80.本当の貴方


 ……本当に眠ってしまった。

 手から力が抜け、寝息を立て始めたハヤト。私は身体を起こしてじっと彼の寝顔を眺める。

 よく考えてみたら、この人は一昨日からまともに寝ていなかったのだ。そこに慣れないお酒が入れば意識くらい飛んで当然だった。


 無理してたんだね……。


 さらりと黒髪を撫でてみる。

 全く反応しない。余程疲れていたみたいだ。

 体力おばけの超人でも、ちゃんと人間なのよね……。

 何か抱えている事があるのは察しているけど、話してくれないから分からない。

 ……私じゃ力になれないのかな。

“そういう問題じゃないんだよ”って言ってたけど……。どういう事なんだろう。仲間も連れず、私の力も当てにせず、たった一人で出て行って。

 手にしていたものを全て手放して、まるで今生の別れのような事までして――。

 嫌だよ。

 連れて行ってよ。ねえ、一緒に行こう?


 そう伝えたいけど、せっかく眠ったところを起こすのは憚られて彼の横に転がる。

 窓の外に目をやると白くて大きな鳥が横切って行った。

 あら……。夜に飛ぶ鳥なんて珍しい。梟かしら。

 何となく女神様の事を思い出して、目を閉じ、手を組んで心の中で祈りを捧げた。

 女神様、私はどのようにするべきでしょうか。どうかお導き下さい。


 ……こういう時に答えがないのは前世も今生も同じだ。

 目を閉じているうちにウトウトしてきてしまった。泥沼のような眠気に体も意識も沈んでいく。

 私も疲れていたのかな……。ジョージ達が戻ってくるまでは起きていたいのに。

眠っている間に逃げられたら、後悔してもしきれないよ。


 手を伸ばしてハヤトの首の下に腕を差し込んだ。腕枕みたいに両腕でぎゅっと頭を抱き込む。

 こうしておけば、もし彼が起きてもすぐに気付けるはず。


 頭を抱えたまま、抗いがたい眠気に任せて目を閉じた。

 眠りに落ちていく中でふと、仲良くなったばかりの頃に妄想していた“一緒に野営したい”が、思っていたのと違う形で実現しているのに気が付いて少し残念に思った。

 野外じゃないなんて些細な事じゃなくて、もっと根本的な事――もっと能天気に、ドキドキしたりワクワクしたりしたかった。

 こんな不安な気持ちで夢が叶うなんて、想像もしていなかった。


 コンコン、とノックの音がしてパッと目が覚めた。

 どのくらい眠っていたんだろう。腕の中にはちゃんとハヤトの頭がおさまっていて、ホッとしながら体を起こす。

 扉を開くと廊下にはすっかりお酒が回って陽気そのものな三人がいた。憂鬱な気持ちが少し浮上し、救われたような気持ちになる。


「邪魔するぜー。って、ここ俺達の部屋じゃん! ……ん? アリスも寝てたのか?」


「ええ。ちょっと……。私も疲れていたみたいです。今、何時ですか?」


「んーと……三時! おやつの時間!」


 そう言ってケタケタ笑うジョージは酔っ払いそのものだ。

 彼らにハヤトを任せて大丈夫なんだろうか。少し不安になる。


「もう! ジョージそのノリうっざい! ごめんねアリス様、うるさいよね。どうする? 女子部屋に戻れそう?」


 比較的酔いの浅そうなベティが心配そうに声をかけてくる。


「……はい。もう明け方も近いですし、きちんと休みましょう。明日もたくさん動きますから」


「そうだね。……テッド君、ジョージ! 二人とも大丈夫なの!? 明日の朝ちゃんとハヤト君をアリーシャ様に引き渡せる?」


「だーいじょーぶ~」


 あんまり大丈夫そうには見えないけど、ここは二人に任せるしかない。


「……じゃあ、お願いしますね。行きましょう、ベティ」


「うん」


 ベティと一緒に女子部屋へ戻り、眠る支度をしてそれぞれベッドに身を横たえる。


「……ねえ、アリス様。変なこと訊くけどさ。ハヤト君とはどこまでいってるの?」


 唐突に始まる深夜の女子トーク……。

 やはりベティも少し酔っているようだ。訊いてくる内容がちょっと際どい。


「どこまでって、何もないですよ。たまに頬にキスするくらい」


「えー!? うっそ! あれだけイチャついてる上に一緒に暮らしてるのに!? どんだけ奥手なの!?」


「……そういうベティはどうなんですか? 今はお付き合いしてる人、いるんですか?」


「いないよ。あ、でも、テッド君はちょっといいなって思ってる。ワンちゃん達かわいいし」


「あー、かわいいですよね。……って、理由はワンちゃんですか?」


「違うよ! それだけじゃなくて! ……ほら、ワンちゃん達と戯れてるとことか、可愛いじゃん。あんな大きい図体してるくせにさ。優しさが滲み出てるっていうか」


 おお……! これ、ガチなやつじゃ!?


「ふふ、応援しますよ」


「……ありがと。ハヤト君がもらった領地ってリディルだっけ? 私もそこに移住するよ。もう決めたの」


「あ、テッドさん即決でしたものね。ワンちゃん達のためにって」


「そう。だから私も……。って、もう! 恥ずかしいじゃん! これ絶対に本人には言わないでね!?」


「言いませんよ。ニヤニヤする楽しみがなくなっちゃうじゃないですか」


「もー! いじわるー! どうしよう、明日からアリス様にニヤニヤされちゃう~!」


 ベティは枕に顔を押し付けて足をバタバタさせた。

 そしてふっと大人しくなり、寝息を立て始める。電池が切れたような寝付きの良さでちょっと笑ってしまった。


 ……私も寝なくちゃ。

 だけどさっきまで寝ていたからか、それとも不安だからか目が冴えて一向に寝付ける気がしない。

 眠りの魔法を使う手もあるけど、眠るのが怖い。ハヤトが隣にいないと安心して眠れない。


 カーテンの向こう側で少しずつ夜が明けていくのを感じながら、何度も何度も寝返りを打った。

 色々な事をとりとめもなく考えているうちに、先ほどのベティとの会話が頭の中で反芻される。

 みんなでリディルに移住、かぁ……。

 楽しそう。本当にそうなるといいな。

 ……そういえば、この町からさらに南東に進むとリディルに着くんだよね。

 私は通りかかった事くらいしかないけれど、ハヤト達は以前依頼を受けて行ったことがあると言っていた。

 これからもしあの村の近くを通るなら、少し立ち寄ってみたいな……。

 そんな事を考えているうちにようやくウトウトと眠気がやってきた。

 だけどその時、どこからかパタンと扉の閉まる僅かな音がして、弾かれるように飛び起きる。

 時計の針が指すのは五時。まだ夜は明けきっていない。猛烈に嫌な予感がして、慌てて着替えながら窓の外を見る。

 すると旅装姿のハヤトが一人で宿から出て、ひと気のない早朝の町に消えていくのが見えた。

 やっぱり!

 また置いて行かれた……!


 泣きたくなる気持ちを抑え、急いで出立の支度をする。

 ひとまずベティ宛に“ハヤトが出て行ったので追います。通信機を置いていくので、何かあったら連絡ください”と書き置いた。その手紙と一緒に宿賃とここまでの報酬を兼ねた金貨をがっと一掴みテーブルに残して、私も宿を飛び出す。

 まだ彼が出て行ってそんなに時間は経っていない。ひと気がほとんどなくて道の見通しが良いから、全力で走れば追い付くのはきっと不可能じゃない。

 まっすぐな道のずっと向こうに、彼の背中が見えた。


「ハヤト!」


 白み始めた明け方の空、朝靄の立ち込めるオリーブの木の町。

 その外れで彼の名前を叫ぶ。


「置いて行かないで!」


 どうしてか、涙が出てきた。

 貴方の力になるとか。

 一人で危険なところに行かせられないとか。

 私のほうが弱いくせに、一丁前に「心配している。貴方を助けたい」なんて言い続けてきた。

 その気持ちだって嘘じゃない。だけど、私が本当に言いたかったのは――本当の気持ちは、たった一つ。これだけなのだ。


「ねえ、連れて行ってよ!」 


 ハヤトは振り返らないけれど、足は止めてくれている。

 彼の気が変わる前に追い付きたくて、必死になって走った。

 近付くにつれて彼がゆっくりと振り返ってくれるのが見える。

 追い付き、腕を掴んで、息を切らしながら顔を見上げた。


「私と、一緒に行こう?」


 彼は困惑をはっきりとその顔に浮かべ、しばらく何も言わずに黙りこくった後、小さな声で呟いた。


「一緒にって……どこまで……?」


 どこまでって、そんなの決まってる。

 ライバルの多い恋をした時から誰かに刺される覚悟くらい出来ていた。

 例えその相手が女の子じゃなくて強大な魔物だとしても、あの時の気持ちが変わる事はない。


「死ぬまで、一緒に」


 本音をぶちまけると涙が止まらなくなって、駄々っ子みたいにしゃくりあげてしまった。

 ハヤトは恥も外聞もなく泣く私に困っているようだ。少し背をかがめ、顔を覗き込んでくる。


「泣かないで……?」


「うん……、でも、」


 拭っても拭っても涙があふれてくる。止められない。

 私達は朝の早い数人の町の人達から注目を集めてしまい、それに気付いた彼は私の腕を引いて町の外へ向かって歩き出した。引っ張られるまま後ろをついて歩く。

 私、まるで迷子の子供のようだ。情けない。


 そそくさと逃げるように町から出て、草原の中にある横倒しの木の幹に座らされた。彼はその前に膝をつき、ひとしきり感情を発散して涙がおさまってきた私を下から見上げてくる。


「……落ち着いた?」


「はい……。ごめんなさい、泣き落としみたいになっちゃって」


「ううん。謝る必要なんてどこにも無いよ。でもさ……出来ればみんなと一緒に王都に帰ってほしかった」


「どうしてそんな事を言うんですか? もしかしたら力になれる事だってあるかもしれないのに。何も話してくれないから、私達は何も分からないし何も出来ないですよ」


「そうだよね……。ごめん。でも俺も、どう話したらいいか分からないんだ」


 そう言ったきりハヤトは俯いてしまった。

 なんだか思った以上にややこしい背景がありそうだ。返す言葉が見付からなくて、困った末に空を見上げる。

 上空には昨日よりもずっと大きく広がった黒い雲が暗闇を引き連れて町のすぐ近くまで来ていた。

 奇妙なことに、黒い雲のところどころに何かが横切ったみたいな直線の隙間が何本か出来ている。その隙間から朝の光が射し込み、いくつもの光線となって暗い地上を照らして。まるで、地上と天を繋ぐ光の柱が何本も立っているように見えた。

 強大な魔物が作り出したという雲の黒の闇と、朝の光のコントラスト。奇妙ながら美しくもあり、どこか神々しささえ感じる光景。


「……なんだか空が凄いことになってますね……。どうして、黒い雲がところどころ切れているのかしら……」


 何気なく呟いた独り言だったのだけど、ハヤトは思いがけない言葉で返してきた。


「――それはね、女神が邪魔をしたからだよ。イヤになるね。眩しいのが嫌いだからやってるってのにさ」


「え……?」


 視線を下ろすと彼は私と同じように空を見上げ、その赤い目を眩しそうに細めた。


「でも、あんな事を何日も続けていたら俺を取り込もうとする前に弱体化してくれそうだ。守るものがあるって大変だね。自分のためだけに力を使えないなんてさ」


 何を言っているの?

 昨晩と同じ強烈な違和感が再びやってくる。

 この人、誰……?

 彼はじっと空を見つめていた。すると女神様が開けたという穴がみるみるうちに塞がっていき、光の柱は消えて雲の下は真っ暗な夜の世界に閉ざされていく。彼は満足そうに笑みを浮かべた。

 突然の豹変に頭の中が真っ白になる。

 話す内容がおかしいってだけじゃない。顔も声も同じ人のはずなのに、全くの別人を前にしているみたいな違和感がある。

 どうしちゃったの?

 この感じ、前にも……。

 そうだ。マリアみたいだ。

 悪意ある他人から魔力を直接流し込まれて、違う人みたいになってしまったマリア。あの子は聖女みたいになっていたけれど、こっちは――。


 え?

 嘘でしょう?

 貴方が討伐しに行かなくちゃいけない魔物って……もしかして、貴方自身なの?

 え……?

 いつから?


 気付いてしまった彼の事情。心臓がぎゅっと掴まれたように縮む。

 魔物が人間の中に入り込んだという事……?


 ……でも、そんな事って……。

 通常、魔力の塊であるモンスターは、人間に悪影響を与えても利用まではしない。しないと言うか、出来ない。あれは本能的に動く存在でとても動物的なのだ。言葉を話したりもしない。

 仮に乗っ取られたとしても人と同じように振る舞うなんて出来ないはずだ。

 でも、これは。

 動物よりも人間に近い思考能力を持った魔物が現れて、それがハヤトを利用している?

 そんな……、そんな恐ろしい事ってあるの……?

 もしかして、瞳が赤いのも、そのせい?


 一昨日の夜、彼が逃げるようにして王都を出て行ってしまった理由が分かったような気がした。

 さっき、女神に取り込まれるって言ったよね。

それってどういう事……?

 気が付くと、膝の上に置いていた手がカタカタと震えていた。

 その手に彼はそっと自分の手を重ね、優しく握りしめてくる。


「君の気持ちは分かったよ。……とても嬉しい。そこまで言ってくれるなら、いいよ。ここからは一緒に行こう。……どこまでも一緒だ」


 そう言って手を引いて立ち上がらせてくる。

 貴方と一緒に行きたい気持ちは前と少しも変わらない。だけど――貴方は、本当に私が知っている貴方なの?

 急に怖くなってしまい、足がすくむ。


「……どうしたの?」


 不思議そうな顔で見下ろしてくる。私の知っている彼と何の相違もなく、それがかえって違和感を浮き彫りにした。

 彼はいつからそれを内側に宿していたのだろう。

 一昨日の夜、依頼を受けてから?

 ……ううん、黒になるはずの瞳が赤になったのはそれよりずっと前だった。

 でもあの頃はずっと私と一緒にいたから、これほど大変な魔物には遭遇していないはず。

 だとしたら――最初から?

 もしそうなら、私は本来の彼を知らないという事?

 そこまで考えて、いや、それは違う、と打ち消した。

 私やジョージ達に打ち明けられなくて逃げ出したり。

 自分がいなくなった後の人が困らないように身辺を整理したり。

 王都近辺の道を歩く人がモンスターに襲われないように手を加えたり。

 それだけじゃない。妹の懐妊に涙を流したり、孤児院の子供達を家族のように思っていたり、狩りの時に巻き込まれる虫達がかわいそうだからと事前に眠らせて巣に帰したり。

 そんな人が自我を無くしていたなんて事、あるはずがない。

 私が愛した人は、間違いなく本来の彼自身だ。

 心を奮い立たせ、何事もなかったかのように彼に向かって微笑んで見せる。


「……どうもしません。ただ、貴方に会えて良かったと――思っていました」


 貴方が大切にしていたものが何か、私は知っている。

 その大切なものが貴方自身の手で壊れるなんて事、あってはならない。


「そう? ……ありがとう。俺もだよ、アリス」


 微笑み返してくれる彼の髪や瞳は、朝の光を浴びても元に戻る気配はない。それだけ今の彼は魔物の影響を受けているという事だ。

 

 色々な情報を繋ぎ合わせて考えると、女神様は彼が無事に生き残る方向での解決は考えていないと思われる。

“取り込む”ためには彼が犠牲になる必要があるという事だ。

 そんな事、絶対に認められない。

 私は諦めない。

 何としても、彼を取り戻してみせる。




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