


 ドアの音や足音が聞こえなかったため、反応できなかった。お客さんに恥ずかしいところを見られたとナナは取り乱す。


「あ、改めていらっしゃいませ!」


 急いで椅子から離れる。立つと実感できたが、女は背丈がだいぶ高かった。およそ170センチくらい……はあるだろうか。ハットにマント、それにズボン。魔女のような格好で前述したようにそれらすべてが黒色だった。


 怪我をしているのか、右目には包帯を巻いていた。髪はオレンジ色でもみあげと三つ編みにされた後ろ髪が胸くらいまでおろされていた。なんだか独特な人だ。もちろん初めて見る顔だった。


 左目も開いているのか分からないくらい細目だし、視界の確保に疑いが持てる。


「来て早々お客さんを注視するなんて……君、見かけによらずむっつりだったりする?」


「い、いえ! その! ……変わってるなって!」


「包み隠さず言うもんだね、面白い」


 苦笑交じりにそう言い終えると、魔女はカウンター席についた。


 ナナもエプロンをはたきながら、定位置へと戻る。


「……ご注文はいかがなさいますか?」


「ちょっと待ってね、うーん」


 メニュー表を左手で持ちながら、右手を顎に当て深く考え込んでいた。おっとりとした性格がまるでこの店の店長である珈々のようだった。二人が会話している絵は些かシュールだろうな……。


「決めた。この『ドクミドリ』って飲み物をお願いするよ」


「はい、かしこまりました。……って、え?」


 ドクミドリ。四八目がよく好んで頼むあの緑色の飲み物だ。この商品をナナは四八目以外の人が飲んでいるところを見たことがない。


 店番を任されるため、今では一通りのドリンクを作ることができるが、ドクミドリに至っては珈々に教えられながら作った一度しかない。もはや四八目専用のメニューと言っても過言ではなかった。


「あ、あのぉ、何故それに……」


 正直なところ、このドリンクはお世辞にも美味しいとは言えなかった。四八目の飲みっぷりで感覚がマヒしていたが、一般人がこの味を受け入れるのは遠い未来の話だろう。


 苦みと甘みが合わさって……まるでケーキとゴーヤを同時に食べるような……そんな味だ。よろしくない方向に苦みと甘みが分離していた。


「え、何? 作れないの?」


「いや、そういうわけでは……。そのメニューある特定のお客さんに向けられた特別なもので……その人、味覚がだいぶ変わっていてですね……このドリンクもあまり一般のお客様が好まれるものでは……」


「ふーん。そう言って作れないの誤魔化そうとしているんだ」


 いたずらに魔女は微笑んだ。


「ち、違いますよ! 確かにレシピ見ながらじゃなきゃ作れないですけど! 本当に強烈な味なんです!」


「あはははは! 冗談だよ! 自分のお店の商品をそこまで否定するなんて、君、変わってるね!」


「う、うぅ……」


 確かにそうだ。と、ナナは魔女の高笑いに頬を赤くした。でも事実上、ドクミドリは美味しくなかった。


「でも僕はこのドクミドリって飲み物に興味を示しちゃった。飲み残さないしさ、作っておくれよ。お願い!」


「う、ううぅ……で、でも後悔しても知りませんよ」


「大丈夫だって、ね?」


 半ば強引に注文された。自分の意見を押し通したり、強情なところだったりがまるで四八目のようだ。ナナは対応に困りながらも、レシピを片手に調理へ入った。

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