第34話 記録者の考察

 アトランタとの第三戦である。

 今日はホテルで目覚めるが、帰宅するのは球団の用意してくれたマンション。

 正確には用意された中から、瑞希が選んだマンションである。

 幼少期に生活環境が変遷するのは、あまりよくないと直史は思っている。

 なので子供たちにも、変な引越しはこれが最後だと思ってもらいたいものだ。


 目覚めた直史は食事をすると、ホテルの最上階にあるプールで少し泳いだ。

 それからシャワーを浴びると、球団の用意してくれたデータに目を通す。

 中にはかつてセイバーからもらった、実は球団のものよりも詳細なデータが混ぜてある。

 全て瑞希がやってくれたことであるというか、彼女はデータを直史の事跡として集めているので、自然とこういったことに詳しくなってきている。


 その副産物として、彼女はまた違った動きにも気がついた。

 これを直史に言うべきか、かなり迷うところである。

 薄々は気がついているかもしれないが、直史にとって悪いことではない。

 ただ伴侶である瑞希としては、直史の人生が歪められていることに、いささかならず思うことがないわけではないが。

「けれど、世間的に見ればむしろ、こちらの方が成功している……」

 そう、直史が選ぶべき道は、常に彼に利益をもたらす。

 神輿になって踊るタイプの人間なら、それでも良かったのだろうが。


 瑞希は直史と付き合ってから、彼の強烈な自我に感動するところがある。

 自分勝手なのではなく、自我が強固に確立していて、他人の言葉で動揺することがないのだ。

 もっとも欲望にもそれなりに忠実なところは、瑞希のよく知るところである。

 生命の三大欲求については、瑞希が一番深く接している。

 ただその他の欲望が薄いがゆえに、変な流れに巻き込まれることがない。


 直史の人生を、高校時代から瑞希は知っている。

 それから最も多くの時間を共に過ごしたのは、間違いなく自分である。

 だから最も近い他人として、直史の与える影響と、直史が与えられた影響が分かる。

 それは彼女が、直史の記録者であるため、客観視することを忘れなかったからでもある。


 大学生活からして、直史は当初の自分の予定を変更した。

 最初は国立の千葉大を目指していたのだ。

 それが東京の早稲谷となったのは、彼にとってそれが一番、利益が大きかったからだ。

 大学時代、特にストレートのスピードが150km/hを超えたあたりからは、プロのスカウトの影が何度も見え隠れしていた。

 しかし直史はそれに全く心を動かさなかった。


 直史が野球の、それもクラブチームなどではない、食っていく野球の世界に入ったのは、直接的な原因は真琴の先天的な疾患だ。

 これはさすがに、誰の力も働いていないと思う。

 自分の胎内で真琴を育てていた、瑞希自身が分かっているからだ。

 そして真琴の手術のために、大金が必要となった。

 大介に金を無心したのは、仕方のないことだと思う。

 当初の予定としては長く働いて、着実に返す予定だったのだ。

 しかし大介はそれに、自分の願いを乗せた。

 直史と対決したいという、己の欲望をだ。

 直史に拒否の選択肢はなかった、と当時は思っていたし、実のところ直史も、大介との対決は望んでいた節がある。

 それも後から多くのことの知ってから考えると、どうも不自然な点がある。

 大介が交換条件を出すのは、彼の性格からしておかしくはないだろうか。

 また直史がプロ入りして早々に、大介がMLBに来ることになった。

 直史は追いかけてMLBに来たわけだが、これもやはりおかしい。

 

 直史の条件に従って、チームを紹介してくれたのはセイバーだ。

 大介の条件に従って、チームを紹介したのもセイバーらしい。

 また大介が日本を脱出することになった、ツインズとの関係性を知っていたのもセイバー。

「いや、けどそれはおかしい」

 なんでもかんでもを、一人の個人が黒幕だと考えるのには無理がある。

 イリヤの死は絶対的に、セイバーにとっても不利益だったのだ。


 いくつかの事象の裏では、確かにセイバーが暗躍したのだろう。

 だが全てが彼女の計画から発したものだとは思えない。

 彼女がやったのは、状況を最大限に利用すること。

 その範囲の中では、信頼を裏切ってはいない。

 今回の移籍に関して以外は。


 直史と大介の、最後の対決となるはずであった今年のシーズン。

 ミネソタが強大だと言っても、それに対抗できるチームはあったはずだ。

 ボストンなりラッキーズなり、直史もそう言っていた。

 しかし実際に移籍したのは、メトロズであった。

 セイバーもこれは予定外であったのか。


 そもそも彼女の最終的な目的が分からない。

 いや、ひょっとしたら本人にすら分かっていないのかもしれないが。

 あるいはどんどんと、目的が変化していっているのか。

 ただ経済的な成功だけは、彼女の前提とするところだ。

(分からないかなあ)

「おかーさん、どーしたのー?」

 うんうんとうなる瑞希に、真琴がそんな声をかけてくる。

 急な引越しで環境が変わって、一番大変なのは子供たちだ。

 もっとも教育や養育には、金をかければある程度任せられるものがある。

 それでもある程度は、自分たちで育てるべきだと瑞希は思っているが。

「真琴は、お父さんとかお母さんに騙されたら、どんな気持ちになる?」

「……ゴーヤー……」

 しょぼんとする真琴はゴーヤーが嫌いなのだが、実は瑞希も好きではない。

 ただ彼女は、嫌いなものでも普通に食べられる人間なのだ。

 ちなみに直史は、嫌いなものがない。手間をかけないと食べられないものは、生活の上で避けているのだが。


 子供に言うのは難しかったな、と瑞希は思う。

「でもおかーさんががんばってつくってくれた、からだにいいものだからたべる」

「あ~、真琴はほんとにいい子ね~」

 愛娘をかいぐりかいぐりする瑞希は、子供の頭が発する匂いに、心が穏やかになっている。


 そう、大人は子供のために、色々なことをしている。 

 セイバーは実の親ではないし、直史も子供ではない。

 ただセイバーは白富東の時代から、直史や大介のためにならないことはしてこなかった。

 しかしセイバーはちゃんと、白富東に投資した金を、回収したと思うのだ。

 SBCという野球だけではなくトレーニング関連を主に展開する、スポーツジムの設立。

 もっとも彼女の伝え聞く資産は、そんなものでがっつりと増えるものではない。

 直史をレックスに入れた裏工作は、一応協約違反ではないが、穴を突いただけのものだ。

 完全に直史がプロ入りするという情報を、レックスにだけもたらしたのだ。

 学生野球憲章にも問題はないし、そもそもあの時点での直史は、社会人野球の選手でもなかった。

 だからこそ完全に、ひそかな接触から一本釣りが可能であったわけで。


 ただレックスに入ったことは、直史にとってはいいことばかりであった。

 セ・リーグの在京球団というのは、そしてその中でも先発のローテーションピッチャーというのは、一番自分の時間が取れるポジションだ。

 タイタンズやスターズにはアウェイゲームでもそのまま乗り込めるし、交流戦でも千葉や埼玉には普通に行ける。

 真琴の手術や入院、その後の生活なども含めて、千葉の実家からフォローしてくれる両親や祖父母が来てもらえたのは、レックスにいたからである。

 しかし同じ在京球団でありながら、なぜタイタンズは選ばなかったのか。

 それはタイタンズというチーム相手では、直史をすぐポスティングさせることが出来なかったからではないか。


 直史がプロ入りしてすぐ、大介はアメリカに渡った。

 原因としては事実上の重婚というスキャンダルであり、その情報がどこから洩れたのかは分かっていない。

 ただあの時期、上杉が復帰する可能性は、かなり低いとも言われていた。

 そんな大介がMLBに来るのに、最後の一押しをしたような気もする。


 大介の要望は、完全にはかなえられていない。

 直史との対決を言うなら、NPBでの方がその回数は多かったはずだ。

 しかし瑞希から見ても、直史と大介はNPB時代より、MLBの舞台の方が潜在能力を開放している。

 直史から唯一その技術を言語化して伝えられている瑞希としては、やっていることはほとんど超能力者だと思う。

 つまり二人が本当に本気で対戦するためには、この舞台が必要であったのだ。

 そして二人の舞台がアメリカに移ったことで、その影響力は全世界の野球関係者に届いている。


 おそらく直史が引退すれば、大介の成績もある程度低下する。

 二人は共鳴し合っているのだ。

 そこは伴侶でも介入できない、男同士の世界である。

 たとえるなら、空を駆ける一筋の流れ星。

 ……またつまらぬ考えをしてしまった瑞希である。


 ともかく今の状況は、直史にとって悪いことばかりではない。

 大介と一緒に、しかも武史まで同じチームというのは、他のチームに移籍するよりは精神的な抵抗が低いだろう。

 先発からクローザーに回ったというのは、さすがに難しいのではないかとも思う。

 しかし過去に、直史がさりげなく起こしてきた奇跡に比べれば、地味なものだと言える。

 もっとも約二ヶ月、クローザーとしてのメンタルを維持するのは、瑞希の目から見ても心配だとは思う。

 これで失敗したとしても、直史をクローザー起用した人間の責任になるのだが。


 今日も身の回りを整えるのに、時間がかかる。

 そもそも出場するとも限らないので、瑞希はおうちで観戦モードだ。

 昨日、まず1セーブは達成した。

 直史がようやく緊張感を解いたのを、瑞希は珍しい気持ちで見た。

 今年のワールドシリーズ、直史は果たして先発で起用されるのか、それともクローザーなのか。

 あるいは両方であるのか。

 未来に必要とされるであろう記録を、瑞希は残し続けていく。




 試合前、本当に直史は軽いキャッチボールしかしないのだなと、周囲の新しいチームメイトが驚いている。

 武史にとっては日常的な光景であったが、レックス時代も直史は先発であった。

 クローザーとしての調整が、本当に上手くいくのか。

 器用な兄ではあっても、実際には試行回数と反復によって、技術を身につける。

 先発で完投するよりも、クローザーの方が難しい人間もいる。

 武史などはクローザーどころか、リリーフ全般が苦手だが。


 アトランタとの第三戦、メトロズの先発はスタントン。

 直史はベンチから試合を見ることになるが、気になっていることがある。

 大介が復帰以来、一度も盗塁をしていないことだ。

  

 離脱前までの大介は、ホームランを上回る54盗塁をしていた。

 おそらくこの数字だけで、今年はもう盗塁王も取れるだろう。

 だが足でもかき回してこそ、大介と言えると直史は思う。

 もっとも前のステベンソンの出塁率が高いので、塁が埋まっている状態も多い。

 しかし大介の復帰後も、離脱前に比べるとメトロズの得点は減っている。

 大介が足で、相手のピッチャーを揺さぶってこそ、大量点につながるであろうに。


 初回からメトロズは、スタントンがツーアウト満塁というピンチを迎える。

 ここから一点だけで済んだのは、メトロズにとっては充分な結果だ。

 それこそ直史レベルのピッチャー以外からは、確実に三点を取るような打線。

 一点のリードなどはないも同然である。

 もっともそれは相手にも同じことが言えて、メトロズは今季、本当にクローザーに悩まされてきた。

 開幕からしばらくは、とにかく殴り合いで勝ち星を取ってきていた。

 五月からは比較的勝率が改善したが、故障者が出るとどうしても厳しくなる。

 まず一試合、直史はセーブに成功した。

 今日も出場の機会はあるかな、と首脳陣は見ている。


 第一打席は野手の正面ライナーで凡退した大介だが、第二打席はツーランホームランを打つ。

 さすが長打率が10割を超えている男は、打つべき時に打っていく。

 ボール一つのコントロールミスで、大介はホームランにしてしまう、というのではまだ評価が足りない。

 ボール一つ外れていても、大介はホームランにしてしまうのだ。

 この日は三打数一安打だが、その一本がホームラン。

 まさにホームランを打つために生まれてきたような人間である。


 ただスタントンの調子も、完全にいいとまでは言えなかった。

 六回までをなげたが四失点と、普段よりもやや数字は悪い。

 メトロズが打線で援護して、勝ち投手の権利は持っているものの、一点差というのは追いつかれても仕方がない。

 ここからメトロズは、勝ちパターンのピッチャーで逃げ切りにかかる。


 直史はブルペンに入る。

 味方としての視点から、メトロズのブルペンを見守るのは新鮮な体験だ。

 昨日よりもさらに、際どい展開で回ってくるかもしれない。

 メトロズの勝ちパターンは、七回にバニング、八回にライトマン。

 このうちライトマンは、セットアッパーの時とクローザーの時、成績が全く違うので知られている。

 プレッシャーに弱いタイプというのは、MLBでは生き残っていけない。

 それでもやはり、得意な状況というのはあるのだろう。




 追いつかせまいとするメトロズと、追いつこうとするアトランタ。

 七回の表、バニングは無失点でライトマンへとつなぐ。

 するとその裏には、メトロズが三点を一気に追加する。

 大介を歩かせたところから、連打を浴びたのだ。

 大介と勝負するのは、単純にOPSだけを見れば、それでも勝負した方がマシだという統計になる。

 しかし状況によっては、さすがに歩かせた方がいいという場合もある。

 今回はそれによって、シュミットがスリーランを打って、試合が決まってしまったように見えたが。


 メトロズのブルペンでは、ライトマン直史は座り、勝ちパターン以外でのリリーフが準備を始める。

 四点差になってしまえば、他のリリーフでもどうにか乗り切れる。

 そのため二人は温存しようという考えだ。

 せっかく作った肩も、今日は必要なし。

 もっとも直史は、あまり肩を作る必要を感じないのだが。


 八回の表、アトランタの攻撃。

 四点差であるのだから、ある程度の安心感はある。

 だが四点差というのは、満塁ホームランが出れば一気に同点という点差だ。

 直史はブルペンのベンチから、試合の展開を見守る。


 先発とリリーフでは、やはり心構えが違う。

 いつ出番が来るか分からないというのは、それなりに精神に負荷がかかるのだ。

 それでも今日は出番はないかな、と直史は座って静かに試合を見る。

 だがせっかくの出番をもらったリリーフが、フォアボールでランナーを出してしまった。


 ツーアウトまでは追い込んだものの、ランナーが二人いる。

 そしてこんなところから、ホームランを打たれてしまうのが、野球というスポーツの面白さだ。

 一気に8-7と一点差にまで詰め寄られた。

 もっともここからちゃんと一人を抑えて、同点にまでは追いつかせない。

 ただこれによって、リリーフの彼はしばらく、機会は敗戦処理になってしまうかもしれない。

「サトー、もう一度準備だ」

 八回の裏に、またメトロズが突き放せばいいのだが、打順からいってあまり期待できない。

 直史はブルペンでまた投げ始めるが、これは確かに面倒だな、と思う。


 高校時代、また大学時代なども、リリーフ登板はやったものだ。

 だがプロのリリーフというのは、六ヶ月もシーズンが続いていく。

 その中でどこで投げなければいけないのか、メンタルのテンションを維持するのが難しい。

 難しいだけで、出来なくはないのが直史である。


 今日はもう出番はないか、と思ったところからの再度の出番。

 もっともこの八回の裏次第で、また出番はなくなるのかもしれないが。

 メンタルが左右に揺さぶられるというクローザーは、確かに厳しい。

 本格的にやったのは高校時代のワールドカップだったが、あれは試合数が少なかったため、全ての試合で投げるつもりでいたのだ。

 そんな精神状態を、あと二ヶ月も続けるのか。

 八回の裏に追加点はなく、一点差の状態で直史は九回のマウンドに登る。




 クローザーという役割は、本当に大変なんだな、と思う。

 それもプロのクローザーというのは。

 上杉など一年間で、63セーブもして失敗なし、さらに無失点ととんでもないことをやっていた。

 直史にとっては、未知の世界である。

 ポストシーズンに抑えをするのとは、全く感覚が違うのだ。

 調整の仕方に苦しんでいると分かっているのは、おそらく坂本ぐらいであろう。


 そんな坂本は、実のところ直史は心配のしすぎだと思っている。

 目指すピッチングの内容が高すぎるが、そこまでの精度は必要ない。

 バッテリーを組んでいた時代の、普通に一回のピッチングで、相手を封じればいいのだ。

 高校時代の直史は、そういった起用もされていた。

 高校生相手にひどいと思えなくもない起用だが、それに応えていたのも直史である。

 ただ直史にとっては、やはり状況が違うのだ。


 先発で九回を迎えた場合、もう相手のバッターの調子やデータが、既に蓄積されている。

 代打が出てくることもあるが、そこまで投げてきた調子のままで、押し切ることが出来る。

 しかし新鮮な気持ちで直史と対決するバッターには、出会い頭の一発がある。


 ホームランを打たれたら同点になる。

 もし直史が先発で投げていたら、この試合は既に8-0になっていただろう。

 イニングが進めば進むほど、直史が有利になっていく。

 それが直史にとってのピッチングというものだったのだ。

 

 これまで対決してきたバッターで、直史を相手に絶望していないというのは、リーグが同じであれば少なかった。

 MLBの一年目より二年目、さらに三年目の成績がいいのは、毎年どんどこと相手の心を叩き折ってきたからだ。

 それがある程度リセットされたのが、メトロズにおける直史である。

 これが先発であれば、まだしも投球術で、相手を翻弄してきた。

 坂本がキャッチャーであるというのは、その点ではまだしも良かったというべきか。

「今日はどうするがか?」

「一つぐらいは三振を取っておくかな」

「じゃあそうやってみるかあ」

 坂本の精神状態は平常運転。

 そもそも一度や二度の失敗は、人間ならあるだろうと気楽に考えている。


 一年間を組んでいた坂本は、直史が現実的な完璧主義者であることを知っている。

 能力が高いがゆえに、その理想に近いピッチングをやれてしまうのだ。

 おかげで相手は自信を喪失し、よりその脅威は高まっていく。

 去年のブリアンに打たれた一発も、ブリアンのデータがあまりなかったからだ。

 今年はミネソタ相手にも、普通に完封してしまっている。


 どうせなら直史は、先発で使った方がよかったのでは、と坂本も思ってはいる。

 直史と組んだ試合では、その最初の第一球が投げられる前に、もう試合が終わったという感覚さえあった。

 勝負が始まった時点で、既に勝利を確信する。

 そんな境地に至っていたのが、直史というピッチャーであった。


 そして本人は少し自信がないらしい、この試合にしてもそうだ。

 坂本には勝利への確信がある。

(まあ、普通はあれだけ慎重なのは、キャッチャーの方やろうに)

 そう思いながらも坂本は、直史をリードする。

 この試合の勝利した風景が、彼にはもう見えてきていた。




 本日の大介は、三打数一安打二打点である。

 またもホームランというバッティングで、これでホームラン数は54本。

 109試合が終わった時点で、こんな数字になってきてしまった。


 故障からのあまりにも早い復帰に、相手チームのピッチャーはやや油断したということもあるだろう。

 ペース的に言えばホームランの数は、90本に達してもおかしくない。

 17試合も休んで、それでも80本には到達しそう。

 MLBの異常な記録の一つとして、間違いなく残るであろう。


 ショートを守りながら、大介は直史の様子を気にしている。

 かつて味方として感じたような、絶対的な安心感はない。

 それでも直史が点を取られるというのは、考えにくい大介であるが。

(クローザーは難しいんだろうなあ)

 プロ入り一年目の大介も、ライガースで足立というクローザーの背中を見ていたものだ。

 経験が充分であり、そして精神的に強いこと。

 奪三振能力だのフォアボールを与えないことだの、そういうものでクローザーが成り立つなら、ライトマンが普通にクローザーをしているだろう。


 クローザーに必要なものは、自分自身に対する圧倒的な自信だ。

 それがあるからこそ、この試合の最後を任されて、投げることが出来る。

 直史に感じるのは、自信というのとは少し違うと思う。

 マウンドの上の直史は、誰にも絶対に打たれないという安心感を感じる。

 それは実績からくるものなのだろうが。


 思えばあのセンバツでの敗戦からのち、直史の投げる試合では、負ける気がしなかった。

 実績が信頼を作る。

 ワールドカップでの直史は、クローザーとしての最優秀選手に選ばれていた。

 全体MVPは大介であったが。


 先頭打者から中軸という、一発が出たら同点に追いつかれるという場面。

 だがその先頭は、直史のボールを打ち上げてしまった。

 簡単なショートフライで、大介がキャッチアウト。

 また今日も自分のところに打たせるのか、と少し心配になる大介である。


 しかし今日の直史は、ちゃんと自力で投げていた。

 四番打者をストレートで三振に取ると、最後の五番打者も変化球で内野ゴロを打たせる。

 セカンドが処理して、スリーアウトゲームセット。

 本日は八球を投げていた。

 もちろんブルペンで投げた球数の方が、はるかに多い球数であった。




 これで2セーブとなる。

 インセンティブがついて、20万ドル。

 まさかこんなことになるとは思っていなかったというのが、直史の正直なところだ。

 レギュラーシーズンが終わるまでに、あとどれぐらいのセーブ機会があるのか。

 打力に優れたメトロズは、リードした展開で終盤を迎えることが多い。

 イニングの頭からなら、一点を取られる間に三つのアウトは取れそうだ。

 ただ球数の捉え方が、先発とリリーフでは違う。


 今日の試合で思ったことだが、直史は一度、今日の出番はないなと判断された。

 しかしそこから急ピッチで仕上げたため、ブルペンで投げた球数は多くなっている。

 もちろん直史の投球練習は、全力で肩を作りにかかるというものではない。

 それは先発で投げる時でさえ、同じことだ。


 ボールのスピードなどは必要ないのだ。

 思ったボールを投げられることが、直史のピッチングには必要なのだ。

 なので消耗度合いも、普通のクローザーを含めたリリーフよりは少ないであろう。

 だが普通のクローザーは、投げなくても肩は作らないといけない。

 そしてイニングをどれだけ食ったのか、それが重要となる。

 ホールドやセーブといった数は、勝ちパターンのピッチャーのみのものだ。

 それ以外のピッチャーは、とにかくイニングを投げなければ評価の対象にならない。


 マウンドに立つかどうかも分からないのに、ブルペンで肩を作らなければいけないのか。

 もちろん直史も、リリーフの準備だけで終わった試合というのはある。

 しかしそれは短期決戦の状況で、普段からずっと準備をしていたわけではない。

 それに大学時代などは、適当に投げていてもコンビネーションでどうにかなったのだ。


 明日の試合にも投げたら、それは三連投。

 メトロズも基本的には、勝ちパターンのピッチャーの三連投はしないようにしている。

 だが相手がアトランタなので、他のチーム相手の試合とは、話が変わってくる。

 三連投は、あるかもしれない。

 しかもメトロズの先発は、それほど強いピッチャーでもないウィルキンス。

 乱打戦になって終盤に僅差、というのはありうることである。


 つまり、ここで直史は覚悟を決めた。

 それこそがクローザーにとって、最も重要なこと。

 直史はまだクローザーとしては、成長の途中にあるのだった。

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