第14話 メカニック
アナハイムのチームは完全に今、最悪の状況にある。
代えのない主砲が離脱して、復帰の予定がまだ分からない。
そこに加えて、正捕手の離脱である。
こちらは見通しが立っているが、現状の戦力が大きく低下したことは間違いない。
それにテキサス相手に、18点も取られた試合はひどかった。
キャッチャーが二人とも離脱というのは緊急事態だが、そこを埋めさせるのに絶対的なスーパーエースを使うなど、非常識ではないか。
もっともそれはアナハイムの首脳陣も既に分かっていて、たとえ20点を取られても、あそこは他の選手にキャッチャーをやらせるべきであったと思う。
内容はどうであれ、一敗は一敗。
負け星の数は、変わらないのであるから。
なんなら30点取られてでも、他の選手にキャッチャーをやらせるべきであった、という意見もあった。
チーム全体がガタガタなのだ。
そんな中で、直史の登板である。
試合の前にキャッチャーと、軽く投球練習などはした。
目標はスルーを使わずに勝つこと。
「キャッチャーなんてよく出来たね」
「出来たんだから仕方がないよな」
アレクはのんびりとそう言うが、アナハイムの現場に対する悪質な誹謗中傷が繰り返されているのは知っている。
直史としてはなぜか、どうして拒否しなかったのか、などと自分も言われているらしいが。
しかし直史はネットで何を言われようと、気にしない人間である。
そもそも英語の文章などは読まないのが直史だ。
いまどき自動翻訳ソフトなどもあるのは知っているが、読んでほしいなら気合で日本語変換してから発言しろ、と思っている日本人であった。
それに悪いことばかりでもない。
「何が?」
「今日のピッチングで、それが分かるかもしれない」
この連敗によって、ついに勝率が五割丁度に落ちてしまった状況。
直史はこの試合、絶対に勝たなければいけない。
さすがにプレッシャーでも感じているのかな、と珍しくも気遣ったアレクであるが、直史はむしろ災い転じて福となす、などと考えているのかもしれない。
いつも通りに、全く動揺した様子を見せない。
直史としては確かに、無茶をするなとは思ったものだ。
ただ一球でもミスがあってプロテクターにでも当てたら、交代するつもりではあった。
しかしいざやってみると、発見もあった。
キャッチャーとしての、バランスの取り方である。
直史のピッチングというのは、全ての動作が完全に連結している。
そしてその球速はともかく、フォームのスピードはおおよそのピッチャーよりも速い。
全てのボールが完全にコントロールされている。
そう、完全という言葉が、直史のピットングにはよく似合う。
このピッチングスタイルを真似して、アメリカのアマチュア選手も、コントロールを意識しているピッチャーが多い。
だが日本以上にアメリカでは、直史のピッチングスタイルはお手本にならないものとされている。
コントロールを身に着けるためには、完璧な投球メカニックが必要となる。
しかし表面的に正しいフォームで投げられても仕方がない。
実際に投げて見て、思ったボールが投げられるか確かめなければならないからだ。
ピッチャーの投げすぎについては、アメリカでは子供の頃から散々に注意される。
しかしそれだけ注意した結果が、結局はトミージョンなのか。
直史は一度だけ肘を痛めたことがあるが、本当に軽いものであった。
他にも白富東出身の選手は、ピッチャー以外の選手であっても、故障は大変に少ない。
高校生の段階で、セイバーが綿密にチェックしたメニューでトレーニングしているため、故障の手前でどうにかなっているのだ。
完全なるコントロール。
それでほとんどのバッターは打ち取ることが出来る。
クイックモーションから投げられるボールは、緩急とはまた違って、タイミングが取りにくい。
一時的にキャッチャーなどをしたことで、直史は下半身の体重移動を、より意識するようになっていた。
カンザスシティとの第二戦。
ここもまたチームは再建中である。
昨日のレナードは六回一失点の素晴らしいピッチングであったが、味方の援護が少なくてはどうにもならない。
樋口が離脱しているアナハイムは、さらに得点力が落ちているのだ。
シュタイナーなどの長打に期待するしかないのか。
ただアレクが出塁した時のために、もう一人ぐらいは打てるバッターがほしい。
アベレージの期待出来るバッターを、アナハイムはマイナーから上げようとしている。
どのみちターナーが間に合わなければどうにもならない。
こんな状況であるのに、アナハイムのベンチは悲壮感には包まれていなかった。
直史が今日は投げるのだ。
絶対的な信頼感は、昨年のワールドシリーズ最終戦を終えても失われてはいない。
今季も既におかしなことを何度もしている。
直史ならば絶対になんとかしてくれる。
だからよほど守備をミスしない限りは、問題にはならないだろう。
先頭打者のアレクも、この試合はバッティングに専念出来る。
今季の直史は、センターにフライを飛ばすことさえ、ほぼ自由自在になっているように思える。
問題があると思えば、キャッチャーとの意思疎通ぐらいだ。
さっさと一点を取ってしまおう。
そう考えるアレクだが、ヒットよりも確実にフォアボールを狙っていった。
ケースバッティングよりは自分の感覚を大事にするアレク。
その感覚に従って、球数を投げさせて無事に出塁した。
この試合直史は、いつも通りに投げるであろう。
そしてキャッチャーは、そのコンビネーションに対応できないかもしれない。
構えたその場所にミットを置いておけば、確実に入るのが直史のボールだ。
しかし本能的に、どうしてもボールを追いかけてしまうと思う。
(キャッチャーを含めエラーがあったとして、どうにか一点には抑えられるはず)
そう考えているアレクは初球から、二塁への盗塁を成功させた。
三塁に達したアレクを返したのは、本日は三番に移動しているシュタイナー。
芸術的な外野フライで、アレクは悠々とホームに帰還。
まずは一点先取のアナハイム。
そしてこの一点が決勝点になる可能性は、これまでのことを思えば充分にありえた。
昨シーズン直史は、三本のホームランを打たれている。
ブリアンに一本、大介に二本だ。
しかしレギュラーシーズン中に打たれたブリアンには、ポストシーズンで完全にその借りを返した。
大介には決定的な一打を打たれたが、あれは相手がおかしいのである。
なんと言ってもワールドシリーズで、一人で三勝していた。
そして連投で、延長まで投げ続けた。
直史ならば何をやっても不思議ではない。
そんな信仰と言うよりは狂信が、アナハイムを支配している。
この試合も満足な経験のない、マイナーでプレイすることの多いキャッチャーとバッテリーを組む。
だがそれでも勝利への確信は揺るがない。
バッテリーを組むキャッチャーも、自分自身が一番の不安要素だということは分かる。
しかし直史が投げて、負けるとは思えないのだ。
一回の裏、直史がマウンドに立つ。
軽く投げてくるそのボールが、空間の中にある管を通ってくる。
不思議なボールだった。
ただのストレートだと思ったのが、なぜか空振りしていた。
そして二球目、普通のカーブを空振りする。
追い込んでからは遊び球を使わず、またもストレート。
空振り三振で、直史のピッチングはスタートした。
直史は体重移動を考えながら投げている。
そして打たれないボールを投げている。
二球続けて投げれば、おそらく打たれるストレート。
だが間に一つ他の球種を挟めば、ストレートが打たれない。
打たれない軌道で、ストレートを投げることが出来る。
(不思議なもんだな)
ここにきて、まだ自分は進歩している。成長している。あるいは進化している。
実戦でキャッチャーをやることに、なぜか違和感がなかった。
合理的に、あるいはリスクとリターンを考えれば、拒否する方が正しかったであろうに。
あの時、予感はあったのだ。
だからこそプロテクターを着けて、150km/hのボールに相対した。
今のままでは大介には勝てない。
トランス状態に入っても、ようやく五分と五分といったところだ。
新しい、決定的な武器が何か、必要であったのだ。
(それがこれか)
重心を、もっと低いところに置くのだ。
フラットストレートと、理屈は同じである。
だがあのフォームから、他の球種も投げる。
長身の選手ならば、身長を利用して、上から角度をつけて投げる。
しかし比較的背の低い直史は、逆に考えるのだ。
低いリリース地点から、普段は見ない軌道のストレートを投げる。
これに気づくことが、あの試合でキャッチャーをやったことの結果であるのか。
キャッチャーを引き受けたのは、直感であった。
だが有名な偉人の言うように、天才とは99%の努力と1%の直感だと言うのであれば。
直史はかなり不本意ながら、自分は天才なのだと認めざるをえない。
(普段よりおおよそ、15cm下から)
そんなわずかな差で、打たれないストレートが投げられるのだ。
ただこれは、ずっと投げ続けるようなものではない。
重心を低くしてバランスを取るというのは、体重移動の距離を短くすることで、ボールのスピード自体はそれほど出ない。
これを見て他のピッチャーは、何をおかしなことをしているのか、とさすがに思ったものである。
だがそういう選手は、野球のもっと基礎的な部分を忘れている。
打たれないボールこそが、速いボールよりも優れている。
速さは打ちにくさの要素の一つに過ぎない。
基本的にピッチングというのは、打たれないようにボールを投げるものなのだ。
ここで基本的に、と言ったのは、打たせて取るというより効率的な手段があるからだ。
直史はグラウンドボールピッチャーだ。
ゴロを打たせて、球数も少なくして、消耗を少なくして試合を終わらせる。
だがこのわずかに変えたフォームは、負担が大きい。
主に下半身の負担である。
(昔のピッチャーは下半身で投げるとか言ってたけど)
この下半身の筋肉にかかる負荷は、おそらく走りこみで鍛えるのは効率が悪い。
それにおそらくこのフォームに特化していくと、最終的にはボールのキレが悪くなる。
下半身に姿勢維持のための筋肉が備わってしまうからだ。
安定感を求めると、キレが悪くなる。
ピッチングとは瞬発力の方が、持続よりも大切なのだ。
フォームは完成していたはずであった。
だがそれはあくまでも、科学的に力の伝導効率を考えたフォーム。
打たれない球を投げるならば、むしろ力の効率などは考えなくてもいい。
どのみち直史は何をやっても、100マイルのスピードは出せないのであるから。
グレッグ・マダックスはその晩年、もう140km/hの球速すら出なくなっていた。
日本人で言うなら上原浩治もその晩年は、140km/h程度のストレートでMLBで活躍していた。
ピッチャーに必要なのは、駆け引きやコントロール。
そしてリスクを取ってでも、ここと決めたところに投げる決断力だ。
直史はまだ、ストレートが150km/h台は普通に投げられる。
94マイルも出すことが出来るのだ。おおよそは92マイル程度までしか投げないが。
この90マイルのストレートで空振りが取れるピッチング。
普段のピッチングと組み合わせれば、さらにバリエーションが増える。
おそらく他のチームの分析班は、さらに頭を抱えることになるだろう。
マウンドのサトーは二人いると。
フライボールピッチャーは、グラウンドボールピッチャーに比べて劣っているというわけではない。
今でこそバッティングは、フルスイングを基礎とする、などと少年野球でも言っている。
だが実際の試合においては、確実にゴロを打つことも必要だったのだ。
フライを打たせた方が、アウトを取るための工程が、一つ減る。
ゴロと比べてファーストに投げる必要がないのだ。
それでも直史にとってみると、フライボールピッチャーのスタイルは、己の合理に反する。
フライを打たせるということは、ホームランを打たれる可能性、長打を打たれる可能性が高い。
エラーが発生したときも、バッターが一気に二塁まで行っていることが多いのだ。
ゴロを打たせるつもりが、ホームランにされてしまうのは、それはまた別の話。
だが今は確実に、空振りか内野フライを打たせるボールがほしい。
ポテンヒットが二度ほど出た。
セカンドとショートとセンターの間で、二度もポテンヒットになったのだ。
しかしそこから、ダブルプレイで一つはランナーを消す。
こういう場合はゴロを打たせると効果的だ。
カンザスシティとしてはノーヒットをなんとか防いだ後は、とにかく一点を取りにくる。
だがアナハイムの現在の貧打でも、もう一点ぐらいは取ってくれるのだ。
(ぎりぎり打てそうなぐらいのボールを見極めるのは難しいな)
これがNPBであれば、年間の試合数は25試合。
リーグが同じであれば、あっという間にほとんどのバッターに対処できるようにはなる。
今年のこれまでの成績を考えるに、アナハイムは西地区のチームを相手に、大きく勝ち越していくべきだ。
90勝出来なかったとしても、地区優勝さえすれば、とにかくポストシーズンに進出することは確実だ。
勝ち残っていくのは難しいが、チームの戦力を考えれば、ロースコアで勝っていくしかないのではないか。
ターナーが戻ってきたら、一気に楽になりそうな気もする。
しかし過去にもあまりなかった怪我なので、果たしてちゃんと復帰できるのかどうか。
それに契約の都合上、チーム成績が悪ければ、今年はもうメジャーに上げないという選択もフロントはしてくるだろう。
アナハイムの前途は、はっきり言って暗い。
九回を完封し、29人に被安打二本。
ヒットを二本打たれているのと、キャッチャーのパスボールでの振り逃げがあった。
振り逃げ以外にもパスボールが二つあって、やはり落ちるボールは使いにくい。
カーブならワンバンしてもどうにか、前に落として止めてくれるのだが、チェンジアップとスプリットは左右にコースをつけられない。
球数は94球と、今季最多タイ。
完封して94球というのは、ちょっとおかしいのだがそれはもう仕方がない。
味方の援護は結局、あと一点追加された。
2-0で完封勝利。
だが直史への過剰な援護は、なくなってきたと言える。
援護を平均的にどの試合にも配分できれば、随分と勝敗の成績も変わっていたであろう。
もちろんそんなことは、思考実験にしても馬鹿らしいほどのものであるが。
だがカンザスシティには、確実に精神的なダメージを与えたようである。
90マイル少々のストレートで、空振りを量産。
これまでの直史のスタイルとは、かなり違っている。
12奪三振と、それなりに三振の数も多かったのだが、さらに言うなら空振りが多かった。
普段の直史の空振りは、変化球で微妙な角度をつけたり、ストレートでもゾーンぎりぎりを狙った、見逃し三振が多かったのだ。
圧倒的に多い、空振りからの三振。
明らかにこれによって、カンザスシティの打線は調子を崩した。
第三戦、アナハイムの先発はガーネット。
七回までを無失点に抑えて、リリーフに継投。
アナハイム打線は相変わらず、大きな援護は出来ない。
だが交代するまでに一点は取って、さらに追加点も取る。
前日と同じ2-0というスコアで、連勝した。
第四戦は、直史に次ぐアナハイムの二番手となるボーエン。
彼はここまで直史と同じく、先発した全ての試合で勝ち星を上げている。
この試合もまだ、カンザスシティを襲った悪夢は覚めていないようである。
六回までを投げて無失点と、安定したピッチング。
だがアナハイムの打線は、ここまで援護をすることが出来ていなかった。
結果的には七回以降にアナハイムが、決勝点を上げた。
1-0でアナハイムの勝利。
三試合連続でカンザスシティは完封されて、おかしな記録になっている。
見る者が見れば明らかに、この打線不調の原因は、直史の投げた第二戦にあったと分かるだろう。
四連戦を三勝一敗。
直史の力投が、ようやくチーム全体に浸透してきたと言うべきか。
だが投げたその試合だけではなく、そのカード全体を支配してしまうとは。
エースピッチャーと言うよりはなにか、もっと根源的な存在に思える。
四試合全てのスコアをあわせると、7-3というとんでもないロースコアゲームの連続。
打線の不調は改善しないまでも、どうにか貯金を作って、アナハイムは本拠地に帰還したのであった。
筋挫傷と言われた樋口は、三日間は安静にしていた。
そしてそれからは、筋肉が変に固まらないよう、ストレッチや柔軟などはしている。
そんな樋口のマンションを、直史は訪れた。
球団から持ち出した、己の投げたボールのデータを伴ってである。
樋口の家は、子供が四人もいる。
上の二人が女の子で、下の二人が男の子。
二番目の女の子が真琴や昇馬と同じ年で、四人は年齢が二歳ずつ離れている。
見事な家族計画棚と、直史も変に感心をしたものである。
樋口はもちろん、直史の投げた試合を見ていた。
これまでの直史には、ほとんどなかったポテンヒット。
キャッチャーのパスボールに関しては、とりあえず置いておく。
重要なのは直史の始めた、新しいスタイルだ。
技巧派の極致、と直史は言われている。
これ以上は技術ではなく、バッターとの駆け引きの問題になると、樋口などは思っていた。
だがまたこんな、新しい技術を加えてくるとは。
ほんのわずかな違いが、大きな変化を導く。
ストレートで空振りが取れるというのは、普段の直史なら配球からやっていることだ。
しかしこのストレートは、見ればいつもよりも伸びがあるように思える。
樋口がそう結論付けるには、球速を見てもよく意味が分からなかった。
そしてビデオによる撮影などから、そのメカニックの解析を見る。
重心を落としたことによる、ボールの軌道の変化。
これを一番大きく受けるのが、ストレートであるのだ。
こんなわずかな差で、ストレートの空振りが取れるのか。
理屈としてはフラットなので、間違ってはいない。
しかし同じフォームから、他の変化球も投げてしまうとは。
確かにフラットを投げる時だけ、重心を低くするのは、見破られやすいものだろう。
大介などの観察眼からすると、おそらくほとんど効果はない。
しかしこのフォームから、他の変化球まで全て投げてしまう。
二人のピッチャーと対戦するような、そんな錯覚をバッターは受けるのではないか。
「これを思いついたのが、キャッチャーをやってた時なのか」
「正確には次の日、キャッチボールをしてた時だけどな」
そう言われた樋口は、難しい顔をする。
ピッチャーのフォームは、固まっていなければいけない。
一つのフォームから様々な球種を投げることで、何が来るのか分からないようにするのだ。
わずかなグラブの位置の違いからも、クセを見出すのがプロの世界だ。
それを逆手に取るように、フォームを二つ持ってしまう。
切り札としてフラットを使うのとは、かなり違う思考である。
フォームの負担については、直史が先に告げた。
普段のものよりも、下半身全体への負荷が大きい。
特に負担がかかるのは、膝である。
そもそも普段はフラットをあまり使わないというか、フラットも投げられるフォームにしなかったのは、肉体への負担を考えたからだ。
直史のフォームは負荷を全身に分散させた、もっとも効率のいいものであった。
だがあえてそれを破ることで、バッターに錯覚させることが出来る。
これは、試合に勝つためのフォームではない。
対戦相手の打線に、しばらく残るほどのダメージを与えるための戦術だ。
最も基本的なボールであるストレートが、違う軌道から投げられる。
それによって他のピッチャーのボールへも、対処がおかしくなってしまう。
「カードの中でこれを使って、相手の打線の調子を狂わせるわけか」
「今のアナハイムの得点力を考えれば、相手の打線を根本的に不調にしないと、ちょっと勝ち星は増えないと思うんだ」
恐ろしいことを考える男である。
不調と言っても、アジャストしてくるのが一流のメジャーリーガーだ。
しかしその調整のために、二日か三日もかけるなら、そのカードでアナハイムは勝つことが出来るのではないか。
ターナーがいなくなってひどく得点力の低下したアナハイムであるが、無得点に終わった試合はない。
この直史の呪いの力によって、相手の得点力を、自分が投げていない試合でさえも落とす。
それによってどうにか、チーム全体の勝率を上げるのだ。
本当に、つくづく恐ろしすぎる。
ただ樋口としては大学時代、直史が投げた次の試合でも、相手のチームは打線が不調であった場合は多かった。
アマチュアのメンタルでは、ノーヒットノーランやパーフェクトをされてしまえば、すぐには復活出来なかったからである。
プロの世界でそれが通用しなかったのは、さすがにプロのメンタルであれば、翌日には復調させる選手が多かったと言えるのか。
だが今の直史がしようとしているのは、勝利ではない。
自分の投げた試合だけではなく、その後の同じカードも含めた、支配である。
もう二度と勝てるなどと思えないぐらいに、圧倒的に叩き潰してしまう。
高校時代には上杉が、それなりにやっていたことだ。
もっとも上杉の場合は、性格が性格であるので、屈服するというよりはあっけらかんと負けてしまっていたが。
直史のような陰湿さは、上杉にはなかった。
直史の辞去した後、樋口は事態を考え直していた。
ターナーのいない今、アナハイムの得点力は、ある程度は落ちるのは仕方がない。
それでも自分はキャッチャーとして、最善を尽くすのみだと思っていた。
だが直史は、自分が投げない試合にさえ、影響を及ぼそうとしている。
カンザスシティの次の試合がどうなるか、それを見れば可能かどうかは分かるだろう。
ただあまりに呪いをかけすぎても、それはそれで困ったことになってしまうだろうが。
程よい呪いを、かけるべき相手にかけていく。
そのあたりの調整を、上手く考えていかないといけない。
そしてその程々というのを、樋口は共に考えていくわけだ。
ポストシーズン進出と、そしてワールドシリーズにたどりつくために。
後世、MLBの記録を調べる者は、この三年間をどう評価するのだろうか。
一応は去年、直史はワールドシリーズで負けている。
しかしその内容を見れば、ここまでされて負けない方がおかしい、というものである。
同時代に大介の全盛期が重なって、それでも圧倒的な数字を残した。
これが同じリーグの同じ地区であれば、それはもうとんでもない試合が、何度も繰り広げられただろうに。
二つの大きな力が、周囲を完全に巻き込んでいく。
樋口はその中で、自分の位置を定めておく。
主演になれない樋口であるが、それでも残す成績はレジェンドレベル。
このペースで打っていけば、三年後には2000本安打も達成できる。
(脇役がいい演技をしてこそ、主役は輝くものだしな)
キャッチャーという黒子のポジションを、好んでやっているのが樋口だ。
なぜならその方が、黒幕っぽくて性に合っているからだ。
今年の樋口は、完全にピッチャーを導くのに徹する。
(ここから追いつくぞ)
現実主義者である樋口でさえそう思うほど、直史の支配力は高い。
一つのカードを一人で制圧する。
究極のピッチャーの、さらにその果てを、エースは目指していく。
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