第350話:不遜と怒り

 マイオルとともに決起集会に参加したセネカは、装備の最終確認を行っていた。


 セネカたちはこれからオークキングの所に向かい、攻撃を開始する。初撃の余波によってスタンピードが起きるため、時間に追われている訳ではなかった。


「マイオル、ごめん。少しだけ……」


 セネカはそれだけ言って、少しみんなの場所から離れた。

 向かった先はバエット山林に面した門、一番の激戦が予想される場所だ。


 街中に緊張感が漂っているが、張り詰め切っているという感じではない。兵士たちが和やかに話している場所もあって、マイオルの演説の効果が出ているとセネカは考えていた。


 セネカが到着すると、ピケが最初に気が付いた。ミッツが続き、二人がノルトに声をかけてくれた。


 ノルトはずっとバエット山林の方を見つめていた。まだ何も見えていないはずだけれど、まるで敵がそこにいるような様子だった。


「セネカか」


「ノルト」


 セネカはノルトとともに人のいるところから少しだけ離れた。


「行ってくるよ、オークキングのところに」


「あぁ、行ってこい」


 ノルトはセネカとルキウスの因縁のことを知っている。


「私は強くなった」


「間違いねえ」


「ノルトも強くなった」


「どうだかな」


 セネカはノルトに何かを言いに来た訳ではなかった。

 ただ、これが最後になるかもしれないのにあのままで終わりたくなかったのだ。


「ノルトの誤解じゃないよ」


「何がだ?」


「私はノルトのことも守ろうと思っていた。もっと言うと、この街や自分の気持ちも守ろうとしていたんだ」


 ノルトはそっぽを向いた。


「私はみんなのことが心配になった。エミリーに言われて気が付いたんだよね」


「エミリーは心配性だからな」


 ノルトが首から下げている何かを手で握るのが見えた。


「セネカ、敵を倒してこい。俺はたった一人になっても立ってお前らのことを待っているぞ」


「うん⋯⋯。倒してくるよ」


「俺は今日限界を超える。お前達も超えてこいよ」


「うん! ルキウスにも伝えておく」


 セネカはそう言って、戻ろうとした。


「おい、セネカ」


 呼び止められて振り返る。


「お前の好きなエミリーが言っていたぞ。『力が弱い方が守っちゃいけないって誰が決めたんだ』ってな」


 エミリーらしい考えだとセネカは感じた。

 そんな考えはセネカには全くなかった。


「エミリーは泣いてた?」


「当然だろ」


 セネカはノルトと顔を見合わせて笑った。


「それじゃあ、ノルトに任せるね。街のことも、エミリーのことも。私たちの大切な思い出のことも」


「責任は取らねえぞ」


 ノルトは尊大に笑った。


「それでも良いよ。でも、エミリーのことは責任を取ってあげたほうが良いと思うな」


 ノルトは黙って複雑そうな顔になった。


「セネカ、生きて帰ってこいよ」


「ノルトも無理しないようにね」


 ふと思いついて、セネカは片手を大きく引いた。

 それをノルトに向かって強く振ると手が当たり、大きな音が鳴った。

 あの頃、毎日を共に過ごした記憶はこういうところにも残っている。


 手は痛かったはずだけれど、お互いに平気な顔をして、そしてセネカは戻ることにした。

 途中、何か言いたそうな顔で笑っているピケとミッツにも声をかける。


「ピケ、ミッツ。街のことをお願いね。それと、ノルトのことも」


「ああ! 任せてよ!」


「セネカも気をつけてね! ルキウスによろしく!」


 セネカは強く頷いて、みんなのいるところに戻っていった。

 振り返る必要はもうなかった。





 グラディウスは机に拳を叩きつけた。

 想像以上に痛くて冷静になる。


「泥にまみれた奴等だと思っていたが、性根まで泥でできているとは思わんかったわ!」


 グラディウスは今、自宅の私室にいる。教会騎士団の動きに違和感を持って調査をしていたのだが、ようやくその原因を突き止めた。


「まさかバエティカでもスタンピードが起きそうになっているとはな」


 それは驚くべき情報だった。


 いまは各地で大型の魔物が出現しており、王国騎士団は出払っているそうだ。そこで各所から教会騎士団に騎士を迅速に派遣して欲しいと要請が来たのだが、教会は最高戦力である第一騎士団や総団長の派遣を見送ったのだ。


 もちろんすでに移動を始めている騎士たちは優秀で実力も申し分ないが、移動手段が限られている。


 いくつかの高速移動手段の使用や総団長の出撃には教皇の命令が必要なのだが、いまは空位ということで、誰もその指令を出さなかった。


 あり得ないことだった。いくらこれから教皇選が行われるからといっても指揮系統は保たれているはずだし、緊急対応時の動きは決められている。それが働かないということは教会という組織の構造が完全に壊れてしまったことを意味している。


 グラディウスが何よりも許せなかったのは、教皇代理として命令することが選考の評価のように使われ、政治の駆け引きになっているように見えることだ。


「民のことをなんだと思っている!」


 グラディウスは歯を食いしばりながら目をつぶる。また歯が抜けてしまいそうだが、構っている場合ではない。


 どこかから湧き上がってきた熱いものに巻き込まれないように心を鎮める。

 酷く冷たいものを想像しながら、一つの決断を下す。


 グラディウスは立ち上がって、できるだけ上等な羊皮紙を取り出す。冷静さを意識して、明確で弁明しようのない言葉を記す。


 その作業が終われば、今度は衣装棚の奥から古びた服を取り出す。その服は碧く、神聖さを象徴している。


 もう袖を通すことはないと思っていたけれど捨てることはできなかった。この服に至る過程で助けてくれた人たちの想いが込められていると思っていたからだ。


 グラディウスは部屋の中でもう一度だけ立ちどまる。

 自分の考えに筋は通っているのだろうかと自問する。


 自分は良くとも家族は? 氏族は?

 支援をしてくれた人、している人たちは?

 それ以外の思いつく人々に誇れることを自分はしようとしているのだろうか。


「分からん!」


 完璧に分かることはないだろう。

 その答えを知ることができるかも分からない。

 だが、動く価値はある。


 グラディウスは部屋を出た。

 そして家を進み、何の合図もせずに息子の書斎に入った。


「父さん?」


 クラッススはグラディウスの姿を見て驚いていた。

 だが、すぐにその意味を察し、険しい顔になった。


「行くおつもりですか?」


 グラディウスは答えなかった。

 先ほど書いた羊皮紙を出し、目で受け取るように促す。


「何か問題が起きたら、その書類を出し、わしはすでに離籍していると言え。もう片方は遺書の修正と氏族長の委譲について書かれておる」


 クラッススは寂しげな顔をした後で、すぐに男らしい顔になった。教会では冴えないふりをして『古本屋』などと揶揄されているが、後釜を任せることに憂いはなかった。


「止めましょうか?」


 クラッススは震えた声で言った。

 グラディウスは大きく首を横に振った。


「それでは、この書類を使わなくて良くなるように祈っておきます」


 クラッススはそんな風に言ってのけた。


 おそらくこれから何らかの根回しでもして、問題を潰そうと動くのだろう。

 祈るなんて言いながら都合の良いことを求めないところは、誰に似たのだろうか。


「今日は家に誰もいませんが……」


 息子の嫁も孫も家にはいないようだった。

 それはそれで都合が良かったかもしれない。


「決意が鈍るからそれで良い」


 グラディウスはクラッススを見た。

 立派になった。自分は老人で、息子は若者ではない。


 何か言ってやろうと思ったけれど、思い当たることが多すぎて褒める言葉は出てこなかった。


「いつかお前と食べた氷菓子はうまかったのう……」


 それは目の前のクラッススがまだ子供で、他の信徒の子供達とうまく馴染めなかった頃の思い出だった。


 グラディウスは繊細な神経の子供ではなかったのでクラッススの気持ちをあんまり分かってやることはできなかった。だから、せめてもの代わりとして一緒に氷菓子を食べに行っていたのだ。


 いま思えば、あの時間に自分は親なのだという自覚が芽生えたのかもしれない。


「また行きましょう。じじいとおっさんの気持ち悪い組み合わせですがね」


「あぁ、気持ち悪いな」


 グラディウスはこのまま笑って話を続けたかった。

 息子の嫁が帰ってきて、孫が帰ってきて、みんなでもう一人の孫が帰ってくるのを待つのだ。

 しかし、その孫はいま命を賭けて民のために立ちあがろうとしていた。


 それ以上何も言わずにグラディウスは立ち去った。

 向かうは教会騎士団の駐屯地だ。

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