第4話 淑女たるもの/メルヴィル家の晩餐会にて


 

 翌朝。

「サリバン先生っ!」

 領都ダンディーン。キャンパーダウンの丘にたたずむ石楼館。

 一階の納屋を改造した俺の私室をノックもなくドアを開け放ち、お団子頭のシンクレア夫人が飛びこんできた。

「先生っ、サリバ……ちっ、逃げたか」

 ベッドに手を入れて温もりを確認し、ベッド下を覗くとシンクレア夫人は殺気立ったセリフを吐き捨てて部屋を出ていった。

 俺は天井のはりのとなりで四肢をつっぱったまま、止めていた息を吐いた。

 この元納屋はベッドだけでいっぱいになるのに、天井は高くて暗い。納屋だからな。

「俺も彼女も悪くはないんだけど、昨日のアレは、やり過ぎたからな」



 昨夜の晩餐会。

 食事会とは言っても社交会。短時間ながらダンスタイムも用意されていた。

 社交会はとにかく踊るのが前提だ。学術講義や討論会などのサロンですら、軽食とダンスをセッティングする。舞踏会ダンスパーティともなれば、六時間は平気で踊り続ける。貴族にとって「朝まで踊り明かそう」は冗句ではない。

「先生っ!? 先生じゃないか!」

 名前で呼ばれなくても、自分だとわかるのはなんだか照れる。

 上級武官の正装でやってくるのは、ウェーブのかかったアッシュブラウンの長髪。長身の美女だ。となりに灰銀髪の老紳士はライオット前伯爵だ。三年ぶりなのに二人とも変わらない。

 メルヴィル女伯マーガレットは、俺に握手を求めようとし、エレオノーラに気づいて、そちらに握手を流した。俺は付き添い、メインは公爵令嬢だからだ。

「失礼いたしました。レディ、エレオノーラ」

「いいえ。サリバン先生が当家に来られてから、まだ三日なのです。メルヴィル伯爵とお知り合いだったことすら存じ上げませんでした」

「はい。彼は、わが剣の師なのです。王立士官学校に入学できたのも、サリバン先生のご教授の賜物たまものです。令嬢も剣を?」

 相変わらずの脳筋。俺は目線を外にやった。エレオノーラもお愛想の微笑を左右に振る。

「いいえ。私は魔法学と薬草学をご教授いただく予定です。夏の入学までに〝火炎飛槍ゲイジャルグ〟の習得を目指しております」

 初耳だった。俺は目をぱちくりさせ、同じ顔をするマーガレットと見合わせた。

「エレオノーラ様。〝火炎飛槍〟はたしか、王立魔法学校の卒業・・課題ではありませんでしたか?」

「はい。それを先生に今から教わって、学校生活の大半を図書館で過ごそうかと」

 引っこみ思案か。友達つくれや。

「うむうむ。実にディアンケヒト家らしい」

 メルヴィル家ご隠居がほのぼのと微笑む。もうライオット前伯爵は完全にお祖父ちゃん目線。他人事だ。目下の心配事といえば脳筋娘の婿むこりと孫の顔だけだろうし。


「おーい。メルヴィル。いつになったら始まるんだあ?」

「こっちは腹減って暴れ出しそうだあ。何か食わせてくれよ。マズくても文句言わねぇからさあ」

 爆笑する二人の青年に、エレオノーラの黒い柳眉りゅうびが軽くひそめられた。

「彼らは?」

「士官学校時代の同期です。同期というだけで、招待状も送っていません」

「それにしては実家に帰ってきたようなくつろぎっぷりだな」

 思わず俺が口をはさんだ。

「セスフォード伯爵家と、ファーニスト伯爵家だよ。当家は彼らの実家に借金がある」

 ライオット前伯爵が自家の恥を開陳する。

「もう大した額ではなくなって、来春にも完済予定だ。だが彼らは在学中にそのことを親から聞きかじったようでな。当家から甘い汁の最後の一滴まですすろうと、マーガレットを付け回しているらしい」

 マーガレットは脳筋だが美人だ。俺は男の未練がましいほどの下心に感心しつつ、手はディアンケヒト家の姫が猪突猛進するのを手首を掴んで止める。

「先生……っ!?」

「まだ早いです。彼らも自家の名にきずをつける振る舞いはしないでしょう。挑発というのはある意味、芝居なのです。周囲の反応が薄いとみれば退散するでしょう」

 金持ち喧嘩せずとはいうが、貴族も喧嘩になるほどの騒ぎは望まない……はずなんだが、


「いい加減にしてください!」

 晩餐が終わり、食後のダンスタイムになって事件は起きた。

 例の二人組が、どこかの家のご令嬢をダンスに誘おうとして断られ、執拗しつように迫った挙げ句にほおを張られた。それが運悪くいいところに入ったのだろう。セスフォード家(あるいはファーニスト家)の体幹がぐらりと揺らいだ。

 それでファーニスト家(あるいはセスフォード家)も頭に血が昇ったか、その令嬢を拳で殴り倒してしまった。

「お前らも今、見たよなあ。最初に手を出してきたのは、このブスだぜ!」

 気づけばいつの間にかそばにエレオノーラがいない。俺はシャンデリアをあおぎ見た。

「なあ、マーガレット」

「えっ、はい。何でしょう、先生」

「玄関口を閉めておいてくれ。あと施錠もな。外からの増援を入れさせないでくれ」

「承知」

 二手に分かれると、俺はエレオノーラを捜した。紺色ネイビーのドレスだ。嫌でも目につく。


 案の定、青年らの前にいて殴り倒された令嬢の介抱をしていた。

 まだどちらも手を出していない。俺がホッとしたのは束の間だった。

「この方が嫌がるのを無理に迫ったのはそちらでした。高嶺たかねの花を狙う紳士の退き際も心得ないのは、無能な将校ですわね」

 正義の言葉が強い。俺は歩を早めた。

「このガキ、伯爵家にその暴言は我慢ならんぞ!」

「ガキではありませんっ。アリス・エレオノーラ・ディアンケヒト。十五歳です」

 なお、身長は十三歳くらいの模様。子供扱いされた不名誉が不可抗力とはいえ、社交会で不用意にディアンケヒトの名を出すのはまずい。

 二人の青年もテキメンに狼狽ろうばいして後退あとずさった。

 周囲の紳士淑女もすささっとしおが引いていくように空間ができあがった。

 そこに俺は飛びこんだ。

「待った! お待ちください。今夜はメルヴィル家の集まりです。互いの行き違いはありましたが、双方水に流して」

「先生。この子は暴行されたのです。殿方とのがたに謝罪を求めます」

 エレオノーラが主張する。

「確かに。──謝罪を」

「はあっ? ふざけんなっ。先に殴ってきたのはそこのブスだろうが!」

淑女レディへの暴言は、紳士の正当性を欠くことになりますが、よろしいですか?」

「は、正当性? んだそりゃ、何言ってんだ?」

 往生際おうじょうぎわの悪いヤツ。しらばっくれようとしたので、俺は鋭く見つめた。


「俺は双方に、水に流せと言ったんだ。貴殿らがあくまでも喧嘩と主張するのであれば、今夜の心証を彼女たちの〝家〟に持ち帰らせていいのか、そう訊いているんだ」

「うっ、それは……くっ」

「俺もディアンケヒトを出されたら、仲裁に入れない。その意味がないからだ」

 大公爵が否と言えば、家が二家潰れる。それだけだ。

 青年二人は酔った頭でようやく事態が飲み込めたようだ。脂汗あぶらあせをかき始めた。

「くそっ。ああ、悪かったよ。わたしが悪かったっ、これでいいんだろうがっ」

「だいたい、こんな安っぽい晩餐会に、なんでくじらがしゃしゃり出てくんだよ。とんだ厄日だ、ぜ!」

 鯨とはディアンケヒト家のことか。王国第二位の大所領とダンディーンの港が鯨漁を引っかけた揶揄やゆだろうが、貴族流の「あだ名」であることは間違いない。

 さすがにひどい。これ以上は無理だ。

 だから俺は、あえて動かなかった。

 エレオノーラがそばを駆けぬけて、あの虹色の鉄扇で主犯の膝を打った。


 魔力は打撃に転換すると、骨まで痺れて立てなくなる。座高がガクリと下がった。

 その青年の顔面に、暴行被害者の淑女が掴んだ水差しが復讐を果たす。水差しは把手とってが取れて、相手の顔面に衝撃して真っ二つ割れた。青年はひたいを割り、白目をいて膝を屈したまま後頭から床へ昏倒こんとうした。


「晩餐会で狼藉ろうぜきを受けた、わがベンジャミン家の恥辱ちじょくそそがせていただきましたわ」

 会場からやんやの拍手が起こる中、俺は思わず片目をつぶって顔をしかめた。

 ベンジャミン家は、枢密院公爵六家の一郭だ。言わずもがな伯爵より格上になる。

 今や哀れな青年将校のセスフォード家(あるいはファーニスト家)は、旗色が悪いとようやくさとり、相棒を置き去りに戦略的撤退を試みた。だが、玄関口の扉はすでに施錠させている。たちまち追いすがった二人の淑女によって復讐が果たされた。

「ここって、もしかしなくても派閥の親睦会だったのか」

 青年二人も貴族の子弟である以上、ベンジャミン家令嬢は女性であっても、家名に恥を受ければ復讐する義務があった。それが貴族の世界だ。

 この晩餐会で、ディアンケヒト家は公爵夫妻を外した家族に顔を出させることで体裁だけ整えるつもりだったのかもしれない。それが積極的に騒動に首を突っこんで、一方に荷担かたんした。

 俺にはエスコート役として、このことを雇主に報告する義務があった。



 あったけど、逃げた。

 別に報告が面倒だったからじゃない。いや正直面倒だったけど。理由はある。

 事件当事者として、いまだ当主から喚問かんもんされていなかった。

 今ごろ、エレオノーラの釈明が家政に聴取され、当主ウォーデン公爵の耳にまで届いているだろう。この件はただの子供の喧嘩で終わる、はず。だが、当事者たちの親は全員、貴族で政治家だ。政治利用できると判断されたら子供の喧嘩を親が引き受けて喧嘩を続ける。それが政治だ。

 俺の身上は、監督不行届きで解雇になれば穏当おんとうだと思っている。

 困るのは、仲裁に入っただけなのに平民の俺だけが投獄される可能性だ。

 貴族はそういう理不尽を平気でやる。誰かが責任をとらなければならないと、もっともらしくほざいて、やるんだ。

 コン、コン。

 ドアがノックされて、令嬢が顔を出した。床に影を見つけて目線をあげ、微笑む。

「先生。当主様が呼んでいます」

「承知」

 大丈夫。荷物はとっくにまとめてあるから。  


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