第9話 ワイルド・ボア



 〝ワイルド・ボア〟は、通行人に訊ねて探り当てた。

 直訳すると、野豚(猪)だが。転じて「思い切り飲み食いする奴ら」という意味だ。

「あらぁ、隊長ぉ!?」

「おい嘘だろっ、ローワンか! 故郷に帰ったんじゃなかったのかよっ」

「やーねぇ、ここがあたしンちよ!」

 褐色肌の男性がハニガムとハグをして、お互いの肩を親密にたたき合う。

「お知り合いなのですか?」

 エレオノーラが訊ねると、ハニガムは懐かしさの余韻を引きずった笑顔で応じた。

「ローワンは、十年戦争でおれの部隊にいた生き残りの一人です。夜目の利くヤツで夜間偵察を……て、こりゃあいいか。ローワン。こちらが今の直接の主人だ」

「エレオノーラです。こっちが弟のアルバートです」

「あらぁ、よくしつけられたお嬢様ねえ。ローワンよぉ。でもさ隊長、あんた確かサマーセット公の私兵になったって聞いたけどぉ?」

 サマーセット公爵家?

「ん。まあ、その話はもういいんだ。まず酒をくれ。それからお嬢さんと坊ちゃんにランチだ。うまいヤツを頼むぜ」


 ハニガムはテレンスとジャミルを引き連れて空席を探し、長テーブルの一角に陣取った。人気店というだけあって昼食時間を過ぎていたが、円テーブルの大半が埋まっていた。

「おっさん達、店に馴染むの早くない? この店を聞いてきたのは先生なのにさ」

 アルバートが皮肉をぼやく。

「古い戦友がいたんだし、別にいいよ。──アデルさん、お二人の給仕をお願いします」

「承うけたまわりました」

「先生、どちらへ?」

「さっきのローワンに、アレンベール墓地の場所を聞いて下見してきます。馬車で歩く距離でなければ、馬の世話をハニガムたちに任せて、少し歩きましょうか」

「わかりました」

 だが、ローワンから墓地の場所を聞いた俺は、意外な余談を聞いてその方針を変えた。

「エレオノーラ様、ローワンに注文を待ってもらいました。少し歩きますが、先にアレンベール墓地へ行ってみませんか?」

「先生、どうかなさいました?」

 エレオノーラがきょとんとした目を向けてくる。

 俺は少し自分の直感に酔っていたのかもしれない。思わず微笑んでいた。

「その墓地で今、〝花〟が見頃なんだそうです。淡い薄紅色をした」

 エレオノーラは夢現うめうつつな表情をして、座ったばかりの椅子を立ち上がっていた。



 アレンベール墓地。

 一望したところ、共同墓地のようだが戦没者の墓碑が目立つ。俺が生まれる前からの将軍や政治家、文化人の名も目立つ。というのも、一神聖教がはいったばかりの円十字の墓碑が多い。

 そして彼らの頭上を覆うのは、薄紅色の天蓋てんがい

「姉さん、これ八重桜やえざくらだよっ。ねえ、姉さんってば!」

「聞こえてるから、ちょっと黙ってて……っ」

 弟の興奮を、姉は腰の入らない声でたしなめる。 

 俺は二人をアデルに任せて墓守を見つけると、少金を握らせて門衛兵士長のネイサンの墓まで案内を頼んだ。

 目的の墓碑には、すでに喪服を着た女性がたたずんでいた。

 小柄な母親に手を引かれ、退屈そうにしている男の子が明後日の花を眺めている。

「ネイサン門衛士長のご家族の方ですか」

 俺が声をかけると、喪服女性は振り返り、子供の手をひいてこちらに歩き出す。

「ジョイスさんですか」

「どなたでしょうか」

 肩が触れる距離で、低くかすれた声だった。泣き暮らした声ではない。現場で鍛えられた声だ。よく見れば喪服の下の肩から首に掛けて盛り上がる筋肉は剣士のそれだ。


「ガブリエルハウンズの調査に来ました」

 俺のカマかけは、未亡人のヴェールの奥にまで届いたらしい。

 ほの暗いとばりの向こうから、後ろ暗い炎がこちらをじっと見つめてくる。

「どちら様ですか。夫の知人にあなたのような驕慢きょうまんな方は存じ上げませんが」

 妄言ではなく、おごりか。

「旅人です。ダンディーンから来ました」

「失礼します」未亡人は歩き出す。

「アリス・エレオノーラです。ネイサン兵士長の奥様ですか?」

 聞き慣れた声に振り返ると、令嬢が復帰して弟と側仕えを連れてやってくるところだった。この間の騒ぎで家名を伏せる配慮を身につけたらしい。

 だが、ジョイスは気づいたようだ。右腕を心臓の位置に掲げ、その場に片膝をついた。

「ここは英霊の眠る場所、堅苦しい挨拶はよしましょう。王国騎士家の生まれなのですね」

 ジョイスは無言のまま儀礼から立ちあがった。返事はなかった。

「言いたくないのであれば、結構です。この場で二つだけ訊ねたいことがあります」

「わたくしに?」

「この町で起きたガブリエルハウンズの行方を探しています。かの者達がこの町に来たという噂は真実ですか」

「……はい」

「本当ですか? ベラドンナリリーが手にするのは赤い百合です。しかし兵士長ネイサンの死体のそばには白い百合が落ちていたと聞きました。それはあなたが手向けた物ですか?」

 未亡人は応えない。俺はつと体を傾け、真新しい小さな墓碑を見た。


 手前に白い百合の花束がささげられていた。

 エレオノーラは未亡人をまっすぐ見つめて言葉を継ぐ。

「白百合は、聖母マリアの暗示として『女性の純潔と崇高』を表します。また騎士の世界では『信頼、知恵、騎士道精神』を示し、古来より鎧にその〝百合の紋章フルール・ド・リス〟(実際は菖蒲あやめ)が刻まれました。それらから、あなたの亡き夫へのメッセージは『私の愛を信じて欲しい』でしょうか」

「やめて!」

 ジョイスが強い口調で遮った。子が驚いて母を見あげる。

「余所者のあなた達に、何がわかるというのっ」

 エレオノーラは静謐な面持ちでさらに半歩、踏みこんだ。

「ごめんなさい。では、西の空から来た・・・・・・・ガブリエルハウンズによろしくと、お伝えください」

 エレオノーラは俺に目顔を向けてくると、墓地の入口にきびすを返した。

「どうしてっ。いきなりやって来て、勝手なことを言わないでっ」

「この場で私の忠告をどう受け取るかは、三者三様・・・・。墓前に誓った愛を貫きたければ私の言葉をハウンズに伝えるのです。ご機嫌よう、ミセス。──先生、この町で食事をすませ、今夜は郊外のストーンヘブンの町に泊まりましょう」

「承知しました」



 ストーンヘブンは、アバディーンに入る前に通りかかった港町だ。

〝ワイルド・ボア〟に戻った俺たちは、ハニガムら三人組にもこのことを伝える。

 テレンスとジャミルはローワンと昔話に興じてさんざん飲み食いし、いい気分になっていた。

 ハニガムはエール一杯のみで、俺たちの帰りを待っていた。

「てことは、ここで起きたのは目当ての怪異とやらじゃなかったわけか。んで、町を離れたフリをして襲ってきたところを一網打尽にするって?」

「エレオノーラ様は、そうお考えのようだよ」

「お前の考えは?」

「真相を突き止めるのに一度町を離れる考えは同意できるが、荒事あらごと解決ってのがな」

「数で押しかけられたら、おれとお前だけじゃ対応しきれないか。たく、こいつら初端しょっぱなから羽目を外しやがって」できあがった部下をめつける。

「なんということでしょう!」

 メニュー表にエレオノーラは目をキラキラさせて声を弾ませた。

「このお店には海鮮パエリヤと海老グラタンがありますっ!?」

 注文を取りに来たローワンが微笑む。

「それが気に入ったの、お嬢ちゃん。ちょっと量が多いけど、どうする?」

「かまいません。是非それを。多ければ、ともの者とシェアします」

「だってさ。で、お供はどうするの?」

「じゃあ、エールで。度数は軽めのを。食事はシェアが回ってくるのを待つよ」

「あいよ。ちょっと時間かかるから、お嬢ちゃんと坊ちゃんにはライムジュースを出すわね。可愛いから、店からのサービスにしておいてあげる」

 子供好きなのか、愛想よい流し目でローワンは厨房へ引っこんだ。


 テーブルが無言になると、エレオノーラは上着の内ポケットから小さな皮紙と棒状の物を取り出した。この間の鉛筆とも違う。棒をひねると上下に分離し、中から金属製の爪が現れた。フタをひっくり返した爪側の棒尻に連結させて、皮紙に文字を書き始めた。

「エレオノーラ様、それは?」

 たずねたが、手紙を書くのに集中していた。代わりにアルバートが応えた。

「万年筆だよ。ぼくが作った。さしあたり旅用の羽ペンかな。ぼくが作った中でも、姉さんのお気に入りなんだ」

「いいなぁ。アルバート。今度、俺にも造ってくれないか」

「いいよ」公爵子息は平民の求めに気易く応じてくれた。

 その後、エレオノーラが注文した海鮮パエリヤとグラタンをシェアしてご相伴しょうばんする。でてきたのは大人の分量だ。このエスパーニャ帝国の料理は王都でも食べたことがあるが、こっちの方が海鮮の旨味うまみとサフランの香りが濃くまとまっていた。

 ローワンに挨拶して店を出ると、周囲から視線を感じた。

 エレオノーラの手紙はアデルに託され、ジャミルの馬に騎乗させて先発した。上級メイドながら颯爽さっそうと騎乗する様は只者ただものではなかった。

「サリバン、早速の引きだぜ。二画先に三人だ」

「反対の二区画先にも二人、五人か。ジョイスは最初から見張られていたらしいな」

 敵は早くも、エレオノーラの撒いた餌をついばみ始めた。

 ハニガムは騎馬で護衛。馬車は俺が手綱を握ってストーンヘブンへ向かう。

 ちなみに、ジャミルとテレンスは助手席をしがみつかせた。夜まで使い物にならないだろう。転がり落ちても拾わないと隊長に発破をかけられたら、幾分正気を戻した。

 ストーンヘブンで、大物を釣る。


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