第25話 油断の仕方が分からない

 人間はバイオリズムの上下によって、日によってコンディションが違う。

 野球のように毎日のように試合が行われると、そのコンディションを保つのがとても難しい。

 どうやっても人間の肉体というのは、ピークをずっと保っていられないのだ。

 競技によっては年間に、少ない試合数しか行わないものを見ても、そういうものだと分かるだろう。

 本来なら野球も、プレイのクオリティを保つためには、もっと少ない試合数の方がいい。

 試合数の少ない先発ピッチャーでさえ、間隔はちゃんとあるとはいえ、常にベストコンディションを保つのは難しいのだ。


 ただ圧倒的な能力差によって、一年を通じて圧倒するようなピッチャーはいる。

 それは上杉や武史のようなピッチャーで、少しばかりコンディションが低下しても、それでも超一流の上位層に通用してしまうs。

 バッターであれば大介がそうで、調子が落ちた時であっても、極端に数字が落ちたりはしない。

 そういう点から考えると、本当に直史のピッチングはおかしい。

 精密なコントロールで投げるためには、己の投球のメカニックを精密に理解していなければいけない。

 そしてその動作を維持する集中力。

 なぜそんなものが可能なのかと、多くの者は思うだろう。

 今まで野球史に、そこまでバイオリズムに変化がなく、集中して投げてきたピッチャーはいない。

 ましてやポストシーズンなどは、さらに登板の間隔を短くしていたのであるから。


 別に直史も、完璧なわけではない。

 樋口が見ていても、それは分かる。

 雨の日にはほんのわずかだが、クオリティが下がる。

 ただ直史は、コントロールをいくつかの種類で使えるため、状況によって使い分けるのだ。

 コースが難しいならば、緩急を使う。

 それでも難しければ、球種を使い分けてくる。


 己の長所を極端に伸ばした、一点特化の戦力というのが、本来ならプロの世界では必要なことだ。

 走・攻・守などという言葉もあるが、実際のところその中のどれか一つが飛びぬけていなければ、あまり重要な主力にはなれない。

 ユーティリティー性というのは、確かにあれば便利だ。

 だがまずプロに入るのは、何か特別な武器を持っている選手。

 ユーティリティー性というのは、その後に求められるものだ。


 直史もまた、ある意味では一点特化である。

 なんでも出来るピッチャーのように見えるが、ピッチャーというポジションの中で、どれだけのことが出来るかに特化している。

 本当は走力、打力もそこそこあるのだ。

 だがそのあたりを鍛えることは、大学に入って以降は完全にやめた。

 それでも大学四年間の間には、それなりにヒットなども打っていた。

 プロ入りしてからは、完全に犠打の練習しかしていなかったが。


 アリゾナにアナハイムが遠征し、そちらのスタジアムで今回の試合は行われるわけではない。

 アリゾナもまた、打者有利のスタジアムとして知られている。

 標高の高い場所にあるのが一つの理由だが、それでもコロラドに比べればたいしたことはない。

 他に理由となるのは、乾燥した気候のために、空気中の水分が少ないことが挙げられる。

 なるほどこの季節にもなれば、確かに乾燥が目立つのだろうな、と直史は理解した。

 だが今日はホームのヘイロースタジアムの試合であり、テキサス戦以来久しぶりのことである。


 ホームゲームであるので、アリゾナからの攻撃で試合が始まる。

 アリゾナは直前まで、メトロズと対戦していた。

 アリゾナとカリフォルニアは隣同士であるため、移動の疲労などはないだろう。

 メトロズ相手には四連戦を負け越しているが、今のメトロズは相当に調子を取り戻しつつある。

 対してアナハイムはどうなのか。

 六月に入ってからは七連勝もあり、復調しつつあると言いたい。

 だが実際のところは、樋口が必死でリードをして、また打線の中でも中心となっている。

 分かりやすい強打だけではなく、スモールベースボールも駆使して戦っている。

 日本の野球に慣れたアレクとの一番二番がいることで、どうにかチャンスを作り出し、あとは後続に任せているというパターンが多い。


 アナハイムの場合、おおよそは先攻の試合の方が勝率は高い。

 だが例外になることはある。それは直史の試合だ。

 ……全て勝っているので、勝率は常に1である。

 しかし試合内容を見れば、直史の投げる試合であっても、むしろ後攻の方が有利に展開しているのである。

 それはおそらく、一回の表でランナーをまるで出せず、打線がメンタルをやられてしまうため。

 直史は対戦相手の攻撃が、それこそ先攻であるならば、完璧に抑えてみせる。




 プロ入り後四年目までに、直史は1000イニング以上を投げて自責点が五点である。

 ただしこれはレギュラーシーズンの試合である。

 ポストシーズンの試合を混ぜればどうなるのか。

 ……三年目までは無失点であった。


 四年目の去年は、大介一人に三打点を取られている。

 これによってアナハイムはワールドシリーズの連覇に届かなかった。

 しかし逆に言えば、大介以外はまともに打てていない。

 そう考えると直史の恐ろしさは、人間の限界を超えた安定感にあるのではないか。

 もはや鉄壁とか、そういうレベルではない。


 アリゾナとの第一戦が、直史の17試合目の先発となる。

 やはりこのペースで投げていけば、シーズン35勝に届くだろう。

 38勝すれば、MLB通算100勝に三年で到達する。

 おそらく21世紀以降の記録としては、永遠に消えない記録となるだろう。

 だがさすがに、38勝を一年でするのは難しいか。

 今更であるが、一年目からもっと投げておいてもよかったのだ。

 もっとも本人は、あれはあれで一年目は限界だったと言うだろう。

 二年目は果たしてどうであったか。

 ポストシーズンのワールドシリーズ、ホームフィールドのアドバンテージを取るために、少し無理をしても良かったかもしれない。

 日本では二年間で50勝。

 MLBで100勝したとしたら、200勝には届かないものの、一つの区切りではある150勝には届いたであろうに。

 こういった記録がわずかに及ばないところも、あの事件の影響が出ている。

 イリヤ暗殺は、NPBとMLBの世界にも大きな影響を与えたのだ。


 そんな直史は、この一回の表も、内野ゴロを二つと三振を一つで抑えた。

 アリゾナとの試合は二試合だけなのだ、気合を入れて投げようとは思っていない。

 失点はせずに、リリーフに負担をかけないよう、八分の力で投げればいいのだ。

 重要なのは勝つことなのだから。

 アリゾナはリーグも違うので、勝率への影響も小さい。

 ただ勝てばいいだけの相手だ。


 バッテリーを組む樋口としては、そろそろ失点してもいいんだぞ、と思ったりする。

 年間無敗の記録には、武史も含めて慣れた樋口である。

 しかしこの調子であれば、直史は年間無失点ということをやりかねない。

 上杉は確かに、クローザーとして年間無失点をやりとげた。

 だがそれはあくまで、クローザーとしての話だ。

 先発で200イニング以上も投げて、一点も取られないということ。

 それは絶対に異常事態である。


 その失点の内容も、出来ればホームランが望ましい。

 もしも誰かのエラーなどが絡めば、ものすごいアンチコメントが湧き上がるであろう。

 去年の直史がブリアンに打たれたのは、わざとではないかとふと思ったりもした樋口である。

 直史は集中して、完璧とも言えるピッチングをしている。

 ただその集中力が味方にも伝わりすぎると、逆に悪い影響を与えるのではないか。

 だから打たれてしまえ、などとは絶対に言えないことではある。

 そもそも同じ人間である直史がやっていることなのだから、合わせるべきは周囲にいる同じ人間だ。

 優れた選手を自分のところまで引き摺り下ろしても、自分が上手くなるわけではないのだ。




 この日の直史は、やはり直史らしいピッチングであった。

 とにかく内野ゴロを打たせて、それが時々内野の間を抜いていく。

 そして同じく内野ゴロで、ダブルプレイを複数達成。

 ただこれをやると、WHIPの数字は悪化するのだ。


 直史がピッチャーの究極形と思うのは、27球で試合を終わらせるピッチャーでも、パーフェクトでも、27奪三振でもない。

 勝てるピッチャーだ。

 個人の成績がいかに優れていようと、試合に勝てなければ意味がない。

 高校一年生の秋、関東大会の決勝で、スタミナ切れで延長に投げられなかったのは屈辱の歴史の一つである。

 もっとも倍以上にして返すのが、直史の常識である。


 アリゾナを徹底的に叩きのめすメリットなど、アナハイムには全くない。

 勝ち星を稼がないといけないのは、全体の勝率に影響のある、ア・リーグのチームなのだ。

 もちろん負けていいはずはないが、呪いまでかける必要はないのだ。

 アリゾナとの後は、トロントとの四連戦が控えている。

 そちらに力をかけるのは、間違っていることではない。


 樋口としては、悩ましいとkろである。

 バッテリーを組むキャッチャーとしては考えてもいけないことだが、直史は失点したほうが、守備する野手の緊張感が少なくなる。

 たとえエラーをしたとしても、失点してしまえば偉大な記録にはならない。

 直史自身は、勝つことだけを考えているのだ。

 だがその勝つためにやっている無失点のピッチングが、味方にプレッシャーをかけている。

 ただでさえ今は、バッティングが不調のアナハイムなのである。

 もっとも直史以外のピッチャーの時には、そこまで過剰に集中する必要はない。

 ただ、集中することによって、やはり消耗してしまう。

 このあたりのバランスが、上手く取れるようになれば、アナハイムはもう少し全体として、勝率を向上させられるのではなかろうか。


 九回92球で打者28人の被安打四つ。

 ダブルプレイでランナーを三人も殺した。

 当然のように、完封勝利。

 今年の平均よりは、ややヒットは打たれていた。

 三振の数も、やや少なかった。


 アリゾナ相手には、それで充分に戦意を失わせることに成功できた。

 アナハイムはピッチャーが安定してきて、負けるとしてもロースコアゲームになることが多くなっている。

 それだけ打線が不甲斐ない、と言いたくもなるのかもしれない。

 だがターナー一人の離脱で、ここまで影響が大きくなるとは思っていなかった。


 翌日の二試合目も、アナハイムは勝利。

 ここもまた、比較的ロースコアで、僅差の勝利である。

 樋口が少しずつ心配になってきたのは、ピアースの調子である。

 五月の前半など、リードして終盤に入る展開が少なかったため、全く登板機会がなかった。

 しかし五月の下旬からは、場合によっては三連投までしている。

 クローザーの価値は、僅差の試合で最後の1イニングを投げるということ。

 四月の下旬から五月にかけて、ピアースはこれに二度失敗している。

 それがアナハイムの攻撃が、覚悟してスモールベースボールをするようになってからは、リードした状態で終盤を迎えることが多くなってきた。

 リリーフピッチャーの評価は、どれだけのイニングを投げられるか、という点でもあったりする。

 勝ちパターンの場合は、とにかく防御率だ。

 もっとも自責点以外も含めて、とにかく失点が少ないことが求められる。

 そのためにはエラーの危険性が少ない、奪三振が重要となるのだが。


 アリゾナ相手には二連勝して、これで四連勝。

 去年のような圧倒的な連勝はないが、それでももう五割をだいぶ上回ることになってきた。

 六月はここまで、13勝4敗。

 ポストシーズンが現実的な数字になってくる。

 もちろん主力が怪我をすれば、一気に落ちていく可能性はある。

 しかしターナーという主砲を欠いた中で、これだけ戻してきた。

 アナハイムの底力のようなものが、ようやく育ってきている。

 それは直史一人のような、圧倒的な個人の力ではない。

 チーム全体が持つ、集団としての有機的な力だ。


 あるいはこれこそが、アナハイムに足りなかったものなのか。

 野球はチームスポーツだが、直史はそれを一人で支配してきてしまった。

 そんな直史一人がどうやっても、レギュラーシーズンを戦っていくことは出来ない。

 投げない試合で支配力を発揮するのは、さすがにかなり無理があるからだ。

 苦境の中でこそ、チームは成長することが出来る。

 この道の先にこそ、メトロズとの最終決戦が待っているのかもしれない。




 開幕から約二ヵ月半。

 当初の予定としては、ターナーの治療について、行方が分かってくる時期であった。 

 事実、ターナーの視力は、純粋に回復していた。

 ただ左目の視力は、やや落ちていた。

 そしてわずかながら、物を捉えるのに左右の目で齟齬が生まれている。


 予想していたことだ。

 マサチューセッツにおいて、彼のリハビリと調整の日々が始まる。

「レーザーで水晶体の一部を焼いて、焦点はしっかりと合うようにしました」

 医師の説明によれば、日常生活においては、これで完全に完治したと言えるものである。

 しかしこれはピッチャーにたとえるなら、160km/hを投げていたピッチャーに、140km/hが投げられるまでに回復しましたよ、と言っているのに等しい。

 ターナーが手に入れた、至高の領域に近い能力。

 それに比べたらまだまだ、立つことも出来なかった人間が、ようやく普通に歩けるようになったところか。

 ここからターナーは、100mを10秒を切るような世界にまで、戻していかなければいけない。

 ただそれでも、アメリカで最高峰の治療を受けられたことは幸いであった。


 選手として復帰出来るのか。

 それに対する医師の返答は、分からないというものであった。

 日常生活を送るぐらいまでならともかく、動体視力がとてつもないレベルで必要なプロスポーツの世界。

 そんな景色で選手たちが、何を見ていたのかは理解できないのだ。

 少なくとも自分たちと同じ、日常レベルの能力では不足なのだろう。

 そんなわけでターナーは、リハビリを開始する。


 目が、基本的な部分では治ったと言われるまでも、普通に素振りなどのトレーニングは行っていた。

 負傷してすぐの間は、変に力んだりするのも禁止されていたが、それも最初の二週間程度。

 そこからはトレーニングをして、むしろ前よりもパワーをつけたと言っていい。

 こういった故障離脱している期間こそ、むしろ自由に時間は使える。

 だらだらとしているだけでは、他の部分まで衰えてしまう。

 果たして本当に復帰出来るのかどうか、それはまだまだ不確かである。

 だがだからといって何もしないわけにはいかない。


 そんなターナーは、病院だけではなく、近隣のスポーツ施設でもリハビリを開始した。

 病院では主に、動体視力の回復を目的としている。

 これは確かに衰えていたが、それは怪我だけが理由なわけではない。

 MLBのスプリングトレーニングでも、最初はややボールに目がついていかないということはあるのだ。 

 シーズンが開幕に近づいていき、そして始まれば、そこからまた調整をしていく。

 だからリハビリにおいて示された衰えは、予想の範囲内であった。

 問題はこれが、元のレベルまで戻るかどうか、ということだ。

 それと根本的に、左右の目でしっかりと、ボールを捉えることが出来るのか。


 実際にボールを打ってみれば、ストレートには意外と対処出来た。

 だが変化球をミートすることが出来ない。

 ターナーも元は、変化球打ちが苦手ではあったのだ。

 実戦から遠ざかっている間に、その能力は確実に落ちてしまっている。

 そしてストレートにしても、マシンならともかく人の投げたボールには微調整が利かない。

 コースの見極めもかなり難しい。


 ここからまだ治療が必要なのか、それともあとはリハビリとなるのか。

 それを判断するために、もう少しの時間が必要であった。




 ターナーの状況に関しては、首脳陣にまでは降りてきている。

 だが選手たちには、詳しい状況は伝えられていない。

 最悪このまま、ターナーなしでもポストシーズンを戦う。

 それぐらいの覚悟をして、ようやくレギュラーシーズンを戦える。

 そもそもこの時点で勝率が五割以上なのだから、他のチームよりはまだ、戦力は整っているのだ。

 直史が一人で延々と、勝ち星を増やしていたりはするが。


 そして現場より一つ上のフロントとしても、判断が求められている。

 ターナーを待つか、今年は諦めて他の選手を手に入れるかだ。

 もっともターナーレベルの選手など、そうそうトレードでも出てくるはずがない。

 なのでここは、少しは格落ちしても、再建中のチームが出しそうなバッターということになる。

 ターナーが今季完全に絶望となれば、ぜいたく税を課せられる金額が低くなる。

 それを考慮するなら、一年か二年の短期間で、ベテランのバッターを手に入れるという選択はあるだろう。


 ターナーの調子を実際に見ているのは、セイバーである。

 正直なところ、専門家の意見も見ても、今年中に回復するかどうかは分からない。

 あるいは元には戻らないのかも、とすら思っている。

 上杉もまた、肩は完全には治らなかった。

 それでもNPBでは、今年ほとんど無双しているらしいが。


 今のところアナハイムは、ポストシーズンに進出するのが、無理だと言えるような状況ではない。

 格ポジションを見てみれば、主砲の一枚以外は、おおよそ戦力は充実している。

 先発のピッチャーも去年よりは落ちたが、勝ち星が増えていかないのは、むしろ打線の援護の影響だ。

 ただここで、あと一枚でも主力が長期離脱となったら。

 その時は今年で契約の切れる選手などは、格安でトレードに出していくだろう。

 いわゆるファイアーセールだ。


 ポストシーズンに進出出来ないとしても、今のアナハイムは観客動員などが黒字で、MLBから資金を受け取るほどの状態ではない。

 ターナーがいなくても、充分にファンは付いているのだ。

 ポストシーズンが狙えるならば、戦力は充実させて、最後まで戦ったほうがいいだろう。

 もっとも樋口やアレク、シュタイナーあたりが故障で長期離脱となれば、さすがに今季は厳しい。

 また直史などが故障しても、ポストシーズンは絶望的だ。


 フロントではこれに関して、とにかくポストシーズンに進出出来るかどうか、その点が重要になっている。

 もし絶望的となれば、今年で契約の切れる主力は、トレードデッドラインまでに放出してしまうべきだ。

 そうすれば今年のポストシーズン進出や、ワールドチャンピオンを目指すチームにとっては、プロスペクトを放出してでも、獲得したいと思うだろう。

 その戦力を手に入れて、アナハイムは数年後の再建を考える。

 またポストシーズンに出られないとしたら、ピアースやシュタイナーの二人あたりは、確実に放出の対象となる。

 年俸総額が安くなって、ぜいたく税を取られるのが少なくなるのだ。

 さすがに契約したばかりの大型契約選手や、まだまだ安く使える主力は、放出する気にはならないだろう。

 だがたとえばピアースなどは、まだクローザーに安定感が微妙なメトロズなどは、確実にほしい人材だ。


 メトロズは今年、どうしても優勝したいはずなのだ。

 21世紀以降、初めての連覇を果たしたチームという称号は、無理をしてでも手に入れたいものだろう。

 そのために必要なポジションは、リリーフ陣だ。

 開幕直後から比べれば、かなり安定感を増して成長してきている。

 しかしクローザーに入っているのが若手のピッチャー。

 もしも故障した時のために、そして今でもまだ微妙に弱いリリーフ陣の補強のために、まさに今年で契約の切れるピアースなどはほしいだろう。

 あそこのオーナーは、道楽でオーナーをしているのだ。


 こんな状態でセイバーは、自分がどう動くべきか。そして誰をどう動かすべきか、かなり悩んでいる。

 ターナーが復帰してくるなら、アナハイムは充分に、ワールドシリーズ進出を狙える。

 ただ復帰してくるまでに、どれぐらいの時間がかかるのか、単純な故障ではないだけに、見通しが立たない。

 もしもアナハイムが、ワールドシリーズに届かないと判断したら。

 セイバーはすぐにでも、直史を放出するべきだと考える。 

 大介と勝負をさせるために。




 直史と大介を、ワールドシリーズで対決させる。

 それは二人を、ある程度の偶然はあったとは言え、アメリカに連れてきてしまった自分の、運命としての役割だと考えている。

 メトロズは成績が安定してきたし、契約の残っている大介を放出することは、絶対にない。

 だからこの二人をワールドシリーズで見るためには、直史をどこかに移籍させる必要があるのだ。

 直史はトレード拒否権を持っているが、これはあくまでも権利である。

 大介との対決が実現しないのならば、セイバーは直史を説得して、ア・リーグの優勝候補に移籍させる必要がある。

 それこそボストンに移籍させれば、あのチームなら普通にミネソタをも倒し、ア・リーグの代表としてワールドシリーズに進出するのも現実的だ。


 他にもア・リーグならば東地区のラッキーズは、金を出すことを惜しまないだろう。

 ワールドシリーズをニューヨーク対決にするために、直史ほどの先発ピッチャーは絶対にほしいはずだ。

 今年一年と割り切っても、七月からポストシーズンまで、10勝はレギュラーシーズンまで勝ち星を積み、ポストシーズンでも大車輪の活躍をしてくれるだろう。

 ニューヨークのみで行われるワールドシリーズ。

 これはこれで見てみたいものだ。


 そして今の時点で、一番ワールドシリーズの対決が実現的なのは、ミネソタだ。

 ここはセイバーの伝手はあまりないが、今のミネソタに直史が加われば、メトロズとの対決で勝つ事は、とても現実的な話になる。

 去年も今年も、直史に完全に抑えられているミネソタ。

 だが感情的なものを除けば、直史が加入するということは、ワールドチャンピオンへの道が、大きく開かれるということになる。

 本当に、感情的なものを除けば、だが。


 ワールドシリーズ以前での対決でもいいなら、西海岸のナ・リーグのチームでもいいだろう。

 リーグチャンピオンシップで、当たる可能性はかなり高くなる。

 だがこの二人の最後の対決には、相応しい舞台を用意したい。

 これはセイバーにとって、間違いなく我がままである。

 二人の人生の、おおよそ半分を把握してきた。

 そんなセイバーだからこそ、最後の対決の舞台は、伝説になるようなものとしたいのだ。


 まだアナハイムは、ポストシーズンを諦めるような段階にはない。

 それに確認しておかなければいけないのは、直史自身の意思だ。

 アナハイムで優勝したいのか、それよりも大介との対決を優先するのか。

 本当ならそれも、ぎりぎりまでターナーを待って決めたいだろう。

 だがトレードデッドラインは七月の末だ。

 それまでに判断は決めないといけない。


 直史が大介と約束した、五年間という時間。

 大介のMLB入りによって、一年間は無駄になってしまった。

 それから二年も連続で、ワールドシリーズでの対決が成立したというのが、むしろ驚きではある。

 今年も成立すれば、三年連続でワールドシリーズが同じカード。

 まずありえないのだが、この二人の運命は、そこまで世界を変えてしまうのか。


 直史が他に移籍し、対決が成立するという方が、まだ現実的だ。

 しかしそれをも上回る、個人の力が二人にあるのか。

 トレードデッドラインまで、おおよそあと40日。

 ターナーが間に合うのか、間に合ったとしても能力は落ちていないのか。

 他にもお互いの主力選手に、故障などでの離脱はないのか。

 多くの不確定要員があるため、さすがにセイバーも計算が立たない。

 だがそれだけに逆に、二人の道が交わる可能性は、いくらでも残っていると思うのだ。

 それを自分は一番近くで見て、なんなら世界を動かして、感動を生ませることすら出来る立ち位置にいる。

 凄まじく面倒で、そして難しいことだが、面白いことでもある。

 セイバーの贅沢な悩みは、まず直史の意思を確認するところから始まる。

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