第13話 麝香党トマス・ベアードの愚策 後
フォブス家・応接室。
「あのぉ、アデルさん。昨夜はずっとここに?」
「当然です。お嬢様から返事を戴いてまいれとのお指図です」
アデルは応接椅子に姿勢よく座って、毅然と答える。
「食事やその他諸々は」
「配慮されています。調味はともかく、不当な扱いは受けておりません。ご心配なく」
鋼の意志の持ち主か。サミュエル・フォブスという準男爵も公爵令嬢の使者を放置するとは。二階でバタバタと人が忙しく歩き回っている音が響いているので、さすがにあの手紙で大富豪も重い腰を上げたらしい。
〝なんか麝香党とかいうのに襲われてさぁ、
あんたの差金だってことになってんだけどぉ、
そんでいいわけ?〟
という内容だ。令嬢の悪意がインクに染みこんでいた。
「エレオノーラ様とアルバート様は」
「ええ。例の寝袋というので、ぐっすりです」
「そうですか」
「あれ、いいですよね」
「ええ」
「お待たせした。準男爵サミュエル・フォブスだ」
威厳を保った平装で現れたのは、五十がらみのビア樽のような体型の男。
俺とアデルは起立して主人を迎えた。
「ディアンケヒト家の
「今度は、チューターだとっ!?」
着席前に、フォブス準男爵は自尊心を傷つけられた顔をした。
「手紙は見た。令嬢とも、ご誕生以来の
さもありなんと俺は頷いた。
「フォブス卿。令嬢は本件を非公式のうちに処理した方がよいとのご判断です。また領主様の名の下に公式使者がここへ参れば、奇しくもアバディーンにおける麝香党支援に名を連ねるあなた様は
「うっ、ぬぅっ」
「また先だって、手紙を差し上げたのちに、今回の手紙の内容が出来したこと。ガブリエルハウンズの件がトマス・ベアード男爵なる人物の関与が明白となりました」
「城門兵の殺人事件が怪異ではなく、人の仕業だったと?」
準男爵は罪の意識を感じていない。彼は二つの事件について何も知らない印象を持った。
令嬢は、亡き夫の墓前で白百合の花を手向けるジョイスを哀れんだわけではない。
この町に巣くったガブリエルハウンズを追い
そう、エレオノーラ
これは善悪ではない。ただ暴力にものを言わせた私利私欲に対して、権力者が
今回のガブリエルハウンズ騒ぎでトマス・ベアードはやり過ぎたのだ。
「では、先の手紙にもあったが、和解金はその額面通りでよいのだな?」
「はい。亡くなった門衛兵らへの見舞金という形で、準男爵の寛大なお心を町に示していただければ。名誉ある死を残し、醜い真実は闇に葬りたいというのが、令嬢のお考えです」
「ふむ。まあ、あれでいいというのであれば、応じよう」
アデルがホッと肩を落とした。俺が見ると、眼鏡の奥に浮かんでいたやわらかい微笑が我に返り、また鉄面皮に戻る。妹はあの兄貴よりもとっつきやすいか。
「改めて訊ねるが、今回ご令嬢は何用でアバディーンに参られたのだ」
「
フォブス準男爵は広くなったひたいを押さえると、両手を左右に投げ出してソファに凭れた。
「それだけのことで。おとぎ話のワイルドハント見たさの肝試し旅行をはじめ、こたびの麝香党どもの内輪もめを
「まあまあ。そうおっしゃらずに。ご存じでしたか。こたびのガブリエルハウンズ騒ぎ」
フォブス準男爵は、ぶるぶるとアゴ下の贅肉を左右に振った。
「わしは商売に忙しくてな。そんな毒にも薬にもならん話に興味はないよ。衛兵庁の仕事だしな。まあ、妻ならそういう怪奇めいた
「奥様ですか」
「うむ。町でサロンをいくつか主宰している。生憎、先月から商家組合の婦人たちだけでボルトン国まで旅行に出ていてな。帰ってくるのは来月だ」
ご会談中のところ、失礼します。声がかかって、執事がミールワゴンが運んでくる。
「ああ、お構いなく。すぐ帰りますので」
「モーニングティだけでも飲んで行くといい。非公式でも公爵家の使者に何も饗応しなかったでは、妻に叱られるのでな」
「フォブス卿は、奥様のことを大事にされておられるのですね」
お世辞をいったつもりはないが、フォブス準男爵は機嫌よく微笑んだ。
「彼女は生涯のパートナーだ。世間は恐妻家とみられとるがな。子供も三人でき、独立した。商売も順調だ。あとは、お互いの私生活には踏み入らないようにしている。この館が寂しい場所にならない程度に。それだけだ」
俺は感慨深くうなずいておいた。
そこに廊下からドカドカと無粋な足音が近づいてきた。
ドアそばのメイドを突き飛ばすように入ってきたのは、腕鎧に脛当てをつけたスキンヘッドの大男。ごついアゴに十字の傷があった。戦場傷ではない。ただの喧嘩傷だ。
「フォブス。朝っぱらから火急の用件とはなんだ!」
執事も茶器を取り落としかねないほどの胴間声。準男爵まで一瞬、不快な顔を作った。
「ベアード男爵。おはようございます。こちらは──」
「お前の客だろう。用件を聞いているのだ!」
フォブス準男爵はいささか疲れた吐息を漏らして、根気強く紹介する。
「男爵。話は最後まで聞くべきですな。こちらは、領主家からの使いで、コンラッド・サリバン殿。城門で起きたガブリエルハウンズ騒ぎに興味を持たれておいでですぞ。──サリバン先生。こちらは、ベアード男爵だ」
「お初にお目にかかります、閣下。サリバンです」
「ふんっ」
名のりもしない。握手もしない。社交の作法を知らない野蛮人かどうかはともかく、深酒で顔色が悪く、寝不足気味だ。
さてさて、どうしてキミはそんなに不安そうにしているのかね?
令嬢の釣りは、餌にかかった事実だけでいいのだ。
たとえ大物に見せた、こんな小物でも。
彼女が満足する結果こそ、この事件の全てだ。
「早速ですが、主家に報告する上で、数日前に起きたガブリエルハウンズ襲来の件についてお伺いしたいのですが」
「たわけ。そんなことは衛兵庁か衛門局に訊ねよ。朝からつまらん用件で吾輩を呼ぶなっ」
大男はさっさと部屋から出て行こうとしたので、仕方なく声をかける。
「ここに来るまでに、気づかなかったのですか? なんとも、おめでたい」
俺は執事からティーカップを受け取る。ディアンケヒト家でいただくのと同じ茶葉の香りだった。
「昨晩、ジョイス・パンサードが口を割りましたよ。わが主は大変ご立腹です」
「なっ、何の話だ……っ」胴間声が四ランク、大人しくなった。
「わが主は、彼らの助命条件に、あなたの首を所望したそうです」
「しっ、知らんっ、知らん知らんっ。吾輩は何も知らんぞ!」
朝から見苦しい往生際を見せんなよハゲ。俺はやおらソファを立ち上がると、別室からぐるぐる巻きにした門衛兵士長セスの襟を掴んで連れてきた。
「あなたが知らなくても、みーんなが知ってることですよ」
「セス、貴様ぁっ!?」
「へっ、へへっ。ベアード様ぁ。もうおしまいですよ。ジョイスがネイサンと息子の仇討ちに、あんたの首を狙ってますぜ」
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