第9話 聡が見た景色①
それは小学校五年生の夏休みに起こった。
「……え、ウソだろ!何これ……」
昨年まで双子の姉と同じ部屋で過ごしていたが、元旦からそれぞれの部屋をもらえるようになり、聡は今までより自由快適に過ごしていた矢先だった。夏休みは特にだ。
朝目覚めると、視界が明るい緑色に覆われていた。太陽の直射日光を見てから建物の中へ入った時、一時的に全てが信号機の青と呼ばれる蛍光色の緑色やオレンジ色に包まれる感覚に似ている。
しかし、外には出ていないし、勿論太陽も直接見ていない。部屋は薄暗かった。カーテンの隙間から薄日が差していても、まだ太陽は煌々と照らしてはいない。両目をパチパチと開けたり閉じたりしても、一時的ではなくて、ずっと緑色のモヤがかかったままであった。
半身を起こして試しに手で目をゴシゴシと擦ってみる。目やにが付いているのかな?と触ってみるが、何も無かった。
「全部緑色……え、なんで……え、病気?」
顔の向き、視線の先を変えても、周囲の色が緑色のフィルターを通してしか見られないらしぃ。うっすらとは元の色は見える。
ぶるっと身震いをする。目のせいではないかもしれない。なんだか身体の全体が緑色に覆われてしまったかのようだ。
「え……どうしよう……もう一回寝た方がいいのかな……寝不足って、こうなるの?」
だから大人が子供は夜更かしせずに早く寝なさい、って言うのかな?と昨夜遅くまでゲームをしていた行動を振り返る。
夜更かしは夏休みのお楽しみのひとつだ。寝坊しても、学校に遅刻しない。母親も無理に布団を剥がしに来ない。注意はされても、激しく怒られない。
でも、これは、異常だ。両手で身体を抱きしめると、何かがぐにゃりと触れた。
「わっ!!」
気持ち悪い感触に、確かめずにはいられない。手を離してもう一度交互に肘を掴んでみる。やはり気持ち悪い何かに触れる。
「……な、何?何これ、きしょい」
両手をバッ、バッと振っても、不気味な感触が拭えない。蜘蛛の巣に引っかかったみたいだ、と見えない何かを目を凝らして見ようとしても、無駄だった。
腕をそうっと前方へ伸ばしてみると、身体から三十センチぐらいの所にそのぐにゃりと気味悪い膜のようなものがあった。
「えっ、なん、え、何」
怖くても確かめないことにはどうして良いのか分からない。怖い。気持ち悪い。でも……。
背中の方にも有る。自分の周りに『膜』のようなものが、有るらしかった。怖いが得体の知れない物に対して、確認の為、念の為に両手の匂いを嗅いでみる。
(何にも匂わない……どうしよう……なんか……病気?)
寝不足でこのような膜が出来ることなど聞いたことが無い。もしかして、全部緑色に見えるのは、これが緑色なんじゃ、と周囲をキョロキョロ見回し、目が回リ気持ち悪くなった。
布団から上半身を起こしただけの聡は、また横になり、寝不足ならばもう少し眠れば治るかも知れない、と仰向けになった。
(ううう……夕べゲームに夢中になりすぎなきゃ良かった……今度から気を付けよう)
直ぐには眠れそうになかったが、目を閉じているといつの間にか眠りに落ちていた。
『聡、まだ起きないの……?もうお昼になるよ?』
遠くで双子の姉、萌波の声が聞こえる。ええ?お昼……?
起きようと両目を開けた。
「う、わぁっ!」
夢ではない。視界が全て緑色のままであった。
両手を恐る恐る伸ばしてみると、なんと身体の三十センチよりももっと遠くに『膜』が出来ていた。聡から遠ざかっていた。ぐるぐると両手をあちこちに回して確かめる。
「……有る!!何か有る……どうしよう……」
「聡、何寝ぼけてんの?お母さんが怒ってるよ。このままだと聡はお昼ごはんヌキになっちゃうよ?」
遠くで聞こえた声の主は、すぐ側で座っていた。
……ヤバい、とタオルケットを掴んで頭から被る。こんな所を見られたら、親を呼ばれてしまうかも、と怖くなった。萌波には見えてしまっただろうか。
「何、お昼ごはんも要らないの?起きないの?」
「……食べる。お腹空いた」
朝食を抜いたのだ。当然、空腹である。
(え、でも、物に触れるから……ふにゃふにゃした膜みたいなやつを通して掴めるんだ?じゃあご飯も食べられる……よね?毒じゃないよね……?)
タオルケットを掴んで、自分に引き寄せたり剥いだりを繰り返して試してみる。確かに膜(仮)はタオルケットも両手と一緒に突き抜ける。抜き差しする時に妙な感覚があるくらいだ。
姉はまだ寝ぼけているのかと呆れている。
(萌波にはこれ……見えてないのかな……?それとも、萌波も遅くまで起きてて同じことがあったから、騒がないのかな………?)
そうっと横目で姉の顔色をうかがう。
双子のシンクロのせいかは分からないが、あちらも横目で聡を見ていた。顔は真正面を向いている。
「……な、に?」
「……まだ起きないのかな、と思って。具合が悪いの?だったらお母さんに言うよ?」
具合が悪いうちに入るのだろうか、と聡は目を閉じ、また開けて確かめてみる。明るい緑色が視界を遮っている。透明な下敷きに薄い緑色のセロハンを挟んで世界を眺めているようにしか見えない。
「お母さーん!」
「あっ、萌波っ」
姉は聡の様子が変だと悟り、母親を呼びに行ってしまった。
「どうしよう……」
心臓がバクバクと高鳴っている。何かの病気なのか夜更かしのせいなのか、確かめたいが怖くてそうもいかない。
(お母さんは見えるかな……萌波も見えていたかな……何にも言わなかった。もしかしたら見えてなかったかも……?どうしよう。なんなんだよコレ……)
考えあぐねていると、2人の足音が近付いて来た。
「聡、入りますよ。どうしたの、お寝坊さんね、具合でも悪いの?悪いなら早く言ってちょうだい。お母さん心配しちゃうでしょう」
来た!!と、ガバッとタオルケットを頭から被り狸寝入りを装おうとしたが、素早く剥がされてしまう。
「ほら、体温計を持って来たから熱を測って。汗はかいてない?」
「お母さん、さっき聡は寝ぼけてたみたい。今の方がハッキリしてるもの」
(寝ぼけてないけど!2人ともいつもと変わらない……?)
観念して身体を起こしてみる。膜のようなものはやはり……ある。どの辺まで広がっているのだろう、と、距離を測る為に両手を前方へ伸ばす。
「何やってるの?パントマイム?」
「聡、ヘッタねー。パントマイムならさ、こうやって壁を叩くマネしたり吸い付いたように動かしたりしなきゃ」
萌波が一応マネをするが似たりよったりである。
母親は体温計を強引に聡の脇へと差し込んだ。
(うっわズボッて抜けてきた!!お母さん、気持ち悪くないのかな)
「ほら、ちゃんと挟んで固定しなさい。測れないでしょう」
「……ねえ、コレ見えない……?」
聡は体温計を挟まない側の腕を前に突き出して、膜らしきものに手を当ててみる。
「パントマイムに?まあ、見えないことも無いでしょうけど」
「だから下手くそだって言ってるじゃん」
(もしかして、2人とも見えていない……?)
「……見えない……?」
「だからそうは見えないって言ってるじゃない」
「そうね、もう少し練習と工夫が必要ね」
「……良かった……」
「良かった?」
母と娘は顔を見合わせる。いつもと何かが違うのでは、と。
今のところ、聡しか見えていないかもしれない。
体温計は平熱を計測した。
「まあ平熱だから大丈夫でしょう。お腹が空いて食べられそうならお昼ご飯を早く食べちゃって。夕方はお客様がお見えになるからお母さん忙しいの」
聡はやっとのことで布団から起き上がった。
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