第21話 ミネソタの嵐

 ミネソタに三連敗したことで、アナハイムの勝率が苦しいことになってきた。

 おそらくミネソタとしては、去年のポストシーズンでの敗北が、かなり尾を引いているのだろう。

 それを逆に、克服のための力とする。

 フィデルとガーネットはともかく、ここまで安定していたボーエンすらも、大量失点。

 アナハイムも四点、二点、三点と完封されているわけではないのだが、あまりにもピッチャーが点を取られすぎる。


 現時点ではメトロズを上回る、最強の打線。

 これにエースクラスのピッチャーを三人揃え、リリーフも隙がない。

 今年をチャンスと見たミネソタは、さらなる戦力の補強を考えている。

 GMが今の時点から、既に動き始めているのだ。


 ミネソタの視点から見たら、まずアナハイムを倒すためには、レギュラーシーズンで叩き落しておくのが確実だ。

 直史がどれだけ頑張っても、負けが多くなった今のアナハイムは、ターナー一人が抜けたという以上に、チーム力が低下している。

 最初はターナー一人が原因であったとしても、途中で樋口も離脱したりして、全体が有機的に動けなくなっているのだ。

 シュタイナーを三番に持ってきた方がいいのでは、と直史と樋口の間では話されていたりもするのだが、そういうことは首脳陣の専任事項だ。

 下手をすればこれだけで、首脳部批判と取られかねない。


 ただ三試合ミネソタに打ち込まれて、樋口はだいたいあちらの戦力を把握した。

 直史が投げれば勝てると。

 もっともブリアンだけは、やや危険性が残る。

 去年も一本、レギュラーシーズンでホームランを打たれた。

 それだけブリアンは厄介なバッターではある。


 直史から見ても、おそらくブリアンは今までに対決してきた中で、二番目に厄介なバッターだ。

 技巧派の織田や、パワーの西郷、またそれ以外のNPBのバッターも、アベレージはともかくブリアンの長打力は持っていない。

 ただ、一番厄介なバッターに比べれば、ずっとマシな相手ではある。

 どうしようもないやつとブリアンの間には、深くて広い溝がある。

 これを越えることが出来るとは、直史も思っていない。

「油断さえしなければ勝てるな」

 樋口はそう言ったが、その台詞は油断しているからこそ出るものではなかろうか。


 三連敗しているアナハイムだが、直史の登板試合にスタジアムが埋まらない訳がない。

 ただ今年はさすがに、ポストシーズンは進出不可能では、という話も聞こえてくる。

 なにせターナーの治療状況が、全く漏れてきていないのだ。

 確かに最初から、時間がかかるとは言われていたものだが。


 最低でも二ヶ月かかるだろうと言われて、今でおよそ一ヵ月半。

 まだ現場には、復帰の見通しの情報さえ降りてきていない。

 いっそのこと今年は諦めて、他のバッターを獲得できないものか。

 そう思っても無理はないが、ターナーに匹敵するようなバッターを、そう簡単に手放すチームがいるはずもない。

 現状アナハイムが出来ることは、二つしかない。

 一つはマイナーから、芽を出しつつあるバッターをメジャーに上げること。

 もう一つは、同じく芽が出つつあるバッターをトレードで獲得することだ。


 しかしアナハイムが出せる人員は、あまり多くない。

 ピッチャーは現在、先発の力が足りていない。

 打線が弱いから勝てないとも言えるが、その状況で少しでも強いピッチャーは、出せるはずがない。

 プロスペクトであって、まだ実績のないピッチャーなら別だが、そういうピッチャーで果たして安定して打てるバッターが取れるか。

 またバッターを出すぐらいなら、素直にそのまま自分たちで使ってしまうべきだ。

 そして今年は直史の最終年。

 ターナーの回復を、しかもポストシーズンが狙える位置にいる間に回復するのを、祈るしかない状況だ。


 ほぼ詰んでいるように見えるこの状況だが、なんとか勝率を五割以上に保ち、ターナーが八月までに戻ってくれば、どうにかなるかもしれない。

 それにまだ、ピッチャーの若手がこなれていない。

 樋口が育てているのだが、MLBはピッチャーのクセが強い。

 ピッチャーはどこでもクセが強いと思うのだが、NPBのピッチャーとは完全に違うクセの強さなのだ。

 こんな状況であっても、直史の出来ることはただ一つ。

 確実に試合で勝利することだけだ。




 先攻のミネソタは、一番はセンターのアレン。

 能力的には織田やアレクのような、高打率だが長打も打てる、出塁率の高いバッターだ。

 今年はそれにさらに磨きがかかり、オールMLBチームの外野部門で選ばれる可能性がある。

 直史はそれに対して、低く外れるカーブから入った。

 ゾーンは通っているのに、ボールと判定されるアレである。


 これはボール判定でいい。

 時々ストライク判定されるが、基本的にはボール球なのだ。

 このカーブの落差を見せ付けてから、低めに鋭く変化するボールを投げる。

 これでストライクのカウントを取ってから、ストレートを投げる。

 バットコントロールに優れたアレンは、かろうじてこれに当ててくる。

 そして内野フライ一丁上がりである。


 二番打者はレフトのパットン。

 攻撃的な二番打者で、長打力が高い。

 ブリアンの打点があまり伸びないのは、その前にパットンがランナーを返してしまうからだ。

 ここは懐に鋭く変化するボールで、内野ゴロを打たせた。

 その打球はかなり速く、下手をすれば内野の間を抜けていくものであった。

 ここではショートの守備範囲で、しっかりとアウトにする。


 そして三番、ライトのブリアン。

 ブリアンはむしろ、二番に置いたほうがいいのでは、とも言われている。

 高打率、高長打率、高出塁率。

 足の速さこそはそこそこであるが、強肩でもある。

 彼が二番で、パットンが三番。

 そうしなくても済んでいるのは、四番と五番にも優れたバッターがいるからだが。


 ミネソタの攻撃力は反則級だと言われるが、実際のところこの五人はドラフトで指名するか、マイナー時代にトレードで手に入れたプロスペクトが育成に成功した次第だ。

 今後三年間は、この打線を安く使えるので、ミネソタはワールドチャンピオンを現実的に狙っていける。

 ただ去年はこのミネソタを、ポストシーズンでスウィープしたのがアナハイムだ。

 直史だけではなくスターンバックも頑張ってくれて、あとは打線の援護も大きかった。


 はたして現在の戦力で、ミネソタとポストシーズンで戦えばどうなるのか。

 少なくともここまでの三戦で、あっさりと負けたようにはならないだろう。

 どの段階で対戦するかにもよるが、五試合か七試合を行い、先に三勝か四勝した方が勝つ。

 直史が二試合か三試合を投げて、それが封じられたとする。

 しかし残りの一試合ぐらいは、やはり他のピッチャーで勝ってもらわないといけない。


 今日のブリアンとの勝負で、どういう方針を取るべきかが決まる。

 少なくとも前年は、直史はポストシーズンでは完璧に、ミネソタを抑えることが出来た。

 レギュラーシーズンでブリアンに一本打たれていたからこそ、油断せずに相対した。

 今年もレギュラーシーズンでは、あと一試合は戦うかもしれない。

 ミネソタにこのままの勢いで、レギュラーシーズンを駆け抜けられるのは不安が残る。

 一応もう一度三連戦のカードがあるが、それは六月の上旬。

 ポストシーズンで戦うためにも、ここは封じておかなければいけない。


 ブリアンへのボールは、消耗を考えない。

 少しばかり疲労が残っても、今ならどうにかなる。

 初球のストレートを、ブリアンは叩いた。

 だがそれはセンターのアレクが、やや前に出てキャッチするセンターフライに終わった。

 内野フライを打たせるつもりが、一応は外野まで持っていかれた。

 ブリアンは不本意な表情をしているが、直史としても不本意だ。

「一応ゴロを打たせるコンビネーションの方がいいな」

 樋口の言葉に対して、直史はやや首を傾げる。

「あえて勝負して、完全に封じた方が良くないか?」

「ブリアンはお前が思っているより、そこそこ厄介だぞ」

 これまでの三試合、味方のピッチャーが打たれるのを、一番近くで見ていたのが樋口だ。

 ブリアンは打率こそ下がったが、長打率はむしろ上がっている。


 直史のピッチングを信じないわけではない。

 だがリスクの計算は、樋口の思考によるとかなり高いと思える。

 確かに初球から、ブリアンは打ってきていた。

 内野フライではなく、外野にまでしっかりと届くフライを。

 この試合の中で、アジャストしてくる可能性は高い。


 ミネソタとの対決は、おそらくポストシーズンでもまだ続く。

 その時までに、おそらくミネソタ打線はまた成長しているだろう。

 上位打線が全員、20代の前半というこの打線。

 メトロズの戦力補強は失敗したように見えるので、下手をすれば数年間、ミネソタの時代が来るのかもしれない。

 ただそこまで戦力が揃っても、確実に勝てるとは限らないのが、野球というスポーツなのだ。


 MLBにおいて、直史は負けないという神話も、去年は途切れてしまった。

 プロという世界は完全なる上澄みの一滴であるのに、その中でも突出していたのだ。

 直史が去った後、メトロズがどうにかピッチャーを整理すれば、ミネソタとの二強時代になるのか。

 実際はア・リーグ東地区と、ナ・リーグ西地区で、戦国時代が行われている。

 ここで鍛えられた地区チャンピオンは、ポストシーズンでも巨大な敵となるはずだ。

 だがそれは、直史には関係のない未来の話になるはずだ。




 一回の裏、アナハイムの攻撃は、ツーアウトからシュタイナーのバットで、二塁からアレクが帰ってきた。

 とりあえず一点先制である。

 そして直史の先発する試合で、一点を取られてしまうというのが、どういう意味を持つのか。

 普段ならもう、スタジアムは直史の記録達成を見る体勢に入る。

 だが今日の相手は、今年のチャンピオン候補ナンバーワンのミネソタだ。

 大介とはレギュラーシーズンでは当たらない以上、ブリアンとの対決が最大の見所となるだろう。

 とりあえず一打席目は、あっけなく直史の勝利に終わったが。


 下位打線になら打たれてもいいな、と直史は思っている。

 ブリアンにしても単打までなら、普通に打たせてもいい。

 ミネソタにはア・リーグで圧倒的な勝率を稼いでもらって、アナハイムを間接的に援護してほしい。

 かなり先の話になるが、ミネソタとは六月にまた対戦する。

 呪いをかけるかどうかは、その時のアナハイムの状態と、リーグ全体の状況を見てから考えればいい。


 ただしホームランまで打たれてやるつもりはない。

 直史は恨みを忘れないタイプなのだ。

 この場合は恨みと言うより、過去の失敗を忘れないと言うべきかもしれないが。

 もっとも二回の表も、直史は三者凡退で終わらせた。

 ただし今のところ、まだ三振がない。

 フルスイングしてくる打線のため、ストレートの使いどころが難しいのだ。 

 直史には打たれるかもしれないと思っても、さらにそこで勝負するという感性は持っていない。

 基本的に勝てる勝負しかしない。勝てるかどうか分からない勝負は、無責任だと思っている。

 勝つつもりで投げて、打たれてしまうのはともかく。


 三回の表、ようやく一つ三振を奪う。

 そしてアナハイムも、一点を追加した。

 二点差となれば、直史から点を取るのは難しくなる。

 昨年のワールドシリーズ最終戦、直史は三点を取られている。

 しかしそれは連投で、しかも延長にまで入ったからこそだ。

 九回までに終わるなら、二点あれば充分。

 無理に投げることなく、ただ勝利だけを目指せばいい。

 実際にはちゃんと、勝利の内容にもこだわらなければいけないのだが。


 この最近の13試合、アナハイムは3勝10敗。

 その三つの勝利が全て、直史の投げた試合だけである。

 たとえ負けてもしっかりと自分の責任は果たしていたボーエンも、このミネソタ戦では六回六失点。

 直史以外で勝てないという状況は、かなり前にもあったアナハイムである。

 その頃のアナハイムは、せっかく契約した大型契約選手が、すぐにポンコツになったり怪我をしたりと、大変であったものだ。


 四回の表、ミネソタの攻撃。

 強力上位打線の、二巡目の攻撃である。




 ミネソタのバッターにとって、直史は完全にトラウマである。

 一応去年のレギュラーシーズン、ブリアンがホームランを一本打っている。

 だがレギュラーシーズンの二度目の対決は、ヒットこそ二本打てているが、13奪三振の完封。

 それにポストシーズンでも、ヒット一本と準パーフェクトというぐらいに抑え込まれた。

 それが今年は、この四連戦で三連勝。

 トラウマは乗り越えて、いよいよリーグを制覇しようと、本命の直史相手の対決。

「なんだか去年よりさらにおぞましくなっていないか?」

 ミネソタベンチではそんな会話がなされているが、それも無理はない。

 三回までを、まるで何もなかったかのように、パーフェクトに抑えられている。

 しかも球数は、全員を三球三振で打ち取ったよりも少ない球数。

 あえて積極的なスイングをしているのが、完全に裏目に出ている。


 直史がミネソタの心を折りすぎないようにと思っても、勝手に折れていくなら仕方がない。

 去年のポストシーズンのショックから、スプリングトレーニングを経て調整し、レギュラーシーズンでは圧倒的な打力で粉砕する。

 ピッチャーが全員エースクラスとかではないので、殴り合いで負けることはある。

 それでもどの試合もおおよご五点以上は取る攻撃力。

 ホームランが一番多く見られるのが、ミネソタの試合である。


 一番打者アレンの二打席目。

 直史はアウトローのスライダーで三振を奪った。

 今日は打たせて取るピッチングなのか、とミネソタ陣営は思っていたが、そこで気づいてぞっとする。

 直史が打たせて取ることも、三振を奪うことも、自由に出来るピッチャーだと認識してしまっていることに。


 一巡目で球数を節約出来たので、二巡目以降は確実性を目指す。

 そのためにはやはり、奪三振の方が確実だ。

 二番のパットンは、内野ゴロでツーアウト。

 ブリアンとの二度目の勝負が回ってくる。


 鋭い視線を直史に向けるブリアン。

 だが直史が見ているのは、ブリアンだけではない。

(やっぱり、こいつも特別に近いのか)

 まだ成長の余地はある。直史よりも10歳ほども若いのだ。

 順調にキャリアを積んでいけば、それだけでレジェンド級にはなるだろう。

 ただ選手の爆発的な進化というのは、単にキャリアを積んでいくだけでは足りない。

 環境と試練が、その爆発を与えてくれる。


 思えば大介には、上杉という目標があった。

 一年の夏に戦えず、ただそのピッチングを投げるところを見ているしかなかったが。

 そしてそれ以降は、真田をはじめとする色々なライバルが現れた。

 その戦いによって、様々な対応力を身につけていった。

 場合によっては同じチームに、岩崎と直史、そして武史がいたために、練習には困らなかったとも言える。


 今のブリアンは、同じ年齢の頃の大介よりも下だと思う。

 そして大介ほどに、圧倒的な力に敗北して、まだ立ち上がることが出来るか。

 インタビューなどを聞いていくと、ブリアンは禁欲的なキリスト教徒らしい。

 カトリックとプロテスタントでかなり変わるが、名前からするとカトリックだが、移民してきたのならプロテスタントなのかもしれない。

 強い相手と対決するのは、神の試練と捉えられるのか。

 ただ高校時代から直史と同じチームにいて、プロでは上杉と戦った大介とは、相手にしていたピッチャーのレベルが違うと思う。

 それに今のMLBでは、直史のようなタイプのピッチャーは少数派なのだ。

 これを打つ練習というのは、やろうと思っても出来るものではない。




 ブリアンのレベルがどの程度なのかは、樋口とも話し合っている。

 だいたい大介が100だとしたら、一般的な四番バッターを50とする。

 ブリアンはおおよそ80程度ではないか。

 かなり大雑把な捉え方であるし、大介にはゾーンに入った時、さらにその数値は増加するが。

 まずはここで、打たれてもホームラン未満に抑えてみたい。

 ツーアウトからなら内野ゴロを打たれても、ファーストで普通にアウトが取れるだろう。


 初球にスルーを投げたら、それを振ってきた。

 第一打席もそうであったが、ブリアンはあまりボールを見ていこうとしていないのか。

 ただ他の試合では、ちゃんと狙い球を定めている。

 直史を相手に限って、その方針を曲げている。

 そしてそれは、実は正しい。


 直史はコンビネーションでバッターを翻弄するピッチャーだ。

 ただしボール球を投げることが、あまりない。

 だから初球から、来た球を打つ。これが一番打てる確率は高い。

 実際に統計を取ってみても、ファーストストライクから打っていく、あるいは一球目から打ったというのが、バッターにとっては有利なのだ。

 ツーストライクノーボールでは圧倒的にピッチャーが有利、ノーストライクスリーボールからではバッターが圧倒的に有利と、これも統計が出ている。

 特に後者の場合は、極端に長打率が高まる。


 ブリアンはスルーを打ったが、それは沈むボールをなんとか追いかけたにすぎなかった。

 ファールグラウンドにぼてぼてと転がって、ストライクカウントとなる。

 二球目は見逃して、これがぎりぎりのストライク。

 ただ打っても、ファールにしか出来なかったであろうが。

 まさにピッチャーに圧倒的に有利な、ツーナッシングに追い込んだ直史。

 決め球に使ったのは、ツーシームであった。

 鋭いゴロだがサード正面で、スリーアウト。

 二巡目もまた、パーフェクトピッチングが続いていく。




 野球はチームプレーだが、一試合だけに限って言えば、スーパーエースが一人いれば、それだけで勝ってしまうことが出来る。

 それもまた、どうしようものない事実なのである。

 直史のピッチングの前に、ミネソタは封じられ続けた。

 ただいつもよりは、奪三振は少ない。

 三振を奪うためには、伸びるストレートもある程度は使っていかなければいけない。

 だがミネソタのバッターの力を考えると、それを長打にされる可能性はあるのだ。


 アナハイムはさらに追加点を取り、3-0とスコアは変化する。

 そしてミネソタは打者二巡目、六回まで出塁者0と、パーフェクトピッチング。

 個々の能力としてはまだ大介には及ばないが、打線としては最強と思われているミネソタ。

 だが直史の前には、まだ力が足りていなかったか。


 一定以下のレベルであれば、完全に攻撃を無効化する。

 どこのゲームのラスボスなのか、という話である。

 実際のところはもちろん、この世界はゲームではない。

 ただ大介を一打席抑えるよりは、ミネソタを一巡抑える方が簡単だ。

 そちらの方は常識の範囲内なのだ。

 大介が去年やったような、人間の領域を超えているような、目を閉じてボールを打つという境地には、誰も至るはずもない。大介自身でさえ、同じことが何度も出来るとは限らない。


 三巡目、七回の表。

 ツーアウトランナーなしで、三度目のブリアンの打席。

 まだ戦意を失っていないのは、挑戦者であるがゆえか。

 あるいは己の力に対する信頼を、己自身ではなくそれ以外の存在に由来しているからか。


 直史は無神論者に近い自然信仰の持ち主である。

 日本の伝統的な信仰である、山を拝み、太陽を拝み、森や岩を拝むという宗教の影響下にある。

 それと神仏習合した仏教とも、相性は悪くない。

 学問としては小乗仏教も理解できる。

 だが人間が人間以上の存在にすがる、ということは理解はしても共感はしないし、許容はしてもどこか侮蔑の対象に近い。

 アメリカ社会ではアニミズムと自分の宗教を偽っているが、とにかくキリスト教文化圏とは相性が悪い。

 下手に歴史があって理論もちゃんとしていて、一般的にはそれほどひどい宗教ではないだけに、余計に始末が悪いと思っているぐらいだ。

 よってブリアンに対しても、わずかだが苛立ちが増してくる。


 バッターボックスに入る前に、十字を切るブリアン。

 哲学や学問として捉える分には、直史は宗教を許容する。

 だが新興宗教の類は全て嫌悪するし、宗教法人が経営する学校相手にひどい目に遭わせたのも、無意識的に好戦的になっていたのかもしれない。

 ある意味でアメリカにおいては、直史は究極のリベラルに近い考え方をしているのかもしれない。

 本人の自己認識としては、完全な保守主義なのだが。


 ブリアンに対して、わずかに自分がトランス状態に入ったのを感じる。

 そこまでしなくても、勝てる相手だと思っているのだが。

 ストレートとカーブで追い詰めて、そこからまた消えるカーブ。

 意識的に投げられるわけではないが、今の直史は投げられる状態にあった。

 ブリアンが空振り三振し、スリーアウトチェンジ。

 多くの観客は、この後のパーフェクトを確信しただろう。




 結果的に直史は、八回の先頭打者に、クリーンヒットを打たれた。

 トランス状態に入った状態と、通常の状態とが、違和感を覚えさせたからかもしれない。

 パーフェクトもノーヒットノーランも阻止。

 ミネソタの四番キャフィーは、それはそれで優れたバッターなのだ。


 しかしその次のバッターで、容赦なくダブルプレイ。

 パーフェクトピッチングは防いだが、27人で終わらせる可能性は残す。

 球数のほうもかなり節約できていて、直史としてはまずまず満足だ。

 何よりあのトランス状態が、大介以外にも自動で発動したというのが、大きなポイントである。


 なんとなくではあるが、寿命を削って投げているような気さえする。

 だが消耗の度合いというのは、スポーツ選手はだいたいそうなのだ。

 四大スポーツのみならず、多くのスポーツ選手は、平均よりも寿命が短いことが多い。

 一番分かりやすいのは、相撲取りの平均寿命であるとも言うが。

 あれは食生活と栄養バランスが問題なので、それは確かに平均よりも長生きできないであろう。


 ただし野球の場合は、一時期のドーピングの数字が、どう影響しているのかが分からない。

 間違いなく薬物は、寿命を縮めているのだろうが。

 野球選手もプロは、70歳にならない平均寿命だというデータもある。

 ただこれはプロ野球選手の、過度の贅沢なども関係しているのではないか。

 データとは、あくまでも一面的に見たものである。


 直史はなんとなく、85歳ぐらいまでは元気で生きるつもりである。

 酒には強いがそれほども飲まず、煙草も吸わずに薬物とは無縁。

 神に祈ることなどなく、長寿で子孫に見守られて死ぬ。

 既に人生の終わりを見据えているあたり、珍しい人間である。


 そんな人間だからこそ、こういう人間離れした記録を、安定して出してしまうのか。

 八回に打たれたヒットは、すぐにダブルプレイでランナーを消した。

 そして最終回になると、ある程度の消耗も問題なく、安定して三振を奪っていく。

 九回の裏は、当然ながら必要ない。

 ミネソタは今季初めての、完封負けであった。

 九回27人被安打1の10奪三振。

 球数はなんと78球。

 ある意味パーフェクトよりもひどい数字で、試合は決着した。

 今季二度目の「サトー」であった。

「……やりすぎたな」

「少しは打たれてもいいって言ってたのはお前だよな」

 反省する直史に対する樋口のツッコミは、もはや呆れを通り越したものであった。

 ミネソタには奮戦してもらって、他のア・リーグのチームの勝率を下げてもらうはずだったのに。

 間違いなく今後数試合、ミネソタの打線は調子を落とすであろう。


 考えていることと、言っていることと、やっていることが一致していない。

 どうしてこうなった?と完全に遠い目をするのだが、全て自分の責任である。

 共犯者である樋口は、かすかなためいきをついていた。

 なお、観戦に来ていた娘が大喜びであったので、反省はしたが後悔はしないことにする直史であった。



×××


 ※ 本日第八部パラレル最新作を一時公開しています。

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