第349話:若き冒険者の咆哮

 バエティカの街の広場で、ジャムスは金に近い髪色の女の話を聞いていた。


「いまバエティカは危機に瀕しています」


 女の声が響く。高いのに耳障りではなくて、聞き心地が良かった。


「ベレッタ山の奥にオークキングが出現しました。街を取り囲めるほどのオークに加え、バエット山林中の魔物が殺気立ち、今にも襲いかかってきそうです」


 女は装備を着けている。革鎧は上等で、腰につけた剣も鞘を見るに高そうだ。弓まで背負っている。


 格好は戦いにこれから向かうものだけれど、ジャムスにはそれがすごく不釣り合いに見えた。


「王都からの応援は遅れています。こういう危機が発生すると王国騎士団や教会騎士団が即日派遣され、次の日には駆けつけてくれますが、到着が遅れています」


 ジャムスの胸はぎゅっとなった。そういう噂は聞いていたけれど、どうやら本当だったらしいと分かった。


 事態の大きさを知らなかった人もいるのか、広場の外側の方からは慌てるような声も聞こえてくる。


「この戦いは普段皆さんが聞くスタンピードの戦いとは違っています。都市トリアスの国家存亡級のスタンピードの時でさえ、戦いの中心にいたのは冒険者達で、街の方達にお願いしたことは、多くはありませんでした」


 不安の声が大きくなる。

 ジャムスも漠然と『何とかしなければ』と思った。


 女は高いところから人々の様子を見回している。


「あたしは隣町のルシタニアで生まれました。冒険者に憧れて、スキルを得てからは依頼の多いバエティカに移ってきました」


 ジャムスは知らぬ間に頷いていた。この街はルシタニアほど栄えてはいないが、自然も多く、周辺地域から冒険者が集まってくるのだ。


「バエティカにいたのは決して長い時間ではありませんでしたが、ここでの生活を忘れたことはありません」


 ジャムスの記憶によれば、彼女は自分の何個か年上なだけのはずだ。それなのにすごく大人であるように見えてきた。『月下の誓い』の同期だという先輩達よりもずっとだ。


「鉄級だった時、あたしは毎日コボルトを狩りました。ズタズタになった皮を売ってお金を稼ぎ、生臭い血を川で清めてから街に戻っていました。この街では安くお風呂に入れることが救いだけれど、ご飯とお風呂のどっちを優先するか迷うことも多かったです」


 ジャムスは腕を組んだ。街に来たての頃はジャムスも同じ状況だった。大抵はお風呂よりはご飯の量を優先して、先輩に清潔にしろと怒られたこともあった。


 ちなみにバエティカはお風呂のことがあって女性冒険者が多いと言われている。そういう意味でも冒険者が集まりやすくなっているのだ。


「少しお金があるときには『クルール食堂』に行きました。パンにチーズを付けて、ボアの荒煮を注文することを楽しみに街に帰った日もあります」


 それも全く同じだった。『クルール食堂』は大衆向けの店だけれど、駆け出しの冒険者にはちょっと高いのだ。


 先輩に初めて店に連れてもらっていった時のことを思い出していると「マイオルちゃーん!」という声が聞こえてきた。


 これはもしかして『クルール食堂』の主人の声だろうか。寡黙で頑固な印象だが、声に聞き覚えがあった。


 ジャムスはやはりあれがパーティーリーダーのマイオルなのだなと考えていた。話に聞いていたよりも背が高くて、手足がすらっと伸びている。もっと溌剌としていると思っていたけれど、今は凛とした姿だ。


「他にも沢山の思い出があります。市場で安布を買って繕ってばかりいましたし、甘いものが食べたいと山に行ったけれど見つからず、ただお腹を減らしただけで帰ってくることもありました。門番のヤダルおじさんに焼いた椎の実をもらって慰められたこともあります」


 彼女が話すことは、この街に来た者なら誰もが体験するようなことだった。冒険者だけではなくて、街の住人も「分かる分かる」と言っている。


「いまバエティカは危機に瀕しています。これは街が壊されそうだということではなくて、あたし達の思い出や生活が壊れそうだということを意味しています」


 ジャムスはつい周囲にいる仲間たちと顔を見合わせた。すぐ隣にいたパーティも、ちゃんと話したことはないけれどギルドで何度も会ったことがある。


「兵士には戦う力があります。商人には物を適切な場所に届ける力があります。料理人は美味しいものを、主婦には家庭を守る力があります」


 ジャムスは広場の外側にいる人々を見つめた。知らない人ばかりだけれど、それぞれ何処かで働いている人ばかりだろう。


 マイオルが教会の人々のいる方を向くのが見えた。


「これらの力は女神アターナーに授けられたスキルが源になっています。そのような意味で、ここにいるすべての人々は、信仰に関わらず女神の使徒と言うことができます」


 遠くでよく見えないが、袖で目を覆っている人が何人もいるようだった。


「都市トリアスのスタンピードは、王国の歴史に残るほどの大規模な災害になる可能性がありました。少なくない方が犠牲になり、追悼祭には多くの人々が集まりました」


 マイオルの声は小さく切なく響いた。


「皆さんのお力が必要です。真っ先に思い浮かぶような大事な人たちを助けるために、よく知らないけれど毎日を懸命に生きる人たちを助けるために、そして街の過去と未来を担うすべての人の心を守るために!」


 ジャムスはマイオルをまっすぐに見つめた。

 ゆっくりと広場を見つめる彼女と目が合った。


「王都から援軍が来ない? 教会からの連絡が途絶えた? そんなことは関係ありません! この街には力がある。あなたがここにいる!」


 ジャムスは自分が涙を流していることに気が付いた。それは溶岩みたいに熱かった。


「街に思い入れのない方もいると思います。そんな方はせめて自分のために戦って欲しいと思っています。犠牲をなくすために命を大事にしてください」


 そこにいたのはただの少女ではなかった。ジャムスはよく知らなかったけれど、きっと英雄とはこういう人たちのことを言うんだと確信した。


「都市トリアスでのスタンピードが、なぜ食い止められたのか、皆さんは知っていますか?」


 そして英雄は不敵に笑った。

 自信満々に目を輝かせて。


「あたしたち『月下の誓い』がその兆候をいち早く捉え、魔物の将を討伐したからです!」


 それは不思議な声だった。

 さっきまでの重苦しい空気や不安が何処かに飛んでしまった。


「敵に最後の一撃を加えたセネカとルキウスがここにいます! 二人は金級冒険者になりました」


 男女二人が大きく手を挙げた。

 ジャムスもなぜか手を振ってしまった。


「あたしたちがオークキングを倒します! 必ず倒します!」


 六人の男女の顔付きが大きく変わった。

 全員がとてつもなく強そうだ。


「これは誰かの戦いではありません。あたしたちの戦いです!」


 ジャムスは思いっきり拳を握った。


「勝つぞ!!!」


「おぉ!!!」


 ジャムスは声が枯れるほど大きな声を出して、腕を天に突き上げた。


 誰も彼もが泣いていて、肩を叩き合いながら「頑張ろう!」とお互いを称え合った。


 気が付けばジャムスの不満は消えてなくなっていた。

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