第12話 麝香党トマス・ベアードの愚策 前



 ハニガムは椅子をもってきて座ると、膝に頬杖を突いた。

「ベアード……王都じゃ聞いたことがねえ貴族だな。ローワン、おめーのことだ。クセェと思った男の裏筋はツバつけてあるんだろう?」

 おいやめろ。子供も聞いてるんだからな。俺は傭兵流の軽口にむっと睨んだ。

「ふふっ、隊長、憶えてたんだ……ええ、男爵の正体はジャッカル・スペアードだった」

 ハニガムは膝を叩いて、歯をギリリと軋ませた。

「ああ、プテラーン奇襲隊の火事場泥棒団か、あいつ生きてやがったのか」

 ハニガムが俺を見てくるので、同意の意味で頷いておいた。

 ローワンは続ける。

「アバディーンで有力だった男爵家の行かず後家と結婚して男爵位を相続、この地に棲みついてもう七年になるかしら。大富豪サミュエル・フォブスの資金援助をえてアバディーンでは衛兵長よりも偉そうにしてるわよ」

「んで、麝香党の残党をかき集めたのか?」


「そうじゃないの。男爵は買った爵位とフォブスの資金でギャングに金で餌付けして街で暴れさせ、商家からみかじめ料で稼いでる。そのはく付けのために麝香党を名乗ってるだけよ。でもその集金額は月に金貨数百万枚になるみたい。隠し場所まではまだ調べられてないけど」

「ほぉ、戦場盗賊の次は、悪党の元締めか。お前、なんでそんなところに入ったよ?」

「若気の至りね。復員してきて、この肌の色の人種に街で働き口なんてなかった。でも麝香党に入ると、上納金アガリをおさめる条件で割のいい仕事を廻してもらえたの」

 ローワンは、項垂れて動かないジョイスをいたわるように垣間見てから、頷いた。

「ジョイスの実家は元騎士で、男手がみんな戦争で死んで、勲爵は断絶。でも彼女、麝香党の中でも人をまとめるのがうまくてね、たびたびベアード男爵に意見も言うようになってたの」

 だが子を身籠もった頃にネイサンが麝香党を抜けると言いだした。ジョイスはネイサンが生まれてくる子供のために麝香党と距離を置こうとしていること知らなかった。

 そこをベアード男爵に浸け込まれた。

 ジョイスに、ネイサンが麝香党と縁を切るために家族を捨ててアバディーンを出る計画があるとそそのし、監視を命じた。ジョイスの目には夫の背中が街から単身脱出する薄情な姿に見えるよう女をあてがい、巧妙に誘導されていた。


 俺は聞いていてうんざりしてきた。

 世の中には弱者を食い物にする才能を持った人間が確かに存在するのだ。

「ジョイス、ダニエルは今、どちらに?」

 エレオノーラの問いかけに、ジョイスは顔をあげたが焦点は定まっていなかった。

「トロヒル区の自宅だ。同じ麝香党の女が見てくれてるはずだ」

 答えたのはセスという門衛兵だ。

「先生、お願いします。──セス。道案内、できますか?」

「ああ。任せてください」

「どういうことだ? セスっ」

 門衛兵はジョイスの両肩を掴んで、彼女の泳ぐ目を覗きこんだ。


「ジョイス。ベアード男爵にとってネイサンを殺したお前はもう、用済みなんだ。あとは自分の地位をおびかす邪魔な存在だと思い始めてる。だからこの襲撃に加担させた」

「なんでっ。わたしは麝香党のために亭主を、ネイサンまで殺したんだぞっ?」

「だからだよっ。党内でお前の決断が悪ガキどもを惹きつけて、お前を中心に鉄の結束が生まれようとしている。グループの次の領袖アタマは、お前だってな。ベアードは当てが外れて、焦ってる。アバディーンの麝香党に領袖は二人もいらないんだ」

「そんな、そんなのって……ダニエルっ!?」

 エレオノーラの目顔に俺は頷き、セスを伴ってスプラ荘を飛び出した。

 背後で、ジョイスの狂ったような悲叫さけびが風と鳴って追いすがってきた。



 ダニエルは、トロヒル区にある自宅二階のベッドに寝ていた。

 誰時たれどきのころ。よい子を起こすのは忍びなかった。

「だれ? ダディのお墓であった人……マム、マムは?」

「これからお母さんの所にきみを連れていく。だから、寝てていいよ」

「うん……わかった」素直に応じて、また眠った。

 俺は眠る幼児を左腕に抱きかかえて、階段を下りて玄関に向かう。

 一階の土間では男女六人が倒れていた。一応、呼吸はしている。形相は凄まじいが。

 壁越しに麻痺魔法を室内へ放った。

 麻痺や毒、眠りや深淵などの非破壊魔法は仕切りのある空間であれば、拡散滞留する性質がある。効果時間こそ短いが、魔力を浪費することなく効果をあげることができるので便利だ。広すぎると持続効果は薄まる欠点はあるが、今回は殺さないので充分だろう。

 セスが入口でしきりに瞬きしながら、途方に暮れていた。


「あ、あんた……こいつらに何をした、あんた何者なんだ?」

「ただの家庭教師だよ。さあ、早くこの子を母親に会わせてやってくれ」

 俺たちがスプラ荘に戻ったとき、ジョイスは涙に濡れた頬で腕の中に戻ったわが子の頬に押しつけていた。

「家に男女が待ち構えていました。やはりベアード男爵は襲撃首尾の成否にかかわらず、ジョイス母子もろとも口を封じる予定だったようです」

 俺の報告にエレオノーラは頷くとパンッと手を打った。その場の全員が傾注する。

「さて、それでは大掃除といきましょうか。昨日の敵は今日の友、ですわ!」

「ねえ、隊長。昨日って、今さっきよね、あたし達いいのかしら?」

「そこにツッコんだら負けだ。お嬢さんの機嫌だけ損ねなきゃ、うまくいく」

 ハニガムの忠告に、ローワンはこくこくと頷いた。


   §


 夜明け。

 寝鼻をドアの音で叩かれるほど不愉快なことはない。

「旦那様。大変でございます。旦那様っ」

 サミュエル・フォブス準男爵は、執事スティーブンの切迫した声に嫌な予感がした。

 ガウンをまといドアを開けると、いつもの顔が引きつり徒事ただごとではなかった。

「何事だ」

 用件を訊いたのに何も言わない。差し出されたレタープレートの上に、封筒とレターナイフが置かれている。

 その封蝋ふうろう印を見て、フォブスも目が覚めた。

「また〝竜の時計ティアクロック〟か。あのメイドは帰ったのか」

「まだ応接間から動いておりません」

 返事をもらうまでここを動かないと言うから放置していたが、やはりディアンケヒト。使用人にまで兵士並みの教育が徹底されている。

「追加の使いは」

「若い男性で、平服でございましたが帯剣しておりました。お独りでございましたので、かのメイド同様、応接室にお通ししました」

 ケースケよ。おめぇはなんもわかっちゃいねえ。わしはわしの町を守ってるんだ。


 フォブスは封筒を裂くと、たった一枚の文面に目を走らせる。が、最後まで文言が頭に入ってこなかった。目の前が真っ白になった。

「ベアードを呼び出せ」

「は?」

「トマス・ベアード男爵だ。あのクソったれな麝香党ムスカートをこの屋敷に呼び出せ、今すぐだ!」

「は、はい。ただいまっ」

 ドアを閉めると、フォブスは着替えに別室に入ろうとしてつまづいた。四つん這いのまま絨毯に拳を打つ。

「くそっ、あの盗人が。りにも撚ってウォーデン・アズマの娘に手を出すとか頭いてんのかっ。……そうか、これはウスキアス様の思し召しだ。そうに違いないっ」


「ねえ、どうかしたの?」

 ベッドから三十も離れた愛妾が心配そうな声をかけてくる。だがコレに言っても仕方がない。顔と体だけ見て契約したが、頭の中身はスッカラカンだ。

 妻ローザはボルトン国へ二ヶ月の旅行に出てる。相談するならあっちだが、海の向こうでは遠すぎる。

「客がきた。着替えの用意を頼む」

「あたしメイドじゃないし。スティーブンに呼んでもらえばよかったのにぃ」

「リズを呼んできてくれ。ばか、服を着た後でいいっ」

「はーい」

 だめだ。コレとは手を切ろう。そう決めた。するとなんだか急に頭がスッキリしてフォブスは立ち上がった。次は着る服を決めよう。そうやって一歩一歩決めてきたではないか。


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