第8話 双子の姉と失われた記憶

 ドサリと落下した物体が貴史にぶつかり、反動で不本意ながら後ろへ尻もちをつく。

 !!!!と言葉にならない悲鳴をあげた。いきなり空間に重量のある物体が湧いて出たのだ。思わず腰を抜かしそうになる。

 「駄目でしょ馬鹿っ!」

 物体は聡から離れると、その辺にあったタオルを頭に巻いた。よく見ると、なんと聡の双子の姉、萌波もなみであった。

 「……な……」

 貴史は勿論のこと、聡も目の前の姉が空中から出てきた事実を飲み込めていない。言葉を失っている。



 (痛い!!熱い!!……な、なんで萌波が今、今、なんで、今!!) 

 聡は激しく混乱していた。されるがままに、頭にタオルをぐるぐると巻かれて多少は痛みが和らいだが、ズキズキと余計に痛みが集中しやすくなってしまった。

 「……ほん……もの……?」

 (い、今、空中から落ちて来た……!!)

 応急処置を終えた姉に、混乱しきっている聡は冷静になれないままである。髪はまだうねうねと動いているが、もうそれすらもどうでもよくなってしまった。

 貴史は貴史で呆然と尻もちをついたまま、微動だに出来なかった。

 (え?え?萌波ちゃん!?え、あれ?どうやって入っ……え、落ちて来たのがそれがそう……?)

 「いきなりごめんなさい。聡が頭にハサミを入れているのがから慌てちゃって。大丈夫、伸びてるように見えても実際には伸びてないんだから。あっぶなかったあ!!」

 「え、萌波、本物……?」

 「萌波ちゃん!?どうやってに!?」

 ゆっくり貴史に振り向くと、「あれ、まだ思い出してなかったっぽい……のかな?」と呟いた。

 柚山医師と一緒にこちらへ向かっている筈だった。その上、突然空中から降って湧いたように落ちて来た。

 ……降って湧いた……。思い出していない……?……見えちゃった……?何がなんだか分からない、と貴史は黙り込む。どうやって訊いたものかも思いつかない。

 「本当に萌波……」

 (もう何がなんだかなんなんだなんだよ夢なのかな……)

 聡はふと思った。

 「そうだよ早く起きなきゃ……」

 「聡?本当の私ってどういう意味?」

 「聡くん……?」

 「……今日の夢は長いなあ……痛みとか異様にリアルだ……あれ、僕今何処で寝ているんだ……」

 (痛みが引く気配が無い。ちんちくりんな長い長い夢を見ているんだ。やけに長いなあ。不気味な夢だよなあ)

 夢の中で寝直せば起きられるだろうか?と思い立ち、瞼を閉じようとする。眠気が差して来た。

 「あっ、ちょっと待って聡!!眠りに入るのはだってば!!じゃ無理なのに!!ちょっと起きて!!」

 ハッ、と先に我に返ったのは貴史であった。

 「萌波ちゃん!!どうしてここ、や、今空中から来たよね!!」

 「えええ……なの……まさか……ええええ……」

 困った顔をして萌波ははあぁー、と大きなため息を吐き、次いで深呼吸を数回繰り返す。

 「ごめんなさい!今、聡を一番に考えなきゃいけないんです……どうやら二人とも思い出してないみたいだけど、緊急事態なんです!!説明は後でって言うかおいおいしますからって聡!お願い寝ちゃわないで!!」

 ぼうっと呆けて再び瞼を閉じる聡を、軽くゆ揺さぶりペチペチと頰を叩く。

 巻いたタオルがほどけてだらりと垂れた。血は止まりつあった。

 「そんなに出血してないみたいね。良かったぁ……じゃあ行けそうね」

 「待って、萌波ちゃん!!行く、って何処へ!?」

 貴史はようやく落ち着いて萌波をじっと見つめる。高校の制服だと思われる白いセーラー服に赤紫色のタイリボン、スカートは紺と白、ベージュのチェック柄のプリーツスカートに、校章らしきマークが入ったソックス。おまけに革靴を履いていた。

 (なんで土足!?)

 「萌波……お前もやけにリアルだなぁ……」

 聡は寝ぼけているようだ。萌波に上半身を抱えられて、今にも眠りに落ちそうである。

 貴史の問いを無視して聡を抱き起こす。

 「ちょ、夢オチにしないで!!ここ数日おかしかったんでしょ、夢じゃないの、現実なのリアルなの!!そして今危ないんだから!!お願い寝ちゃわないでよ!!」

 危ない……?貴史はぎょっとする。確かに昨日から聡の様子が変だった。体調といい、言動といい、今なおこの現状も異常である。再び混乱や動揺が襲って来た。

 (落ちつけ、ったって何をどうやって落ちつけと!!みんなおかしいだろう!!第一、人が空中から湧いて出るなんて有り得ない……え、空中から……?)

 スーパーから聡よりも早くアパートへ帰った筈が、玄関を開けたらその聡が着いていた。倒れていた。

 「萌波ちゃん、まさかどこか遠い所から飛んで来たとか言わないよね……聡くんもそんなことが可能だなんて言わないよね……まさかのこれが、俺の夢の中だなんて言わないよ……ね……?」

 萌波が片手で額に手を当てる。

 「……ああ、もう、どうしたらいいの!!こんなケースは初めてだから訳分かんない……早く行かなきゃなのにっ!!オマケに二人とも思い出してないみたいだしっ」

 思い出す、ともう一度呟くと、「あっそれがあったんだ」と、聡を壁際に移動させた。

 「萌波?夢じゃないのって本当……?」

 「いい、聡、お願いだから思い出してね。山本先生と聡が出会った日の、私が初めて見たを見せるから」

 「は?」

 ……見せる?

 「いいから黙って目を瞑って」

 萌波は右手を自分の両方の瞼に当てると、左手を聡の瞼に当てた。

 「いい?見える?」

 「え、見える、って真っ暗だけど、何……が……」

 両名の間にしばし沈黙が流れる。

 「……見えた……?」

 萌波が手を離しても、聡は目を開けない。髪はまだうねりながら伸び続けていて、背中の真ん中にまで到達しそうである。口を開こうともしない。


 萌波は黙り込んでしまった聡から離れ、じっと様子をうかがっていた貴史に向き直り、にじり寄って「先生も動かないで下さいね」と、同じ仕草をした。貴史は固まってしまった。

 萌波の手が熱い。瞼の奥に、ぼうっと白い楕円形が見えたと思ったら、だんだん広がり遠くの方に山道と小さな人形のようなものが重なって見え始めた瞬間、頭をガツン!と叩かれた感覚に「イテッ!!」と思わず声に出してしまった。

 「ごめんなさい!ちょっと我慢して下さいね。もう少しだから」

 一瞬であるが殴られた感覚と同時にビリビリと電流が流れた。身体全体に静電気よりも長い時間、チクチクする痛みが駆け巡り毛穴という毛穴から放電しそうだ。

 (……あれは……?聡くんと俺か?そうだ、なんで忘れていたんだろう。今、萌波ちゃんはなんて言った?俺たちが初めて会った時、って言わなかったか?)


 一瞬か数分間か分からない時間が流れた。

 貴史は瞼を閉じたまま、聡と同じく動かなくなった。

 萌波はハァー、と深いため息をつくと、やっと自分が土足で部屋に上がっていたことに気付き、顔を赤らめて靴を脱いだ。

 傍らに家から持って来たバッグが無いことにも気付く。

 「焦ってたからしょうがないよね……スマホもあっちだし、どうしようかな……」

 目を凝らして辺りを見渡す。


 萌波の視線の先には、車を運転している柚山医師の映像があった。

 「先生が見えても土地勘は無いし道も分からないからどの辺にいるのかも分からないなあ。不便な力だなぁ……ここを離れられないし……先生早く来て!!」


 目を瞑って蝋人形の様に固まった二人を交互に見て「間に合います様に!!」と両手を合わせた。

 


 

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