第7章 ガブリエルハウンズが見たい



 まったく、アホ師匠め。なにが家庭教師だ。

 とんでもなく、わけのわからないことに俺を巻き込みやがって。

 ワイルドハントのおとぎ話は師匠からだ。

 耳にタコができた話を戦場で蒸し返して、そこにハニガムまで乗ってきて偶然の一致に喜んでいた。あの時はおとぎ話で終わっていた。

 なのに今、おとぎ話じゃないらしいと言いだした。貴族が。

 しかも前世という死生観だけは、いまだ頭に浸透しない。

 戦士は死ねば、冥府に行く。

 最近は戦争もないので、一般人も冥府に行くことになっている。

 大陸から一神聖教が入ってきて、一つの神が人の手で二つに分離した。

 でも相変わらず善人は天界へ、悪人は地獄に行くらしい。善人と悪人の区別を相変わらず冥府がするようになった。

 善人悪人の区別はその場のノリだと師匠がいっていた。

 火を与えることさえ渋り、魔法という知恵を人に与えなかった神に人の善悪を割り切れる道理がない、と。

 人は死んでも生まれ変わって地上に戻さなければ、天界も地獄もいっぱいになる。それはわかる。だが前世の記憶があるというのはどういうことだ。生まれ変わってないということか。


「どお、先生。結論でそう?」

 アルバートが絨毯じゅうたんに寝転んだまま声をかけてきた。

「なぜ、俺を頼った?」

「頼ったのは、ぼくじゃないよ。姉さん。ぶっちゃけると、ぼくはワイルドハントへの復讐は無理だと思ってる」

「どうしてだ」

 いつもほがらかな少年が、静謐な目をして天井を見上げた。

「先生が言った通りさ、奴らの存在はこの世界にとってもおとぎ話なんだ。そのままじゃ先生はもちろん、この世界の王や魔術師、剣士の理解が得られない。一般人がその危機に気づいても、防衛意識が脆弱ぜいじゃくすぎる。王や大臣、司教をワイルドハントに改造された悪霊に乗っ取られたら、国を一夜で滅ぼせる」

あらがうだけ無駄だと?」

「無駄じゃなくて、無理。今の姉さん一人が立ち向かったところで返り討ちだと思ってる」

「アルバート、ひどいです!」

 エレオノーラが憤慨ふんがいしたが、弟は動じなかった。 


「でも、先生みたいなこの世界を多少は知ってて、剣にも魔法にも詳しい大人が味方になってくれればワンチャンあるかなって思ってる」

「アルバートは出かけないのか?」

「ぼくは魂からインドア派なんだ。剣だって造ったことは何百とあるけど、振ったのはまだ二回くらい。ぼくには姉さんの盾にすらなれないのは前世と同じ。だから、先生」

「待て、俺はまだ協力するとは言ってない。まず事実確認だ……支度が必要だな」

「支度?」

「ガブリエルハウンズの現物が見たい。おそらく、行き先は王国東端の自由都市アバディーンだろう」

 先生っ。瞳をうるませるエレオノーラに、俺は手で制して厳しめな目を向けた。

「ここへ雇われる前から、酒場で小耳に挟んでました。ガブリエルハウンズの噂は思ったより広範囲に拡がっているようです。英霊狩りのおとぎ話が実在するなら、後手に回っているかも」

「そっか。ならこの世界、案外もう終わってたりする?」

 アルバートはどこか達観していた。この子は無神論者だ。俺は話を続けた。

「世界は、人の欲望で出来ている。人心は神や悪魔にですら制御できないのに、ワイルドハントだけが制御できるとも思えない。それにこの先、世界が滅びるにしても小旅行するくらいの時間はあるだろう」

「くししっ、かもね」

「それより貴人の馬車外出には護衛が最低六人必要なのが、王国法で決まっているんだ。当然、無断外泊は認められないし、定宿にも泊まらなければならない」

「あー、ね。要するに金、ですか」

「この家は自他共に認められた大富豪だが、君たちが自由に使える金はあるのか?」


「ないよ」アルバートはあっさりと言った。「ぼくだって工房を小さいながらに持たせてもらってるけど、町の鍛冶屋や造船所から廃材もらってきてたり、廃墟を探して錆び釘を集めたりやりくりしてるもの。姉さんは裏庭にアモーつくっちゃったから、向こう三年は書籍の新調はナシ。打開策は、王立魔法学校の受験合格くらいじゃない?」

「では、ハニガム達の給金は?」

「パタットとトマトを売ったお金があります。大した額ではないですけど」

 エレオノーラがしょんぼりと項垂れた。

 笑ってしまいそうなほど面目なさげだったので、つい頭を撫でたくなる。

「この世界を救うべく復讐と正義のどちらを振りかざすにも、金がかかるか」

 とはいえ、俺の自腹の金貨を使うわけにはいかない。日常通貨は銀で、金貨は銀行にいって両替してもらわなくてはパン一個も売ってもらえない。大口商用取引貨幣というやつだ。

 ちなみに、悪党がよく金貨を握りしめて悦に入ることがあるが、あれは金貨そのものに信用があるからだ。金貨があれば土地家屋が買えたり、貴族と契約取引ができる。ビジネスチャンスが一気に広がるからだ。そのため庶民では滅多にお目にかかれない輝きだ。

 となると、あとは借りるくらいしかないが。

「エレオノーラ様、ウスキアス夫人に旅行の相談と、路銀を借りることはできますか」

「お母様に……たぶんできると思いますけど。アデルに居場所を訊いてきますね」

「一緒に行きましょう」

 俺は寝ころぶアルバートの腰をすくい抱えると、部屋を出るエレオノーラの後に続いた。

「先生、ぼくはいいってぇ」

「たぶんこの後、またシンクレア夫人がくるぞ。一人で応対できるか?」

「うっ。それは、無理かも」



 侍女頭の眼鏡メイドは、アデル・マクスウェルといった。

 第一家政ジャーヴィス・マクスウェルの妹らしい。

 あの怪人の兄にして、この眼鏡美人の妹である。

「この時間なら……こちらです」

 手首に巻いた小さな『文字盤』で確認し、彼女の案内でアモーに向かった。

 三軒に囲まれた中庭の四阿あずまやに、麗容が腰かけ、末娘のヴィクトリアとアフタヌーンを楽しんでいた。お召し物はライトグリーンのワンピースがプラチナブロンドとよくあっていて、新緑の風のように揺れていた。

「あら、みんな揃って。どこまで出かけるの?」

 話を持ちかける前から、外出を看破された。

「お母様、今からアバディーンに旅行へ出かけたいのですが」

「今から、三人で?」

「先生を護衛とかぞえて、八人で」    


「んー?」公爵夫人は虚空を見あげた。「7という数字が見えるから、七人でお行きなさいな。お金は銀七〇〇枚を出してあげる。一泊二日にしても、眠ってる暇はなさそうかしら。護衛は後から二人合流するみたいね。今日は、アデルに旅の財布を持たせると金運が下がりにくいわ」

 すらすらと何か言われた。言葉は耳に入ったが、意味が頭にはいってこない。

「ねえ、母上。ぼくインドア派なんだけど」

「シンクレア夫人、お兄様と喧嘩して今、うちに住み込んでるのよねえ」

「はいっ、行ってきます」ひねくれた少年がまっすぐになった。


「護衛はアモーでアリスが雇っている三人組を連れていくと、急難があっても意外とすんなり回避できるみたいよ」

 これは占い、それとも託宣たくせんか。俺はおそるおそる訊ねてみる。

「恐れながら、護衛に近衛騎士を使わないというのは、王国法的にまずいのでは?」

「んー。貴族とその家族の旅行は公式日程を組めば護衛は義務ね。でも突発の日帰り旅行だし、大事にしなければ家名も傷はつかないかも。それに今日の護衛当番はブラッドリーなのよねえ。今月は〝白狼子〟グレイプニルと相性が悪いかも。トラブルが起きた時に意見が割れたりして、被害が大きくなるかしら?」

 あのブラッドリー・ダンか。師匠を魔女呼ばわりした王国の番犬だ、公爵家に再仕官していたのか。それに被害……旅で襲撃があるのか。


「それと、アリス。フォブスを憶えてる? 準男爵ジェントリーのサミュエル・フォブス」

「えっと、はい。お名前だけは。アバディーン庶民議会の議員だったかと」

「そう。当主様の古い友人。困ったことが起きたら、その人を頼るといいわ。とくに奥方のローザは気のいい人だから。わたしも大好きな人よ」

「わかりました」

「あとは……」

 公爵夫人は四阿あずまやの屋根を覗きこんで東の空を見あげる。俺たちも体を傾けて、意味なくその目線を追っていた。

「うん。エイジャックスに会ったら、一度家に帰ってくるよう、伝えておいてくれる?」

「えっ!?」

「エイジ兄がこっちに戻ってるっ?」

 姉弟が喜顔を見合わせた。

わたしから言えることはこれくらいかしら。──アデル、旅費の用意をしてあげて。それじゃ、良い旅を」

「よいたびお~」

 小さなヴィクトリアは母の膝上に座って、姉や兄に手を振った。

 

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