第263話:息吹

 しばしの休憩をとった後、セネカ達はレオニダスとの訓練を始めることになった。


 もう深夜だと思うけれど、月が大きく顔を出していて比較的明るい。月詠の日が近いからだけれど、今年は例年よりも光が強いらしい。樹龍が目覚めることと関係があるのだろうか。


 考え事をしながらセネカはキトのポーションを飲み、魔力を回復させるとレオニダスの声が聞こえて来た。レオニダスはいつの間にか離れた場所に移動している。


「それじゃあ、これから技を出す。全力で防御しろ」


 レオニダスはゆっくりと大剣を構えた。何処か禍々しい気配が漂って来たようにセネカは感じた。


「挑発ではなく真面目な忠告だが、まずは強固な防御壁を構築した方が良い。そして残る力を全て賭けて身体を守ってくれ。……じゃないと死ぬぞ」


 セネカはルキウスと顔を見合わせて頷いた。レオニダスの言葉が本当だろうと思ったのだ。


 セネカは出来る限り多くの[まち針]をレオニダスとの間に固定し、魔力糸を絡ませた。回避が主体のセネカができるのはこれくらいのことだ。


 ルキウスはかなりの魔力を込めて、[まち針]の手前側に分厚い魔力壁を出現させた。そして身体中に魔力を流し、セネカの前に立った。


「……それならおそらく大丈夫だろう。だが、力を抜くんじゃないぞ?」


 レオニダスは大剣を大きく振りかぶって静止した。


 前回の訓練の時、レオニダスがゆっくり力を溜める場面など一度もなかった。それでも圧倒的な力を感じたが、さらに上があるのだろうか。


 じっと見つめているとレオニダスの身体から赤い揺らめきが生じた。濃密な力が漏れ出し、威圧的な空気が広がってゆく。


 レオニダスがゆっくりと剣を動かすのが見える。すると、地面の砂が巻き上がって剣に集まっていった。セネカには剣が少しだけ膨らんだように見えた。


「[剣の息吹]」


 レオニダスが剣を振った瞬間、刀身から力の塊が放たれた。それは輝きを伴い、圧倒的な速度でやってくる。


 セネカは瞬時に[まち針]に魔力を送った。だが、それも虚しく力に飲み込まれた。


 攻撃はルキウスの防御壁に当たって少しだけ止まったけれど、何もなかったかのようにセネカ達の目の前に現れた。


「[鎧]!」


 ルキウスの防御スキルが発動した。セネカもその身に宿る全ての魔力を動員して衝撃に備える。


 気がついた時、セネカは宙を舞っていた。枯れ葉のように、端切れのように、その力に抵抗することはできなかった。


「べちゃっ!」


 セネカはそのまま地面に落ちたが何とか受け身を取ることはできた。身体中に痛みはあるけれど動けないほどではない。


「いやぁ、手を抜いてたら本当に死んでたかもね!」


 横からルキウスの元気な声が聞こえて来た。ルキウスも無事だったようだ。


「ねぇ、セネカ。あれ多分衝撃を与えないように入念に調整されていたよね?」


「うん。速度に対して不自然な点がいくつかあった。普通はまともに当たっちゃだめな技なんだと思う」


「そうだよね! 僕もそう思った」


 初めて見る種類の攻撃だったので自然と口数が多くなる。無事だったので賞賛の気持ちを何とか表現したい。


「……今日はこの技をあと二回使うことができる」


 遠くからレオニダスの声が聞こえて来た。かなり飛ばされたようなので走って近づいてゆく。


「この技は[剣の息吹]。剣が生きているかのように空気を吸って吐き出す技だ。溜めが必要だが中々の威力だっただろう?」


 レオニダスは少し笑っている。


「技の威力も効果も龍の息吹にそっくりだ。それを知っていたからアッタロスは俺に依頼をして来たのだろうな」


 笑みを深くした後で、レオニダスは厳しい顔になった。


「俺は中級龍と戦ったことがある。その時はやり過ごすだけで精一杯で、人間が敵う相手じゃないと思った。奴らの息吹はこんなものじゃなかったぞ」


 よく見るとレオニダスの目は優しくて、声色も安心感のあるものだった。


「上級龍はその上の存在だ。会うことも難しく、この世界の頂点の力を持っている。勝敗以前に戦う存在じゃないんだ」


 きっとレオニダスは全てを分かっているのだろうなとセネカは感じた。


 守るべき仲間がいるのなら相手が強大でも逃げ出すわけには行かない。強大すぎるというのが今回の問題ではあるのだけれど……。


「レオニダスさん。私の理想の剣士は逃げないよ?」


「こうなったらもう自分から試練に飛び込むしかないなぁって思っちゃっているんですよね」


 そんな言葉を聞いて、レオニダスは寂しそうでありながらも少しだけ嬉しそうな表情になった。


「……分かっている。だからここに来たのだ。龍が遊んで吐いた息くらいで死ぬことがないようにな」


 セネカはもう一度[まち針]を宙に固定した。そして魔力ポーションを飲んでから針刀を構える。


 これは攻撃するためではなくて、今の心を示すためのものだ。


「龍の息吹には種類がある。火龍であれば火を吹くだろうし、氷や空気を圧縮して放つものもいる。だが、大事なのは種類ではない」


 ルキウスが隣に立っている。魔力を込めた剣を片手にじっと構えている。


「重要なのはその性質だ。体感して分かったかもしれないが、龍の息吹は暴れる。込められた力の強さ以上に圧力を発し、防御を困難にする」


 レオニダスは再び大剣を振りかぶった。


「出力を上げる。……生き残れ」


 そして気がついた時には、セネカはまた吹き飛ばされていた。





 セネカはよたよたと歩いている。

 レオニダスは先に帰ってしまったので、いまはルキウスと二人だ。


 身体が限界を迎えているため、回復するまではとりあえず徒歩で帰ることになっている。


「……ルキウス、すごかったね!」


「うん! ほんの少しだけれど身体が慣れた気がするよ。あんな技もあるなんてね」


 身体の動きに反してセネカは元気だった。レオニダスにとびきりのものを見せてもらえたので嬉しいのだ。


「[剣の息吹]だって! 格好良かったよね」


「いやぁ、本当にね。剣が膨らんだ時は見間違いかと思ったけれど、まさか周りの空気を吸い込むだなんてね!」


「三回目になってやっとレオニダスさんの言っていたことが分かったね。手応えがおかしかった」


「そうだね。最初は単に弾かれたように思ってだんだけれど、それだけじゃなさそうだったよね。干渉しずらい感じっていうか……」


 セネカは空を眺めた。改めて見ても今日は月が綺麗だった。おかげで夜にしてはレオニダスの動きがよく見えた。


「うん。技そのものに抵抗力があるかのようだった。もしかしたらだけど、龍自体にそういう性質があるかもしれないよね」


 セネカは青き龍と戦った時のことを思い出す。攻撃するのに骨が折れたけれど、それが単純に硬かったのか特有の性質によるものかはもう分からなかった。


「そもそもの力の差があるから分からないね。だけど、ルキウスの言う通りだとしたら私の[まち針]みたいな性質があるのかもね」


 セネカは足元に[まち針]を出した。空中散歩をしようと思って出したのだが、足を上げるとつらかったのでやめることにした。


「これまでとは全く違う相手だと思った方が良さそうだよね。その辺の魔物を何倍も強くしたものとは違う領域にいるのかもしれない」


「量が違うだけで異質に見えるものだけれど、きっとそれだけじゃないだろうね。だって『神の遣い』なんだから」


 セネカはあえてその言葉を使った。ルキウスは聖者というだけでそう呼ばれるのを嫌がっている。だが龍には相応しいだろう。


「あちらは僕とは違って本物だからね。ただ単に力が強くて防御が高くて大きいだけでも大変なのになぁ」


 ルキウスは歩くのをやめた。そして両手をパタパタと振った。


「何してるの?」


「……マイオルが見るには離れすぎてるよね。でも何かの間違いで近くに来てたりしないかなって思ってさ」


 セネカも立ち止まった。そのまま腰を下ろしてしまおうと考える。ルキウスもじっと地面を見ていた。


「やっぱり歩く意味ってないよね」


「うん、ないと思うよ。どうせ元気になるまで走れないんだったら休んだ方が良いんじゃないかな」


「だよねー!」


 セネカは飛び跳ねようとしたけれど、軽く屈んだところで踏みとどまった。いまそれをすると良くない気がしたのだ。


 気持ちは晴れやかだ。月が綺麗で、ルキウスがいて、すごくゆっくりだけれど、みんながいる場所に帰ろうとしている。


 龍祀りゅうしの儀が近づいている。きっと明確な答えは出てこないけれど、最善を尽くす。そう考えて、今日のところは休息を取ることにした。


「荒野っていいね。あんまり虫がいなさそうだから寝やすいよ」


「その分、寒くなりそうだけれどね」


「そうしたら一緒にあったまろうよ。いまは二人もいるんだからさ」


「そうだね!」


 そうしてしばらく休んでからセネカ達は拠点に帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る