第3話 家庭教師の時間外労働



 夕食にありつく。

 長テーブルの末席で、上座の公爵家族をみる。

 公爵夫人ウスキアス。長女アリス・エレオノーラ。三男アルバート。二女ヴィクトリアの四人。

「あなたっ、ジロジロと不躾ぶしつけですわよっ」

 正面に座る女性家庭教師ガヴァネスのシンクレア夫人が小声で、俺をいさめる視線を投げてくる。彼女の兄はここダンディーン執政官の助役クレメンス子爵だそうな。

 食事はスープとパンと蒸かしたパタット。食べると聞いたパタットは俺の想像していた花と同じ植物とは思えぬ姿で、拳大ほどもある。

 ほどよく焦げ目のついた皮と、切りこみの中に溶かしたバターが香ばしい。ほくほくしていくらでもいける。溶けたバターにベーコンのあぶらを混ぜているのも、さりげない工夫だ。


「先生。パタットの味はどお?」

 アルバートが声をかけてくる。

 シンクレア夫人が俺に向けた不満の目を、主人家族にも向ける。

「おいしいです。こんな大きな食べ物は初めてですね」

「姉さんの育てる野菜はみんな大きいよ。夏のトマトもすごいんだ。見たら驚くよ」


 シンクレア夫人が空咳をうつ。


「それなら、オーベルジーヌも大きい果実が作れるのですか?」

「作れますよっ。先生は、野菜に興味が?」エレオノーラが表情を明るくした。


 空咳。 


「あー、いえ。パタット、トマト、オーベルジーヌは花の形がよく似ていると思ったものですから。あと、唐辛子もですか」

 オーベルジーヌの果実は白と紫色をした果実をつける。見るには面白いが食べても味がせず、口の中に渋みが残り、それが毒由来だとするのが一般的だ。


 空咳。


 エレオノーラは家庭教師のいさめなど聞こえないように、テーブルから身を乗り出す。

「そうですっ。それらはすべてナス科という科目なので。でもパタットだけは果実ではなく地下けいという地中に埋まったくきの部分が可食部なんです。緑の皮や芽に毒がありますけど」

 ナス? 科目とは。地下茎。俺は皿に載った美味を見て、

「俺も薬草の知識はあります。植物系の毒は熱に弱いと聞きますが」

「たしかに植物毒の大半が熱に弱いです。でもナス科の毒は例外で、ステロイドグリコアルカロイド系の毒性は熱では消えません。なので調理は適宜てきぎ、切除するよう指導しています」


 ステロイドグリコアルカロイド。毒の呪文のようだ。あるいは貴族だけが知り得る植物毒か。わからないなりに学んだつもりで頷いておく。


「あれ、先生は驚かないんだ。『初日からそんな毒を食べさせるなんて!』とか?」

 アルバートが意地悪く見つめてくる。過去にこの話をして逆上した家庭教師がいるのだろうか。また、エレオノーラの眼ざしに何か期待のような圧も感じた。

「この皿に載ったパタットは熱に強い毒素なのに皮を剥いていません。そこから推測すると、この地下茎にもエルダーベリーやアプリコットのような未熟期は有毒で、成熟期に毒が消える特性を持ってるんじゃないかな?」

 アルバートは驚いた様子で姉を見た。


 さっきから空咳がうるさいな、パタットが喉にでも詰まったのか。


 エレオノーラは新任家庭教師を少しは見直してくれたみたいだ。瞳から輝きあふれる魔力がすごい。

「あー、えっと。俺は師匠の方針で八歳の時、十年戦争に二年間だけ従軍しました。戦場ではからすがご馳走でしたし、蛇や蛙も食べたことがある。パタットの毒くらいなら驚かないよ」

 へーっ。子供たちは興味津々だ。公爵夫人は淡々と食事を続けていたけれど。

「そのせいか自分でも意外と食への冒険心はあるほうかな。うまくて生きてりゃ大勝利だ」

 言い回しが気に入ったのか、子供たちはたのしそうに笑った。

 空咳はもうなくなったが、向かいから突き刺してくる呪怨じゅおんの視線で顔に穴が開きそうだった。

 理由はわかっている。彼女は子供たちへ礼儀作法の教育係だ。


 カレドニア国教会のおいて、食事中は静寂をたっとぶことが法律で決められている。

 その反動か、貴族の晩餐会ばんさんかいは神への共同聖犯、無礼講というわけだ。

 裕福なはずの貴族たちの食卓は、平民の貧困とは違う意味で陰気だ。貴族の礼儀作法もいいが、食事は質素であっても美味しいを会話で共有してこそたのしめると思う。

 無言の食事など孤独と同じ、悲惨な時間だ。だから酒場ができたと、師匠も言っていた。


「サリバン先生」

 上座の次席からウスキアス夫人に声をかけられ、俺は居ずまいを正した。彼女の清楚な美貌がそうさせるのだ。

「三日後に晩餐会ばんさんかいがあります。エレオノーラの随行をお願いするわね」

「あの、どちらの晩餐会でしょうか?」

「メルヴィル伯爵家よ」

かしこまりました」


「お母様っ」「奥様っ」

 エレオノーラとシンクレア夫人が同時に異議の声をあげた。

「アリス様の介添えでしたら、わたくしにお任せを」

「今回はエスコート役が必要だと聞いたから、そうしたの」

 誰に聞いたの。俺とシンクレア夫人が同じ顔をしたので、公爵夫人は微笑んで、

「娘をよろしくね。〝白狼子〟グレイプニル

 有無を言わさぬ、よろしく。公爵夫人は優雅に立ちあがり、配膳係にお辞儀されながら食堂を去っていった。

 どこかで会ったことがあるらしい。というか、ここには師匠の指示で家庭教師に来たのだ。雇用主が師匠の知り合いのはずだから、俺の素性を知られているのも当然か。

「それにしても……なんなんだ」

 公爵家に来てまだ初日なのに、三日後には晩餐会の令嬢エスコート役は重すぎる。

「ま、あのメルヴィル家だし、勝手は知ってるけどな」


   

 三日後。

 仕立てたばかりの正装を着て、俺は公爵家の貴族馬車に乗る。

 随伴ずいはんする護衛騎士は十二人。甲冑なんて無粋なものは着ず、武官正装だ。

 紺色ネイビーがディアンケヒト家の象徴色カラーだ。ちなみに、メルヴィル伯爵家は深緑スプルースで、王家は瑠璃色ラズワードだ。

「メルヴィル家からの招待は私、初めてなのですけれど」

 エレオノーラの少し緊張した口調に、俺は端的に説明した。

「メルヴィル家は、代々近衛騎士長を排出した家柄で、さきのエレオノーラ一世の御代でもメルヴィル伯ライオットが近衛騎士長をしていました。武門の家柄です」

「まあ、名家なのですね」

「そうです。ただ、女王退位後は、メルヴィル家もそれに従う形で近衛騎士長を辞任され、当主も娘のマーガレットに譲り、隠居しています」


「女性が家名を継承されているのですか?」

「ええ。メルヴィル家の嫡子はマーガレット一人です。なので女伯という形での継承が一代限りで認められます。そこから婚姻して嫡子ちゃくしに継承するか、養子を迎えて継承するかは御家の事情になります」

「そうなのですね。シンクレア夫人は、そこまで教えてくださらなかったので」

 貴族なら他家の御家事情も重要だろうに。あの人、意外と他家を見下してるのか。

「公爵家は交友関係が広いですから。これから憶えていきましょうね」

「はい」

 素直ないい子じゃないか。と目線を外そうとした時、彼女の手許が気になった。

「エレオノーラ様。それ、もしかして」

「え? あ、鉄扇てっせんですよ。ご覧になります?」

 鉄扇はまごうことなき、武器だ。

「えっと。拝見いたします」


 渡された扇は本来の木製よりもずっしりとしていた。開くと黒糸のクロッシェレースで、薔薇バラが刺繍されていた。骨子十二本は鉄製で幾何学文様が刻まれている。黒の染糸を使うことで文様が魔導回路だとわからないよう細工されていた。

「見事な薔薇バラですね。エール島の工芸品ですか」

「はいっ、母からいただいたものでお気に入りなんです。重いですけど」

 やっぱり重いよな。

「エール島で鉄は金に次ぐ金属ですからね。友情親愛の証として剣を送る風習があります。女性だから扇子なのかも知れませんが、名誉の証でしょう」

「そうなのですね」

 レース工芸は確かにエール島のものだが、かの地に鉄を武器や鎧以外の物に加工する発想はない。

 ひょっとして。俺は扇子に魔力を送りこんでみた。すると黒かった扇子が鮮やかな青緑色に輝きだした。

「先生っ!?」エレオノーラが目を見開く。

「ああ。これ魔導具だ。すげぇな、これって古代魔術文明の遺物なんじゃないか?」

 となりで驚く令嬢をからかい半分にあおいでやると、エレオノーラは驚いたまま俺を見る。

「先生っ、バラの香りがいたしますよ」

「うそっ!?」

 自分の顔にも扇いでみると、そんなことはなかった。

「嘘でーす」

「もうっ」

 車内で笑いが反響した。からかわれたのも腹から笑ったのも、いつ振りだろうか。

 魔力を送りこんだことで黒薔薇が虹薔薇になったことを、令嬢は嬉しそうにずっと眺めていた。


 これ、魔力ファル封緘器リミッターの役目もあるのかもな。


 エレオノーラの制御しきれない魔力を外へ逃がす目的で持たされたのなら、使い方として正しい。だが扇子に形をやつして魔導具を携帯させる技巧は〝暗器〟にしか聞いたことがない。

 ディアンケヒト家は魔術師としての俺の好奇心もかきたてる門外不出の魔導技術を保有している。そんな気がしてきた。


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