第8話 アバディーンの白百合



「もうっ、お母様のせいでせっかくの冒険旅行が丸くなってしまいましたわっ」

「そうかなあ。一応、いつ襲撃されるかまでは言わなかったけど」

 馬車内でプリプリしているエレオノーラを、弟のアルバートがなだめる。

「旅費の出資を名目に襲撃もあるから気をつけろ、手に負えなくなったらフォブス家に行けと言われた気がしてなりません。こんなの出来レースですっ」

「ぼく、それでいいよ。やるべきことはガブリエルハウンズの調査、情報収集なんだし。ケガなく一泊二日で帰れたら、いい旅夢気分のまま勉強に集中できるってもんじゃない?」

「アルバート様のお考えに、深く同意いたします」

 向かいに座ったアデルも抑揚のない声で追従する。

 俺は彼らの話を御者台の助手席で聞いていた。

 六頭立ての貴族馬車は御者にテレンス。伴走にハニガムとジャミルだ。

 三人には突発な旅だが賊の襲撃がありそうだと予断を告げたら、久しぶりの戦闘があると意気ごみ、矢を詰め込んだ矢筒を鞍の左右に備え、剣を背負った。気合い入れすぎだって。



 アバディーン街道。

 アルビオン島東北部に位置する自由都市アバディーンと王都間を結ぶ、王国一の幹線道路ハイウェイだ。

 整備されたのは、十年戦争中のこと。ディアンケヒト家が私費を投じて三年の歳月をかけ、国の助成予算を得てからは二年をかけて敷設ふせつを完成させた。

 北星海の東沿岸を通り、領内中央に横たわる海抜一千メートル級の大丘陵ケアンゴームズ──通称〝赤い切り株〟の迂回路となる。

 ディアンケヒト家は完成後、この街道を無料で人々に使わせた。

 これは当時の領主をはじめとする貴族の発想では考えられないことだった。五年を費やして敷設した道から通行料もとらないのは、ここから何十年に渡って金の卵を産み続ける資産を捨てたに等しい、と他の領主たちを驚き呆れさせた。

「父上に言わせれば、軍需品を輸入して戦地に送れる港はアバディーンしかなかったみたいだから、通行料を取る検問所を造るのは逆に不効率だったみたいだね」

 アルバートがいった。


 ウォーデン・アズマの果断によって起きたのは、凄まじいばかりの物流交通だった。

 軍需品・商品の物流がスムーズに王国中へ流れ込み、各都市からディアンケヒト領へもたらされる収益は、通行税で得られたはずの収益額の数十倍だと、アデルは解説した。

「御屋形様の英断で、通行税の試算利益よりもシェード袋の需要益のほうがはるかに大きかったのでございます」

 戦後、王都周辺の都市復興はアバディーンからもたらされた花崗かこう石材によって加速。現在アバディーンの港はダンディーンや北都インヴァネスと並ぶ王国三大港に数えられている。

 エレオノーラは両手を小さく広げた。

「お父様は戦後、女王陛下が譲位後に隠居されるホリールード宮殿の修復に花崗岩が必要だったのが、幹線道路建設の本音だったみたいですけれど」

「父上って、おばちゃんに褒められることに命賭けてるところあるからなあ。ちまちま通行料もとって儲けてることが耳に入ったら、感謝されて、褒めてもらえなかったかもね」


 その街道を北上すること、わずか二時間弱でアバディーンの町に到着した。

 城壁の向こうで十三時を報せる鐘が鳴った。

「すまない。少し訊きたいことがあるんだが、いいかな」

 俺はやや小柄な門衛兵に声をかけた。もちろん、馬車を城内に入れてからだ。令嬢は馬車から好奇心をバネにして飛び出しそうになったので、俺が押し留めて聞きこみに動いた。護衛も全力で令嬢の脱走を見張っているだろう。 

「悪いが、道案内なら他の兵士に聞いてくれ。こっちは世間話をしてる余裕がないんだ」

 俺は兵士に銀貨を二枚、握らせた。

「時間はとらせない。先日、この町でガブリエルハウンズの襲撃に遭ったと聞いてきた。しってる?」

 門衛兵の表情は変わらないが、瞳に緊張の光がともった。

「ん。ああ、当日の常勤番が八人も死んだ」

「背中から内臓を抜き取られて?」

「ん? おいおい、グロは勘弁してくれ。おとぎ話みたいにはならなかったさ。ただ全員が背後から斬りつけられて絶命した。ここの上の回廊で六人が死んでたんだ。あの日は〝ケアい切り株ンゴームズ〟からの西風が強かったが、城壁の上なんて人が登ってくればすぐ気づく。誰が背後に回ったのかもな」

「なるほど。なら、現場に百合の花は落ちていたか?」

「百合? またおとぎ話の、〝赤百合〟だったかって? いいや、白だったよ」

「百合が残されていた? もしかして、現場を?」


「見たのは、おれだけじゃない。他の士長も見てる。非番も呼びだして総動員で捜索したからな。死んだ門衛兵士長のネイサンとは新兵試験からの同僚だったよ。みんな悔しいが、触れないようにしてるのさ」

「過去に出来そうかい?」

 門衛兵は下を向いて、顔をふった。

「しばらくは無理そうだな。いまだに信じられない。この件、上の連中は早々にお手上げでね、ジョイスも浮かばれないよ」

「ジョイス? ネイサンの彼女か?」

「いや女房だ。ついこの間、結婚したばかりだ。あんないい女を未亡人にしちまうなんて、ネイサンも馬鹿なヤツだよ」

「それは気の毒にな。ならネイサンの墓に行けば、ジョイスにも会えそうか?」

「かもな。アレンベール墓地だ。いや待った。あんた確か、旗ナシの貴族馬車で観光で、子供二人連れて来てたよな。どこまでこの件に首を突っこもうとしてる?」

 門衛兵の顔が仕事で引き締まる。警戒モードに入った。優秀だな。

「憶えていてくれて嬉しいね。なら、こちらも率直にいう……二日前だ。エディンバラで同じ事件が起きた。貴族の息子が肝試しで二人、背中から斬られて内臓をかき出された」

 兵士が酸鼻さんびいだ顔をした。驚きよりも疑念が濃いのは、なぜだ。

「王都もこの件に関してはお手上げらしくてね」


「けど、おとぎ話のほら、なんつったか。早贄はやにえか。それが違うんじゃないか」

「ああ。それで、以前に同様の事件が起きてないか調べていた、うちの主人(十五歳)が、ダンディーンでここの話を嗅ぎつけやってきた、ってわけさ」

「な、なるほど。なんにでも首を突っこみたがるお年頃だ」

「おまけに貴族だから、金と時間は腐るほどある。俺としても主人の気まぐれが一日も早く別件に向いてくれることを祈ってるところだ」

「ハッハッ。主人の居ぬ間に言いたい放題だな、雇われ傭兵。同情しとくよ。あ、いっとくが、ジョイスには手を出すなよ」

「なんでだ? いい女で未亡人なんだろ?」

 笑顔で冗談を言ったら、笑って乗ってくれた。

「残念だったな。ダニエルって三歳の男がいる。もちろん、ネイサンの息子だ」

「そうか、三人で式を挙げた直後だったのか。彼女も子供のことを思うとやるせないな」

「そういうことだ、旅人。あまり穿鑿せんさくしてくれるなと、主人にも言っておいてくれ」

「わかった。あー、それからもう一つ。今から、うまい食事にありつけそうな店を教えてくれないか」

 追加で銀貨一枚を渡す。案内賃だ。門衛兵はふんふんと頷いて、目線をそらす。

「そうだな。今なら〝ワイルド・ボア〟が昼もやってる。本業はパブなんだが、シェフの腕は確かだよ。ここの大通りから海を目指して、ユニオンストリートに入ったら、あとは通行人に訊いてもいい。この町じゃ結構流行はやってる店だ。おれは、セスだ。困ったことがあったら案内くらいはできる」

「ありがとう、セス。助かったよ」

 俺は門衛兵と握手して別れた。手袋がぐっしょりと濡れていた。


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