第31話 エースの行方

 この日の直史は、不本意なピッチングであった。

 九回の裏、トローリーズの最後の攻撃が始まる。

 スコアは2-0とアナハイムのリード。

 そしてトローリーズの打ったヒットの数は0で、当然のように直史はランナーを出していない。

 エラーもなく、つまりはパーフェクトである。

 しかし球数が、既に100球を超えていた。


「つくづく化け物と言うか……」

 トローリーズのベンチで本多は呟いていたが、それでもある程度は限界があるのか。

 樋口がいないことによって、かなり慎重に投げていたのだろう。

 ボール球を空振りさせることもあったが、初球からボール球で入るということもあった。

 基本はゾーン内で勝負するという縛りを、今日は解禁している。

 それだけで奪三振も増えるのか。


 ただベンチから見る限り、その表情には喜びの色などない。

 もちろん緊張の色もない。

 直史と話した時、理想のピッチングについて語ったこともある。

 27球で終わる試合が、時間もかからないのでいいな、とは言っていた。


 九回の裏まで、直史は投げきる。

 トローリーズは代打も出して、逆転の可能性を最後まで諦めない。

 2-0ならまだワンチャンスだ。

 しかしこの最後の裏、直史は緩急を使って三振を奪った。


 九回27人に119球の14奪三振。

 完全に力で抑えた、今季五度目のパーフェクト達成。

 地元のトローリーズが負けたのに、観客の満足度は高かった。

「キャッチャーが樋口じゃなくなって、負担が大きくなったのは確かなんだろうけどな」

 本多としてはこのカード、重要なのは直史の投げる試合ではない。

 他の試合において、トローリーズがちゃんと勝てるかということだ。

 本多自身も第三戦で、先発のローテが回ってくる。

 樋口の離脱した試合以降、アナハイムは三連敗していた。

 それをようやく止めたのが、直史のピッチングであったのだ。


 パーフェクトピッチング。

 主力を二人も欠いたアナハイムにとって、これは最後の希望であったのかもしれない。

 ただ直史としては、球数が多すぎた。

 キャッチャーの能力を考えると、どうしても落ちるボールが使いにくくなる。

 三振を奪うために、ややボール球も使うことになる。

 それを見抜かれて、振ってこないバッターもいた。


 直史のピッチングに関して、美学というものはない。

 ただプロでやるとしたら、パーフェクトよりも完封を続けるほうが、チームに対してはいいだろうと考えている。

 ローテを確実に守り、リリーフに負担をかけない。

 それによって味方の投手陣全体が、相当の余裕をもって投げることが出来る。

 しかしこのトローリーズとの残り二戦は、勝つのは難しいだろう。

 フィデルとガーネットが先発だが、トローリーズも強いピッチャーを持ってきている。

 直史が投げる試合では、最初からある程度捨てているとも言えるのだ。




 直史の嫌な予感は当たった。

 そしてここから当たり続けることになる。

 点が取れなくなってきて、そしてピッチャーもある程度の失点は覚悟しなければいけない。

 完全に無失点に抑えている直史の存在が、むしろ異常であるのだ。


 低下した打線であっても、どうにかして二点から三点は取れる。

 今年は完封された試合は、一度だけのアナハイムなのだ。

 もっとも樋口の離脱後は、明らかに上位打線が機能しない。

 ヒットが出ても連打が出にくい。

 ケースバッティングで単打と長打を使い分けて打っていた、樋口の存在が大きすぎた。


 リードされた状態のまま、試合の終盤に入ると、勝ちパターンのリリーフはなかなか出すことが出来ない。

 せめて点差が少なければと思うのだが、トローリーズの打線は爆発力はともかく隙がない。

 アナハイムの投手陣では、抑えきれないものであると、多くの者が分かったであろう。

 一勝二敗でオールスターに突入。

 この期間は休める直史は、色々と自分でも考えていた。


 中三日で投げたらどうなるだろうか。

 むしろそんな無茶は、樋口がしている間にするべきであった。

 味方の得点力が落ちたため、直史は一点もやれない。

 主軸が二人もいなくなっても、少しは点が取れることがありがたい。

 しかしセイバーの言っていたことが現実味を帯びてきた。

 ポストシーズンに進めるチームへの移籍。

 トレード拒否権は、あくまでも権利であって義務ではない。

 彼女が言っているのだから、現実的な線ではあるのだろう。


 本当ならここで、心身ともに微調整をするはずであった。

 ホームランダービーとオールスターを合わせて四日の休養期間。

 だが直史は、色々と考えざるをえなかった。

 そしてこの休み明け、ヒューストンとの三連戦がある。

 ここは直史、レナード、ボーエンと勝率の高い三枚を使うことが出来る。

 それでも勝つことが出来なければ、アナハイムは完全に今年は諦めるべきだろう。


 ヒューストンとの第一戦、直史は本気で投げている。

 九回110球、被安打1のエラー1とほぼ完璧なピッチング。

 三振を15個も奪ったのは、味方の援護が一点しかなかったからである。

(打線が上手くつながっていないな)

 なのでアレクもシュタイナーも、長打を狙っていくしかないのだ。


 一つでも前の塁を目指す、と考えたアレクも軽く足を挫いてしまった。

 これは別に今年絶望などという怪我ではなく、二週間もすれば復帰出来るというもの。

 しかし完全にセンターラインが崩壊した。

 点を取るための状況を作れるバッターも消えたのだ。

 残り二試合を落として、負け越しとなる。


 レナードもボーエンも、七回二失点のハイクオリティスタートであった。

 しかしその後ろ、リリーフが撃たれているし、打線も点を取れていない。

 悪い流れの中で登板した、ピアースも打たれたりしている。

 これはもう、チーム崩壊というレベルであった。




 マクヘイルがトレードに出された。

 シュタイナーがトレードに出された。

 他にも今年で契約が切れる選手や、二年だけという選手が出されて、若手を取ってくる。

 完全にアナハイムは、解体に舵を切っていた。

 七月末のトレードデッドラインに、大きく動くアナハイム。

 そんな中、セイバーが直史のマンションを訪れた。

 もちろん彼女の出す話題は、一つしかない。

「トレード、いいですね?」

「ワールドシリーズを望めるチームならどこでも」

「本当ならそれが難しいんですけどね」

 セイバーは苦笑した。


 アナハイムの選手放出は、これがファイアーセールかと直史が思うほどのものであった。

 だが実際のところ、本気でチームを解体するなら、こんなものではない。

 アナハイムは直史を、三年から五年ほどは延長して契約したかったのだ。

 もしもそれが残っていれば、むしろ逆に無理に戦力補強に走ったかもしれない。

 しかし去年、あれだけ強かったチームが、こうも崩壊するのか、とは直史も感慨深いものであった。

 悲しみと同時に、どこか笑えるところがある。


 だが、今はそんな感情は無視しよう。

「それで、どこですか?」

「今はまだ言いませんが、ワールドシリーズにかなりの確率で進出出来れば、それでいいですね?」

「まあ、それしかないでしょうし」

「直史君はあと二試合、アナハイムで投げてもらいます。それからトレードを成立させます」

「それはまた……」

 直史が七月に投げるのは、31日が最後である。

 つまり試合後に、そのままトレードということになるのか。


 デッドラインぎりぎりに移籍、というのは別にMLBでは珍しいことではない。

 しかしまさか自分が、そんなあわただしいことに巻き込まれるとは思っていなかった。

 相手はブラックソックスとタンパベイ。

 比較的まだ、強くないチームと言っていいだろうか。


 この残り二試合に先発するというのは、直史でぎりぎりまで客を呼ぼうという、フロントの判断なのだろう。

 しかし相手のチームも、よくもまあそんな条件を飲んだものだ。

 いや、中四日で投げるピッチャーが手に入るなら、そんな文句は言わないのか。

 さすがに中四日の日程は守ってほしいものだが。

「あと移籍先では、状況によりますがリリーフに回ってもらうかもしれません。ただ契約の内容はそのまま適応されます」

「……ああ」

 直史の契約は、インセンティブがついている。

 ホールド、セーブは一つごとに10万ドルという無茶なものだ。

 ただ去年はポストシーズンのミネソタ戦で、リリーフとして登板している。

 これを移籍先のチームも守るというわけか。


 セイバーが先にそんなことを言うとは、それぐらいの運用をしなければ、ポストシーズン進出も難しいということか。

 ならばヒューストンやシアトル、または中地区二位のクリーブランドというのも考えられる。

 あとは東地区なら、ボストン、ラッキーズ、トロントといったところか。

 タンパベイだとしたら、直史は直前まで、トレード先の相手と対戦していたこととなる。

「それで、引越しはどうするの?」

 現実の問題が待っていた。

 デッドラインぎりぎりで、そこからあちらで生活するのは、長くても三ヶ月。

 生活基盤に関することだけに、瑞希との相談も必要になる。

「私も知り合いは多いし、なんなら単身赴任でも問題ないようにしておくけど」

 その言葉で、おおよその移籍先も見当がつく。

 セイバーの古巣はボストンであり、他に知り合いが多いのはニューヨークのはずだ。

(ボストンかラッキーズか)

 もしもラッキーズだとしたら、井口がいるわけだ。

 

 ボストンはかつて上杉が短期間所属した。

 なるほどあそこは、基本的にピッチャーの層がやや薄い。

 基本的には先発を必要としているが、クローザーの若手は経験が不足している。

 ならば直史をクローザーとして使うのも、あることかもしれない。

「そういえばボストンだと、メトロズとレギュラーシーズンで対戦するんでしたっけ?」

「そうね。今年はぎりぎりまで対戦はないわ」

 ポストシーズン前に、今年のメトロズ打線と対決しておけるのか。


 大介は骨折から復帰して、ものすごい勢いでホームランを量産している。

 ヒットの半分以上がホームランというのは、あまりに異常なことだ。

 ただ代償としてか、打率は急激に下がっている。

 そうは言っても復帰後の打率でさえ、三割は軽くオーバーしているのだが。

(ボストンとは限らないけど、そのあたりは考えておくか)

 同じア・リーグならば、ある程度の情報は当然ながら手に入れてある。

 アナハイムのデータに入れる間に、色々と調べておいてもいいだろう。




 残り二試合。

 アナハイムで投げるのは、そのうち一試合だけ。

 最後のタンパベイとの試合は、アウェイでのゲームとなる。

 移籍先がどこであっても、アナハイムのピッチャーとして、ヘイロースタジアムで投げるのは最後。

 そう考えると寂しくなるかと思うと、そんなことはない。

 なにせ援護が打力も守備も低下した中、勝利を掴まなければいけないのだ。


 正直なところ、今から移籍する直史にとっては、今年のアナハイムの成績はもう、どうなっても関係ない。

 自分自身の記録については、もちろん重要なことであるが。

 七月までしかアナハイムにはいない直史だが、おそらく問題なくア・リーグのサイ・ヤング賞には選ばれるだろう。

 移籍先でリリーフとして使われるにしても、既に今の時点で23勝もしているのだから。

 かつてはリリーフがサイ・ヤング賞を取ったこともあるのだし。

 インセンティブなどの条件は、移籍先でも継続する。

 ただこの場合、サイ・ヤング賞のインセンティブは、アナハイムから六分の四、そして移籍先で六分の二と、在籍していた期間で払うことになるらしい。


 ホールドやセーブが一つで10万ドル。

 こんな無茶な条件でも、優勝したいなどというチームが存在する。

 ならば直史も、それに従ってみせよう。

 損得勘定なしで勝負すると言うのは、それほど嫌いなことではない。


 ブラックソックスとの試合、直史は久しぶりにマダックスを達成した。

 ヒットを二本、エラーが一つありながらも、そのランナー三人のうち二人はダブルプレイで消してしまう。

 そして奪三振は16個。

 樋口の離脱以来、明らかに奪三振の数が上がってきている。

 逆境の中でただ一人、延々と0のイニングを積み重ねる。

 この試合も打線の援護はわずかに二点であった。


 ほとんどたった一人の力で勝利している。

 悲壮感さえ漂うほどの、孤立無援。

 もっともそれは傍から見たらの話であり、直史としては二点も取ってくれるなら、自分が抑えればいいだけなのだ。 

 試合後のインタビューでも、エースの心得を述べる。

「どんな試合でも、勝たせるのが、チームの全てを背負うのがエースだ。だから私は、まだその境地にはほど遠い」

 お前が遠いなら、他に誰がそこにたどり着けるのか。

 だが日本人らしく、直史はビッグマウスを叩かない。

 自己主張の強くないところは、日本人らしいと言える。

 だがアメリカならばどこに行っても、ほとんど彼のことを誰もが知っている。

 その実力ゆえの、圧倒的な自信が直史を飾っていた。




 オールスターを挟んで、直史以外は勝てないという期間が、アナハイムにはあった。

 さすがに今では、そこまで悲惨なことにはなっていない。

 だがトレードによる放出で、打撃もリリーフもさらに弱くなっている。

 ボーエンが意地で、シアトルあいてに七回一失点に抑えた。

 その試合ではアナハイムも、たまたま上手く打線がつながり、三点を取ることが出来た。

 そしてリリーフも、若手が伸びてきている。

 この試合は勝てたのだが、結局シアトルとのカードも二勝一敗で負け越し。


 そして舞台は、タンパベイへと移る。

 ここが直史のアナハイムとしての最後のピッチングの地。

 移動の前に直史は、樋口やアレクに顔を会わせてきた。

 樋口はともかくアレクなどは、もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれない。

 もっともそんな仰々しい様子は見せなかったが。


 樋口はいずれ日本に戻る。 

 アレクもまた、日本には行きたいと思っている。

 スポーツ選手の後半生は、地味なものとなりやすい。

 別に引退の前であっても、オフシーズンは好きにすればいいのだが。


 移籍となれば即座に移動し、二日以内にチームに合流となる。

 ただ31日に先発したピッチャーを、すぐに投げさせることはないだろう。

 直史を取るということは、完全に今年のチャンピオンを狙いに来ている。

 逆に直史が壊れてしまったら、それこそ可能性は消えてしまう。


 そんなわけで、直史はタンパベイとの試合、本気で投げる。

 この試合に勝てば、直史の勝ち星は25勝に到達。

 昨年の同じ時期には、まだ21勝であった。

 もはや彼の前に道はない。

 彼の後ろに道は出来る。

 おそらく今後、絶対に登場しないであろうピッチャーの記録。

 25試合目の先発が、七月最後の試合となった。




 アナハイムはフロントがチーム解体に舵を切ったことで、今年のポストシーズン進出はファンも諦めた。

 打線の主力が二人、しかも一方はキャッチャーでもあったのだ。

 ただこの日になってもまだ直史を放出していないことで、来年は直史との再契約をする気なのか、と何も知らなければ期待してしまう。

 契約の内容はMLBでは、かなり公表されることが多い。

 NPBと違って年俸などは、全て公開されている。

 ただMLBの場合は契約の細則が多く、全てを把握している人間などいない。

 また直史が今年で最後という意思なのは、ごく限られた人間しか知らない。


 タンパベイとの試合も、とにかく我慢のピッチングになった。

 味方が先取点を取ってくれる可能性は、まだそれなりに高い。

 直史が投げていれば、0に抑えられるからだ。

 しかし先攻であるにも関わらず、初回からチャンスが作れない。

 アレク、樋口、ターナーが故障離脱で、シュタイナーはトレードで放出。

 上位打線がいなくなってしまっているのだ。

 それでもまだ、守備さえどうにかなっていれば、直史は相手を完封できる。

 出来ればコンビネーションの幅を広げて、もっと楽な試合がしたいものだ。


 若手がかなり出場しているこの試合、相手のピッチャーからホームランを打つ。

 なにしろホームランを打つことが、バッターにとっては一番の評価ポイントだ。

 その次が出塁なのだが、こちらはまだ見極めが出来ていないバッターが多い。

 フォアボール出塁は、単打一本よりも価値がある。

 なかなかバッターの本能としては、そのあたり割り切れないものであろう。


 今日がトレードデッドラインというわけで、敵も味方もそわそわとしている。

 だいたいトレードというのは、いきなり言われるのが普通なのだ。

 直史のように事前にある程度知らされるのは、珍しい例だ。

(しかしピアースがまだ残っているのは意外だったな)

 てっきりメトロズあたりが、くれくれコールをしていると思ったのだが。


 一点だけのリードの中、四番に入っているウィリアムズがソロホームランを打つ。

 点差が二点となって、直史はやや楽に投げることが出来るようになった。

 味方のエラーが出ても、上手く内野ゴロを打たせる。

 それでもアナハイムの守備力は、あくまでも平均的。

 アレクがいないので、外野にも出来れば打たせたくない。

 それでもポテンヒットが出るぐらいには、あちこちコースを投げて組み立てていかなければいけない。


 球数が増えていく。

 だがランナーを二塁には進ませない。

 内野ゴロさえ打たせるのが危険だと思えば、球数を使ってでも三振を奪えるコンビネーションにしなければいけない。

 直史はこの三試合、45奪三振と、明らかに三振を奪う数は増えている。

 樋口が故障する前は、おおよそ11奪三振が平均であったのだ。

 これでも充分に高い数字だが。


 二点あれば、直史は勝てる。

 エラーが二つでたが、ランナーが出たら三振を奪っていくのだ。

 ヒット一本があるので、出たランナーは三人。

 だが一人として、二塁を踏ませることはない。

 九回114球16奪三振。

 アナハイムでの直史の最後のピッチングは、ごく普通の完封で終わったのであった。




 ピアースがまだ残っていたので、今日はクローザーとして使うつもりなのかな、と直史は思っていた。

 球数が100球を超えた時点で、最後のイニングはピアースに任せてもおかしくなかったのだ。

 ただ二点差というのが、微妙なところである。

 上位打線が最終回に回ってきたため、ベンチは直史を最後まで投げさせた。

 確かに直史は、このぐらいの球数であれば、どうにか負荷をかけずに投げることが出来る。

 パワーではなく技巧で、緩急も使って空振りを取る。

 数字の球数に比べて、直史は消耗していないのだ。


 試合後のロッカールームで、ピアースの電話が鳴った。

 このタイミングであると、トレードということか。

(なるほど、ここで放出か)

 おそらくGMの間で、色々と駆け引きがあったのだろう。

 ピアースは比較的年俸も高いので、出来れば早々に放出したかったのかもしれないが。


 今年のあと二ヶ月、アナハイムはチームを再建するための試合をすることになる。

 アレクと樋口は戻ってこれる来年に向けて、新たな戦力を試して育てていくのだ。

 40人枠にいながらマイナーで試合に出ている選手は、どんどんと上げていくのだろう。

 そしてトレードで獲得したプロスペクトを、またどうにかして育て上げて、来年か再来年にはポストシーズンを狙えるチームを作るのだ。


 ミネソタの戦力が若手中心ということもあり、今後数年はア・リーグはミネソタの時代になるかもしれない。

 だが東地区は強豪がそろっていて、西地区もチーム編成にはこだわるだろう。

 ヒューストンは直史さえいなければ、すぐに地区優勝を狙っていけるだけのチーム編成をするだろう。

 今年の西地区は、ヒューストンとシアトルが、おそらくポストシーズンに進出する。

 ミネソタが上手く選手を育てたとしても、この調子ならシーズン110勝程度。

 去年のアナハイムやメトロズほどの、理不尽な強さはない。


 ボストンかラッキーズなら、ポストシーズンでミネソタと対戦しても、一勝か二勝は出来るピッチャーがいる。

 そこに直史が加われば、どうにか四勝出来るとは思う。

 もっとも新しいチームに加われば、先にキャッチャーとの関係を構築しなければいけない。

 樋口がいない間には、明らかに直史のパフォーマンスは落ちている。

 そんな状態で奪三振だけは増えているのが、おかしいと言えばおかしい。


 パワーピッチャーはファールを打たれて、球数が多くなる傾向にある。

 打たせて取るという時代は、フライボール革命の一つ前、ムービング系全盛の時代の話だ。

 直史はこれに加えて、かなり大きく緩急差を使ってきた。

 またタイミングも取りにくいよう、ピッチングモーションを色々と調整してきた。

 キャッチャーとしては、難しいのが直史のようなピッチャーなのだ。

 少なくとも頭を使わなければ、上手くこれを使うことは出来ない。


 直史の場合は、見逃し三振が多くなる。

 カーブの高さをどう取るか、また外に流れていくボールをどう取るか。

 審判の心理を上手く読んで、ストライクゾーンを広くさせるのだ。

 樋口ほどのフレーミングの技術はないが、それでもしっかりとミットを止める。

 これが直史の場合の三振の奪い方である。

 三振を奪うのに、必要なのはスピードではない。

 アウトローに上手く投げることで、三振を奪うことは充分に出来るのだ。




 そして直史にも電話がかかってきた。

 ロッカールームの中で、チームメイトが注目しているのが分かる。

 電話番号はGMのブルーノのオフィスのものだ。

 果たしてどちらのチームか。

 運命の瞬間が待っている。こういった気持ちになったのは、本当にドラフトでレックスのみが指名出来るのかとやきもきした時以来かもしれない。

「ヘロウ」

『サトー、トレードだ』

「どちらに」

『ニューヨーク』

 ラッキーズであったか。


 ラッキーズの選手には、才能豊かな若手が集まりやすい。

 なぜなら戦力均衡を目指していても、実際には資金力の豊富なチームが、ドラフトでも有力選手を獲得しやすいからだ。

 高校の時点で指名されても、奨学金をもらって大学に進み、もっといい条件で指名されるのを待つということが多い。

 またドラフト指名される前から代理人がついて、この選手は正しく評価されるべき才能だなどと言って、契約金を釣り上げようとする。

 アナハイムは資金力自体は多いし、高額年俸の選手を多く放出したので、今はとにかく若手を集めるつもりだろう。

 アレクに樋口、ボーエンあたりがいる今は、来年以降にポストシーズンは充分に狙えるはずだからだ。

「OK、ボス。ラッキーズだな」

『違う。メトロズだ』

「……………………ホワッ!? いやボス、ピアースと間違えて電話してるんじゃないだろうな。メトロズ?」

『そうだサトー、メトロズだ。君はワールドシリーズを目指せるチームならどこでもいいと、彼女に言っていただろう』

「あう……」

 直史の頭から、英語が飛んだ。


 どちらにしろ、直史が上手く会話を出来るはずもない。

 電話を切った直史は、すぐにセイバーに電話をかける。

 おそらく待っていたのだろう。ワンコールでつながった。

「ちょっとセイバーさん、どうなってるんですか!」

 おそらく最も感情的になった姿を、ロッカールームのチームメイトは目撃していた。

 こいつもこんな表情をするのか、と今更ながら新しい側面を見つけた思いであったろう。

『ごめんなさい。どうしようもなかったから、次善の選択にしたの』

「次善じゃないでしょうが!」

 セイバーは常に、なんだかんだと策動しながらも、直史たちの不利益になることはしない。

 直史はずっとそう信じていたし、セイバーもそのつもりでいる。

『タイムリミットまであと四時間ほどはあるから、まだ動くかも』

「いやこれ、俺に拒否権は……あったとしても今からじゃ……」

 はめられたのか?


 電話の向こうから、セイバーは申し訳なさそうな声を発していた。

 それすらも演技のような気もしたが。

『最後に、二人でプレイしてみたくない?』

 いや、それはそれでやってみたくはある。

 だが大介の感情はどうなるのか。

 ぐるぐると考えながら直史は、瑞希への電話の前に、大介の電話番号にコールをするのであった。




  第一章 了


×××



 ※ 本日近況ノートで第八部パラレル 日本デビュー 3 を投下しています。

   またそれに合わせて日本デビュー 2を本編の方で公開しています。

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