第10話 聡が見た景色②

 お昼ご飯は冷やし中華であった。

 (うぅ……膜っぽいやつは突き抜けるけど、なんか気持ち悪いなあ……多分これが卵でこっちはからし?だと思う。うっわキュウリが毒々しい緑色に見える……今日はハムかな、これ……)

 いつもと違う色彩に、食欲が混乱しきっていた。食べても大丈夫だろうか、という本能の方が強かった。怖いもの見たさでお化け屋敷に入っているみたいだ、と思いながら箸で麺を摘み、膜を通して恐る恐る口へと運ぶ。

 (あ、なんだいつもと同じ味だ良かったあ)

 ホッとした顔になり、傍らで見ていた母と萌波が不思議そうな面持ちになる。

 (みんな、夜更かしした後はおんなじ具合にこんな膜みたいなやつが生えるのかな……だから早く寝なさい、って言うんだろうな。でも、二人とも見えてないみたいだし……自分だけにしか見えないものかもしれないな……)

 やっとのことで昼食を食べ終えると、母親は忙しそうに母屋に隣接している「離れ」と呼ばれる長廊下を挟んだ別家屋に行ってしまった。

 橋本家は大きめの平屋だが、母屋の他に隣接するもう一軒の家がある。そちらは何故か、地域の住民に開放されており、何かの催しの為の会議や様々な集会、宴会等にも使われている。

 父親は住民から『お館様やかたさま』と呼ばれて、村長でも村議でもない割には、村の御意見番らしき存在として尊重されている。

 そんな理由で、村内の誰かが家を訪れる機会が多数あり、聡や萌波は彼らから『坊っちゃん』または『坊ちゃま』『お嬢ちゃん』『お嬢さん』と呼ばれて、丁寧すぎる口調で話しかけられては煙たい思いをしている聡であった。


 「あ、もうそんな日になるんだ。毎日が休みだと日にちが分からなくなっちゃうね」

 萌波がカレンダーを見ながら呟くと「りんちゃんに電話しなくちゃ」と言って、部屋を出て行った。

 (……そんな日……?)

 カレンダーを見ると、翌日は地域の納涼祭、俗に言う夏祭りが催される日であった。

 (ああ、だから今晩は会議とか打ち合わせがあるのかな……外で遊ばない方がいいな。誰かと会っちゃいそうだし……こんなだし)

 去年は家族で出かけたが、そろそろ友達とだけで行きたい年頃である。

 (こんな妙な体調じゃあなかったら、黒田くんを誘おうかな?それとも誰か他の子ともう約束しちゃったかな?まあ、明日になって治ってたら考えよう)


 夕方とは言っても、夏真っ盛りなのでまだ日が高い。部屋に閉じこもり一日中奇妙な身体の周りの緑色の膜と格闘していた聡は、喉が渇いたのでキッチンへ向かうと、窓の外に父親が庭先から離れへ行こうとしている所が見えた。少し遅れて村長が後に続く。

 (夏祭りって、村長さんも会議とかに出るんだ……でも、なんでうちなんだろう。おかしいな。大っきな家ならもっともっと他にあるのになあ)

 ちらりとこちらに視線をよこした様に見えた村長の顔がこわばっているとハッキリ聡にも分かり、すかさずしゃがみ込んで姿を隠した。

 夕食は萌波と聡だけで食べて、と母親が天ぷらうどんと食後のゼリーを置いて行くと、離れへ行ってしまう。近所の主婦たち数名と食事の用意をしているらしかった。


 「聡は明日のお祭り、どうする?お父さんたちと行く?」

 食事を終えて、二人は自分たちの食器を洗って片付けた。今年から萌波が自ら進んで手伝いをする様になり、双子の片割れである聡の行動は嫌々ながらも一応手を出しているといった具合だ。

 「萌波はどうする?誰かと行くの……?」

 聡は奇妙な膜が消えていたら友人たちと行きたいと思っていた。夏休み前に何人かでそんな話題が出ていたからだった。

 しかし、両親の許しと共に特別な小遣いが貰えないと、結局大蔵省の母親と行動を共にせざるを得ない。神社で行われるが、家から少し遠い。子どもたちだけでは許されないかもしれない。

 「うーん。お母さんがいいよ、って言ったらね。りんちゃんとよっしーとモエモンと行きたいね、って話になったんだよ」

 りんちゃんという可愛いと評判の女子には、もれなくよっしーという兄が付いて来る。確か今年中学生になったと記憶している。今年も彼女と兄はセットなのだ。自分の友人とは出かけないんだ……。と聡は思うが言葉にはしなかった。

 「お母さんがいいって言うといいね」

 「ね。それでもって特別支給が欲しいなあ」

 両親ではなく、誰か付き添いの大人がいたらいいのに、と自分勝手に考えていると、ひとり思い当たった。

 「ねえ、隣のまあ兄は?高校生だったよね?誘ってみる?そしたら萌波たちも僕も一緒に行けると思わない?」

 まあ兄とは、隣の家に住んでいる年の離れた幼なじみである。保育園児の頃に良く遊んでもらった。最近は少し距離を置いている。

 萌波はあっ、そうね、という顔をしたが、直ぐ曇らせた。

 「……だめだよ。今年、ばあちゃんが死んじゃったから新盆じゃない。アメリカに行ってるおじさんたちが帰って来るって言ってたし。それどころじゃないよ。気分的にも」

 海外出張中の両親の代わりに祖母が面倒を見ていたが、年の始めに急死してしまい、まあ兄こと榊正嗣さかきまさつぐは、高校生ながら一人暮らしをしていた。

 両親は出張を短縮して年内には帰国する予定である。それまでは近隣の大人たちが何かと世話を焼いていた。

 聡の住む村は住民があまり外部に親戚を持たない。なので村全体が遠い親戚のようであった。

 時折外からの嫁入りがあるが、そちらも『赤の他人に近い親戚』が多かった。

 「あ……ばあちゃんか……うん、そうだね……」

 まあ兄を元気づけてやりたいとか、気を紛らわせてやりたい、慰めたいとか子供心であれこれ考えた二人であったが、結局いつも通りに接するしかなかった。小学生と高校生という年齢差もあった。

 翌日の夏祭りには、正嗣を誘うのは止めよう、と決めた。

 聡は寝不足から生じた「膜」だと思い込んでいたために、早めに風呂へ入り早めに布団へ入った。

 萌波は両親が離れから帰って来るまで起きていて、話をしてみると言い、夏休みの宿題をやり始めた。

 (なんだよ。後片付けをやったり宿題をやったり……ひとりだけいい子ぶって。あ、なんだ?明日のお小遣いのためかな……それならそうと僕にも相談してくれたら良かったのに。それより今日はたくさん寝られるから、明日はこの気持ち悪いヤツが消えているといいな)

 聡は期待して、瞼を閉じた。

 昨晩の寝不足により直ぐに眠りについた。

 深く、深く。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

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眠る一族 永盛愛美 @manami27100594

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