二話 暴言暴行

 息が苦しい。喉は枯れ、足を動かすたびに体の節々が悲鳴を上げる。おまけに砂道で足をとられる。でもナナは足を止めなかった。いつもボーッと空でも眺めながら歩いた通勤路をただひたすら駆ける。


 肺が今にも破れそうになる程苦しい。胃にある全ての液体を吐き出しそうになる。視界は朦朧とし、気分すらも悪くなる。腹痛も始まる。耐えきれず、口から何かを吐き出した。


「ウゲッ……はぁ、はぁ!」


 それでもナナの足は止まらない。1秒でも早くと前を目指す。今、この時がどんなに苦しかろうと、歩いてしまったら香花はもう二度と自分の前に現れないと思ったから。それだから足を止めない。


「う、うおお!」


 らしくない声を漏らしながら銭湯に辿り着く。人気はなかった。煙突から煙も上っておらず、一奈が準備をしている様子はなかった。そう捉えたナナはまたカフェへと走った。


 途中、砂に足をとられ、すっ転んで草原に突っ込んだが、ナナは素早く立ち直り、またカフェを目指した。伸びきった前髪を縛ることもせず、手で顔から後ろへ退かしながら視界を確保した。全身から滝のような汗を流しながら、倒れる寸前になりながらもナナは一切妥協しなかった。


 そしてカフェが目に入るところまできた。カフェの壁に誰かが寄りかかっていることも確認できた。四八目だ。前で手を組みヤンキーの如くどっしりとした構えで四八目はこっちを向いていた。いつもと変わらないにやけ顔。ナナの現状を把握しているといわんばかりの煽り顔だった。


「よお、ナナ。ひどく慌てている様子だがなんかあったかあ?」


 何も知らない様相をする四八目に流されず、ナナは用件を話した。


「香花ぁ? あいつと今、会うのはだめだ」


 口ぶりから察するに、香花はカフェの中にいるようだった。


「何でですか?」


「あいつは今日、大切な合戦を控えている。当然、そのプレッシャーも絶大だ。そんなわけであいつのメンタルを保つためにも今は一人の時間を設けているんだ。わかったら帰んな」


「だ、だけど! 私は香花さんに伝えたいことがあるんです! 中に入れさせてください!」


 ナナは頭を下げる。しかし、四八目も一向に退く気配はなかった。


「ダメだ。お前の勝手で今回の戦いに悪影響を及ぼされたらたまったもんじゃねえ。帰んな」


 正論だ。だが苛立ちを感じていたナナにとって、その言葉はひどく刺さった。いけないものがプツンと切れた。


「いいからそこをどけえ!」


 四八目の胸ぐらを強くつかむ。怒り狂ったナナは胸元を自分へと近付け、四八目との距離を縮めた。自分が自分じゃないような感じがした。どんな時でも人前で怒りをおもむろにすることなんてなかった。今の様子を香花が見たらどう思うだろうか。そんな考えが頭の隅から思い浮かび、一瞬力を緩めたが、また締めた。


 想定外の出来事だったのだろう。四八目は口を開けたまま、目を大きくさせていた。そして、自分の状況を理解しナナを睨み返した。


「ナナぁ、おめえこの俺様にどんな態度とってんだぁ? 俺は間違ったを言ってねえだろうが!」


「それでも香花さんに会いたいんです! だから、そこを退いて下さい、四八目さん! 退かないならあなたを倒してでも通ります!」


「倒すだとぉ? なめたこと言ってんじゃねぇ!」


 素早い膝蹴りがナナの腹にぶち当たる。


「んっぐ……! うぅ……」


 激痛に耐え切れず、ナナは掴んでいた手を放し腹を抑えながらその場に膝を着いた。その後も四八目の攻撃は続く。


「普段は大人しいてめぇがよぉ! こんな時だけイきり散らかしやがって!」


 ナナを倒し、馬乗りで四八目は殴り続けた。


「最近、こっちに住み始めたひよっこがよぉ! 俺らの事情に口挟むんじゃねえよ! おめえが来てから面倒で仕方がなかったんだよ! 香花の家にすねかじりのように居候するしよぉ! あいつんちだって決して裕福じゃねえんだぞ! それなのにてめえその優しさに甘えて金巻き上げてきたんだろぉ!」


 違う……私も香花さんの支えになりたかった。


 なおも四八目の攻撃は続く。鼻血を出しながら頬も腫れ切ったナナではあったが、外傷以上に心が痛かった。


 そうして気づいた時には拳は止まっていた。ナナから離れた四八目はまた続けて言った。


「おめえもしかしたら勘違いしてるかもしれねえが、香花はおめえのこと何とも思ってなかったらしいぜ」


 違う。


「あの香花がおめえみてえなどんくさい奴に構うと思ったか? どうせ現地人に身バレした時ようのおとりだったんだろ」


 違う。


「この戦いが終わったらおめえみてえな奴、残しとく必要がねえ。そうなる前に家から離れたほうがいいんじゃねえかぁ?」


 違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う。


「黙れー!」


 冷静さを欠いたナナは跳び起きたと同時に、四八目へと襲い掛かる。


「くどい!」


 避けた四八目はナナの腹にアッパーを喰らわす。


 ドフッ! 「うっ……」


 鈍い音とともによだれを垂らしたナナはまた倒れこむ。


「ま、せいぜいおめえはおめえで頑張んな。はっはっはっはっは!」


 高笑いしながらカフェへと戻る四八目の後を目で追うばかりだった。瞳から涙が溢れだし、止めることができなかった。畜生。汚い言葉が頭にいくつも沸き上がり、嫉妬が増す。出鱈目だと聞いていた四八目の暴言が耳に残り離れない。悔しさと苦しさが入り混じった感情のまま、足を震えさせながらもナナは来た道を引き返した。足は恥知らずのように、自分勝手でスムーズに動いた。

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