第24話 おお勇者よ
そろそろ終わらせようと、アレクと樋口の間では、無言の会話があった。
どうにかして塁に出て、あとはピッチャーにプレッシャーをかける。
同点の場面で出てきたクローザーは、もしも延長が続けば次のイニングも投げることになるのか。
レギュラーシーズンのこの時期に、クローザーに無理をさせるか。
ただこの試合は、レギュラーシーズン162試合の中の普通の一試合ではない。
ミネソタという打線のチームの価値を、世間がどう見るかという試合だ。
他人の背中を崖に向けて、躊躇なく突き落とすタイプのアレクとしては、ここで決めたいなと思う。
10回の裏にはブリアンの第四打席が回ってくる。
そこまでしっかりと抑えてしまえば、ミネソタが直史を打てるとは、とても言えなくなるだろう。
パーフェクトは運だけでも実力だけでも出来ることではないが、直史は何度もやってしまっている。
これを強運と言うのは、さすがに無理があるだろう。
認めるしかない。パーフェクトは、実力で達成できる。
他には上杉と武史が、複数回のパーフェクトに成功している。
アマチュア時代までを含めると、それなりに数は増えるだろうが。
ただ世界最高のリーグでは、佐藤兄弟だけである。
そして直史だけは、狙ってやっていると言ってしまえる頻度である。
直史が投げている試合で、負けるわけにはいかない。
アレクから見たらほぼ同格の化け物である大介さえ、連投の直史から延長でようやく打ったぐらいだ。
ミネソタも確かに強いピッチャーを惜しみなく投入してきたが、それでも常識の範囲内の存在だ。
(非常識なエースに、負担をかけるわけにはいかない)
去年のワールドシリーズでも、本来なら直史一人の力で、ほぼ勝っていたのだ。
打てる球を打つ、という普段のアレクのバッティングスタイルとは少し違う。
狙い打つのだ。
ピッチャーならば一打席に一度は、ほぼ投げてくるアウトロー。
追い込まれてからも、それに手を出した。
打球はサードの頭の上を越え、着地してからファールゾーンに転がっていく。
上手くスピンがかかっていたのか、フェンスでバウンドが変わる。
アレクは俊足を飛ばして、三塁ベースに滑り込む。
ワンナウトランナー三塁。
犠牲フライで一点が取れる場面を演出した。
ネクストバッターズサークルから、樋口はゆっくりと立ち上がった。
アレクと視線で語り、それからベンチも見る。
FMのブライアンは、特にサインを出していない。
だがこういう場合にどうすればいいのかは、ミーティングでも普通に話している。
アレクが野生的と言うか、悪意の中から生まれた抜け目なさを持っているのに対し、樋口もまた相手の不意を突く卑劣さを普通に持っている。
坊主の嘘を方便と言い、武士の嘘を武略と言う。
そして野球は、いかに相手にとって嫌なことをするかというスポーツだ。
ことサッカーなどでは世界トップには届かない日本が、なぜ野球ではそこまで強いのか。
それは散々批判されてきた、野球における精神論が一つにはある。
ルールを守り、勝つための最善の策を採る。
ただそれと同時に、奇妙な潔さも持っている。
結局のところは、スモールベースボールが、短期決戦では有効だということになるのだろう。
バッターボックスに入った樋口に対して、この回からのクローザーは初球から全力で投げていく。
ミネソタは10回の裏の先頭打者からの攻撃に、全てを賭けている。
11回の表が回ってくれば、それで終わりだ。
そう思って最高のコースに投げたボールを、アレクに打たれてしまった。
ワンナウトで三塁は、普通に多くのパターンで点が入る。
それこそエラーでもいいし、アナハイムの場合なら外野フライでアレクか樋口がタッチアップすることが多い。
だが、この打席での初球。
セットポジションから足を上げたところ、樋口はバントの構えを取った。
慌ててピッチャーはボールを外したが、樋口は普通にバットを引く。
三塁のアレクも動いていなかった。
バントは非効率的である。
それがセイバー・メトリクスによって出た結論である。
だがそれは、前提条件を省略した、乱暴な結論だ。
実際のところはバントが効果的な局面は、MLBにだって多々ある。
それでも練習の効率を考えれば、バントなどはあまり優先事項が高くない。
実のところNPBであっても、バントの得意な選手は減っている。
なぜかと言うと、それはひどく単純なことである。
プロになるようなバッターというのは、打てるバッターであることがほぼ最低条件である。
そしてそういうバッターは、高校や大学時代から、打つことを求められていた。
つまりバントなどとの小技は、そもそもその時点からあまり練習していない。
昔はそれでもバントはあったのだが、統計的に作戦を考えていけば、どんどんとバントの試合での試行数は減っていき、するとバントも下手になり、よりバントの効果が小さくなってくる。
樋口は器用に打てるバッターだ。
アベレージヒッターであるが、打つべきときには長打を打つ。
NPB時代はトリプルスリーを達成したし、MLBで年間20本打っていれば、充分に強打者の範囲だろう。
しかし樋口の真価というのは、作戦を考える頭脳にある。
そしてそれを実行する技術だ。
この場面、バントを選択してもいい。
重要なのはアレクをホームに帰すことだ。
しかしバントの構えを見せて、相手に警戒をさせてしまった。
バントも器用にこなす樋口であるが、これでスクイズの難易度は高くなってしまった。
それでもその表情から、余裕の色が消えることはない。
アレクとは視線をかわし、あらかじめ考えてあるパターンを示す。
そして二球目、樋口は再びバントの構え。
ベンチからの指示を受けて、ミネソタ側はファーストとサードがチャージしてくる。
アレクのスタートのタイミングは、わずかに遅れている。
樋口のバントは、ファーストの頭の上を越えていった。
プッシュバントは、問題なく一塁線近くに落ちる。
アレクがホームに帰るのには間に合わず、樋口自身も一塁でセーフ。
ようやくアナハイムは得点に成功した。
そしてチャンスはまだ続いている。
一点あれば充分だな、と樋口は思っている。
もしもブリアン相手に不穏なものを感じたら、それこそ歩かせてしまってもいい。
同点のランナーを塁に出すといことだ。
もっとも実際には、そんな必要はないだろうが。
盗塁を決めて、ワンナウト二塁とまたもチャンスを作る。
樋口の走力を考えれば、ワンヒットでもう一点が入ってもおかしくはない。
ただここから、もう一点が入らないのが、今年のアナハイムだ。
ターナーがここでバッターボックスに立っていれば、さらに点を取る動きを見せただろう。
ランナー残塁で、10回の表は終了。
しかしこれで、待望の一点が手に入ったのだ。
アナハイムはミネソタにとって、目の上のたんこぶであった。
ターナーの抜けたことによる、得点力の大幅な低下により、最初のカードは三勝一敗と勝ち越した。
だが最終戦に投げた直史は、ヒット一本という結果に、ミネソタ打線を封じ込めた。
今日の試合は、それよりもひどい。
フルイニング投げた直史が、まだ全く100球に達していない。
そしてパーフェクトピッチングが続いている。
まさかミネソタの主砲であるブリアンの心を折るため、わざわざ四打席目を用意したのか。
そんなことはあるはずがないのに、否定できない気持ちがある。
レギュラーシーズンで負けてポストシーズンに進出しなければ、畏れる必要はない。
しかしポストシーズン、去年の直史はワールドシリーズで四試合も投げてきた。
メトロズだったからこそ延長まで持ち込めたものの、他のチームであれば絶対に9イニングまでに終わっていた。
ミネソタは今季、投打のバランスが突出していい。
それでもエースクラスと主砲クラスを比べれば、アナハイムやメトロズには負ける。
注意を払って対策をするのは、どちらか一つに絞りたい。
それにリーグチャンピオンシップでアナハイムと対戦し、ワールドシリーズでメトロズと対戦するのは、チームの消耗が激しすぎるだろう。
だからどうにかアナハイムには、レギュラーシーズンで脱落してほしいのだ。
だがこの調子で直史が、35勝もしてしまったら。
ターナーの復帰を待たずに、ポストシーズン進出圏内に入ってしまうだろう。
直接対決で、どうにかアナハイムに多く勝っておきたい。
西地区の優勝争いは、ヒューストンが一歩リードしている。
二位以下は勝率が問題となる。
とにかくポストシーズンでは当たりたくない。
消耗した直史相手なら、どうにか勝算が出てくるかもしれない。
しかしそれさえも、確かなこととは言えない。
この10回の裏、アレンからの打順。
直史はツーストライクに追い込んでから、ストレートで内野フライを打たせた。
二番のパットンは、アウトローを見極められずに三振。
ツーアウトとなって、ブリアンの打席が回ってくる。
ミネソタのフランチャイズであるので、ブリアンになんとかしてほしいと思っているファンは多いだろう。
だがそれと同じぐらいか、それ以上の割合で、またも伝説が誕生するのを見たいと思っている観客も多い。
現在進行形の、生きる伝説。
直史に対してブリアンは、手に馴染んだバットを持って、最後の対決に挑む。
正直なところ、ここで打たれてもアナハイムの勝利はほぼ確定している。
次のイニングまで、あるいはその次まで投げても、直史の球数はそれほど多くにはならない。
だがミネソタの方は、ピッチャーを交代させる準備をしている。
本来のクローザーに、回またぎで仕事をしてもらうのは苦しいのだ。
だから試合の勝利はもう諦めてもいい。
ただこの試合の結果が、レギュラーシーズンに響くのは困る。
そして何より、ブリアンにもう1ランク上の世界に行ってほしい。
様々な期待を背に受けて、ブリアンはバッターボックスに立っている。
ブリアンの力は、去年よりもそして先日のカードよりも、さらに向上している。
さらに言うなら今日の、第三打席よりも。
たった一打席の対決が、爆発的な成長をもたらす。
(これが、若さか)
直史がもう自分が若くないな、と思ったのはいつだっただろうか。
思い出せばNPBでの二年目あたりから、そう感じていたように思える。
社会人として弁護士と働き始めたとき、まだまだ学ぶべきことは大量にあった。
NPBで新人の時、新人ではあったが新人の中では一番年嵩であった。
またキャンプから一軍に帯同していたため、既に一人前扱いであったと思う。
実際の開幕から戦っていく中で、自分よりも若い選手を多く見た。
やはり二年目ではなく、一年目から感じていたとは言える。
そして今、目の前の才能は、いずれは自分や大介を超えるかもしれない。
ほんのわずかな可能性であるが、10歳の年齢差は、おそらく世代交代として時間の流れを実感することになるだろう。
ただ、今はまだ負けてやるわけにはいかない。
大介以外には負けてはいけないし、大介にも倒すつもりで全力で挑まなければいけない。
たとえ今年、対決する可能性が少ないとしても。
(ここで負けて折れるか、それとも敗北さえも糧と出来るか)
大介は上杉との敗北を、己の糧とした。
あの選手層の薄かった白富東が、関東大会の決勝まで進んだのだ。
このメジャーの舞台で、さらに成長していくブリアン。
だがそれがまだ届かないと、はっきり分かるだけの力を、直史も持っている。
樋口のサインに頷き、初級から投げていく。
スライダーでまず、空振りが取れた。
素直に見送ったら、ボール球であったのに。
ただ、そのスイングのフォームは、無理にボールを追いかけて崩れたりはしていない。
樋口としてはここで、ブリアンには崩れてほしかった。
前回のカードでは、よりにもよって最終戦での対決だったので、呪いをかける意味があまりなかったのだ。
ミネソタとの残り二試合、打線の力を落としておかなければ、アナハイムが勝つ事は難しい。
だがブリアンは折れるには、ほんのわずかにではあるが、直史に至る道を糸一本の細さでつかんでいる。
大介との年齢さなどを考えると、次の時代のMLBを背負っていくのは、ブリアンであるのか。
まだまだ先のFAとなった時、どれだけの金額が動くのか。
俗物である樋口としては、年俸にはとても興味があった。
二球目、直史の投げたのはスローカーブ。
だがこれはゾーンを通っていても、落差がありすぎてボールになる球だ。
三球目にはストレートを投げ、それはファールになった。
そしてこれ以上に球数を増やして遊ぶことはない、
スルーを投げて、内野ゴロを打たせる。
セカンドからファーストに送られて、スリーアウト。
10回を終えてなお、球数は100球に満たず。
延長戦をパーフェクトに封じて、これで直史は15勝目である。
現時点で最強の得点力を持っているミネソタ。
前回の試合でも、ヒット一本と完全に抑えてはいた。
しかし10回まで投げて、奪三振も11個と、完全なパーフェクト。
球数はわずか90球である。
スコアもなんと1-0と完璧。
とにかく0の並ぶことの多い試合であった。
これまでにも直史は、何度となくパーフェクトを達成してきた。
しかし1-0で延長と、完全にピッチャーの力でパーフェクトを達成した試合は、MLBではなかった。
他の誰であっても、これは不可能であったろう。
全盛期の上杉なら、出来ただろうなと考える直史だ。
と言うか、NPB時代はパーフェクトではないが、何度も1-0で勝ってはいる。
高校時代もそうだったので、上杉は打線の援護に恵まれない悲運のピッチャーとして人気があったのだ。
またもMLBの歴史に刻まれる、奇妙な記録が達成された。
直史のしでかしたことで、打線を組むとすれば、これは何番ぐらいになるだろう。
……おそらく思ったほど上位にはならない。
これまでにやってきたことが、本当におかしすぎるからだ。
今のところまだ、公式記録になっていないとはいえ「サトー」という基準さえMLBに作らせてしまった。
直史としては、一試合で20個以上三振を奪うのも、何か名づけてもいいのではと思うが。
同日に行われたメトロズの試合では、武史が22個も三振を奪っていた。
おそらく今年もまた、500奪三振を目指して、頑張っていくのであろう。
ただ直史としては兄として、弟を心配する気持ちはある。
あまり三振にこだわりすぎていては、肩や肘を消耗することになる。
もっとも武史は無理な変化球は投げないので、基本的にストレート用の肉体をしている。
スプリットもあれは、スプリット・フィンガー・ファストボール。
つまりは速球から握りを変えたものであるのだから。
とりあえず今回の試合のおかしなことは、まず延長まで投げてパーフェクトであるということ。
ノーヒットノーランはともかく、パーフェクトを延長で達成した例はない。
そして延長まで続投を許した理由である、球数の少なさ。
10回までを投げて100球に満たなかったというのは、これも異常な数字である。
もはやただのパーフェクトでは満足はしないのか。
なんらかの味付けがあって、ようやく楽しまれるのか。
凄いことは凄いのだが、野球を理解していれば理解しているほど、認めたくないものであろう。
パーフェクトはおろか、完封でさえそう簡単に出来ることではない。
ましてやそれを、100球未満の球数で達成するなど。
去年の時点で既に、21世紀以降に達成したパーフェクトの半分以上は、直史が達成したことになっていた。
果たして今年の終わりまでに、どんな異形の記録を作ってくれるのか。
多くの観客は、それを楽しみにしながら、スタジアムからの帰路をたどるのであった。
ミネソタ相手には、三連勝でスウィープ出来た。
一試合ごとにバッティングの調子は取り戻しているのだろうが、それでもパーフェクトに抑えられたというショックは、同じカードの中では払拭し切れなかったようだ。
アナハイムはこれで六連勝し、次はアウェイでシアトルとの対決となる。
勝率はようやく、ポストシーズンを現実的に狙えるようになってきた。
そんな中で、同じ地区のシアトルとの対決。
もしも地区優勝が出来なかった場合は、勝率が重要となる。
実際のところ今のア・リーグは、勝率で言うならミネソタが一つ頭が抜けている。
東地区は地獄のような争いが続く。
おそらくポストシーズンに進めるのは、東地区から優勝チームと勝率上位を含めて3チームになるのではと言われている。
すると残りの1チームはどこから出るのか。
中地区はミネソタの手によって、他のチームは勝率が五割に達していない。
つまり西地区の二位のチームが、おそらく勝率で五位か六位になるのではないか。
そこまでがポストシーズンに進める順位である。
ただこれは東地区の潰しあい、そして中地区のミネソタの圧勝と、二つの要素に頼っている。
シーズン終盤になればともかく、まだ六月半ばのこの時期は、自力でポストシーズン進出を狙うべきなのだ。
確実にポストシーズンに進めるのは、各地区の優勝。
幸いなことに西地区は、首位のヒューストンも突出した勝率ではない。
そしてシアトルとアナハイムの3チームで、一つのカードが終わるたびに、順位が変更したりする。
もっともその中では、ヒューストンがやや優勢ではあるのだが。
基本的にMLBはNPBよりも、さらに資金力に豊富なチームが有利だ。
FAで戦力を揃えるというのが、どのチームでも当たり前にされているからだ。
NPBと違ってサラリーキャップに近いぜいたく税はあるが、それを払ってでも戦力を整えるチームは珍しくない。
それでも時折、年俸総額の安いチームで、ワールドシリーズを制するということはある。
これはNPBであっても、同じことが言える。
NPBの場合はサラリーキャップはないものの、FAまでの期間が長くて条件が厳しい。
よって金だけで強い選手を集めるのは難しいはずなのだが、現在は育成システムが選手集めを節操のないものにしている。
支配下登録の指名だけでなく、育成で年によっては10人以上も指名するのがNPBの金満球団だ。
もっとも育成のシステムがちゃんとしていなければ、それこそ無駄に金を使うことになるので、ただ金だけでどうにかなるものでもない。
ただMLBの場合、資金力があるということと、資産としての価値が高いということと、年俸総額はそれぞれ違いがあったりする。
現在年俸総額が一位なのはメトロズであるが、これは九月の時点ではどうなっているか、今のところはまだ分からない。
球団としての価値が高いのはラッキーズであるが、トローリーズなども価値は高い。
基本的には大都市のチームは金をかけることが出来るが、貧乏球団でも勝てるというのが、MLBの戦力均衡だ。
そんな戦力均衡を無視して、金を使い続けるのがメトロズのオーナーであるコールであったりするが。
こういった金をいくら使ってもいいから、ワールドチャンピオンになりたいというオーナーは存在する。
現在の西地区では、年俸総額ならアナハイムが一位である。
ここ二年の躍進によって、球団の価値が高まったため、それだけ戦力の整備に金をかけることが出来たのだ。
ただヒューストンもそれとあまり変わらないぐらいに、選手をしっかりと集めている。
やや離れてシアトルがいて、再建期のテキサスとはだいぶ差がある。
そしてオークランドは、もうずっと長い間、貧乏球団のままである。
シアトルとの三連戦、直史はまたも第三戦に投げる。
一人だけ中四日で投げて、どうして消耗しないのか、選手もファンもマスコミもコーチも、とてつもなく不思議には思っている。
直史としてはペース配分や、疲労する部分を色々と分けているだけだ。
コンビネーションで投げる時など、樋口にまるっとお任せの時もある。
樋口も樋口で直史が投げる時は、他のピッチャーをリードする時ほど、考えることは少なくて済む。
MLBに来てから思ったことだが、本当にこちらのピッチャーは、自分の投げたがる球を投げることが多い。
もちろんそれで打ち取れるのならいいが、それはダメだろうという選択を平気でしてくる。
あと、報復死球はどうしても慣れない。
樋口も打撃力があるので、やられる時が少しはある。
上手く尻や太ももで受け止めればいいのだが、本当にこのアンリトンルールは、他のルールと比べてもクソだと思う。
一勝一敗で迎えたシアトルとの第三戦。
直史の今年、16度目の先発である。
この時期に16勝を達成すれば、おそらく年間では35勝に到達する。
一年目からいきなりサイ・ヤング賞を取ったピッチャーが、そこからどんどんと成績を上げていく。
年齢からいっても、この初年がキャリアハイだろう、などと言っていた評論家はたくさんいたが、彼らはもう潔く自分の誤りを認めている。
アメリカ人はこういうとき、割とあっさりと謝るところは美点だなと思う。
もっとも日本でも、ある程度の見識を持っている人間は、そんなに軽く断言はしていなかったものだが。
日本とアメリカとの違いは、日本の場合はその見立てが間違っていて、そして浅はかなものであっても、庶民に受ければ居場所を失わないというものだ。
アメリカも影響力をなかなか失わない人間はいるが、日本に比べるとあっさりと干されてしまう場合がある。
直史は基本的に、マスコミの受けは悪い。
それは日本時代から変わらないことである。
さすがに子供からのサインを完全無視、などということはやらないが、取材に関しても秘密が多いのだ。
そもそもどうしてここまで打たれないのかなど、明らかに出来るものではないだろう。
いずれ引退した時は、語ることもあるかもしれないが。
同じように出来るものが、いるかどうかは別として。
シアトル相手であると、織田が色々と仕掛けてくる。
本当に高校野球らしい、相手が嫌がることを、平然としてくるバッターである。
もちろんそれには高い技術が必要となる。
たとえばカットの技術だ。
緩急と、コースの投げ分け。
ボール球に見えるものさえ、直史と樋口のバッテリーであると、ストライクにしてしまうことが出来る。
なのでボール球と思えても、上手くカットしていかないといけない。
そしてあまりカットばかりしていると、今度はフルスイングに影響が出るようになる。
ただそれが有効であったのも、一打席目だけであった。
二打席目以降は、基本的に織田が、あっさりとヒットを打ってこないと見抜いておく。
ツーストライクまでを際どいボールで取って、そこから緩急差を活かして上手く打たせる。
おかげでこの試合、100球以上を投げてしまった。
この間は延長10回までを投げて、まだ100球に到達していなかったのに。
それでも順調に、完封して勝ち星を増やす。
安定した直史のピッチングは、珍しくもごく普通の完封であった。
シアトルとの対決は、二勝一敗で勝ち越し。
次のオークランドとの三連戦に、直史の出番はない。
次に対戦するのは、これまで対戦のなかったアリゾナ。
もっともアリゾナはナ・リーグの中では最下位の常連。
アリゾナ自体はスプリングトレーニングで、訪れている場所ではある。
そしてその中のオープン戦では、対戦したことがある。
しかしレギュラーシーズンでは、初めての試合となる。
ここでも直史は、当然のように完封を望まれるわけだが。
アリゾナはポストシーズンに進んだとしても、対決はありえないチームである。
望むのはメトロズとの対決とはいえ、トローリーズだのサンフランシスコだの、ナ・リーグには他にも強豪がいる。
今年のメトロズは、先発はともかくリリーフがかなり弱い。
安定感のないリリーフでポストシーズンを戦うのは、かなり無理があるのだ。
力を入れて分析するには、費用対効果が薄い。
案外こういうところから、今季初失点などが発生するのかもしれない。
アリゾナはカリフォルニア州とは隣にある。
スプリングトレーニングはここで開催されるのだが、シーズンの公式戦は初めてだ。
移動に一日をかけてから、翌日がアリゾナとの第一戦。
直史は特に問題もなく、先発の朝を迎えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます