第13話 急転
接戦であったので、忘れている者が多いのではないだろうか。
ボーエンが前の試合で、デッドボールを二つも与えていることを。
そしてこの第三戦、アナハイムは今季初先発のメイスン。
先発ではあるが、とりあえず3イニングを目安に投げればいい。
リリーフをつないで戦っていく、本日はリリーフデー。
まずは先制しようと、アナハイムの打席にアレクが立つ。
ボーエンが三勝目を上げて、アナハイムは完全に、二人がエースクラスとして機能している。
あとはもう一人、安定してそれなりの勝利を狙えるピッチャーがいれば、投手陣は問題ない。
問題はやはり打線なのだ。
だがアレクはMLBに来てから、それほど試合の勝敗にはこだわらないようにしている。
いや、それは日本でプロ入りした時からだろうか。
プロの世界ではどんな強いチームでも、勝率が六割もあれば、おおよそペナントレースは制することが出来ていた。
安定した数字を残して、そしてチームにとってスペシャルな選手になる。
だがその先の勝利を求めるのは、かなり難しいことであった。
半年間ものシーズンを戦うというのは、高校野球とは何より意識が違うのだ。
全ての試合を勝ってやろう。
そんな怪物じみたことを、いつまでも考えてはいられない。
そう思っていたのに、全ての試合を勝ってしまうピッチャーが出てきた。
NPBではなく、MLBにおいてだ。
高校時代のトーナメントの、負けたらそこで終わりという緊張感。
そんなメンタルを、半年プラスポストシーズンで七ヶ月、もち続けることが出来るはずもない。
出来ないはずのことを、やっているのが直史なのだ。
二年前はテキサスで、同じ地区の敵チームとして対戦していた。
日本での無茶苦茶な内容は知っていたが、まさかMLBでも通用するとは。
いや、無理やり通用させたと言おうか。
直史がいるなら、ワールドチャンピオンになれるな、とアレクは思ったのだ。
丁度アナハイムは、センターが補強ポイントであったし、リードオフマンも必要としていた。
ただ樋口が補強されて、それでもワールドシリーズで勝てなかったというのは、かなりのショックではあったが。
アレクは高校時代、直史が甲子園の決勝で、引き分け再試合を完封したのを見ていたのだ。
ターナーがどうなるかで、アナハイムの今季の成績は決まるだろう。
しかし直史は珍しくも、そのピッチングでチームを鼓舞するようなことをしている。
ならばそれに応えるのも、後輩の仕事ではなかろうか。
打てるものは打ってしまって、着実に出塁する。
それが普段のアレクなのだが、この日は少しボールを選ぶ。
去年もその前も、二桁の本塁打を記録しているアレク。
狙えばホームランも打てるのだ。
あまり考えすぎると疲れるので、普段は直感に頼ったバッティングをしているが。
それでもファールで粘り、フルカウントに持ち込む。
相手のピッチャーは先頭打者に粘られたことに苛立ちながらも、アウトローに決めてきた。
しかしそれこそ、アレクの狙っていたボール。
ぎりぎりを攻めるつもりだったのだろうが、ほんのわずかに内に入ってきている。
アレクはそれをフルスイングした。
珍しくも、バッターボックスの中で、打球の行方を見守る。
ボールは左方向、レフトスタンドに入った。
少し高く上がりすぎたかな、とも思ったが無事に先制のホームラン。
ガッツポーズをして、ベースを一周するアレクであった。
アレクのホームランというと、初回の先頭打者ホームランというのが、最も印象的な直史である。
今日のホームランは、確実に狙って打っていった。
まるで四番打者に求められるような、相手の決め球を待ってのホームラン。
今日の先発のメイスンは、これで少しでも楽に投げられるようになっただろう。
直史はそう考えているが、二番の樋口はもう少し攻撃的である。
メイスンから始まる継投リレーであるが、一点では足りない。
アレクに粘られた末に、ホームランを打たれた相手のピッチャー。
(ここで畳み掛けたら、あまり期待していなかった今日の試合、取れるかもしれないな)
樋口としても、珍しく欲が出ている。
欲は大切だ。勝利を渇望する欲は。
金銭欲であれ、性欲であれ、食欲であれ。
ただ肉体が欲するものではなく、精神が欲するものをこそ、人間は大切にするべきだと思う。
別にここで負けても、死ぬわけでもない。
全ての試合を、勝てるわけでもない。
だが樋口もまた、あのトーナメントを最後まで勝ちきった人間の一人であるのだ。
マモノの棲む場所で、頂点に立った。
欲望と言うよりは、執念に近かったと思えるが。
ここでやはり、欲望が渦巻いているのだろう。
アメリカンドリームの舞台。
ただそんな中で樋口は、もっと単純なことを考えている。
自分の能力の限界までやって、そしてさらにそれを上回るということを。
あの夏、最後に打ったアウトロー。
もっと難しい球を、いくらでも打ってきた。
だが自分のスイングで、あれを上回るものはないと思っている。
(甘く入れば初球からいく)
わずかに前のめりになっている、樋口への第一球。
内角からさらに、突き刺さるように変化してくる。
いやこれは――。
(当たる!)
引いた足の、一番太いところで受けた。
デッドボールでテイクワンベースである。
樋口は気負いすぎて、昨日の試合のことを忘れていた。
ボーエンに対する内角へのリードは、樋口がしていたのだ。
それで二球も当てられたのだから、どこかで報復されるのは当たり前のことである。
うずくまり立ち上がれない正捕手樋口に、アナハイム側から選手が溢れ出る。
(そういえば昨日は二つもデッドボールがあったのに、報復はなかったな)
一応頭部などは狙っていなかったので、通常の報復の範囲内ではある。
それに普段の樋口なら、もっとよけていたとも思ったのだが。
樋口が立ち上がれないので、本人による乱闘騒ぎにはならない。
代わりに血気盛んな若手があちらに詰め寄っていくが、これはプロレスである。
予定調和であるはずなのだが、樋口の当たり所が悪かった。
「どこにぶつけた?」
「上手く受けたと思ったんだがな……」
太ももの前で上手く受けるのが、一番安全である。
相手のピッチャーも、危険な場所には投げなかったのだ。
それでも報復死球は、つくづくクソなアンリトンルールである。
確かにあの配球をリードしていたのは樋口だが、正捕手に向かって投げてくるか。
他の無関係なバッターなら、投げていいというわけでもないのだが。
アレクに粘られて打たれて、それで鬱憤がたまっていたというのも正直なところではないのか。
だがそんな理由はどうでもよく、とりあえず樋口はベンチに戻って、臨時代走を出す。
筋肉と筋肉の間に当たってしまったのか、想像よりもダメージが大きい。
樋口としては痛恨のミスである。
デッドボールにも、当たり方というものがある。
大介のように、打てる範囲に来たから打ってしまう、ということは普通は出来ないのであった。
遺恨の残る試合になった。
そしてあまりにも奇妙な展開が始まる。
筋挫傷により樋口は、とりあえずこの試合はここで交代。
去年は二試合しか出ていなかった控え捕手が、思わぬ出番をもらう。
なおアナハイムの攻撃は、初回にもう一点を取っていた。
しかし樋口が降りた状況で、相手をそう打ち取れるはずもない。
控えのキャッチャーは実力よりも、さらに経験が不足していた。
リリーフデーを使う以上、本来ならその味方のピッチャーも、しっかり把握しておかなければいけない。
だがそこまで通じていなかったことが、この試合のアナハイムの失態となった。
試合の序盤で、あっさりと逆転を許す。
だが本当におかしな展開となるのは、ここからである。
失点に焦っていた味方の控え捕手は、やはり気持ちが前のめりになりすぎていた。
バッターのスイングに対して、前に出しすぎていたミットが打撃妨害。
そしてその衝撃で、わずかながら指を痛めてしまったのであった。
アナハイムは通常、ベンチメンバーにキャッチャーを二人しか入れていない。
チームによっては三人入れている場合もあるのだが、アナハイムは樋口の安定感が良すぎた。
だからこそ、この状況は致命的である。
本職のキャッチャーが一人もいなくなったのである。
ピッチャーを使い果たし、野手が投げるということはある。
だがキャッチャーがいないというのは……。
首脳陣は大慌てで、メンバーの中からキャッチャー経験者を探す。
普通ならばあと一人ぐらいは、キャッチャー経験者がいてもおかしくない。
幸いなことに、大分前だがキャッチャーをしている選手はいた。
だが、直史であった。
ちなみに直史は、特にスプリングトレーニングなどで、チームメイトのピッチャーからアドバイスを求められて、マスクを被ってボールを受けていることがあった。
なのでキャッチング自体には、それほど問題はないだろう。
しかしキャッチャーは、ファールチップなどで負傷しやすいポジションだ。
現在のアナハイムが、どうにか勝率を五割に保っている理由。
それは一つには、直史が確実に勝利を積み重ねているからだ。
だが樋口がキャッチャーをしていなければ、他のピッチャーで果たしてどれだけ勝てていたか。
いや、勝つにしても、どれだけ体力を温存できていたか。
直史にキャッチャーをやらせて、もし怪我でもしたら。
ボールを受けることはあるし、バッターが立っていたこともあったが、スイングなどはさせていない。
ファールチップもそうだが、バッターがスイングしてきた時、ちゃんと変化球をキャッチ出来るのか。
他にキャッチャー経験者がいないわけではない。
だがその経験は直史よりはるかに前で、しかも最近は全くキャッチングもしていない。
どうしようもなく、アナハイムは直史をキャッチャーとして出していく。
これで怪我でもさせたら、首脳陣のクビが飛ぶかもしれない。
怪我をさせなくても、普通にあちこちから叩かれるのは既に分かっていた。
MLBの世界には、多くのポジションを守れる選手が存在する。
二割台後半の打率、二桁のホームランと盗塁、そしてピッチャーとしてまでマウンドに立つような選手が。
ただそれでも、キャッチャーだけはやらない。やれない。
何もWARの守備計算で、ショートよりもさらに、貢献度が高く設定されているのは伊達ではないのだ。
「本当に大丈夫なのか?」
さすがの樋口も心配である。
練習では確かにキャッチしていたが、本番でまさか受けることになるとは。
直史を使うぐらいなら、怪我をしても構わないような、そんな選手をキャッチャーにした方がいいのではないか。
樋口としては非情であるが、それが合理的な判断だ。
もしも樋口が一度交代していなかったなら、痛む左足を膝立ちにして、そこから色々なプレイをしていたであろう。
ほとんど素人のキャッチャーに任せるよりは、その方がマシである。
指を痛めたというキャッチャーも、多少無理してでもこの試合だけはどうにかしてほしかった。
首脳陣はマイナーからキャッチャーを二人、次の対戦相手であるカンザスシティに、そのまま送り込む連絡をしていた。
泥縄である。
直史としては、確かに危険性は高いと思う。
自分のピッチングは、体のどこかに痛みを抱えていては、その精密な動作が失われてしまうものだ。
結果的に無事であったとしても、自分が監督ならこの起用はないな、と樋口は思う。
ただ直史と樋口の間には、長年かけて築き上げた信頼関係があるので、どうしてもドライな判断は出来ない。
その意味では珍しく、樋口は己の判断に自信は持てない。
この試合だけだ、と直史は考える。
勝たなくてもいい試合。
ひたすら己の身を守ることだけを、考えればいい試合。
さすがの直史も、そんな試合を経験することは初めてであった。
しかもキャッチャー。
中学生時代を思い出す。
最初は確かにキャッチングが難しく、プロテクターの上からも何度もボールを当てられたものだ。
負ける試合に直史は参戦する。
後に多くの物議をかもす起用であった。
スプリングトレーニングの時には、他のピッチャーの球筋を見るために、キャッチャーとしてミットを持ったり、打席にバットを持って立つこともあった。
しかし実戦で、バッターボックスのバッターがスイングしてくる状況。
技術的な問題もさることながら、精神的な問題も大きい。
重要なのは、怪我なく試合を終えること。
これこそまさに、真の意味での消化試合である。
ただ、この試合はさすがに、これ以上の悲劇と喜劇は起こらなかった。
直史はMLBピッチャーの本気のボールに左手が痛いとは思ったが、ミットは特注の頑丈なものである。
点を取られても、仕方のない配球。
アナハイムも案外点を取れたものだが、この試合はとにかく終わらせることが大切だ。
普段は完璧を狙っている直史が、ひたすら終わることを願う。
完璧を目指すより、まず終わらせろということだ。
大差で負けているアナハイムは、終盤にはリリーフにも、野手を登板させたりした。
左バッター相手には、アレクまでもがマウンドに登り、本当にこれ以上ないぐだぐだな試合となった。
どんどんと点を取られていって、テキサス側の打線も打ち疲れをしてきたのか。
それでもなかなか、試合は終わらなかった。
結果、18-5という大差でアナハイムは敗北。
実はこれはレギュラーシーズンにおいて、直史が出場して敗北した、初めての試合となった。
キャッチャー出場では仕方がない。
幸いなことに、直史は何も怪我をすることなく、試合を終えることが出来た。
ここまでアナハイムが、なんだかんだ言いながら、勝率五割をキープできていた理由。
それは攻守にわたる、樋口の活躍のおかげであった。
怪我の具合はそれほどひどくないことが分かったが、負傷者リスト入りで10日間の離脱。
それよりも重大なのは、アナハイムはこれで二人のキャッチャーを失ったということである。
もう一人のキャッチャーも、正式に診てもらえば、指と言うよりは手首の捻挫。
これまた10日間の、負傷者リスト入りである。
バッターやピッチャーは、調子によってマイナーから上げてくることを考えていたアナハイムである。
しかしまさか、守備の要であるキャッチャーが離脱するとは。
10日間の離脱期間で、治るような怪我ではある。
しかしテキサスの報復が、こうも大事になるとは思わなかった。
アナハイムは完全に、守備力低下である。
次の敵地でのアウェイ戦は、カンザスシティが相手。
ただカンザスシティは昨年ナ・リーグ中地区四位と、そこからあまり補強も出来ていない。
今年もここまで負け越していて、直史の先発試合もあるため、全敗という結果にはならないだろう。
無理をすれば試合に出られなくもない。
だがここで無理をして、悪化させるのはまずい。
樋口が復帰するのは、サンフランシスコとの試合からとなる。
それまでは明らかに劣るキャッチャーで、どうにか相手を抑えていかなければいけない。
頭が痛いのは、正捕手が外れただけではない。
樋口は打順も二番と、おそらく最も総合的なバッティングと走力が求められる打順であった。
適当に打てるバッターをここに置いても、得点を保証するものではない。
つまりターナーが抜けて大いに低下した得点力が、さらに低下してしまう。
それほど大きな怪我でなかったというのが幸いだが、ある意味ターナー以上に抜けた穴は大きい。
テキサスでの敵地戦が終わったあと、アナハイムはカンザスシティへ向かう。
次もまた、アウェイでの試合なのだ。
そして一日の休みもなく、カンザスシティとの試合。
四連戦は、レナード、直史、ガーネット、ボーエンという先発のローテーション。
普段であれば得点力が低下していても、勝ち越しを狙えるピッチャーの布陣だ。
だがキャッチャーが正捕手だけではなく、控えまで離脱している。
アナハイムはマイナーから二人のキャッチャーを当然ながら持ってくるが、攻守共に樋口の代替にはならない。
さすがにそろそろ負け星がつくのでは、と思っている直史である。
樋口はここで、アナハイムの本拠地において、念のためにもう一度検診を受ける。
そのためチームには帯同していない。
頭脳派キャッチャーというのは、チームの中で重要な役割を果たす。
しかも打撃力にも定評があるのだ。
直史としても、さすがに苦しいな、と思わざるをえない。
軽症であったのと、ポストシーズン中でなかったことが、まだしもの救いと言えるだろうか。
思えばNPBの一年目は、ひどいポストシーズンであった。
武史が試合とは全く関係のないところで、負傷して離脱。
樋口も離脱して、直史は日本シリーズで、四試合も先発することになった。
そのうちの三試合は完投し、最終戦はパーフェクト。
伝説の一つなどと言われているが、翌年のことを考えれば、樋口が抜けてしまったことは、本当に厳しいシリーズになったものである。
試合前のミーティングで、レナードと若手キャッチャーは色々と話し合っている。
こんな状況でも、チャンスはチャンスだ。もし上手くキャッチャーとしてこなせれば、正捕手は無理でも控えの座はつかめるかもしれない。
直史としては、カンザスシティとの第一戦は、あちらのチームを観察する余裕はさすがにない。
まず味方のキャッチャーの力量を理解しないといけないのだ。
おそらく次の試合は、味方の打線も二点ぐらいしか取れないと計算しておいた方がいいだろう。
キャッチャーにリードを任せるのは難しい。
そもそも直史の変化球を、しっかりと捕球できるのだろうか。
一応はメジャー登録はしてあり、人数の関係でマイナーの試合に出ているキャッチャーだ。
もう一人は最初からマイナーの選手で、この機会に上に呼ばれたのだ。
そもそもこのタイミングで、首脳陣はマイナーから何人かを上げるつもりではあったのだ。
ただそれは、ピッチャーを上げる予定であった。
ガーネットはともかくリッチモンドは、微妙に及第点に達していない。
それでも去年までの打線であれば、援護して勝ち星をつけていたのだろうが。
また来年以降のことも考えると、ある程度のピッチャーの育成は必要だ。
しかしターナーの抜けた打線の穴埋め、そしてキャッチャー二人の離脱。
優先すべきはどちらか、明らかだったのである。
レナードのピッチングは、それほど悪いものではなかった。
六回を三失点と、まさにクオリティスタートであった。
しかし攻撃の貧弱さは、彼を援護しきれなかった。
六回までをわずか一点と、打線のつながりが全くない。
アレクも最初は出塁を考えていたが、途中からは長打を狙っていった。
だがその前後が打てるバッターがいない。
それでも一点を取ったのは、ランナーが二塁まで進んでいた時の、アレクのヒットであった。
タイムリーで一打点。
しかしそれだけなのである。
終盤はカンザスシティも、継投リレーでアナハイムを封じようとしてくる。
下位打線でホームランが一本出たが、それでもまだ追いつけない。
結局は2-3でアナハイムは敗北。
投手陣は充分な働きをしていたと言っていい。
チーム全体の雰囲気が悪くなってくる。
投手陣はここまでの試合、二桁失点を喫したのは、テキサスとの最終戦だけだ。
充分に抑えていると言っていいだろう。
だから打線への不満がある。
ただだバッターはバッターで、それなりにヒットは打っているのだ。
しかし長打が少ないと、どうしても連打が必要となる。
ベンチからの采配も、いまいち空回りする。
スモールベースボールに舵を切ったほうがいいのではないか、と直史などは思う。
今の打線において、一番相手にプレッシャーを与えられるのは、アレクの走塁だろう。
出塁してから、足でかき回す。
ヒットを一本も必要としない、得点の仕方。
それをアレクは知っているのだ。
だがそういった小技は、MLBでは重視されない。
単純なミートやフルスイングは、それなりに重視される。
しかしバントの上手さなどというのは、ほぼ評価されないものなのだ。
むしろ長打も打てるNPB出身の二人の方が、そのあたりの技術は優れている。
ひょっとしたらこのチームで三番目にバントが上手いのは、ピッチャーである直史なのかもしれない。
第二戦、先発は中四日の直史。
今季はここまで、まだ当然のように無失点。
三試合全てを100球以内で抑えるという、去年よりもさらに飛びぬけたピッチングになっている。
去年のワールドシリーズ、確かに直史は大介に打たれた。
だがそれまでの登板間隔や、ピッチングの内容を鑑みれば、とても大介が直史に勝ったと単純に言えるものではないと、多くの人間が評価している。
アウェイでのホテルで、直史は相手のバッターの分析よりも、キャッチャーとのサイン交換について確認をした。
なにしろ直史の投げる球種は、どう数えていいのか分からないぐらいにある。
同じ球種でも、変化の大きさやスピードの緩急など、実際はもっと細分化してもいい。
ただその全てを使ってコンビネーションを考えるのは、絶対に若手のキャッチャーでは不可能である。
MLBは割りとNPBというか日本の野球に比べると、キャッチャーの役割は少ない。
だがそれだけに、キャッチングの技術は重要になるのだ。
打順においれは八番に置いて、得点力には期待しない。
とにかく一点でも取ってくれれば、直史ならなんとかしてくれる。
この二試合、連続でパーフェクトを達成している直史。
だが次の試合では、スルーは封印した方がいいかな、と考えている。
直史には落ちるボールがいくつかある。
縦に大きく割れるカーブが代表格で、またスプリットやチェンジアップも投げる。
しかしそういった変化球とは、スルーは完全に違うボールなのだ。
樋口は最初からキャッチできたが、それでもやや体勢を変える必要があった。
またプロにおいても、体で止めるのがやっと、という場合もある。
正直なところ、ランナーがいなくて決め球以外で使うなら、充分に使えるボールである。
パスボールになったとしても、特に問題はない。
もっともそれは理屈の上の話であって、実際はキャッチャーのメンタルに悪影響を与えかねない。
試合前の調整で、直史はキャッチボールなどをする。
そこで軽く投球練習もする。
スプリングトレーニングでは、確かにそこそこキャッチできていたはずだ。
しかしオープン戦では、組んではいない。
キャッチャー二人が同時に負傷離脱というのは、NPB時代にもなかったひどい話だ。
いや、確かセンバツで、他にキャッチャーがいなくなって、大介がキャッチャーをやったことはあったが。
あれに比べれば、本職のキャッチャーなのだから、なんとかなるであろう。
少なくとも昨日の直史のキャッチャーに比べれば、ずっとマシなはずだ。
今日の試合も、結局は三点しか取られていない。
何かミスがあったとしても、一点までに抑える。
貧打のアナハイムであるが、今年もまだ、完封された試合はないのだ。
一点までに抑えれば、なんとか二点は取ってくれるだろう。今日の試合のように。
ただ、直史は忘れていた。
これまでの試合、二点は取っていたというのも、樋口のいた打線が、ずっとあったからだ。
幸いと言うべきかどうかは分からないが、カンザスシティは直史と当てるピッチャーに、自軍のエース級を持ってきていない。
だからなんとかしてもらいたいものなのだ。
これまでに、不安な試合はそれなりにあった。
だがこれ以上に頼りない試合は、経験したことのない直史であった。
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