第28話 赤子、知らない所でネロと傭兵団を追い込む②

 クリボッタ商会の本店に到着してすぐ、ネロはエールの町に点在する支店長たちを呼び付けた。


「……クラウス商店が馬鹿な安売りをしているのは知っているな?」

「「「……は、はい」」」


 揃って頷く支店長たちの姿を見て、ネロはテーブルを強く叩く。


「――ならば、なぜ、そのことを知らせない! お前たちは町にいたのだろう? ワシに知らせる方法なんていくらでもあっただろうがァァァァ!!」


 ネロの圧倒的無茶振りを受け、支店長は揃って押し黙る。

 クリボッタ商会における評価基準は減点方式。

 ネロの意に添わぬことや、不用意なことを言えば簡単に評価が下げられる。

 そして、一度下がった評価は回復しない。もちろん、喋らくても減点対象となるが、下手に機嫌を損ねると更に評価を下げられる。そのことを深く理解しているため、支店長は誰も喋らない。


 叱責を受けシュンとしている支店長たちを見て少し溜飲を下げたネロはため息混じりに言う。


「……まあいい。クリボッタ商会もクラウス商店と同様のことをする。この際、利益は度外視だ。クラウス商店で販売している商品価額の十パーセントまでであれば、お前たちの裁量で値下げして構わない。この機会にクラウス商店をぶっ潰してやるのだ!!」


 腕を掲げ鼓舞するも、支店長たちの士気は低いままだ。

 いつもであれば、虚勢を張ってでも同調する支店長たちとは思えぬ仕草に、ネロは渋面を浮かべる。


「お前たち、何だその反応は……?」


 悪い物でも食べたのか、それとも、不死の魔鳥が怖いのか。

 そんなことを考えていると、支店長の一人が恐る恐る手を挙げた。


「会頭。一言よろしいでしょうか?」


 そう言って手を挙げたのは、クリボッタ商会の本店を任せている支店長のイズマだ。


「なんだ。言ってみろ」


 イズマは額から流れ出る冷や汗をハンカチで拭きながら言う。


「ええと、大変申し上げにくいことなのですが、開店準備を始めるにしても人手が足りません……」

「はっ? 何を言っているのだ。お前は?」


 言うに事を欠いて人手が足りない?

 そんな訳ないだろ。現に数週間前まで働く人材が山ほどいたんだぞ?


「人手が足りない訳ないだろ。休ませていた従業員たちに働かさせろ。それで十分なはずだ。それとも何か? クラウス商店のように安売りに人が殺到し、捌けなくなることを心配しているのか?」


 それならばまだ納得できる。

 しかし違ったようで、イズマは首を左右に振る。


「い、いえ、そういう訳ではなく休業と共に休みを取らせていた従業員が皆、引き抜かれてしまいまして……」

「は?」


 意味がわからずそう呟くと、イズマはもう一度、同じことを言う。


「い、いえ、ですから引き抜かれてしまいまして……」


 クリボッタ商会で働く正規の従業員は支店長のみ。その他の従業員は皆、非正規雇用……つまりは日雇いの従業員だ。言ってみれば、アルバイトのようなもの。

 他の職場より賃金は割高に設定しているものの働いた分のみ賃金を支払えばいいので、重宝していた。

 その従業員が引き抜かれたとあって、ネロは怒り狂う。


「ふ、ふざけるなァァァァ!! どこのどいつだ! 誰に引き抜かれた!?」

「ク、クラウス商店です」

「ク、クラウス商店だとォォォォ!?」


 商会運営に不可欠な従業員を引き抜かれたネロは驚愕の表情を浮かべる。


「ば、馬鹿な……!?」


 雇っていた日雇い従業員の数は二百人。

 クラウスに雇える訳がない。


「いや、そうか。わかったぞ。クラウスの狙いが……クリボッタ商会の日雇い従業員を一定期間雇用する。これはクリボッタ商会への遠回しな嫌がらせだ!」


 ネロはテーブルをダンッと音を立て叩く。


「小癪な真似を……!! 今すぐクラウス商店より高い時給で雇うよう日雇い従業員共に伝えろ。この際、金に糸目はつけん!」


 所詮は金に困った日雇い従業員。

 クラウス商店の二倍の時給を出すと伝えれば、簡単になびくはずだ。

 すると、イズマは持っていたチラシをネロの前に提示する。


「そ、そのことで会頭に見て頂きたいものが……」

「うん……? な、なんだこれはっ!?」


 イズマが提示したのは、クラウス商店の求人広告が書かれたチラシ。


 ◆――――――――――――――――◆

 オープニングスタッフ募集!

 雇用形態:正社員

 予定年収:五百万イェン〜

 福利厚生:あり

 退職金:あり

 賞与:業績に応じて年二回

 休暇:週休二日制、有給休暇二十日

 備考:アットホームな職場です。

 定員:二百人

 ◆――――――――――――――――◆


 それを見たネロは顔を紅潮させ怒り狂う。


「なんだこれはァァァァ!?」


 雇用形態を見れば、正社員と書いてある。

 正社員とは、雇用期間を定めずに労働契約を結んだ労働者の雇用形態。

 しかも広告を見れば、店員二百人となっている。

 これは明らかにクリボッタ商会の日雇い従業員を狙った広告だ。


「――お、おのれ、クラウスっ!? どこまでワシの邪魔をすれば!!」


 正社員として雇用されてしまえば、今更、時給を上げた所で意味はない。

 クラウス商店が潰れるまでの期間限定で時給を二倍にしてあげるよ、などと言っても誰もなびかないだろう。

 それ故に、ネロは頭を抱える。


 ――なぜだ。なぜ、クラウスは日雇い従業員たちを正社員として雇用する!?

 ワシに嫌がらせをするため雇うなら日雇いでいいじゃないか!

 正社員として二百人も雇用してなにをする気だっ!?


 二百人の日雇い従業員を態々、正社員雇用する意味がわからず考え込むネロ。


「二百人、二百人、二百人、二百人、二百人、二百人、にひゃくに……」


 そこまで呟きハッとした表情を浮かべる。


「――ま、まさか……!?」


 顔を上げると、真剣な表情でイズマに質問する。


「――おい! クラウス商店は今、何店舗ある!?」


 ネロの問いに、イズマは言い辛そうに答える。


「げ、現在、本店を含め十店舗あります。会頭が町を離れている間に――」

「――そこまでわかっているなら、なぜ、このワシに連絡を寄越さなかったァァァァ!?」


 襟首を両手で掴みギリギリ締め付けると、イズマは酸欠で気絶する。

 そんなイズマを放り椅子に座ると、ネロは頭を抱えた。


「――マズい。マズいぞ……」


 それもとんでもなくマズい。

 馬車に積んだ食料は卸売業者に無理を言って用意させた物。

 飢饉が発生した町であれば、食料品を割高で購入するだろうとの思惑で、品質が悪くても食べられれば問題ないと通常より高値で大量に購入した。

 当然、購入した食料は馬車に積んだ物だけではない。後から数十台ほど食料を積んだ馬車がやってくる。

 商機と見て大量購入したため、もしこれが売れなければ、莫大な損失が出る。

 それだけではない。高く品質の悪い商品を取り扱うクリボッタ商会の近くに、安く品質の良い商品を取り扱うクラウス商店ができては、客が皆そちらに流れてしまう。

 そこまで考えネロは思う。

 あれ?

 これはもう終わったと言っても過言ではないのではないだろうか。

 今更、取引は中止できないし、飢饉でも発生していない限り、質の悪い食料を町民が買うとは思えない。

 かといって、今、できることはなにもない。


「う、うぷっ……」


 これまでの努力が巨額のマネーと共に一瞬にして消え去ったことを悟ったネロは吐き気を覚える。

 それと共に、自分をこんな立場へと追い込んだ領主とクラウスに対して怒りの感情が沸いてきた。


「このワシをコケにしおって……! 領主にクラウスめ……許さん。絶対に許さんぞ……!」


 完全な逆恨み。

 しかし、どの道、このままでは破滅だ。


「今に見ていろ……ワシの手に入らぬ町などこの世から消し去ってやる! おい、お前っ!」

「へ?」


 突然、お前呼ばわりされた傭兵は目蓋を瞬かせる。


「馬車を用意しろ。町中にばら撒いたアレを起動させる。ワシの物にならない以上、こんな町はもう必要ない」


 ネロは顔を強張らせる傭兵の肩を軽く叩く。


「なに、お前たちが避難する位の時間はくれてやる。だから、さっさと馬車を用意しろ!」

「は、はいっ!」


 そう叱咤すると、ネロは深い笑みを浮かべた。


 ◆◆◆


 その頃、鳳凰山では想定外の事態が起こっていた。

 それは、不死の魔鳥を町から誘き出すため、魔物寄せの効果のある花火を打ち上げた直後、大量の魔物が花火を打ち上げたエドガー傭兵団に襲いかかってきたのだ。

 襲いかかってきたのは猿や狼型の他、鳥型の魔物。

 エドガー傭兵団は必死になって応戦する。


「き、聞いてない! 聞いていないぞ!」

「鳳凰山には不死の魔鳥以外、魔物が存在しないんじゃなかったのか!?」


 確かに、鳳凰山には、不死の魔鳥以外の魔物は存在しない。

 しかし、それは数週間前までの話。

 不死の魔鳥がエールの町に拠点を移したことや、魔法を使うため必要な空気中の魔素が急激に枯渇する不思議な現象も相まって、今、鳳凰山には炎樹に残された不死の魔鳥の魂……つまりは魔力の塊目当てに多くの魔物が集まっていた。


「ぐっ!? このままではマズい!!」


 辛うじて応戦するも用意したものは不死の魔鳥専用の武器が多い。

 それに加え、魔素不足ときた。

 魔法士の杖には、周囲の魔素を取り込む性質がある。これにより、魔法士は自分の魔力不足を補いながら魔法を行使するのだが、空気中の魔素が枯渇していては、十全に戦うことは不可能だ。


「――くそっ! そういうことだったのか!?」


 魔素が枯渇していることに気付いたのは、魔法を行使した時のことだ。

 魔法行使時、自分の体内の魔力をごっそり持っていかれた。

 おそらく、この魔素枯渇現象はエールの町でも発生している。

 だからこそ、転移の魔法士がエールの町から帰って来なかったのだろう。


「このことに早く気付いていれば……!!」


 エドガー傭兵団は優秀な魔法士を抱えた少数精鋭。

 しかし、魔法が使えなければ、その強さは普通の傭兵団並みに落ちる。


 ――ボキッ!


 杖を折られ、エドガーは歯軋りする。


「このままでは全滅だ! 皆、撤退――」


 エドガーが撤退の合図を出そうとすると、地面が黒く影に覆われた。

 空を見上げれば、不死の魔鳥が旋回している姿が見える。


「ま、マズい!?」


 そう思った時には、時既に遅し。

 不死の魔鳥は滑空飛行すると、こちら目がけて一直線に飛んでくる。


「――か、回避ィィィィ!!」


 しかし、魔法によるバフ効果なしで不死の魔鳥の攻撃を防ぐことは不可能。

 不死の魔鳥の一撃によりエドガー傭兵団は壊滅的な被害を被ることとなった。

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