第4話
この葛木という男は所轄の刑事だ。巡査長だと言っていた。話の様子から、どうやら私を説得して思いとどまらせたと勘違いしているようだ。そういう態度も癇に障る。不愉快だ。
「で、どうなんだ。俺の案に乗る気になったか」
口の利き方も嫌いだ。いくら年上とはいえ、すこぶる不快である。
「いいえ。同意しかねます。私は目的を遂げると言ったはずです」
「そうかい。こりゃあ、困ったな。まあ、この屋上にあんたを誘ったのは俺だし、あんたが柵を越えて、こちら側に出るのを承諾したのも俺だ。だから、ちゃんと付き合うよ。しかし、参ったな……」
「どうしても、自分に従えと」
「いや、そう言ったとしても、従わないだろ」
当たり前だ。だれが、おまえなんかに。
「それに、あんた相当に頑固そうだもんな。こりゃあ、作戦変更だな」
「私は実行します。あなたがどう出ようと、成し遂げてみせます」
「分かってるよ。だが、俺の事も少しは信用してくれないか。そうじゃないと、俺とあんたと、二人で奈落に落ちる事になっちまう。そいつは御免だ」
「信用はしたいのですが、私にはそれだけの情報がありません。確かに、私はあなたによって、ここに連れてこられましたが、私があなたについてきたのは、あなたを信用したからではありません。私の目的を遂げるためです。その覚悟は、こうして私がここに立っている事で証明できていると思います」
「ああ、分かっている。分かっているよ。あんたは本気だ。その点は信用している」
「では、そちらも教えてください。まず、この屋上への扉の鍵は、どのようにして手に入れたのですか」
普通、一定の高さ以上のビルの屋上へは、安全に配慮して、自由に出入りできないようになっている。まして、高層ビルならば尚更だ。この高層タワーマンションの屋上も住人が自由に足を踏み入れられるわけではない。屋上への通用口の分厚いドアは施錠されているし、その鍵は管理会社が保管している。そもそも、このマンションの一階のエントランスをどうやって通ってきたのか。この男はここの住人ではない。自動ドアの暗証番号を知らなければ、中に入れないはずだ。もしかして、他の住人が入力するところを盗み見たのか。あるいは、住人を装って他の住人と共に入ってきたか。図々しく。いずれにしても、油断がならない男だ。こんな人は嫌いだ。
「そいつは知らない方がいいんじゃないか」
「いいえ。知っておく必要があると思います」
反射的にこう返してしまう自分も嫌いだ。子供の頃にこんな大人になりたいとは思わなかった。今の自分を若い頃の自分が見たら、きっと軽蔑するだろう。この葛木巡査長のように、辟易した顔で溜め息を吐くはずだ。
「はー。仕方ねえな。分かったよ。下の管理人さんにちょっと声を掛けて鍵を貸してもらったのさ」
「声を掛けただけで、鍵を貸してくれたのですか。そんな馬鹿な」
「――分かったよ。そう怖い顔をするな。正直に言うよ。刑事として、正当に入手した情報を餌にしたんだ。そういうことだよ」
「つまり、何らかの事情を基に管理人さんを脅したということですか」
「脅したなんて人聞き悪い。ただ、ある行為を立件しない旨を刑事として正式に伝えただけさ。鍵を借りる時に、ついでにその事を伝えた。たまたまだよ、たまたま」
「鍵と交換に犯罪行為を黙認したと」
「だから、たまたまだって。証拠が無ければ立件できないだろうが。それを教えただけだ。鍵の事は別」
「では、そうだとして、何故あなたがこんな事をしているのです?」
「こんな事って、俺は別に……」
スマホの呼び出し。この風の中でも振動音が聞こえる。私と会話をしている途中なのに、何の断りもなく通話に応じるなんて、なんと無礼なのだろう。
「はい。俺だ、葛木だ。――今、どこだ。――そうか、とにかく急げ。もたもたしていると、奴さん、マジで飛び降りちまうぞ」
私のことを。勝手に。
「バカヤロウ、事を荒立てるんじゃねえ! 応援なんか呼ぶんじゃねえぞ。おまえ一人来れば十分だ。何でもいいから早くしろ、いいな!」
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