第232話:真っ赤な空
ファビウス達『羅針盤』は、教会第三騎士団の実力者であるセルウィクスとネポスと対峙していた。
彼らは二人共がレベル4だが、レベル3が五人揃うこのパーティであれば勝機が全くないわけではない。だが、いまファビウス達が目指しているのは単純な勝利ではなかった。
周囲にはプルケルの[雷装結界]が発生している。この能力はプルケルの奥の手の一つで、結界中での彼の能力に大きな補正がかかる。それに加えて今は[帯雷]も使用しているので、まさに雷のような速度で動き、敵を攻撃することができるのだ。
結界の中には雷の粒子のようなものが浮かんでおり、プルケル以外の人間が入ると軽微な損傷を受ける。我慢できるほどではあるものの、長時間は居たくないと思うようなものだ。
実際敵の二人は顔をしかめていて、一層不機嫌そうな表情になっている。こんなもので乱れるような相手ではないが、文字通り嫌がらせにはなる。
そんな彼らとは対照的にファビウスは場の影響を受けていない。それは身体を纏う青い光のおかげだ。
ちらっとニーナの方を見ると同じ光が身体を包んでいる。すでに彼女が受けた傷は癒えており、闘気の使いすぎで消耗してはいそうだけれど、それ以外は万全に見える。
「ありがとう。メネニア」
ファビウスは前を向いて円盾を構える。そろそろプルケルの猛烈な攻撃が始まるため、そのわずかな隙を見て、ニーナと攻撃を重ねることになる。
「やっぱ二人がいると心強さが違うなぁ……」
雷音を放ちながら動き出すプルケルを見て、ファビウスも駆け出した。
◆
メネニアは緊迫した状況の中で、ひっそりと魔法を行使していた。
表面的にはいつものように後方から【回復魔法】で治癒をしているし、[防御膜]を使って時に攻撃を防いでもいる。けれど、実はこの支援の頻度は普段よりもかなり低く、魔法に込められた魔力量や回復の精度はメネニアにしては貧相なものだった。
回復術師と言ってもさまざまな種類の人がいる。冒険者の中には魔力効率を高めるために一度で治癒効果の高い魔法を使いたがる者もいるし、範囲回復が得意という者もいる。
そんな中で、メネニアの特徴は高い頻度での回復と補助にあった。パーティメンバーに対してこまめに回復を行いながらも、圧倒的な魔力効率によって高い継戦能力を維持することができる。
回復術師としての特徴的な振る舞いや努力に対する姿勢からメネニアはいつしか『不断』と呼ばれるようになった。
魔力効率の良さから彼女は他の回復魔法の使い手からよく質問を受ける。だが、メネニアが答えると、多くの者は二つの驚きを感じることになる。
一つ目は、メネニアが回復術の基本であるとされる信仰を全く持っていないためだ。回復術はその工程の複雑さから、「傷が治ることを願う術だ」と言われることがある。しかし、メネニアにとって回復魔法は、理論で成り立つものであり、そこには彼女なりの理屈がある。
二つ目の驚きは、その魔法理論を聞いても全く理解できないために生じる。回復に関する魔法を持つ者であれば、ある程度の魔法理論は身につけていることが多い。しかし、メネニアの魔法理論は非常に高度であり、一般的な冒険者や聖職者が理解できるものではない。
余談だが、王立冒険者学校のメネニアの同期の魔法使いたちは、他の学年と比べると突出して魔法理論に詳しい。というのも魔法系スキルを持っていないのに何故か魔法が使えるセネカという存在がいて、彼女が非常に魔法理論に詳しかったからだ。本職の学生たち負けるわけにはいかないので全員奮起していた。その結果、類を見ないほどの好成績を修めた魔法使いが多かった。
そんなメネニアが今は回復の頻度を限界まで下げて、敵に気付かれないように別の魔法を構築している。
これは並大抵の所業ではなく、メネニアは脳を捻られながら魔法を使わされているような感覚に陥っていた。魔法の広範化と物質化を補助するドルシーラ謹製の杖がなかったらもう既に作戦は破綻しているだろう。
あまり構築が遅れると時間が来てしまうが、早すぎると今度は敵に気付かれやすくなるし、回復がおろそかになる。急かされながら冷静でもあるべき状況が続いて、メネニアは変になりそうだった。だが、そんなメネニアの隣には、同じような作業を平然とこなす魔法使いがいる。それはストローだ。
ストロー・アエディス。スキル【地魔法】を持つ魔法使いで、黄金世代と言われた同期の中でも突出した力を持つ特待生の一人だ。
セネカ、マイオル、プルケル、ニーナ、ストロー……。抜きん出た実力を持つ五人の中で、ストローは唯一の魔法使いだ。冒険者学校には様々な魔法使いが在籍していたけれど、誰が一番かと言われたらメネニアは真っ先にストローの名前を挙げるだろう。
もちろん威力だけで言えばガイア、構築の速さならクロエリアなど、尖った能力の者もいた。しかし、威力、技術力、応用力、理論等々を総合的に見ると、全てが高水準なのがストローだ。小技から大技まで余念がなく、難しいことを簡単にやってのけるのだ。
「メネニア、多分そろそろだ」
四苦八苦しながら大規模な魔法の構築を続けているとストローが呟いた。メネニアにしか聞こえないような声量だ。
メネニアは「分かった」と返事をした。
前衛の戦いはいつの間にかこちらが劣勢になっている。序盤こそプルケルの[雷装結界]の力で押すことができたが、敵はどんどん対応力を増し、燃料切れが近いのもあって今では追い詰められている。
メネニアは一度全員に強い魔法をかけることにした。ストローの言葉が正しければこれ以降は魔法を行使することができない。
ストローも強めに魔法を撃っている。多数の岩の弾の中に一つだけ金属のように光る物が混じっていた。あれが落ちた場所が境界になるのだ。
攻撃の最中にセルウィクスとネポスが鋭い目で睨んでくる。こちらが何かをしようとしていることはバレているだろう。だが、この作戦が彼らに読めるだろうか。
利はこちらにある。何故ならメネニア達は盤面全体を観察できる目を持っているのだから……。
プルケル、ファビウス、ニーナは力を振り絞って敵に対している。ニーナは[空中機動]や[閃槌]を駆使して、敵を撹乱させることに全力を注いでいるようだ。
緊張感が高まる。今か今かとその瞬間が待ち遠しい。
自分たちの攻撃は成功するだろうか。マイオルの作戦は通用するだろうか……。
メネニアがそう考えたとき、空に向けて魔法が打ち上がり、大きく広がった。
辺り一帯の空が真っ赤に染まる。
さすがのセルウィクス達も防御態勢を取りながら空を見ている。
これはガイアの【砲撃魔法】だ。
威力はほとんどないが、赤に色づいた魔力を全力で拡散している。
目的は二つ。
飛翔体の隠蔽と空への注意の引き付けだ。
「[土石流]!」
ストローが魔法を発動する。「ドドドド」という音と共にどこからともなく土砂が降り注ぐ。虚を突かれたようだが、セルウィクスとネポスはその攻撃を大きく回避した。
プルケル、ファビウス、ニーナが力を振り絞り、敵に向かっていく。
その様子を見ながらメネニアは身体中の魔力を注ぎ込み、構築していた魔法を完成させた。見た目には何の変化もないが、地表近くに物質化した魔力の足場ができているのだ。
「甘い……甘いぞ!」
セルウィクスの声が聞こえてくる。一時的には気を逸らされたようだが、すぐ我に返ってこちらの攻撃を凌いでいる。
「狙いは悪くなかった。土の魔法も強力だったが、空の違和感が逆に俺たちを警戒させてしまったな」
ニーナは闘気を溜めている。あの攻撃をすれば、ニーナはしばらく使い物にならないだろう。それだけの力が込められている。
敵をその場に留めるために全員で動く。ニーナが最後の攻撃を放てば、全てが完成する。
「……[インパクト]」
ニーナは地面に槌を打ちつけた。ストローがつけた印のきっちり手前だ。
ファビウスとプルケルは後退し、こちらに戻っている。
衝撃波は真っ直ぐに進み、敵を飲み込もうとしている。
「【光刃術】」
セルウィクスは光る刃によって衝撃波をかき消した。
横に控えるネポスが弓を引き、こちらに攻撃を放とうとしている。
メネニアは先ほど構築した魔法を解除した。
ニーナが槌を叩きつけた先の領域一帯を支えていた魔力の板を全て霧散させる。
すると、セルウィクスとネポスの足元に突然大きな空間が出現した。
「[土石流]」
ストローが再びスキルを発動する。
今度は片手間に出した先ほどの魔法とは威力が桁違いだ。
大量の土砂が出現し、大穴に落ちてゆく二人に降り注ぐ。
先ほどはあったはずの「ドドドド」という音は、今は聞こえてこない。
「大地が大きな変化を起こすとき、何故か人は音がするものだと思っている。だけど静かな魔法もある」
レベル3になったストローはサブスキル[静音]を得た。この力によって、彼は振動をあまり出さずに強力な魔法を行使することができる。静かな地震が突然やってきたらそれは脅威でしかないだろう。
この力を利用して、ストローはバレないように地中に大穴を掘っていた。メネニアは杖の力を借りて仮の足場を作り、大穴の存在を隠蔽した。そして態勢が崩れたところで穴に落としたのだ。
ガイアの魔法で空に注意を向けさせ、魔力が充満していなかったら簡単に気付かれていただろう。それにずっとニーナが地面に槌を叩きつけていたので、無意識のうちに足場の安定性が頭に植え付けられていたはずである。
「ストロー、メネニア。作戦は成功だ。敵の状態は分からないが、すぐに出てくることはないだろう。セネカ達がいる拠点に出発しよう!」
メネニアは頷いた。そして、戦いながらストローが掘った穴の深さと大きさを確認してからその場を離れた。
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