第35話 クローザーの気持ち
今日も10球も投げずに帰宅した直史は、実のところかなり疲れていた。
待機時間が長すぎるのだ。
実働八時間の労働であろうと、通勤に片道二時間もかかっていれば、それは拘束12時間である。
そこまで長くなくても、通勤などの移動にかかる時間は、人生を貧しくさせるものである。
そんな時間に音楽や動画、また小説やマンガなどを提供したスマートホンは、確かに人生の充実度を上げたのかもしれない。
もっとも都心の満員電車などでは、そんな余裕もなかなかないだろうが。
……なんの話だったか?
別に今までも、試合には全て出ていた。
NPBと違って先発の「あがり」がないので、基本的には全ての試合は帯同なのだ。
昨日投げた先発に、今日も投げさせるわけがないではないか、というのは日本人としては当然の感覚である。
だがMLBはそもそもロースター入りとベンチ入りを分けてはいないので、前提からして違うのだ。
直史が苦しむとまではいかなくても違和感を抱いているのは、ブルペンに行くという状況もある。
これまでは全て先発で、しかもほとんどを完投していた。
正直なところクローザーやセットアッパー的に投げたこともあるので、自分でもこれほど困るとは思わなかった。
「けれどスポーツ、特に団体競技なら、拘束時間は関係ないでしょ?」
瑞希としてはそこが疑問である。
「俺もそう思うんだが……」
自分が繊細だとは思っていなかった直史だが、今回の配置転換については、想像以上のダメージを受けている。
おそらく心構えが出来ていなかったというのが、一番大きな理由だろう。
ボストンに行くか、ラッキーズに行くかの二択ではないかと思っていた。
ミネソタという線は、年俸の金額から難しいと判断できた。
またナ・リーグのチームの可能性も、考えないではなかった。
大介と対決する機会を考えるなら、サンフランシスコなどでも面白いと思ったものだ。
対決できるならどこでもよかった。
ただ、絶対に対決の可能性がない、同じチームに来てしまった。
確かにあのままアナハイムにいても、今年はもう絶望的だとは分かっていた。
しかしそれでも、ア・リーグのチームならどこか、直史を獲得出来はしなかったのだろうか。
それこそヒューストンなどは、昨日の敵が今日の友。
色々な状況は考えていたが、まさかメトロズでクローザーをすることになるとは。
つまるところ予想外の事態であったため、さすがの直史も動揺していたわけだ。
完璧主義の人間は、その想定外の事態に陥ると、精神的なショックも逆に大きくなる。
直史の場合はこれまで、想定の範囲をとてつもなく広く取っていた。
だからこそショックを受けることなく、淡々とプレイ出来ていたわけだ。
しかしMLBでのクローザーというのは、これまで経験してこなかった内容だ。
そのためメンタルに動揺が生まれているわけだ。
そんな自己分析を淡々と済ませて、直史は明日のことを考える。
アトランタとの第四戦、メトロズの通常の運用なら、直史の出番はない。
次のシンシナティとのために、直史は休ませるだろう。
この二試合で直史は、出したランナーも0という、先発と比べても完璧なピッチングをしている。
完璧以上の完璧がないのが、パーフェクトというものであるのだが。
直史としては、心配事もあるのだ。
クローザーは確かにこれまでにもやったが、せいぜいが一大会といったところ。
本格的にやったのはワールドカップが初めてだったが、あれはかなり限定されていた。
球数制限やイニング制限、また連投制限がしっかりとされていた、アマチュアの試合であったのだ。
しかしプロの世界は、どうなるかは分からない。
直史にとって一番重要なことは、故障離脱しないことだ。
メトロズのリリーフ陣を見たところ、勝ちパターンのピッチャーが一人抜ければ、それだけでリリーフ事情が苦しくなる。
せっかく大差をつけていても、一気に四点まで入るのが野球なのだ。
この二試合、直史はイニングまたぎをしていない。
だがシーズン終盤に入れば、苦しい状態になるかもしれない。
そんな時に2イニング投げるのは、どれぐらいの負担がかかるのだろうか。
完投した翌日に、普通にまた一試合投げるなど、無茶なことを直史はしてきた。
だがそれらは最初から、試合を作ることが出来ていたのだ。
他人が作り上げてきた試合を、最後の最後に〆る。
そう考えるとなんとなく、厄介だとも思ってしまう。
(クローザーは面倒なんだなあ)
ワールドカップで最優秀リリーフに選ばれた男が、今更ながら気づいていた。
八月に入ってから、メトロズは無敗の四連勝。
アトランタには差をつけた首位となっている。
ここいらで一度ぐらいは、負けてもいいだろう。
長いレギュラーシーズンを戦っていく中で、もちろん選手にはベストを尽くしてほしい。
だが現実的な話、勝つのが難しい試合では、それなりに手を抜いてもらった方がいいのだ。
162試合をこなすというのは、それだけ疲労が蓄積する。
故障するぐらいなら、休むべきところでは休む。
ピッチャーがウィルキンスのこの試合、メトロズは無理に勝ちに行かない。
そういうわけで直史にも伝えられる。
「サトー、今日は休みだ」
これがシーズン終盤であれば、また話も変わってくるのだが。
直史はほっとする。
八月は半ばから、なんと20連戦という地獄のスケジュールが待っている。
本来はもう少しだけマシだったのだが、この間のラッキーズとの試合が、一つ潰れてしまったのが影響している。
武史が完封してくれるのを、さすがに期待する直史である。
二試合投げて一試合は休む。
それぐらいのことは期待する直史である。
なおメトロズの周囲は、直史に対しては畏怖するような感情がある。
同じチームになった、同じメジャーリーガーだとしても、直史の存在は異質すぎる。
大介や上杉、それに武史といったレジェンドクラスのパフォーマンスを見ても、直史のそれは異次元だ。
中四日で全ての試合を完封勝利など、よほどルールが変更しても、二度とMLBでは見られないであろう。
直史一人が突出しているため、ピッチャー全体を下げるようなことは出来ない。
変化球を厳しくコールしていくとしたら、他の変化球投手にも影響は出る。
そもそも直史のコマンド能力は、高すぎると言える。
坂本から聞いてはいたし、ワールドシリーズでも敵として対戦はしている。
しかし味方の目線で見ると、そのえげつなさがより違った方向から分かるのだ。
なんで大介はこれを打てたのだろう、と大介の実力を知った上でも思ってしまう。
特にブルペンのリリーフ陣は、キャッチャーの構えたみっとが1ミリも動かないことに、日々驚かされるものである。
ただし今日は出番はない。
試合前の練習の間、直史は軽くキャッチボールをするだけであった。
他は全く投げることなく、守備のノックに少し入り、あとはずっと柔軟とストレッチをしていた。
寝転がった状態から、足を上げたりするのを数十分。
あとは地面に寝転がったまま、腰のあたりをひねったりもしていた。
あんなので上手くなるのか、とメトロズの投手陣は思ったりする。
もちろん上手くならない。人には向き不向きというものがあるのだ。
そろそろ慣れてきたのか、直史に色々と質問する選手も出てくる。
特にピッチャーなどは、変化球の投げ方に興味津々だ。
しかしそれに対して直史は、アドバイスなどは出来ない。
これだけ多くの変化球を使っていると、普通なら故障する。
直史の肉体は大介や武史とは、また別方向の頑丈さを持っているのだ。
レギュラーシーズン中に、下手にフォームをいじることなど出来はしない。
ただどう見てもおかしいと思えるところは、普通に指摘できる。
同じチームでプレイするのは、長くても三ヶ月もない。
その間に盗めるのなら盗め、というのが直史の正直なところだ。
それでも優勝のために必要そうなことなら、色々とアドバイスはしたり出来る。
もっとも直史の「これは出来て当然」というもののレベルが高すぎて、前提条件で無理になっていることはある。
首脳陣は直史の存在で、投手陣が全体的に落ち着いたのを感じている。
武史などは全く意に介さず完投をし続けていたが、投手と野手の間で、もしくは先発とリリーフの間で、溝が生まれかけていたのは確かだ。
せっかく打ってもそれ以上に取られて、試合に勝てない。
それなりに抑えてつないだのに、リリーフが崩壊する。
これは圧倒的に打撃で打ち砕かなければ、なかなか試合にも勝てない。
勝利に貢献するのが打線ばかりが多くなり、明らかに不公平感が出てくる。
チームの成績と自分の成績は分けて考えるべきだろうが、確かなことは一つある。
目の前の試合に、負けてもいいなどと思えるならば、プロとしては通用しない。
ただ首脳陣は、いかに上手く負けるかを考える。
負けてもいいのだ。全てを勝つことなど、不可能であるのだから。
それでも士気を保って、六割も勝てれば普通にポストシーズンには進出出来る。
そこが難しいのが、野球という競技なのだ。
四連敗は避けたい、というアトランタの感情が伝わってくる。
ウィルキンスは今季、ここまで6勝9敗。
防御率はお世辞にも良いとは言えず、打線の援護でようやく勝ち星がつくといった感じのピッチャーだ。
彼が先発して負けた試合は、全て彼に負け星がついている。
それでもいい点を探すとすれば、最悪でも五回までは投げている、イニングイーターの部分であろうか。
負けてもいいと言うか、負ける計算でやらなければいけない試合はあるのだ。
防御率が四点台後半のピッチャーでも、MLBなら使いどころがある。
ただしこれはウィルキンスの年俸がまだ安いからであって、FAになって年俸が上がるなら、使うまでもないなと思われてしまうかもしれない。
今年で26歳になるウィルキンスは、まだまだFAには遠い。
本来ならば力量的には、ロングリリーフか敗戦処理か、といったところだ。
それでも今のメトロズなら、充分な戦力になる。
一回の表からアトランタ打線に捕まって、二点を失点。
そしてその裏のメトロズの攻撃、ステベンソンが出塁したのに、大介に対しては敬遠が行われた。
確かにホームランでも打たれたら、一気に同点になる。
しかし一回の裏でランナーが一人出ただけで、敬遠をするのか。
アトランタならするのだろう。
地区優勝を争い、ポストシーズンを目指すチームなのだ。
現実主義でもって、この試合を勝ちにいく。
そのために得点圏に、ランナーが進むのも許容する。
このあたりはアトランタも、かなり思い切ったものである。
本日は休み、と言われた直史は、リラックスして試合を観戦していた。
攻略することばかりを考えていた、メトロズの打線陣。
しかしこうやって味方として見ると、上位打線の得点力が恐ろしい。
たとえヒットが打てなくても、ステベンソンが三塁に達すれば、おそらく一点は取れる。
そんな計算が、この打線を見ていれば分かる。
メトロズのベンチの中は、初回に二点取られたぐらいでは、全く焦ったところがない。
アナハイムも去年は似たような空気だったが、メトロズはそれに輪をかけて攻撃的だ。
坂本もこのチームの中では、打線の中の一人として動いている感じだ。
ただ最近は、打順を六番に下げようかという話もされているようだが。
今のメトロズに必要なのは、これ以上の得点力よりは、失点を少しでも抑える力だ。
坂本は日本時代はほとんどキャッチャーなどしていないが、日本流のキャッチャーの思考は理解している。
それにアメリカ流のピッチャーの思考を、元々の坂本はしていた。
なのでMLBでこそ、キャッチャーとして成功したのかもしれない。
最近は六番に入っていたラッセルが、少しずつバッティングの数字を上げてきている。
ならば坂本には、キャッチャーにかける比重を、もっと大きくしてもらっていい。
実際に今のメトロズは、武史とジュニアが勝てる投手であるものの、あとは打線の援護次第という具合である。
ただここにワトソンが戻ってくれば、更なる戦力アップになる。
クローザーが満たされたことで、チームの完成度が一気に上がった。
殴り合いの試合を楽しみに見ていることが出来る。
しかし直史としては、まだ違和感が残っている。
直史もなんだかんだ言って、日本の田舎の人間関係を背負っているのだ。
村社会の人間とまでは言わないが、意外と人見知り。
チームの一員になっているという感触はない。
それでもしっかり抑えているなら、何も問題はないという意見もあるのだろうが。
この日は大介が、久しぶりに盗塁を記録した。
大介が恐ろしいのは、その脅威の打撃力に、トップレベルの走力も備わっていることである。
復帰後は無理をせず、盗塁は控えていた。
そもそもMLBでは、盗塁の成功率なども考えていると、あまり有効な先方ではないのだ。
だからこそこの、乱打戦になりそうな試合で、走力を見せておく。
足で揺さぶることは、ピッチャーの集中力を削ぐ力となる。
盗塁などいくらされても、点につながらなければどうでもいい。
そんな極端なことを言うピッチャーもいるが、この盗塁阻止の点に関しては、間違いなく日本の野球がアメリカを上回っていることだろう。
ピッチャーとキャッチャー、バッテリー双方に意識がなければ、盗塁阻止はなかなか難しい。
キャッチャーの強肩よりも、ピッチャーのクイックで時間を短縮した方がいい。
そういった考え方で、日本のバッテリーは洗練されていった。
純粋に強肩というだけなら、MLBのキャッチャーの方が優れている者はたくさんいる。
この大介の足を警戒し、三打席目には勝負をしてきた。
これを大介は打ったのだが、ボールは野手正面。
こういうことがあるから、敬遠よりも勝負をした方がマシ。
統計的にはそうなっているが、実際にはもっと複雑な計算式がある。
一点の価値の安い試合と、高い試合が存在する。
この試合は安い試合だ。
一点の確率を高める盗塁は、むしろこの場合はするべきではない。
それよりもヒットを重ねて押せ押せとするべきだ。
しかし大介が、いざとなったら走ってくること。
この「大介が」という部分が重要なのだ。
序盤から中盤に入り、お互いのピッチャーが交代する。
それでも互いに打線に勢いがついていて、止まることがない。
難しい試合だ。おそらく継投が勝負を決める。
また大切な一点をどこで取るかで、その行方も判明するだろう。
シーソーゲームを見ていたディバッツは、直史に目を向ける。
「サトー、ブルペンでキャッチボールだけしてろ」
今日の試合、直史は絶対に出さないと言っていたのだが。
「投げるように調整する必要は?」
「ない。あくまでも登板するかもしれない、と思わせるだけでいい」
「了解」
そして直史は、ブルペンに向かっていく。
その背中に歓声が飛んで、アトランタの注意を引き付ける。
昔からやっていた、登板するする詐欺である。
これによって相手のチームには、最終回にリードされていたら終わり、という印象を植え付けることが出来る。
そこで逆に闘志を燃やす選手もいるのだろうが、今のアトランタにはそこまでの余力はないだろう。
軽いキャッチボールは、アナハイム時代からすっと続けていたことだ。
投球練習でもさほど変わらないボールであり、本当にやる気があるのか、などと言われたことがある。
ただ、結果が全てだ。
それに直史は、もっと長いスパンでシーズンを見ていた。
アナハイムでは雨天中止というのに合わなかったため、スケジュール通りに投げることが出来た。
だがニューヨークはそれなりに、今年も雨天中止が存在している。
間もなく始まる20連戦も、それがなければ一日休みがあったのだ。
ブルペンに入って、軽くキャッチボールを始める。
だがもちろんキャッチャーを座らせて、本格的に投げ込むことはない。
しかしどれでもアトランタの、対処するためのリソースをこちらに割くことが出来た。
細かいことだが、この蓄積はやがて大きくなる。
野球は統計と確率のスポーツであるのだから。
そして統計と確率によれば、この試合でもあるだろう。
「あ」
多くの観客の顔が「ワ~オ」となるその瞬間。
大介の打った打球は、ライトスタンドの最上段へ着弾した。
一発で流れを呼び込むことは、それでもまだ完全とは言えない。
だがこの一撃で、勢いは間違いなくついた。
ブルペンのベンチに座っていた直史は、また立ち上がってキャッチボールを再開する。
このスピードの全くないキャッチボールに、ブルペンキャッチャーは驚きを隠せない。
球質が武史と似ているのだ。
もっとも投球練習で投げるのと、ブルペンで投げるのとでは、全く違うものになるだろう。
しかし武史と直史の共通点は、スピードに関わらず回転が高いこと。
たとえ90マイルしか出ていなくても、三振を奪えるようなストレート。
それを直史は持っている。
ブルペンのキャッチャーには、当然ながら敵として、直史と直接対決したことはない。
だが100マイルに全く満たないストレートで、どうして空振りが取れるのか。
単純に配球の問題かと思っていたが、ストレートの質が空振りを取りやすいのだ。
もっともジャストミートされれば、そのままスタンドまで飛んで生きそうでもある。
しかしながら現実として、今年の直史は一本も打たれていない。
試合は相変わらずシーソーゲーム。
だが直史は消耗しているようには見えない。
勝率なども考えて、この試合は負けても仕方がない。
それでも直史を投入すれば、間違いなく勝てるだろうな、とブルペンでは思われていた。
直史はブルペンでキャッチボールをしながら、自分が前の二試合で、愚かな失敗をしていたことに気づいていた。
それは精神的な問題であり、よく考えればもっと、かかるプレッシャーを少なく出来たのだ。
つまるところ、このカードはメトロズのホームゲームだ。
言うまでもなく、メトロズは後攻になる。
つまりセーブに失敗しても、九回の裏で同点なり逆転なりに持ち込める可能性がある。
もちろん抑えるつもりではあったが、自分が失敗してもどうにかなるかもしれない。
その余裕を失っていたのだ。
事実、9-9の同点の状態のまま、メトロズの九回の裏が始まった。
五打席目の大介は、この状況ではさすがに敬遠される。
結局この日も、ヒットは一本打っただけで、そしてそれがホームラン。
あとは三振こそないが、打球は野手の正面に飛んでいた。
大介としても自分のバッティングが、本当に元通りになったかは疑問がある。
打球のライナー軌道が、思ったよりも下がっていることが多いのだ。
もう少しだけ掬い上げるように、アッパースイングにするべきか。
だが大介はずっと、レベルスイングでホームランを打ってきたのだ。
そもそもボールはリリース位置から、落ちてくるのが当然なのである。
なのでそれをレベルスイングで打てば、バレルによるがちゃんと遠くまで飛んでいく。
ホームランはいいのだが、ヒットがホームランに偏っていることも、少し気にはなっていた。
単打や二塁打の数よりも、ホームランの方が多い。
悪いことではないのだが、打率は下がっている。
(出塁率も下がってるからなあ)
そんなことを考えている間に、ツーアウトながら三塁に到達している大介である。
五番はメトロズの若手のラッセル。
打率は微妙であるが、パンチ力はある長距離バッター。
だがワンヒットでサヨナラ勝ち出来るこの場面では、坂本のような曲者の方が良かったか。
せめてフォアボールで出塁して、坂本につなげてくれたら。
そう思っている間に、ラッセルは見事にクリーンヒットを打っていた。
大介がホームを踏んで、サヨナラゲームセット。
これでメトロズはアトランタ戦、四連勝となった。
さらには八月に入ってから、無傷の五連勝である。
直史は最後までブルペンにいた。
もし延長になっても、直史の出番はなかった。
こうやって視点を変えて試合を見ていると、色々と発見することもある。
そして明日の試合は、おそらく直史の出番がある。
対戦するのはシンシナティ。
ナ・リーグ中地区のチームであり、現在は地区三位。
去年も一昨年も、最終的な結果は三位。
オフやトレードで戦力は編成しなおしたのだが、むしろ四位との差が縮まっている。
チームとしてはさほど怖くはないのだが、メトロズの先発はグリーン。
確実に勝利を狙っていけるピッチャーではない。
ここまで投げて2勝6敗。
数合わせの先発であり、リリーフでいいピッチングをしているピッチャーがいれば、すぐに入れ替えられるような存在だ。
今日と同じく乱打戦になる確率は高い。
そして終盤にリードしていたら、間違いなく勝ちパターンのリリーフを使ってくる。
あるいは同点の状況でも、登板する可能性はあるのだ。
なぜなら第二戦は、武史が先発する。
ここまで21試合に投げて、17試合を完投している武史。
また九試合は完封もしていて、一人で勝ってしまえる、現代では絶滅危惧種のピッチャーだ。
そこにはおそらく勝ちパターンのリリーフは必要ない。
シンシナティの打線と先発を考えれば、それなりの大差で勝てる可能性が高いのだ。
直史は先発の時も思っていたが、MLBはピッチャーの管理に対してかなり厳密な運用をしている。
NPBのようなピッチャーの心意気だとか、そういうことはほぼ考慮していないのだ。
もしもそんなプライドを出すなら、与えられた条件の中で達成しろ、と言わんばかりの態度。
もっともさすがにノーヒットノーランやパーフェクトがかかっていたら、ある程度は投げさせる。
それがショースポーツであるからだ。
シンシナティとの三連戦の後は、いよいよアウェイゲームが続くことになる。
最初はマイアミが相手なので、比較的楽な状況で、登板することになるのかもしれない。
点を取られなければいい、というのが直史の基本的考えで、それは間違いではない。
しかし残り二ヶ月もないレギュラーシーズンを考えれば、重要なのは無失点ではなく勝利だ。
わずかに集中力を落としてでも、統計的に投げていけばいいのではないか。
直史はこのあたり、クローザーとしてはやはり本職ではない。
シンシナティ戦はおそらく、第一戦か第三戦で出番がある。
ただ第三戦のジュニアと違って、第一戦のグリーンはかなり点を取られるだろう。
それを援護するだけの力が、メトロズの打線にはある。
ならばやはり勝負は終盤。
直史はそう考えて、第一戦に投げる心構えをする。
トーナメントなどの短期決戦とは、集中力のコントロールが違う。
ワールドカップもなんだかんだと言いながら、球数制限で投げられない試合が強制的に作られていた。
いつ出番が来るか分からない。
これはMLBというリーグの中では、一番難しいポジションではないのだろうか。
モチベーションを保つために、直史は彼らしくないことを考える。
ホールドやセーブのたびに、金が入ってくるのだと。
10球以内に1イニングを終わらせれば、一球あたりで一万ドル。
ひどく即物的であるが、事実でもあるのだ。
(生活環境が安定したら、もう少し精度が高く投げることが出来るかな)
移籍以降一人のランナーも許していないリリーフエースは、無表情ながら色々と考えていたのである。
おそらくその諸々の考えはほとんど、杞憂に終わるのであろう。
ひどく慎重でいながらも、だからこそ大胆なピッチングが出来る。
それが直史という人間の、本質であるのだから。
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