第264話:樹龍の愛し子
早朝、プラウティアは目覚めた。
今日は樹龍の住処に向かって出発する日だ。もう帰って来れないのだとしたら、家族と会うのは今日が最後になる。
これまでに冒険をしてきて、死の恐怖がなかった訳ではない。危ない場面を思い出して眠れなくなった日もあるし、治った傷が疼く気がしてつらくなったこともある。だけどそれらは一時的で、必ず超えて来た。
「それと何が違うんだろう……」
冒険者をしていれば、何気ない時間が最後になる恐れがあるのは当然だ。打ち所が悪かったり、足を滑らせたりすれば命を失う可能性がある。
そんなことは分かっていて、もう身に染みていると思っていたのだけれど、プラウティアは樹龍に会うのが怖かった。
自分のことだけではない。この世界が根底から覆されて、違うものになってしまうのではないかという考えが頭に浮かんできて、しつこくこびりついている。
「世界が変わる」
それは、大陸中の植物が変化してしまうといった物理的な変化も含んでいるのだけれど、精神的なことかもしれないとプラウティアは思っていた。
視点が変われば想いが変わるように、価値観が変われば世界は変わって見える。樹龍と出会うことでそんな変化が起きるのではないかとプラウティアは予感していた。
儀式の準備は整っている。万端とは言えないが、限られた時間の中で出来るだけのことをして来た。あとは目的地まで行って、本番を迎えるだけだ。
儀式中の動きは決まっている。文字のみで書かれた部分がほとんどなので、再現できているのかは分からないけれど、それぞれの動作に込められた意味については完全に頭に入れた。
これまでにやったことのない動きも多かったので苦戦したが、今後の戦闘に活かせる部分がある気がして熱心に取り組むことができた。
みんなが必死に訓練をしているのはわかっていたので、プラウティアも置いていかれないように活かせる部分を考えたけれど、思いつくのはそれくらいだった。
「やれることをやる」
プラウティアは口に出してみた。
荷物を確認し、衣服を整えた後、出発の時間がやって来た。
家からゆっくりと歩き、シルバの森に向かう。森に入るのは、家族では父と母だけだ。それ以外のみんなとはそこでお別れし、森で待っているセネカ達と合流することになっている。
家族たちはみんな口数が少ない。気丈に振る舞ってくれているが、なんと言葉をかけたら良いのか分からないのだろう。だけど姉や兄に弟はしきりに手を当ててくれて、気遣っていることだけはよく伝わっていた。
死んでしまえばこの温かさを感じることができなくなる。積極的には会わなくなっていた家族たちをこんなに愛おしく感じるのは、特殊な状況だからなのだろうか。プラウティアには分からなかった。
プラウティアが儀式を行うことになったのは、昔々にヘルバ氏族の先祖が樹龍と仲良くなったからだ。
元から祭祀を執り行う家柄だったらしいが、そこの娘が特別に樹龍と仲良くなり、大きな加護を授かったことが全ての始まりだ。
古代の話になるので、その娘の名前は分からなくなってしまったようだとプラウティアは父から聞いていた。
残存する文書を読んでいると、彼女を表現する言葉がたくさん出てくる。その中でプラウティアが気に入っている表現があった。
『樹龍の
人智を越えた力を持つ神の御使。樹龍に気に入られ、絶大な加護を授かった女性がどんな人だったのか。興味がない訳ではなかった。
何の因果かプラウティアはその人の血を受け継いでいて、そして脈々と受け継がれて来た儀式を執り行おうとしている。
供物となるのか、恵みとなるのか……。何も分からないけれど、プラウティアは一歩踏み出すと決めたのだった。
◆
セネカはシルバ大森林の入り口で、プラウティアが家族と話しているのを見ていた。
これからセネカたちはプラウティアと共に樹龍の元へ向かう。儀式で何が起きるか分かっておらず、プラウティアの身に危険が及ぶ可能性があるため、これが家族で過ごす最後の時間になるかもしれないのだ。
それぞれがプラウティアに声をかけて、頭を撫でたり、抱きしめたりしている。その姿を見て、セネカは目に涙が溜まってくるのを感じた。
プラウティアとそれを取り巻く状況の残酷さやそれでも前に進もうとする勇気に心が動いたというのが一番の理由だけれど、それ以外にも、記憶の奥底にしまっておいたものが疼いたのが原因だとセネカは理解していた。
両親がオークキングと戦いに行く前、セネカにもあんなふれあいの時間があったのだ。そう、間違いなくあったのだが、その詳細を思い出すことはもうできなかった。
あの時の記憶はおぼろげだ。それなのに心の奥にはしっかりと刻まれていて、いまを形作っている。
もしあの時、もっと状況を理解できていたら。せめて自分たちのために両親が命を賭けようとしているのだと分かっていたら……。
幼すぎた自分に理解することなんてできなかったとセネカは分かっているけれど、そう考えてしまう時もあるのだ。
自分たちはただ両親の幻影を追っているだけなのではないかと思うこともある。心の中で作り上げた理想を押し付けて、過去に縋っているのかもしれなかった。
ほんの少しだけ、小指の爪の先の半分の半分くらいだけれど、セネカはいま目の前に広がる光景が羨ましかった。
「今ぐらい大人だったら忘れなかったのに……」
その声は音にならなかった。ただの風になって誰に知られることもなく消えていくだけだ。
そのはずだったのだけれど……。
セネカの頭の上に手が乗った。肩にも手が触れ、背中もちょっとだけ押された。
そこにはルキウスがいた。マイオルがいた。キトがいた。
誰も言葉を発さなかったけれど、必要ないとセネカは笑った。この涙は試練を超えた時のために取っておこう。
「みんなでプラウティアを守ろう!」
さっきまで胸に詰まっていた何かは消えていた。
みんなで進み、儀式を見守り、プラウティアを守る。それだけのことを純粋に考えられる。
これからもきっと迷うと思うけれど、その度に止まってまた歩き出せば良い。そんな確信が芽生えて来た。
涙でぐしゃぐしゃになったプラウティアがこちらにやってくる。
「キト、それじゃあ行ってくるね」
キトは護衛団ではないのでここまでお別れになる。家族と幼馴染という違いはあるけれど、さっきのプラウティアたちと構図は変わらない。
「セネちゃん、元気に帰ってくるんでしょ? 相手が何だったとしても!」
「うん、そうだよ」
セネカはマイオルの肩を叩いてから精一杯笑った。
「龍を倒して英雄になる!」
ヘルバの人たちには聞こえないように小声で叫んでみた。
「それはあたしの台詞でしょうが!!」
そんな風に笑っていると何故か周りにいたニーナたちも笑っていた。ぐしゃぐしゃのプラウティアも、笑みを我慢できないみたいだった。
「世界を変えに行きましょう!」
プラウティアが声を上げた。言葉の意味は分からなかったけれど、セネカたちは拳を握りしめて空に掲げた。
「変えに行こう!」
セネカたちは大きく一歩踏み出した。
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